開店の日ですが、なにか?
開店当日も、完爾は当然のように多忙であった。
朝四時頃に起きて朝食と三人分の弁当を作り、朝食を摂りながらユエミュレム姫から新しい製品の術式を書いた紙を受け取って、出勤。
小走りに店舗兼作業所兼倉庫である仕事場に移動。
鍵を開けて中に入り、社長室にあるパソコンで営業から入ってきた受注状況をチェックし、在庫と照らし合わせて不足分の製品を魔法により製造。ついでに、新しい製品も作っておく。
素材を掴んで、あるいは傍らに置いて紙に書かれた術式をたどりながら、素材に魔力を流し込んでいく。まったく同じ術式、すなわち形状のものであれば、馴れれば一度に並行して数十個以上を同時に製作することが可能だった。
「この術式を指定した回数だけ駆動せよ」という命令を術式に組み込むことも可能であったから、最初の段階で術式がうまく機能していることを確認すれば、その後に完爾自身がやるべきことはほとんどなかった。
せいぜい、次々と勝手にできあがってくる製品をまとめて箱に入れてまとめておくことぐらいしか、仕事がない。
常人がこんな真似をすればすぐに魔力切れで倒れてしまうはずだったが、元勇者である完爾の魔力は膨大であり、ほとんど無尽蔵であるといっても過言ではない。こちらでの生活ではほとんど使うことがない魔法、従ってすっかり無用の長物と化していた完爾の魔力も、このような時は重宝するのであった。
そうした作業と並行して、発送分の伝票などもプリントアウトしておく。
店は今日から操業を開始するのだが、ネットや営業さんたちは数日前から稼働している。今のところは微々たるものであるが、それなりに品は動きはじめていた。
作業所の方が一段落すると、今度は店舗へと移動し、店内を入念にチェックする。
昨日までにさんざん見直してきたはずだが、仮にも今日は開店初日である。万が一にもおかしなところがあってはいけない。
当然のことながら、ショーケースの中もマネキンにも異常はなかった。
開店の宣伝素材が入った箱を店舗の入り口付近に積みあげる。ビニール袋にチラシの紙と見本品を同梱したもので、素材こそ安価なものを使用しているものの、見本品はこの店の強みを生かして魔法を使用して製造している。
店員たちが来たら、店前を通りかかる人たちに配って貰うつもりだった。
店舗と作業場、店の前の掃除が一通り終わった頃に、前後して作業員と店員がやってくる。
作業員は何日か前から仕事を開始していたが、店員の方は何度か打ち合わせやシミュレーションになどで出勤してきて貰っているものの、本格的に仕事をはじめるのは本日からになる。
開店から数日は、設定されている勤務時間よりも二時間早く出勤して貰い、宣伝素材の配布や宣伝活動に協力して貰うよう、頼んであった。
完爾ら経営側から見ればそれだけ人件費が嵩むわけだが、何もないところからいきなり出店するわけだから地元へのアピールはしっかりしておいた方がいいだろう。
今日出勤する予定の店員が揃ってから、完爾は軽く挨拶してから今日の予定を確認する。以前の打ち合わせで通達したことの確認でしかなかったから、ものの数分で終わった。
午前八時。
店のシャッターを開け、開店。
店舗の仕事は店員たちにまかせ、完爾は作業所の方に移動した。
完爾は作業員たちに挨拶してから、すぐに社長室に引っ込む。
上司がすぐそばで見張っているのも落ち着かないだろう、という配慮と、それに、昨日の売り上げの集計がまだ済んでいなかったからだ。
作業場も店舗にもいくつかのビデオカメラが仕掛けてあって、そこのことは従業員たち全員に報せてあった。いざという時の防犯用として、とあらかじめ説明していた。高価な貴金属なども扱っている関係もあって、これはしかたがない措置だと思っている。
だから、完爾が店や作業場に出ている必要はないのだった。
「……ええっと……これの粗利益が……」
それからしばらく、完爾はぶつくさと呟きながら表計算ソフトと首っ引きで売り上げなどの集計作業に携わる。
開店に際し、予想外の出費が続いていた。これを埋めるためには、かなりの売り上げをたてなければならない。
当然、この店の売り上げだけでなんとか穴埋めできる程度の支出とはいえず、ネットでの売り上げと外回りの営業の働きとが頼りだった。
「今のところ、利益率がよくない、廉価な製品ばかりが出ているなあ……」
ある程度予想されていたことだった。
プラスチックや軽合金素材の、比較的値段が抑えめの製品ばかりが発注されていた。
外回りの営業には、当然、貴金属を使用した高価な見本品も持たせているのだが、今のところそれらの発注はほとんどない。
たとえ廉価な製品であっても、加工するのはほとんど完爾である。つまり、原価と売価比較すればボロ儲けもいいところなのだが、正直にいえば、もっと利益率がよい高額な商品が流れて欲しいところでもあった。
「ま。
高価なアクセサリー類というのはブランド価値とかも関わってくるから、はじめてすぐにバカ売れってことはないか……」
デザイン的な側面は、元王族であるユエミュレム姫が関わっている以上、それなりのクオリティを保証されているといってもよかった。
あとは、メーカーとしての世間での認知度の問題なのだ。
こればかりは、普段の営業努力とかアピールでこれから培っていくしかない。
ともあれ、そんなわけで、今の時点での主力商品は、高価な装身具よりは安価な雑貨類になっている。
具体的にいうと、末端の売価が数百円から一万円以下の値段帯の商品の動きがよく、問屋からは一品あたり数百とか、物によっては数千というオーダーで追加注文が入ってくる。
問屋経由以外にも、ネットや個別に外回りの営業が取ってくる受注分もあり、梱包と発送を担当する作業所はそれなりに忙しい。
「……欲をいえば、別にもっと広い倉庫や作業所を確保したいところだけど……」
それは、予算的なことを考えると、今の時点では厳しい希望、なのだった。
今は支出を切り詰めて、初期投資を一刻でも早く回収して黒字に転換するための時期である。
昨日までの収支状況を一通りまとめたら、そのデータを元にして営業担当各氏への報酬を口座に振り込む。
成功報酬はソフトで自動的に算出できるようにしているわけだが、ただでさえあまり条件がよくない仕事をして貰っているのだ。せめても、という思いで、銀行が営業している日は毎日、前日分までの報酬を振り込むようにしている。
外回りの営業さんたちは経歴も年齢もまちまちで統一性がない面々ではあったが、千種の伝手で紹介されてきた人がほとんどであり、ほぼ全員がそれなりに独特のコネを持って、毎日のように新規の営業先を開拓してきている。
開拓先は、問屋や雑貨、アクセサリーショップ、古着屋など、やはりバラエティに富んでいた。同じ店舗から追加発注が来るとその分も最初に開拓した営業の分の報酬として加算されるシステムを採用している。
長く続けて良質の取引先を増やせば増やすほど、営業担当者の報酬も増える仕組みであった。
営業へ支払う報酬は翌日払いだが、商品の代金はたいてい顧客が指定する締め日に一括して支払われることが多いため、これも一時的には完爾たちの会社の財政を圧迫することになる。
「売れれば売れるほど苦しくなる、というのは……」
嬉しい悲鳴ではあるんだけどね……と、完爾は呟く。
実のところ、開店準備でかなり目減りしたとはいっても運転資金として確保してある資金には、まだまだ余裕はある。
具体的にいうと、今の賃貸料金と人件費の支出があと半年ほど続いても無借金で経営できるほどの安全マージンは取ってあるのだが、なにより完爾は企業を経営するのはこれがはじめてのことであり、不安は消えないのであった。




