抑止力としての具体的な解決案ですが、なにか?
なぜ、やつがここにいるのか?
完爾はめまぐるしく思考を回転させる。
理由は、わからない。
しかし、それなりに厳重な警備を抜けて、しかも堂々と他の賓客と同じ席について質問してきているのだ。
なんらかの工作、ことによると魔術的な偽装を施してここにいる可能性もあるし、あるいは、なんらかの手段によって本当にどこかの国の大使としての身分を手に入れているのかも知れない。
なんにせよ、多くの賓客たちが同席しているこの場で、すぐに戦闘をしかけてくることもないだろう。あの「大使」は、以前にあったときも「自分は荒事には不向きだ」といった意味をいっていたような気がする。
流石の完爾も、これだけ大勢の人の身を守りながらこの場で戦えるという自信は完爾にはなかった。
何秒か口を閉ざした完爾をみて、ユエミュレム姫が何事かと問いかけてくるように小首を傾げる。
完爾は、声に出さず、ゆっくりと「た・い・し」と発音する口の形をつくってみせた。
完爾とは違い、ユエミュレム姫は「大使」との面識がない。
しかし、ユエミュレム姫は即座に目を見開いたあと、さりげない動作で立ちあがり、
「その質問には、わたくしがお答えしましょう」
と、質問者である「大使」の顔を見据えて、いった。
「わたくしの夫であるカンジは、長い年月をかけてわたくしの祖国を救ってくださいました。
そのカンジを指して、わたくしの祖国で、害悪である、というものがいたとしたら……よくても、その場に居合わせた人々に袋叩きにされることでしょう。
カンジは、わたくしの祖国では救国の英雄として扱われております。
そしてこちらの世界、少なくとも今居住しているニホンという国においては、小さいながらも優良な経営状態にある企業を経営し、その従業員からも慕われております。家庭内においてはよき夫とであると同時によき父親でもあり、善良な納税者でもあります。もちろん、犯罪歴もありませんし、ニホン政府とも良好な関係を築きつつあります。
これでどうして、カンジの存在が害悪だとするのでありましょうか?」
「そうですね。
そうして列挙されますと実に説得力がありますので、反論するのが心苦しいのですが……」
そう、「大使」は返してきた。
「……彼の個人の人格や普段の言動はこの際、あまり関係ありません。
強いていうのなら、彼の存在そのものが非常に危険なのですよ。
生中継され、そのあとさほどの時差もおかずにそのときの映像が世界中に配信された例の東京湾岸での一件をみれば一目瞭然です。
彼が持つ力そのものが大変に、危険なものです。
あれほどの力を、どうしてたかだか一個人に託して安心しておけましょうか。
これまでのことはさておき、これ以降、どうして彼が変心しないと断言できましょうか?
また、そうなったときに抑止力となるべき存在が現実問題としてどこにありましょうか?」
「カンジは理由なく他者を傷つける人間ではないのですが……わたくしのような身内の証言は信用なさらないのでしょうね」
そういってユエミュレム姫は、微笑んだ。
「それでは、カンジが信用できないということを前提にしてはなしを進めることにいたしましょう。
つまり、カンジが暴走した際の安全保障が欲しいのですね?
それではこうしましょう。
わたくしが特別な呪符を用意いたします。
そうですね、五十枚も用意をすれば足りるでしょうか? その呪符を持った者の過半数が所定の手続きを行えばカンジは生命活動を停止しいたします」
「……は?」
「大使」の目が、点になった。
「あ、あなたは……ご自分の伴侶の生死を他人に預けようというのですか?」
「今、話題にあがっているのは、人としてのカンジではなくて兵器としてのカンジの管理責任についてなのでございましょう?」
ユエミュレム姫は、再び微笑む。
「いざとなれば、カンジは生ける大量兵器となり得る。
皆様は、そうなった際に速やかにカンジの生命を絶つ手段を得る。
これで相互に監視する能力を得ることになり、立場は均衡すると思いますが。
核兵器などの運用方法を見てもわかるとおり、それがこちらの世界での安全保証を確保するための流儀なのでございましょう」
「いや、その……こちらの世界の方法とやらをずいぶんと曲解しているように思えますが……」
「大使」は、呆気にとられた顔になっている。
「第一、それではこちらにいるご主人の人権というものが無視される形となり、人道的な見地からいえば問題が……」
そもそも、ユエミュレム姫が「人権」なる比較的近代的な概念をどこまで理解しているのか、そばで聞いている完爾にとってはかなり疑問に思えた。
「今、議題にあがっているのはおれの人間的な側面ではなくて、兵器として見たときのおれをどう管理するのか、という問題なわけでしょう?」
当事者である完爾が、口を挟んできた。
「そして、こちらのユエミュレム姫は現実的な解決方法を提示した。
もともと、おれという存在そのものがかなり例外的なんです。
なんなら国連加盟国すべてにその呪符とやらを一枚ずつ配って、有事の際にはいつでもおれの命を奪えるように手配して貰ってもいい。
そうすることで普段の平穏な生活が保障されるのなら、おれは喜んでその境遇を受け入れますけど」
「もちろん、そうした措置をする際には、その措置の内実も広く世間に公表することになります」
笑みを浮かべたまま、ユエミュレム姫は続ける。
「そうすることで、カンジの命が不当に奪われることを阻止する意味もあります。
カンジの存在がこの世界にとって害悪なものと成り果てたときはともかく、そうでないときにこちらのカンジを不当に害しようとする勢力があったなら……どのような相手だろうとも、わたくしは全力で抵抗します。
流石にわたくしはカンジほどには強力な戦士ではありませんが、それでも嗜みとして幾通りかの抗戦方法を心得ております」
「ま、そうなった場合は、ユエがでる前におれが対処するはずだけどな」
完爾は「大使」の目をまともに見据えたまま、いった。
「おれとおれの家族の安全が脅かされそうになったら……相手がどこの誰であろうと、おれは全力で抵抗するよ。
そのときはおそらく、世界の平和とか秩序とかへ配慮したり遠慮している余裕も、たぶん、なくなっていると思うけど……」
ユエミュレム姫が提案してくれた「具体的な解決策」について、それ以上詳細に検討がなされることはなく、その後はもっと穏やかな質疑応答が続いて、完爾たちへの会見は終了した。
来場者の大半の関心は、あるかどうかもわからない完爾の暴走などよりももっと実利を産むと予想される魔法の知識の方にあったらしく、質問はそちらの方面のことに集中していた。
完爾とユエミュレム姫は、これまで通り日本政府を窓口とすることを強調しながら、
「将来的には、こちらの世界に悪影響を与えないであろう魔法から、順番に」
魔法の知識を解放していくことを改めて明言した。
また、どのような魔法の知識を公開していくつもりであるのかは、現在検討中であり、ほとんどまだなにも決定していないことも明らかにした。
予想通りというか、日本政府に優先権を与えることについての不満が何件か寄せられたが、それについてユエミュレムは、
「どの魔法の知識を公開するのか、それを決定する権利は、日本政府ではなくてわたくしたちが握っています」
ということを繰り返し、主張しなければならなかった。
「本来、こちらのカンジはこちらの世界へ与えるであろう混乱を憂慮して、魔法の知識を一切公開しないという方針を貫こうとしておりました。
つまり、最初のうちは。
最近になって軟化し、その姿勢を崩しはじめたのは、周囲からの懇願に負けて、という意味合いが強いのです。
カンジは、それにわたくしもですが、こちらの世界にはなかった魔法の知識を公開する必要性はまるで感じておりません。
それをあえて公開するのは、一種の妥協であり譲歩でもあると認識しております。
この上、最終的な決定権まで他人任せにする予定はありません」




