特訓。
「ク、クルセルの街に!? こんなにも早く魔物を集め、襲撃を仕掛けてきたというのですか!? ま、街の被害は!?」
聖女が、驚愕の声をあげた。
サキュバスは単体での戦闘能力はない。
都市攻撃のために数千の魔物の軍勢をつくるには、数日の時間がかかるはずだ。
そしてサキュバスは、つい昨日この迷宮都市を襲撃したばかり。
確かに、あまりにも早すぎる襲撃だ。
「お、おい、クルセルってここからかなり近いんだろ? 援軍を出してやらないとまずいんじゃないか?」
この迷宮都市は周辺からの援軍と俺の存在で無傷だったが、クルセルの町はこの迷宮都市よりも小規模な街だったと記憶している。
援軍すらいない状況でサキュバスの襲撃を受ければ、簡単に陥落してしまうだろう。
まだ抗戦できているなら、すぐにでも援軍として向かってやるべきだ。
「い、いえ、そういうわけではなく! ご、誤解です! サキュバスは、魔物を引き連れて街を襲撃したわけではありません!」
けれど騎士は、驚く聖女と俺を見て、慌てて言葉を訂正した。
「そ、それは……つまり、どういうことですか?」
「サキュバスが、その……足を治して欲しいと、単独でクルセルの司教のもとに現れたとのことです」
聖女の疑問に、騎士が言いにくそうに口を開く。
「……足を? 司教の前に単独で、ですか? すみません、詳しくお願いできますか?」
「はい。サキュバスは、最初は自身の石化を治療するために能力でクルセルの司教様を操ろうとしたのですが、清廉潔白な性格をした司教様をほんの僅かにも操ることができなかったそうです。サキュバスは色仕掛けから言葉巧みな邪神勢力への勧誘まで様々な手段を講じましたが、クルセルの司教様は取りつく島もなくそれを一蹴。最終的にサキュバスは司教様に縋り付き、くるぶしまで石化した足を見せつけながら命乞いを重ね『一生のお願いだから足治してー! このままじゃ死んじゃうからー!』と、泣きじゃくりながら懇願したとか」
「邪神の使徒が命乞いかよ……」
騎士の報告を聞いて、身体に入っていた力が抜けた。
すぐにでも援軍に行かなければと思ったけれど、そんな必要は全くなさそうだ。
どうやら、足の治療に奔走していただけらしい。
しかも、恥も外聞もない切羽詰まったご様子だ。
「……た、確か、クルセルの司教はそもそもハイヒールまでしか使えないはずですが……司教様は、その後どうされたのですか?」
「兵を呼び、サキュバスを捕獲しようとしたらしいのですが、すんでのところで逃げられたとのことです」
「理想的な対応ですが……そうですか、逃げられましたか」
逃げられたと聞いて、聖女は爪を噛む。
……しかし、どんどんサキュバスのイメージが壊れていく。
聖書には、時には暗躍し、時には正面から都市を叩き潰す、人類をひっかきまわして勢力圏を大幅に削り取った、まさに邪神の右腕といえる使徒だと書いてあったのに。
これでは、ただの性格が悪くてえっちな幼い少女である。
「サキュバスって、聖書ではもっと凄く書かれてたよな」
「……確かに、操れる魔物の数も、戦略性も、聖書に書いてある程ではありませんでしたが……」
俺が呟いた声を、聖女が拾う。
けれど、聖女は難しい顔をしながら言った。
「ですが、油断してはいけません。サキュバスはかつて聖書の時代に人間同士を争わせ、自らは手を下すことなく多くの人間を屠りました。人の心の弱い部分を看破し、そこにつけこみ巧みに自軍へと引き入れる。それこそがサキュバスの真骨頂であり、厄介なところなのです。今は弱体化もしておりますし、クルセルの司教様のような隙の無い人間にはサキュバスも無力なようですが……」
聖女が、言いながら俺に視線を向けた。
俺のような隙だらけ煩悩だらけの人間は、絶対に注意するべきだということか。
……そういえば、サキュバスはそのちょっと無防備な胸元を眺めていただけで、俺の性格を看破し色仕掛けをしてきた。
エリスが妨害した後でも、「邪神陣営につけば世界中の美女ハーレムつくれるよ♡」と、俺を本心から裏切らせようと、言葉巧みに俺を誘惑した。
自分の身体を餌にするだけじゃなく、俺の求めているものをチラつかせて裏切らせる、そういう「交渉」ができる使徒だということなのだろう。
「しかし、その様子ですと、他の都市の教会にもサキュバスが現れる可能性がありますね。教会や高位神官の警備を固めるようにと、周辺都市への伝達を願いします」
聖女は騎士に簡潔な伝令を出すと、少し何かを考えるようなそぶりを見せてから、すぐに俺に言った。
「この近辺でエクスヒールが使える神官は、今では私とシキ様しかおりません。サキュバスがそれを知れば、必ずこの迷宮都市に再襲撃を仕掛けてくるでしょう。特に、聖人ということで因縁があり、かつ以前簡単にサキュバスに操られかけてしまったシキ様を狙ってくる可能性は非常に高いです」
非常に高いですか。
「私は今すぐに、この屋敷の警備体制や周辺都市との連携について、領主様と話をしなければなりません。こちらでも対策を打っておきますが、十分注意するようにお願いします。……それではアステル、頼みましたよ」
そして聖女は、アステルと呼ばれた幼い犬耳少女に後を任せると、忙しそうに領主の屋敷に戻っていった。
……というか、紹介したい部下って、この犬耳少女だったのか。
年齢が年齢だけに……もちろん胸は全くない。
ほんのちょっとだけ、期待してたのに。
聖女が屋敷の中に入ると、アステルは不機嫌そうな表情でため息をついた。
「……あなた、孤児院で私の邪魔をしたでしょう」
そしてユエルに視線を向けると、責めるような語調でそう言った。
……やはり、孤児院で追い回されたことをまだ根に持っているらしい。
ユエルと同い年ぐらいだから怒っていても迫力はないんだが、怒りの感情はしっかり伝わってくる。
ほっぺたを膨らませてぷんすかしている。
「あれは、あの大司教ダルノーの思惑を暴くための、非常に重要な作戦だったんです。あなたが邪魔をしたせいで、私はあの後、聖女様にそれはもう酷く怒られました」
酷く怒られたのか。
でも、確かにユエルの存在は聖女側の作戦とやらには邪魔になったのかもしれないが、あの時点でユエルはアステルが聖女側の監視だとは知らなかった。
というかそもそも俺ですら聖女が味方だと思っていなかった。
ユエルに、アステルの思惑に気づいて配慮しろと言っても、それは無理なことだ。
「そ、その、ご、ごめんなさい……」
「ユエルは孤児院の屋根の上でこそこそしていたお前が、俺を狙っているのかもしれないと考えただけだ。ユエルは何も悪くない。ただ俺と大司教が偶然孤児院で鉢合わせたのが悪かった、それだけだ」
ユエルが謝ったが、一応アステルの方にも釘を刺しておく。
あまり、この件でユエルを責められても困る。
責めたところで、今後ユエルがどう活かせるという話でもないし。
ユエルは今後も不安要素が俺に近づけば排除しようとするだろうし、護衛としてはその方が望ましい。
失敗を活かすというのなら、俺がしっかりと敵味方を把握してユエルに教えるべきだった、というのがおそらく教訓だろう。
まぁ、アステルに言ってもあまり意味はなさそうだが。
聖女にこっぴどく怒られたと言っていたし、その失態の原因を同い年ぐらいのユエルの存在に求めているんだろう。
聖人とか呼ばれている俺を責めることはできないだろうし。
反発してきそうだ。
けれど、アステルは俺の発言に反発はしてこなかった。
というか、なぜかショックを受けたように口を半開きにしている。
「わ、私が屋根の上にいるのに、気づいてたんですか……? ぐ、偶然屋根の上に登ってきたとかではなく……?」
それから顔を下に向けると、ぶつぶつとなにごとかを呟きながら、凹んでいるように見える。
「見つかった……素人に見つかった……」
……もしかすると、隠密として隠れる技能に自信があったのだろうか。
聖女に仕える隠密として、素人、しかもユエルのような子供に見つかるということは、あってはいけないことだったのかもしれない。
よほどショックだったのか、ユエルをみつめて茫然自失、そんな雰囲気だ。
聖女の隠密だという肩書きはあるが、メンタルはどうやら年相応のものらしい。
「おい、お前はユエルにその護衛としての技術を教えるためにここにいるんだろ?」
でも、このままずっと茫然としていてもらっても困る。
とりあえず、声をかけてみる。
「そっ、そうでした……! あ、あなた、私と戦いなさい! あなたを鍛える前に、まずはあなたの実力を測ります!」
声をかけると、ハッとしてすぐに立ち直るアステル。
そして、強い口調でユエルに向けてそう言った。
切り替えが早い。
……でも、この立ち直り方はちょっとアレだな。
なんだか、ユエルに勝って自分の実力を証明しようとしているような、そんな雰囲気がある。
これ、大丈夫だろうか。
「戦う、ですか?」
止めようかと思ったが、アステルの言葉を聞いて、ユエルが瞳を輝かせている。
戦いたいんですかユエルさん。
……まぁ、同い年ぐらいの子供と戦う経験なんてなかったからな。
俺もちょっと、ユエルの実力がどれほどのものなのかは気になっている。
アステルは訓練を受けた聖女の隠密。
ユエルは強いが、アステルも外見以上に強いだろうことは、簡単に予想できる。
「私は騎士にも負けない対人戦闘のいろはを仕込まれています。魔物としか戦ってこなかったあなたのような素人エルフには、絶対に負けません!」
訓練用の木剣を取り出し、ユエルに向かって投げるアステル。
どうやら、相当な自信があるらしい。
「ユエルがやりたいならいいが、怪我だけはしないようにな。木剣だとしても、一本先取の寸止めでやれよ」
「はい、ご主人様!」
念のために安全第一でやるように言うと、ユエルが元気に返事をした。
ぴょんぴょん飛び跳ねて準備運動をしている。
ばるんばるんする胸はないけれど、やる気だけは胸一杯に詰まっていそうだ。
「っ……!」
アステルが厳しい表情でユエルを睨んだ。
なぜ今ので睨むんだろう。
いや……俺はアステルとユエル両方に言ったつもりだったんだが、アステルからはユエルに言い含めたように見えたのかもしれない。
「ククク、わが護衛ユエルよ。そこのアステルなどユエルにかかれば一捻りだろうが、やりすぎてはいけないぞ」みたいな。
アステルからすると、見下されているように感じたのか。
ちょっと過敏すぎるような気もするけど。
同い年ぐらいということもあって、ライバル意識でもあるんだろうか。
まぁでも、競う相手がいることは悪いことじゃない。
ユエルが強くなって悪いことはないし、怪我をしない程度に鍛えてもらおう。
次の更新は3日後ぐらいです。




