夫婦の会話ですが、なにか?
「仮に別の世界への門を開くことが可能になったとしても……」
夜食を食べながら、完爾は切り出した。
「……できるだけやらない方がいいと思う。
なんらかの理由があって門を開く場合にも、無関係の人には知らせずに、こっそりとやるべきかだと思うのだけど……」
「カンジはずいぶんと気が早いと思います」
ユエミュレム姫の返答は素っ気ないものだった。
「魔剣バハムの解析も、まだまだこれからだというのに……」
「それもそうか」
完爾は、あっさりと頷いた。
「今の段階では、ちゃんと制御できるかどうかもわからないんだよな、あれ」
「シナノさんの推測では、魔剣バハムは使用者との相性が設定されているタイプのアイテムではないかということです」
「ちゃんと使える人とそうでない人がいるっていうこと?」
「そうなりますね。
今までの発動条件を検討した結果、そうではないかと思い当たった状況証拠でしかありませんが……」
魔剣バハムは、完爾が知る限りこれまでで三度、別世界間の移動を実行している。
……あれが全て、魔剣バハムの機能であると仮定すれば、のはなしになるが。
一度目は、幼少時のユエミュレム姫が完爾を召還したとき。
二度目は、完爾がこの世界に帰還したとき。
三度目は、ユエミュレム姫がこちらの世界に出現したとき。
二度目だけが完爾単独での発動。
一度目と三度目に関しては、別世界にいた完爾とユエミュレム姫、どちらが発動の引き金を引いたのか、今となってはよくわからない。
「……って、ことは……バハムの使用者は、おれってこと?」
「でも、一度目は、カンジはまだこちらの世界に居ましたから……」
「……あ。
そうか」
いわれて、完爾は思い当たる。
いくらなんでも、別世界に居た、ただの中学生でしかなかった完爾が、あの魔剣を操れるわけがない。
「それじゃあ……バハムの使用者は、ユエってことなのか?」
「それだと、二度目の、カンジがこちらへ帰還したときのことが説明できなくなります」
ユエミュレム姫は、淡々と指摘する。
「わたくしとカンジ、たまたま両者ともに魔剣バハムの使用適合者としての条件を満たしていた……と、そのように考えるのが、自然ではありませんか?」
「なるほどなあ」
完爾は、素直に感心する。
「あるいは……最初の発動のときも、ユエミュレム姫の祈りに応じて、適合者のおれを捜し当てて召還したのかも知れないし……」
「魔剣バハムの使用適合者にして、当時の王国の危機を打開するに足る能力を持っている者を召還した……ということは、あると思います。
カンジは、圧倒的な魔力保有量を持っていましたから……」
「その辺は、先天的な素質がもともとあったのか、それともおれがむこうに渡ってから、なんらかの理由で体質を改善されたのか、実際には判断が難しいところだが……」
完爾は、苦笑いを浮かべる。
少なくとも、むこうへ行く前の完爾は、どこにでもいるような平凡な少年でしかなかったはずだ。
「とにかく、魔剣バハムを使える者と使えない者がいる、という仮説が真だとするのなら、おれとユエは、二人とも適合者であると考られそうだな」
「そうですね。
そう考えるのが、自然だと思います」
「じゃあ、あの剣を解析していけば、いずれは自由に別の世界への門を開いたりできるわけか?」
「その可能性はありますが、使用適用者以外の条件がまだあるかも知れませんし、今の時点ではどうにも判断のしようがありません」
やはり、地道な術式の解析の結果を待つしかないようだ。
「もし、それが可能になったとしたら……ユエは、元の世界に帰りたいか?」
「実は、あんまり」
ユエミュレム姫は、そういって首を振った。
「元の世界に居ても、わたくしには、あまり居場所がありませんでしたし……」
「おれも、こっちに帰ってきてからしばらくはそんな風に思ってたなあ。
十八年もブランクがあれば、こっちの事情もかなり変わってきているし、おれ自身も中身はガキのまんまだったし……」
「カンジは、むこうの世界へ帰りたいと思ったことはなかったのですか?」
「まったく思わなかった、ってことはないんだけれど……」
完爾は、当時の心境を振り返ってみる。
「……むこうに戻ったとしても、やはり居場所がなかったと思うしな。おれ」
いや。
作ろうとしなかった……という方が、正確なのか。
「その功績に比べ、とても無欲でしたからね。カンジは。
そのおかげで、兄上たちは疑心暗鬼になるし……」
「いやあ、まあ……あのときは、いずれ去る身だと思ってたしなあ。
あまり未練を残すのも、よくないと……」
「そういう割には、帰ってきてもあまり積極的にこちらに馴染もうとしていた様子もないようですし……」
ユエミュレム姫が、さらに追求してくる。
「……はは。
違いない」
完爾としては、力なく笑ってやり過ごすしかない。
否定する材料がないのだ。
「結局カンジは、誰かのためには頑張れるけど、自分自身の欲望は、ひどく希薄なのですね」
「……んー。
いわれてみれば、そうかなー……という気もするけど……」
「カンジはきっと、わたくしがこちらに来なかったら、いつまでもダラダラしていたと思います」
「……そこを断言するか。
しますか?」
「しますよ。
わたくしは、多分、この世の誰よりもカンジのことを理解しているのですから」
「あ、そ」
完爾はそっとため息をついてから、茶碗に残っていたご飯をかき込む。
「ごちそうさま」
「お粗末様です」
「なあ」
食器を流しに運びながら、完爾は訊ねてみた。
「ユエは、こっちに来なかったら、どうなっていたと思う?」
「……そうですね」
ユエミュレム姫は、少しの間、天井を睨んだ。
「きっと、子どもと一緒に、お城の中で飼い殺しになっていたと思います」
布団の中に横たわりながら、完爾は、今、自分たちが一生活を共にしていることがどれほど奇跡的な出来事であるのかを改めて自問し、目を閉じる。
自分があの世界へ行ったこと。
この世界へ帰ってきたこと。
ユエミュレム姫と結ばれ、子を成したこと。
とりあえずは、平穏な生活を送っていること。
完爾たちのケースは、多少、他の人とは違う部分も大きいのかもしれない。
完爾のように別の世界であれこれを経験しなくても、大勢の男女の中からたった一組の結びつきが選択され、子孫を残す。
それだけで、十分に奇跡的な出来事なのではないだろうか。
「……ただいまぁ」
「姉君、おかえりなさいませ」
「あれ? 完爾はもう帰っているんだ」
「はい。
もう寝ています」
「義妹ちゃんも、わたしのことなんか待っている必要はないんだからねー。
子育ても体力勝負なんだから、休むときはしっかり休みなさいよー」
「はい、ありがとうございます。
お食事はどうなさいますか?」
「今日は食べてきたからいらないや。
それよりも、お風呂ー」
千種が入浴している時に、また暁が泣き出した。
ユエミュレム姫は慌てずに抱き上げてあやし、おむつが汚れていないのか確認してから乳を与える。
こちらに来てから間もない時期は夜泣きがひどかったものだが、最近では暁もすっかり落ち着いてきていた。
あの頃は、暁自身が、というよりは、周囲の大人たちの動揺を敏感に嗅ぎとって不安定になっていたような気がする。ユエミュレム姫自身も慣れない環境に戸惑っていた時期だし、完爾や千種にとっても、別の世界から突然現れた自分は、はやり持て余し気味の異物だったことだろう。
それなりの時間をかけ、ひとつひとつ障害を地道にクリアしてきた結果、今の安定を手にしているわけで、誠意を持って自分に対応してくれた完爾とその家族とに、ユエミュレム姫は恩義を感じていた。
完爾はともかく、千種にとって自分は、なんの義理もない他人に過ぎないのだ。
いきなり赤ん坊を連れて現れたまったく面識のない女を、すぐに同じ家に住まわせ、きちんと面倒を見れてやれる人間がどれほどいるだろうか?
千種は、この世界の基準からいってもかなり高い収入であり、住居にも余裕があったとはいえ、嫌な顔ひとつせず自分のような得体の知れない者を受け入れてくれるの者は、そうそう居るものではない。
自分は、やはり幸運であり、恵まれた境遇にいるのだと、ユエミュレム姫は結論する。




