道連れの先。
勝ちへの道筋はもう残っていない。
俺の生存への道ももう残っていない。
でも……こいつを道連れに、引き分けに持ち込むことはできる。
俺が右手に握っている杖。
この杖には、邪神と話している間に、臨界付近まで魔力を込めている。
攻撃魔法の暴走。
……聖女が言うには、山一つが吹き飛ぶほどの絶大な破壊力を持った、この魔力の暴走なら。
こいつを、消し飛ばすことができるかもしれない。
「なっ……」
邪神が、驚愕の表情を作る。
この期に及んで、まだ俺が隠し玉を持っているとは思っていなかったんだろう。
もしかすると、こういう技があること自体を知らなかったのかもしれない。
こいつは多分、俺や前の聖人のパターンから考えると、攻撃魔法を最初から使えていた。
他の聖人のように、攻撃魔法でこういった事態を起こすことはなかったはずだ。
まぁ、聖人が攻撃魔法を暴走させて自爆するなんて、どの宗教の聖典にも書かれちゃいないだろう。
メディネ教だって、隠蔽していたぐらいだし。
――俺は、制御できるギリギリまで高めていた魔力を、解放した。
以前、感じたことのある感覚。
あの、フランとやった魔法のレッスンの時に暴走しかけた、あの感覚だ。
魔力が急速に高まりながら、杖へと流れていく。
おそらく、これが暴走すると間違いなく俺は死ぬ。
死ぬ気はサラサラなかったんだが、こうなってしまえば仕方がない。
迷宮都市を、絶対にこいつに蹂躙させるわけにはいかない。
「チィッ……!」
邪神が、舌打ちをして剣を振り下ろす。
おそらく、俺の魔力の高まりを感じ取ったんだろう。
でも、もう駄目だ。
その剣が俺の頭を割る前に、俺の魔法がこの周辺を根こそぎ吹き飛ばす。
暴走しかけている魔力の奔流に、死を覚悟する。
「っ……!」
俺は、目を閉じた。
……これは走馬燈というんだろうか。
一瞬の中で、いろいろな考えが、頭を駆け巡った。
エリスのこと、ルルカのこと、聖女のこと。
……そして、ユエルのこと。
俺は、帰るつもりだった。
ユエルを悲しませず、傷つけさせないために、一人で全てを済ませ、あの迷宮都市に無傷で帰るつもりだった。
邪神は、俺が道連れにする。
でも、ここで俺が死んだら、ユエルはいったいどんな顔をするだろうか。
「必ず俺を守る」そう言っていたユエルは、俺がここで邪神と相打ちになれば、きっとそれを気にしてしまう。
……こうなるのなら、ユエルを勇者認定なんてしなければよかったのかもしれない。
ユエルはまだ子供だ。
そして、寿命の非常に長い、ダークエルフでもある。
俺の存在を忘れて立ち直り、邪神のいない世界で新しい人生を歩めればいいけれど。
そんなことばかりが、頭に浮かんでしまう。
もう魔力の暴走は、俺の意志では止まらない。
邪神の剣も、俺に迫っている。
俺はこうして目を閉じたまま、「聖人」としての人生を終えるのだろう。
――けれど。
杖を持つ俺の手に、そっと触れる手があった。
それからほんの一瞬して、甲高い金属音が、耳に響く。
「っ……!?」
……魔法が、発動しない。
それに、邪神の剣も、俺を切り裂かない。
いったい、なにが。
――目を開けて見てみる。
すると、目の前に、とてつもない美人がいた。
身長は、百七十センチぐらいだろうか。
服の上からでもわかるとても立派な巨乳をした、スタイルの良い美女が、目の前にいる。
特徴的な日焼け色の肌に、それを引き立てる銀色の艶やかな髪。
その髪の間からは、長い耳が伸びていた。
……どうやら、ダークエルフのようだ。
その美女は、俺の目の前で邪神の剣を受け止め、俺の杖に手を添えていた。
俺の手からは、魔力がどんどんと吸い取られているような感覚がある。
……この美人が、俺の魔力の暴走を止めたのか。
しかし、本当に美人だな。
巨乳といい、艶のある髪といい、整った顔立ちといい、俺の好みのど真ん中をぶち抜いている。
一瞬、邪神の存在を忘れて見入ってしまった。
「ようやく知ることができました。ご主人様はあの後、こうして自分もろとも邪神を滅ぼし、そして……死んでしまったんですね」
目の前の女性が、小さく振り向きながら、俺に微笑みかけた。
「ご、ご主人様……?」
ご主人様というのは、俺のことだろうか。
……そ、それに、俺が死んだ?
まだ生きてるけど。
この女性は、いったい何を言っているんだろうか。
「迷宮は、確かに神の干渉装置なのかもしれません。でも迷宮は、試練を超えた人間に、時すらも遡らせ願いを叶えてくれる素晴らしい神の装置でもありました」
目の前の美人ダークエルフが、邪神に向かってそう言った。
「なっ……!?」
邪神は、一瞬言葉の意味を呑み込むことができずに、呆けた顔で美人ダークエルフを見る。
それから、すぐに我に返るとこう叫んだ。
「と、踏破したというのか……? あの迷宮を……? お、俺でも出来なかった、あの迷宮を踏破したというのか!?」
邪神が、美人ダークエルフに対して敵意をむき出しにした。
それから、前触れもなく手のひらから熱線を放出させる。
――無詠唱魔法。
その熱線は、間違いなく目の前の美人ダークエルフを貫こうとしている。
――守らなければいけない、そんな気がした。
とっさに庇おうとその女性に飛びつこうとするが、女性は一瞬にして目の前に巨大な氷柱をつくると、どういう仕組みなのかその熱線を反射した。
「私は、一度ご主人様を殺したあなたを、絶対に許しません」
邪神が反射された熱線を避け……そして、戦闘が始まった。
「チィッ!」
邪神が舌打ちをしながら剣を振るう。
それを、装飾で飾られた宝剣で、軽々と受け止めるダークエルフ。
邪神が剣を振るえば、ダークエルフは両手に持った宝剣と大きく肉厚なナイフでそれを防ぐ。
邪神が無詠唱で大魔法を放てば、ダークエルフは逆の属性の魔法を無詠唱で発動してそれを相殺する。
剣技と大魔法の応酬。
邪神の技量も凄いが、ダークエルフの技量も劣っていない。
戦場が高速で移動して、俺の目で追いきれない。
ハイレベルすぎて、俺に入り込む余地がない。
「これ、俺はどうすればいいんだ……?」
ちょうど今、邪神の放った極大火炎魔法と、ダークエルフの放った極大氷結魔法が激突した。
魔法の余波が、頬を撫でる。
「な、なんなんだ! なんなんだお前はぁっ! 異世界人でもないくせに、なぜ俺の邪魔をする! 何の目的があって、お前はここにやってきた!」
一瞬、戦闘が止まった。
……邪神が、息切れをしている。
もしかしたら、魔力が底を尽きかけているのかもしれない。
まぁ、魔物の群れとあれだけ戦った後だ。
復活も完全ではないという話だし、あまり長期戦はできないんだろう。
「ご主人様が死んでしまう世界なんて、私は絶対に許容しません」
「ふざけるな!!」
ダークエルフの返答に、邪神が酷く苛立ったような表情をした。
それから、邪神は俺のいる方に向かって、手のひらを向ける。
……あ、これ、やばいやつだ。
咄嗟に身を伏せようとするが、僅かに間に合わない。
熱戦が、俺を貫く。
――そう思った、その瞬間。
俺の目の前に、再度巨大な氷柱が打ちあがる。
そして、それは熱線を反射し、より巨大な熱線となって邪神に跳ね返っていった。
巨大な熱線が、地面をえぐるように進んでいく。
そして、邪神が……その熱線に呑み込まれた。
熱線が消えると、そこには何もない。
跡形もなく、邪神は消えていた。
……終わったんだろうか?
あの邪神が、まるで赤子の手を捻るようにやられてしまった。
一体、あのダークエルフは何者なんだろう。
いや、ひとつの可能性は思いついている。
けれど、あまりにも突拍子もない内容で、頭で理解しても、心が理解してくれない。
……でも、あの容姿。
それに、俺をご主人様と呼ぶ、あの態度。
それから、あのダークエルフが持っている、どこか見覚えのあるあの宝剣。
あの宝剣は、俺が、今度教会に貰いに行こうと、ユエルと約束した……。
そんなことを考えていると、ダークエルフが駆け寄ってきた。
「ご主人様っ……!」
そして、俺の目の前に立つと、堪えきれないとばかりに瞳に涙を滲ませる。
「凄く、凄く会いたかったですっ! ずっと、ずっと会いたかったんですっ!!」
それから、ボロボロと泣き始めた。
この泣き顔。
ユエルの顔がこの女性に重なった。
「……もしかして、ユエルなのか……?」
「はい、ご主人様!」
この女性……いや、ユエルは、迷宮を踏破したと言っていた。
迷宮は、時すらも遡らせ、願いを叶えてくれると、そう言っていた。
それに、俺はここで死んだと、そうも言っていた気がする。
……なんとなくわかった。
俺は、おそらく一度、ここで邪神と一緒に死んだんだろう。
でも……ユエルは、俺が死んだという結末を、認めなかった。
「ご主人様、私、頑張りました。ご主人様とどうにかもう一度会いたくて、凄く、凄く頑張ったんです。迷宮を踏破するために、ご主人様を邪神から助けるために、頑張ったんです! やっと……ようやく、ご主人様を助けることができました」
ユエルが、俺に抱きついて来る。
頭が、俺の肩に触れた。
俺の知っているユエルとは、大分、背の高さが違う。
もう、大人と言っていい外見だ。
「ご主人様です……本当に、ご主人様です……」
ユエルは俺の顔に、手に触れながら、なにかを噛みしめるように俺を見ている。
そのユエルの表情からは、嬉しさと、悲しさと、達成感と……色々な表情が滲んでいた。
さっき邪神を倒した美女は、ユエルだった。
俺には、想像することもできない。
……いったい、どれだけの時間修行をすれば、あれだけの技量を得られるというのだろうか。
未だ、誰も踏破したことのない長く、深いあの迷宮を、どれだけの根気があれば、踏破できるというのだろうか。
そんなことを考えながらユエルを見ていると、ユエルは僅かに顔を上げ、俺の目を見つめた。
そして、囁くように言った。
「ご主人様、私、凄く頑張りました。ご主人様、言ってましたよね。私が頑張ったら、ご褒美をくれるって。……迷宮を、ご主人様と一緒に探索していた、あの頃です」
「あ、あぁ、なんでもいいぞ。何が欲しいんだ?」
そんなこと、言っただろうか?
俺は覚えてないけど。
でも、何か欲しいというのなら、あげるべきだろう。
本当に頑張ったみたいだし。
唐突なことすぎて実感はわかないが、俺はこのユエルに、死ぬはずだった命を助けられたみたいだし。
そして、「何が欲しいんだ?」と言った俺の言葉と同時に、ユエルの顔が一瞬で近づいて来る。
「ご主人様、私も愛しています!」
そして、そんな声と共に。
――舌が入ってきた。
俺が最初に感じたのは、それだった。
キスされている。
ユエルに、キスされている。
「ふむっ……んんっ……」
「ん、んんんっ……!?」
何か、失ったものを取り戻すように、むさぼるように、ユエルは何度も何度もキスをしてくる。
あの貧乳からここまで育ったのは奇跡じゃないだろうか、そう思える胸を俺に押し当てながら、ユエルは何度もキスを繰り返す。
嬉しそうに、幸せそうにキスを繰り返すユエルの顔が目の前にある。
……なんだか変な気分になってきた。
い、いや、これはユエルだ。
そういうのは絶対にまずい。
……い、いや、大人だからいいのか?
で、でも、ユエルなんだよな。
色々と不味いような、そんな気がする。
でも、どうして不味いんだろうか?
不味いことなんて、大人になっているんなら何もないような。
そして、俺がそう葛藤していると。
「お、おい、なんか……光ってないか?」
ユエルが、ぼんやりと光り始めた。
それに、どこか輪郭があやふやで、曖昧になっている気がする。
「だ、大丈夫かユエル!?」
「……私は、いなかったことになるのかもしれません」
俺が聞くと、ユエルはそう答えた。
「いなかったことに?」
「わかっていたんです。ご主人様が死なない未来になれば、今の私は……存在しませんから」
俺が死ななくなれば、ユエルは存在しないことになる。
それを、知っていた……?
それは、つまり、ユエルが自分の存在をなげうってでも、俺を助けに来たということで……。
「最期に、ご主人様と会えて、私は幸せでした。本当に、今、ご主人様と一緒にいられるこの瞬間が、凄く幸せなんです」
ユエルの周囲に舞う光の量が、どんどん増えていく。
ユエルの輪郭が、さらに曖昧になる。
「……残りのご褒美は、まだ幼かったころの私にあげてください」
「ユエルッ……!!」
俺は、ユエルを強く抱きしめた。
一瞬の、ユエルの感触。
けれど、それはすぐに光の粒子となって霧散した。
……邪神はユエルによってあっさりと倒された。
あまりにも唐突な横槍で、俺は命を拾うことになった。
でも、大人になったあのユエルは、どんな気持ちで俺を助けようとしたんだろう。
迷宮を踏破するというのは、どれだけ頑張ったらできるものなんだろう。
聞きたいことは、たくさんあった。
おそらく、話すべきことも、たくさんあった。
でも、もう、ユエルは光の粒子となって、消えてしまった。
もう、確かめる術はない。
ユエルが、どんな気持ちでいたのか。
邪神も、ユエルもいなくなった平原で……そんなことだけを、俺は考えていた。
次の話で完結します。
更新は3日後ぐらいです。




