事業計画ですが、なにか?
「ユエ。
これ、一日にいくつくらい作れる?」
「一日に、ですか?」
ユエミュレム姫は、少し考え込んだ。
「見ての通り、この程度のものならばすぐに完成しますから……。
合間合間の時間を使えば、五十個以上は可能でしょうか?」
「それは、無理をしない範囲内で、だな?」
完爾は、確認する。
「はい。
今、見ていたとおり、ものの五分もかかりませんから……」
一個作るのに五分かかるとして、五十個作るのに二百五十分。四時間と少し、か。
家事や育児をやりながら、無理のない範囲で……となると、案外、そんなところに落ち着くのかも知れない。
販路は……おそらく、ネットで、になるだろう。いきなり店舗を持つのはリスクが高すぎるからだ。
一点ものとしてオークションに出すところからはじめて、注文が集まるようになったら配送はアウトソーシングしてもいい。
……いずれにせよ……。
「一度、ねーちゃんに相談してからの方がいいな……」
以前、是枝女史が訪ねて来た時、「魔法を使って事業をはじめるのならば身内でやります」といったことがあった。それが、いきなり現実味を帯びてきた形である。
「おれは……魔法のことを、過小評価していたのかも知れない」
完爾が拾得した魔法は、そのほとんどが攻撃魔法であった。
ゆえに、その他の、もっと生活に密着した魔法がこちらで大きな価値を得る可能性について、見過ごしてはいなかっただろうか? むしろ、まったくの部外者である是枝女史やクシナダグループの人々の方が、真剣にその可能性について考えていたような気がする。
「姉君に相談をするのなら……」
他の魔法についてもなにか利用価値がないのか、検討してからの方がいいですね……と、ユエミュレム姫はいった。
ユエミュレム姫は、完爾が存在すら知らない細々とした多種の魔法を習得している。
しかし、こちらの世界でどこまで価値があるのかまでは判断できない。
「使える魔法の一覧表を、作っておきましょうか?」
「そうだな。
そうして貰えると、助かる」
完爾としては、うなずくより他なかった。
実際に千種に相談したのは数日後になった。
朝が早く、従って早めに就寝するように心がけている完爾と夜遅くまで働いている千種とでは、ゆっくりと話し合いを行う時間が微妙に取れなかったりする。
一応、概要はメールで連絡してあるし、「事業としては有望」との返答も貰っているのだが、具体的に内容を詰めるまでには至っていない。
別に急がねばならない理由もなかったし、千種には千種の仕事があるし、今では完爾にもユエミュレム姫にも自分たちの仕事や生活があるので、話し合いはそのまま週末まで持ち越されることになった。
それまでの期間を利用して、ユエミュレム姫は自分が使用可能な魔法をリストを昼間のうちにノートに書き出し、完爾がそれを翻訳しながらパソコンに入力したりして過ごした。
クシナダグループの橋田管理部長からメールで連絡があったのは、ちょうどそんな作業をしていた時期のことである。
「……今度は何かな……」
連絡用に取得したフリーのメールアドレス宛に入ってきた、橋田管理部長発のメール。
件名は、「新しくお願いがあるのですが」となっていた。
露骨に怪しみながら、完爾はノートパソコンでそのメールを開いた。
「……言葉、か……」
完爾は、呟く。
「どうしましたか、完爾」
ユエミュレム姫が、完爾の手元を覗きこんだ。
「橋田さんの知り合いの言語学者さんが、むこうの言葉について解析したいって」
一応、クシナダグループとはあまり関係がない、と、そのメールには書かれていた。
まったくの未知の言語、ということで、純粋に学問的な興味があるらしい。
「学問……ですか?」
「こっちでは、様々な分野を専門に学んだり研究したりするのを仕事にしている人たちがいるんだ」
「まあ! 学問をするのがお仕事ですか!」
ユエミュレム姫の認識では、誰も興味が持てないような些末事を細かくほじくり返そうとするのは、金持ちのご隠居とか放蕩者のバカ息子とかが、道楽でやることが多かった。
「大学っていうのがあってだな、そういうところでは、すぐにはお金にならないような研究でも割とやっている」
完爾は大学に関係した経験はないのだが、もはや往還する手段も定かではなくなった異世界の言語について、など、世の中で役に立たない研究のもっともたるものだろう。
「ひょっとしたら……そんなところから、魔法に関する知識がひもとけるものと考えている可能性もありますよね」
ユエミュレム姫は、そう指摘する。
「……そういう可能性も、あるか……」
完爾は、素直に関心した。
「それで、どう返事をする?」
「彼らは、なにを要求していますか?」
橋田管理部長を通して要求されているのは、実のところ、例の預けている硬貨に刻まれたものと同じ体系に属する文字列だった。
あれらが現在知られているどんな言語体系にも属さない、ということは、すでに確認されている。
だから、より多くのサンプルがあれば今以上の解析が進む、という趣旨だったわけだが……。
「……手書きでよければ、暇をみつけてなにか書きつけましょうか?」
手書きでよければ、とわざわざ断ったのは、こちらの世界では手書きの文字よりも印刷された文字の方が、断然、目につく機会が多かったからだ。
むこうは、そもそも活字自体がない。
完全に、手書きや写筆、写本が標準の世界だった。
「手書きでしか、やりようがないと思うけど……」
「当然、謝礼もくださるのですよね?」
ユエミュレム姫は、重ねて確認してくる。
「そりゃあ、タダってことはないだろうけど……確認してみる」
「それでは……」
といって、ユエミュレム姫は、一冊のノートを取って来た。
「とりあえず、これなんかは、どうでしょうか?」
「ええっと……国は、わたくしが生まれる以前から徐々に蝕まれていました……って……。
ユエ、これって?」
「はい。
わたくしが見聞してきたことを、ごく簡単に記したものになります」
ノートに何十ページにも渡って書かれている別の世界の文字。
「……まあ、むこうがほしがっている条件には合致するのかも知れないけどさあ……」
完爾にしてみれば、少々、気恥ずかしい気持ちもあった。
そのユエミュレム姫の手記に書かれているのは、ようするに自分たちのなれそめだ。
こうした未知の言語で書かれた文章を入手したこちらの学者たちがどこまで正確にこちらの言語に翻訳できるのかは、完全に門外漢である完爾には予想ができなかったが……。
「……これ、本当に送っちゃう?」
「はい。
どうせ、他にはなんの役にも立ちませんから」
完爾に確認されて、ユエミュレム姫はあっさりその手記を手渡すことを首肯する。
ユエミュレム姫にしてみれば、手慰みに綴った文章が家計の足しになるのであれば、それに越したことはないというくらいのつもりだった。
正確には、その手記をスマホで写真に取って、橋田氏のメールアドレスに送付した。
完爾は現代の言語学を過小評価していた。
送付された写真は、数日中に内容を解析され、かなり正確な日本語へと翻訳されたのだ。このような未知の言語を扱う際の方法は、暗号の解析にも似ている。サンプルとなる文章の量が多ければ多いほど比較の対象が多くなり、精度も増すのだ。
また、基本的な解析の方法論も、何十年も前にメソッドを完成しているので、機械的にそれに当てはめていけば自然に読み解けるようになる、という側面もある。
そのようなわけでユエミュレム姫の手記は、わずか数日で分析され、何百何千という語彙を整理され、辞書を作られ……異なる世界の言語を理解するための、重要な糧とされた。
完爾が写真に撮った手記を送付してから一週間もたたずに、クシナダグループの口座から五百万円ほどの現金が、完爾の口座に振り込まれた。
その金額は、はたして安いのか、高いのか……。




