門の可能性ですが、なにか?
「……世界と世界を繋ぐ門……を、開く術式、ですか?」
『そうです』
画面の中で、靱野は頷いた。
『例の剣……型のアイテムに使用されていた術式、なんですがね』
ユエミュレム姫は、今、靱野とビデオチャット中であった。
靱野もそれなりに多忙であるのだが、数日に一度、日時を示しあってこうして連絡を取って、情報交換をしている。
『ちょっと独特の書式でひどく入り組んでいて、なかなか解析が進まないのですが……』
靱野は、自分の世界に帰るための糸口を求めて、魔剣バハムに籠められた術式の解析を行っていた。
「それで、その術式の解析が成功すれば……」
『おれの世界はもちろん、ユエさんの世界との門も開くことが可能かも知れません。
いや、今の時点ではなんの保証もできませんが、そうなる可能性は十分にあります』
「……そうですか」
ユエミュレム姫にしてみれば、複雑な心境だった。
こちらの世界に生活基盤を築きつつある今になって、郷里の世界との連絡が可能になったとしても、かえって煩雑なことになりはしないだろうか……という思いが、脳裏を横切る。
霞ヶ関での一件を経験してから、そのような思いはなおさら強くなっていた。
「それで、シナノさんは、元の世界との門が開いたら、すぐに帰るのですか?」
『そうしたいのは、山々ですが……』
靱野は、間延びした口調で答えた。
『こちらの世界にも、やり残したことがいろいろとありますからねえ。
すべては門がどれくらい安定したものか、確認してからになりますが……長期間、安定して出現させることが可能な門であれば、しばらくはこっちとむこうとを行き来する生活になると思います。
こちらでは容易に入手できないアイテムとか知識なんかも、これで結構多いですから……』
靱野は明言しなかったが、むこうの世界から持ってきたいのは、知識や物品だけではないのだろう、と、ユエミュレム姫は推察する。
なによりも、顔見知りの友人たちに会いたいはずだ。
とはいえ、靱野がこちらに来てからもう四十年以上になるということだから、無事に門を開くことに成功したとしても、果たして靱野の昔なじみがどれほど生存しているのかは、まったく予想できないわけだが……。
「……そうですか。
長期間、門を開いておくということも可能なのですね?」
『はっきりとできる、とはいい切ることはできませんが、空間に亀裂を入れたまま固定する術式……らしきものは、発見しています。
ただ、例によってかなり独特でひねくれた術式なもんで、根本的な作動原理とかはいまだ不明。
今の時点では怖くて、とてもじゃないが実験してみようって気にはなりませんが……』
つまりは、術式そのものの解析がもっと進まないと、どうしようもならない……ということだった。
「靱野さんも、お忙しい身でしょうし……なにか、お手伝いできることはありませんか?」
『と、いわれましても……』
画面の中の靱野は、しばらく視線を上にやって考え込む顔になった。
『……こちらの仕事は、おれの世界の不始末を片づけているわけですから、他の世界の人たちの世話になりすぎるのも筋違いだと思いますし……。
うーん……そうですね。
それでは……』
「……随分、容量が大きいようですが……」
『それでも、かなり中身を間引いているんですけどね』
ユエミュレム姫は、今、靱野に指示されたアドレスにアクセスしてあるファイルをダウンロードしている最中だった。
『大元のデータはあまりにも膨大すぎるので、空間操作系と術式を解析するための魔法関連の情報のみを抜き出したものになります』
靱野がある人物に託されたとかいう「アンチョコ」。
それは、靱野の出身世界の既知の魔法をほとんど全部網羅し詳細に解説した、膨大な情報量のアーカイブであったらしい。
靱野によると、
『こっちの協力者の中には、この手の知識と引き替えに……というやつもいるんで、日本語の翻訳できる部分は翻訳して電子化しているんです』
とのことだった。
当然、ユエミュレム姫は、
「……悪用されませんか?」
という疑問を持ったわけだが、
『もちろん、おれだって魔法の知識を渡すのに相応しい人物かどうかは、熟考の上、ふるいにかけています。
それに、いつだって断片的な知識しか渡していませんしね。
特定の消耗品アイテムの作り方、とか……』
体系的な知識でない限り、応用も利かず、この世界に与える影響も深刻なものとはならないだろう……と、靱野は判断しているようだった。
ただ、この靱野、歴戦の割には妙に人が好い……といって悪ければ、容易に人を信じ、心を許してしまうような傾向がある。少なくとも、ユエミュレム姫には、そう見えた。
「……こちらの世界の人に、裏切られたことはないのですか?」
ユエミュレム姫は遠慮がちに、確認してみた。
これまで靱野に協力してきたこちらの世界の人々がすべて、善良であったとは限らない。あるいは、人質を取られるなどの事情でやむを得ず靱野を裏切った者も少なくはないはずだ。
『そんなことは、日常茶飯事です。
でも、後悔はしていません。
おれが判断を誤ったのなら、おれがあとで正せばいい』
それだけのことです……と、靱野は、即答した。
ああ。
と、ユエミュレム姫は実感した。
この人は、善良で、なおかつ、とても強い人だ、と。
「……それで、剣と睨めっこしているわけか?」
「ええ」
帰宅後、完爾は、抜き身のままの魔剣バハムを睨みつけているユエミュレム姫と遭遇した。
「術式を走査する魔法が、これほど多種多様に渡るとは思いませんでした」
ユエミュレム姫によると、昼間のビデオチャットでの会談の結果、この魔剣バハムの解析と研究は、ユエミュレム姫と靱野の二人で共同して行うことになったそうだ。
「そりゃあ、別の世界の魔法だしなあ……」
完爾は、呟く。
ユエミュレム姫にとって未知の魔法があっても、おかしくはない。いや、ほとんど、ユエミュレム姫が知らない魔法ばかりのはずだ。
「だけど、面白いですね。
同じように魔力を使用していても、世界が違えば魔法の体系も異なるというのは」
「……うーん。
自然科学は、どうしたって物理法則から帰納して法則を見つけていくわけだけど、魔法っていうのは結局、発想する人がなにを思いつくか、っていう部分にかかってくるからなあ」
それだけ、バリエーションが発生しやすい、ということでもあるのだろう。
そういえば、靱野の世界では、完爾が仕事で毎日使用している錬金術系の魔法はほとんど発達していなかったそうだ。
「ところで、そのアンチョコ。
何語で書かれているの?」
完爾は、タブレット端末を指さして質問した。
「もちろん、日本語ですよ」
ユエミュレム姫は、首を傾げながら答える。
「わたくしと靱野さん、二人が共通して読むことができる、唯一の言語ですから」
……日本語で書かれ、PDFファイルで配布される魔法書……。
なんだろう、この強烈な違和感は。
「……ああ、そう……」
完爾は内心の動揺を隠し、口ではこういった。
「あとで、そのファイル、おれも見せて貰っていいかな?」
「もちろん、構いませんが?
それなら、コピーしておきましょうか?」
「……お願い」
風呂に入りながら、完爾はたった今聞いたばかりの可能性について考えてみる。
魔剣バハムをうまくコントロールできれば、様々な世界と交渉することが可能となる。
これは、靱野やユエミュレム姫の出身世界との道が拓けることを意味するわけだが、同時にそんな道具がこの世界に存在することで発生してくる問題についても、考えないわけにはいかなかった。
新しい世界へと続く門……といえば、どうしたって、問題が出てくる。
そんなものの存在が明るみになれば、おそらくこちらの世界では、新大陸が発見された当時以上の衝撃を受けることになるだろう。
資源や新しい動植物など、恩恵も多いだろうが、未知の病原菌や戦争などの否定的な側面も、否定することはできない。
「……うん。
やはり、おおぴらにはせず、仲間内だけのはなしにしておいた方がいいよな」
と、完爾は、湯船に浸かりながら独り言を漏らす。




