前途多難ですが、なにか?
「今現在、われわれの元へは各方面からの要請……を通り越して、圧力がかかって来ている」
ある官僚が重々しく口を開いた。
「諸外国や民間企業からなのだが……その用件はほぼひとつのことに集約される」
「魔法の知識を解放せよ、ですか?」
完爾は、皮肉混じりに指摘した。
「そういうことだな」
その官僚は、太いため息をついた。
「門脇くん。
誤解して貰いたくはないのだが、君がいう懸念についてもわれわれは十分に理解しているつもりだ。
しかし、行政府とは畢竟、各所の利害を調整するために存在する機関であり、相反する意見の板挟みなったときは、安易にどちらか一方に荷担するわけにもいかない」
「それで、政府にかかってくる圧力を軽減するために、おれの方に折れてくれ、と?」
「そこまで極端なことはいっていない。
だが、われわれもまた、なにくれとせっつかれて苦境に陥っているのだと理解して欲しい」
本音というか、半ば泣き言だった。
「圧力っていうのは、具体的には……」
完爾は、質問してみた。
「日本だけが魔法の知識を独占することは公平さに欠けた行為であり、その格差を是正するためには強硬手段に訴えることも考慮する……という声明を発表した国もある。
これは一番、強硬な態度を取った例なのだが、他の国も、多少の温度差はあるものの、わが国を非難する論調に違いはない。
国内の民間企業については、情報公開について、クシナダグループだけが優遇されているのは不公正ではないかという声があがっており、それを是正するためにも先日の演習場での実験が開催されたわけであるが……」
「……最近ではぼちぼち、強化魔法の請負も受付はじめているんですけどねえ……」
本業の合間に、完爾は小ロットの機械部品などを魔法で強化する仕事を試験的に受けはじめていた。
しかしあくまで本業の邪魔にならない範囲内での受注であり、そちらの副業は、まるで需要に追いついていない状態だった。
「焼け石に水をかけても水蒸気が発生するだけで、石が冷えるわけではない。
あれでは、絶対的な量が不足している。
かえって渇望を色濃くするだけだ」
「それじゃあ……いったん、打ち切りますか?」
「それもまた、困る。
たとえ少数生産であっても、君が加工することによって初めて成立する製品も存在するのだ。
それを取りあげようとするのは、産業界にとっても政府にとっても痛手にしかならない」
「……八方塞がりじゃないっすか」
完爾は、渋い顔になった。
「だから、先ほどから魔法の知識を公開してくれと頼んでおるのだ。
現実問題として……そろそろ君たちだけで負担していくのも、ぼちぼち限界なのではないのかね?
政府としても、今後も、可能な限り不満を抑える方向でいくつもりではあるが……それとて、いつまで誤魔化せるものか……」
どうやら、事態は完爾が想像していた以上に逼迫していたらしい。
「そんなに、不満の声があがっているのですか?」
「例のギミック類の騒ぎで、魔法の効果を味わってしまったからな」
あれで、味をおぼえてしまった、というわけか……と、完爾は苦々しく思う。
ごく限定された場所の、特定の誰か……ではなく、かなり広い範囲に魔法の有用性が広まってしまった。
「人間というものは、一度楽をすることをおぼえてしまったら、二度と戻れんよ」
そういわれてしまえば、完爾とて反駁することは難しかった。
それまで使えていた便利な道具が、不意に使えなくなる。
しかし、その便利な道具を独占しているやつがいる。
その独占しているやつは、もっともらしい理屈を並べて他の者たちに便利な道具を絶対に渡さないといっている。
という、構図だった。
確かに……これは、恨まれるよなあ……と、完爾でさえ、納得してしまう。
完爾たちが唱える「魔法=混乱の元凶論」の是非でさえなく、感情レベルでの反発なのだ。
論理的な意見には同じく論理で応じることが可能だが、そうではない感情論に対して有効な対処法は、現実的に考えて存在しない。
第一……現在、魔法を欲しがっている者たちの大半は、完爾たちの見解さえ、知らないはずだった。
「……難しいですね」
完爾は、ぽつりといった。
「難しいだろう」
その官僚は、頷いた。
「基本的に、人間が造る組織というものは、構成員の欲望を具現化するために存在する。
企業は構成員のために利潤をあげることを目的とし、政府は国民の福祉や利益を保証するために存在し、立法府は国民の要望をかなえるために存在する。
けっして、その逆ではない。
われわれ、この場に集まった者がせっぱ詰まっているということは、その背後にそのように動けとわれわれに望む少なからぬ人々が存在することを意味する。
われわれは、あくまで……それだけ多くの人々の欲望をまとめあげ、門脇くん、君にむかって代弁しているだけの存在にすぎない。
ここまでは、理解できるかな?」
「ええ。
一応、理屈だけは」
完爾は、頷いた。
「でも……それも、ぼちぼち限界ですか?」
「今少し、保つとは思うのだがな」
その官僚は、天井を仰いで軽く息をつく。
「いや、保たせねば、ならないのだろうな。
仮にも、門脇くん。
君も、われわれが守らねばならない納税者の一員だ」
できる限り、抑えてはみるがね……と、いった。
合同庁舎を出て地下通路に降り、そこでポケットから通話状態を保持したままのスマホを取り出す。
「……聞こえた?」
『しっかりと、聞こえました』
ユエミュレム姫の声が、返ってきた。
『予想以上に、差し迫った状態のようですね』
「うん。
今はちょっと、まだ頭が回んないけど……帰ってから、ゆっくりと対策についてはなし合おう」
『そうですね。
電話とかメールでやり取りする内容でもありませんし』
通話を切ってスマホをポケットに戻してから、完爾はぽつりと呟いた。
「下手すると魔族を一掃するよりもずっと難易度が高いよな。
……世間ってやつを相手にするのは……」
問答無用で倒せばそれで好し、という相手ではないことだけは確かだった。
それから会社に寄り、細々とした仕事を片づけてから帰宅する。
まだ日付が変わる前だったから、いつもよりは少し早い時間だった。
帰宅すると、早速待ちかまえていたユエミュレム姫とともに夕食を囲みながら、今後の対応策について意見を交換を開始する。
「要は、魔法の存在と実用性とが、半端に認知しちゃったからこうなった、ってことなんだと思うけど……」
今にして思うと、富士演習場の実験も、一種のガス抜き効果を期待して行われていたんだろうな、と、完爾は思いはじめている。
「ガス抜き……ですか?
それは?」
日本語に馴染んでからまだ日が浅いユエミュレム姫は、慣用句などに少し疎いところがあった。
「ええっと……不満とかが溜まりきる前に、気晴らしをすること……かな?」
「なるほど。
手遅れになる前に、ですか」
完爾のいい加減な説明に、ユエミュレム姫は頷いてくれた。
「それをすれば、少しは事態の打開に役立ちますか?」
「程度の問題ではあるけど……時間稼ぎには、なるんじゃないかな?」
「時間稼ぎ、ですか?」
ユエミュレム姫は、ため息をついた。
「根本的な解決には至らない、と?」
「うん」
完爾は、しぶしぶ、頷いた。
「根本的な解決、っていったら……この場合は、おれたちが持つ魔法の知識をすっかり世間様に開示することになると思う」
「どこの世界でも、人間というのは欲深くできているものですね」
「同感だ。
で……なにか、いい案、ある?」
「あくまで、その時間稼ぎでしかないのですが……」
限定的に、魔法の知識を公開してしまいましょう……と、ユエミュレム姫はいった。
「ただし、ハードルは高く設定します」
「どれくらい?」
「わたくしの母国語を先におぼえなければ、授業について来れないようにします」
おそらく、完爾から連絡を受けてから今までの時間を利用して熟考を重ねてきたのだろう。
ユエミュレム姫はかなり詳細な構想を語りはじめる。




