ビデオチャットですが、なにか?
「ユエ」
そんな風に過ごしていたある日、帰宅して夕食をすました完爾がパソコンの画面を観て微妙な顔をしていた。
完爾がこういう表情をする時は、なにか判断に困ることがあり、ユエミュレム姫に相談したい事があることが多いのだが……。
「……なんだか言語学者の人が、直接ユエと話し合いをしたいといってきているけど……」
「言語学者……確か、言葉について調べる人たち……でしたっけ?」
数日前、ユエミュレム姫の手記を写真に撮って送付したことは記憶に新しい。
「そ。
なんでも、直接会話した方が早いし、書いた文章と口語ではまた違うし、とかなんとか書かれている。
いろいろ理由はついているけど、自分の耳にむこうの言葉を直接聞きたいんだと思う。向こうさんの意図としては」
「それで、カンジが渋る理由は?」
直接言葉に出すことはなくとも、完爾がこの事態をあまり歓迎していないことは、ユエミュレム姫には、その挙動から判断できた。
それに、このような用件であれば、おそらくクシナダグループを経由しての依頼だろうから、相手についてもそれなりに信用しているようだった。
「渋るというか……ユエが、心配だ。
その……日本語もまだうまくしゃべれないのに、いきなり専門家の前に出るというのも……」
その態度から、「どうやら完爾は、相手の素性についてはあまり心配していないようだ」とユエミュレム姫は判断する。
「しゃべることこそはまだうまくできませんが、聞いて理解する力は十分に養ってきたつもりです。
それに、その学者さんは、むこうの言葉こそ、聞きたいのでしょう?」
「まあ……それはそうなんだが……。
んー……どうするかなあ……」
完爾は、頭を掻きはじめた。
「暁の世話もあるだろうから、そんなに遠出もできないし……」
「デンワ、とかでは駄目なのですか?」
完爾が休憩時間などにこの家の固定電話にかけてくることも珍しくはないので、ユエミュレム姫も電話の使用法と便利さは知っている。
「それでもいいんだろうけど……それだと、疲れるだろう」
「では……ビデオチャット、というのもでは?」
「……その手があったか……」
ユエミュレム姫がビデオチャットについて知っていたのは、テレビ番組の中にそれを使っていたシーンがあり、それについてたまたま居合わせた千種に質問したところ、しかじかと簡単に概要を説明してくれた上で「うちのタブレットやパソコンでもできるよ」といったからだ。
そして、完爾がビデオチャットの存在に思い至らなかったのは、これまでその機能を利用する機会に恵まれず、この世にそんなものが存在すること自体を忘却していたからでもある。
「そうだな。
当面、その線で交渉してみるか……」
セキュリティ面から考えても、ここの住所をあまり大ぴらにしたくはないのだ。
その点、ビデオチャットは、いい方法なのかも知れない。
……そんなことを思いながら、完爾はメールの返信を打ち込んでいく。
橋田管理部長からのメールには、「あくまでこの件は学術目的であるから、十分な謝礼はご用意できないが」うんぬんという但し書きがあったっが、そのことも特に気にはならなかった。
金銭については、現状、そこまでがっつくほど困窮していない。
今のユエミュレム姫には話し相手が必要だと思うし、なによりも、むこうの言葉を専門家に調査して貰ういい機会でもある。
完爾たちもユエミュレム姫に日本語を教え、教材を与えてはいるものの、あくまで素人の判断できることの域を出ていない。
言語の専門家が専任でついてくれるというのなら、こちらにだってそれなりのメリットはあるはずなのだ。
何度かメールを往復させた結果、週に二回から三回、一回につき二時間程度、定期的にビデオチャットをすることが決定した。
完爾はメールのやり取りをする間にパソコンと接続するヘッドセットやカメラを入手し、接続した。
『こんにちは。
はじめまして、ユエミュレム姫』
パソコンのモニター越しにはじめてその女性に話しかけられた時のことは、ユエミュレム姫にとってかなり印象深い出来事となった。
発音こそぎこちないものではあったが、日本語ではなく、紛れもなくむこうの言葉であったからだ。
ユエミュレム姫が久々に聞く、完爾以外の者から発せられた故郷の言葉、だった。
『あー。
聞こえてますか? それとも、間違ってたかなあ……』
今度は、日本語だ。
「いえ、聞こえています」
ユエミュレム姫も、日本語で返した。
「よく、その言葉がわかりましたね?」
『統計的な分析というか……音素を記号化した文字列でしたから、使用頻度などから発音を類推することはさほど難しいことはありませんでした。
わたしたちが姫の手記とか語り物と呼んでいる例の文書、例の写メに写っていた言語を必死になって解析した結果です』
完爾と同年輩くらいか、それとも少し上か。
そんな年頃の女性が、雑然とした部屋を背景に微笑んでいる。
『こちらこそ、ユエミュレム姫の日本語の方に驚かされています。
この短時間に、よくもそこまで……。
それより……手記の提供とこのような直接対話の場を作ることを了解してくださったことに感謝します。
狭山研究所に所属する牧村静と申します』
「ユエミュレム・エリリスタルといいます。
わたくしも、この地に馴染もうと必死になっておりますので」
そういって、ユエミュレム姫は柔らかく笑う。
「それに、娘の世話ばかりに躍起になっていますと、どんどん気が滅入ってきますので……」
『……あー、はいはい。
赤ちゃんがいらっしゃるんでしたね。
可愛いさかりでしょう』
「まだまだ、一人では寝返りもうてないんですけどね。
でも、とても可愛いです」
『そっかあ。
まだそんなに小さいんだあ……』
などなど。
初日という事もあり、その日はほとんど日常的な四方山話を日本語で話し合うだけで終わった。
最近知り合いになった近所の人たちと接触する機会も増えてきたので、ユエミュレム姫の日本語は格段に流暢なものとなってきている。
一時間を少々越えるくらい談笑した後、牧村女史は、
『……それで、読ませていただいた手記なのでが……あれは、すべて本当のことで?』
と、切り出してきた。
「ええ、はい。
細かいところなどで記憶違いあるかも知れませんが、わたくしが見聞してきたことを書き留めさせていただきました」
『いくつかの単語の意味についてとか、まだ若干特定しきれていない部分について質問をしたいところですが……今日はまだ初日ですし、ここいらで止めておきましょう。
まずは、顔見せということで』
「はい。
異論はありません」
『正直な話、予算が潤沢にありませんもので、クシナダグループさんほどには十分な謝礼をご用意できませんが……』
「はい。
その件についても、聞いております。
なんでも、ガクジュツ……といいましたか?
純粋に、学問だけを追求できるお仕事って素晴らしいですね。
わたくしの故国はこちらほど豊かではありませんもので、そのようなお仕事で生計をたてることはとうてい考えられませんでした」
『は、はあ……。
そんなに素晴らしいものでもないかな……って、気もしますが……。
でも、ご協力、感謝します。
次の機会から、本格的にお願いします』
「はい。
こちらこそ」
こうして、第一回目のビデオチャットが終了する。
後でその様子を録画でチェックした完爾は、
「ほとんど世間話で終わったな」
と、感想を漏らした。
「まだまだ、これからが本番ですよぉ」
ユエミュレム姫は、口を尖らせる。
「外交の場で焦りを見せると、足下を見られますから」
「外交かね、これは?」
「似たようなものですよ。
国同士のつき合いでこそありませんが、にこやかな笑顔で相手から情報と譲歩を引き出しあおうとしているわけですから、基本の部分はあまりかわりません」
「……情報と、譲歩ねえ……」
この分なら、こちらはユエミュレム姫に一任しておいたも心配ないかな、と、完爾は判断する。
どちらかというと、この手の迂遠な交渉事は、もともと完爾の得意とするところではない。
ユエミュレム姫の日本語も随分と達者になってきたことであるし、今後は楽ができそうだな……などと、呑気なことを考えはじめている。




