夢。
目が覚めると、エリスが俺の上に跨っていた。
まだ、朝日も昇っていない暗い部屋の中。
仰向けに寝る俺の腰、そのちょうど真上に、エリスが乗っていた。
一度、目を閉じる。
……落ち着け。
エリスはそういうことをするようなタイプじゃない。
多分、ユエルが跨っていたのを見間違えたんだ。
今のは、俺の欲望が見せた幻影だ。
再び目を開いてみる。
エリスが俺の上に跨っていた。
「エ、エリス!? な、ななななにをやっているんだ!?」
なんだろうこの状況は。
なんで、こんなことになっているんだろう。
夜這いか。
やはり夜這いなんだろうか。
あのエリスが、隣で眠る俺の無防備な姿に我慢できなくなり、夜這いを仕掛けてきたんだろうか。
「っ……! ご、ごめんなさい……」
俺が目覚めたことに気づくと、エリスはバツが悪そうに視線を下に向ける。
でも、下を向いても今の角度からなら顔が良く見える。
ただ羞恥に耐えているような、そんな顔。
どういうことだ?
いったい、エリスはどうしたというんだろう。
「ど、どうしたんだエリス。な、何か悪いものでも食べたのか? ほら、オークの睾丸とか、スッポンとか」
聞いても、エリスは更に恥ずかしそうに眉をきつく寄せ、僅かに開いた唇を閉じ直すだけ。
何か事情があって俺の上に乗っていたんだろうか。
いや、でも、エリスは一向に俺の上からどく気配が無い。
本当に、いったいどうしたんだろう。
「あ……」
そんなことを考えながらエリスを見ていると、エリスと再び目が合った。
エリスは目が合ったことが恥ずかしいのか、もう一度視線を逸らす。
「お、おい……エリス?」
けれど、俺が声をかけたその直後、エリスは何か覚悟を決めたかのように俺に視線を戻した。
そして、そのまま……俺の上に、身体を倒してくる。
「エ、エリス!? ほ、本当にどうしたんだ!?」
今、エリスの頭が、俺の顔のすぐ横にある。
金髪の細い髪が、ふわりと揺れた。
そして何より、胸だ。
エリスの大きな胸が、俺との間でぐにゃりと押し潰されて、それはそれは大変なことになっている。
やばい。
やばい、これは本当にやばい。
「私、一つ、あなたに嘘をついたわ。あなたがユエルちゃんと間違いを起こすんじゃないか心配で同じ部屋で寝ることにしたって言ったけど、本当は……違うの」
耳元で、熱を帯びたエリスの声が聞こえた。
窓から月明かりが射し、エリスを照らす。
髪の隙間から見えたエリスの耳も、綺麗なうなじも、興奮したように赤く染まっている。
「私が、あなたのことが好きだから、ずっとこうなりたかったの。でも、はしたない女だと思われたくなくて……」
行って良かったのか。
いつでもオッケーだったのか。
俺にはいつだって行く準備はあったのに。
「おかしいのよ。さっきから、ずっと身体が熱くて、熱くて、もうどうしようもないの」
不意に、エリスの首筋に、一筋の汗が流れているのが見えた。
身体が、熱い……?
今のエリスは、明らかに普通じゃない。
まるで、媚薬の類でも飲んだかのような……。
……いや。
そうだ、サキュバスだ。
おそらく、俺が寝ている間にあのサキュバスが復活したんだろう。
そして、情欲を煽られたエリスはもう我慢ができなくなって、以前から気になっていた俺に夜這いを仕掛けてしまったと。
そういうことなら仕方ない。
好きと言われて、夜這いをかけられて、それでも手を出さないなんていうのは男のやることじゃない。
それにこれは治療だ。
サキュバスに情欲を煽られたエリスを元に戻すためには、一度その情欲を発散させてやらなければならない。
これは仕方ない。
ついにこの日が来てしまったのだ。
そして、俺はエリスの下から抜け出すと、そのままエリスの服を脱が――
……と、こんな内容の、とてもエロい夢を見た。
今、ここまで見たところで、今度こそ本当に目が覚めた。
今のは夢だ。
現実じゃない。
あれは俺の欲望が見せた、ただの幻影だった。
俺の上に乗っているのは、俺に抱きつくようにして眠っているユエルさんだけである。
……エロい夢を見た直後なせいで、この状態は危険だ。
男の生理現象的に。
ちょっとユエルをどかそう。
ユエル、寝ていて良かった。
……しかし、こんな夢を見たのも、昨日サキュバスがどうこうなんていう本を読んだからだろう。
あの性書のせいだ。
アリアと、エリスの話をしたのもある。
なかなか印象深い内容だったから、夢にまで出てきてしまった。
「……でも、あとちょっとだったなぁ」
もう少しで、夢の中とはいえエリスと一線越えられたのに。
まぁ、夢っていうのは大抵見ている本人が興奮すると目が覚めるから、こういう夢は寸止めになることが多いと以前どこかで聞いたことがあるけれど。
残念だ。
しかし、こういうエロい夢を見た後だと、封印されたと言われているサキュバスを本当に復活させたい気持ちがふつふつと……。
だって、現状一つ屋根の下、しかも同じ部屋で寝泊まりしているのだ。
サキュバスが復活しエリスが自らの情欲を抑えきれなくなれば、さっきの夢が現実になる可能性だってある。
毎日のように、エリスとあんな感じでエロいことが出来るようになるかもしれない。
邪神の使徒らしいけど、誰か本当に復活させてくれないだろうか。
まぁ、サキュバスがいるとしばらくして人口爆発が起こり戦争になるとも書いてあったし、やはり駄目なんだろうけれど。
それに、封印されていると聖書に書いてあった気がするが、どうすれば復活させられるかなんてわからない。
聖書の内容が事実だとすれば、教会は邪神の使徒なんて絶対に復活させたくないはずだ。
その封印とかについても、教会の中でトップクラスの偉い人しか知らない、とかそんなところだろう。
復活することなんて、まずありえない。
やめよう。
サキュバスという単語には妄想が膨らむけれど、実現可能性の無い妄想は虚しくなるだけだ。
この考えはもうやめだ。
今はなんとかしてエリスの好感度を上げ、ハーレムルートへの道を開くことこそが肝要。
さて、今日は何をしようか。
「……孤児院の手伝いに行く?」
俺がエリスを眺めながら好感度を上げる機会を窺っていると、唐突にエリスが出かけると言い出した。
「ええ、近所にある孤児院なんだけど……あなたに言ったこと無かったかしら」
時刻は昼前、昼食にちょうど良い時間。
昨日の今日だ。
……昨日、俺はアリアからの株を大きく落とした。
アリアがエリスと直接話をしたことで、エリスが俺のことを別に好きではないと気づき、去り際にこの街のイケメン騎士を紹介したかもしれない。
もしかしたらランチタイムにイケメン騎士と会う可能性もないでもないと行き先をそれとなく訪ねてみれば……近所の孤児院に行く、とのことだった。
「……そういえば、子供好きだって言ってたな」
昨日、アリアからそう聞いた気がする。
「っ……! そ、それだけじゃないわよ。その孤児院、あまり経営状況が良くなくて……私の両親が亡くなった時に色々心配してくれた人が院長をやっているから、前からたまに手伝えることは手伝いに行っているの」
僅かに赤面して誤魔化すようにそう言うエリス。
別に子供が好きなのは恥ずかしいことではないと思うんだけれど。
べつに、変な意味では無いんだろうし。
……しかし、孤児院が経営難か。
「そういえば……」
チラリと、ちょうど俺にお茶を淹れようとしてくれている、ユエルを見る。
「……はい、私のいた孤児院も、経営難で潰れてしまいました」
ユエルが奴隷になったのは、経営難で孤児院が潰れ、その孤児院の借金の形として売られたからだと聞いた。
時系列的にはユエルが奴隷として売られていた少し前のことのはずだから、これも比較的最近のことだろう。
「どこも経営は厳しいんだな」
まぁ、この世界は俺のいた現代日本と比べたら、そこまで社会制度も発展しているわけじゃない。
経営が厳しくとも、ちゃんと孤児院があるだけマシということなんだろう。
けれど、エリスは表情を少し険しくすると、僅かに怒りの篭ったような声を出して言う。
「……いえ、多分、他所はそこまで厳しくはないわ。悪いのは……この街の大司教様が管轄する、この地方一帯にある都市の孤児院だけよ」
大司教?
そういえば、ミスコンの会場で見かけた。
まるまると太った、豚みたいな男だった。
あの大司教に問題があるということだろうか。
「というか、孤児院は教会が経営してたんだな。……そんなに酷いようなら、ここの領主のおっさんも金を出してやればいいのに」
「孤児院一つ一つを教会が経営している、というのは少し違うの。教会は慈善事業を領主様から任される代わりに寄付金を貰って、それを個人経営の孤児院にまた寄付金として分配しているだけだもの。多分、この街の教会がかなりの金額を中抜きしているのよ」
「……なんだそれ?」
なんだその下請け構造みたいなのは。
教会が絡む必要性が皆無な気がする。
しかも、エリスが言うには中抜きしている可能性が高いらしい。
「でも、厳しいといえば厳しいけれど、経営ができなくなる程では無いって聞いてるわ。だから、ここの領主様もあまり教会のやり方には口出しはできないみたいなの」
「……領主が教会への寄付を減らして、直接金を孤児院に渡せばいいだけなんじゃないのか?」
「こういうのはある種の利権でもあるから……あまり手出しをするのも無理なんでしょう」
利権か。
教会が領主からの寄付金で慈善事業を行い、一部を懐に入れるというのは折り込み済みということなんだろうか。
まぁ、メディネ教はこの国の国教だし、領主にものっぴきならない理由でもあるのかもしれない。
というか、その理由に、一つ思い当たることもある。
「……なぁ、エリス、俺以外にエクスヒールを使える人間を、何人知ってる?」
「えっ……? えっと、顔を知っているのはあなたに、聖女様に、この街の大司教様ぐらいかしら。他にも、大司教の地位にある人に使える人がいるとは聞いたことがあるけど……それがどうかしたの?」
「いや、ちょっとな」
やっぱりだ。
今まで、俺が見てきたエクスヒールを使える人間は、二人しかいなかった。
そして、その二人ともが教会の人間。
エリスも、教会の大司教や聖女といった人間にしか、エクスヒールの使い手を知らないらしい。
……治癒魔法というのは、一般的に教会で修行して身につけるものだ。
教会なら優れた人材を、早期のうちに囲い込んだりもできるんだろう。
――教会による、エクスヒールの独占。
それが、こういう教会に有利な利権が存在する理由なのかもしれない。
病気や怪我は、不意にやってくるものだ。
しかも、エクスヒールが必要になる程の怪我や病気であれば、他所からエクスヒールを使える人材を連れてきても間に合わないかもしれない。
だからこそ、こういう不自然な利権を作ってまで、権力者は教会と良好な関係を続ける必要がある。
そういうことかもしれない。
まぁ、ただの想像だけど。
「しかし、エクスヒールを使える人間ってのは本当に少ないんだな。教会で修行したエリスでもそれだけしか知らないなんて」
「それはそうよ。エクスヒールを使うには、ハイヒールを使える治癒魔法使いが、十数人は必要なぐらいの魔力を使うって聞いたもの。というか、それを何回も使えるあなたがおかしいのよ」
ハイヒールが使えるだけでも十分エリートなのに、それが十数人分とは確かに大変そうだ。
人数が少ないのも納得できる。
そうして俺が納得していると、エリスがなにか疑問を抱いたかのように、眉を寄せた。
それから口を開く。
「そういえば、あなた、街全体にエリアヒールを使ったりとかもしてたわよね。エクスヒールも使えるし…………その、今まではあなたの治癒魔法の実力も、何か大変な事情があるのかもと思って聞かなかったんだけれど……」
考えるように口元に手をあてながら、そんなことを言ってくるエリス。
聞きたくなったんだろうか。
窺うような目で俺を見ている。
……でも、大変な事情があるから聞かないでほしい。
異世界から来たから魔力が膨大にある、なんて言っても信じて貰えるわけがない。
と、そんなことを考えていると、ユエルが会話に入ってきた。
「ご主人様、私もご主人様みたいに、すごい治癒魔法を覚えたいです。魔力を高めたいです。だから、その……」
おや、また聖書の解説を頼みたいのかな?
でもサキュバスのくだりだけは駄目だ。
誤魔化すつもりで頭を撫でる。
――すると、ユエルは嬉しそうに頭を擦り寄せてきた。
……あ、これ違うわ。
今のは遠回しに「くっついていいですか?」って聞かれただけだ。
俺のそばにいると魔力が増えるらしいし。
ユエルは俺の腰に両手を回して、まるで頬擦りでもするかのように密着し始める。
目を細めて、凄く嬉しそうだ。
「ん、んんっ……」
それを見たエリスが、咳払いをしながら複雑そうな顔で俺を見る。
そんな顔をされても困る。
「……ちょっと、長話しすぎたわね。そろそろ行かないと、孤児院の昼食の準備に間に合わないから。それじゃあ、行ってくるわね」
そして、そう言って治療院から出ていこうとするエリス。
さっきの疑問は、どうやらもういいようだ。
というか、もしかしたら、俺の表情から言いたくないのを察したのかもしれない。
これまでも、俺の素性について深くは詮索してこなかったし。
……しかし、孤児院で手伝いか。
そうだ。
「俺もついて行って良いか?」
孤児院に興味はないけれど、エリスが孤児院で手伝いをするというなら、俺も手伝いに行こう。
頼れる感じを積極的にアピールしていこう。
人手が多くて困るということは無いだろうし、エリスも喜ぶだろう。
……けれど、エリスは微妙な顔で俺を見る。
いや、俺とユエルを見る。
エリスの視線の先では、ユエルが俺の腰に抱きついて、頬擦りを続けている。
「私、あなたを孤児院に連れていくの、ちょっと不安なんだけど……」
エリスは眉を寄せ、本気で悩むような顔で、そう言った。
次の更新は三日後です。
そろそろ話が動き始める予定です。




