指輪。
ライトイーターをひき連れたサキュバスの襲撃から、二週間が経った。
「シキ様、結婚式用の指輪のサンプルを発注してみたのですが、これでいかがでしょうか」
「し、仕事が早いな」
あれから、平穏な日常が過ぎていた。
色々と解決しないといけない事はあったが、緊急を要する問題は、俺と聖女の婚姻という手段が大半を解消してくれた。
特に王都の司教による聖女失脚の危機がなくなったのは大きい。
司教はあの後すぐに王都に戻り、聖女の失態を鑑み、聖女の大司教位を剥奪するための発議をするとのことだった。
でも、おそらくそれは失敗に終わるだろう。
俺との婚姻関係がある限り、教会は聖女を切ることができない。
ということで今は、領主の屋敷の一室で、その婚姻のための準備をしている。
「綺麗ね……」
「なんていうか、洗練されてるねー」
「ご、ご主人様、すごくきれいな指輪です……」
エリス、ルルカ、ユエルが、聖女の差し出した指輪を見て呟いた。
――あの衝撃的な聖女の婚約宣言。
エリスもルルカもあの後聖女に抗議をしたが、俺と聖女の婚姻がなくなると聖女は失脚の可能性が高まり、俺も自分の身を守るための教会側の後ろ盾を失うことになる。
サキュバスの逃走を許してしまった現状では、聖女と俺は、今後を考えればどうしても結婚しなければならない。
そう聖女が説明すると、エリスもルルカも、結婚する必要性があるということは理解してくれた。
……でも、エリスもルルカも、俺を聖女に横からかっさらわれた形になる。
そんな憤懣冷めやらぬ二人に聖女が提案したのは――それなら、エリスもルルカも一緒に俺と結婚すればいいということだった。
聖女は巧みな話術でそれを二人に勧めると、なぁなぁで俺が全員と結婚するという流れに持っていった。
重婚に抵抗のありそうだった二人が比較的簡単に折れたのは、おそらく、俺と最初に結婚することになったのが聖女だったからだろう。
エリスがルルカに、ルルカがエリスに負けるのなら諦めもついたのかもしれないが、聖女は完全にマークすらされていないダークホースだ。
突然横からもっていかれて、それで終わりというのは嫌だったのかもしれない。
どう切り出していいかわからなかったハーレムが、聖女のおかげでこういう形で実現できそうになっている。
おそらく、これも教会の闇を渡り歩いてきた聖女の、深謀遠慮なのだろう。
結果的に、俺の望んだ光景がここにはあった。
味方につけると、こんなに頼もしいとは。
「これで良さそうでしょうか」
「あぁ、いいんじゃないか?」
「それでは取り急ぎ、四点用意させていただきますね」
聖女は、俺やエリス達の反応を確認すると、そう言った。
四点。
それは、俺と、エリス、ルルカ、そして聖女の分だ。
「四つ……」
ユエルが、指をひとつ、ふたつ、みっつ、よっつと折りながら、俺、エリス、ルルカ、聖女に視線を向ける。
凄く寂しそうな表情をしている。
……でも、残念ながら、ユエルの分はない。
これは、結婚指輪だ。
さすがに、まだ幼い、ユエルのような少女と結婚をすることはできない。
聖人といえども批判は免れないし、俺自身、ユエルのような幼い少女と結婚することには抵抗がある。
いくらハーレムといっても、まだ無理だ。
悲しそうなユエルには申し訳ないが、もし結婚することがあるとしても、最低数年は待ってもらうことになるだろう。
「四つ……本当に重婚なのよね」
エリスがため息を吐く。
……エリスはしぶしぶ重婚を了承したものの、たまにこうしてやりきれなさそうな雰囲気を出す。
おそらく、一夫一妻で、あの治療院で子供は二人で、みたいな理想の夫婦像なんかがあったんだろう。
「なんか、私はもうこれでいいかなーって思えてきちゃったな」
「っ……!?」
そんなエリスの呟きに、ルルカがそう返す。
エリスは、ルルカも自分と同じ意見だと思っていたのか、少し驚いた表情だ。
もしかして、俺が重婚することをフォローしてくれるんだろうか。
流石はルルカだ。
俺は信じていた。
「だってさ、私、最近思うんだ。シキと二人で結婚するとするでしょ? そうすると、シキは絶対にどこかで目を盗んで浮気すると思うんだよね。だって、シキ凄くえっちだし。ちょろいし。サキュバスに誘惑されちゃうぐらい、理性弱いし。おっぱいが目の前にあると、後先考えないし」
「……そ、それはそうだろうけど。だからってそんな……!」
「ほら、だから、一人じゃ駄目なら二人で監視すればいいんだよ。二人で交代しながら、シキが浮気しないように見張れば、ね?」
フォローが飛んでくるかと思ったら、暴言が飛んできた。
べつにちょろくない。
ちょ、ちょっとだけおっぱいに弱いだけだ。
あとユエルの前で、そういうことを言わないでほしい。
誤解を招くから。
「それにさ、誰かひとりと結婚するってなったら、それはもういろんな人に婚約宣言しちゃった聖女様でしょ? それはやっぱりいやだなーって」
エリスが、そのルルカの言葉を聞いて目を伏せた。
おそらく、二人にとって、重婚を了承した一番のポイントはやはりそこなのだろう。
当の聖女はといえば、そんな二人を眺めながらニコニコしているけれど。
肝が太すぎる。
エリスは、考えるような表情のまま動かない。
……やっぱり、一夫一妻じゃないと駄目とか言われたりするんだろうか。
聖女との婚姻は、割と本気で今後のために必要なんだけど。
あと、エリスとルルカの二人と結婚するのにも、都合が良いし。
エリスに妻は自分ひとりじゃないと絶対に結婚しないとか言われたら困ってしまう。
……そうしたら、俺はエリスを選んでしまうかもしれないからだ。
けれど、エリスは顔をあげると「仕方ないわね」といった雰囲気で言った。
「……ちゃんと、私のことも見てくれるならいいわ。私は、やっぱりあなたのことが好きだから」
「あ、あぁ、それは大丈夫だ」
めっちゃ見る。
というか既に、目の届くところにいるなら、だいたい目で追っている。
それは今更という話だ。
まぁ、エリスが言っているのはそういう意味じゃないのかもしれないが。
でも、他に女性がいくらいたところで、俺がエリスから興味を失うことはおそらくないだろう。
もう結婚したい。
いや、結婚するんだった。
話がまとまったのを感じたのか、聖女が指輪をしまい、立ち上がる。
忙しい身だし、またこれからやることがあるのかもしれない。
「……そういえば、暗殺者の件ですが、ようやく奴隷商人の一人が情報を吐きました。犯行への協力を自白しましたので、これで決着がつけられると思います」
聖女が、ついでとばかりにサラッと報告してくる。
「自白? ……どんな手を使ったんだ?」
聞き流しそうになったが、暗殺への協力を自白させるって凄いな。
どういう経緯なのかはわからないが。
「特別なことは何もしていませんよ。ただ、金のために人を殺そうとするような人は、少し自分の身に危険が迫れば簡単に組織を裏切るというだけのことです。これでもう、この街の奴隷商人組合は確実に壊滅させることができるでしょう。ダルノーの搾取もなくなりましたから、これからはこの地域も福祉、公益施設に大きく寄付金を回すことができます」
何をしたのかは聞かない方がよさそうだ。
あと奴隷商人組合、壊滅するのか……。
結構、でかい組織だと思うんだけど。
この聖女は敵に回してはいけない、はっきりとそう思う。
……もし俺がダルノーの後釜として、このあたりを担当する大司教になったとしても、搾取だけはしないようにしよう。
「そういえば、サキュバスの方はどうなんだ? まだ見つからないのか?」
暗殺者の件を聞いて思い出した。
あれから、サキュバスに関してはなんの音沙汰もない。
どこかの教会を襲撃したという話も聞かなければ、どこかで目撃されたという話もない。
そして、石化したサキュバスを発見した、という報告もまだなかった気がする。
「はい。……もしかすると、石化して川や湖の底に落下したのかもしれません。そうであれば、発見は非常に困難です」
「そうか」
やはり、見つかってはいないらしい。
頭痛の種にでもなっているのか、片手を頭に添えている聖女。
でも、見つからないものはどうしようもないんだろう。
人を使って、時間をかけて探していくしかないわけだし。
「それでは失礼します。後で、部下が指輪のサイズを測りに来ると思いますので、よろしくお願いしますね。あぁ、お二人はドレスのための採寸をさせますので、先にそちらをお願いします」
そして、聖女は連絡事項だけ告げると、部屋から出て行った。
エリスとルルカも、それを受けて部屋から出ていく。
「……」
きゅっと自分の服を握りしめ、俯いているユエルだけが、部屋に残った。
エリス達が去った後、俺は聖書を読んでいた。
この聖書、邪神と人類の戦争以外にも、教会の戒律や偉人についてのエピソードがちりばめられていて、かなり分厚い。
未だに最後の方が読めていないが、流石に聖人ともてはやされ、このあたりの大司教になるかもしれない人間がこれを読んでいないのでは話にならない。
早めに読破しようと集中して聖書を読んでいると……いつの間にか、夜中になっていた。
「ユエル、そろそろ寝るか。今日はもうやることもないしな」
「……はい、ご主人様」
ユエルは、さっきからどこかぼーっとしている。
聖書を読みながら視界の端に捉えてはいたけれど、ずっと呆けたように、一人床を眺めていた。
やはり、結婚の件を気にしているようだ。
ユエルだけが、仲間外れのような扱いになっているし。
「あー……」
どうにかしてやりたい気もするが……でも、やはりユエルは幼すぎる。
それに、子供のうちはいくら好き好きと言っていても、大人になって視野が広がって冷静になったらそうじゃなくなるかもしれないし。
そうなったとき、俺はユエルに後悔してほしくない。
俺は、幼いユエルにとって親のような存在なのかもしれないのだ。
ユエル自身が大人になり、しっかりとした判断力がつくまでは、そもそもそういう話を考えること自体が倫理的に駄目だろう。
……けれど、悲しそうなユエルを見るのはやはり心が痛む。
なにか良い感じの言葉をかけたい。
ユエルが泣かなくて、ふわっとごまかせて、前向きな感じの。
「そうだユエル。聖書に書いてあったんだが、実は、かつての聖人が使っていた魔法の触媒はあの杖だけじゃないらしい。あの杖と同じぐらいの効果がある、伝説級の魔法の宝剣があるんだそうだ」
「魔法の宝剣、ですか?」
「あぁ、そうだ。ユエルが本当に勇者といえる実力になったら、教会に借りに行ってみよう。ユエルはもう魔法が少し使えるし、いつかきっと凄い魔法使いに、そして剣士になれる。ユエルが持つのに、ちょうどいいんじゃないかと思ってな」
そんな宝剣を教会がホイホイと貸してくれるかどうかは知らないが、ここはユエルの気持ちを逸らすことが優先だ。
ユエルが本当にそんな実力を持つとすれば、きっとその時ユエルはもう大人になっているだろうし。
たぶん、実際に借りられなくてもそこまで悲しんだりはしないだろう。
「ご主人様の、勇者として……」
ユエルが、俺の言葉を反芻するように呟いた。
でも、その雰囲気は……暗い。
聖人が使っていた格好いい宝剣とか、ちょっと子供心をくすぐるかと思ったが、どうやら駄目らしい。
頭が俺の結婚のことでいっぱいなのかもしれない。
前にハーレムにすると言ったら喜んでいたし、ユエルがここまで落ち込むとは思わなかったんだけど。
でもやはり、自分一人だけまだ結婚できないという現実を目の前に突きつけられるのは違うんだろう。
おそらく理屈じゃない。
一人だけ違うという疎外感みたいなものは、どう自分を納得させても感じてしまうはずだ。
……ここはもう、アレでいくしかないようだ。
「……ユエル、大きくなったらだ。ユエルはまだ幼い。結婚とか、そういうのは大人になってから考えればいい。別に、焦る必要はどこにもないんだ。そうだろう?」
必殺の呪文。
おとなになったらね。
これを唱えると、ユエルを将来への期待感で誤魔化すことができる。
しかも、それっぽいことは言ったが、結婚しようとは明言していない。
ユエルが大人になるまでの数年の間に心変わりしても対応できる、曖昧仕様だ。
前も、これでユエルとの関係を先送りにした実績がある。
ユエルならこれで「大人になったら結婚できる」そんな幸せな将来に思いをはせて、今エリス達と俺が結婚することは頭から消してくれるだろう。
と、俺は思っていたんだが、
「ぅ……」
ユエルの瞳に、じわりと涙が溜まる。
ユエルは、耐えきれないとばかりに小さく喉を鳴らすと、ぷるぷると震え始めた。
……ま、前はこれでなんとかなったのに。
どうしてだ。
前と何が違うんだ。
でもどうしよう。
これで駄目なら、俺はどうすればいいんだろう。
と、そんなことを考えていると。
気まずい空気を打ち破るように、扉をノックする音が響いた。
「シキ様、少しお時間よろしいでしょうか」
「あ、あぁ」
聖女の声。
そして、聖女は俺の返事を聞くと、扉を開けた。
「こんな夜分遅くに申し訳ありません。ですが……少しまとまった時間が取れましたので、シキ様には、強引に婚姻を推し進めてしまったことのお詫びをさせていただこうかと思いまして。……お邪魔でしたでしょうか?」
部屋に入ってきた聖女が、そんなことを言う。
しかし助かった。
もうどうユエルを慰めていいのか、俺にはわからなかったところだ。
前は「おとなになったら」でなんとかなったし、今回も誤魔化せる思ったんだが。
とりあえず、話を逸らすことができる。
「別に構わない。どうした? お詫びって、なにかくれるのか?」
「僭越ながら、夜伽を務めさせていただこうかと思いまして」
そっちに逸らすのは駄目だ。
本当に駄目だ。
もう帰ってほしい。
「っ……」
ほら、ここに今にも泣きそうなユエルがいるだろう。
あー、あー……ユエルが今の聖女の発言で打ちのめされているのが、見ていてすぐわかる。
夜伽を今にも始めそうな聖女と俺の婚約者という関係と、今は奴隷と主人というだけのユエルと俺の関係。
それを今の聖女の言葉ではっきりと再認識したのか、ユエルの表情がどんどん悲しそうな顔になっていく。
……そして、自分がいると邪魔だとでも思ったんだろうか。
ユエルが、無言でとぼとぼと部屋から出ていこうとする。
いつものユエルなら「お手伝いしますか?」とか聞いてきそうなものなんだけど、どうやらもう完全に意気消沈してしまっているらしい。
これまでのはともかく、妻と夫、その親密な関係に奴隷の自分が割り込むわけにはいかないと考えているのかもしれない。
別にそこまで親密でもないんだが。
「あ、あー、フィリーネ。ま、また今度にしないか? い、今はちょっとな……ほら、わかるだろ?」
「私は、ユエルちゃんと一緒でも構いませんよ」
そこは構えよ。
俺が構うんだよ。
……というか、子供が理不尽な目に合うのは駄目とか言ってなかったかこいつ。
あくまで理不尽な目にあうのが駄目というだけで、合意の上なら良いとか言うつもりなんだろうか。
そういえば、俺がユエルを奴隷にしていることについてはなにも突っ込まれていないし。
「ご、ご主人様、い、いいんですか……?」
ほらユエルが反応しちゃった。
いや、ユエルはどちらにせよ引き留めるつもりだったけど。
悲しんでいるユエルを外に放り出して、聖女と夜伽をするつもりなんてなかったし。
むしろ聖女を外に出して、一晩中でもユエルの頭を撫でて慰めるつもりだった。
でも、どうするんだこの状況。
捨てられた子犬のような表情で俺を見るユエル。
ここで駄目だと言ったら、俺がユエルを突き放すような形になってしまう。
今不安定な状態のユエルに、それだけは、絶対にできない。
俺はただユエルを悲しませたくないだけなのに、なぜここまで苦悩しなければならないのか。
――そうして、俺が苦悩していると。
「せ、聖人様! こちらに聖女様は、聖女様はいらっしゃいませんか!?」
ドタバタと廊下を走る音がしたと思うと、部屋の前でそんな騎士の声が聞こえた。
こんな深夜に珍しい。
どうやら、相当慌てているようだ。
「はい、私は確かにここですが……後にしてはもらえませんか? 今は取り込み中ですので」
聖女が、騎士に断りを入れる。
けれど、それに騎士は即座に返した。
「緊急の用件です!!」
切羽詰まったような、荒い声。
深刻な雰囲気を感じ取ったのか、聖女が扉に近づいていく。
「……なんの用件でしょう」
聖女が、扉を開けた。
聖女の肩越しに、騎士の顔が見えた。
表情は、蒼白。
カタカタと震え、強く動揺しているのがはっきりとわかる。
その騎士の様子だけで、間違いなく悪い報告だということを察した。
――けれど、騎士の報告は、俺の想定を遥かに超えたものだった。
「お、王都がっ、王都が陥落したとの報せがありました! サ、サキュバスにより、邪神が復活させられたそうですっ……!!!」
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