混浴。
混浴でお風呂に入るなんて許さない。
そう騒ぎ始めたフランを近くにいた騎士に強引に引き取らせると、聖女は風呂に向かった。
それから聖女は、近くにいた騎士の視線にも構うことなく俺と一緒に脱衣所に入り、俺が服を脱ぐすぐそばで服を脱ぎ、軽く体を流すと俺やユエルと一緒に浴槽へ入った。
浴槽の中は濁り湯なせいで特に何も見えないが、それまでは見られることぐらい構わないとでも言わんばかり。
実際色々見えていたし、俺が見ても隠そうともしなかった。
……この聖女、エリスやルルカにできないことを平然とやってのける。
おそらくこれも、聖女からすればサキュバス対策の一環かなにかのつもりなんだろうけれど。
「ご主人様、すごく広いお風呂ですね!」
「あ、あぁ、そうだな。凄く広いな」
エリスとルルカはまだ脱衣所にいる。
聖女が入ったから、自分たちも入るべきなのかと迷っているのかもしれない。
ここまでついてきたということは一応一緒に入るつもりなのかもしれないが、やはり一緒にお風呂というのは一線を画した恥ずかしさがあるんだろう。
入ってきそうでなかなか入ってこない。
「……」
聖女の方も、入るまでは強引と言っても良い程だったのに、入ってからは無言だ。
湯に浸かって、ただひたすら瞑目している。
目を瞑っているから、見たければいくらでも見てくれということだろうか。
別にそこまで見るほどの身体でもないけれど。
でも……さすがにこれは気まずい。
ほら、聖女も一応美人だし。
湯に入らないように括りあげられたしっとりと濡れた艶のある黒髪や、そこから見えるうなじが、なんだか懐かしい色気を醸し出している。
何か話でも振るべきか。
聖女の反応しそうな話題といえば、やっぱり聖書あたりだろうか。
……そういえば、聖書を読んでいて一つ、気になったところがあったのを思い出した。
とりあえず、これを話題にしてみよう。
「なぁフィリーネ。そういえば、邪神ってどうして人類を攻撃し始めたんだ? 聖書を読んでも、そのあたりがよくわからなくてさ」
「ふぁ、ふぁいっ!?」
聖女の肩がビクリと跳ねた。
そして、素っ頓狂な声を上げる聖女。
「んんっ、は、はい! な、なにか? なにか、呼びましたか……?」
聖女は今あげた声を取り繕うように、俺に向き直って返事をする。
どうやら聞いていなかったらしい。
それに、相当動揺しているようだ。
自分のあげた声がよほど恥ずかしかったのか、聖女の頬に赤みがさす。
……もしかしたら、一緒に入ったはいいものの、入ってみたら思った以上に緊張したのかもしれない。
まぁ、聖女なんて肩書の人間が男と風呂に入るなんて、そうそうあることじゃないはずだ。
風呂に入ろうって言ったのはこいつだけれど。
「邪神だよ、邪神。聖書を読んでて疑問に思ったんだ。なんで邪神は、ここまで人類を目の敵にして攻撃してたのかってさ」
「あ、あぁ……そういうことでしたか……。じゃ、邪神が人類を攻撃した理由は、正確には、未だにわかっておりません」
俺が声をかけた理由を確認すると、聖女はホッと安心したような息を吐く。
それから、聖女は気恥ずかしさを隠すように、濡れた黒髪を指でいじりながら話を続ける。
「わかってないのか?」
「はい、ですが……一説には、迷宮を破壊したかったからなのでは、と言われております」
「……迷宮を?」
少し意外な答えだった。
邪神と、人類の争い。
理由があるとすれば、邪神というネーミング的に宗教的な理由……例えば「崇める神は世界に一柱だけで良い、他の神を信じる人類など滅ぼしてくれるわ!」みたいな、そんな理由だと思っていたんだけれど。
「はい、シキ様は、そもそも迷宮がどのような存在なのか、ご存じですか?」
「あー……神が与えた試練だとか、巨大な生き物だとか、古代の遺跡の名残だとか、いろいろ言われているのは知っているけど。でも、実際には何もわかってないって聞いたな」
迷宮が何なのかは、結局のところわかっていない。
魔物が死んでも死体の残らない、異質な環境。
ドロップや宝箱のような、誰が作ったのかもわからない魔法のようなシステム。
そして、未だに誰も最奥まで到達できていない、その異常なまでの深さ。
迷宮は、魔法のあるこの世界であっても、かなり常識外れな存在だ。
噂になることはあっても、こういうものだと断言することはできない。
そしてそれは、聖女も同じなはずだ。
「私は、あれは、本当に神の与えた試練なのだと考えています」
けれど、聖女は俺の目を見てそう言い切った。
……神の試練か。
聖女っぽい答えがでてきた。
俺は、あんまりそういうのは信じるタイプじゃないんだが。
どちらかといえば、高度な文明を誇った古代の遺跡、という方が納得できるタイプだ。
「神の試練、ね。……どうしてそう思うんだ?」
「かつての聖人様は、邪神が人類への侵攻を開始する数か月前に、とある迷宮都市に召喚されました。聖人様は、召喚される前はご老人だったそうですが、この世界にやってきた時にはなぜか若々しい青年の姿だったと、そう書物には記されておりました。そして、それはシキ様も同じ。年齢についてはわかりませんが、この迷宮都市に、邪神の使徒サキュバスが復活する数か月前には召喚されていた。……そうですよね?」
「あ、あぁ。それはそうだな。前の世界で死んだと思ったら、この迷宮都市にいた。年齢は今と変わってないと思うけど……でも、そういえば通り魔に刺された怪我も治ってたし、服も血で汚れたりしてなかったな」
聖女の話を聞いて、俺が召喚されたときのことを思い出す。
……俺は通り魔に刺されて、死んだと思ったらこの迷宮都市にいた。
でも、この世界にやってきた時、服が汚れたり、致命傷を負ったりはしていなかった。
聖女の言葉から察するに、おそらく俺を召喚した神的な存在は、召喚した聖人を全盛期の肉体で召喚するのかもしれない。
俺はもともと肉体的には全盛期と言って良い年頃だから、外見はなにも変わらなかったけれど。
「私は、この世界に点在する迷宮は、神による世界への干渉点……時すらも遡らせ、この世界の危機に全盛期の聖人様を送り込むための、神による装置なのではないかと思っているのです」
神による世界への干渉点。
本当に世界を俯瞰する神みたいな存在がいるとして、その神の意志を世界に反映させるためのゲートみたいなものということか。
「魔物に幾層にも守られたあの迷宮の最奥には、きっと何かがあります。私は迷宮という試練を乗り越えることで、神へと接触できるのではないかと考えているのです。……邪神は、人類圏への進行の最中、必ず侵攻ルートにあった迷宮都市をことごとく破壊していきました。迷宮は人類にとって、重要な資源の一つです。それを潰すことで人類に打撃を与えたかったという説もありますが……私は、邪神は神からこの世界との接点を奪おうとしているように、そう感じました」
「神から世界との接点を奪う、ねぇ」
「……まぁ、これまで何百年、何千年と、誰も迷宮の最奥には到達したことはありません。確かめる術もないのですがね」
さすが聖女というだけあってか、聞いたこともない独自の見解をだしてきた。
でも、なんか神がどうとか言っているし、壮大な感じだし、ちょっと俺には理解の難しい方向になってきている。
正直うさんくさい。
ユエルは興味深げにふんふんと聞いているけれど、俺の興味はもう脱衣所のエリスとルルカのシルエットに移りかけていた。
「ありがとう、凄く参考になったよフィリーネ」
「聖人様に、聖書のことに興味を持っていただけるとは思っていませんでしたから……その、とても嬉しいです。わからないことがあれば、いつでも聞いてくださいね」
俺が礼を言うと、聖女はそう言ってニコッと微笑んだ。
……聖女というだけあって、こういう聖書の話は好きなのかもしれない。
適当に聞き流していたのを謝りたくなるような、そんな笑顔だ。
あと聖女が濁り湯に肩までつかっているせいだろうか。
無いはずの胸が、見えないことでまるであるように錯覚させられる。
こうやって真正面から話をすると、ちょっとアレだ。
……なんだか余計に気まずくなった。
「あ、あぁ、また機会があったらな……」
一度、頭から聖女のことは外すことにしよう。
気になることもあるし。
ほら、曇りガラス越しにうっすらと見える脱衣所の向こう側とか。
……しかし、こんな形で再チャンスがやってくるなんて。
聖女も、本当に良いことをしてくれる。
そういえば、エリスとルルカに、俺のそばにいるように言ったのも聖女だったし。
風呂に入るのを邪魔しようとしたフランも、騎士に命令して排除していた。
騎士はフランと聖女どちらに従えばいいのか悩んでいたようだけれど、結局は聖女に従っていた。
人望の差を見せつけられたフランは、ちょっぴり傷ついたような顔をして大人しく自室に連行されていった。
ちょっとフランがかわいそうな気もしたけれど。
「ご主人様、どうしてここのお風呂のお湯は濁っているんでしょうか」
そんなことを思い出していると、ユエルが話しかけてくる。
どうやら、この濁ったお湯が気になったらしい。
「あぁ。温泉は出てなさそうだから……たぶん、入浴剤でも使っているんだろうな」
「入浴剤、ですか」
入浴剤というものに馴染みがないのか、ユエルが首を傾げる。
説明してあげることにしよう。
「……多分、ちょっとぬるぬるしてるからアルカリ系だな。ユエル、入浴剤っていうのはな、風呂に溶かす……」
――そして、説明しようとした瞬間。
脱衣所の方向から、ガラリと、引き戸の開くような音がした。
「っ……!」
反射的に、首が脱衣所の方向を向く。
エリスとルルカだ。
二人が、風呂に入ってきた。
「や、やっぱり、こういうのはちょっと早かったんじゃないかしら……」
「で、でも、聖女様も入っちゃったし、入らないわけにはいかないって」
エリスが、タオルでその巨乳を隠そうと身体をよじっている。
ルルカが、俺の視線を感じ取ったのか恥ずかしそうに下を向く。
この大浴場は広い。
浴槽からだと、湯気が邪魔して入り口のあたりはあまりはっきりとは見えない。
でも、見えなければ見えるまでずっと見ていればいい。
今は、いくら見ても問題ない。
これは、覗きでもなんでもない。
同意の上での混浴だ。
見ても怒られないし、セクハラ呼ばわりもされない。
エリスとルルカは、物陰に隠れるようにしながら軽く身体を流すと、浴槽に入ってきた。
そして、濁り湯なことに安心したのか、そのまま近づいてくる。
二人とも、気恥ずかしいのか無言だ。
でも、僅かに手を伸ばせば、その肌に触れることができるぐらいには、距離が近い。
触れていいんだろうか。
触れちゃっていいんだろうか。
好きって言ってたし。
そんなことを考えていると、濁り湯の中で、そっと手に何かが触れる感触があった。
柔らかく、細い指。
それが俺の手に、おそるおそる、といった感じで触れてきた。
「……」
手のきた方向に視線を向けると、エリスと目が合った。
エリスは俺を見て僅かにほほ笑むと、俺の手を上から優しく撫でるように触れてくる。
それから、エリスは恥ずかしそうに俺から視線をそらす。
――今朝の光景が、脳裏に再生された。
俺のことが好きだといった、エリスのこと。
騎士に冷やかされながらも、自分を選んでほしいと、そう言ったエリスのこと。
そしてエリスは、いまだに俺の手に、濁り湯の下で触れ続けている。
誰にも気づかれることなく、俺の手を優しく、優しく撫で続けている。
……これはもう押し倒すべきなんじゃないか?
押し倒さないと失礼にあたる、そんなシチュエーションな気がする。
というか、エリスと一緒に風呂に入っているだけでもアレなのに、エリスから触れてきているこの状況がもう俺には耐えられない。
理性の壁が、ガラガラと急速に崩れていく。
サキュバスに操られていた時のように、頭がぐつぐつと煮えていく感覚がある。
今、エリスは何も纏っていない。
このまま、俺の手に触れているエリスの手を掴んで浴槽を出れば、そこには生まれたままの姿があるだろう。
そういえば、エリスはサキュバスとの戦いの時「なんでもしてあげる」と言っていた。
今こそ、その約束を果たしてもらうべき時なのではないか。
エリスと一緒に、この濁り湯から出て……!
――濁り湯、という単語で思い出した。
さっきまでユエルがいた場所に、視線を向ける。
すると、さっきと変わらず俺のことを見ている、ユエルがいた。
どうやら、ずっと俺を見ていたらしい。
というか、俺はユエルとの会話を中途半端に打ち切って、ずっとエリス達を眺めてしまっていた気がする。
……エリス達をガン見していたこと、バレてないだろうか。
ちょっと不安だ。
「ご主人様、その……お膝の上に座らせてもらってもいいですか?」
ユエルの表情を探っていると、ユエルが不意にそんなことを言い出す。
……もしかしたら、ユエルは俺がエリスやルルカを見ていたから、少し寂しくなってしまったのかもしれない。
ハーレムはいいけれど、自分との話を打ち切られて、しかも全く見てもらえないというのは、それで悲しいのだろう。
膝の上に座るぐらいなら、問題ない。
以前、膝の上にのせて、頭を洗ってあげたこともある。
――でも、今は駄目だ。
絶対に駄目だ。
今、俺はエリスやルルカ、聖女とお風呂に入っている。
聖女は少し距離を置いているし、濁り湯だから肝心な部分は何も見えない。
でも、エリスは濁り湯の中でこっそりと俺の手に手を添えているし、ルルカの方も俺の肩に肩を触れさせるほど、近い距離にいる。
そんな状況に、健康な青年が放り込まれたらどうなるか。
言うまでもない。
濁り湯だから、誰にもバレてはいない。
ユエルにだってバレてはいない。
でも、座ったら間違いなく、感触でわかってしまう。
ユエルも、前をタオルで隠しているだけだ。
というか、前にタオルを持っているだけで隠そうとはしていない。
パンツをはいているわけではないし、ズボンもはいていない。
非常に、防御力の低い恰好をしている。
そんな状況でユエルが、今の俺の膝の上に腰を下ろそうとすればどうなるか。
イメージすると、ますます座らせるわけにはいかなくなった。
「ご主人様、失礼します」
ユエルは、無言でいる俺の反応を肯定ととったのか、ゆっくりと俺の上に腰を下ろそうとしてくる。
だめだ。
そのコースはまずい。
事故が起きてしまう。
「ユ、ユエル!」
名前を呼ぶと、ユエルの動きが一瞬止まった。
でも、続けてなんていえばいいのかわからない。
「そ、そのな……」
……これまで、ユエルの「膝の上に座らせてほしい」ぐらいのお願いは、全部聞いてきた。
ユエルのささやかなお願いは断ったりなんてせず、座らせた後に頭を撫でくり回したりしていた。
ユエルは俺が「座らせてくれる」と思っているはずだ。
だから、それを止めるには、何か妥当な理由が必要になる。
そうでないと、ユエルは俺がユエルを嫌いになったと勘違いして、傷つくだろう。
なんて、なんて言えばいい……?
「……?」
俺が続けて言う言葉を悩んでいると、ユエルは首を傾げて座るために腰を下ろし始める。
これまで、俺はユエルのお願いを断っていない。
無言は許可、そう判断したのかもしれない。
ユエルの小ぶりなお尻が、濁り湯に僅かに浸かる。
いけない。
もう時間がない。
あと数十センチもない。
ユエルの身体が、このまま物理法則に従って正しい軌道を描けば、その真下にあるのは間違いなく……!
でも、ユエルを止める体の良い理由が思い浮かばない。
後手に回りすぎたせいで、もうユエルの身体を無理矢理掴んで止めることも間に合わないかもしれない。
駄目だ、体面を重視しすぎた。
ユエルが、湯船の中に身体を沈める光景がスローモーションで再生される。
ユエルの身体が湯船深くに沈み切ったとき、俺は終わる。
人間として、大人として、終わってしまう。
――多少疑問に思われても、腕力で止めるしかない。
間に合わないかもしれないが、なんとか間に合わせてみせる。
急いで両手をユエルの腰を支えるために動かす。
――けれど、俺の手の上にあったエリスの手が、それをわずかに阻んだ。
このエリスの手を振りほどいていいのかという、ほんの一瞬の迷い。
けれど、致命的な遅れ。
それが、生死を分けた。
手が、間に合わないっ……!
ユエルの身体が、濁り湯の中へと沈んでいく……!
もう、駄目だ。
……さっきまで神なんてうさんくさい、信じていないと思っていたが、こんな時、人はどうしたって神に祈ってしまう。
誰か、誰か助けてくれ。
ほんの僅かな時間のなかで、俺は真摯に神に祈った。
――そして、祈りは通じた。
「サキュバスだー! サキュバスがきたぞー!」
屋敷に響く、野太い騎士の大音声。
ユエルの身体が、俺の身体と僅かな距離を保ったまま、ピタリと止まる。
俺は、心の底から邪神に感謝した!
次の更新は三日後ぐらいです。




