魔法問答ですが、なにか?
ユエミュレム姫が多忙になったことで魔剣バハムの解析は必然的に一時棚あげになった。もともと、「魔剣バハムに隠された未知の機能を解析する」、など雲を掴むようなはなしなのである。ましてや、ユエミュレム姫も靱野も魔法の専門家ではない。魔法を使うことはできても根本的なところで専門的な知識を欠いている。深淵に迫る部分は、結局、靱野が持っていたアンチョコ頼りなのであり、なんの制限がなくとも解析作業は遅々としたものであった。
そちらの作業が一時中止になっても、靱野の側は別に困った様子もなかった。靱野は靱野で本業……というか、一文の金にもならないのだが遂行すべきであると自分で規定している仕事があり、そちらの用事で忙しいことがおおかった。
「……といっても、資金稼ぎとか細々とした準備の方に手を取られることが多いんですけどね」
そうした下準備の手を抜かないのが以前からの靱野のやり方であった。
事前にできることはとことん準備しておく。危険とリスクを最小に。最小の労力で最大の効果を。
そうしたスタンスであったから、靱野は下準備に際しては決して手を抜かなかった。充分な成果が見込めるまでの準備が整わない限りは、決して実行に移さない。
これで靱野は、慎重の上にも慎重を期す性格である。
だから、自分の世界へ帰還する方法の鍵となる……かも知れない、魔剣バハムの解析作業が事実上中断することに関しても、鷹揚に受け止めてくれた。
今さら焦ってもしかたがない、という諦観もあるのだろうが。
「これでも、冒険をしない冒険者を目指していまして。
あ。
今は元冒険者か」
「冒険者って、どんなお仕事だったんですか?」
「護衛とか汚れ仕事とか、他に能がないチンピラが最後にいきつくハンパ仕事ですね。
ごく特殊な例として、モンスターの相手とかありますけど……おれの場合は、途中からその例外の方の専門になっちまいましたけど……」
靱野の世界で育ちきった自律術式が際限なく吐き出す異界の猛獣を討伐することを生業としていた、という。
「そいつがまあ、まかり間違い続けてこちらにまで行き着いちまったわけですが……」
靱野がこちらの世界で自分に課している仕事とは、つまり、前にいた世界で完遂できなかったことの後始末である、ともいえる。
「やりかけの仕事を中途半端にしたまま放り出すのも、気持ちが悪いものでしょう」
やるだけのことをやっておかないと、気分が悪い。
ただそれだけのことに四十年以上の歳月を費やせるのが、この靱野という男だった。
「魔法知識の普及、ですか?」
当初、靱野はそのことについては疑問視しているようだった。
いや、今でも態度としては、かなり懐疑的なようだ。
「でも、ここはおれの世界でもありませんしね。
こちらは門脇さんの出身世界なわけですし、その門脇さんが決断したのなら、おれなんかが何かをいえる立場でもありません」
この世界が自分のホームグラウンドでない以上、余計な口を挟むつもりもない……というスタンスらしい。
そして、完爾もユエミュレム姫も、靱野のこの懐疑的な態度には強く反発できないのだった。
この世界には賢明な人も決して少なくはない。
しかし、総体としてみると、ときにとても馬鹿な選択をしてしまうことがある。
このことは、今の世情をみても歴史をみてもあまりにも明白であり、そうした不安定な環境にさらに魔法という要素を付加することが、果たして賢明な行為といえるのかどうか。
こうした疑問は、完爾たちの脳裏に当初からこびりついている。
完爾にしてもユエミュレム姫にしても、人々は常に賢く未来は常に明るい……と本心から信じ込めるほどおめでたい思考経路は持っていなかった。
結局は、それぞれの思惑を持って自分たちの魔法知識を利用しようとする諸勢力との駆け引きやせめぎ合いをやりきって、なんとか平穏な状態を保持できるだろう……くらいの予測をしている。
何世代かを経て、「物心つく前から魔法が当たり前に存在した世代」が影響力を持つような時代になれば、それなりの自浄効果も期待できると思うが、それまではなんとか完爾たちだけで危ない方向に流れようとするのを回避していくしかない、と、覚悟を決めている。
今はまだ、魔法の知識を解禁するための下準備をしている段階であるが、本番は、解禁されてからの混乱期だろう、とも予測もしていた。
完爾たちは決して、楽観的な予測をして魔法知識の解禁を決断したわけではない。
むしろそうした要素をいっさい秘匿して市井の中に紛れて暮らそうとしていたのだが、諸々の条件が重なって完爾の能力が衆目に晒されてしまったおかげで、周囲から魔法の知識を公開するための有形無形の圧力を受けている形であった。
いわば、これ以上無用な風波を立たせないために周囲の要望に応えようとした結果であり、完爾たちにとっても不本意な事態であるともいえるのだが……明らかに異分子である完爾とかユエミュレム姫が現代社会に適応するための運動である、という見方もできるのだった。
「おれの世界も、例の自律術式のおかげでなかなかややこしいことになっていましたけど、こちらの世界も、これからどんどんややっこしいことになりそうですね……」
魔法知識の公開に関してはかなり懐疑的なスタンスを示している靱野も、そうなるに至った経緯に関してはかなり同情的な態度を示してくれた。
「だけど……正直、こちらの世界で魔法が普及したあとの姿というのが、うまく想像できないんですが……」
それは、完爾にしてもユエミュレム姫にしても、同様なのではあるのだが。
「結局、自分たちの保身のためにそこまでやっていいのかな、って気持ちはあるんだけど……」
とは、完爾のいい分である。
「……でも、おれたちもどちらかというと、周囲の圧力に負けてそういう決断をした形ではあるし……この場合は、仕方がないのかな、って気もする」
「結局、この世界の人たちは、身の回りに便利な道具が多すぎて、より便利な力があると知れればそれを利用しようという誘惑に勝てないのでありましょう」
というのが、ユエミュレム姫の意見だった。
「その先にどのような危険性や誤算があってもあえてそれに目をつぶり、目前の気楽さだけを追求する性急さが文化の根底にあるといいましょうか」
完爾としても、このユエミュレム姫の意見を否定する材料を持たなかった。
「でも……多少時間がかかるにせよ、過去の過ちを否定して清算しようとする機運も、まったくないわけではないし」
せいぜいが、そんな風に弱々しく反論するくらいだ。
「どこの世界にいっても、結局、人々というのは基本的に愚かで、しかし決定的に愚かすぎることもない半端な存在なのですね」
ユエミュレム姫は、そういう。
ユエミュレム姫の世界も、賢明な人は皆無ではなかったのだが、「人々」と複数の勢力になると、ときとしてとんでもない愚行を平然としでかしていたものだ。
「そうした人々に魔法の知識を与えるのも、一種の愚行ではあるとも思うのですが……」
「でもまあ……もう少し、信じてみてもいいんじゃないかな?」
完爾としては、そういうより他ない。
「こっちの世界のやつらも、決定的に、取り返しのつかないところまで失敗するほど馬鹿だとも思わないし……力づくでなんとか解決ができるような状況なら、おれが出て行けばいいだけのはなしだし」
一見して擁護しているようだが、多少の愚行は犯すであろうことを前提としてはなしているあたり、完爾も決定的に楽天的であるわけでもないのだ。
「カンジが武力を行使するような状況になりますと、それはそれでこちらの立場も危ういものになるのですけど……」
「わかってる。
実力行使は、本当に、そうするより他に解決方法がないってときまで取っておくよ」
諭しているユエミュレム姫にしても、完爾が安易にそうした方法に頼るとは思ってはいないのだが。




