邪神。
「じゃ、邪神様っ、邪神様ぁっ……!!」 そ、そんなっ、こんなはずじゃぁっ……!
完全にハメた。
降伏を偽装し、サキュバスを騙し、奴隷として隷属させる。
そして、サキュバスの魔物を用いた邪神への不意打ち。
これこそが、俺の考えた邪神討伐のための最適解。
魔物の群れの中心にいた邪神にとっては、たまったものじゃないはずだ。
あまりにも卑怯で、とてもユエルに見せられるような戦い方ではないが、相手が相手だ。
手段を択ばず、全力でやらせてもらう。
「サキュバス! 魔物の攻撃を緩めさせるな! 確実に、魔物に邪神を殺させろ!!」
「くっ……くうぅっ……! こんなもの、いつの間にっ……! 使徒を隷属させる魔道具なんて、いつの間に開発されたんだっ……!」
この作戦が成功したキーは、やはりこの首輪だろう。
この魔道具は、聖書の中には存在しなかった。
最近になって大司教が開発した、全く新しい魔道具だ。
こんな手段でサキュバスのコントロールを奪われるなんて、邪神も、サキュバス自身も、想像すらしていなかったに違いない。
……でも、邪神もなかなかしぶとい。
一瞬で圧死するかと思ったが、しぶとく粘りながら、周辺の魔物を大規模魔法でドッカンドッカンやっている。
あれだけの魔物に至近距離から襲われてまだ生きているあたり、剣の達人というのはやはり嘘ではないらしい。
「エリアヒール! エリアヒール! エリアヒール!!!」
……でも、自分を巻き込まないためか、魔物をまとめて吹き飛ばすことはできていない。
ここまで接近できれば、やはり大規模魔法の利点は大幅に削ぐことができるようだ。
それに、魔物は人間と違って頑丈なものも多い。
人間には間に合わない俺の治癒魔法も、一撃で死なない大型の魔物に対してであれば、即座に全快させることができる。
外周にいる魔物の数を減らそうとしても、俺の治癒魔法があれば、そうすぐに邪神への圧力が弱まることはない。
これなら、いくら剣技に優れた邪神でも、いつかは倒れるはずだ。
「いけるっ……いけるぞっ……!」
……俺も治癒魔法の届く距離にいないといけないから、あまり遠くにはいられない。
本当はサキュバスを使って空から戦況を見たいんだが、邪神に現在地を目視されると狙い撃ちにされる可能性がある。
俺には、魔物で視界を遮りながら後方支援に徹することしかできない。
正直、いつ爆発に巻き込まれるか、気が気じゃないけれど。
――数分、爆発と治癒魔法が交錯する。
「爆発が止まった……? そ、そんな、邪神様ぁっ……!」
そして、ついに爆発が止まった。
爆発は、邪神がまだ生きていて、魔物に抵抗していたことの証明だ。
それが止まったということは、つまり……。
「やったか……?」
一瞬、勝利を確信した。
――けれど、その確信はすぐに崩れ去る。
一筋の、赤い光。
それが、魔物の群れの中心から漏れてきたのが見えた。
その光の筋は、瞬く間に膨大な数に増えていく。
そして、次の瞬間。
魔物の群れが、轟音とともに光の中に消えた。
邪神を囲む数百数千の魔物の群れ、その全てを丸ごと呑み込まんばかりの、巨大な爆炎が上がる。
「うっ、お、おおぉっ!!!」
「ひ、ひぎぃっ!!」
同時に、爆風が俺とサキュバスに直撃した。
地面に踏ん張ることもできずに、何度も地面に叩きつけられながら吹き飛ばされていく。
熱風が喉を焼く。
視界がかすむ。
耳鳴りで、何も聞こえない。
そのまま、ゴロゴロと地面を転がっていく。
「い、いってぇ……」
反射的に自分に治癒魔法を使ったせいか、なんとか生きている。
サキュバスの方も確認するが……あれは駄目だな。
地面に倒れ伏し、ピクリとも動く気配がない。
死んではいなさそうだが、気絶してしまっているようだ。
「まぁ、サキュバスが使えても、これじゃあなんの意味もないか」
爆発の方向に視線を向けると、土煙の向こうに、うっすらと大きなクレーターが見えた。
巨大な隕石でも落ちたんじゃないか、そう錯覚するほどの、超威力。
魔物の群れは……おそらく、この威力なら全滅だろう。
「でも、これなら……」
邪神自身だって、ただではすまないはずだ。
というか、死んでいないとおかしい。
……もしかして、自爆したのか?
殺されるのが嫌で、自分から死んだとか。
もう長い間封印されるのは嫌だとか。
いや、考えても仕方がないか。
邪神の死を確認するために、土煙のもうもうと舞う、爆心地へと歩いていく。
けれど、その爆心地から、
「なっ……!? どうしてっ……!?」
ゆったりとした動作で、男が歩いてきた。
トロールの肩の上に乗っていた、あの男だ。
しかも、さっきのあの爆炎で傷ついた様子もない。
完全に、無傷。
「こんなところで本気を出すことになるとはな。王都の結界魔法を解くことになってしまった……これで、王都から挟撃されてしまうではないか」
男が呟く。
そうか……結界魔法だ。
完全に存在を忘れていた。
王都を閉じ込めていたとかいうあの魔法を、自分に使ったのかもしれない。
……でも、あれの発動には準備が必要だと聖書には書いてあった。
そんな時間は、どこにもなかったはずだ。
「いや、まさかっ……!?」
可能性が、ないわけでもないのか。
準備が必要だというのなら、準備をすればいいだけのこと。
……あの邪神は、全方位から襲ってくる魔物の群れと接近戦で戦いながら、爆風で遠くの魔物を焼き払いながら、結界魔法の仕込みをした。
――そして、自分の周囲にだけ結界を展開し、魔物を丸ごと焼き払った。
つまりは、そういうことなのだろうか。
……ぞっとするような技量だ。
流石は邪神と呼ばれるだけはある。
「あのトロールは乗り心地が良くて気に入っていたんだがな、惜しいことをした」
邪神が、俺に歩み寄りながら、声をかけてきた。
その表情には、随分と余裕がある。
……魔物がいなくなった今、俺にはもう勝利への筋道はない。
最早、俺はまな板の上の鯉ということだろう。
逃げても、後ろから魔法で攻撃される。
立ち向かっても、まず一刀で切り伏せられるのは目に見えている。
援軍だって、来るわけがない。
もし来たとしても、邪神に魔法で薙ぎ払われて終わりだろう。
……これは、詰んだかな。
「……どうやら、俺の負けみたいだな」
「よくやった方だ。……まぁ、先代の聖人と比べると、詰めは甘かったがな」
邪神が、剣を抜いた。
この距離なら、魔法より剣の方が速いんだろう。
抜き身の剣を見せつけるようにしながら、邪神は近づいて来る。
どうやら、俺はこのまま殺されるようだ。
……右手に持った杖を、強く、強く握りしめる。
けれど邪神は、僅かに考えるような表情をすると、なぜか剣を下ろした。
どうしたんだろう。
もしかして、遺言でも聞いてくれるんだろうか。
「殺す前に聞いておきたい。お前は、どうやってここに来た?」
けれど、飛んできたのはただの質問だった。
「ドラゴンに乗っていたのは、お前も見ただろ」
ここには、ルルカのドラゴンに乗ってきた。
そんなことは、邪神もわかっているはずだけれど。
「違う、そういう意味ではない。お前は、どうやって地球の日本から、この世界に降り立ったかと聞いているんだ」
「っ……!?」
地球の、日本から……?
どうして、邪神からその単語が出てくるんだろう。
いや、でも、よく考えれば……共通点はある。
あの、膨大な魔力が必要だろう大規模魔法、そして、黒い髪の、人間のこの姿。
「もしかして、お前も聖人なのか……?」
邪神が、聖人だった。
まさかと思ったが、その可能性は、改めて考えると非常に高い気がする。
「それは違う。聖人というのは、教会が勝手につけた呼称だ。俺はそんな名前ではない」
聖人ではないが、異世界人。
つまり、やはり俺とルーツは同じということか。
邪神は、俺の驚いた反応を見ると、ニヤリと笑って話を続ける。
「それで、どうなんだ」
「俺は、日本で通り魔に刺されて……死んだと思ったら、なぜか迷宮都市にいた。それだけだ。理由は知らない」
邪神は「迷宮都市……やはりか」と呟くと、見下すような目で俺を見た。
無知な人間を、馬鹿にするような目だ。
「……お前は、なぜ迷宮がこの世界に存在するのか知っているか?」
「い、いや、知らない」
なぜ迷宮がこの世界にあるのか。
……そんな話を以前、聖女としたことがあった。
結局、確かめる手段がないし、わからないということだったけれど。
「同郷のよしみで、殺す前に教えてやる。迷宮はな、この世界に神が干渉するための道具だ。あの最奥には、世界に干渉するための、神の装置がある。お前は、迷宮から召喚されたんだ」
……確か、風呂で聖女もそんなことを言っていた。
あの時は適当に聞き流していたけれど、どうやら本当のことだったらしい。
「俺はこの世界を旅したことがある。俺がかつて征服しようとした、この大陸以外の外の大陸にも行った。そこで世界の神話を……メディネ教以外にも、色々と読んだんだ」
「この大陸の、外……!?」
「するとな、この世界は、強力な独裁者や悪辣な侵略者が現れると、突然迷宮都市から現れた聖人が、それを滅ぼす。どの宗教でも、そうなっていたんだよ。……俺は確信した。この世界は、迷宮を介して神の干渉を受けていると。……だから、俺は全ての迷宮を破壊することにしたんだ。俺がこれからやることに、邪魔が入らないようにな」
どの地域でも、迷宮から聖人が現れ、悪を滅ぼしていた?
それはつまり、本当に世界全体を観測するような存在が、この世界にはいるということなのだろうか。
……少し、信じきれないが。
しかし、邪神の目的はやはり、迷宮の破壊だったらしい。
……でも、迷宮を破壊して、やりたいことというのは一体なんなんだろうか。
「これから、やること?」
「これだけの破壊力の攻撃魔法を手に入れたんだ。やることは、一つだろう?」
あれだけ絶大な破壊力のある攻撃魔法でやること。
そんなもの、何かを破壊すること以外にはありえない。
……どうやら、邪神はこれ以上を話すつもりはないらしい。
剣でトントンと地面を突くと、俺を見据えた。
「な、なぁ、俺は見逃してくれたりとかしないか? ほら、同郷のよしみでさ」
まだ死にたくはない。
俺には、やり残したことがたくさんある。
でも邪神は、皮肉そうな笑みをつくると、無言で剣を振り上げた。
「……だよなぁ」
おそらく、こいつは自分の力に酔っている。
破壊することそのものが、楽しいんだろう。
聖書に、邪神は侵攻ルートにあった都市を、人も建物も、全て丸ごと消滅させたという描写もあった。
わざと魔法の威力を抑えて、魔法で嬲るように、都市を削って楽しんでいたという描写もあった。
あれだけの攻撃魔法を得て、この世界でどういう経験をしてきたのか、俺には想像もつかない。
どうしてそういう思考になったのかも、理解できない。
――でも、俺がやるべきことだけは、決まっている。
俺がここで倒れれば、邪神は間違いなく、ユエル達の待つあの迷宮都市に向かうだろう。
だから、俺はその邪神の笑みに、こう返した。
「じゃあ、道連れだ」
次の更新は三日後ぐらいです。




