悪霊との上手なつき合い方ですが、なにか?
『あいつは、なんて説明するのがわかりやすいのかな、あれ自体が呪いみたいなもんです。
自分よりも強い存在に対して執着し、それよりも強くなるまで何度でも挑み続ける』
「殺すことはできないのですか?」
少し焦燥を含んだ声で、完爾は訊き返した。
『それに成功したやつは、おれが知る限り一人もいません。
とにかく、生身の存在というより、悪霊みたいなやつだと……いや、悪霊そのものだと思っておけば間違いない』
「靱野さん。
靱野さんは、あれとやりあった経験があるんですよね?
そのときは、いったいどうやって切り抜けたんですか?」
『ああ。
気づいてしまえば実に簡単なことで……』
一度、盛大に負けてやったんですよ……と、靱野は答える。
『この場合、芝居だとばれないようにリアリティを出すのが案外難しくて……。
入念な準備をしたうえで、仮死状態にまでなって、そのあと何年か潜伏して……』
「……そこまでやらなけりゃならないですか?」
『あのときは……やつのシステムに気づいてからは、どうやったらこれ以上やつを成長させないでおけるかっていうことを考え、それを最優先しましたからね。
他にもっといい手段があるのかも知れませんけど……そのときのおれには、それ以上の手だては思いつきませんでした』
完爾の額に、じわり、と冷や汗が浮かぶ。
『ところで、門脇さん。
門脇さんがあいつと交戦したのは、一回だけなんですよね?』
「いや、その……」
完爾は、実にいいにくそうな口調で答えた。
「もう八回ほど、こてんぱんに叩きのめしちゃってて……」
『……ありゃま……』
靱野は間の抜けた声を出した。
『そいつは……うーん……』
「……なんとか自分で、切り抜ける方法を考えてみます。
死んだふり作戦もいいアイデアだとは思いますが……」
『実力差をこれほど見せつけたあとでは、よほどうまくやらないと、説得力が出ないかと……』
「……ですよねえ……」
「……なに、悪霊のうまいあしらい方を知りたいと?」
数日後、お呼びがかかったのをいいことに、完爾は辰巳先生に相談してみることにした。
この先生から呼び出しを受けるときはたいていなにかしらの飲み屋なのだが、この夜は路地裏にあるおでん屋だった。
「悪霊、悪霊か。
どれほど強力な怨霊であろうとも、古来、この国では強力な対処法を編み出している」
「そうなんですか?」
完爾は、無邪気に訊ねた。
正直、あまり期待してはいなかったが、万が一ここで有効な対処法を聞き出せたのなら、それはそれで僥倖でもあった。
「小さな災厄の種は祓う、清める。
それでも対処できないような大きな厄は、かしこみかしこみ奉り、祭りあげて神様にしてしまうのだよ。
それが、この国で古来より採用されてきた厄払いの方法論だ」
……期待して真面目に聞こうとしたおれが馬鹿だった、と、完爾は心中で結論した。
「ええっと……祝詞、とかいうんでしたっけ?
そういうのをあげて……」
「まあ、そのような形式があるにはあるがな。
あれはむしろ、周囲で見物している人間へむけたパフォーマンスだ。
それよりも大事なのは、相手のことを理解し、その無念や恨みつらみを理解した上で、その悪意を決して否定もせず肯定もせず、ただただ、そっと寄り添ってやることだな。
もともと神道では善悪の区別は峻厳ではない。そうでなくては、万物に神が宿るなどという思想を肯定できるはずもない。
悪、という言葉自体、後年では非道徳的な事柄を指す意味が付加してきたが、本来は、生命力が強かったり勢いがある様を現しただけの言葉だった。
だから神道では、悪霊も怨霊も等しく神として祀ることができる」
「理解して、寄り添って……ですか……」
完爾は、難しい顔つきになった。
「そいつは……難題もいいところだなあ……」
今回ばかりは、辰巳先生の助言は、あまり完爾の力にはなってくれなさそうだった。
この時点で完爾は、十四度ほど「大佐」のものと思われる攻撃を受けており、その都度に撃退していた。
靱野から「無視するように」との忠告は受けていたものの、だからといって「はいそうですか」と受け身になっていたりしたら、それこそ、何度死んでも間に合わないだろう。
それに、奇妙な空間に引きずりこまれたの最初の一回だけであり、二回目以降の襲撃は、日時や完爾の都合を問わず、唐突に開始される。
そのまま座視していたら周囲への被害が深刻になるばかりであり、結果、瞬殺に近い形で完爾が「発見しだい迎撃」するはめになった。
「そもそも……正体はなんなのよ。
その、「大佐」とかいうのの」
食事をしながら自然と相談したとき、千種は完爾にむかってそう訊ねてきた。
完爾が「大佐」の攻撃を二十三回ほど退けたときのことである。
「よくわからん」
完爾の回答は簡潔だった。
「そんだけ何度も遭遇して、ヒントもなんにもないの?」
「何度も、っていうけど……いつもすぐに撃破しちゃうからなあ。
まともに観察する暇もないっていうか……」
「……そんなに弱い相手なの?」
「いや、普通に考えれば十分に強いと思うけど……」
「カンジが強すぎますから」
いいよどむ完爾の様子をみて、ユエミュレム姫が口を挟んでくる。
「ああ、そういうことか。
でも、それだけ実力差があるんなら、放置しても別に害はないんじゃあ……」
「害は、ある。
十分に、ある」
完爾は、断言する。
「おれがイライラする」
正直、非常に鬱陶しい。
かなり神経に障る相手といえた。
実際の脅威としてはともかく、精神攻撃としては十分な成果をあげつつあった、という見方もできそうだった。
ときに街中で、それだけの回数の戦闘をこなしていれば、当然、その様子を目撃する者の数も増えた。
当然のように、写真や動画が撮影され、投稿サイトにアップロードされる。
超常現象を扱うサイトなどでもそうした画像や動画が取り上げられ、整理してまとめられた。
そこまでいけば、完爾の外見から十八年間行方不明になっていた過去や企業経営者として活躍する現在の姿と関連づけらのも時間の問題であり、夏の江ノ島でグラスホッパーの扮装をした靱野と親しげにはなしている写真までもがどこからか提供され……といった具合に新情報は増え続け、ごく一部では、完爾の存在は周知のものになってしまった。委員会の用事などで完爾が定期的に霞ヶ関に足を運んでいる事実をかぎつけて、「完爾は日本政府が密かに開発した強化人間である」などという珍説を大真面目に披露する者までが現れ、完爾としては苦笑いを浮かべるしかなかった。
興味本位のマスメディアからは、会社や自宅に何度か依頼の以来があったものだが、基本、ひっそりと暮らしたい完爾たちは、当然のごとくそのすべてを断り続けた。取材依頼をしてきた者の中には、「エリリスタル王国語入門」を出版した会社も含まれていて、ユエミュレム姫も顔見知りの編集者から「どうかひとつ、よろしくお願いします」などと頼まれたそうだ。もちろん、ユエミュレム姫にはきっぱりと断られたわけだが。
最初のうち、静観し、事後の始末などにも協力的だった日本政府は、事態が長期化し、目撃者が増えていくにしたがって、それとはなく完爾に、
「早期解決の方法はないものか?」
と、打診してくるようになった。
魔法の存在と情報については、いまだに一部事情通にしか公開されておらず、今、この時点で完爾が世間の耳目を集めるのは、なにかと都合が悪いようだった。
「相手にいってやってください」
そのたびに、完爾はいらだちを隠してそう答えた。
「おれも好きでこんな泥仕合をやっているわけではない」
年の瀬が近づき、クリスマス商戦がこれから盛り上がろうとする時期のことだった。




