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☆/笑えるくらいに覚えてる

〈  〉



 夜。

 自室。

 外は真っ暗で、蝉も黙りこくっている。


 俺はなんとなく眠ることができずにいた。理由は、姉貴の誕生日のこと。スマホを見ると既に0時を過ぎていた。八月一日。


 ベッドに寝たまま手を伸ばし、机の上の小さな袋を取る。中には俺が選んだ姉貴へのプレゼント――ピアスが入っている。


 朝になったら、渡すんだよな。


 思えば、こうしてわざわざ誕生日にプレゼントを用意するのは初めてかもしれない。前まではこういうのって、父さんと母さんから一方的にもらうものだったから。まあ、母さんは気むずかしい人だったから、くれるのは主に父さんだったけど……。


 父さんと母さんのことを思いだし、懐かしい気分になる。

 その懐かしさがまた別の記憶を呼ぶ。

 俺はとある大切な思い出を見つけて、苦笑いをしながら思いを馳せた。






〈 ☆ 〉






「宗一のバカ! アホ! チビ! おたんこなす!」

「バーカ! クソ姉貴! ノッポ! ……ノッポ!」

「テスト六十点のザコ! 逆上がりできないマン!」

「ノッポ!」

「ゼル伝ムジュラのミラーシールドみたいな顔!」

「ノッポ!」

「ドブ水煮込み生ゴミハンバーグ、ハエの死骸添え!」

「ノッポ!」


 小さい頃の俺と姉貴はこうして、喧嘩ばかりしていた。

 この言い争いの原因はわからない。俺の散らかしたレゴブロックを裸足で踏んだ痛みに姉貴が怒り狂ったからかもしれないし、姉貴がゼル伝と呼ばれるテレビゲームの俺のセーブデータを間違って消してしまい俺が怒り狂ったからかもしれない。


 なんか後者な気はするけど、とにかくそれとは別に、あるとき強く反発しあったことがあった。


 確か、小学校のグラウンドで何らかの理由で俺が姉貴を怒らせてしまい、俺も意地を張って言い返したのだろうと思う。言葉と拳の応酬のあと、姉貴は大声で「大嫌い!」と叫んで去っていってしまった。


 それからは何日間も口を聞かなかった。


 最初のうちは我慢比べだった。一緒に小学校へ行くときは並んで歩きつつも三メートルほど離れたし、学校の昼休みのときは数週間ぶりに一緒に遊ばなかったし、家に帰って父さんが作った夕飯を食べているときもお互いそっぽを向いていた。

 父さんは心配してくれたけど、その頃は喧嘩の頻度も高かったし、あまり重大には受け止めていなかったようだ。喧嘩の原因を聞かれ、仲良くしろよと笑いながら言われただけだった。


 何日か経ち、俺は焦り始めた。

 とある少年マンガを読んでいると、仲違いした兄妹が登場していた。それを読むうちに気づいた。

 “このままじゃ僕とお姉ちゃんも、このマンガみたいに敵同士になっちゃう”

 泣きそうになったけど、俺はまだ姉貴に謝ることはできなかった。一層目つきの悪くなった姉貴に近寄ると怖気づいてしまうし、そんな自分を悟られたくなくて一歩を踏み出せない。


 四日か五日か、もしかすると一週間だったかもしれないが、しばらく過ぎたあとのこと。俺は小学校高学年のいじめっ子にどうしたことか気に障ることをしてしまったらしく、公園で複数の先輩に囲まれて脅されていた。

 いじめっ子は前から俺のことに目をつけていたらしい。今ではその理由がわかる。どうやらいじめっ子は同学年の姉貴にこてんぱんにやられたことがあったようだ。


 数々の脅し文句を投げかけられ(当時は凄く怖かったが今聞けばあまりの語彙力の乏しさにむしろ応援したくなる感じのものだったと思う)、そんな暴言の中には、今はあの女がいないから殴っても大丈夫だ、という言葉も混ざっていた。


 いじめっ子たちがニヤニヤしながら近づいてくる。

 助けて、と心の中で叫んだ。

 振り上げられる太い木の棒は、太陽を隠して俺の顔に影を作った。

 心の中で言うだけじゃだめなんだ、と思った。

 俺は、「お姉ちゃん助けて!」と大きく叫んだ。


 実のところ、恐怖で胸を圧し潰されている俺が大声を発せられたのかはちゃんと覚えているわけではないし、そもそもいじめっ子が木の棒を持っていたかなどの記憶も曖昧だ。けれど俺が姉貴のことを考えていたのは確実だし、心の呼びかけに応えるように姉貴がいじめっ子の前に立ちふさがってくれたことも強く覚えている。


 次の会話も、笑えるくらいによく覚えていた。


「ひ、碑戸々木・姉!? なんでおまえがここにいるんだよ!」

「いつも宗一といっしょに帰ってるけど、今日はこいつ、おれのこと待っててくれなかったんだよ。おかげで、見つけるのがおくれちまった」

「くそっ、みんな、碑戸々木・姉をぶんなぐ……うわあっ!」「木村くん!」「よ、よくも!」

「おまえらみてーなザコは、いっぱい来てもおれには勝てねーよ。弟に手を出されて、おれは今、おこってるしな」

「な……なんでだよ! おまえ、この前グラウンドでその弟に『大きらい!』って言って、それからずっと仲が悪いんじゃ……」


「あのなあ」


 その言葉を今でもよく覚えている自分に、反吐が出るような、ニヤついてしまうような、そんな感じだ。


「おれは世界のだれよりも宗一のことが大好きに決まってんだろ」


 覚えている中では、最初で最後の「大好き」だった。


「宗一をいじめていいのはおれだけだ。てめえら全員、かかってこい。こわくねーならな」






〈  〉






 その日の団欒は珍しく母さんもいたから、父さんは腕によりをかけて晩ご飯を作り、家族四人に振る舞ってくれた。俺と姉貴は、前日まで喧嘩していたのが嘘のようなほどに喋り合い、笑い合ったっけな。


 あの日から、ずっと確信していることがある。

 俺は姉貴が大好きだということ。

 その俺と姉貴を育ててくれた父さんと母さんには感謝してもしきれないこと。

 好きな人と食べるご飯は最高に美味いということ。

 そして。


「……よし」


 俺は小さく独りごち、いざ眠らんと布団を被りなおした。明日は姉貴と、ちゃんと話そう。

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