同時多発事案ですが、なにか?
ユエミュレム姫は、そのとき、城南大学の校舎内にいた。
牧村研究室の面々に囲まれていつものように雑談を交えつつ語彙の収集とひとつひとつの語句の意味を確認、特定する作業を行っていたわけだが、そこにいきなり数人の男女が乱入してきた。
城南大学は国内の大学がだいたいそうであるように、セキュリティ面はさほど厳しくはない。それどころか、元々人の出入りが激しいこともあって、学部によっては例外的にチェックが厳しい区画はあるものの、それ以外のたいていの箇所にはフリーパスで出入りすることができた。
今回もその緩さをつかれた形になるわけだが、文化系の学部にそれほど大それた機密事項があるはずもなく、ここで大学側の失態をあげつらうのは少々お門違いというものだろう。
ともあれ、彼らは誰にも見咎められることなく牧村研究室に乱入してきて、そのまま研究室の面々に銃口をつきつけた。
そう、銃口。
日本で普通に生活していれば、実物はまずお目にかからないであろう銃器を彼らは当然のごとく携えていた。
拳銃もあれば自動小銃もある。モデルガンの可能性もあったが、質感と使用者の表情で判断する限り、外見だけの模造品である可能性は少なく思えた。
「……はぁ?」
「なになに」
「マジで?」
「いや、ないでしょう。これはないでしょう」
あまりにも唐突な展開に、牧村研究室の面々が口々に疑問の声をあげる。
予想外の事態であったため、みんな、平常心と通常の思考能力が失われていた。
乱入者の一人が、無言のまま床にむかって二度ほど、発砲をする。
銃声は意外に小さかったが、確かに床には小さな穴が開いていた。
少なくとも、その銃器類が本物の殺傷能力を持つことは、これで証明されたことになる。
そのあと、口を開くものが途絶えたため、牧村研究室内はしばらく静寂に支配された。
「無駄な抵抗は、しないでいただきたい」
アジア系の男性が、少しアクセントに違和感のある日本語でその場にいる全員に告げた。
「最悪の場合、われわれは、この場にいる全員を殺傷することも考えている。
こちらの要求に応えていただければ、誰も傷つかずに済む」
ゆっくりとした、まるで丸暗記をしてきた文章を暗唱しているかのような、抑揚を欠いた口調だった。
「われわれの目的は、そこにいる人、一人だけだ」
そういってその男は、銃口でユエミュレム姫を指す。
「こんなことをしても、長続きはしませんよ」
ユエミュレム姫は落ち着いた口調で応じた。
「わたくしの身は、何重もの防御魔法によって守られています。
よほどのことがなければ傷をつけることさえできません。
あなた方がやろうとしていることは、徒労に終わるでしょう」
「あなた自身を傷つけることはできなくても、あなたを従わせる方法はいくらでもある。
誰か、テレビがラジオをつけてみないか?
少しくらいなら、動いても構わない」
リーダー格のアジア系男性も、落ち着いた態度を変えずにそういった。
研究室の何人かが、スマホや携帯を取り出してラジオやワンセグ放送に接続する。
大部分の局で、緊急報道番組が放送されていた。
「首都圏の四十カ所以上で、われわれの仲間が一斉に暴れている。
今日は警察も報道関係者も大忙しだろう。
こんな大学までは手が回らないかも知れない」
リーダー格のアジア系男性は、はじめて笑みらしき表情をみせた。笑いにしても、どうにも獰猛な表情だったが。
「ユエミュレム姫。
われわれに従わない場合、首都圏に散らばった仲間たちが無差別に周囲の人たちを殺戮しはじめます。
もちろん、この大学内も例外ではありません」
不特定多数の人間を人質に取られた形であった。
ユエミュレム姫は、乱入者たちについていくことしか選択できなかった。
千種はそのとき、顧客のもとへ打ち合わせにむかっていたところだった。つまり自分の運転する車の中にいたわけだが、気がついたら前後左右を黒塗りの外車で囲まれ、自由な進路を取れないようになっていた。
左右の車に乗る男たちから、身振りとホワイトボードで自分たちについてくるように指示を出される。
千種はユエミュレム姫が作り完爾が魔力を込めたとかいう御守りを所持しており、これまでにも何度かその威力に助けられたものだったが、果たしてその効果が自動車事故にまで有効なのかどうか、イマイチ確信が持てなかった。
「下手に抵抗して怪我をしてもつまらないし、ここはひとつ、従っておくか」
軽くそう判断し、千種は見知らぬ男たちの誘導に従うことにした。
この時点で首都圏全域に渡って、同時多発的に人体を魔改造した者たちが暴れているということを千種は知らなかったのだった。
その頃の完爾は、いつものように通常業務を遂行中だった。
異変を知らせてくれたのは、従業員たちだった。
仕事場でつけっぱなしにしていたラジオから緊急速報としていくつかのニュースが伝えられ、その数と内容に通常の犯罪行為ではないと断じて完爾に知らせてきたのだった。
異変の存在を知った完爾はいくつかのニュースサイトに接続して詳細な情報を知ろうと試み、その結果、どうやらこれは、なんらかの魔法を使用して身体を改造した者による同時多発的な犯罪であるらしいと結論した。完爾自身は直接の面識はないが、この世界にもそのような者たちがいるということは靱野から聞いていた。
マスメディアの者たちも完爾と同じ結論に達したらしく、それらしい者を見かけたらなにもせずに安全な場所にまで逃げるよう、何度も繰り返し呼びかけていた。
昨年夏、ギミック類を使用した犯罪者が多数出現した事例があったが、あれはかなり長期間に渡って散発的に起こっていた。今回のは、ほぼ時を同じくして一斉に、である。
報道も、対応する警察の方も、かなり混乱しているようだった。
警察は各所の警備隊を動員して事態の収集に努めていたのだが、相手が相手であるし、それに事件が発生した場所が多すぎてなかなか事態の収集には結びつかないようだった。
狭い社長室で現在進行中の事態について情報を収集していると、警視庁の伏見警視から電話がかかってきた。
『こんなことを頼める義理はないのだが……』
と前置きをして、伏見警視は完爾に協力を要請してきた。
『グラスホッパーはすでに出動しているようだ。ついさっき、連絡があった。
現在、緊急事態と判断して、政府は自衛隊の出動も検討しているそうだが……仮にそれが実現しても、どこまで効果があるものか』
伏見警視の緊張をはらんだ口調でそういった。
「協力するのにやぶさかではありませんが、その前に……」
家族の安否を確認させてください、と、完爾は断りをいれる。
先ほどからユエミュレム姫や千種のスマホを呼び出しているのだが、応答がなかったのだ。
これからどう転ぶにせよ、今日はもう仕事にならないな、と完爾は判断し、作業所や倉庫、店舗や事務所に電話をして、各従業員に対して、
「緊急事態につき、業務を中断して片づけを終え次第、帰宅するように」
と告げた。
ひょっとしたら明日以降も仕事ができないかも知れないけど、休んだ分の給与は保証するので安心して帰宅するように、ともつけ加えた。
想像していた以上に深刻な事態のようだったし、従業員や店に来てくれたお客さんに万が一のことがあってから後悔しても遅いと判断したのだった。首都圏で四十カ所以上といったら、国によっては戒厳令が出てもおかしくない治安悪化状態なのである。
完爾の会社だけではなく、臨時休業をする企業も数多くでるだろうな、と、完爾は思う。
そうして臨時休業の準備をしていると、今度は白山さんから連絡が来た。
『なんだかとんでもないことになっちゃったわねえ』
白山さんは、どことなく呑気そうな口調でそういった。
『今、コンサルティングの事務所にむかっているところなんだけど……』
「なんでまた、白山さんが」
思わずそういってしまってから、完爾はすぐに思い直す。
「とはいえ、協力してくださるというのであれば、非常に助かります」
白山さんはこちらの内情を理解しているというだけではなく、あの分厚いマニュアルをあれだけ短期間で書きあげた人物なのだ。
頼りになるといえばこれほど頼りになる人物もそうはいないだろう。
『素直でよろしい』
白山さんは鷹揚にそういい、
『あと五分ほどで事務所につくけど……』
と、続けた。
「では、詳しいことはそこで」
完爾はそういって通話を切った。
「おれも、店を閉めたらそちらにむかいます。
あ、その前に、ちょっと寄り道していきますが、そんなにお待たせしませんので……」
会社の戸締まりをした完爾はそのまま翔太や暁を預けている保育園に転移魔法で移動した。
案の定というかやはりというか、そこはすでに十数名の怪人物によって不法に占拠されているようだった。




