議論は続きますが、なにか?
「……正直、揉みくちゃにされる立場にはなりたくないものですね」
完爾は、慎重に言葉を選んだ。
「そうだろう、そうだろう」
辰巳先生は、鷹揚に頷く。
「誰しも、そう思っているはずだ。
しかし、時流とかいうものがあってだな、たまたまそのとき、その場にいた者が、歴史の大きな節目を担うことは、往々にしてある」
「あー……。
おれたち、そこまで大物だと自惚れてはいませんけど……」
「なにをいうか。
救国の英雄である元勇者と王族に連なる娘の組み合わせが、大物でないわけがない」
辰巳先生は、完爾の困惑をよそに説明を続ける。
「本人たちの自覚がどうであれ、現に周囲が放置しておかない情況になりつつあるではないか」
「いや、だから、それは。
おれたち個人の問題というよりは、魔法の存在が注目された結果かと」
「同じことだよ、門脇くん。
その魔法の知識は、すべて君たちが握って離さないわけだからね。
まだ映像とかは観ていないが、人伝てに聞く限りでは、富士の演習場でもかなり派手に披露したそうじゃないかね」
「あれは……なりゆきというか、要請がきつくてもう断りきれないところまでいっていたので、しかたがなく……」
「君にしてみれば、無数の襲撃者たちに自分の戦力を誇示して威嚇する効果を考慮したつもりだろう。
しかし、見方を変えれば、国内外に魔法の威力をアピールする結果となり、魔法に対する渇望がより強くなったともいえる。
世の中のことは万事が一事、この通り。
すべてが別の側面を持ち、多面的に観測と評価をしなければならないものだよ。
なあ、門脇くん。
君もそろそろ、弱者のふりをするのを辞めたまえ。
器だけをみれば普通の人間かも知れないが、膨大な魔力を保有しそれを自在にあやつる君は、おそらくこの地上では最強の生物だ。
そして、世の権力者たちは、世界一の強者である君の顔色を伺いながら、どこまでわがままが許されるのか試しているところというわけだ。
君はそうした者たちにおもねることなく、もっと自分の都合でこの世の中をかき回してもよい」
「もおー」
牧村女史が、長々としゃべり通した辰巳先生に文句をつける。
「センセ。
少し、酔いすぎですよー」
「これしきの酒量で酔うほどやわではないな。
はじめて潜入する集落で早めに受け入れられるコツは、出されたモノをなんでも躊躇することなく口に入れること。
わたしのような外から来た珍客を迎えるときは、おおむね酒類がふるまわれることが多かった。それも、かなり強いものが。
杯に注がれたものをな、そのまま一息でぐっと飲み干すと、これだけで心証がかなりよくなる。
若い頃はそれでかなり肝臓が鍛えられたものだ。
それと、その集団の権力者、村長とか長老の似顔絵を描くのも効果があったな。
一人分を描き終わると、おれの分も描いてくれという依頼が殺到する。
言葉が不案内な場所でも、これでかなり打ち解けて、聞き込みがやりやすくなる」
誰も聞いていないのに、若い頃の自分の仕事について長々と説明しだす辰巳先生。
「強いとか弱いとか、そういう分類は、今のこの世の中ではあまり役に立ちません」
完爾は、居住まいを正して淡々とはなしはじめる。
「そのことは、少し前に就職先がまったく見つからなかったことにいやというほど痛感しました。
こちらの世の中で順当に経歴を積み重ねてこなかったおれは、個人としてどれほど強かろうが、そんなことにはまるで関係がなく、圧倒的に……この世界には、居場所がなかった。
それを救ってくれたのが、妻子の存在です。
彼女らがいてくれたおかげで、励みにもなりなんとか人並みの正業にも就くことができるようになりました。
だからこそ……おれはこの世界の中で、強者として我を通したくはありません。
そういうのは……一時的には、強引に快適な環境を整えることができるのかも知れませんが、どうせすぐに瓦解します。無理をごり押しして得られる優遇措置なんて、そんなに長続きするわけがないんです。長期的にみれば、無理を通した分だけ将来になってしっぺ返しが来ると思います。
それよりもおれは、周囲の環境へ配慮しつつ、無理がない範囲内で自分と家族の居場所を確保することを望みます。
それにおれは、妻の郷里の文化や魔法を、この世界を荒らすための道具にしたくありません。
だから、その扱いと伝播には、今後も細心の注意を払っていくつもりです。
先生がおはなしした通り、あるいはそれは最終的に無駄な徒労に終わるのかも知れません。
ですが、なにも努力をしないで、勝手に結果を決めつけて責任を放棄するのとでは、まるで意味が違います」
「うむ。
実に、元勇者らしい言辞だ。
その意気は好し」
辰巳先生は、なんともいえない笑みを浮かべる。
「しかし、その意気を最後まで貫くためには、君たちには決定的に足りないものがある」
「……なんですか?」
「えー……盛り合わせ二人前、お持ちしましたー」
そのとき、店員が皿を持って完爾たちの座敷にやって来た。
「あ。
熱燗、もう二本、お願いします」
「はいー。
熱燗二丁、追加ー」
牧村女史が飲み物を注文をし、店員は伝票に書き込みをして去っていく。
「……門脇くん。
なんのはなしだったかな?」
「確か、おれに足りないものはなんですか、って、訊き返したところで……」
「おお、おお。
そうだったそうだった。
門脇くん。
今の君に足りないのはだな。
自分の言説を広く伝えるためのメディアだ」
「……メディアっ、て……」
完爾は、怪訝な顔つきになる。
「製造販売業の中小企業のおやじに、そんな大層な代物は必要ありません」
「いや、企業経営者としての君には、確かに不要だろうがな……」
辰巳先生は、苦笑いを浮かべる。
「……門脇くん。
君は、妻子を守りたいのだろう?
そして、この世界のことも、可能な限り損なわないようにしたいと思っている。
違うかね?」
「違いません」
「で、あればこそ、だ。
今後のことも考慮すれば、自分らの意見を表明する場所も早めに確保しておくべきだ」
「……そうっすか?」
完爾は、首を傾げる。
いまだその必要性について、まるで納得ができていないのだからしかたがない。
「いいか、門脇くん。
君の奥さんは、王家の一員であり、君はその配偶者だ。
それに、少し前には外務省がらみで大使館かなにかをでっち上げられそうになり、それを固辞した経緯もある」
「……先生。
その件について、よくご存じで」
完爾は、辰巳先生の情報網の確かさに、半ば呆れた。
その一件に関しては、部外者にはほとんど漏れていない情報だったはずだった。
「なに、外務省にはそれなりにコネがあるものでね。昔、世話をした教え子とか……。
そんなことよりも、だ。
門脇くん。
王室の一員と、現代社会においても十分に戦力として認められる存在であるところの君とが同居していて、これから未知の文化を広めようとしているところなわけだ」
「……はい」
「どうも……肝心なところで鈍いな、君は。
武力を伴った某国の国家主権者が、本格的に文化事業に乗り出したところだ……とまで説明しても、まだピンと来ないのかね?」
「あの……門脇さん。
辰巳先生は、おそらく……外部からみれば、門脇さんの一家は、奥様の故国であるエリリスタル王家のスポークスマンとしての役割を果たそうとしているように見える、と指摘したいのでは……」
おずおずといった感じで、牧村女史が、完爾に指摘してきた。
「……え?」
まるで想定していなかった観点を突きつけられ、数秒、完爾の思考が停止する。
「……えええっ!」
その情報を完全に消化し終えた完爾は、少し大きな声をあげた。
「でもでも……奥様の故国の言語を普及させて、そのあとに、魔法も徐々に広めようとする行為は……傍目には、そう見えますよね?」
「え?
ええええ……た、確かに……そうなのかも知れませんが……」
これまで、「自分」とか「家族」というスケールでしか物事を判断してこなかった完爾は、明らかに動揺していた。
「熱燗二丁、お待たせしましたー」
そのとき、店員が徳利を運んできた。
「ままま、門脇さん。
落ち着いて。
お料理もお酒も冷めないうちに、頂ちゃいましょう。
あ、このツクネ、いいですか?」
「では、わたしはハツを頂こうかな」
「門脇さんは、どれにします?」
「あ、じゃあ……その、レバーで」
まるっきり想定外のことをいわれたため、いまだに混乱している完爾は、反射的にそんなことを答えている。




