聖女。
周囲の観客から、連鎖的に悲鳴が上がる。
空に浮かぶ黒い点、あれは間違いなく魔物だ。
「くっ、なぜこんなに大量の魔物がっ……!?」
気づいた警備の騎士が、声を上げた。
既に観客はパニック状態だ。
右に左にと、観客は好き勝手に逃げ始めている。
人の流れがめちゃくちゃすぎて、これでは逆に逃げにくい。
エリスやユエルと離れないようにしながら、俺たちも少しずつ逃げるために移動していく。
移動している間にも、騎士は既に魔物と応戦し始めていた。
そして、弓を持った騎士が魔物に矢を放とうとするが、
「待て、矢は撃つな! 人に当たる!」
別の騎士の、制止の声。
……この観客の数だ。
上に向けて矢を撃てば、魔物に当たるより、落ちてきた矢が人に当たる可能性の方が高い。
「くそっ、聖女様を狙った襲撃か!? 観客を守れ!」
騎士の一部が上空に向けて魔法を撃つが、いかんせん魔法では手数が足りない。
魔物の数は、なかなか減っていかない。
しかも、騎士が鳥型の魔物の相手をしているうちに、この広場に繋がる大通りを突進してくる、猪のような魔物の姿が見えた。
「ば、馬鹿なっ! 飛行型だけならともかく、あんな魔物まで街の中に入ったっていうのか!?」
警備の騎士の一人が叫ぶ。
確かに、いったいどこからこの魔物は現れたんだろう。
鳥の魔物なら城壁を越えて来たと考えられなくもないけれど、あんな猪型の魔物まで街の中にいるのは、明らかにおかしい。
迷宮の中の魔物が外に出たと言う話は聞いたことがないし、街の外周は城壁もあれば騎士の見張りも立っている。
こんな突然の魔物の襲撃なんてあってはいけないはずなんだが。
この襲撃は、あまりにも急すぎる。
まるで、ずっと魔物が街の中に居たかのような、そんな……。
「いや……いた。そうだ、街の中にいたよ」
そうだ、俺は街の中で魔物を目撃している。
よく見てみれば、魔物の全てに首輪のような魔道具がつけられているのが見えた。
あれは、やはりあの時の……。
――その瞬間。
地面に大きな影が落ちた。
見上げるとそこには、広場の上を周回する大型の魔物の姿。
見覚えのある、色、形。
……ドラゴン。
以前、旧市街の中でみかけた、あのドラゴンだ。
さっき、騎士が聖女を狙った襲撃がどうだかと叫んでいた。
あの魔物を操る首輪のこともあるし、これは間違いなく、人為的な魔物の襲撃だ。
あのドラゴンは、旧市街の中に隠されるように繋がれていた。
もしかして、この魔物達は旧市街の廃墟の中に隠されていたのだろうか……?
でも、隠し場所があったとしても、こんな数の魔物を街中に運び込むなんて不可能だ。
……いや、つい最近チャンスならあったか。
クランクハイトタートルの、毒霧事件。
あの時、パニックになっていた住民の対応で、騎士団の機能は一時的に麻痺していた。
あの時なら、混乱に乗じて街に魔物を運び込むこともできただろう。
「ちょっと、ま、まずいわよ」
そんなことを考えているうちにも、あまりの魔物の量に対応できないのか、戦線を支える騎士の方から魔物が流れてきた。
猪の魔物が、十頭近くだ。
俺たちはまだ、広場から逃げられていない。
逃げ惑う観客で先が詰まっているせいで、この広場から逃げようにも逃げられないのだ。
そうしている間に、猪の魔物は俺たちの方へ突っ込んでくる。
「ご主人様、下がってください!」
ユエルがナイフを投げて応戦するが、数が多い。
ユエルの攻撃は俺を守ることには成功するが、エリスに向けて突進する猪はまだ生き残っている。
「っ……!」
……不味い。
エリスに魔物と戦う力は無い。
「エリス!」
どうすればいいかなんて、そんなことは決まっている。
俺が魔物と戦うんだ。
俺はあの恐ろしいアーマーオーガとだって戦ったことがある。
あんな猪の魔物ぐらい、今更恐れる程でもないはずだ。
……というか逆にチャンスである。
こんなピンチで身体を張ってエリスを助けたりなんかしたら、間違いなく好感度は急上昇。
まぁ、一度猪の盾になった程度なら死なないだろうし。
悪くて骨二、三本といったところだ。
よし、行こう。
エリスを助けた後のことを想像し、煩悩で心を奮い立たせる。
覚悟を決めて、魔物にメイスを叩き込もうと、一歩を踏み出す。
そして次の瞬間――血飛沫が上がった。
……俺が魔物を殴ったわけではない。
エリスと魔物との間に、人が割り込んできたのだ。
その人は、近づいてきた猪の魔物数匹をほんの一瞬で真っ二つにしてみせた。
そこには、騎士の鎧に身を包んだアリアがいた。
「アリア……」
エリスが呟く。
「大丈夫? お姉ちゃん」
アリアは剣を振るって血を払いながら、エリスに笑いかける。
すると、エリスは、我に返ったかのように口を開いた。
「え、ええ、ありがとう」
安心したようなエリスの様子を見て、アリアがふふっと笑う。
なんだか、いたずらを考えている子供のような表情だ。
そして、まるでエリスのその言葉を待っていたかのように言う。
「お礼なんていらないんだよ、お姉ちゃん」
次の魔物を倒すため、アリアはエリスに背中を向ける。
そして、まるで宣言するように、堂々と言った。
「私、騎士なんだから」
「っ……」
アリアは、周囲の魔物をとんでもない勢いで殲滅していく。
全ての魔物を一刀両断。
力強く、そして素早く魔物の数を減らす。
騎士の中でも、随分と際立った動きだ。
まるで、エリスに見せつけているようでもある。
「アリア……」
エリスは口元に手を当て、瞳に涙を溜めながらそんなアリアを見つめている。
立派になった妹に感動しているのかもしれない。
美人がそういうことをやると、とても絵になる。
……でも、魔物を倒してその視線を受けるのは俺だったはずなんだけど。
俺がエリスに男らしいところを見せ、エリスがきゅんときてしまうところのはずだったんだけど。
いや、まぁ今回だけは仕方ないから譲るけど。
エリスが嬉しそうだし。
しかし、アリアが俺たちの前で活躍すると同時。
――空を旋回していたドラゴンが、聖女の居る壇上の方に向かって突っ込んだ。
仮設のステージが壊れる破砕音と、大きな悲鳴が周囲に響き渡る。
……まずい。
あそこにはルルカもいたはずだ。
ルルカは今、防具も何もつけていない。
今の攻撃で重傷を負った可能性もある。
「アリア! エリスのことは任せた! ユエル、ついてこい!」
アリアに任せれば、エリスの身の安全には万に一つの危険も無いだろう。
さっきの猪との戦いだけでも、アリアが並々ならぬ実力を持っていることは十分わかる。
ルルカのいる、仮設ステージへと走る。
あそこには、ルルカ以外にも怪我をした巨乳美女も複数いるはずだ。
すぐに治療してやらなければ。
壊れたステージの近くには、複数の薄着の女性と、聖女や護衛の騎士達が居た。
ルルカもいる。
けれど、怪我人は……いない。
どうやら、既にあの聖女に治療してもらっていたらしい。
ドラゴンは攻撃の後、もう一度空を飛んで高度を上げたようで、このステージを狙うような素振りを見せながら旋回している。
「シキ! ねぇ、あのドラゴン……やっぱり私達が旧市街で見たあのドラゴンだよね」
「あぁ、あの時のだな」
「お、おかしいよ! ドラゴンはこんな風に人を襲ったりするはずないのに!」
なにやらルルカは必死な表情だ。
そういえば、ルルカはドラゴンが好きなんだったか。
まぁ、この攻撃には魔物の意思なんて関係無い。
あの首輪は、魔物を操る魔道具だ。
あれでドラゴンや他の魔物を操っている存在が、どこかにいるはずだ。
「気をつけてください! アースドラゴンは石化のブレスを使います!」
聖女の護衛が、声を張る。
ブレスか。
しかし、石化と言われてもピンとこないけど。
すると、聖女自身が護衛の言葉を補足する。
「ブレスを浴びた場合、全身が完全に石化しきってしまう前にエクスヒールか、専用の治療薬で治療しなければ確実に死に至ります。絶対に浴びないようにしてください」
ブレスやばい。
つまりは空の魔物や地上の魔物は騎士を引き付ける陽動で、こっちが聖女を狙う大本命ということだろう。
……このままだと、間違いなく巻きこまれる。
これはさっさと逃げるべきだ。
「ルルカ、早く逃げるぞ。ここにいたら巻き込まれる」
そして、ルルカに声を掛けるが、
「アースドラゴンの弱点は火の魔法。火炎魔法で撃ち落としますか?」
ほぼ同時に、護衛の一人、魔法使いらしき人物が聖女の指示を仰いだ。
「っ……! あ、あの、他に方法はないんですか!?」
そして、護衛の言葉にルルカが反応する。
……多分、知性の高いドラゴンを殺したくないんだろう。
短い時間だが、手渡しで餌まで与えてかわいがっていた。
ルルカはあのドラゴンに、情が移ってしまったのかもしれない。
「あの首輪で魔物を操るのは、邪神教徒の常套手段です。首輪を破壊さえすれば、攻撃は止むと思いますが……理解してください」
聖女が、ルルカにすまなそうな顔で説明する。
これは、遠回しに無理だと言いたいんだろう。
地上の人の安全のため、空に矢を撃つことはできない。
必然的に、空を飛ぶドラゴンへの攻撃手段は、魔法ひとつになってしまう。
そして魔法では、ピンポイントに首輪だけを破壊するなんて芸当はまず無理だ。
しかも、相手は石化のブレスを使う難敵。
ドラゴンの命まで気遣っている余裕なんて、まず無いだろう。
「ユエル、なんとか首輪をナイフで狙えないか?」
「……ごめんなさい、飛距離が足りません」
一応ユエルにも聞いてみるが、やはり駄目らしい。
けれど、ユエルは何かを思いついたかのように口を開く。
「あっ、でも、あの建物の屋上からナイフを投げれば、もしかしたら届くかもしれません。高いところからなら、紐付きのナイフを使えば下の人に当たることもないですし」
ユエルが指差す先には、五階建ての宿があった。
確かにあそこからなら届きそうだ。
ドラゴンも聖女達の隙を狙い続けているようで、低空を旋回しているし。
「ユエル、頼む」
「はい、ご主人様!」
ユエルに言うと、ユエルは全速力で建物の方へと走っていく。
人の隙間を抜けたり、人の肩を足場にしたりと全速力だ。
建物は広場の目の前だ。
あの様子ならすぐにたどり着くだろう。
まぁ、聖女の護衛がドラゴンを殺すのが先か、ユエルがナイフを首輪に直撃させるのが先かはわからないが、一応できることはした。
これで、逡巡しているルルカも一緒に逃げてくれるはずだ。
とにかく、この聖女の近くにいるのは不味い。
巻き込んでくれと言うようなものだ。
「ルルカ、もういいだろ。逃げるぞ!」
――そして、ルルカの手を引いてアリア達の方へと逃げようとした瞬間。
「ファイアーランス!!」
巨大な炎の槍が、聖女の護衛の頭上に生まれ、ドラゴンに向かって飛んでいく。
ドラゴンはそれを回避するが、また別の護衛の頭上に炎の槍が生まれ、ドラゴンを撃ち落とすため発射された。
そして、二発目の炎の槍はドラゴンの翼膜の端を貫いた。
次の瞬間。
狙い撃ちにされるのを嫌ったのか、ドラゴンが地面に向かって急降下してきた。
地面に直撃するような角度で下降すると、大きな翼を羽ばたかせてふわりと減速。
地上から数メートル程度の位置を維持すると、口を大きいた。
その口からは、灰色の吐息が漏れている。
……これは、まずい。
灰色のブレスが、視界を埋め尽くす。
咄嗟に距離を取ろうとするが、僅かに間に合わない。
ブレスを、浴びてしまう。
――そして、ブレスが俺に届こうとした時。
俺は誰かに押し倒された。
地面にうつ伏せに倒れ、誰かの下敷きになる。
自分の肩に、赤い髪がかかっているのが見えた。
背中には、柔らかい感触がある。
どうやら、ルルカが俺を押し倒したらしい。
「お、おい、大丈夫か……?」
身体を起こしてルルカを見る。
すると、
「あ、あはは……やっちゃった」
そこには、足先を灰色に変え、力無く笑うルルカがいた。
どうやらブレスを僅かに浴びてしまったらしい。
石化した部分を見てみれば、その灰色は時間と共にだんだんと広がっている。
しかも、ドラゴンは二発目のブレスを吐くために、こちらを見て口を大きく開けていた。
これはまずい。
…………いや。
もっとまずいものが目に入った。
ユエルを向かわせた建物の屋上。
そこから、ユエルが飛んでいた。
文字通り、五階建ての建物の屋上から、ユエルが命綱も無しにダイブしていた。
ユエルはナイフを下向きに構えながら、ブレスを吐こうと高度を下げたドラゴンの、真上を狙って落ちていく。
多分、首輪を壊そうとしているんだろう。
でも、アクロバティックすぎるし危なすぎる。
俺がブレスを浴びそうになっていて焦ったのかもしれないが、やり過ぎだ。
そこまでしろとは言ってない。
「ユエル!!」
……不意にドラゴンが羽ばたいて、ユエルの落下コースから外れた。
駄目だ。
このままユエルが落下すれば、ドラゴンの横を素通りして地面に激突してしまう。
五階建ての建物から落下なんて、骨折では済まない。
なんて無茶をしてくれるんだろう。
今からユエルの落下地点に向かおうにも、どうしたって間に合わない。
心臓がキュッと縮む感覚。
けれど、ユエルは落下しなかった。
ユエルはドラゴンの首に向けて紐付きのナイフを投擲し、それをひっかけて落下の勢いを利用しドラゴンの首によじ登る。
そして、ドラゴンの首輪にナイフを突き刺した。
墜落するユエルとドラゴン。
ユエルはそのドラゴンの身体をクッションにすると、綺麗に衝撃を殺して着地した。
……もう流石としか言えない。
これでブレスの二発目はこない。
安全は確保された。
「すみません、もう……私には魔力が……」
けれど、聖女が近くにいた三人をエクスヒールで治療すると、ガクリと膝をついた。
一発目のブレスは、どうやら十人程度が範囲に入ってしまっていたらしい。
そして、聖女が治療した三人の中に、ルルカは入っていない。
「っ……」
ルルカの顔が、失意に歪む。
石化の進行はそこまで早くない。
石化のブレスを受けた人は、まだ全員生きている。
ここはやるしかない。
実力がバレるとかバレないとか、そんなことを心配している場合ではない。
ルルカの命には変えられない。
俺は、まずはルルカに対してエクスヒールを発動させようと魔力を……、
その瞬間。
「な、なんだ!?」
「これは……煙!? 新手か!?」
突如として、もくもくと白色の煙が周囲を埋め尽くし始めた。
一瞬新たな魔物の襲撃かと思ったが、違う。
……これはユエルだ。
――煙玉。
そういえば、強敵から逃げるために買ったって言ってたなぁ……。
それに、俺はユエルに言っていた。
「治癒魔法のことは、俺とユエルの秘密だ」と。
幸い、ここは騎士達が魔物と戦う主戦場とは離れている。
煙幕が戦闘の邪魔になることも多分無いだろう。
正直もう実力がバレても仕方ないとは思っていたが、バレないならバレないに越したことはない。
ファインプレーだ。
煙が消えないうちに、全てを済ませる必要がある。
まずルルカを治療して、ブレスの範囲内にいた全員に、片っ端からエクスヒールをかけていく。
そして、全員を治療し終えると、
「シキ、どこ……?」
弱々しい、ルルカの声が聞こえた。
声に力がない。
……もしかして、治療に失敗したのか?
俺に石化の治療の経験はない。
可能性はある。
すぐにルルカの元へと戻る。
「ど、どうした!? どこか痛むのか!?」
どこか、石化が治療できていなかったのかもしれない。
ルルカの全身を、くまなく見ていく。
綺麗な赤い髪。
黒いビキニの下の大きな胸はやわらかそうに揺れ、お腹のあたりはキュッと引き締まり、足は健康的にすらりとのびている。
……石化はしてないな。
「あぁ、シキ、良かった。最期に顔が見れて……」
けれど、ルルカは俺の顔を見るなりそう言った。
もう一度ルルカの身体を確認するが、石化しているような様子はない。
露出がエロいだけだ。
……もしかして、既に治療されていることに気づいてないんだろうか。
まぁ、煙玉の煙が濃いせいで、石化の状態も視認しにくいのかもしれないが。
「……シキ、あの時は急に逃げちゃって、ごめんね」
ルルカと視線がぶつかる。
……こうやって顔を合わせると、なんだか恥ずかしくなってくる。
以前の別れ方が別れ方だ。
もしあの宿が満員でなければ、一線を越えてしまっていたかもしれないわけだし。
そして俺が視線を逸らすと、頬に暖かい感触があった。
ルルカの手が、触れたのだ。
「ずっと言えなかったけど……シキ。私、私ね……」
そして、ルルカがジッと俺の目を見つめながら、何かを伝えようとしてくる。
なんだろうこれ。
もしかしてアレだろうか。
アレだったりするんだろうか。
でも、アレだとしたら、このタイミングは非常に不味い。
多分、ルルカは自分がもうすぐ石化で死ぬ運命だと勘違いしている。
エクスヒールを使えるという聖女が、魔力切れを宣言したのだ。
ルルカは俺がエクスヒールを使えることなんて知らないし。
多分、死ぬ前だからこそ言える、みたいなアレだろう。
駄目だルルカ。
今はいけない。
お前は紛れもない健康体だ。
絶対に、後で恥ずかしいことになるからっ……!
が、そんな俺の祈りも届かず、
「私ね、シキのことが、好きだよ」
ルルカは手を俺の頬に添えながら、弱々しい声で言った。
弱々しい声になる理由はどこにもないのだが、多分、ルルカは思い込みが強い方なんだろう。
……しかし、やはりそうか。
なんとなく、好意を持たれている気はしていた。
ただ、理由がわからないだけで。
ルルカはそんな俺の様子に気づいたのか、話を続ける。
「私、盾しか使えないのに一人で冒険者なんてやってたからさ。魔物を倒すのはあんまり上手くなくて、フラン達と組むまでは全然稼げなかったんだ。武器とか防具にお金をとられて、魔物の攻撃を受けては怪我と傷跡が増えていくばっかりでね」
そういえば、フランがルルカと組んだのは割と最近だと言っていた気がする。
ルルカは盾のスキルしか持っていない。
ユエルのように敵の攻撃を回避できるわけでもないから、確かに装備の劣化は激しいだろうし、体に傷も増えるだろう。
「シキと初めて会ったのは四ヶ月ぐらい前だったかな。シキは覚えてないみたいだけど、私あの時、身体中が生傷だらけでね、痛いし、女の子なのに人に見せられるような肌じゃないし、ずっとコンプレックスだったんだ」
コンプレックス。
……ルルカのその言葉に、ある場面が脳裏を過る。
フランやセラとの、初対面の時。
ルルカに頼まれて、傷を治してやったのに、フランは「私は頼んでない」と怒っていた。
今まで、あれは男嫌いからくるものだと思っていたけれど、もしかしたら違ったのかもしれない。
そうか……あれは、俺が勝手にやったというニュアンスではなく、ルルカがどうしても治療するように勧めたから仕方なくフランは治療を受けた、という意味だったのだろう。
今更ながら、納得がいった。
「でも、シキは私の全身の怪我を、傷跡を治してくれた。なのに、ヒール一回分のお金しかとらなかった。……あれ、きっとハイヒールだったんでしょ? ヒール一回で全身の傷も傷跡も治すなんて、普通できないもん」
ルルカの独白は続く。
でも、それは多分ただのヒールだ。
俺がこの世界に来たばかりで、魔力の扱いに慣れていなかった頃の話だろう。
魔力操作をミスって治癒魔法が暴発したというだけだ。
「ごめんね、シキ、最期にこんなこと言って。迷惑だよね。……あぁ、もうシキの顔がぼやけて見えないよ」
それは煙幕だ。
石化のせいじゃない。
ルルカはもうどこにも傷も病気もない。
俺が保証する。
でも言えない。
ここでそれを言うのは、流石に残酷すぎる。
そうしてずっと無言でルルカと見つめ合っていると、広場に風が吹いた。
だんだんと、煙が晴れていく。
どうやらもう、魔物騒ぎは収束に向かっているらしい。
首輪を破壊されたドラゴンは気絶しているし、他の魔物も駆けつけた増援によって駆逐されていた。
多分、あれは武闘大会の参加者達だろう。
アリア達騎士の活躍もあってか、死者や重症者なども特に見当たらない。
やはり、ユエルが首輪を破壊したあのドラゴンこそが聖女を狙う本命だったようだ。
「えっ……あ、あれ!?」
俺が周りの様子を確認しているうちに、どうやらルルカは違和感に気づいたらしい。
ルルカの目が、俺の顔を見て、自分の身体を見て、そして止まる。
それから数秒固まると、もう一度俺の顔を見て、自分の身体を見る。
全てを理解したのだろう。
ルルカの顔が赤く、赤く染まっていく。
「え、な、なんで!? 石化のブレスが当たったはずなのに!?」
混乱するルルカ。
まぁ、エクスヒールなんてものはこの世界でも本当に限られた人間しか使えない。
俺が使えるなんて、夢にも思わないはずだ。
煙幕の中の誰かがやったのはわかるはずだが、幸いなことにここには大勢の人が集まっている。
特定することはできないだろう。
「ギリギリで避けれたんだろ?」
「えっ、でも……あ、あれー?」
ルルカは首を傾げながら、悩み始める。
けれど、俺と目が合うとビクリと硬直した。
……そして、ルルカがこちらの反応を窺うように聞いてくる。
「そ、その、さっきの話なんだけど……」
「あぁ、そのことなんだけど……一つ言っておかないといけないことがある」
軽く咳払いをしてから言う。
「俺は治癒魔法のコントロールが下手なだけなんだよ。ルルカにハイヒールをかけたのは、ただの偶然だ」
ここはハッキリさせておかなければいけないだろう。
ルルカがここに恩を感じたというんなら、それは間違いだ。
俺がそう言うと、ルルカは「……そっか」と呟いて、僅かに俯く。
……あ、これ、言うべきじゃなかったかもしれない。
少しもやもやするからつい言ってしまったが、よくよく考えればこんなことはどうでもいいことだ。
これでルルカの好感度が下がってはもともこもない。
「あ、いや、今のはその……」
そして、俺がさっきの発言の弁解をしようとすると、
「……でもね、きっとシキは私の傷跡に気づいていれば、きっと安く治してくれたと思うんだ。シキはセクハラは好きだし、どうしようもないような嘘もついたりするけど……凄く、優しいから」
ルルカが、俺の目を見つめて言った。
「私はやっぱり、シキが好きだよ」
そして、二度目だ。
ルルカの顔は赤いが、多分俺の顔も赤い。
ど、どうしよう。
いままでセクハラばかりしてきたせいか、こうもストレートに好意をぶつけられると、逆にどうしていいのかわからない。
「そ、そうか。その、なんて言えばいいかな、えっと……」
そして、俺がルルカにどうにか言葉をかけようとすると、
――くいっと、服を引っ張られる感覚があった。
背中に感じたその感覚で、ルルカだけに向かっていた意識が、一気に広がっていく。
ユエルだ。
いつのまにか、ユエルがすぐ後ろにいた。
いつから居たんだろうか。
……ユエルのことだ。
煙幕を張ったあたりで、護衛のために俺の後ろに張り付いていてもおかしくない。
しかも、そのユエルのさらに後ろにはエリスもいた。
「っ……」
エリスは俺と目が合うと、反射的に顔をそらした。
エリスがどういう心境なのかはわからないが、女の子に告白されていたところを見られるなんていうのは、好感度上昇の材料にはどうやってもなりえないだろう。
これはまずい。
「ご、ご主人様……?」
ユエルは不安気な表情で俺の服をつまみながら、ジッと俺の目を見つめている。
やっぱり、完全に話を聞かれていたようだ。
とてもまずい。
「あ……」
そして、どうやらルルカも二人に気づいたらしい。
ルルカはアイテムボックスから外套を取り出すと、それを羽織って身体を隠す。
そしてそのまま膝を立てると、そのまま体を伸ばし――
その唇を、軽く俺の頬に触れさせた。
「っ!?」
「……ま、またね」
それからルルカは耳元でそう呟いて、顔も見ずに走り去っていく。
……多分、恥ずかしかったんだろう。
俺もかなり恥ずかしい。
でも、どうしよう。
恐る恐る、ユエルとエリスの方に視線を向けてみる。
そこには、
「……」
俯いて頑なに顔を上げようとしないエリスと、
「あ、あぁ、ご、ご主人様が、ごしゅじ、さまが……」
今にも泣き出しそうな瞳で、俺を見つめるユエルがいた。
と、とんでもない修羅場を残していってくれた!
これは、過去最大級にやばい。
口先だけで言い逃れられるとは、とうてい思えない。
何か縋れるものは、逃げ場はないかと周囲を見渡す。
するとふと、十数メートル先にいる、あの聖女。
フィリーネと目が合った。
そして、フィリーネは俺に向かって何かを言う。
遠過ぎて、声は聞こえない。
でも、何を言ったのかは、なんとなくわかってしまった。
ルルカのせいで上がっていた体温が、スッと冷えた。
ユエルの声も、右から左へと抜けていく。
俺には読唇術の心得なんてない。
間違っているかもしれない。
でも、確かに唇がそう動いたように、感じてしまったのだ。
「見つけた」
彼女は、きっとそう言った。




