現代社会における自衛権の行使についてですが、なにか?
「昨夜のことですけど」
お汁粉の缶を両手で包み込むように持ちながら、ユエミュレム姫が切り出す。
「また、来るでしょうね」
「まあ、来るだろうなあ」
仕事の手を休めずに、完爾は答える。
「カンジの強さは知っていますから、いたずらに心配をする必要もないと思ってはいますが……」
「うん。
また来れば相手をしなけりゃならないとは思うけど……正直、いちいち相手をすんのも面倒くさいかなあ、とは思っている」
「……ですよねえ。
なにか、根本的な解決策ってないんでしょうか?」
「……そんなのがあれば、靱野さんもこれまで苦労してきていないと思うけど……」
話し合いでなんとかできない相手だから、ここまで対立してきているわけで……。
「魔族のように根切りとか根絶やしにできないでしょうし」
「……さらりと怖いことをいうなよ」
根切り、根絶やし……どちらも絶滅、根絶、虐殺、ホロコーストなどを意味する語句である。
人類という生物とは絶対的に相容れない、環境そのものを汚染する存在だった魔族を根絶するのはあの世界の人類が生存していく上で必要なことだったと完爾も思っているのだが、現在敵対しているやつらは、たまたま社会規範から外れてはいるものの、あくまで同じ人間同士だと完爾は認識している。
その生命を奪うことを前提にはなしを進めることには、完爾の中の倫理観が激しく抵抗した。また、現実的なことを考えても、これから完爾が敵対勢力を無差別に虐殺していったら、完爾たちはこの現代社会の中に居場所を失ってしまうだろう、という当たり前の判断もある。
「だとすると……今後、カンジは、守るものが多すぎる、不利な戦いを強いられることにはなりませんか?」
基本、クレーバーな部分があるユエミュレム姫は、物事の本質的な部分をずばりと突いてくるときがある。
「……周囲への影響を考慮しないでいいんなら、どんな敵でも撃退できる可能性はあるんだけどなあ……」
毎度毎度、昨夜のような便利な不思議時空に招いてくれるとは限らないわけで……町中でいきなり襲われたとしたら、流石の完爾も、攻撃魔法のほとんどを、実質、封じられたことになってしまう。
出力をかなり加減した魔法ならば周囲の建造物や車両、通行人への影響もある程度制限できるのだろうが、そうなると今度は肝心の攻撃力が大きく減衰してしまうことになり、敵に対する威力としては疑問が残ることになる。
「結局、苦労するのはカンジなのですね」
ユエミュレム姫は、珍しくため息をついた。
「交渉が可能な相手なら、わたくしが前にでるのですけど……」
「その気持ちだけ、受け取っておくよ」
完爾は短く答える。
なに、いざとなれば……靱野と連携して世界中を飛び回り、虱潰しに連中を締めあげていけば、いずれは根負けしたむこうから白旗をあげてくれるだろう。
「……徹底抗戦、なんてことを考えていませんよね?」
完爾の考えていることを見透かしたように、ユエミュレム姫が声をかけてくる。
「今のカンジには、そんなことをしている暇はないはずですが……」
「い、いや……」
そういう完爾の声は震えていた。
「今は仕事も家庭も大事だし、それ以前にそんなことをしている余裕もないからなあ」
「本当に、やりませんね?」
相変わらず半眼のまま、ユエミュレム姫は完爾の目を見続ける。
わざわざ、「考えていませんね?」ではなく「やりませんね?」といっているあたり、「思考」ではなく「行動」を指定しているあたりが、ユエミュレム姫の完爾への理解度を如実に物語っていた。
「やりません、やりません!」
完爾は両腕をあげて、「お手あげ」のポーズを取る。
「……なら、いいんですけど」
ユエミュレム姫は、そっとため息をついた。
「カンジは、意外に戦いたがりなところがありますから……」
「……そうかなあ?」
「そうですよ。
……カンジに限らず、殿方はだいたい、そういうところがあるのかも知れませんが」
「まあ、その……気をつけます」
「そうですね。
気をつけてください」
真面目な顔つきをして、ユエミュレム姫は念をおしてくる。
とはいえ……。
「現実問題として、むこうから直接攻撃してきたら、やり返さないわけには……」
完爾は、弱々しく疑問の声をあげる。
「それは、そうです」
ユエミュレム姫は、重々しく頷いた。
「第一、そのまま放置すれば周囲に被害が及びます。
自衛行為まで禁じようとは思っていません」
ようは……ユエミュレム姫は、「無闇に抗争を拡大するような真似をするな」と、最初に釘を刺しておきたかっただけのようだ。
ま、ここは日本人らしく、専守防衛の精神でいくか、と、完爾は思う。
「そうなると……」
完爾は相談すべき人たちのリストを頭の中で検索する。
「警視庁の伏見警視と、それにクシナダグループの橋田管理部長あたりに、はなしを通しておけばいいか」
事前に説明をしておいた方が、今後、完爾の周辺で何事かが起こったとしても、フォローをしやすくなるだろう。
これについっては昨夜、靱野や辰巳先生に送付したメールの文面を流用できたのでさして時間もかかからずに終了する。
「本当なら、昨夜のうちに伝えておいた方がよかったのかも知れませんけどね」
「昨夜、あれから連続して襲われたわけでもないし、至急ってほどの緊急性もないと思うけど……」
「わたくしたちは相手の出方を待つだけですが、警戒にあたる方々はもっと細々とした準備が必要になると思います」
「……それもそうか」
監視にあたっている人数を増やし、シフトを組み……少し考えてみても、それなりに時間がかかりそではある。
別に完爾やユエミュレム姫が是非にと頼んで来てもらっているわけではないのが、今後はもう少し配慮してもっとこまめに情勢の変化を連絡してあげるべきかな、と、完爾は思う。
「いろいろ考え合わせると、予想以上に面倒くさいことになっているんだな」
完爾は、ぽつりとそう、感想を漏らした。
「その面倒くさいことをみずから選んでやりたがっているのは、他ならぬカンジではありませんか」
ユエミュレム姫は、すかさず指摘する。
「周囲の迷惑もかえりみず、もっと自分勝手なやり方で強引に押し通す方法もあるでしょうに……でもカンジは、決してそちらの道を選択しません」
そう、断言までされてしまう。
この二人は、なんだかんだいってつき合いが長い。
両者ともに、お互いに関する理解の深度は、案外に深いのだった。
「直接的な攻撃に関しては、待ちの一手でいいとしても……」
在庫補充作業の手を緩めずに、完爾はいった。
「……肝心の敵に関する情報は、もう少し詳細なのが欲しいかな」
「手が空けば、こちらがなにもいわずとも教えてくださると思いますが……一応、わたくしからも靱野さんに問い合わせておきましょう」
タブレット末端の画面を見ながら、ユエミュレム姫はそう応じる。
「あ。
その品番、色違いももう少し補充しておきましょう」
「これ?
ああ、そうだな。
まだ在庫あるけど、それなりに動きはあるし、少し余分に作っておくか。
……はい。
色違い、各色五十追加」
「各色五十追加、ですね」
復唱し、ユエミュレム姫はタブレット末端を操作して在庫のデータを書き換える。
「しかし……カンジの魔力は、相変わらず底なしですね。
いくら簡単な魔法であるとはいっても、これほど一度に多数の魔法を行使すれば、魔力の損耗も馬鹿にならないはずですが……」
完爾は、今朝の在庫補充作業だけでも、元の世界での平均的な魔法使いが数人係りでようやく消化できる作業量を単身で平然とこなしていた。
こちらの世界の人々は、その「平均的な魔法使い」の魔法量についての知識がない。
ひょっとしたら魔法を使えるようになりさえすれば今の完爾と同じことができると誤解しているのかも知れない。
が……実際には、一度に使用できる最大出力においても、個人で行使できる保有魔法力量においても、完爾は常人が束になっても適わないほどの桁違いな存在なのである。
「その底なしの魔力量も、こっちの世界では、こんなときにしか役に立たないんだけどね」
当の完爾は、涼しい顔をして平然とそんなことをうそぶいている。




