転戦ですが、なにか?
グラスホッパーは苦戦していた。本来の敵である怪人たちに、ではない。
敵の数の多さと、それに東京の、それもビジネス街という衆人環視の環境下、という二つの制約のせいで、だった。
前者は自身の体内魔力量をいかに保全しつつ戦い続けるのか? というシビアな状況であり、後者は……。
「……おい、あれ!」
「グラスホッパーだよ、おい!」
「写メ写メ!」
行く先々でそんな声があがり、シャッター音が追いかけてくる。
実は普段、というかこれまで、グラスホッパー姿になるようなときは自分を中心とした十数メートルほどの範囲内の地場を僅かに歪ませる魔法を使用していた。だからデジカメやビデオなど電子媒体を使用する映像機器では鮮明なグラスホッパーの映像はほとんど残っていない。はずだ。かえって大昔の、フィルムを使用していた時代の方がグラスホッパーの映像資料が残っていたりする。
しかし、現状では魔力温存のため、その魔法が使用できない。動画も静止画も、撮られ放題であった。
別にダミーも用意しているし、それですぐに不利になるということもないのだが、長年の身を潜めていた習性をすぐに変えることもできず、グラスホッパーは自分の足で走り続ける。
「はええっ!」
「ちょっ!
今、自動車追い抜いてなかったか?」
「時速五十から六十はでてるだろ!」
聞こえない聞こえない聞こえない。ノイズはとりあえず、無視。
グラスホッパーはひたすら次の現場へとむかう。
グラスホッパーは銀座、有楽町方面を皮切りに新橋、虎ノ門、神田方面へと転戦していった。この途中で東京駅の地下道に、昨年夏のギミック類騒動ののときに使用した飛蝗形の術式も解放しておく。その周辺に潜在的な自律術式保持者、いいかえれば、変身が可能な者たちがいることを察知したからだった。そのときに解放した飛蝗術式は念のため保存しておいた分であり、数そのものはさほど多くはなかったが、地下街という閉鎖環境でなら確実にギミック類の所有者や変身が可能な怪人たちを追いつめて確実に自律術式の部分だけを食い荒らし、破壊してくれるはずだった。
現在、グラスホッパーはあまたのアイテムや術式を周囲に解き放って使用している。
自律術式を、つまり敵を捜索し、その位置をグラスホッパーに伝えるための、あるいは、指定した地域やルートの様子をグラスホッパーに伝えてくれる偵察用のアイテムや、戦闘時に使用する各種補助用のアイテムなど、その種類や機能は多彩であったが、すべて、グラスホッパー自身が手をかけて完成したものだった。
グラスホッパーこの世界へ来るまで魔法を使ったことがなかった身だが、必要に迫られて習得し、今ではそれなりの使い手となっている。それに、本来の仕事である自律術式の捜索と破壊活動は始終多忙なわけではなく、待機や準備時間がそれなりに長かったため、その時間をそうしたアイテムの開発にあてることができた。
それらのアイテム類は四十年以上の時間をかけて実戦の場で使用し、改良を加えてきた逸品ばかりだったが、今回はそのすべてを放出する勢いで使用していかなければこの事態を収束に導くことはできないようだった。
出し惜しみをするつもりはないのだが、長い時間をかけて製造し、蓄積してきたアイテム類を一気に使用し尽くすことには一種の快感と不安、その両方を感じてしまう。
グラスホッパーは万世橋付近で車道をせき止めて騒いでいた怪人たち数名を瞬殺し、なぜか上野方面には怪人がいなかったことを確認してから神田淡路町方面へとむかう。
そちらの方面にまだ怪人たちが多数、出没していたからだ。
完爾や警察も事態収束へむけて動いているはずだったが、全体の件数を把握していないグラスホッパーには、今、どれほどの怪人たちが健在なのか、知る由もなかった。
ただひたすら、手近にいる怪人たちを倒しながら動いているだけだった。
その頃、完爾は転移魔法を連発できる機動性を生かして広域をまたにかけた「怪人退治」をしていた。その仕事自体は完爾自身のスペックからいえば「楽勝」なのではあったが、それ以外に完爾はユエミュレム姫や千種のことが気にかかっていた。
二人は依然、行方知れずであり、その捜索に関しては警察任せにしてしまっている。完爾自身がその二人の行方を捜査する能力を欠いている以上、仕方がないところなのだが、なにしろ相手が相手である。通常の捜査活動で果たして二人の行方が判明するのか、かなり微妙なところだった。
かといって、現在進行形で暴れている怪人たちを放置するわけにもいかず、完爾はとりあえず、目の前にいる敵を片づけることを選択したわけだが……。
さて、その選択は本当に正しかったのかどうか。
いまいち、自信が持てないでいた。
自信がないままに、完爾は次々と怪人たちを無力化して警察に引き渡していった。
幸い、何度か重傷は負ったものの、本当の意味で完爾が苦戦するほどの実力を持った怪人はいなかったので、かなり余裕を持って相手を圧倒することができた。
たまたま現場の周囲にいあわせた一般市民のみなさんにはかなり奇異な目で見られたし、警察の関係者もかなり引き気味であったが。
それでも完爾が怪人たちに対して有効な手駒である事実は変わらず、警察は完爾の存在を便利に使うことを決めたようだ。あとで法律的に難しい立場に立たされるのかも知れないが、今動かずに被害が拡大するのを見守るよりは、実際に動いて被害を最小に留めてから非難をされた方がいい、と、その部分は完爾も割り切っていた。
どこまで有効かはわからないが、一応、間際先生にバックアップを頼んでおいたし、その手の心配は素人が気を揉むよりは専門家にお任せすることにしよう、と、完爾は考えている。
完爾が「退治」をはじめたとき、四十と少しだった発生箇所はすぐに三十数カ所になり、半減した。ときおり、新たに怪人が発生するため多少の増えることはあったが、完爾とグラスホッパーが制圧していく勢いほどに怪人が増えることもなく、このままいけば日が暮れる前に首都圏の怪人たちがすべて制圧されることになるだろう。
一般市民や警察にとってはそれが事態の収束を意味するのだろうが、完爾にとってはそうではない。
完爾にとってこの一連の騒動は、誘拐されたユエミュレム姫や千種を救出するまで終わりはしないのだった。
この騒動に関して、完爾はいろいろと不自然に思う箇所があったわけだが、そうした考察を得意とするはずのユエミュレム姫とは連絡が取れない。
そんなもどかしさを感じながら、完爾は、黙々と「怪人退治」を続けた。
「やはり、怪人たちはカンジや靱野さんの敵ではなかったようですね」
どことも知れない場所に監禁されているユエミュレム姫は、モニターの映像を確認しながらそういった。
「このままいくと、もうさほど時間もかからずに、怪人たちは全滅してしまうでしょう。
この騒ぎを起こした人がなにを目的としてこんな暴挙を起こしたのか、その動機が気になることではありますが……」
……すべての怪人が制圧されたのを確認したら、力づくでこの場所から脱出しましょう。
ユエミュレム姫は、静かにそう告げる。
「もともと、外の人たちが人質に捕らわれているからだったもんな」
ユエミュレム姫の言葉に、千種も頷いた。
「なんらかの抵抗はあると思うけど……それでも、義妹ちゃんが大丈夫だと判断するのなら、その判断に従うよ」
もともと千種は、この世界でごくごく普通の生活を送ってきたただの女性である。
非常時の判断とか今回のような異常な事態について、ユエミュレム姫の判断力の方が頼りになると思っていた。
それにしても、なぜこんな騒動を起こしたのか……と、ユエミュレム姫は改めて疑問に思う。
敵……たちは、昨年の夏の時点で、かなり深刻なダメージを受けている。
靱野の発言によれば、
「壊滅スレスレ」
の大打撃だったはずだ。
にも関わらず……今回の騒動で、敵の怪人たちの動きはバラバラで、まるで統率が取れていなかった。
なにか……そう。
戦略、というものが、決定的に欠けていた。
各所の怪人たち勝手に暴れているだけで、連動、というものがまるでなかった。
これでは、無駄に馬鹿騒ぎをしている無駄に損耗するだけではないか。
なぜ、こんな無意味な行為をあえて行ったのか……。
その意図が、ユエミュレム姫にはまるで想像できなかった。




