暴発。
「ユエル、すごいじゃない!」
「はー、ユエルちゃんすごいねー」
「この年齢で攻撃魔法を……本当に凄いわね」
領主の屋敷に戻って数時間後。
ユエルが、フラン、ルルカ、エリスの称賛の声を浴びながら照れていた。
そのユエルの左手の上には、煌々と燃え盛る火球が浮いている。
フランによる、魔法のレッスンの結果だ。
「一時は才媛ともてはやされたフランでも、ファイヤーボールが使えるようになったのは魔法を学び始めて二年が経った後でした。まさか、ほんの数回の魔法のレッスンで使えるようになるなんて……」
フランの後ろにいたセラが、攻撃魔法を発動させたユエルを見て、感嘆の声を上げる。
……一時は才媛ともてはやされたって、今はもてはやされてないのだろうか。
そこそこ美人で、魔法の腕も優秀、そして領主の娘。
確かに才媛って感じはする。
……おそらく、もてはやされなくなったのは性格が原因だろう。
俺もそのうち性人とか言われて、もてはやされなくなりそうで怖い。
「よくやったなユエル」
「はい!」
褒められて、嬉しそうにはにかむユエル。
ちなみに俺はまだ魔法が使えていない。
フランのレッスンは数時間に及んだが、攻撃魔法が使えたのはユエルだけだ。
ユエルはおそらく、毎日俺と一緒に寝ていたことで、魔力量が攻撃魔法を使える最低ラインを超えたんだろう。
こんなにも早く使えるようになったのは、魔力操作のセンス、才能による部分が大きい気がするけれど。
治癒魔法も使えそうな雰囲気あったし。
「ユエルは天才ね。今すぐに私の護衛として雇ってもいいわ」
「いやー、ほんと凄いねー。私なんてフランからたまに教えてもらってるのに、まだ全然使えてないよ」
「ユエルちゃんは将来、大魔法使いになるかもしれないわね……」
「そ、そんなことは……」
褒められ続けて恥ずかしいのか、ユエルが前髪を引っ張って顔を隠し始める。
あまり褒められなれてないんだろう。
かわいい。
「凄いぞユエル。さすがは俺の勇者だ」
もちろんここは、頭を撫でて、もっと褒めておく。
――しかし、ここはご主人様としての威厳を見せなければならない気がする。
ユエルに攻撃魔法が使えるのに、俺に攻撃魔法が使えないなんていうのは格好悪い。
鑑定のことはバレてしまったし、少しでもご主人様としての箔をつけなければいけない。
……でも、どう魔力を込めるんだろうか。
杖に魔力を込めようとしても、攻撃魔法のイメージがうまくいっていないのか、全然魔力が流れていく気配がない。
治癒魔法なら簡単に発動させられるのに。
……やっぱり詠唱とかいうやつをしっかり覚えないといけないんだろうか?
……それとも、攻撃魔法をもっと正確にイメージすればいいんだろうか?
ほら、こう、もやもやとした有機物を空気中に持ってきて、酸素と結合させて燃焼させる、それを魔力でどんどん加速させていくようなイメージで……。
――瞬間。
何かのタガが外れたような感覚があった。
「うおっ、おおおぉ!?」
例えるなら、土石流。
ワイングラスを傾けるつもりが、巨大な貯水槽でも横倒しにしてしまったかのような、怒涛の勢い。
魔力がとてつもない勢いで、際限なく杖へと流れていくのを感じた。
「こ、これはっ……!」
……これは、やばい!
危険を感じて魔力の流れを止めようとしたが、自分の意志で魔力を止めることができない。
……この魔力量で、魔法が完成したらどうなるんだ?
これは、いつもの治癒魔法じゃない。
どれぐらいの規模になるのか、どれぐらいの威力になるのか、全く想像もつかない。
ファイヤーボール、高温の火炎を発生させる、攻撃魔法だ。
――暴発。
その言葉が、脳裏をよぎる。
「っ……いけません!!」
不意に、横からの手が、俺の持つ杖を叩き落とした。
杖は地面に落ち、魔力は現象とならずに霧散する。
「シ、シキ様、今のはっ……! まさか、攻撃魔法ですか……?」
聖女だ。
いつの間にいたんだろうか。
いや、ちょうどいま、ここを通りすがっただけなのかもしれない。
酷く焦った様子で、息を荒げながら俺を見ている。
「た、助かったフィリーネ! い、今のは危なかった!」
杖に流れていた魔力の流れが、杖を落としたことで完全に止まった。
全身に高まっていた魔力が、身体に溶け込むようにして、ゆるやかに戻っていく。
どうやら、収まったようだ。
……本当に助かった。
今のは、間違いなく「やばい」やつだった。
「わ、私はただ、魔法の練習をと……思って……」
フランも異様な気配を感じていたのか、怯えた顔で俺と聖女を見ている。
横断歩道を渡ろうとしたら、目の前ギリギリを十トントラックが猛スピードで走り抜けていったような、そんな表情だ。
おそらく、今の俺の魔力の流れの異常さ、不穏さを感じとったんだろう。
ユエルも僅かに腰を浮かせていた。
ルルカやエリス、セラは、そんなフランを見てきょとんとしている。
どうやら、今の危機に気づいたのは俺とフラン、ユエルと聖女だけらしい。
「申し訳ありませんシキ様。もっと早くに言うべきでした」
聖女は周囲を軽く見渡すと、一つ息を吐く。
そして、状況を把握したのか、冷静に言葉を紡ぎ始める。
「シキ様の魔力は、そう簡単に扱いきれるものではありません。……かつての聖人様は、攻撃魔法の暴発で自分ごと山を一つ消し飛ばし、そしてその時に自らの魔法 に巻き込まれ最期を迎えた、と教会の文書にはありました。これは、高位の神官以外には秘匿されているものですが……」
山一つ。
その表現は、おそらく誇張でもなんでもない。
杖の力もあったが、俺の魔力はそれだけのことが起きてもおかしくない程に増幅されていた。
杖を手放していなかったら、この都市は消滅していたかもしれない。
「っ……!」
今のがどういう状況だったのかを気づいたらしく、ルルカとエリス、セラが絶句する。
「シキ様。聖人様に扱えるのは、その方の得意分野の魔法だけだと考えるべきだと思います。かつての聖人様は、召喚される前は妖魔の封印に携わる職につき、こちらでも封印の魔法しか使えなかったとありました」
かつての聖人というのは、陰陽師かなにかだったのだろうか。
……さっき感じた、濁流のような魔力の流れ。
治癒魔法を暴発させた時にも魔力を流しすぎたことはあったが、さっきのはそれと比べても桁外れだった。
魔力の流れを水道に例えるとすると、治癒魔法の暴発は蛇口を全力で捻ってしまったような感覚。
さっきのは普段使っていない錆び付いた水道を使おうとしたら、根本の水道管が破裂したような感覚だ。
俺が扱えるのは俺の得意分野、治癒魔法だけというのは、今のでよくわかった。
「シキ様も、おそらく以前から治癒に関する能力には長けていたのでしょう。……適性の無い攻撃魔法は、絶対に使ってはいけません」
「あ、あぁ。肝に銘じておく」
魔法を教えようとしてくれたフランには悪いが、俺ももう攻撃魔法は使おうとは思えない。
流石に、危険すぎる。
あれは、今の俺ではどうやってもコントロールできない。
そんな確信がある。
「その、前の聖人様が魔法の暴発で亡くなったというのは……確かなの?」
エリスが、聖女に尋ねる。
教会で修行していたこともあるエリスにとっては、衝撃の事実だったのかもしれない。
「……はい。王都の近くに、一際効能の高い霊地があるのをご存じでしょうか。そこが、かつて聖人様が魔法の暴発で亡くなった地だと言われています。土に還った聖人様の血肉が、周囲から魔力を集めているんだとか。聖人様が亡くなられて間もない頃は、今と比べて数十倍もの効果があったとも言われていて……」
そして、そうエリスに説明しながら、聖女がぐらりと身体を傾ける。
とっさに、聖女の身体を手で支えた。
「おっと……大丈夫か? ふらついてるぞ」
「あ、ありがとうございます」
そういえば、さっきは魔力の暴走のことで焦っていて気づかなかったが、顔色もかなり酷い。
蒼白、そう表現するのが妥当だろう。
「せ、聖女様! やはり、一度お休みになってください! 早急にサキュバスの討伐をしなければならないのは確かですが、聖女様が倒れてはなんの意味もありません! 司教の言うことなど、気にする必要はないのです!」
いつの間にか聖女の近くにやってきていたアステルが、強い口調で言った。
さっきまで、気配を消していたのかもしれない。
今は、非常に心配そうな顔で、聖女の顔を真摯に見つめている。
……そういえば、サキュバスが復活してからというもの、聖女は常に動き回っている印象がある。
邪神関係の知識が薄い領主に代わって、騎士に指示を出したり、まとめたりもしているし。
サキュバスは最早俺と聖女には手を出せないだろうし、もう少し肩の力を抜いてもいいとは思うんだけれど。
今アステルの言った、司教というのが関係あるんだろうか。
「司教の言うことって、どういう意味だ?」
「…… あぁ、ええ。サキュバスとの戦いに備えて王都から呼んだ援軍が、先ほどこの街に到着したらしく、その援軍に王都の司教も一緒についてきていたそうなのです。それで、サキュバスを目の前で復活させてしまったことや、逃走を何度も許してしまっていることの追求を受けまして」
王都からの援軍か。
そういえば呼んでたな。
結局、サキュバス戦には間に合わなかったんだけど。
「あんなものは不当です! 聖女様しか、大司教の思惑を看破し打ち破ろうとする人はいなかったのですから! 何もしようとしてこなかった司教に、聖女様を批判 する権利なんてあるはずがありません! あの司教は、ただ聖女様の大司教位を奪うために、聖女様を攻撃する材料を探しているだけです!」
アステルがぷんすか怒っている。
……なんとなくわかった。
聖女は王都出身だ。
今アステルが言ったことから察するに、聖女は王都のあたりを管轄する大司教という立場なんだろう。
そして、その地位を狙う王都の司教が、サキュバスの復活を阻止できなかったことをだしにして、聖女にいちゃもんをつけていると、そういうことか。
教会内部の権力争いってやつだ。
「あー、なんだか大変そうだな。でもまぁ、少しぐらい休んだ方が良いんじゃないか? ほら、アステルの言う通り倒れたら元も子もないだろ?」
「いえ、サキュバスを捕まえるまでは、やらなければならない仕事が山ほどあります。事実、私は目の前でサキュバスを復活させ、二度もの逃走を許しています。責任をとるはずだったダルノーはもういませんし、この件の責任を擦り付けられる人物がいるとすれば、間違いなく私でしょう。……このままサキュバスを捕まえられなければ、次の司教会議で地位を失うという可能性も、ありえない話ではありません」
……そういえば、アステルが言っていたな。
腐った神官を何人も粛正してきた聖女には、敵が多いと。
おそらく、その次の司教会議とかいうのをやる前にサキュバスを捕まえられなければ、聖女の立場は本当に危ういのだろう。
「……それに、あの司教は信用ができません。まだ確たる証拠はありませんが、奴隷商人との癒着の可能性が部下から報告されています。万一にも、あの司教が大司教になるようなことがあってはいけませんから」
しかも、聖女が言うには、王都からやってきた司教は腐っている側の神官の可能性が高いらしい。
そんな人物に上の立場につかれては、聖女は自分の身すら守れなくなる。
「今、教会には腐敗が蔓延しています。多くの孤児院や養護施設がそれによって経営難に陥り、なんの責任もない幼い子供が、意に反して奴隷として売られています。……これは、あってはならないことです。そして、この現状を正すことは、聖人の末裔として、教会で力を振るえる私にしかできません。ですから、まだ私は、大司教の地位を失うわけにはいかないのです」
そして、聖女はそう疲労の滲む表情で、そう言った。
……なんだか、この聖女という人間が、だんだんわかってきたような気がする。
腐敗を正し、弱者を救いたい。
おそらく、聖女は本心でそれをやっている。
よくよく考えれば、聖女の行動は実際にそんな感じだった。
祭りの時は無償で治療を行っていたし、治療にあぶれた孤児には私物の指輪をあげていた。
サクラを使ったりして信仰心を集めていたのも、治癒魔法の実力を底上げして、ただ純粋に多くの人を治療できるようにするためだったのかもしれない。
そして、過去にやっていたという神官の粛正。
聖女自身にはおそらくあまりメリットはないだろうに、教会内部に敵を作ったとしても粛正を続けていたのは、ひとえにそれも弱者救済のため。
弱者――そう、例えば、ユエルのような。
俺が初めて見た時のユエルは、それはもう酷い状態だった。
孤児から奴隷となり、ろくな治療も受けられずに死を待つだけ。
教会の腐敗を正せなければ、ああいう例はおそらくこれからも増えていく。
……なんか、本当に大変そうだな。
ユエルも、心配そうに聖女と俺に視線を往復させている。
仕方がない。
ユエルの前で困っていそうな人間に手を差し伸べないわけにはいかないか。
「聖人の末裔だからって、なんでもかんでも一人で背負い込む必要はない。ここに本物の聖人がいる」
多少は手伝ってやろう。
ここで聖女に倒れられたら、俺にもいろいろと不都合なことがありそうだし。
「俺に、何かできることはあるか?」
一応言うだけ言ってみる。
騎士の指揮をとったり、各都市と連携をとったりみたいなことはできそうにもないが、何かできることもあるだろう。
……ま、魔道具の鑑定とか?
すると、聖女はそんなことを言われるとは思わなかったのか、驚いた顔で俺を見る。
それから、聖女は一瞬覚悟を決めたような表情をすると、俺に向き直り微笑んだ。
「はい! もちろんですシキ様! 是非、私と一緒にお風呂に入り、疲れを癒しましょう!」
「「お、お風呂ぉっ!?」」
俺が聞き返すよりも早く、エリスとルルカの驚愕の声が、屋敷に響いた。
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