大司教。
あの黒髪の聖女、フィリーネと視線がぶつかった。
俺と目が合うと、フィリーネはニコリと微笑む。
笑顔のはずなのに背筋に寒気が走るのは、やはりさっきの、フィリーネの口の動きが原因だろう。
声までは聞こえなかったが、「見つけた」そう呟いたような気がする。
……ど、どういう意味だろう。
間違っても「あの時のかっこいい黒髪の人。時間が無くてあまり話せなかったけど、まさかこんな場所で再会できるなんて!」みたいな展開ではないはずだ。
ミスコン会場に来る前に確かに一度会ってるが、特に色気のある会話はしていない。
あの時話したことといえば、髪の色が同じだと言われたことと、治癒魔法使いなのかと確認されたことぐらい。
この可能性はありえない。
それに「見つけた」ということはあの聖女様は俺のことを探していたということになる。
……まぁ、教会の聖女様が探している人物というのに心当たりはないでもないんだが。
おそらく、クランクハイトタートル事件の時に、街に大規模治癒魔法をかけた人物だ。
あれは、この街で神の奇跡とか呼ばれているらしいし。
……街にあの大規模治癒魔法をかけたのは俺だ。
つまり探されていたのは俺だ。
見つけられてしまった。
ど、どうして見つけられてしまったんだろう。
ルルカ達をエクスヒールで治療した時は、ユエルが煙幕を張ってくれていたから見られていないはずなんだが。
煙幕の中には俺以外にも大勢の人がいたし。
偶然、煙幕を無効化するような便利な魔道具でも持っていたんだろうか。
……いや。
違うか。
俺はあの聖女に、ミスコン前に話しかけられている。
推測でしかないが、あの聖女は既にこの街で、実力のある治癒魔法使いにある程度あたりをつけていたのかもしれない。
ミスコン前に俺と話をしたのも、この街では優秀な部類に入る治癒魔法使いの俺に探りを入れていた、とかで。
そんな状況で、突然煙幕が張られたと思えば、煙幕の中の石化しかけていた人々が全員治療されていた。
そして、その煙幕の中にはマークしていた優秀な治癒魔法使いのうちの、一人がいた。
聖女から見れば、確定とは言わずとも、俺はかなり高い確率で当たりに見えた。
おそらく、そういうことだろう。
流石に、エクスヒール乱発はまずかったか。
まぁ、煙幕があろうがなかろうがルルカや他のミスコン参加者は治療していた。
男ならまだしも、目の前で巨乳美人達が死んでいくのを放置なんてできるわけがない。
いずれにせよ、俺の治癒魔法の実力はバレていたんだろうけれど。
……それに、既にバレてしまったことはもう考えても仕方が無い。
今重要なのは、この国の国教でもあるメディネ教の聖女様が、何の目的で俺を探していたのかということだ。
その目的次第で、今後の俺の行動も変わってくる。
主には今すぐ逃げるか、長いものに巻かれるかの二択になるけれど。
――と、そんなことを考えていると。
「おお、これは聖女様。なにやら魔物の襲撃があったと聞きしましたが」
神官服を着た中年の男が、聖女に近づきながら声をかけた。
体格は良く言えばふくよか。
悪く言えばまるでオークのようなまるまるとした体型。
後ろには、ぞろぞろと屈強そうな神官服の護衛を連れている。
おそらく、こいつも教会の地位ある人物なのだろう。
「……ダルノー大司教」
聖女にダルノー大司教と呼ばれたその神官は、周囲を見渡しながら崩れた仮設ステージや、転がる魔物の死骸に視線を向ける。
それから、気を失っているアースドラゴンに目を留めた。
そして、地面に広がる石化の痕跡を見ながら言う。
「……アースドラゴンですか。石化者の治療は……既に済んでいるようですな。魔物の襲撃があったと聞いて、私も微力ながら治療のお手伝いをと思ったのですが、どうやらその必要もないようで。流石は聖女様ですなぁ」
「いえ、私など。騎士や護衛の方々がいなければどうなっていたことか」
石化の治療の手伝い、ということはあのダルノー大司教とかいう神官もエクスヒールが使えるのだろうか。
まぁ大司教というのは、この街の教会のトップの役職だとエリスに聞いたことがある。
使えてもおかしくはないだろう。
これで俺の知る限り、エクスヒールが使える人物、二人目だ。
……でも、俺が知りたいのはそんなことじゃない。
俺が知りたいのは、あの聖女の目的だ。
……聖女があの大司教と話しているうちに、少しでも俺を探していた理由に関する情報を集めたい。
複数の護衛を連れた聖女と大司教が十数メートル先にいる時点で、俺はもう既にまな板の上の鯉みたいなものなのかもしれないが。
「しかし、まさか、この迷宮都市で聖女様を狙う襲撃があるとは驚きました。邪神教徒の活動の拠点は王都と聞いておりましたしな。いやはや、ご無事で本当に何よりです」
「アースドラゴンが出てきた時には驚きましたが、早々に気絶させることができたおかげで、幸いにも被害はありませんでした。あと一発でもブレスを放たれていたら、私の魔力量でも持たなかったかもしれませんが」
大司教と聖女が話を続ける。
邪神教徒、というのはなんだろうか。
襲撃の時にも、あの聖女がそれらしいことを言っていた気がする。
そういえば、エリスが読んでいた聖書には、過去に邪神が人類を脅かしたとか書いてあったか。
やはり、宗教対立とかがあるんだろうか。
……というかあの聖女、さっきはもう魔力が切れたとか言っていたのに、まだ少し余裕がありそうな口ぶりだ。
もしかして、あの魔力切れ発言は俺を釣るための嘘だったりしたんだろうか。
サクラを使って信仰集めをしていた時にも少し思ったが、なんだかこいつ腹黒そう。
さっきから、ずっと張り付けたような笑顔で大司教と話を続けているし。
「なるほどなるほど……しかし、聖女様もお疲れでしょう。是非とも我が教会でお休みになられてください」
「……ダルノー大司教、お言葉はありがたいのですが、私はすぐにでも今回の襲撃と対応について、メイルハルツ様と話をしなければなりません。先日から続けていた寄付金の件のお話もまだ終わっておりませんし、引き続きメイルハルツ様のお屋敷にお世話になろうと思います」
「……そうですか。それでは仕方ありませんな」
メイルハルツというのは、確かフランの家名だったか。
つまりはフランの父親、領主と話をするということだろう。
……今回の魔物の襲撃、騎士団の責任問題になったりするんだろうか。
まぁ、都市のど真ん中でこんな事件が起きたんだ。
しかも、狙われたのはこの国の国教の、聖女なんて肩書きを持つ重要人物。
普段から街の警備を担当している騎士が責められるのも仕方が無い。
そして、各都市の騎士団を指揮統括しているのは、その地の領主だ。
騎士の責任は、領主の責任。
そこを追及されてしまうのかもしれない。
領主のおっさん、心労で倒れなければいいけど。
「それでは失礼します。またお会いしましょう、ダルノー大司教」
そして、二人の話が終わった。
聖女は振り向くと、いよいよこちらに近づいてくる。
煙幕が晴れた直後の、あの「見つけた」という言葉。
その時の口の動きが、脳内で蘇る。
俺は一体、これからどうなるんだろう。
聖女の目的は、なんなのだろう。
わからない。
なんだか、チリチリと嫌な予感がしている。
さっきは逃げることも選択肢に入っていたが、冷静になればなる程、逃げるのは無理な気がしてくる。
国教の聖女。
どれほどの権力を持っているのかは知らないが、少なくとも逃げる俺を捕まえるぐらいの力は持っていそうだ。
たとえ今すぐ人混みに紛れて逃げたところで、相手がその気であれば捕まるのは時間の問題だろう。
俺の治癒魔法を利用するために身柄を拘束されたりするんだろうか。
街を救った功績を讃えてメディネ教に迎えるとかならまだ良いんだけれど。
自分で言うのもなんだが、俺には大きな利用価値がある。
先のクランクハイトタートル事件でわかったが、俺には街を覆い尽くす程の治癒魔法を行使できるだけの魔力がある。
これはつまり、街にどんな伝染病、風土病が大流行しようとも、俺一人がいればそれがなんとかなるということだ。
権力者なら、喉から手が出る程欲しいはず。
しかも、その権力者が治癒魔法に深い関わりのある大宗教ともなれば、絶対に確保したい人材のはずだ。
拘束されるだけならまだ良いが、権力にものを言わせて無理矢理奴隷紋のようなものを刻まれて、その上監禁されてもおかしくない。
まだエリスに手を出せていないのに。
ルルカともやっと良い感じになったのに。
俺には、まだやらなければならないことがある。
でも、国教という強大な権力を前に戦うなんてありえない。
逃げるのも愚策だ。
捕まった後はもっと立場が悪くなる。
……つまりは、俺が今すべきことは、交渉。
この聖女を相手に、どれだけ俺の権利を認めさせるか、そういう戦いになるだろう。
今にも、聖女が目の前にやってくる。
もう時間は残されていない。
俺は覚悟を決めて、聖女と話をしようと――
――したけれど、聖女は俺に視線すら向けずに、横を通り過ぎた。
俺のすぐ横を通って、広場を出て行く聖女とその護衛達。
引き返してくるような気配も、振り向くような様子もない。
おそらく、領主の館に向かったんだろう。
……あ、あれ?
まるで意識すらされてないような、華麗なスルー。
少し話したこともあるんだし、ここまで近くにきたら軽く目線を合わせるぐらいしてもよさそうなのに。
出来れば何事も起こってほしくないと思ってはいたが、ここまで何も起きないとそれはそれで違和感がある。
もしかして「見つけた」というのは俺の勘違いだったのだろうか。
……い、いやでも、確かにそう見えた。
目も合ったし、その後ずっとこっちを見つめていたし、しかもそれから微笑んだ。
何かしら理由があるはずだ。
そんなことを考えていると、ふと、あのダルノーとかいう大司教と目が合った。
……あぁ、本命はこっちか。
よく考えれは、聖女はまだ若い。
治癒魔法の実力はあっても、あまり重大なことは決められないのかもしれない。
あの大司教の、真剣な表情。
全てを見透かそうとするかのような、鋭い瞳。
どんな嘘をついてもバレてしまいそうな、そんな風格を感じる。
聖女から引き継いで、あの中年の大司教が俺の今後の処遇について話をする。
つまりはそういうことだろう。
……いや、やっぱりこれも違うわ。
大司教の視線がちょっとずれている。
こいつ、よく見たら俺を見ていない。
大司教は俺の後ろにいるエリスを見ている。
修道服に包まれた、エリスのエロい身体を見ている。
なるほど見透かそうとしていたのはエリスの服か。
眼光が鋭かったのは、少しでもエリスを精彩に見ようと目を細めていたんだろう。
真剣な表情なのも、全力でエリスの服の中を妄想していたからなのだろう。
まぁ気持ちはわからないでもないけれど。
エリスは美人だし。
俺も多分、毎日のようにそんな表情でエリスを見ているはずだ。
でも、やはりあの大司教はエリスを舐め回すように見るだけで俺は見ていない。
大司教や、その護衛の神官が話しかけてくるような様子もない。
それに、思い返してみれば聖女も大司教も、俺のことなんて一言も話していなかった。
本当に俺の勘違いだったんだろうか。
でも、あれは確かに……。
いや、事実、俺は教会の人間に意識されていない。
いくらそう見えたとしても、そう見えたというだけ。
俺の勘違い、だったのだろう。
……。
帰ろうかな。
ミスコンも、もう続行できそうにないし。
そして帰ろうとして、再び気づいた。
聖女のことが気になってつい頭から消えてしまっていたが、ルルカといろいろあったんだった。
しかも、それをユエルやエリスに見られていたんだった。
よく見れば、アリアも遠くで魔物の死骸を片付けながら、こっちを睨むように見つめている。
仕事を放棄してこっちにくるわけにはいかないんだろうが、凄く見られている。
どうやらアリアにも、あの瞬間を見られていたらしい。
忘れてた。
修羅場なんだった。
少し視線を下げてみれば、何も言わずに下を向いているユエルがすぐそばにいた。
……そういえば、さっきから服をくいくいと引っ張られる感覚があった気がする。
状況が状況だったから、無視してしまっていたが。
どうやら落ち込んでいるようだ。
まずは、このユエルをどう宥めようか。
書籍三巻が明日発売らしいです。
書籍版には、エリスアリア姉妹のエピソードの大きな加筆と、番外編にシキがルルカと出会った時の話が入ってます。
よかったらよろしくお願いします。




