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異世界の迷宮都市で治癒魔法使いやってます  作者: 幼馴じみ


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孤児院。

ちょっと長めです。

 ソフィア孤児院。

 治療院からそう離れていない位置に、この孤児院はある。


 外見は、老朽化が進んだ普通の一軒家。

 養われている孤児の数は、赤ん坊が一人と、五歳から十二歳程度までの男女が八人。

 ソフィアという気の優しそうなお婆さんが一人で運営している、ごくごく小規模な孤児院だ。


 この孤児院に着いたのが、今からだいたい十数分前。

 俺はエリスと共に院長のソフィアさんに挨拶し、早速仕事の手伝いに入った。


 まぁ、手伝いと言ってもやることは簡単だ。

 そのソフィアさんが昼食後に人と会うから、その間子供達の面倒を見ていてほしい、というだけだった。

 エリスは昼食の準備も手伝うつもりだったようで、少し早めに来たようだが。


 そして今、エリスは赤ん坊を背負いながらソフィアさんと子供達の昼食をつくり、


「兄ちゃん、すげー! めっちゃすげー!」


「もう一回、もう一回やって!」


「ねぇ、どうやるの? それ、どうやるの? 教えてお兄ちゃん!」


「お、教えてください! 私もやってみたいですご主人様!」


 俺はその間、やんちゃ盛りの子供達が変なことをしないように、この食堂に釘付けにしている。

 子供達の羨望と尊敬の眼差しを、一身に浴びている。

 具体的に俺が何をしているかといえば――折り紙だ。


「どうだ、今度は鶴っていう鳥だ」


「すげーっ!」


「もう一回! もう一回!」


「ねぇ、どう折ったの? さ、最初は、最初は三角に折ればいいの?」


「ご主人様、すごい、すごいですっ!」


 紙が折られていくうちにどんどん動物の形になっていくのが新鮮なのか、食い入るように俺の手元を見つめる子供達。

 どうやら、この国に折り紙で遊ぶという文化は無かったようだ。


 ちなみに、俺がなぜ折り紙が得意かと言えば、小学生の時にやった自由研究の内容が折り紙だったから。

 ただ折り紙の教本をほぼ丸写しにしたような、研究ともいえないような内容だったが、今でもその教本の内容はだいたい覚えている。


 折り紙にはパターンがある。

 ある程度折れれば、簡単なものならアドリブでも折れる。

 鶴のような定番はもちろん、動物さんの顔ぐらいならアドリブで余裕だ。

 まさか、あの経験がこんなところで役に立つとは。


 正直、エリスから「料理を作る間、子供達が危険なことをしないように見ていてあげて」と言われた時にはどうしようかと思ったが、やってみると案外なんとかなるものだ。


 そして、こうやって折り紙を実演して、興味を持たせた後は、


「それじゃあ、この紙をやるから好きなようにやってみろ」


「おれ、おれゴブリンつくる!」


「私スライムがいい」


「ねぇ、うさちゃんはどう折るの? ねぇ、教えて?」


「私はご主人様を折り紙でつくってみたいです」


 紙を与えて、適当に見ててやるだけで良い。

 走り回ったり暴れられたりしたら大変だったが、こうやって新しいおもちゃを与えてしまえばもうこっちのものだ。


 子供達は大人しく、紙をひたすら折っている。

 あとは、たまにアドバイスをしてやりながらタイミングを見計らって新しい折り紙の見本を見せてやったりすれば、エリス達が料理を終えるまでの時間ぐらいは稼げるだろう。


 まぁ、俺にかかれば子供の世話なんてこんなもの。

 これでエリスも俺に父性的なものを感じたりして「あの人となら、一緒に子供を育ててもいいかも……」とか思うかもしれない。


 ――なんて思っていると、子供達に混ざっていたユエルの手が、不意に止まったのが見えた。


 ……そういえばユエルさん。

 いつの間にか孤児サイドに混ざっていたけれど、あまりに自然すぎて何も言えなかった。


 ご主人様がうまく折れないから、アドバイスを聞きたいんだろうか。

 でも、それは俺でも無理だ。

 流石に個人を特定できるようなクオリティの折り紙なんて、折れるわけがない。

 せめて、かわいい動物さんの顔シリーズあたりにしてほしい。


 ……けれど、ユエルは手を止めはしたものの、俺を見てはいなかった。


 ユエルの視線の先には、七歳ぐらいの、まだ幼い女の子がいた。

 ……この子がどうかしたんだろうか?

 周囲の子供達が折り紙に熱中する中、ユエルはその女の子をただ見つめている。


 ……その女の子を見ていて気づいた。

 紙を持っていない。

 紙を見てすらいない。

 というか、折り紙自体に興味を示していないように見える。


 手の中に何かを持っているようで、握った手をさするように動かしてはいるんだけれど。

 でも、それもどこか心ここにあらずといった雰囲気だ。

 まるで時が過ぎるのを待っているかのように、ただぼーっと座っているように見える。


「どうした? 折り紙はつまんないか?」


「っ……」


 なんとなく気になって声をかけてみると、女の子は涙目になって俯いた。

 ……人見知りなんだろうか。

 まぁ、知らない人が急に来たら、こんな反応をする子供も居るか。


「まぁ、紙はたくさんあるからな。気が向いたら後でやるといい」


 一応、もう一度声をかけると――


「っ……うっ……ううぅ……」


 女の子は、膝に顔を埋めて泣き出した。


「おい、な、泣くなよ! お、俺は何もしてないだろ?」


 ど、どうすればいいんだよ。

 まさか、声をかけただけで泣くなんて。

 流石に、こういう子供への対処の仕方まではわからない。

 単純に大人の男が怖いのかもしれないし。

 そうだ、エリスを呼んで、対応を代わってもらおうか。


 ――そして俺がエリスを呼ぼうとすると、女の子の反応を見たユエルが、なぜか俺の方を見た。


 なんだろう、何かを期待するような目だ。

 ……なにを期待しているんだろう。

 ここから俺がこの女の子を華麗に泣き止ませること、とか?

 ……違う気がする。


 ちょっと、ユエルの考えていることがわからない。

 俺が首を傾げると、


「ご主人様、この子は、目が見えてないのかもしれません」


 ユエルが言った。

 女の子の肩が、ビクッと震える。


「……本当か?」


 そんな風には見えなかったが。

 ……いや、盲目だった時期のあるユエルには、わかるのかもしれない。


 女の子は僅かに顔を上げ、ユエルの方を見る。

 なぜわかったのかというような、不思議そうな顔だ。

 ……よく見てみると、確かに少し目の焦点というか、視線というか、そこに少し違和感がある気がする。


 ……なるほど。

 目が見えていないから、折り紙なんてできないと。

 つまりはそういうことか。


「……違うの、ちょっとは見えるの。でも……こういう細かいことは、ぼやけちゃってできないの」


 女の子が、ユエルに向けて震えた声で言う。


 ……手元ですら、ぼやけて見えない。

 そういうのは聞いたことがある。

 おそらく、この子は極度の弱視なんだろう。

 なんとなくぼんやりと周囲の様子はわかるが、細かいものにピント合わないとか、もやがかかって見えるとか、そんな感じなのかもしれない。


「しかし、目か……目はなぁ……」


 ……目が不自由というのは大変そうだ。


 目の治療は、エクスヒールでないとできない。

 そしてエクスヒールでないと治療できないということは、ただの孤児であるこの女の子は、一生治療ができないかもしれないということだ。


 孤児院で面倒をみてもらえるうちはまだ良いが、その後はどうしようもない。

 目が見えなければ、仕事を探すのだって大変だ。


 目が見えない女の子がこの世界でどうなるのか、だいたいの想像はつく。

 ……奴隷か、娼館か。

 おそらく、そんなところだろう。


 この孤児院のお婆さんなら、この子が大人になっても面倒を見てくれるかもしれないが、あの人だって結構な歳だった。

 この先ずっと生きていられるわけじゃない。

 この幼い女の子は、遠くない将来、間違いなく不幸になる。


 ……そんなことを考える間にも、ユエルはじっと俺を見つめている。


 やはり、何かを期待するかのような目だ。

 ……俺は以前、ユエルの目を治した。

 「私の優しいご主人様が、目が見えないこの可哀想な子供を見捨てたりするはずがない」ユエルがそう思い込んでいるのが、ありありとわかってしまう、そんな目だ。

 これからご主人様のかっこいい活躍が見れる、そういう期待も混じって見える。


 ユエルがそんな瞳で俺を見つめる間にも、女の子が下を向きながら口を開いた。


「お祭りの時にね、聖女様ならこの目もきっと治してくれるって聞いたの。でも、私の前の人で終わりになっちゃって、駄目だったの」


「あー。あれか……」


 そういえば、祭りの数日前から聖女は無償の治療をやっていた。

 あれで治療してもらえることを、期待していたのか。

 でも、聖女がアースドラゴンの石化のブレスに対処しきれなかったことから察するに、聖女はエクスヒールを数発しか使えない。

 ちょうど、この子の前で魔力が尽きてしまったんだろう。


「でもね、いいの。聖女様がね、これを持っていればきっと良い事があるから諦めないでって、これをくれたから」


 そう言って、女の子が手の中のものを見せてくる。


「これは……指輪か?」


 一目見て、高そうな指輪だと思った。

 金が使われているし、大きな宝石もあしらわれている。

 装飾も繊細で、この世界でこのクオリティの指輪を作るには相当な金が要る気がする。

 売ったらかなり良い値がするだろう。


 ……何か、変な魔道具じゃないだろうな。

 ルルカがくれたイヤリングみたいな。

 聖女から貰ったと聞くと、何故か身構えてしまう。

 持ってるだけで良い事があるとか言ってたみたいだし。

 とりあえず鑑定してみる。


 指輪


 ……ただの指輪らしい。

 魔道具でもなんでもなさそうだ。

 なんの変哲もない、高級な金の指輪だ。


 ということは、これはただの施しの類か。

 本当に困窮したらそれを売れ、ということなのかもしれない。


「聖女様ね、まだこの街にいるんだって。だから、ちゃんとこれを持ってたら、きっと治して貰えるんだと思うの」


 そして、そんなことを言いながら、指輪を撫でる女の子。

 ……聖女はもう街を去ったということを、まだ知らないんだろう。

 後でそれを知った時、この女の子はいったいどんな顔をするだろうか。


 女の子から視線を逸らすと、ユエルがまだ俺を見ていた。

 キラキラとした瞳で、俺を見ていた。

 ……これは仕方がない。

 ユエルのこの目は裏切れない。


 ここでこの女の子を見捨てれば、俺はユエルの尊敬の対象ではいられない。

 ……幸い、あの聖女はもう街を去った。

 心おきなく治癒魔法が使えるとまでは言わないものの、目の前に治療の対象がいるのに隠さないといけない、という程ではないだろう。


 それに、この子はもともと目が少しは見えるという。

 念を入れて口止めしておけば、しばらくは誤魔化せるはず。

 そして時間が経ってしまえば、この女の子が「この人が治した」とさえ言わなければもう誰が治したかなんてわからない。


「名前はなんていうんだ?」


「私……? ファラ」


「そうか、ファラ。……話がある。ちょっと、ついてきてくれるか?」


 まぁ、将来エリスみたいな美人になって恩返しに来てくれることでも期待しよう。

 俺は子供達の相手をユエルに任せ、この子を治療することにした。








 治療をするにあたって、目の見えない女の子、ファラに与えた条件は二つ。


 一つは、大人になるまで、目が見えるようになったことを周囲に知られないように過ごすこと。

 そしてもう一つが、俺が治療したということを、絶対に誰にも言わないこと。


 まぁ幼い女の子だからちゃんと守るかどうかは微妙だが、一応言うべきことは言っておいた。

 「ほんとに良い事があった、お兄ちゃんありがとう!」とはしゃいで喜ぶだけで、ちゃんと聞いているのかは微妙だったが。

 まぁ、もう目は見えるはずなのに昼食の時にはお婆さんに食べさせて貰っていたし、一応守る気はあるみたいだけれど。


「エリスちゃん、シキさん、ユエルちゃん……手伝ってもらって、本当にありがとうね」


 昼食を終えて、丁寧に礼を言ってくる孤児院のお婆さん。

 確か、この後人が来るから、その間子供達の世話をすればいいんだったか。

 まぁ世話といっても手のかかりそうな赤ん坊は一人しかいないし、エリスもいる。

 あとはなんとかなるだろうけれど。


「あと少ししたら大司教様がいらっしゃるから、大司教様とのお話が終わるまで、もうしばらくよろしくお願いね」


「っ……! 人と会うって、大司教様のことだったの……」


 大司教と聞いて、エリスの顔が少し歪んだ。


「ええ、寄付のことでお話があるとかでねぇ。子供達が大司教様に何か粗相をしてしまったらいけないから……お願いね? 私はこれから、玄関の前で大司教様をお待ちするから」


 そう言って孤児院の外に出るお婆さん。


 ……エリスは何か思うところでもあるのか、難しい顔をしている。

 そういえば、ここに来る前に大司教の寄付金の中抜きが酷いからここの経営が悪いとか言ってたな。

 その大司教が孤児院に寄付の話をするとなれば、寄付金の減額が目的という可能性もある。

 エリスは、そういったことを懸念しているのかもしれない。


「っ……あーっ、うあーっ!」


 ――そんなことを考えていると、不意にエリスの抱える赤ん坊が泣き出した。


 エリスが険しい顔をしているからだろうか。

 エリスはそれに気づくと、すぐに表情を優しい感じに切り替えた。

 それから、真っ先に赤ん坊の布おむつのチェックをし、


「……こっちじゃないみたいね」


 泣いている原因がおむつじゃないことを確認すると、揺りかごのように赤ん坊をゆっくりと揺らしてなだめ始める。

 手慣れた感じだ。

 たまにこの孤児院に手伝いにきているというのはどうやら本当らしい。

 赤ん坊、なかなか泣きやまないけど。


「……お腹が空いたのかしら。でも、さっき飲ませたばかりだし……」


 そういえば、昼食の時に哺乳瓶らしきもので、ミルクっぽいなにかを与えていた気がする。

 お腹が減っているというわけでもなさそうだ。

 まぁ、赤ん坊なんてちょっとしたことでも泣く。

 というか、何もなくても泣く。

 顔色が悪いというわけでもないし、適当にあやしておけばいいだろう。


 ――と、そんなことを考えていると。


「エリスさん、赤ちゃんにおっぱい、飲ませてあげないんですか?」


 ユエルがそんなことを言い出した。


 一瞬、エリスの動きが止まる。

 エリスはユエルがどういう意図で言っているのかわからないとばかりに、ユエルの目を見る。

 おっぱいを飲ませてあげるというのは、それはつまりエリスの母乳を赤ん坊に飲ませる、ということだろうか。


「……で、出るのか?」


 俺が疑問に思って聞いてみると、


「でっ、出るわけっ……出るわけないでしょう!?」


 慌てたように否定するエリス。

 ……だよな、もし出たらエリスは今妊娠何ヶ月だということになる。

 エリスが知らないうちに妊娠なんてしていたら、俺は多分ショックで寝込む。

 俺はまだエリスに手を出していないし。


 ……エリスの大声に驚いたのか赤ん坊が泣く勢いが強くなる。


「そ、その、エリスさん、ご、ごめんなさい……」


 ユエルもエリスに怒られたと勘違いしたのか、ショックを受けたような顔で下を向いた。


「……あっ、ちょっ、ちょっと! ……ち、違うのよユエルちゃん! お、怒ってないの。そ、その、母乳っていうのは……に、妊娠した人じゃないと出なくてね? む、胸が大きければ出るっていうものじゃないの」


「……そ、そうだったんですか?」


「そ、そうなの、だから私は、その……母乳は出ないのよ」


 赤ん坊を揺らしてなだめながら、ユエルを言葉で慰めるという高度な技を披露するエリス。

 ユエルの誤解は解け、だんだんと赤ん坊も泣き止んでいく。


 ……しかしなんというか、エリスが赤ん坊の世話をしているこの光景はとてもしっくりくる。

 ……まだ未婚のはずなのに。

 まるで、あの赤ん坊がそのままエリスの子供のように見えてくる。

 なんでだろう。

 巨乳だからだろうか。


「やけに似合うな……」


 気づくと、思ったことが口から漏れていた。

 それが聞こえたのか、エリスが俺を見る。


 ……エリスは赤ん坊を揺らす手を止めて、俺を見ている。

 少し驚いたような顔だ。


 ……それから、今度は腕に抱えた赤ん坊を見る。

 エリスの表情がほんの少し綻んだのが見えた。


 ……そしてもう一度、俺を見る。

 じっと見ている。

 いや、なんだか、俺を見てはいるものの、ただぼーっとしているようにも見える。

 何か、考えているんだろうか。

 心ここにあらず、といった雰囲気だ。


「に、似合うってなによ……」


 けれど、すぐにエリスは慌てたように背を向けて、赤ん坊をあやすのを再開した。

 おっと、これはどういう――


 俺が考えようとしたその瞬間。


「……ご主人様、なんだか変な気配がします。私、ちょっと外を見てきます。敵意は感じませんが、私が離れている時にもし何かあれば、これを使ってください」


 ユエルがそんなことを言うかと思えば、俺に何かを手渡して窓から飛び出していった。

 ……変な気配?

 外に何かいるんだろうか。


 というか、ユエルがくれたこれ……煙玉だ。

 前に、ミスコン会場でユエルが使ってたやつ。


 気になってユエルが出て行った窓から外を見てみるが……なにもいない。

 ユエルも既にどこかに行ってしまったのか、姿が見えない。


「大司教様、この度はわざわざおこしいただきまして本当にありがとうございます。あまり綺麗なところではないですが、ぜひ中へ」


 同時に、玄関の方からお婆さんの声が聞こえた。

 どうやら、ちょうど大司教が到着したらしい。

 ……なんだ、大司教の気配を感じただけか。


 そして、俺がユエルの行動に納得していると、


「来たみたいね……あ、あれ? ファラちゃんがいないわ」


 エリスが言った。

 見回して見ると、確かに子供が一人いない。

 ファラだ。

 ファラがいない。


「い、いない!?」


「えぇ、さ、さっきまではいたと思うんだけど……」


 赤ん坊を宥めているうちにどこかに行ってしまったのか。


 しかし、このタイミングはよくない。

 ……俺は、ミスコンの時に一度、あの大司教を直接見たことがある。

 あの太った大司教と純粋な子供が鉢合わせたら、大司教に「わー、ぶたさんだー!」とか口走る可能性もある。

 教会は、この孤児院の生命線だ。

 そんなことを口走れば、寄付が打ち切られて孤児院が潰れてしまうかもしれない。

 ファラもまだ幼いし、すぐに探さないと。


 そうだ、ユエルに気配を探ってもらうか。

 あ、でも駄目か。

 どこかに行ってしまって、まだ戻ってきていない。

 ……気配って、大司教のことじゃないのか?


 仕方ない。


「俺が探しておくよ。エリスは子供達を見ておいてくれ」


 まぁ、ファラがどこかに行ってしまった理由も、なんとなく察しはつく。

 目が見えるようになったばかりだ。

 おそらく、孤児院の中を色々見て回りたくなったんだろう。


「さて、どこにいるんだろうな」


 この孤児院はあまり大きくない。

 探せば数分もせずに見つかるはずだ。

 とりあえず、手近な部屋に入ってみる。


「……いないな」


 中にはいない。

 次の部屋を探そう。


「……いや、待てよ?」


 部屋の中に、ちょうど人が一人隠れられそうなぐらいの大きさのクローゼットがある。

 もしかしたら、中に隠れているかもしれない。

 念のため開けてみよう。


「……いないか」


 中には子供服がいくらか入っているだけだ。

 ……あ、下の方に下着もある。

 まぁ、流石にこの孤児院の子供達の下着になんて興味はわかないけど。

 そして、クローゼットを閉じようとすると、


「全く、埃っぽいところだな」


「申し訳ありません……こちらの部屋にどうぞ」


 ――部屋のすぐ外から、声が聞こえた。


 どうやら、大司教とお婆さんがこの部屋に入ろうとしているようだ。

 数秒の間もなく、ガチャリとドアノブの回る音。


「……ん? 今、何か物音がしなかったか?」


「いえ、私は聞こえませんでしたが。……あぁ、すぐにお茶を淹れて参りますね」


「茶はいらん。こんな汚いところで茶など飲めるか。それに、すぐに済む」


 狭く、暗い空間の中。

 部屋に入ってきたお婆さんの声と、不機嫌そうな大司教の声だけが聞こえる。

 ……反射的にクローゼットの中に隠れてしまったのは、あれだ、条件反射というやつだ。

 だってほら、子供のものとはいえ下着があった。

 クローゼットを開けている俺の姿をもし見られたら、ロリコンの変態だとか勘違いされるかもしれないし。


「用件だけを言う。この孤児院の寄付金を、増額することになった」


「ぞ、増額ですか!?」


「あぁ、これまではどうやら……孤児院への調査内容に不備があったようでな」


 ……しかし、いつまで中に入っていればいいんだろう。

 大司教も話はすぐに済むと言っていたから、多分そんなにはかからないんだろうけど。

 今外に出たりなんかしたら、完全に不審者だし。


「あ、ありがとうございます大司教様! 本当にありがとうございます!」


 退屈なので二人の話を聞いていると、嬉しそうに礼を言う、お婆さんの声が聞こえた。


 ……というか、寄付金は増額されるのか。

 エリスは、今の大司教は金に汚いというようなことを言っていたけど、もしかしてそうでもないんだろうか。


「今、この孤児院の孤児の数と、建物の老朽化の具合を部下達に調べさせている。その結果次第で、増額の具体的な金額が決まることになっている。それと、この書類にサインしろ。この私が直々に孤児院の状態を精査したという証明のようなものだ」


 ……いや、大司教の声だけでも、相当嫌そうなのがわかる。

 というか今、この大司教、露骨に舌打ちしやがった。

 多分、この増額は本意ではないんだろう。


 ――そういえば、あのミスコンの時。


 聖女が、領主と寄付金についての話をする、とか言っていた気がする。

 もしかしたら、あれから聖女と領主はこの件について話をしていて、結果として大司教の寄付金の中抜きにメスを入れることになったのかもしれない。


 なんとなくわかった気がする。


 それで、大司教はその言い訳として、孤児院の実態調査に不備があった、とかなんとか言ったに違いない。

 大司教なんて役職の人間がなぜこんな孤児院に直接くるのか疑問に思ったが、これも領主へのアピールのようなものなんだろう。

 あの領主のおっさんも、ちゃんと仕事してたんだな。


 そんなことを考えていると、外から足音が聞こえた。

 そして、扉の開く音。

 どうやら、また誰かが部屋に入ってきたらしい。


「大司教様、緊急のお話が……」


「なんだ」


 おそらく、さっき言っていた大司教の部下の一人だ。

 小声で耳打ちでもしているのか話の内容までは聞こえないが、何かを話している気配がする。


「ほ、本当かっ!?」


 僅かな間を置いて、大司教の興奮したような、大きな声。


「本当に見つけたのか!? ま、間違いないんだな!?」


 大司教が、続けて大声でまくしたてる。

 どうしたんだろう。

 何かあったんだろうか。

 ちょっと気になる。


 少し見てみると、クローゼットの中に、僅かに光の差す場所をみつけた。

 おそらく、服がカビないようにするための、通気用の穴だろう。

 覗いてみることにする。


「はい、もちろんです。……ですが大司教様、少しお声を小さくされた方が」


「あ、あぁ……聖女……持っている……しかも、女なんだな?」


 覗いてみると、大司教と部下が話をしている姿が見えた。

 でも、小声で話しているせいで、断片的にしか聞こえない。

 聖女と、女という単語だけは聞こえたけれど。


 しかし……やっぱり太ってるな、あの大司教。

 特に腹回りとか。

 神官服が内側の肉に押されて、今にも破れてしまいそうだ。

 それに、なぜか指輪をじゃらじゃらと手につけているせいで、服のすそから覗く指が、まるでボンレスハムのようになってしまっている。

 似合ってないし、少し見苦しくすらある。


「ええ。初めは耳を疑いましたが、確かな情報です」


 部下が言う。

 しかし、なんの話なんだろう。

 耳を疑うような情報で、大司教が言うには聖女と女が関係している……?

 一瞬俺のエクスヒールがバレたのかもと思ったが、女というのがわからない。

 俺には関係無い気もする。


 ……というか、大司教のしているあの指輪。

 気になって鑑定してみたら、魔力量上昇の魔道具だった。

 しかも、指にじゃらじゃらとつけているアレ全部。

 凄いなおい。

 あの大司教がエクスヒールを使えるというのも納得だ。

 あれだけ揃えるのに、いったいいくらかかったんだろう。


「大司教様、どうかなされましたか?」


 大司教の様子を不審に思ったのか、お婆さんが大司教に声をかける。


「いや、なんでもない。しかし、少し忙しくなりそうだ、私はこのあたりで帰らせてもらう」


 大司教は、そう言うと急に席を立つ。

 もう孤児院の調査は終わったのだろうか?

 そんな感じでもないみたいだが。


「あ、あの大司教様、まだ書類が……!」


「ふん……そんなもの、もう必要は無い」


 慌てるお婆さんとは裏腹に、大司教は機嫌良さそうに部屋を出て行った。

 ……なんだったんだろう、いったい。

 お婆さんも、書類を手に持ったまま固まってしまっているし。

 それにあの書類は、おそらく領主に届ける割と大事なものだと思っていたんだけれど、違うんだろうか。


「……」


 というか、お婆さんもはやく部屋を出ていってくれないかな。

 ちょっとトイレに行きたくなってきた。

 ……そろそろ、クローゼットから出たいです。








 子供達の世話を終え、孤児院からの帰り道。

 治療院への道を、俺とエリス、そしてユエルの三人で歩いていた。


 あのクローゼットから出てすぐに、大司教達の会話の意味はわかった。

 ファラが持っていた、聖女から貰ったという指輪。

 あれを、大司教の部下にとられてしまったらしい。


「子供から物を取り上げるなんて酷いことをするわよね……」


 エリスが、怒ったような顔で言う。

 エリスがファラの指輪を取られたことに気づいたのは、大司教達が去った後だった。

 取り返すことはできなかったらしい。

 まぁ、大司教達の話を盗み聞きした限りではかなり重要そうなものだった。

 返してくれと言って返してはくれなかっただろうけど。


「そうだな」


 まぁ、ファラの指輪のことは可哀想だが、何もできない。

 高そうな指輪だったが、あくまで指輪は指輪。

 ただの指輪のために、権力者に楯突くようなことはしたくない。

 リスクが高すぎる。


 ファラ自身も「もう良い事があったからいいの」とか言って全く気にしていなかったし。

 価値がわかっていなかったというのもあるんだろうけれど。


 エリスもおそらく指輪を直接見てはいない。

 ちょっと怒ってはいるけれど、あくまでちょっとだ。

 取られたのは、子供がままごとで使うような指輪だと思っているんだろう。

 金の指輪だったなんて言えば激怒しそうだ。

 エリスは本気で怒ると怖い。

 もしポロっとそれを言ったら、大司教のところに突撃したりしそう。

 話題を変えよう。


「なぁユエル。そういえば、変な気配ってなんだったんだ?」


 一つ思い出した。

 大司教が来ると同時に、ユエルは孤児院を飛び出してどこかに行った。

 俺がクローゼットから出てエリスと合流する頃には、ユエルももう戻っていたけれど。

 ファラはともかく、ユエルはいったい何をしていたんだろうか。


「えっと、獣人の女の子が孤児院の屋根の上にいました」


「獣人の女の子?」


「はい、犬みたいな耳で、私と同じぐらいの年頃の子でした。なにか、孤児院の様子を窺っていたみたいです」


 なんで獣人の女の子が孤児院の屋根の上なんかにいたんだろう。

 一瞬、聖女関係で俺に監視でもついたのかとも思ったが、聖女はもう王都に帰ったし。

 それに、ユエルが気配に気づいたのは孤児院に来てからだ。

 俺になにかしらの監視がついているとすれば、治療院にいる時か、治療院を出た瞬間にユエルが気づくのが自然だろう。

 ……もしかして、孤児院の子供達と遊びたかった近所の子供だろうか。

 それならしっくりくる。


「それで、どうしたんだ?」


「追いかけたら逃げていきました」


 ……ナイフを持って獣を追い回す、ハンターなユエルさんの姿を想像してしまったが、おそらくそうじゃないはずだ。

 話そうとしたら逃げた、とかだろう。

 まだ子供だという話だし、人見知りなのかもしれない。


 そうしてユエルと話をしていると、エリスが深いため息をついた。


「どうした?」


「いえ……あの大司教様、私やっぱり嫌いだわ。ファラの指輪のこともあるし……帰り際にすれ違ったんだけど、凄くいやらしい目で見られて……ちょっとね」


 凄くいやらしい目で見られるのはお嫌いですか。

 まぁ、男ならエリスの肉付きの良い腰周りとか、巨乳な胸を見てしまうのは仕方がないとは思うんだけれど。

 ……一応、俺も気をつけておこう。

 けれど、エリスはすぐにハッとしたように表情を変えた。


「それにしても、あなた、子供に好かれるのね。またお兄ちゃんに折り紙を教えてもらいたい、なんて言ってたわよ」


 言っても仕方ないことだと気づいたんだろう。

 エリスが話題を変えてくる。

 どうやら、子供達はエリスにきちんと俺の働きぶりを伝えてくれていたらしい。

 よかった。

 これで今日の目的は達成された。


「それに……ファラちゃんの目、治してあげたんでしょう?」


 おっと、なぜそれを知っているんですかエリスさん。


「……ファラがそう言ったのか?」


「ファラちゃんがあれだけ嬉しそうな顔してれば、わかるわよ。私はこの孤児院にはたまに来てるって言ったでしょう?」


 一瞬ファラを疑ってしまったが、どうやら違うらしい。

 ……まぁ、たまに孤児院に来ているというエリスなら、そういった違いにも気づくか。


「あなたはあまり治癒魔法の実力を見せたくないみたいだから、いままで頼めなかったけど……。私、ずっとあの子のことは心配だったの」


 エリスが、穏やかな表情で言う。

 ……実はエリスは、俺が治癒魔法を隠したいと思っていることと、ファラを治療して欲しいという気持ちの間でずっと悩んだりしていたのだろうか。


「……別に、たいしたことはしてない」


 まぁ、でも、労力としては本当にたいしたことはしていない。

 バレたらまずいが、エリスにならエクスヒールのことがバレても何の問題もないわけだし。

 けれどエリスは、それがとても大事なことだとでも言うかのように、俺の目を正面から、じっと見つめる。


「ファラを治してくれて、ありがとうね」


 そして、エリスは柔らかく微笑んで、そう言った。


「っ……お、おう」


 あまりこう、エリスに純粋な笑顔を向けられることがなかったせいか、今のはドキッとした。

 やばい。

 なんでもないことのはずなのに、顔が少し熱くなる。

 なんだかエリスの目を見つめていられなくて、つい目を逸らしてしまう。


「ご主人様?」


 そんな俺の様子を疑問に思ったのか、ユエルが顔を覗き込んでくる。

 ……危ない危ない。

 俺がエリスの笑顔にちょっとドキッとしたなんて、ユエルに気付かれるわけにはいかない。


 泣くかどうかはわからないが、間違いなく良い影響はでないだろう。

 一度自分の顔を手で隠し、表情をリセットする。


「なんでもない。早く帰るぞ」


 それから、誤魔化すためにユエルの頭を軽く撫でる。

 ユエルはまだ首を傾げているが、もう一度頭を撫でると、嬉しそうに手に擦り寄ってきた。


「はい、ご主人様」


 ユエルの高い声が、なぜかぼんやりとした俺の頭に響いていった。








 孤児院から帰ってきた、その日の深夜。


 治療院のドアをノックする音で、目が覚めた。

 暗い部屋。

 外から差し込む月明かりから察するに、おそらくまだ深夜の二時あたりだろう。

 こんな時間に来客か。


「ん……もしかしたら、急ぎで治療を頼みたいのかもしれないわ。ちょっと私、行ってくるわね」


「ああ」


 俺と同じく起きたらしいエリスが、上着を羽織って部屋の外に出る。


 しかし、こんな時間に治療とは。

 以前、ルルカがフラン達の治療を頼みにきたことを思いだす。

 もしかして、またルルカだろうか?


 ……いや、確か今ルルカは領主のところに居るはずだ。

 わざわざ俺に頼まなくても、そこに優秀な治癒魔法使いの一人や二人はいそうなものだ。


 ドアをノックする音が止んだ。


 おそらく、エリスが対応しているんだろう。

 ……俺も行くか。

 風邪やちょっとした怪我ならエリスでもなんとかなるが、わざわざこんな深夜にやってくるぐらいだ。

 もしかしたら、重い病気や欠損レベルの大怪我かもしれない。

 俺に抱きついてぐっすりと寝ているユエルを、起こさないようにそっと引き剥がしてから、下の階に降りる。


「あれ、エリス……どこだ?」


 けれど、治療室にエリスはいなかった。

 というか、部屋に明かりすらついていない。

 いつもは、ここで怪我人や病人に症状を聞いて、治癒魔法をかけるんだけど……。


 廊下にもいない。

 玄関にもいない。


 そして気付いた。

 ……何故か玄関が僅かに開いたままになっている。


「エリス?」


 外か?

 でも、なんで外に?

 もしかして、担架か何かで怪我人が運ばれてきたから、外で治療をしたんだろうか。

 いや、でも、そんな担架で連れてくるような重傷なら、真っ先に俺を呼びに来るはずなんだけど。


 玄関から外を見ると、誰もいなかった。


「……エリス、本当にどこに行ったんだ?」


 路地の方まで出て、周囲を見回してみる。


 すると、いた。

 エリスが、じゃない。


 暗いし距離もあるせいでよく見えないが――おおよそ五人ぐらいの、人影だ。

 その人影が、路地裏に向けて走っていくのが見えた。


 ……エリスがいない治療院。

 開きっぱなしだった、玄関。

 走り去る、集団の影。


 そこに、確証があったわけじゃない。

 でも、その走り去る集団を見た瞬間、俺は全身が粟立った。

 嫌な予感。


 おそらく、そうだと思った。

 




 エリスが……攫われた。

次の更新は三日後ぐらいです。

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