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異世界の迷宮都市で治癒魔法使いやってます  作者: 幼馴じみ


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52/89

跡。

 治療院の診察室。

 椅子に座って、ルルカと向かい合う。

 ルルカはなにやらそわそわした様子で、椅子に何度も座り直しながらこちらを窺っている。

 いままでも良くあった光景なはずなのに、好きだと言われた後というだけで、なんだか随分と変わって見える。


「あ、あはは……ひ、久しぶりだね!」


 照れたように首の後ろに片手を回し、視線を逸らして言うルルカ。

 言う程久しぶりというわけでもない。

 ほんの数日ぶりだ。


「お、おう。こんな遅くにどうしたんだ? 治療か?」


 おそらく、意識してしまっているんだろう。

 あのミスコンの時。

 自分が死ぬと勘違いして告白し、それに加えて頬にキスまでした後だ。

 あの時は、石化して死ぬかもしれないという緊張感や、それがなくなった時の解放感があった。

 非日常的な状態だった。

 だからこそ、ルルカも勢いに任せてキスなんてしてしまったんだろう。


 でも、今は違う。

 少し時間が空いて、お互いに冷静になってしまっている。

 こういう風に顔を合わせることなんて、あの時は考えてもいなかったに違いない。


 なんだか気まずい。

 ……それに、俺も少し意識してしまっている。


 治療費の値下げにかこつけて胸を揉ませてきたこと。

 冒険者として一緒に迷宮に潜りたがったこと。

 それに、あのイヤリングの魔道具や、森で遭難した時に真っ先に駆けつけてきたこと。


 好きだと言われた後だと、あれもこれもと繋げて考えてしまう。


 ルルカはかわいい。

 顔立ちは整っているし、赤い髪も綺麗だと思う。

 胸も大きい。

 ミスコンで水着姿を見たけれど、巨乳なのに冒険者らしく締まるところは締まっていて、健康的なエロさがあった。

 性格も軽くて、話しやすいし。


 そしてユエルとは違って、手を出せる年齢だ。

 ここで、俺もルルカが好きだと言ったらどうなるんだろう。

 考えただけでそわそわしてくる。


 ――でも、それは出来ない。


 俺がルルカのことをどう思っているかはともかく、少なくとも今はできない。


「……」


 ユエルが、俺の膝の上に座っている。


 ただ膝の上に座っているというわけではない。

 椅子に座っている俺に、真正面から抱きつくような感じでユエルは座っている。

 ユエルの頭越しにルルカも見えてはいるけれど、視界の下半分はユエルの顔で埋まっているような状態だ。


 そんな至近距離からユエルはじっと俺の瞳を見つめている。

 ……この状況でルルカとそういう話をする勇気は、俺には無い。


「べ、別に怪我をしたっていうわけじゃなくて……。治療じゃないんだけど……そ、その、治療じゃないとここに来ちゃ駄目……かな?」


 ルルカが顔を赤らめ恥じらいながらそう言うのと同時、ユエルの手が俺の服をキュッと掴んだのがわかった。

 駄目だ。

 治療じゃないと治療院に来ては駄目という意味ではなく、こうもユエルが近くに居ては、ルルカとまともに話すことなんてできない。


 ユエルにはお茶でも淹れてきてもらおうかとも思ったが、顔を見る限りそれも無理そうだ。

 ユエルの瞳は、今の照れ気味なルルカの一言だけで既に決壊寸前。

 縋るようにふるふると震えながら、その青い瞳はただ真摯に俺だけを見つめている。


 ……これ以上、ユエルのメンタルに負荷をかけてはいけない。


 従順なユエルなら、お茶を淹れてこいと言えばここから離れてはくれるだろうが、そうすれば間違いなくユエルは泣く。

 泣きながらユエルが淹れた、ちょっと塩気のある悲しいお茶なんて俺は飲みたくない。


 とりあえず、フォローのためにユエルの頭を優しく撫でておく。


「っ……」


 すると、ユエルが首筋に頭を擦り付けてきた。

 ふとすれば聞き逃してしまいそうな程、小さな嗚咽の声を漏らしながら。


 ……頭を撫でられて、少し安心したのかもしれない。

 ユエルは温もりを確かめるかのように、俺の首に手を回してぐりぐりと頭を擦り付けてくる。


「あ、あぁっ!? ちょ、ちょっとシキ!?」


 それを見てルルカが叫ぶが、俺には今のユエルを止めることはできない。

 この行動が、一人の女性としてルルカを牽制しているだけなら止めたところだが、ユエルのこれはおそらく違う。


 ……ユエルはただ、不安なだけだ。


 ユエルはルルカではなく、ただ俺の瞳だけを見ていた。

 僅かな変化も見逃すまいと、ただ俺の瞳だけを真摯に見つめ続けていた。

 それはつまり、ユエルが心配しているのは、ルルカの接近自体ではなく、それによる俺の心の変化だということだ。


 「ルルカと二人きりになりたい」俺が、もしそう思ってしまったら。


 俺のそばに、奴隷であるユエルの居場所はあるのか。


 奴隷というのは、金銭で売買される存在だ。

 俺が「邪魔」だと思った瞬間に、ユエルは再び奴隷市に売られる。

 まぁ俺は絶対にユエルにそんなことはしないが、この世界の通念では奴隷というのがそういう存在であることに間違いはない。


 ユエルが今、一番頼りにしている存在は間違いなく俺だ。

 その俺がルルカとくっつくことで、普段から側にいる奴隷なんて「邪魔」だと、そう思われてしまうかもしれない。

 唯一頼るべき人のそばに、いられなくなるかもしれない。


 その心細さは、いったい如何程のものだろう。


 ユエルはまだ幼い。

 それに天涯孤独で、俺とユエルを繋ぐ関係も主人と奴隷という一方的なものだけだ。

 ユエルの境遇、そして今の心境を考えていると、なんだか可哀想になってきた。

 ルルカの前だが、もう一度ユエルの頭を撫でてみる。


「ま、また撫でたっ!?」


 ――ルルカが叫んだその瞬間。


 首筋に、ぬるりと生暖かい感触があった。

 その感触のある位置は、ちょうどユエルの口元があるあたり。


 舐めた。

 間違いなく、今、ユエルが俺の首筋を舐めた。


 ……い、いや、おそらく、俺の首筋にユエルの涙がついてしまったから、それを舐めとっているだけだろう。

 深い意味は無いはずだ。


 ルルカも気づいてはいないようだし、とりあえずここは無視しておこう。


 ……まぁ、ユエルのことはともかく。


 ルルカがやってきた理由が治療じゃないということは、俺に会いにきたということだ。

 しかも、わざわざこんな深夜にくるということは……。


 なるほどな。


「ルルカ、あの宿屋の時の続きをしたいっていうのはわかったけど、流石に時と場合を選んでくれないとな……」


 つまりは夜這いだ。

 ルルカは夜這いに来たのだ。

 あの日、宿が満員でできなかったことを、今やろうということだろう。


 でも、流石に今、ユエルがいるこの状況でそれは無理だ。

 ユエルが泣くし、もし泣かなかったとしても混ざってきそう。

 奴隷としてお手伝いされてしまう可能性が非常に高い。

 ユエル、なぜかまだ首のあたりを舐め続けてるし。


「宿? ……あっ、ち、違うから! こ、こんな時間に来たのは、領主様のところから抜け出してきたからでっ……領主様が最近魔物の事件とかで物騒だから、屋敷から出るなって言ってて……! ほ、ほら、私もフランに誘われて今そこでお世話になってるから! ついさっき、やっと警備の騎士の目を盗んで抜けてきたの!」


「……なんだ、そうなのか」


 なるほど、だからこんな時間に来たのか。

 まったく、あまり勘違いさせないでほしい。

 ユエルが上に乗っている状況で俺の妄想が膨らむのは、非常に不味い。


「う、うん! 特にフランなんてさ、領主様から絶対に外に出るなって厳命されててね!」


 まぁ、過保護そうだしなあの領主のおっさん。

 街中で魔物が暴れもすればそうなるか。


 ……というか、今ルルカは領主の屋敷に住んでるのか。

 どこかで宿をとっているんだろうなと思ってはいたけれど、まさか領主の屋敷だったとは。

 いや、フランとパーティーを組んでるなら、そうおかしい話でもないんだけれど。


 最近フランが迷宮に潜るのを領主に禁止されているとか言っていた気がするし、パーティーメンバーのルルカも多分無収入だ。

 その間、養ってもらっているのかもしれない。


「領主様がそんなに警戒するってことは、まだミスコンの時みたいな魔物が街中に隠されてるかもしれないってことか? あのドラゴンみたいな凶悪なやつとか」


「うーん、それはわかんないんだけどね。でも、騎士の人達が調査はしてるみたいだよ、よく騎士の人が領主様に色々報告しに来てるし。……あ、そういえばあのドラゴンね、今領主様の屋敷の庭で飼ってるんだ」


 今、ルルカが凄いことを言った気がする。


「い、今、あのドラゴンを飼ってるって言ったか?」


「うん、飼ってるの。餌も私が毎日あげてるんだよ?」


 そんなペットを飼うみたいに。


 あんな魔物、飼えるんだろうか。

 ただでさえ大型の肉食獣っぽいのに、石化のブレスを吹くあのドラゴンだ。

 まともな神経をしていたら近寄りたくもないと思うんだけれど。


 というかルルカは、あいつに石化させられかけたんじゃなかったか。

 あんなことがあれば、好きだと言っていたドラゴンも嫌いになりそうなものだけれど。


「あ、暴れたりしないのか? それに、お前、あのドラゴンに足を石化させられたのに……大丈夫なのか?」


「大丈夫だよー。ドラゴンって、本当に賢いんだよ? 人を襲ったのは全部、あの首輪のせいだったんだから。……あれ? でもシキ、やっぱりあの時、私も石化のブレス浴びてたんだよね?」


 おっと失言。

 ルルカにはエクスヒールを使えることは隠してたんだった。

 まぁ、こいつはうっかりフランあたりにポロっと言ってしまいそうだし。

 ユエルに治癒魔法のことは秘密だとも言ってしまっている。


「あ、あー……ど、どうだったかな」


 が、ルルカはすぐに石化のことなんてどうでもよくなったのか、


「……そ、それにさ、あのドラゴンが居たから、その、シキに……え、えへへ」


 ルルカはそう言って、もじもじし始めた。

 話を区切り、意味ありげに俺の目を見てくる。

 目が合うと、顔を僅かに赤くして下を向くルルカ。


 ――ちょっとドキっとした。


 ルルカは、今までも好意がありそうな仕草を見せていた。

 今までは、値引きを上手くいかせるためだけの、ただの演技だと思っていたけれど。


 でも、この好意にはちゃんと理由があった。

 あれは、演技じゃない。

 ただの、素の反応だったのだ。

 それだけで、ルルカのことが一層かわいく見えてくる。


 ――しかし、今はユエルもこの場に居るのを忘れてはいけない。


 ユエルは今、どんな表情をしているだろう。

 今の、ルルカの意味ありげな発言。

 さっきの時点で既に泣きそうになっていたし、もうぼろぼろ泣いていてもおかしくない。

 ユエルの方を確認する。


 けれど、ユエルの顔がよく見えない。


 でも、多分泣いてはいない。

 というか、おそらく既にルルカと俺の会話を聞いてない。


 ……ねぶっている。

 ユエルは、なぜか俺の鎖骨のあたりをねぶっている。


 俺が会話をやめてユエルを見ても、ねぶるのをやめる様子がない。

 角度の関係で顔は見えないが、ねぶられている感触だけは絶え間無く伝わってくる。

 一心不乱にねぶっている。


 ……これはアレだな。

 子供が不安な時に自分の指をしゃぶるみたいな、そういった心理の表れだろう。

 多分そうだ。

 きっとそうだ。


「ま、まぁ大丈夫なら良いんだけどな」


「えっ、えっと、それにね、私に凄く懐いてくれててね。他の人は絶対に乗せないのに、なぜか私だけ背中に乗せてくれるの! すっごくかわいいんだよ!」


 嬉しそうに、そう言うルルカ。


 そういえば、思い出した。

 あの襲撃の時、ルルカはドラゴンを守ろうとしていた。

 ドラゴンを撃ち落そうとする聖女達に、どうにかドラゴンを救えないかとかけあっていた。

 聖女に即刻却下されていたが。


 ドラゴンは人語を理解するとも聞いた。

 ドラゴンにあの魔物を操る首輪を着けている間の記憶が残っているなら、あの場でただ一人自発的にドラゴンを守ろうとしたルルカに懐くのは、当然な気もする。

 ルルカがドラゴンを庇うためにあの場に留まらなければ、少なくとも俺はユエルに首輪を破壊しろとは言わなかっただろうし。

 一目散にルルカを連れて、ターゲットにされていた聖女から逃げていただろう。


 ……聖女。

 そうだ。

 もうひとつ、大事なことを思い出した。


「そりゃよかったな。そうだ……そういえば今、領主の屋敷には聖女がいるんだっけ?」


 あの聖女は、今ルルカと同じ領主屋敷に居たはずだ。

 気になる。

 あの「見つけた」というのは勘違いだった、そういう結論を出しはしたんだが、やはりどこかで違和感がある。

 それとなく、ルルカから聖女のことを探ってみたい。


「聖女様? うん。領主様と毎日お話してるみたいだよ?」


「へぇ、あの領主のおっさんとな。……寄付がどうとか言ってた気もするけど、どんな話をしてたんだ?」


「……シキは聖女様のことが気になるの?」


 ルルカが何を勘違いしたのかジトッとした目で見てくるが、今のところあの聖女にそういった意味での興味は無い。

 貧乳だし。


「い、いや、気になるとかじゃなくて。ほら、魔物の襲撃とかも他人事じゃないしな。自衛のために、あの聖女様が領主とどんな話をしてるのか知っておきたくてさ」


「……うーん、まぁ、良いけどね。フランと一緒にちょっと話を聞いたから、少しならわかるよ? えっとね、聖女様がお祭りに顔を出すのは毎年のことらしいんだけどね、今年だけは別の目的があって、それで領主様と相談してたみたいなの」


 適当に誤魔化すと、ルルカが不本意そうな顔をしつつも教えてくれる。


「その、目的っていうのは?」


「なんかね、探し物をしに来たんだって」


 ――探し物。

 あの「見つけた」という聖女の口の動きが蘇る。


 やっぱり、俺の治癒魔法はバレていたのか?

 いや、でも、ここ数日聖女の側から何もアクションは無かったし……。


 いや、そうか。


 なるほど。

 領主のおっさんは、フランを助けたのもあって俺のことをかなり好意的に捉えていた。

 もし聖女が、クランクハイトタートル事件の調査のために、この街の有能な治癒魔法使いをマークしていたのなら。

 そのあたりを事前に調査していてもおかしくない。


 凄い実力でこの街の人々を救った俺を、教会の相応のポジションに迎えいれたい。

 けれど俺と領主の関係を知っていた聖女は、先に領主に話をつけに行った。


 しかし、領主は俺とフランをくっつけたがっていた。

 領主も、跡継ぎ候補を教会に取られるわけにはいかず、交渉が難航。

 そのまま数日が経ってしまった。

 そういうことかもしれない。


 ……いや、まいったな。


 俺はあんまり目立ちたくはないんだが。

 もし教会で相応の地位なんて与えられてしまったら、きっと神官の若い女の子が複数人身の回りの世話についたりして「キャー街を救った英雄様ー!」なんてちやほやされちゃったりするんだろう。

 本当に不本意だ。

 でも仕方ない、いや、バレてしまったなら本当に仕方ない。

 あの領主のおっさんも絡んでるなら悪いようにはならなそうだし、どうしても要職についてほしいなんて言われたらつくのもまぁやぶさかではないような気もする。


「へ、へー。それで、何を探してたって?」


「うーん、それなんだけどね。なんか私達にあんまり聞かせたくない話みたいで……その、壁越しにフランと盗み聞きしただけだからそこがよく聞こえなくて」


「……聞いたは聞いたでも盗み聞きだったのかよ」


 ルルカはともかく、フランならそういう重要そうな話にハブられたら盗み聞きぐらいやりそうだ。

 おそらくルルカは手伝わされたんだろう。


 ……まぁ、あの領主が絡んでいるなら心配する必要はあまりなさそうだ。

 あの領主のおっさんなら、聖女に俺のことを良く伝えるだろうし、何かあれば便宜をはかってくれそうな気もする。


「……いや、でも」


「どうしたの、シキ?」


 ……地方都市の領主と教会の聖女様って、どっちが偉いんだろう。


 宗教というのは、往々にして政治に強い影響力を持つものだ。

 しかも、この世界のメディネ教は治癒魔法なんていう本物の奇跡を操る総本山。

 そう考えると、なんだか地方領主という肩書きが霞んで見えてくる気がする。

 具体的にはうだつの上がらない中間管理職ぐらいに見えてくる。


 以前、困ったら頼れとか言っていた気がするが、頼りになるんだろうかあのおっさん。


「あ、そういえば思い出した!」


 そんなことを考えていると、ルルカが不意に叫んだ。


「えっと、誰かを粛清する? 聖女様、そんなことも言ってたよ。物騒だよねー」


「しゅ、粛清っ!?」


 聞こえてはいけない単語が聞こえた。


 今、粛清と言ったか。

 粛清、組織に不都合な存在を抹消する、そういう意味のあの粛清なんだろうか。


 い、いや、慌てるのはまだ早い。

 聞き間違いかもしれないし、粛清ではなく別のしゅくせいかもしれない。

 しゅくせい、しゅくせい、宿星。

 そう宿星だ。

 あの人は私の運命の星のような人、是非仲良くなりたい。

 そういう意味かもしれない。

 黒髪綺麗だねってナンパされたし。


「うん、教会に不利益をもたらしたあの者に罪を償わせる、とかなんとか。そんなことを言ってたよ」


 違った。

 粛清だった。

 まごうことなき粛清だった。


 いや、でも俺じゃないはずだ。

 俺は教会に不利益をもたらしたことなんて……。


 あるな。

 でかいのが一つある。


 あのクランクハイトタートル襲撃事件。

 街全体を覆い尽くすエリアヒールで、俺は街中の病人怪我人を片っ端から治療した。

 いくら迷宮都市で怪我人が多いといっても、数日は治癒魔法を生業にしている人間は仕事が皆無だったに違いない。

 そして、治癒魔法を生業としているこの街で一番大きな組織が、そう、教会だ。


 ……そういえば、以前俺をクランクハイトタートル討伐隊に勧誘したあの女騎士。

 もう名前は忘れたが、あの時教会の偉い人が討伐隊についてきてくれないとか、そんな泣き言も言っていた気がする。


 ――何かが繋がった気がする。


 以前見た光景が、脳裏を過る。

 それは、治癒魔法の実力を向上させるために、サクラを使っていた聖女の姿。


 ……自作自演。


 もし、もしもだ。

 メディネ教の人間が治癒魔法による報酬のために、あのクランクハイトタートルを街に連れてきたのなら?

 あの事件が、教会が利益を得るための、自作自演だったなら?

 その場合、教会がわざわざあんな大型の魔物を仕込んでまで掴んだ大きな商売のチャンスを、俺が潰したことになるのではないだろうか。


 まずい気がする。

 とてつもなくまずい気がする。


 既に教会が俺に敵対しているのなら、もし領主のおっさんが味方をしてくれたとしても、俺の権利に関しての交渉が成功する可能性はかなり低い。

 そもそも教会相手は割に合わないと、領主が一切味方してくれないかもしれない。


 この世界には、奴隷紋なんてものもある。

 権力さえあれば、人を無条件に服従させるなんて簡単だ。

 国家規模の強大な権力が明確に敵に回った時、個人に立ち向かう術なんてない。


 ……逃げるべきだ。

 メディネ教の影響が無い国まで、今すぐに全力で逃げるべきだ。


 まだ俺が住んでるところまではバレていないかもしれないが、黒髪の治癒魔法使いなんてこの街にもそう多くはいない。

 ダークエルフの少女を連れ回している黒髪の治癒魔法使い、なら一発で特定できる。

 騎士や適当な冒険者に少し聞き込みをしただけで、すぐにここに俺がいるとわかってしまうだろう。


 ……そうだ、夜逃げをしよう。


「どうしたのシキ? なんか、汗が凄いけど」


「だ、大丈夫だ、問題ない」


 関係ないが、ユエルはまだ俺の首のあたりを舐め続けている。

 きっと俺の汗を拭いているんだろう。

 ユエルの耳がなぜかほんのり赤くなっているとか、息が荒くなってきているとかは気にしてはいけない。

 これ以上の問題を考える余裕は今の俺には無い。


「えっとそれでね、盗み聞きした後、領主様にどんな話してたのかフランが聞いてたんだけど、やっぱり教えてくれなくてさ」


 ……領主と話。

 あ、重要なことが頭から抜け落ちていた。

 ちょっと、早とちりしたかもしれない。


「なぁ、一応確かめておきたいんだけど、ルルカが聞いてたのは聖女様とあの領主のおっさんの会話なんだよな? それは、間違いないんだよな?」


「う、うん。そうだよ? それがどうしたの?」


 そうだ。

 冷静になれ。

 ルルカが聞いたのは、領主と聖女の会話だ。


 聖女が街を守る義務のある領主に向けて「金を稼ぐために街を陥れようとしたら、何者かに邪魔されたので粛清したい」なんて会話をするはずがない。

 領主と教会が金銭で繋がっていればありうるかもしれないが、少なくとも領主が指揮をとる騎士団の面々は、全力で街を守ろうとしていた。

 この可能性も低い気がする。


 なんだか混乱してきた。

 そもそも、ルルカは聖女の目的は「探し物」だと言っていた。

 人を探していたのなら、「探し物」という表現はなんだか違和感を感じなくもない。


 ……色々聞いてみたのは良いが、聖女の目的はわかったようで何もわからない。

 わかったのは、何かを探しているということと、誰かを粛清しようとしているということ。

 俺に関係あるようで無いような気もする。


 というか、俺を粛清するとかそういう話なら、ここ数日のうちに身柄を拘束されていて然るべきだ。

 俺が逃げだしてしまう可能性もあるのに、監視もなく放置されているのは明らかにおかしい。


「あっ……シ、シキ、そ、それじゃあ私、時間も遅いしそろそろ帰るね。ま、また来るから!」


 そんなことを考えていると、ルルカが急に立ち上がった。

 ルルカは俺の後ろに視線をやりながら、まるで逃げ出すかのように治療院から出て行く。

 何事かと背後を見てみれば……エリスが部屋の外の廊下に立っていた。


 髪が濡れている。

 ちょうど今、風呂からあがってきたといった感じだ。


 ルルカが逃げたのは、治療費を値切っていた時の癖だろうか。

 もしかしたら、値引き交渉の度に怒られていたせいで苦手意識があるのかもしれない。

 ユエルも、ルルカが帰ったからか、いつの間にか俺の膝から降りている。


「ね、ねぇ、あなた……」


 そして、そのエリスは呆然とした顔で、なぜか俺を見ていた。


 どうしたんだろう。

 エリスが俺に好意があるにせよ無いにせよ、ただ治療に来ていたと考えればそこまで呆然とするようなことはない気がするが。


「その首筋の跡ってもしかして……やっぱり……もう、あの子とそんなことまで……」


 エリスが俺の首のあたりを見ながら、何かショックを受けたような顔で言った。

 声が震えている。

 信じたくない、そんな気持ちが伝わってくる声だ。


「……首筋?」


 触ってみるが、特に何があるというわけでもない。

 いや、唾液のようなものがついているような気はするが、特に何もないはずだ。


 いや、でも、エリスは跡がどうとか言っている。

 一応、部屋に飾られている鏡で確認してみると……。


 ――俺の首元の一箇所が、僅かに赤くなっていた。


 これは、肌を吸ったりした時に生まれる、内出血の跡。

 ……いわゆるキスマークというやつだ。

 そして、そこには僅かに唾液がついている。

 誰のかなんて、考えるまでもない。


「ち、違う! こ、これはルルカじゃない! ユエルだ! か、勘違いだから!」


 聖女の目的を考えることに集中しすぎて、全く気づかなかった。

 ユエルを見てみれば、恥ずかしそうに下を向いている。

 そして、銀色の髪から覗く長い耳は、真っ赤に染まっていた。


 聖女の目的は結局わからなかったが、わかったことも一つ。

 もしかしたら、あまり気にしていないのかと思った、ルルカにキスされたあの一件。

 ユエルさん、めちゃくちゃ気にしてる。

次の更新は三日後ぐらいです。

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