聖女バレンタイン
今日は2月14日
冬のある日の、領主屋敷中庭。
「そういえばシキ様は、チョコレートというものをご存じですか?」
小さな白竜とフリスビーで遊ぶユエルを眺めていると、ふと聖女……フィリーネがそう言った。
「あぁ、知ってるが……この世界にあるのか? チョコレート」
フィリーネに返事をしながら、ありそうだな、とも思う。
この世界の食文化の水準は決して低くない。
迷宮から地理や気候に囚われない多様な品が産出され、さらにはアイテムボックスによってそれを自由に輸送できるからである。
例えばこの領主屋敷の近くにある高級菓子店に行けば、このあたりでは採れなさそうな南国っぽいフルーツ盛り盛りのタルトがでてきたりする。
値段は、冒険者をしていた頃ならまず買えないだろう程度には高かったが。
「はい、ありますよ。残念ながら、このあたりはあまりチョコレートを食べる文化はありませんが。ですがかつての聖人様も、この世界に来る前からたいそうお好きだったらしいと、残された日記からわかっています」
「へぇ……というか、前の聖人ってチョコレートがある時代の人間だったのか」
封印魔法が使えるとかいう特性から、勝手に陰陽師的な存在だとイメージしていたのだが、どうやら日本にチョコレートが普及している時代から来たらしい。
まぁ俺も現代日本で僅かに異能が使えていたし、そういった能力のある陰陽師の末裔みたいなのが実在していても不思議には思わないが。
「それで、チョコレートがどうかしたのか?」
「その日記にはこうあります。冬には、人々がチョコレートを贈り合って、愛を確かめ合う風習があるのだと」
「あぁ、バレンタインデーとかホワイトデーのことか」
「やはりご存じでしたか!!」
フィリーネが顔を明るくして食いついた。
いつの間にか、両手で俺の手を握ってもいる。
……フィリーネがここまで興奮しているのは珍しいな。
「愛を確かめ合う風習、ですか?」
いつの間にか、白竜と遊んでいたユエルも隣に来ていた。
どうやら興味があるらしい。
俺もユエルに美味しいチョコレートを食べさせて「美味しいです!」と言わせたい気持ちはある。
「人々が愛を確かめるために、年に一度贈り物を贈り合う……それは、とても素敵なことだと思うのです。かつての聖人様がおっしゃっていたその文化を、今の聖人であるシキ様の手で広めることができれば、それは素晴らしいことだと思いませんか?」
フィリーネが熱く語る。
「私もご主人様に、贈り物をしたいです!」
「まぁ、そういうイベントは悪いものじゃないよな」
……フィリーネは俺との結婚も、大分政略結婚の色が強めだった。
あまりロマンチストのようなタイプではないと思っていたのだが、どうやら俺の認識は浅かったのかもしれない。
「実は私の派閥は、カカオ豆の産地であるメディネ教圏の南方国家との、強固な貿易ルートを持っています。男女が愛の告白に使う、特別な食べ物……あの日記を読んだ時から、凄くロマンチックで、飛ぶように売れそうだとずっと思っていたのです! メディネ教の信者は非常に多いですから、今の邪神討伐祝賀ムードの中で聖人様の太鼓判を押して各地で販売すれば、きっとブームに火がつきます! 成功すれば、かなりまとまった資金になりますよ!」
俺の認識は間違っていなかった。
ロマンの欠片もなさそうなことを口に出すフィリーネ。
普段は笑顔のポーカーフェイスといったところのあるフィリーネも、今は頭の中で算盤を叩いているのが俺でもわかる。
「各商会の協力を得る為に、試作品はあった方がよいでしょう。シキ様の世界では、チョコレートがこの辺りとは比べ物にならない程普及していたのですよね? 聖人印のチョコレートの製作に、お知恵を貸していただきたいのです。……協力していただけますか?」
一瞬悩んだが、特に拒否する理由もない。
むしろ、普段迷惑をかけがちなフィリーネに恩を売るチャンスである。
「いいぞ。せっかくだし、最高に美味いチョコレートを目指して作ってみるか!」
厨房。
おそらく話を持ちかけた時点で、ある程度準備をしていたのだろう。
フィリーネは用意していたカカオ豆で、早速叩き台となる試作品を作って見せた。
見た目は完全にチョコレートドリンクである。
「出来ました。早速、試飲していただけますか?」
発酵したカカオ豆を焙煎し、皮を剥き砕いて、すり潰したり湯煎したりしたものにミルクと砂糖を加えた一品だ。
磨り潰しの工程では、魔力で回転する石臼のような魔道具を使っていた。
エリスの家の台所にはあんな便利そうなものはなかったが……これが貴族の屋敷との資金力の差だろうか。
「へぇ、飲み物なんだな」
一口飲んでみる。
……苦い。
ミルクは入っているが、ビターチョコレートの中でもかなりビターな感じの味がする。
一緒に試飲しているユエルを見てみても、やはり苦みが先行しているのか目をキュッと閉じていた。
「お、美味しいです。ちょっとだけ、苦いですけど」
ちょっとではなく苦そうだ。
「これはこれで美味いんだけど……やっぱり苦味が強いかもしれないな」
「……やはりそうですか。この辺りに根付かない理由が、この苦みなのです。ミルクで薄めても苦くて」
ポリフェノールとか、カカオ100%とかを売りにしているタイプのチョコに感じる苦みだ。
ああいうのが好きだと言う人もいるだろうが、チョコが好き、という人の大多数が好きな味からは少し離れているだろう。
「かつての聖人様の日記には、チョコレートは天にも昇る程の甘さだと書かれておりました。苦みのことには触れられておらず、やはりシキ様の世界のチョコレートとは違うのでしょうか」
「これよりは苦くないのが多いけど……まぁ、まちまちかな。ホワイトチョコレートとかなら全然苦くはないんだけど」
「ホワイトチョコレート……? それは、どうやって作るのですか?」
「ど、どうだったかな……」
普段ろくに働かせていない頭をなんとか働かせて、記憶を掘り起こす。
それは子供の頃の記憶。
確か、MHKのドキュメンタリーか何かで、チョコレートが出来るまでの工程を映像にしたものだ。
子供の頃は、純粋にそういった番組をわくわくした瞳で眺めていた。
「待ってくれ、流石に見たのが昔すぎてな……うーん」
「が、頑張って思い出してくださいシキ様! この事業が成功し、国全体にチョコレート文化を広めることができれば、原材料を確保できる私の派閥への恩恵は計り知れません!」
聖女の現金な応援が耳に届く。
そ、そんなに儲かるのだろうか?
そういうことを言われると、頭がつい皮算用を始めたくなる。
……現金なのは俺も同じかもしれない。
と、思考が逸れかけたところで、厨房の入り口から中を覗き込む人影があることに気づく。
フランだ。
「それ、チョコレート? 珍しいものを作ってるのね。でも、それ……飲むと太るのよね……」
フランもチョコレートを知っているらしい。
流石は貴族産まれ、ということだろうか。
フランは興味を失くしたようで、その一言だけで立ち去っていく。
太りたくはないらしい。
……太る?
チョコレートは太る。
油分と糖分が多いから。
そうだ、油だ。
カカオ豆っていうのは、名前の通り豆である。
豆は搾れば油がとれる。
昔見たドキュメンタリーでは機械を使っていたため詳しいことはわからないが、カカオ豆からも油をとっていた。
そしてカカオ豆を磨り潰したものをそのまま使うのではなく、その油を使うことでホワイトチョコレートができる……という流れだったような気がする。
ホワイトチョコレートは、チョコレートとしての風味はありながらも苦くない。
ここからは想像だが、その油で先ほどの磨り潰したカカオ豆を伸ばすと、比率によって苦みの薄いチョコレートも作れるんじゃないだろうか。
そんなことを、フィリーネに忘れないうちに伝える。
「……なるほど」
思案気な顔だ。
まぁ、この台所にある設備で油を搾るのは難しいだろうし、ホワイトチョコレートに関しては今実験するわけにもいかないだろう。
成功するかも正直わからない。
……これでは、フィリーネの期待に応えたことにはならないかもしれない。
「そういえば、固形のチョコレートは作らないのか?」
「たっぷりミルクを加えなければ、苦みが強すぎますから」
「まぁそれもそうか。でも普段から食べるっていうんじゃなくて、バレンタインに送るような特別な品にするっていうんなら……他に手もあるかもしれないぞ」
「他の手、ですか?」
チョコレートドリンクを作るのに使っていた余り……ちょっと冷えて固まりかけの材料を、小さな輪っかと、球形に変えて冷蔵庫的な魔道具に入れる。
固まったら、その二つをくっつける。
「それは……指輪?」
フィリーネには、まだ何をしようとしているのかわからないらしい。
指輪型のチョコレートを、厨房にあった適当な小さい箱に入れて、ユエルの前に跪く。
そして、プロポーズをする時のようにパカッと開けた。
「ユエル、愛してるぞ」
「っ……! わ、私も愛してます!!!!」
熱烈な返事が返ってきた。
ちょっと気分が良い。
フィリーネも得心がいったようで、なるほど、という風に頷いている。
「チョコレートをアクセサリーに成形する……ですか」
「バレンタインに送るチョコって、箱に入って宝石箱みたいになってたり、造形が綺麗なやつが多いんだよ。この世界でも売れるかまでは知らないが、こういうアプローチもあるんじゃないかって思ってな」
「検討する価値はありそうですね。詳しいことは、生産を担当させる商会との話合いになりそうですが」
フィリーネがそう言って、チョコレート試作会はお開きとなった。
半月ほど経った頃、迷宮都市では聖人にちなんだチョコレート祭りが開かれていた。
フィリーネの手腕は凄い。
どうやら商会の協力を経てチョコレートの根本的な品質改善に成功したようで、一般受けする味のチョコレートが露店に数々並んでいた。
「お、美味しいです……! 苦くもありません! ご主人様も食べますか?」
「ありがとうユエル。ほんとに美味いな」
買った箱ごと差し出してきたのを一粒だけ食べて、ユエルに戻す。
現在は、ユエル、ルルカ、エリス、フィリーネと共に視察……と言う名のただの観光中である。
「お、美味しい! ねぇシキ、これフランがすっごく太るって言ってたんだけど、大丈夫だよね? もう一粒ぐらいなら大丈夫だよね??」
「初めて食べたけど、チョコレートってこんなに美味しいものなのね」
ルルカとエリスにも好評だ。
実際に評判が評判を呼んでいるようで、通りに並ぶ屋台には人がひっきりなしに集まっていた。
「この成功は、シキ様のご協力のお陰です。本当にありがとうございました」
「俺が何もしなくても、フィリーネならこのぐらいできてそうな気もするけどな」
「このお祭りに意味を与えたのも、聖人であるシキ様ですからね。今、この祭りはこの迷宮都市だけでなく、王都や他の各都市でも同時に行われているのですよ?」
頭の中のそろばんが弾かれる。
数字のデータがあるわけでもないからパチーンと一回弾いたところで止まるが、その原材料を全てフィリーネが供給しているとなればとんでもなく稼いでそうだ。
……分け前とかあるんだろうか。
別に金に困っているわけではないが、そんな欲が湧いてくる。
「シキ様のお陰で、色々と手の届かない場所まで手を回せました」
フィリーネがふと、近くにある建物に視線を向けた。
確かあれは……孤児院だったか。
建物がかなり老朽化しているように見えるが、そこでは大工らしき人間が忙しなく働いている。
おそらく、補強か建て替えかをしようとしているのだろう。
孤児院などへの支援は、教会の領分だ。
そういえば最近、教会主導の貧民向け炊き出しも、よく見かけるようになった気がする。
「……他にも何かあったら協力するよ。気軽に言ってくれ」
「はい。ありがとうございます、シキ様」
フィリーネが微笑む。
どうやら、俺のフィリーネに対する認識は間違っていたらしい。
合理主義で現金な人間だと思っていたが、きっと彼女は、誰よりもロマンチストだ。
……できるだけ迷惑はかけないようにしようと、小さく誓った。
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