ミスコン。
これは、今朝のことである。
「ご主人様、今日は一緒にお祭りを見て回りませんか?」
目を覚ましたばかりの俺に、ユエルがはにかみながらそう言った。
指先や太ももをもじもじと忙しなく動かしながら、ユエルはその青くつぶらな瞳で俺を見つめて返事を待つ。
なぜユエルがこんなことを聞いてくるかといえば、それは今日が祭りの当日だから。
数日の準備期間を終えて、今日、街では多くのイベントが開かれる。
「ご主人様、駄目、ですか?」
返事をしない俺に、ユエルが僅かに不安そうな顔をする。
もちろん駄目なわけがない。
「いいや、全然駄目じゃない。それじゃ、今日は一緒に祭を見に行くか!」
「はい、ご主人様!」
ユエルの明るい笑顔が眩しい。
きっと今日は、とても楽しい一日になるだろう。
ユエルの笑顔は、そんな予感を感じさせる程に晴れやかだった。
……けれど、俺はこの時とても大切なことを忘れていたことに、気づけなかった。
その後ユエルがエリスを誘い、三人で街を巡ることになった。
エリスは治療院を閉めてまで一緒に来ることは無いかと思っていたが、やはり今日は祭りの日。
エリスも少し遊びたかったようで、ユエルの誘いを快諾していた。
そして、行き先を決めようという段階になり……俺はやっと思い出した。
以前、ルルカが言っていた。
……祭りの当日には、ミスコンがあると。
エリスも言っていた。
……ミスコン参加者は、とても露出の多い格好をすると。
そうだったのだ。
今日は、街で一番の美女を決める大イベントがある。
きっと、それはもうレベルの高い巨乳の美女が大勢集まることだろう。
しかも、とても肌の露出が多い衣装でそれをやると言う。
そんなイベントに、俺が行きたくないわけがない。
俺の今日の行き先は、ミスコン会場以外にありえない。
……けれど、既にユエルともエリスとも行動を共にしている。
ユエルとエリスを連れて行くのは問題がある。
やはり、ミスコンに行く理由がネックだ。
ユエルには適当な理由をつけて誤魔化すことができるとしても、エリスには俺が美人と過激な衣装目当てで見物に行くことなんて、ミスコンという単語が出た時点で丸分かりだろう。
ミスコンを見に行くなんて言えば、呆れられるのは間違いない。
しかも、もう既にユエルが行きたいところがあると言うので、その場所に向かっている途中である。
今更ユエルの意思を無視して、ミスコン会場へ舵を切ることなんてできるわけがない。
ユエルの期待を裏切りエリスから軽蔑されることも覚悟してミスコンを見に行くか、それともミスコンを諦めるか。
まさに究極の選択。
でも、ユエルのご主人様として、俺が取るべき行動は決まっている。
俺は覚悟を決めて、ユエルの目指す先、武闘大会の会場へと足を進めた。
武闘大会観客席。
大きなコロッセオ風の建物の中。
この大会は総当り形式らしく、多くの戦士達が木刀を持って殴り合っている姿が眼下に見下ろせる。
ユエルの目的は、この武闘大会を見学することらしい。
アーマーオーガと戦ってから、ユエルはよく庭でナイフを素振りしてたりもする。
多分、他人の戦う姿を見て学ぼうということなのだろう。
そういえば、最近よく行っていた酒場のアルバイトでの報酬も、投げた後に手元に引き戻せる長い紐付きのナイフを買ったり、強敵から逃げるための煙玉を買ったり、俺が意識を失った時のための低級回復薬を買ったりと、色々と魔物と戦う準備のために使っているらしい。
俺はもうあまり危険なことに首を突っ込むつもりはないのだが、ユエルは着々と戦う準備を整えている。
多分、何があってもご主人様を守れるようにと備えているのだろう。
ちょっと頑張りすぎな気がするが、張り切っているユエルを止めるのも気が引ける。
だからこそ、今日はユエルに存分に武闘大会を見て、学び、楽しんでほしい。
そのために、俺はここに来ることを選択した。
ユエルの悲しむ顔なんてみたくはない。
だから、俺は安直にミスコン会場に向かうことなんてことはしない。
「い、いたたたたた!! ……あぁ、は、腹がぁっ……!!」
「ご、ご主人様っ、どうしたんですか!? だ、大丈夫ですか!?」
「あぁっ、これは不味い! くっ……痛みでどうにかなりそうだっ……! ……ユ、ユエル、俺はしばらくトイレに篭らないといけないようだ。俺はトイレに行ってくる。だから、ユエルはエリスからはぐれないように一緒にいてくれ。わかったな?」
「ご、ご主人様っ、私も付き添います!」
「だ、大丈夫だ、ご主人様を信じろ。いいか? ユエル、絶対にエリスから離れちゃ駄目だぞ? はぐれたら大変だからな! いいか、絶対だぞ?」
――名付けて永遠のトイレ大作戦。
腹を壊した風を装って、俺はミスコン会場へ向かう。
シンプルではあるが、ユエルは目的の武闘大会を観れるし、俺は体裁を保ったままミスコン会場へと向かうことができる。
この作戦の弱点は、ミスコンを見る時間が長引いた時、ユエルが心配してトイレまで来てしまう可能性だが、あれだけ言い含めておけば、ユエルはトイレに行くなんてことはしないはず。
エリスがジトッとした目で俺のことを見ていたのが気になったけれど、あまり細かいことを気にしても仕方が無い。
そんなことよりミスコンだ。
街一番の、巨乳美人。
美人の女の子が過激な衣装。
もう俺の頭にはそれしかない。
行こう。
早く行こう。
今すぐ行こう。
もう、ワクワクが止まらない。
そうして俺は、一人武闘大会の会場から抜けだした。
ミスコン会場は、武闘大会の会場から数分離れた広場にあった。
広場には大きな仮設のステージが作られており、その周囲には既に大勢の人がいる。
けれど、まだ始まってはいないようだ。
どうやら少し早かったらしい。
この場所には、きっと長い時間居ることになる。
会場へ入る前に、屋台でつまみと飲み物を買っておくことにしよう。
そう思い、近場の屋台を物色する。
すると……
いつだか見かけた女神官。
聖女と呼ばれていた黒髪貧乳の女が、いつの間にか俺の隣にいた。
「とても綺麗な髪ですね」
……そして、ナンパされた。
いや、急に褒められたからといってナンパと決めつけるのは早計か。
声をかけられただけだ。
「あぁ、突然失礼致しました。私、フィリーネと申します。このあたりではあまり見ない色ですから、つい気になってしまいまして」
突然のことに俺が固まっている間にも、女神官は自己紹介をしてくる。
しかし、なんで俺は声をかけられたんだろうか。
こいつは多分、メディネ教でもかなり高位の神官だ。
聖女なんて呼ばれるぐらいだし。
それに今だって、護衛のような神官服の人間が近くに複数いる。
女の子に声をかけられた嬉しさよりも、どうにも警戒心が先に立ってしまう。
「ど、どうも」
そして、フィリーネは俺の姿をよく確認すると、
「あなたは、治癒魔法使いなのですか?」
こう聞いてきた。
俺が着ているのは、治癒魔法使いがよく着ているいつもの修道服だ。
服装でわかったんだろう。
なんでそんなことを聞くのかはわからないが、身分の高そうな人間を無視するわけにもいかない。
後が怖いし。
「あぁ」
とりあえず返事をする。
すると、フィリーネは俺の顔を覗き込むかのようにじっと見てきた。
まるで、品定めでもするかのような理性的な瞳だ。
なんだろう。
教会の偉い人が、俺を品定めするような目で見る理由。
そんなもの、無いはず……
いや、あった。
結構やばいのがあった。
クランクハイトタートル事件の時の、街全体をカバーする治癒魔法。
あれだ。
あれは確か、今この街ではメディネ神の奇跡だとか言われて神聖視されているらしい。
教会の人間なら、誰があんなことをやったのか、是非とも知りたいところだろう。
……あ、あれ、まずくない?
その教会の偉い人が、俺に声をかけてしかも品定めするような視線を向けている。
しかも、さっきの質問が「あなたは治癒魔法使いですか?」だ。
もしかしたら、あの時、誰かにエリアヒールを使う瞬間を見られていたのかもしれない。
なんだか非常に不味い状況な気がしてきた。
「な、なぁ、もういいか? ちょっと今時間がなくてな」
ここは、ボロを出す前に撤退するべきだ。
バレているとしても、バレていないとしても、こいつと会話するのは不味い気がする。
「あぁ、突然お声をおかけしてしまってすみませんでした。また、お会いしましょう」
引き止められるかと思ったが、フィリーネは俺を引き止めはしなかった。
……バレていないのか?
ただ、似た髪色が珍しいから声をかけただけだったりするんだろうか。
わからない。
けれど、あのフィリーネとかいう女神官にはあまり関わらない方が良さそうだ。
少しの不安を抱えながらも、俺はミスコン会場へ戻ることにした。
アクシデントはあったが、俺の高まった気持ちはあの程度では鎮まらない。
今は、今を全力で楽しむだけだ。
ちょうどコンテストも始まる瞬間だったらしく、牛のような角を生やした獣人が、その巨乳を揺らしながら壇上を歩いているのが見えた。
気になる服装は、水着のようなビキニスタイル。
仮設ステージの上に設置された、発光の魔道具が、彼女の白い肌をさらに白く見せている。
どうやらあれが一人目らしい。
ミスコンに参加するだけあって、確かにかなりの美人だ。
そして、歩くたびにゆっさゆっさと揺れるあの胸は、多分エリスを超える。
バランスという意味ではエリスに軍配が上がるが、あの大きさはそれだけでロマンだろう。
……というか、あれ、どこかで見たような。
と、そんなことを考えながら、巨乳美女を鑑賞していると、
「あっ、ご主人様! お腹はもう大丈夫なんですか!?」
背後の方から、聞こえてはいけない声が聞こえた。
振り向けば、そこには予想通りユエルがいた。
なぜここに、そんな疑問が浮かぶが、それはユエルのすぐ後ろを見て解消された。
「ユエルちゃんを置いて、何やってるのよ……」
エリスだ。
エリスが呆れたようにため息をついて、俺を見ている。
「前に、私にミスコンに参加するかって聞いたじゃない。だから、こっちに来てるんじゃないかと思ったのよ」
なるほど。
流石はエリスだ、俺の性格をよく理解している。
「ご主人様、お腹は大丈夫ですか……?」
「あ、あぁ、トイレに行く途中で治ってさ、は、はははっ」
というか、お腹が痛いとか、治癒魔法で治せばいいだけの話だった。
エリスはそれに気づいていたから、武闘大会の会場で俺をジト目で睨んでいたんだろう。
即興だったせいか、どうやら作戦に穴があったようだ。
……ユエルは気づかなかったみたいだが。
もうちょっと疑うことを覚えてほしい。
しかし、これは不味い。
腹痛のことはともかく、なぜこんなところにいるのかを説明しなければならない。
このままでは、ユエルのご主人様としての体裁が。
「あぁ、ユエル、すまなかった。ただ、このコンテストには実は俺の知り合いが出てるんだよ。だから、どうしても応援してあげたくてな」
もちろん嘘である。
でも「セクシーな美女を鑑賞するため」とかよりは断然印象は良いはずだ。
壇上の参加者と話す機会でもなければ、そうそうバレる嘘でもないし。
エリスの視線が更に冷めたものになるけれど、エリスの方の挽回は今回は無理だ。
今は、ユエルだけでも誤魔化そう。
そうして、ユエルに弁解していると、
「あっ、本当です!」
ユエルが、嬉しそうな声を上げた。
そして、壇上の方を指差して言う。
「ルルカさんですよ、ルルカさん!」
……本当にいたよ、知り合い。
どうやらルルカが二人目の参加者らしく、壇上を黒いビキニ風の服で歩いているのが見えた。
顔を僅かに紅潮させて、恥ずかしそうに身体を隠しながら歩いている。
けれど、その表情はただ恥ずかしいだけではなく、なんだか怒っているような……?
「本当だったのね……」
エリスが意外そうに呟く。
ついた嘘が偶然真になっただけなんだけれど、ここは黙っておこう。
しかし、ルルカがこういうのに出るとは思っていなかった。
賞金目当てか何かだろうか。
いや、それにしてはアピールが足りない。
さっきの牛獣人ちゃんは、観客に見えるようにおっぱいをぎゅっと寄せてサービスしたりしていたし。
ルルカからは、そういうコンテストで上位を取ろうという気概は感じられない。
身体をできるだけ隠しながら、キョロキョロと観客席の方を見ているだけだ。
「あっ、シキ!」
そうして壇上のルルカを見ていると目が合った。
しかも、名前を呼ばれた。
……なんだろうか。
あの宿の前での続きを、今やろうとでも言うのだろうか。
流石にそれは不味い。
こんなに大勢の前だし。
今はユエルもエリスもいるし。
「ねぇ、あなた、あの子に何したの? あの顔、絶対怒ってるわよ」
けれど、どうやら違うらしい。
確かにルルカを見てみれば、体はぷるぷると震えているし、下唇を噛み締めて俺を睨んでいるように見える。
あの表情はなんだろう。
恥ずかしさと憤りが混ざったような表情だ。
「いや、怒らせた記憶はないんだけど」
「じゃあ、どうしてあなたを睨んでるのよ」
そうやってエリスと会話していると、ルルカが再びプルプルと震え出す。
拳を握りしめて、俺をジッと睨んでいる。
なんで俺を睨むんだよ。
俺はルルカにあんな視線を向けられるようなことはしてないはずだ。
そもそも、ルルカがミスコンに参加すること自体、今初めて知ったのだ。
……いや、ミスコン?
「やっぱり、あなたがなにかしたんじゃないの?」
エリスが、なにやらそわそわとしながら聞いてくる。
……そうだ、エリスだ。
思い出した。
俺は確か、ルルカからミスコンの存在を聞いた時に言った。
ミスコンを「エリスに勧めてみる」と。
あの時ルルカは、アリアにエリスの浮気相手呼ばわりされて、ショックを受けていた。
しかも、その直後に、唐突に風呂付きの宿に一緒に入ろうと誘われた。
いくら俺でも、少なくない好意がそこにあることには気づいていた。
あれはきっと、エリスに対抗してのことだったんだろう。
……なぜルルカがミスコンに参加しているのか、わかった気がする。
俺の自意識過剰でなければ、ルルカはエリスとミスコンで優劣をつけたかったのかもしれない。
そして、浮気相手なんていう汚名を返上したかった。
そのためだけに、ルルカは恥ずかしい水着のような露出の多い格好を我慢して、ミスコンに臨んだんだろう。
なのに、肝心のエリスは不参加。
しかも、俺の隣で談笑している。
……これは怒る。
でも、俺はちゃんとミスコンをエリスに勧めはした。
断られただけで。
ルルカは、エリスは参加するものだと思い込んでいたんだろうけれど。
そんなことを考えていると。
「お、おい、あれ、聖女様じゃないのか!?」
「せ、聖女様ーっ!」
「お美しいです、聖女様!!」
大きな歓声が耳に飛び込んできた。
壇上を見れば、そこにはさっきの女神官。
フィリーネだ。
フィリーネはルルカや牛獣人ちゃんと比べると、あまり露出の多くないワンピースのような服を着ている。
この国の国教で聖女なんて呼ばれている人間が、ミスコンなんていう俗っぽいイベントに参加しているのは意外だが、多分これも信仰集めの一環だ。
俺がエリスにやらせようとしたことを、そのままやっているんだろう。
しかし、聖女なんて肩書きの人間が出てきたらもうこれは出来レースだ。
サクラの人間も複数いるようだし、これはコンテストの優勝はもう決まりだろう。
ルルカが聖女と比べて容姿が劣っているとは思わないが、こういう人気投票はネームバリューが何よりもものを言う。
もうこれ以上は消化試合だ。
そう思ったその瞬間。
「ね、ねぇ、あれ……何? も、もしかして……」
「ば、馬鹿な! なんでこんな街中に!?」
ざわざわと、観客がどよめき始めた。
そして、一人の観客が空を指差す。
その先には、膨大な数の黒い影。
一瞬、鳥の群れかと思ったが、それにしてはサイズが大きい。
目を凝らして見てみれば、それは大きな蝙蝠のような姿で、鋭い牙が口からのぞいていた。
……あれは、魔物だ。




