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異世界の迷宮都市で治癒魔法使いやってます  作者: 幼馴じみ


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68/89

エリスとルルカ。

 ルルカが俺に手を振っている。

 ……いや、それはいい。

 でも、そこに決定的な違和感がひとつある。


 ルルカが「エリスと一緒に二人並んで」こっちに歩いてきている。


 ルルカとエリスが、自発的に一緒にいる光景。

 これはなかなか珍しい。

 治療院でさんざんエリスの目を盗んで値引きしていた件で、ルルカはエリスに引け目のようなものがあるし、エリスはルルカをあまりよく思っていないはずだ。


 どうして一緒にいるんだろうか。


「そのね、聖女様が……シキがこんな早朝から、すっごくわかりやすいハニートラップにひっかかりそうになったから、仕方ないから一緒についていてあげてって言ってきてね。ちょっと目を離したら何をするかわからないから、ずっと見ててって」


 なるほど。


「それは私に言われたんであって、あなたには言われていないと思うんだけど」


「わ、わたしのこともチラッと見たもん!」


 ……だいたいわかった。

 おそらく、聖女が当面のサキュバス対策として、エリスを俺のそばにいさせようとしたのだろう。

 そして、そのとき、偶然エリスの近くにルルカもいた。

 ルルカはエリスが俺のそばに居続けることに危機感を持ち、ここまでついてきたと。

 そういうことか。


「そ、それに……」


 ルルカが、近づいてきて耳打ちしてくる。


「私とはもう、キスも……したもんね」


 そして、顔を赤くするとすぐに離れた。

 ミスコンの時の、頬にされたアレのことか。

 ルルカは俺を見て一瞬恥ずかしがるも、表情にわずかな優越感を滲ませながらエリスの方をチラチラと見ている。

 まるで所有権でも主張するかのように、いつの間にか俺の腕をおっぱいで挟んでまでいる。

 やわらかい。


 ……そういえば、俺がサキュバスに誘惑されていたとき、ルルカはいなかったな。

 ルルカが王都から戻って来たのは、俺が正気に戻った後だった。

 つまりルルカは、あの時エリスと俺が何をしていたのか、何も知らないということだ。


 けれどルルカは、優越感の滲む視線をエリスに送り続ける。

 ……ルルカの視線の先のエリスが、露骨にイラッとした表情をしたのが見えた。


「ね、ね、シキ。ドラちゃん見に行こうよ。中庭にいるからさ。一緒にエサあげよ? ゴブリンをバリバリ食べるドラちゃん、すっごくかわいいんだよ?」


「お、おい、ルルカちょっと待……」


 ルルカがそのまま胸で挟まれたままの腕を引っ張って、どこかに連れて行こうとしてくる。

 おぞましい光景を見せられるような気がしてちょっとそこにはいきたくないが、腕をこうやって谷間に挟まれては体が勝手に動いてしまう。

 これは行かざるをえない。


 ――けれど、その足が強制的に止められた。

 俺の足を、強制的に止めるほどの衝撃が、そこにあった。


「なるほどね……こういう風に、誘われてるシキを止めればいいのね?」


「っ!?」


 ルルカが挟んでいるのと反対側の腕。

 そこを、エリスがその圧倒的存在感のある巨乳で挟んでいた。

 エリスは、まるで俺を引き寄せるように、腕をその胸に深く挟み込む。


 だめだ。

 これは動けない。

 この場から一歩も動ける気がしない。


「……私、ハニートラップじゃないんだけど。ただ、シキとドラちゃんを見に行きたいだけなんだけど」


「そう。……でも私は、聖女様からシキと一緒にいるように言われてるから」


 エリスがルルカを睨み、ルルカはエリスを睨んでいる。

 というかなんだろうこの状況。

 凄く険悪な雰囲気だ。

 なにかしないといけない気がするが、両腕に感じる豊かな感触が、思考を激しく妨害する。

 両手に花。

 両腕に巨乳。

 とっても柔らかい。

 もう何もしなくて良い気がしてきた。


「私は、シキと『二人で』、ドラちゃんのところに行きたいんだけど」


「悪いけど、聖女様との約束を反故にするわけにはいかないわ。それに……少し、シキと話したいことがあるの」


「話なら今すればいいんじゃないの?」


「私も、シキと二人だけで、話したいの」


「そ、それってっ……ぜ、絶対だめ! それは絶対だめだから!」


 エリスとルルカが、何やら言いあっている。

 エリスもルルカも、互いに真顔で見つめあってて地味に怖い。

 いや、もともとこの二人は仲が良いわけじゃないけれど。

 ちゃんと話しているところとか、見たことないし。


 ……それにしても、いつもはエリスを見るとルルカはすぐに逃げていたのに、今日は頑なに退こうとしない。

 徹底抗戦の構え、そんな雰囲気がある。

 というかエリスの話ってなんだろう。


 やはり何か間に入るなりして、この険悪な雰囲気を打破するべきだろうか。

 でも、ここまで二人とも頑なだと、エリスを優先しても、ルルカを優先しても、どちらかとの関係にひびが入るのは間違いない。

 ここは適当に誤魔化して、三人でユエルの成長を眺めるという第三の選択肢を提示するべきな気がしてきた。


 そう考えていると、不意にユエルと目が合った。

 どうやらユエルはずっと、俺とルルカとエリスの三人を見ていたらしい。

 ユエルは「どうして喧嘩をしているんだろう?」というような不思議そうな顔をしている。

 喧嘩の理由は、ルルカが俺とエリスが近くにいることに危機感を持っている、というだけなんだけれど……。


 ――大変なことを思い出した。


「エリスさん、ルルカさん、大丈夫ですよ? 喧嘩なんてしなくていいんです。ご主人様は、ハーレ」「よ、よーし、朝食がまだだった!! エリス、ルルカ、一緒に朝食でも食べに行こう!! な、そうしよう!!」


 即座に状況を判断し、ユエルの声に被せるように大きな声で主張した。

 危なかった。

 第三の選択肢が一番危険だった。

 あと少しで、エリスとルルカに俺がハーレムを作ろうとしていることを、暴露されるところだった。

 ユエルはともかく、エリスやルルカがそう簡単に一夫多妻を受け入れるはずがない。

 現状エリスとルルカで敵対しているのが、危うく俺とエリス&ルルカで敵対することになるところだった。


「ほ、ほら、腹減っただろ? 行こう、すぐ行こう! 勉強してるユエルとアステルの邪魔をしても悪いしな!!」


 両腕におっぱいのこの状況は惜しいが、ここは即行動しなければ俺の評価が地に落ちる。

 俺はルルカとエリスから離れると、一目散に屋敷の中に撤退した。












 ユエルから逃げたはいいものの、エリスとルルカの対立の原因は解消されていない。

 もともと、治療費の関係で敵対していたと言ってもいい二人だ。

 ……まず一触即発、険悪な雰囲気の朝食の時間になる。

 そう覚悟して屋敷の食堂に向かったが……幸運なことに、俺の想像通りになることはなかった。


「っ……」


 食堂の一席。

 俺の対面に座るエリスは、顔を隠すように真下を向きながら、顔を赤らめ、ずっと何かに耐えるような表情をしている。

 無言で、恥ずかしそうにプルプルと震えている。

 食堂に来てから、エリスはずっとこんな調子だ。

 なぜエリスがこんな状況になっているのかと言えば、それは食堂にいた大勢の騎士が原因だった。


 現在、この屋敷は厳戒態勢。

 屋敷の中だけでも、数十人は下らない騎士が詰めている。

 あのサキュバス襲撃時の、エリスとサキュバスによる誘惑戦は、複数の騎士が目撃していた。

 ……そして、どうやら食堂にいた騎士の中に、その目撃者がいたらしかった。


「あれがサキュバスに誘惑された聖人様を、身体一つで取り返したっていう」


「サキュバスに対抗するために、聖人様とずっと一緒にいることになったらしいぞ」


「あのまな板サキュバスより、断然サキュバスっぽいな……」


 ――エリスのことは、あっという間に噂になった。


「サ、サキュバスっぽいっ……!?」


 下を向き俯きつつ、もそもそと食事をしていたエリスの手から、フォークが落ちる。

 どうやら、今のはエリス的に聞き過ごせない一言だったらしい。

 エリスはさらに俯いて、露出の少ない修道服に包まれた身体を縮こまるようにして隠し始めた。

 耳まで真っ赤に染まっている。


 羞恥で頭が一杯なのが、一目でわかる。

 もう、ルルカに構っている余裕もなさそうだ。

 ルルカの方も、騎士達の噂話が気になるのか、エリスそっちのけで聞き耳を立てているし。

 今、この食堂でのエリスの注目度は、聖人である俺よりも高い。


 ……最初は違った。

 最初は騎士も、


「あれがサキュバス戦で極大エリアヒールを連発した聖人様か……!」


「クランクハイトタートルの時のエリアヒールも、あの聖人様だったらしいぜ」


 こんな感じで、サキュバスとの戦いで、人間離れした規模の治癒魔法を使った俺の噂をしていた。

 俺の治癒魔法の凄さを語ったり、聖人という肩書について語ったり、そんな感じで注目していたのは俺だった。

 でも、騎士もずっと同じ話はしていない。


「クランクハイトタートルといえば、あの時、フラン様を命がけで守ったって話じゃなかったか? ほら、領主様から褒章たくさん貰ってるところ、お前も見ただろ?」


「そういえば、アーマーオーガの変異種を一人で殴り殺したって聞いたな」


 だんだんと、こんな感じのちょっと誤解の混じった話につながり、


「そこまで強そうには見えないが、人は見かけによらないな……連絡事項で、極度の女好きってことだけは聞いたが」


「サキュバスに操られそうになってたのは、俺も見た」


 こうなって、


「そういえば、ほら、聖人様の隣の……あの金髪の方……聖人様を誘惑しあって、サキュバスに勝ったんだよな」


「男を誘ってサキュバスに勝った!?」


 こうなった。

 おそらく、教養として聖書を読んだことのある騎士も多かったのだろう。

 「男を誘ってサキュバスに勝った」、その一人の騎士の発言は、とても信じがたい発言だったらしい。

 それからというもの、騎士達は朝食をとりながらずっと、サキュバスとエリスについての話を繰り広げている。


 ……別に騎士達も、エリスに下卑た視線を向けたり、下ネタトークをしているわけじゃない。

 どうでもいい世間話をしているというよりは護衛対象の詳細を確認し合っているという雰囲気で、会話を止めるわけにもいかない。


 まぁ、実害があるわけでもないから、構わないと言えば構わないんだけれど。

 どちらかといえば、騎士同士の情報の共有はできていた方が、俺達の身の安全にも繋がるし。

 あと、ただでさえ俺が騎士の一人を減給させたとか、変な噂が流れてもいる。


 騎士の会話は無視して食事を続けようと、料理にフォークを伸ばす。


「そういえば、あの二人は聖人様とどういう関係なんだ?」


「あぁ、俺、あの赤毛の冒険者が聖人様に告白しているところを見たことあるぞ」


「つまり、聖人様の恋人という認識で扱えばいいのか? それなら、護衛の優先度は結構高いな」


 不意に、近くの席に座る数人の騎士の会話が、変な方向に飛んだのが聞こえた。


「ね、ねぇシキ……こ、恋人だって!」


 隣に座るルルカが、嬉しそうに身体をくねらせる。

 どうやら、ルルカも聞こえたらしい。

 顔を僅かに赤くして、俺の脇腹をつんつんしてくる。


「いやいや、あの金髪の方もサキュバスの時に聖人様に密着して抱きしめながらキスまでしてただろ? あっちが本命の恋人じゃないのか?」


「舌も入ってそうな勢いだったよな、あれ」


 ――今度は、ルルカの持つフォークが落ちた。


 ……やばい。

 とっさに、ルルカから視線を逸らす。

 これは問い詰められたらアレな案件だ。


「み、密着して……だ、抱きしめられながらキス!? し、舌!? 舌ってなに!?」


 けれど、些細な抵抗もむなしく、ルルカは大きな声で問い詰めてくる。


「ね、ねぇシキ、どういうことなの? エ、エリスさんとキスしたの!? し、舌が入ったの!?」


「い、いや、ルルカ、それは……」


 舌が入っていたかどうかは覚えていない。

 サキュバスに操られていろいろとアレだったし。

 エリスと目が合って、エリスがいろいろと耐えきれないという顔で顔を伏せた。

 左右の腕を内側に寄せ、さらに背中を小さくして縮こまり、その豊満な胸がむぎゅっとなって危険なことになっている。


「あー、これは、どっちかが浮気相手か」


 騎士が、ボソッとつぶやいたのが聞こえた。

 駄目だ。

 その単語は地雷だ。


「う、浮気相手ぇ!?」


 ルルカが、トラウマを刺激されたかのように大きく震えた。

 目を大きく見開き、ぱくぱくと口を開閉させている。


 騎士達はといえば、「あーあー聖人様修羅場になっちゃったよ」って感じの、俺たちは関係ないと言わんばかりの顔をしている。

 こいつら。

 ……やはり、途中で止めるべきだったようだ。

 騎士達は後で領主に頼んで減給させよう。


 でも、今更悔やんでも時は戻らない。


「聖人様もなかなかやるなぁ。どっちが本命なんだろうな?」


 騎士がぼやいた、「どっちが本命」という言葉。

 その言葉を引き金に、ルルカとエリスが同時に俺を見た。


 やばい。

 俺のハーレム計画に、決定的な亀裂が入ろうとしている。

 場の空気が、どちらかを本命として選べと、はっきりどっちが好きなか明言しろと、そう言っている。


 でも、俺には、どちらかを選ぶことなんてできない。

 俺の性格上、選ばなかった方から後で迫られれば、間違いなく誘惑されて先に選んだ方との関係が破綻する。

 サキュバスにコロッと誘惑されて再確認した。

 やはり俺にはハーレムという選択肢しかないのだ。


 そして、俺がどう答えようか悩んでいると、


「……シキ……私、あなたに話があるの」


 先に、エリスが口を開いた。

 悩みに悩んだ、そんな雰囲気の、真剣な表情だ。


「……本当は、二人きりの時に話したかったんだけど。今話さないで、後悔はしたくないから」


 ……そういえば、話があるって言っていたっけ。

 何の話だろう。

 まぁ、話題を逸らせるならこのさい何でも構わない。

 どんな話でも聞かせてくれ。


「な、なんだ? どうした?」


「私、あなたのそういう女の子にだらしないところが、本当に、本当に大嫌い」


 ――もう聞きたくない。


「……治療院で勝手に値引きはするし、ちょっと目を離すと女の子のおっぱいを触ってるし、私のことも毎日そういう目で見てくるし」


 ……間違いない。

 これはお説教だ。

 昔を思い出すような、そんな遠い目をしているエリス。

 エリスは、今の俺の修羅場を見て、過去の俺とエリスの間にあったトラブルを思い出してしまったのかもしれない。


「特にあの頃のことは、正直なところね、今思い出しても結構イライラするわ」


 エリスが、小さくため息を吐いた。

 あの頃、というのはおそらく、俺が治療院を追い出される直前あたりの頃のことだろう。

 ……というか、これはやばいのではないだろうか?

 この会話の流れで、エリスから説教をされるということは……。


「おい、これ、聖人様ふられてないか?」


「普段から浮気してたのか。それは愛想尽かされても仕方ないよなぁ」


 騎士の会話が、耳に入ってくる。

 ……やはり、そういうことなのだろうか。

 俺は振られてしまったということなのだろうか。


 ――い、いや、まだ断言されたわけじゃない。

 エリスを諦めるなんて選択肢は、俺にはない。

 まだ、抗えるはずだ。


「や、やめよう! この話は、また今度にしよう! ほ、ほら、二人だけの時にしたい話だったんだろ?」


 エリスの話を、ここから先に進めてはいけない。

 絶対に、断言させてはいけない。

 またいつか、エリスが俺を見直す、挽回の機会があるかもしれない。

 それまで、なんとか時間を稼ぐ。

 それしかない。


「やめないわ」


 けれどエリスは、断固たる決意をもった表情で言い切った。

 こういう表情をしたエリスを、俺は前に一度見たことがある。

 俺が、治療院から追い出された時だ。

 ……こういう目をしたエリスは、絶対に気持ちを曲げない。


「ま、待ってくれエリス! 冷静に、冷静に話し合えばきっとわかりあえ」


「……でもね、今は、違うの」


「るはずだからっ……! って……え……?」


 今なんて言った?

 今は、違う?

 それは、つまり……。


「私、あなたのことが好き。今でも、あなたの女性にだらしないところは好きじゃないわ。でも、それがあったとしても、あなたのことが好きなの」


 一瞬真っ白になった頭に、エリスの言葉が反響する。

 その言葉の意味を理解すると同時に、心臓がドクンと、大きく跳ねたような気がした。


 改めてエリスの顔を見ると、エリスは頬をうっすらと赤く染めながらも、強い瞳で俺を見ている。

 その目を見て、また心臓が跳ねた。

 顔が、だんだんと赤くなっていくのがわかる。


 ピュイッと、近くにいた騎士の一人が口笛を吹いた音が聞こえた。


「そ、それって……?」


「一度、あなたを治療院から追い出しておいてこんなことを言っても、信じてはもらえないかもしれないけど……」


 エリスは俺と目が合うと、ぶるっと身体を震わせて、赤い顔を隠すように俯いた。

 そしてそのまま絞り出すような声を出す。


「治療院を買い戻してもらった時、あなたに凄く感謝した。あなたが騎士と森の奥深くに行くって聞いた時、凄く心配になった。ほかの女の子があなたに告白していて、凄く嫉妬した。他にも、街にエリアヒールをかけた時、孤児院のファラちゃんにエクスヒールをかけてくれた時、あなたは自分の実力がバレてしまうことよりも、誰かを救うことを選んでいた。凄く、あなたのことが愛おしくなった」


 エリスが言葉を続けるたびに、周囲の騎士が「いいぞー!」と野次を飛ばす。

 その野次に再度赤面しながらも、エリスは言葉つむぐことをやめない。


「それに、あなたが教会で私を助けてくれた時……あなたはあんなにボロボロになって、何度も何度も立ち上がってくれた。一人で逃げることもできたはずなのに。あなたは逃げようとする素振りさえ見せなかった。最後まで、私を守り切ってくれた」


 エリスは、そこまで言うと顔を上げる。


「だから、私はあなたが好き。あなたと結婚したい。他の誰でもなく、私を選んでほしいの」


 そして、俺の目を見て、そういった。

 エリスだけでなく、周りの騎士達も、俺の方を見ている。


「エ、エリス……お、俺は……」


 受けたい。

 「今すぐ、結婚しよう」そんな言葉が、喉まで出かかった。

 エリスと結婚し、幸せな家庭を築く。

 そんな光景が、俺の脳裏にはっきりと再生される。


 ――でも、駄目だ。


 ここで受ければ、必ず後日エリスの悲しむ顔を見ることになる。

 俺の浮気という、最悪の形で。

 それに、ユエルにはすでにハーレムだから安心しろと言ってしまっている。

 ユエルも泣くことになる。


「だ、駄目だよっ……駄目だよそんなの!」


 横から、絶叫が聞こえた。

 唇を引き結び、プルプルと震えながら、ルルカはエリスを見ている。


「シキも何か言ってよ! 駄目だって! だって、だって、じゃないとっ……!」


 焦燥。

 ルルカの表情は、それ一色だ。

 俺の気持ちが、なんとなくエリスに傾いているのを、もしかしたら察していたのかもしれない。

 ルルカは苦しそうに胸をかきむしり、行き場のない感情をぶつけるように両手を机にたたきつけた。


 その音と衝撃に、一瞬目を閉じる。


 そして、再度目を開けると――。


 目の前に、シチューの大皿があった。

 シチューの大皿が、地面と直角九十度の角度で、目の前三十センチ程に迫っていた。

 あ、今二十五センチぐらいになった。


 脳が危機を感じたのか、頭が高速で回転し始める。

 なぜ、目の前にシチューの大皿が?

 俺は、一瞬目を閉じただけなのに。


 ――目を閉じる寸前の光景が、パッと脳内に再生される。


 あぁ、あれだ。

 ルルカがテーブルに手をたたきつけた時に、その手がこのシチューの大皿の端に当たったんだ。

 そして、俺が目を閉じた一瞬でこの大皿は勢いつけて逆側に跳ね上がり、直角九十度の角度で俺に迫っているんだ。


 そこまで理解して、顔面に熱いシチューが直撃した。


「あ、ごめんシキ」


 とりあえず反射的に口から出た。

 そんな感じの、ルルカの謝罪が聞こえた。


「あ……だ、大丈夫!?」


 それから数秒して、状況をしっかり認識したのか、感情のこもったルルカの声が聞こえた。

 俺へのシチューの直撃という予想もしていなかった事態に直面し、思考が一瞬リセットされたのかもしれない。


「ちょ、ちょっと……怪我はしてない?」


 エリスの声も、シチューの大皿の向こうから聞こえてくる。

 幸い、火傷するほどの熱さじゃなかった。


「大丈夫といえば大丈夫だけどな……」


 頭にひっかかっている大皿をはがしても、目があけられない。

 目の周りを手で強くぬぐって、ようやく目が開けられるようになった。

 手をみると、シチューがついていないところを探すのが難しいぐらいどろどろになっている。

 おそらく、顔も、頭もそうだろう。

 服にもシチューがべったりと張り付き、時間とともにシチューの水分が服の中に侵食してきている感覚がある。


「ご、ごめんねシキ! わ、わざとじゃなくて……手がその、シチュー皿のはしに当たっちゃって、その、ほ、本当にごめんね!?」


 俺の様子が相当酷かったのか、ルルカの謝罪が勢いを増す。

 でも……これは好都合だったかもしれない。

 エリスからの告白。

 それに、俺は前にルルカからも好きだと言われている。

 しっかりと考えたいが、ルルカや他の騎士に囲まれている状況では、それもできない。

 一度一人の時間をとる、良いチャンスだ。


「気にしなくていい……とりあえず、俺は風呂に入って、着替えてくるから」


 そうだ、一時撤退だ。

 今は、なによりゆっくり考える時間が欲しい。

 湯船にゆっくり肩まで浸かって、一人でエリスとルルカのことを、しっかり考えたい。


「っ……わ、私も……私も一緒に入る!」


 けれど、不意に、隣からそんな声が聞こえた。

 ルルカだ。

 ルルカが、顔を赤くしながらそんなことを言っている。


「っ……!? そ、そんなことっ……」


「わ、私が汚しちゃったんだし、私がシキを洗うから!」


 エリスが目を剥くが、ルルカは強い語調でそう言った。

 入りたい。

 ルルカと一緒にお風呂には入りたい。

 ぜひ入りたい。

 でも、今はまずい。


 俺は今、一人でじっくりとエリスとルルカのことを考えたい。

 そんな、「ルルカとお風呂♡」なんてことに流されて、考えるべきことをうやむやにするなんてことは、俺にはできない。


 エリスも俺がどう返事をするかを窺うように、俺を見てるし。

 ルルカと二人でお風呂に入ったりすれば、エリスがどう思うかなんてわかりきっている。

 ここは、きちんと理性的に考えるべきだ。


 ほら、エリスが今にも俺に何かを言おうと、口を開こうとしている。

 おそらく、俺に釘を刺そうとしているんだろう。


「そ、それなら……わ、私も一緒に……はい、入るから……」





 マジで。

次の更新はポケモンGOにドハマリして更新を忘れなければ三日後です。

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