作戦。
人目から隠れながら、外へ向かう。
騎士の話では、邪神はここから二日の距離にいるらしい。
おそらく魔物を引き連れたサキュバスの速度で、ということだろうから、馬を使えば一日か程度の距離のはずだ。
とりあえず、まずは移動手段の確保が必要だ。
馬をどこかで拝借しよう。
乗ったことはないけれど、乗るだけならなんとかなるだろう。
「うぉっとっ……!」
そう考えながら屋敷の中を歩いていると、目の前の廊下を騎士が通って行った。
……別に見つかっても適当に誤魔化せそうではあるんだが、トラブルはできるだけ避けていきたい。
今いるのは一階だし、外に出た方が見つかりにくいかもしれないな。
――窓を開け、外に出る。
そして、中庭に出た。
窓から漏れ出る明かりを頼りに屋敷の門に向かって歩いていく。
「夜だから、全然見えないな……まぁ、外に出るぐらいはなんとかなると思うけど……」
すると、頭になにかが当たる感触があった。
多分、この感じは水滴か何かだ。
雨でも降り始めたんだろうか?
……鳥のフンじゃなければいいけれど。
「ったく、なんだよ……」
頭を触る。
……なんかねばっとしている。
なんだこれ。
原因を確かめようと、上を向く。
――ドラゴンの顔があった。
「うっ、うおおおぉっ!?」
……完全に忘れていた。
そういえば、中庭には、ルルカのアースドラゴンがいたんだった。
深夜だし、木に寄り添うように佇んでいたせいで、全く気づけなかった。
「ぐる……」
俺を見て、ドラゴンが唸る。
しかし……こう改めてみると、このドラゴンやっぱり怖い。
でかいし、牙も爪もあるし、ブレスも吐くし。
これがかわいいというルルカの感性が本当にわからない。
「かわいー!」っていう自分がかわいいとかいうアレなんだろうか。
ルルカは本気でかわいがってそうにも見えたけど。
「いいか? 動くなよ? 俺はちょっと用事があるんだ。お前になんか構っている暇はないからな」
でも、見た目は怖いが、ドラゴンは言葉を理解するはずだ。
手をパーの形で突き出して、制止の意志を伝えながらジリジリと距離をとる。
――瞬間。
その突き出した手に、ドラゴンが噛みつこうとした。
「ちょっ、待っ……!!」
慌てて、その場に尻もちをついた。
ドラゴンの顔が、どんどん近づいて来る。
もう、ドラゴンの吐息が、顔にかかる程に近い。
あ、これ、駄目だ。
邪神と戦う前に、ルルカのペットに殺される。
入念にケアされているのか、ほんのりミントっぽい香りのするドラゴンの吐息が、頬を撫でる。
そして――ペロリとなめられた。
それから、ざらざらとした顔を擦り付けるようにして、顔を小さく揺らし始めるドラゴン。
「っ……んん……?」
これ、違うわ。
……なんか、めっちゃ懐かれてる。
どうしてだろう。
……もしかしたら、俺がユエルに命令して、ドラゴンを助けさせたのを覚えていたんだろうか?
そうだとしたら、なかなか義理堅いやつだな。
結構前のことなのに。
ユエルさん本人が来たら、どんな懐き方をするんだろうか。
……でも、そうだ。
馬を探していたけれど、これで探す必要もなくなったかもしれない。
こいつの方が、馬よりも絶対速いだろうし。
「……なぁ、ちょっと乗せていってもらいたいところがあるだけど……乗せていってくれないか?」
ドラゴンに問う。
すると、ドラゴンは、肯定するように小さく唸った。
強い風が吹き付ける。
ルルカが鞍をつけていたおかげで、案外ドラゴンの乗り心地は良かった。
片手を放しながらでも乗れるぐらいだ。
今度ユエルを乗せてあげたら、多分大喜びするだろう。
そうして、ドラゴンの背に乗って、上空数十メートルを飛ぶこと半日足らず。
王都の方角に、ようやく黒い塊を見つけた。
おそらく、あれがサキュバスの魔物の軍勢だろう。
……メルハーツ周辺の魔物と違って、結構強そうな魔物も混じっている。
あの中に、大規模魔法を使う邪神もいるはずだ。
「ここまででいい」
高度を下げ、ドラゴンから降りた。
すると、ドラゴンは逃げるように去っていく。
逃げる理由はわかっている。
俺も、ドラゴンを責めたりするつもりはない。
そのまま、一人で魔物の群れに向かって、ゆっくりと歩いていく。
おそらく、もう向こうからは俺の存在に気づかれているだろう。
……ここで攻撃されたら、一発でアウトだ。
俺は、アイテムボックスからあるものを取り出す。
それから、それをよく見えるように大きく振った。
――すると、魔物の集団の中から、一匹の何かが空を飛んで近づいてくるのが見えた。
おそらく、サキュバスだ。
そしてサキュバスは、俺の数メートル先ぐらいまで接近すると、声をかけてきた。
「本当に一人で来るとはな。しかも、白旗か? ……お前、戦う気はないのか?」
……そう、俺が手に持っているのは、即席の白旗。
俺は、戦意が無いことをアピールしながら、そのままサキュバスに向かって距離を詰めていく。
「あぁ、俺にお前たちと戦う気はサラサラない」
「なんだ……もしかしてお前、追い出されたのか? 邪神様が、王都を人質にとったから? ……あんなの、お前たちが少しの間、仲間割れでもしてくれればいいと思っただけだったんだがな」
「いいや、追い出されたわけじゃない。邪神との戦争についての記録を読んで、絶対に騎士と戦っても勝ち目はないだろうと思ってな。邪神の使徒にしてもらいに来たんだよ。あと、ついでに前に言ってたハーレムを作ってほしい。俺は世界中の美女を選りすぐった、最高のハーレムをつくりたいんだ」
サキュバスは、特に攻撃してくる様子がない。
俺自身に戦闘能力がないことは、既にわかっているんだろう。
俺がここに一人で来た理由に興味があるのか、俺から数メートルの距離を保ちながら話しかけてくる。
大規模な攻撃魔法が飛んでくるような気配もない。
……作戦の第一段階は突破というところだろうか。
俺の存在を認識された瞬間に、大規模攻撃魔法でも撃ち込まれたら、何もできずに終わりだった。
攻撃されないという自信は、あったけれど。
六~七割ぐらいは大丈夫だろうと踏んでいた。
「そ、そうか。まぁ、邪神様の復活も完全ではないからな。これから邪神様の覇業を達成するために、お前は役に立つだろう。邪神様にお伺いを立ててくる。少し待っていろ」
サキュバスが、俺の言葉に少しドン引いたような顔をして言う。
それから、魔物の群れの方へと飛んで行った。
……しかし、やっぱりか。
邪神の復活は、完全ではなかったらしい。
多分、そうなんじゃないかとは思っていたけれど。
大規模破壊魔法を使う邪神は、当然その大規模魔法を使えるだけの膨大な魔力量を持っている。
そんな邪神を復活させるためには、そこらの神官を素体にした程度では不十分だったはずだ。
本当に邪神を完全復活させようと思ったら、俺を素体にするぐらいしかないだろう。
「もしかして、あれが邪神か?」
サキュバスが俺と話している間にも、魔物の群れはこちらに向かって進軍していた。
目を凝らしてみると、巨大なトロールの上に、小さな人型の影が乗っているのが見える。
黒い服を着た、黒髪の……男だ。
サキュバスはその男の周りをぶんぶんと飛びながら、何かを言っているようだ。
あの男が、邪神なんだろうか。
遠目には、人間っぽく見えるけど。
サキュバスは、身振り手振りを交えながら、その男に何かをアピールしているように見える。
おそらく、邪神に俺を仲間にしたいとか説得しているんだろう。
サキュバスなら、俺の陣営加入に協力的になってくれると思っていた。
邪神陣営としては、この国を滅ぼしたとしても、まだまだ周辺には人類の国家がひしめいている。
たとえ邪神といえども、完全復活ができていないなら、人類国家の巨大連合軍でも作られたら苦戦してしまうかもしれない。
――そこで俺だ。
サキュバスと俺の能力の相性は最高に良いし、サキュバスなら俺を自由自在にコントロールできる。
サキュバスは俺が心の底からハーレムを作りたいと思っていることも既にわかっているし、是非とも味方に引き入れたいはずだ。
そうだ、説得しろサキュバス。
俺の作戦は、全てお前にかかっていると言っても過言じゃない。
――そのまま数分が経つと、サキュバスは、俺のそばに再び近づいてきた。
「邪神様は、お前を使徒にしても良いと言っている。お前を邪神様のもとに連れて行ってやる」
サキュバスは言いながら、目を赤く発光させた。
そして、ニヤリと笑いながら呟く。
「まぁもちろん。お前を信用したわけじゃない。……理性を奪った状態で、だがな」
「ぐっ……」
……どうやら、簡単に術中にハマってはくれないらしい。
俺は、以前のように、ふらふらとサキュバスに近づいていく。
「ふふ……」
それを見て、サキュバスが笑みを漏らした。
サキュバスとしての能力にきちんと反応してくれるのが嬉しいんだろう。
俺ぐらいしかまともにこの能力にひっかからないし。
「どうだ、服従の口づけもさせてやろうか? 今、私に誘惑できる男はお前ぐらいだ。ちょっと気分が良いから、してやらないでもないぞ? サキュバスの唾液の味を覚えれば、お前はもう絶対に裏切ることなんてできなくなるからな」
調子に乗って、くちをむーっとさせながら、空中で腰をふりふりさせるサキュバス。
操られた俺には、もう何もできないと思っているんだろう。
完全に油断している。
「あぁ、是非してもらいたいな」
俺は、サキュバスに誘われるがままに、サキュバスへと手を伸ばす。
もう、俺とサキュバスの距離は、一メートルもない。
「ん……? お前、口から血が出てるぞ……?」
サキュバスが、俺の口元を見てそう言った。
俺の異常に気付いたらしい。
でも、今更気づいたところでもう遅い。
この距離なら、俺はお前を捕まえられる。
――俺は、アイテムボックスからあるものを取り出す。
それは、教会にあった、元大司教の所持品。
ユエルが差し出してくれた、装飾の施された、この魔道具だ。
ずっと疑問だった。
大司教は、サキュバスを復活させようとしていた。
それは、女の子をえっちにして素晴らしい世界をつくるためだ。
でも、それには当然サキュバスをコントロールする手段が必要になる。
どうやって大司教はサキュバスをコントロールしようとしていたのか。
そして、その答えが――この首輪だ。
あの時は、サキュバスはどうせ石化すると思っていたし、使うこともないと思っていた。
でも、今、この状況なら、この「首輪」は最強のジョーカーになる。
この首輪は、ただの魔物を操る首輪じゃない。
――邪神の使徒さえも意のままに操れる、最高級の「隷属の首輪」だ。
「そりゃあ、口の中を噛んで耐えてたんだから当然だ」
俺は、そのままその首輪をサキュバスに取り付けた。
油断。
以前、俺が簡単に操られたから、今度も操ることができるという、その油断こそが命取り。
――俺は、口の中を自分でずたずたに噛み切りながら、痛みで誘惑に耐えていたんだ。
「な、なんだっ……!?」
……あと、サキュバスに言うつもりはないが、ここに来る途中、ドラゴンの上でスライムゼリーを使っておいた。
俺は今賢者モードだ。
あそこまで超上空でスライムゼリーを使ったのは、おそらく人類史上俺ぐらいなものだろう。
ドラゴンは、めちゃくちゃ嫌そうにうめき声をあげたり身をよじったりしていたが、まぁこれも人類のため。
俺が降りた瞬間に俺から逃げ去っていったけれど、どうか許してほしい。
ルルカが知ったらめっちゃ怒りそうだけど。
でもお前のドラゴン、乗り心地よかったぜ。
「こ、これはっ……首輪!? ぐっ……!」
突然首輪をつけられて、驚くサキュバス。
そして、すぐにその首輪を外そうとする。
そんなサキュバスに、俺は魔力を込めた声で命令する。
「首輪を外すな」
「な、て、手がっ、手が動かないっ……!?」
首輪が赤く発光し、サキュバスの動きが止まる。
成功だ。
……でも、なんだか奴隷紋みたいだな。
もしかしたら、あれと似たような仕組みなのかもしれない。
――さて、ここまで来たら、もう後はやることは一つ。
「なぁサキュバス、お前言ってたよな? 凄く印象的だったから、今でも覚えてるんだよ」
「わ、わたしが……?」
「俺とお前が手を組めば、世界だって征服できる。そう言ったよな、サキュバス。……じゃあこれから、かつて世界を征服しかけた邪神の力と、世界を征服できるかもしれない俺とサキュバスの力。どっちが強いのか、試してみようじゃないか」
サキュバスの顔が、ひきつった。
そして、急いで振り向いて、背後の邪神に何かを伝えようとする。
でも遅い。
――邪神に正面から大軍勢を率いて向かっていけば、近づく前に大規模魔法で吹き飛ばされる。
――少数の精鋭を率いて不意打ちしても、圧倒的な剣技で切り倒される。
聖書の記述を見る限り、邪神は一見隙が無い。
でも、活路はあった。
大軍勢を率いて正面から戦えないなら。
少数で不意打ちをしてもやられてしまうなら。
――それなら、『最初から邪神の近くにいる大軍勢』を率いて、不意打ちすればいい。
俺は、命令を下す。
「魔物を操れ、サキュバス! 俺と共に、邪神を打ち倒せ!!」
命令と同時に、突然暴れだすトロール。
邪神はそのままトロールの肩から振り落とされると、魔物の群れの中に落ちていく。
そして、その落下地点に、周囲の魔物が勢いよく突撃していく様子が見えた。
次の更新は三日後ぐらいです。




