情報戦ですが、なにか?
完爾や靱野、それに警官たちが危惧したことが現実となるまでには、さほど長い時間を要しなかった。
デバイス使用者による暴行や強盗などの凶悪犯罪が多発し、マスメディアでも連日報道されるようになった。
当局は即座に、そのマスメディアを通じて、
「しかじかのデバイス類を見かけたときは、すぐに通報してください」
という呼びかけを行った。
だが、その時点で、デバイス類はかなり広範な範囲に、十分な数が出回ったあとであった。
外見的なデザインはさておき、それらのデバイス類は実質的には個人の身体能力を何十倍以上にも増幅する機能を持っていたから、世間に与えた影響も少なくはなかった。
犯罪行為に使われるだけではなく、その逆にデバイス類を使用して自警団を組織しようとする者たちも多かったし、肉体労働系の現場などでは積極的に取り入れようとする機運が強かったし、身体機能が不全だったり欠損していた人たちにとっては、たとえ一時的であっても健常者として振る舞うことが可能となるデバイス類は歓迎されることの方が多かった。
それら、出所不明のデバイス類を規制するべきか否かについても、世論はもちろんのこと国会でも意見が分かれ、なかなか決着がつかなかった。
一方で、それらデバイス類を調査し、作動原理などについて解析しはじめる動く者たちも多かった。
解析に時間はかかるだろうが、人の手で製造されたものである以上、人の手で再生産も改造も可能なはずである。
彼ら、デバイス類を調査する研究者たちは、そのように考えていた。
「……すっかり後手後手にまわっちまったなあ……」
靱野は、ぼやく。
今や、民間の自警団だけではなく、警察までもが押収したデバイス類を使用して強化犯罪者案件(デバイス類を使用した犯罪行為は、一般的にこのように呼称されることになった)に対応するようになっている。
つまり、強化犯罪者案件も含め、デバイス使いたちは、今ではすっかり日常的にな風景になってしまった。
今の時点では、それらデバイス類はオーパーツ扱いされているが、これだけ豊富なサンプルが広く流布され、熱心な分析者が多数いる以上、その作動原理を解析され、民間の研究者たちが複製が完成する日もそう遠くはない……気がする。
「こうなる前に、飛蝗を培養して一掃したかったんだけどな……」
靱野は、今、ドバイ郊外にあるある建物の前にいた。
その建物を丸ごと防御結界で包み、その中に多数の飛蝗術式を放っている。
飛蝗術式とは、自律術式特有のパターンを認識し、それのみを食べるように記述された術式であった。
人間をはじめとする生体にとっては無害だが、自律術式は見つけ次第、貪欲に貪っていく。
その飛蝗術式の培養も兼ねた、敵組織への殲滅作戦の最中であるわけだが……。
「どうすっかな、これ……。
数を増やしたのはいいけど、これを今の東京で放つと、今度は世論が……」
デバイス類の存在が認知された当初は犯罪利用ばかりが注目されていたものだが、今では逆に、積極的にデバイス類を利用しようという動きが大きくなっている。
事実、福祉などの現場でも善用されはじめている。
そして、飛蝗術式などの靱野が持つ対自律術式用の攻撃術式は、善用されている自律術式と悪用されている自律術式を区別する機能が組み込まれていない。
いや、現実的なことを考えれば、その両者を術式のアルゴリズムだけで区別することは不可能だろう。
そして、ここまで普及した自律術式すべてを無差別に一掃してしまったとしたら、今度はその攻撃術式の使用に踏み切った者の方が悪役と目されてしまう。
つまり、ひとことでいってしまえば、靱野は圧倒的に出遅れてしまったのだ。
「……あー。
どうすっかなー。
この状況……」
靱野は、ボヤき続ける。
靱野自身の目的から考えれば、どんな自律術式であろうとも、この世に残して置きたくはないところなのだが……。
強化犯罪者案件が連日に渡って報道されていた頃、ユエミュレム姫はテレビのニュース番組などを視聴しながら、この状況を作り出した者たちの思惑について想像してみた。
いうまでもないことだが、これだけの数のデバイス類を製造し、ばらまくためには、相応の時間や予算を用意しなければならない。
確たる目的もなしにこんな真似をするはずがないのだ。
完爾やユエミュレム姫、それに靱野を含めてもいいが、こんな少人数を追いつめるのが目的だとすると、標的と比較して計画の方が大きすぎて、どうにも齟齬を感じる。
なにしろ、今世間に流通しているデバイス類は、何十万とかことによると百万以上のオーダーになるともいわれているのだ。
そこまで大規模な準備をするのならば、黙って配るよりも配下の者に使用させて人海戦術でこちらを直接攻撃する方が、よほど効率がよい。
それをしないということは……彼らの目的は、こちらの殲滅ではないということだ、と、ユエミュレム姫は予想する。
では、彼らは……一体なにを目的として、こんな事態を仕組んだのか?
いくつかの可能性を検討した末、ユエミュレム姫はある可能性に思い当たる。
「魔法の存在を、周知させること……」
そう口にしてみると、ますますそれが真相であるように思えてしまう。
杞憂ならばいいのだが……と思いつつ、ユエミュレム姫は完爾と靱野、それにクシナダグループの橋田管理部長宛に、同報メールを書きはじめた。
「……まず、魔法が現実に存在するという事実を世間に認知させ、そのあとに……」
仕事の合間にメールチェックをした際にユエミュレム姫からのメールを発見し、ざっと一読したあと、完爾は顔をしかめた。
「あり得るな。
しかし……こいつは、随分と嫌らしいやり口だ」
そのメールに書かれていたことを要約すると、以下の通りになる。
世間一般が魔法の存在を認知させたあとで、完爾なり靱野なりがより多くの魔法を秘匿、独占しているという情報を流布させる。
そうすれば、より便利な魔法を求める一般社会と完爾たちとの間に溝を作り、場合によっては対立構造を作ることさえできる。
「靱野さんも、おれたちも……普通の人たちを敵には回せないもんなあ……」
実際にそんなことをやられたら、確かに完爾たちの動きはかなり制限されてしまうだろう。
やり口から見て、これはあの「大使」とか名乗った掴み所がない男の発案なのだろうか?
完爾が考え事をしはじめたとき、スマホの回線に着信があった。
「……はい」
『あ。どうもお世話になっております。
クシナダグループの橋田です』
相手は、予想通り橋田管理部長だった。
『奥様から、メールをいただいた件について、なんですが……うちの方でも、同じようなことを予測した者がおります』
「そうですか」
完爾は、素っ気なく応じた。
「それで、対策とかはあるもんなんですか?」
『対策といいますと、これは情報戦になってきますからな。
マスメディアや世論を誘導するのは難しいのですが、できる限りやらせていただきます』
顔のない大衆は気まぐれで、その動向を推し量ることは難しい。
橋田管理部長は元々そちら方面の人材だというし、ここは任せておくしかないか……と、完爾は腹を括る。
情報戦とやらの素人である完爾たちが下手に口を出すよりは、一任した方がいい結果を産むだろう。
「あと、もうひとつ、確認しておきたいことが」
完爾は、早口に続けた。
「魔法の研究って、今、どれくらい進んでいるもんなんですか?」
『こちらでも、国内のごく一部、せいぜい、クシナダグループが関わっている領域のことしか把握しておりませんが……』
橋田管理部長は、そう前置きしてから説明してくれた。
『御社の製品と例のデバイス類が現代の科学や技術体系では説明できないものであるということは、広く認知されております。
幸いなことに、そのふたつを関連づけている者は、今のところ多くはありません。
ですが、今後、外部からなんらかのバイアスがかかってくれば……』
「そのバイアスとは、具体的にいうとどのようなものですか?」
『バイアスとは……ネット上に流れる風聞といった曖昧な情報から三流週刊誌のゴシップ記事まで、すべてを含みます。
要は、誰かがそのことに思い当たり、両者を関連づけた瞬間から、一人歩きします。
噂とはそういうものですし、そんな曖昧な情報でも真面目な研究を押し進める糸口にはなり得ます』
……なるほど。
こいつは、情報戦だ。
と、完爾は思った。
そして、その情報戦に、完爾たちはかなり出遅れている、とも。




