帰り道ですが、なにか?
「はい、そこまで」
そういったのは、警視庁の伏見警部だった。
「なんの権限もないアドバイザーとしてこの場にいる者ですが……これまでの流れを見ていると、やはりこのユエミュレムさんの意見が妥当に見えますな。
民間人を守るのは、われわれ警察の役割だ。
国外の勢力が相手だろうがテロリストが相手だろうが、その一点には疑念の挟みようがない。
こちらの、奇妙な境遇にある夫婦に責任があるかのように追い立てるのは、筋違いもいいところでしょう。
別に彼らが、望んでそうした状況を呼び込んでいるわけでもない」
伏見警部の言葉を聞いた官僚たちが、お互いの顔を見合わせる。
「ユエミュレムさんは、こうおっしゃっている。
特例で貰える国籍など、いらない。
この国から過剰な干渉を受けるようなら、国外に移住することも考えている。
もちろん、大使館だの亡命政権だののごたくにも、積極的に荷担するつもりはない。
他に、この場でなにか話し合うことがあるのかね?」
伏見警部がそういったから、ではないだろうが、その後はどうでもいいような雑談半分に、ユエミュレム姫に対して改めて、
「本当に、日本国籍を欲しくはないのか?」
と確認してくる一幕もあった。
が、ユエミュレム姫は、
「欲しくないわけではございませんが、特例を使ってまで欲しいとも思いません。
通常の手続きを経て入手したいと思います」
という明確な意思表示を行って、この場は閉会となった。
特に後半はかなりグダグダな展開になったわけだが、仮に伏見警部が干渉してこなかったとしても、話し合いの主導権はユエミュレム姫が握ったままで推移しただろうから、結論はたいして変わらなかっただろう、と、完爾は思う。
「……本日は、ご足労いただきまして……」
などと村越氏ら、官僚たちに見送られて完爾たちは合同庁舎を後にした。
「……と、いうことで、一応終わったけど?」
地下の通路通路まで出てから、完爾は、ポケットから長時間の通話を継続中のスマホを取り出して、聞き耳を立てていた聴衆にはなしかける。
『……聞こえてた聞こえてた。
やるなあ、義妹ちゃん。
五月雨にも受けてたよ』
通話相手は、千種であった。
是枝氏が用意した場所で、是枝夫妻と千種とで聞き耳を立てていたのだ。
『いざというときにはクシナダから圧力をかけることも考えていたそうだけど、その必要もなさそうだな、ってさ』
「これって、さ。
やっぱり、おれたちを傀儡に……」
『まあ、そうだろうねえ。
あわよくば、日本政府に都合よく動く駒に……って思惑は、あったと思う。
義妹ちゃんが思ったよりも手強かったんで、今頃はつきあい方を考え直しているところだと思うけど』
「ま、そんなところだろうな。
……これから、そっちに寄った方がいい?」
千種たちは、港区某所のホテルにいるというはなしだった。
『いいや。
もっと拗れたら、合流して今後の方針をはなし合う必要もあったんだろうが……』
「わかった。
それじゃあ、おれたちはこのまま帰るわ」
そんな会話をして、通話を切る。
間際弁護士も、
「わたしは、まだ別口の所用がありますので。
こちらでお別れさせていただきます」
とか挨拶をして、去っていった。
「さて、おれたちも帰るか」
「そうですね。
ショウタも心配ですし」
なんだかんだで、いい時間になっている。
「カンジ。
うちに、これから帰ると連絡して貰えますか?」
「電話?
ああ、いいよ」
千種が頼んだとかいうシッターさんに、連絡を取りたいのだろう。
これからまっすぐ帰っても、いつもの夕飯の時間に間に合うかどうかという時刻だった。
完爾は登録されている自宅の番号にかけ、呼び出し音が鳴るのを確認してから、ユエミュレム姫にスマホを手渡す。
「どうもお世話になっております。
ユエミュレムです。
これから、帰ります。今から二時間ほど、見ていてください。
はい。はい。
そうですか。
ショウタの分の食事は用意しなくても構いませんので。ええ。
はい。
それではもう少し、よろしくお願いします」
通話を切ったあと、ユエミュレム姫はスマホを完爾に返し、
「新宿に、デパチカという場所があるそうですが?」
と、訊ねた。
「ああ、デパ地下ね。
新宿に限らず、大きな駅にはたいていあるもんだが……まずは、丸の内線だな」
その後、新宿へ移動してからユエミュレム姫の買い物につき合い、総菜やケーキなどを買ってからまた電車に乗る。
ぼちぼち混雑しはじめる時間だったので、今度は座れなかった。
「デパートもそうでしたが、本当に人が多いですね」
「これぐらいが普通といえば普通なんだけどな」
吊革につかまりながら、車内でそんな会話をする。
「それより、これから、おれはまた仕事に戻るつもりだけど……」
「はい。
お仕事を頑張ってください」
ユエミュレム姫の方はというと、シッターさんに報酬とおみやげを渡して帰らせ、夕食や細々とした家事が待っている。
「……ねーちゃんも、仕事休むんなら家にいればいいのにな……」
「いざというときは、カスミガセキに乗り込んでくるつもりで待機していたそうですから」
大学の同窓とかいっていたが、あれで是枝夫妻とはいいつき合いなのだろう、と、完爾は思う。
「ま、変に場が荒れずに済んでよかった」
「そうですねえ。
この国の人たちとは、可能ならば仲良くしておきたいですし」
いいかえれば、仲良くするのが不可能であるのならば、いつでも喧嘩別れをする、ということでもある。
……ユエを傀儡に、っていうのが、どだい無茶だよな、と、完爾は思った。
あの官僚たちも、若い、二十代そこそこの女性だと思って軽く見ていたのだろうが、むこうとこちらとでは環境の厳しさが根底から違ってきている。
このユエミュレム姫だって、年齢に似合わない修羅場を何度も潜ってきている身だった。
有形無形の危機に対する感覚やはかなり鋭敏だし、それを回避するための判断力だって自然に鍛えられている。
「……このまま、放っておいてくれないかなあ……」
「そうしてくれるのが、一番いいんですが……。
でも、彼らも一国の将来を左右しているとの自負を抱いている者でしょう。
その自負を満足させるために、なにかしらの干渉を行ってくると予想できますが……」
「やっぱり、そうなるよなあ」
地元駅で降り、ユエミュレム姫とはバス停で別れて完爾は仕事場に戻る。
途中の酒屋で缶ジュースを段ボール箱ごと購入し、差し入れとして一本ずつ店員や作業員たちに配った。
社長室に入り、伝言や連絡事項をチェックし、返信やなにかしらの判断が必要な物に順番に対処しているだけで小一時間くらいはすぐに過ぎてしまう。
それから、在庫や店舗の売り上げのチェックしたり、商品の素材を発注したり、するうちに時間はどんどん過ぎ去り、店舗は営業終了時間となり、梱包作業員も仕事を終えて帰宅していく。
すっかり人がいなくなってから、完爾は、例によって在庫の補充をはじめる。
慣れたもので、よく出る商品に関しては、術式を確認することなくソラで魔法を駆動することができるようになってしまった。
未梱包の商品を置いた棚に直接素材を置き、次々と魔法をかけて商品を補充する。
在庫データと実物の数に差異が出ないようにする、ということだけには気をつけなければならなかったが、逆にいえば、それ以外の作業は鼻歌交じりでもできるようになっていた。
「ええっと……これが……こう、で……」
タブレット末端を片手に、在庫数を書き換えながら、完爾は、以前に比べればよほど短時間で在庫の補充を完成させる。
「よし。
次は、倉庫の方だな」
しばらくして、在庫補充作業を終えた完爾は、消灯をしてから作業場を出、戸締まりを確認してから自転車に乗って作業所の方に向かう。
倉庫でも同様の補充作業を行い、それから帰宅するとやはり日付が変わっていた。




