変容ですが、なにか?
結局、橋田管理部長から打診されたなんとか委員会とやらには、門脇コンサルティングの業務として引き受けることになった。
もちろん、ユエミュレム姫や千種に相談した上、本業に支障がない範囲で協力するのが前提となっている。
この委員会には、明確な目的や期日が設定されておらず、「例のギミック類の騒動で実証された魔法絡みの事案が今後発生したらどのように対応するのか?」といった基本的な態度を行政府内で意思統一をするための集まりであると説明されていた。
関係省庁や各界の識者などで組織されており、完爾自身は、「現実に実用的な魔法を使用しており、すでに実社会の中でそれを役立てている者」としての意見を求められているらしかった。
完爾たち夫婦や靱野が揃って魔法の知識をこちらで普及させることを拒否しているので、それらの知識を公開することは強要されなさそうな気配であった。
そもそも、ギミック類が配布されていた期間はかなり短くとも、世間一般に与えた影響はそれなりに大きく、最近では魔法関連全般に関して、警戒心の方が強くなってきている。
その委員会においても、主眼となるのは、
「今後、魔法関連の事件が起こったときのより損害の少ない対処法」
の協議であり、
「魔法をこちらの世界や産業で役立てよう」
というベクトルは、あまり考慮されていないらしかった。
世間全般が慎重な態度になってくれるのは、完爾にとってもありがたい風潮といえた。
そんなわけで完爾は、数日に一度、本業の合間を縫うようにして、その委員会に出席するようになる。
基本的に、事前に完爾の予定を訊かれ、それなりに配慮もされているようで、そう頻繁に呼び出されるわけでもなかった。
以前にユエミュレム姫とお邪魔したときのように、霞ヶ関の合同庁舎に呼び出されることもあれば、どこかの大学や都内のホテルなどではなしをすることもあった。
大勢の人の前でマイクの前に立つこともあれば、少人数で密度の濃い会話をすることもある。
はなしをする対象は役人であったり学者であったり、経営者であったりと多様であったが、普段完爾とあまり接点がない人々との会話は完爾にとってもそれなりに示唆をされることが多く、刺激を得ることも少なくはなかった。
完爾の経歴については事前に周知されているらしく、あまり素性を名乗る必要もなかった。
ごくまれに、胡散臭そうな目つきで完爾の顔を見る者もいたが、目の前で簡単な、それでいてトリックでは再現できないような魔法を使用してやるとそうした猜疑心が強い者でも納得しないわけにはいなかい。
基本的に、例のギミック類の一件以来、世間全般に「魔法」というものの存在を信用する精神的な土壌ができつつあるようだった。
その証拠に、今では世界中を飛び回っている靱野の活躍は堂々とクオリティペーパーで報道され、その余波で魔法がらみの非合法組織が普通の警察に検挙される事例も多くなってきている。
以前であれば「不可能犯罪」であるとされた事件が、しかじかの魔法を使用した形跡があり、ということで有罪になる例も出た。
靱野なり完爾なりが実際に現場を確認し、魔法が使用された痕跡を認め、証言した結果であるのだが、ともかくも司法当局の公式記録に「魔法」の二文字が記載される前例を作った意味は、それなりに大きい。
つまり、この世界は……条件つきであるとはいえ、以前なら空想上の存在であった魔法を、「未知の技術体系」として捉え直し、その実在を容認する方向に変容しはじめていたのだ。
そんな風潮の中、完爾の店は以前以上に盛況であった。売り上げは以前として堅調であり、逆風となる要素がほとんどない。
ユエミュレム姫は、これまでに牧村女史とまとめたデータを整理して、城南大学のサーバ上に公開しはじめた。マイナー出版社から依頼された例の本の宣伝も兼ねて、ユエミュレム姫の母国語について、初級会話講座という形で公開しはじめたのだ。
この地球上のどこにもない言語での挨拶の仕方などという情報を、いったいどこの誰が知りたがるのか……と、その構想を耳にしたとき、完爾は思ったものだが、いざ蓋を開けてみると、予想外にアクセスがあったらしい。
出版社が当初予想していた、オカルトがらみの案件に興味を持ちそうな層だけではなく、その言語が捏造されたものではないかと疑い、検証しようとやっきになっている層、内容にはあまり関心はないが、たまたまアップされていたユエミュレム姫の動画を観て関心を持った層などが口コミで宣伝しているらしかった。
いつの間にか作られていた関連ウィキペディアには、城南大学のサーバ上で公開されているユエミュレム姫の手記を読み込み、そこに記述された「カンジ」が某所で製造業を営んでいる門脇完爾その人である、という情報も書き込まれていた。ご丁寧に、前に店の間で変身した万引き犯二人を完爾が取り押さえたときの動画のURLアドレスまで張られている。
いずれも、少し調べればわかる事実ばかりであるし、さすがに自宅の住所までは記載されていなかったので完爾たちは放置しておくこことにした。
重要な個人情報まで晒されているのならともかく、今の時点では、こちらが著しい損害を被るような内容でもなかったからである。
そうした合間に、是枝夫妻から「知人を紹介したい」と招かれ、会食などをすることもあった。
いわゆる財界人と呼ばれる人種との接点を、このときに完爾は初めて持ったわけでわけである。
老人もいれば完爾と同年輩の青年もいたが、完爾が事前に想像していたよりも、彼らの発想は柔軟であった。
魔法の存在を自明視すること自体は、今や珍しいことではないのだが、その上で、
「どのような状況になれば、完爾が靱野が魔法の知識を公開してくれるのか?」
という問いかけを、何度もされた。
完爾などが、繰り返し、
「自分が魔法の知識を秘匿し続けるのは、無用の混乱を避けるためだ」
と主張していることを受けての発言であろう。
「仮に、今、魔法の知識をすべて公開してしまったら……」
完爾は、いつもそのように説明した。
「……これまでの技術革新なんか目じゃないくらいの混乱が、起きるでしょう。
産業革命と呼ばれる動きがはじまってからもうかなり経ちますが、この世界は、いまだにその混乱から完全に立ち直っていません。
これまでにまったく知られていない魔法の知識を解禁すれば、その影響力は産業革命の比ではないでしょう。
おれの一存でそんな変化を起こすことは、決断できません。
そんな大きな変化に耐えられる社会が現れたら、あるいは、それ以上の変化が不可避であり、魔法の存在がなければ数多くの人々が困窮するような状況になったとしたら……あるいは、広く一般に手持ちの知識を公開したくなるのかも知れませんが……」
ここで完爾がいう、
「今の世の中が大きく変わるか、もしくは、天変地異かなにかが起こって大勢の人が魔法なしには生活できないようになったとき」
という状況は、かなり極端な例を示しているようだが、質問者を黙らせるためにはこれで充分だった。
要するに、「目先の利益のためには、動かないよ」という宣言に他ならないからである。
仮に、今後そんな状況になったとすれば、そもそも完爾自身も、今のような商売を気軽に継続できるとも限らないのだが。
「不景気だとかなんだとかいっても、特にこの日本社会は安定していますからね。
それなりに問題はあるものの、よほどのことがなければ、魔法が必要とされることはないと思います」
基本的に完爾は、今の社会が抱える様々な問題は、この社会の住人である自分たちが自力で解決していくしかないと思っている。
安易に「魔法」のような便利すぎる手段に頼ってしまったら、今度はその「魔法」抜きではなにも解決できなくなってしまうだろう。
完爾が生まれ育ったこの世界も、それなりに実用的に発達した科学技術なり法体系なりが存在するのだ。
まずは、それら自前の道具を使って、こつこつと自力で目前の問題を解決するべきではないのか?
というのが、完爾の発想であり思考であった。
納得してくれたのかどうかまでは定かではないのだが、完爾がそこまで説明すると、みんな、一様に沈黙してくれた。




