表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の七 守る者たち
66/66

(巻の七) 終章 約束

「約束の刻限です」


 暗闇の中、安民が菊次郎にささやいた。光風が指さしたものを友茂が報告する。


「南国門城でたいまつが動いています。合図と思われます」

「門が開くね。人が出てきたよ」


 則理の声が上ずっている。


「確認を」


 直春が命じ、三人の武者が門へ向かう。向こうの五人も歩いてくる。

 武者が振り返り、頭の上に両腕を上げて大きな円を作った。


「宗龍公とご家族ですね」


 菊次郎が首を向けると、直春は頷き、低い声で命じた。


「全体前進。城内へ入れ。警戒を怠るなよ」


 小薙敏廉と織藤昭恒が直春に一礼して門城へ向かう。まずは二千、最終的には一万の武者が行く。墨浦城と南国門城、墨浦の町の東側三分の一を接収するためだ。


「出迎えよう」


 直春が歩き始めた。


「ここに来るのを待ちましょう」


 菊次郎は引き止めようとした。


降将(こうしょう)を勝者が迎えにいくのですか」

「礼を尽くして悪いことはない。相手は名門探題家の当主だ」


 直春は足を止めて振り返った。


「心配ない。俺は簡単には死なない」

「分かりました」


 万が一の危険を考えて助言したのだが、直春が大丈夫と言うなら自分も相手を信じよう。菊次郎は直春の横に並び、護衛四人や馬廻りが周囲を固めた。


「直春公か。見覚えがある」


 でっぷりと太った中年男は目の前まで来ると、膝を折った。


「成安家当主宗龍だ。貴家に身柄をお預けする」


 顔を上げて付け加えた。


「妻と息子の助命、約束通りに願いたい」


 強張った表情に緊張と必死さがにじんでいた。


「ご安心ください」


 直春は貴人に対する礼をとった。


「約束は守ります。俺自身と桜舘家の名にかけて」

「貴公は信義に(あつ)いとうかがっておる。お願いいたす」


 宗龍は深々と頭を下げた。幼い次安丸の手を引いている菫も夫にならった。


「これでこの長い戦も終わりですね」


 菊次郎はほっとしたような、気が抜けたような気持ちで、たいまつが点々とともったお城山を見上げた。


「城内から密使が来たそうですね」


 宗龍が降伏を決意したのは、百合月(ゆりづき)の下旬、夜戦(よいくさ)から三ヶ月が過ぎた頃だった。ほっとした菊次郎に対し、忠賢は冷ややかだった。


「武者が減り、兵糧も残り少ないからな。追い詰められたんだろ」


 出撃の失敗と衝立山の陥落で、成安家の武者数は二万を大きく割り込み、兵糧の四割を失った。再出撃も失地の奪還も困難になり、もはや何かが起きて包囲する両家が帰国せざるを得なくなるのを祈るしかなくなっていた。滅亡を悟ったから沖里公は死を選んだのだと噂が広がり、士気の低下が(いちじる)しかった。

 事態をさらに深刻にしたのは町衆(まちしゅう)の離反だった。墨浦の町全体を三つに分けた真ん中の中町(なかまち)と、その一角で大邸宅と蔵が立ち並ぶ大蔵町(おおくらまち)を豪商たちが私兵で守らせ、成安家の支配を拒んだのだ。願空は町に突入した際にこの地区の占領を目論んで水堀と塀に阻まれたが、成安家も当てにしていた支援を受けられなくなり、兵糧の補充は不可能になった。商人たちの持つ米を供出(きょうしゅつ)させようとしたことが伝わっていたらしい。


 残った兵糧を食いつぶしながら最後の時を待つだけだと分かると、宇野瀬家に寝返る家臣が続出した。願空と武虎が手を伸ばしたのだ。評定の間では毎日ああでもないこうでもないと話し合いが行われたが、参加者は日に日に減っていった。

 その評定に、宗龍も出なくなった。夜戦の直後は今後の方針や逆転の方法などを諮問(しもん)したが、何もできないと知って、菫の部屋に籠もりきりになった。さらに、家臣たちの反対を押し切って正室を離縁(りえん)し、菫を正妻にすえた。元正室は半月後に宗愷と一緒に城から逃亡しようとして捕まり、激怒した宗龍は二人を投獄した。お結の方は願空に大金を受け取り、内応に協力した愛人を捨てて都の方へ去ったと言われている。


 そうして三ヶ月が過ぎ、城内の武者が一万ほどに減ってくると、宗龍は身の危険を感じ始めた。増富持康のように殺されて投降の手土産にされるかも知れない。そうなれば菫と次安丸の命も危ない。せめて妻子は生かしたい。

 考えた末、宗龍は直春を頼ることにした。是正の遺体を返したことや、子供の求めで灯村に駆け付けたことなどから、信じるに足ると感じたのだ。正維が使者に選ばれ、宇野瀬家に内密で話が進み、百合月二十二日の日没後、南国門城が開かれたのだ。


「罠ではなかったようですね」


 菊次郎はようやく警戒を解いた。正維に迎えられて、桜舘軍が続々と城や町に入っていく。指示されているのか、戦闘は起きていないようだった。ここで多少の抵抗をしてもいずれ陥落は避けられない。家臣や武者たちは、次の(あるじ)になる直春の機嫌を損ねるようなことはしないようだ。


「では、こちらへ」

「三人一緒の場所だろうな」

「監視は付きますが、同じ天幕にご案内します。お城の接収が終わりましたら、城内のしかるべき部屋に入っていただきます」


 直春の言葉にほっとした顔をして、宗龍は不安そうな菫と次安丸を抱き締めていた。



 翌朝、宇野瀬家から抗議の使者が来た。お城山に武者を入れさせろという願空の要求を直春は突っぱね、険悪な雰囲気となったが、既に城内に武者が配置されていて、宇野瀬軍が攻め入ることは困難だった。

 話し合いの結果、お城山にいた成安家の旧臣たちは、宇野瀬家に行きたい者以外は桜舘家の家臣となった。ただし、氷茨家、杭名家、崇家は取りつぶされ、一族は足の国の外へ追放された。杭名家と崇家からも夜戦のあと内応の打診があったが、この戦を主導してきた筆頭家老と次席家老が今さら何を言うのかと直春は怒り、拒否していた。


「杭名家は宗皇(そうおう)様から大船柱にお歌を(たまわ)った名門。取りつぶせば天宮(てんぐう)のお怒りを買いますぞ!」

「崇家も成安家累代(るいだい)の重臣で、全国に名が知られておる。それを途切れさせるおつもりか!」


 種縄と典古は猛烈に抗議し、しまいにははいつくばって懇願(こんがん)したが、直春は許さなかった。


「大船柱は俺はいらぬから持っていけ」


 二人は長賀のところへ行って仕えたいと頼み込んだが断られ、いずこかへ去っていった。

 後日直春が言った。


「しきたりや伝統を守り、先祖を祭り敬っているうちに、それを受け継ぐ自分には大きな責任と価値があるという考えに染まっていく。やがて自分の存在理由の根源をそこに置くようになり、それを維持し続けるためなら多少の無茶は許されるとおのれの行いを肯定し始める。俺の家も名家だったからよく分かるのだ」


 墨浦の統治については、それぞれの占領した場所を認めることで決着した。恵国貿易にかける税は両家で折半ということになった。ただ、宗龍の妻子の扱いはややもめた。


「菫殿の出家はよろしいでしょう。しかし、次安丸を生かしておくとは正気ですかな」


 願空はおだやかな顔で反対した。


「直前とはいえ正室の子となったのですぞ。危険すぎますな」

「宗愷は処刑と決まった。十五歳で戦にも出ていた以上、これは仕方ない」


 直春は説得した。


「一方、次安丸はまだ二歳。武家としての教育を受ける前だ。成人する頃には成安家が滅んで十年が過ぎている。もはやあの子を担いで再興を目指す者もいないだろう」

「幼くても引いておる血が問題なのですよ。本人の意志とは別に(かつ)ごうとする者が出ましょうな」

「当家がお守りすると約束する。決して不満を持つ者たちに利用させはしない」


 直春は断言した。


「宗龍公に次安丸は助命すると約束した。だから、門を開いて戦が終わったのだ。力攻めや兵糧攻めで死んだかも知れぬ者たちの数を考えれば、この幼子(おさなご)の果たした役割は大きい。生かしてやろうではないか」

「しかし、宗龍公の遺児(いじ)ですぞ。女ならともかく、男児は探題家を継ぎ()る存在となりませぬかな」


 願空は直春に約束を破らせたいらしく、散々渋った。


「五年十年先を考えて、危険を招きそうな者は排除しておくべきでしょうな」

「助命でよいではありませんか」


 見かねて長賀が口を挟んだ。


「我ら両家はそれぞれ二百万貫を超えました。二歳の子供を恐れてどうします」

「御屋形様」

「直春公が責任を持って預かってくださるのだから、問題はないはずですよ。義父上(ちちうえ)は心配性ですな」


 願空は一瞬呆れたような顔をし、鋭いまなざしを主人に向けたが、すぐに人のよさそうな笑みを浮かべて頭を下げた。


「そこまでおっしゃるならば、わたくしも異論はございませぬ」

「ありがとうございます」


 直春が頭を下げると、長賀は笑った。


「俺にも息子がいます。次男は生まれたばかりです。宗龍公の気持ちはよく分かります」


 花千代丸の一つ年下の男児が宇野瀬家の世子だ。


「俺だって息子たちや琴絵(ことえ)の命を助けられるなら、何でもしたいと思います。自分の命を投げ出した宗龍公は尊敬に値しますよ」

「俺も妻子のためなら何でもできるぞ」


 直春も応じ、(なご)やかな雰囲気で話し合いは終わった。

 あとでこれを聞いた忠賢は言った。


「宗龍は御使島の民が飢饉(ききん)で苦しんでても何もしなかったって聞いたぜ。自分の家族だけ救いたいなんて勝手すぎねえか」

「高貴な人々というのはそういうものだ。そんな世の中を正すために俺たちは戦っているのだ」


 直春は苦笑してなだめたという。

 宗龍の処刑は十日後に行われた。それまで菫と次安丸と三人で過ごすことを直春は許した。

 北大門の外に張られた陣幕の中で、宗龍はぴんと背を伸ばしてあぐらをかき、床几(しょうぎ)に座る直春を見上げて寂しそうな笑みを浮かべた。


「わしは天下を(たい)らげ戦のない世を実現し()たかも知れぬほどの力を持っておった。だが、安楽(あんらく)に流れ、民の苦しみから目を(そむ)け、快楽に(おぼ)れて戦うことを避けてきた。その結果、妻子を残して死ぬことになった。貴公は泰平の世を目指しておると聞いた。菫や次安丸のため、うまく行くことを願っておる」


 宗龍は二人のことをくれぐれも頼み、直春の任せておけという返事を聞くと、上半身裸になって、左胸に短刀を突き刺した。介錯(かいしゃく)は宗龍の指名で正維がつとめた。是正の死後、最も信用して何かと頼りにしていたのだ。

 見届けた長賀は、衝立山と墨浦の町の東三分の一の守備武者だけを残して朧燈国(おぼろひのくに)へ帰っていった。同日、桜舘軍もお城山と墨浦の西三分の一に置く武者以外は豊津へ向かった。菫と次安丸は直春たちに同行し、天額寺(てんがくじ)漢曜(かんよう)和尚(おしょう)に預けられて出家した。


「長い戦だったな」


 久しぶりに本拠地の城の天守の最上階に(のぼ)り、直春は豊津の町を眺めていた。飲み干された杯に妙姫が白く濁った酒を注いでいる。


「最大の脅威(きょうい)を滅ぼすことができました。当面の敵はいなくなりましたね」


 菊次郎の隣には雪姫と椋助(むくすけ)がいる。


「しばらくゆっくりできそうです」


 宇野瀬家や鮮見家とは同盟関係にある。蜂ヶ音家もそうだ。境を接している封主家で敵対しているところはなくなったのだ。


「鮮見家とはにらみ合っていますけれどね」


 直冬はあまり酒が強くないので、まんじゅうを食べている。田鶴も茶の方が好きなようだ。


「墨浦城の陥落が伝わって、要餅(かなめもち)城も開城したって。菊次郎さんが正維さんを行かせたんだよね」


 鮮見家は鯨聞国(いさぎきのくに)を手に入れた。是正との合戦の痛手から回復しておらず、新たに領地となった土地を掌握(しょうあく)して安定させる必要があるので、すぐには攻めてこないだろうが、遠からず戦うことになるだろう。


「鮮見家は三ヶ国、合わせて七十六万貫か。でかくなったな」


 忠賢は銚子(ちょうし)を逆さにして振っている。


「俺が仕官しようと思ってた頃の倍以上になってるぜ」

「大勢力になりましたが、貫高は当家が三倍以上、単独で攻めてくるなら負けないですね」


 直冬は団扇(うちわ)で自分と妻をあおいでいる。蓮月(はすづき)は最も暑い時期だ。屋根の下で風も通るとはいえ、熱い茶に汗ばんでいた。


「ただ、背後で騒がれると困ります」


 白泥国に秋芝(あきしば)景堅(かげかた)を置いて守りを固めさせているが、他に敵がいない鮮見家が全力で来ると厄介だ。


「長賀殿の提案、うまくまとまるとよいな」


 会談した際持ちかけられた不戦協定に、直春は期待している。


「殺し合いには嫌気(いやけ)がさしました。これ以上の版図(はんと)拡大は望んでいません。挑まれたら戦いますし、福値家との決着はつけるつもりですが、直春公とは戦いたくありませんね」


 長賀はおだやかな笑みを浮かべていた。


「それよりも妻や息子とゆっくり過ごしたい。まだ見ぬ次男も早く抱いてやりたい。それが俺の今の幸せです。直春公が天下統一を目指すのでしたら、邪魔はしません」


 直春は喜んで協定に応じると答え、それぞれ本城に帰還後、中間にあたる狸塚(まみづか)城に使者を派遣して交渉することに決まった。


「宇野瀬家が動かないとなれば、秀清も諦めてくれるだろうか」

「どうでしょうか」


 直春の気持ちは分かるが、あの野獣のような男が簡単に野望を捨てるとは思えない。戦うことが生きがいのような人物なのだ。


「ところで、お殿様よ。墨浦城は誰に任せるんだ」


 忠賢が話題を変えた。


「成明殿を考えている」


 泉代勢は墨浦の守備に残してきた。


転封(てんぽう)することになるぜ」

「そうだ。受けてくれるとよいが」


 直春は成明を特に信頼している。今後も重用(ちょうよう)するつもりのようだ。


「派手な手柄はあまりないが、攻守共にうまく戦う。始めから六万貫の(あるじ)だっただけに、多くの武者を率いるのに比較的慣れている。当家の家臣は大身(たいしん)だった者が少ないから貴重なのだ」


 菊次郎たち四人が葦江国にやってきた時、桜舘家は十六万貫だった。大鬼(おおき)一族以外に一万貫を超える領地を持っていた者はおらず、皆直属の家臣は数十人程度だった。市射・錦木・泉代の三家老は元は独立した封主だったから、仕置きにも詳しく、当てにしたいところだ。


「墨浦の城主は成安家の旧臣を従えることになる。裏切る可能性がなく、家臣の統率に()けた者がよかろう」

「俺じゃ駄目か」


 忠賢は自分がなりたかったようだ。


「あそこの城主は守りと町の仕置き、宇野瀬側の者たちとの交渉が中心になる。忠賢殿には攻めていく時に働いてもらいたい」

「まあ、騎馬隊はそういうもんだな」


 一応は納得しているらしい。


「忠賢さんは大幅に加増ですよ」


 菊次郎はなぐさめて、直春を見た。


「ああ。御使島でも夜戦でも大活躍だったからな。今後も軍勢を二つに分ける時は頼むことになる。墨浦に釘付けにはできない」

「そういう役目なら任せろ」


 忠賢は機嫌を直したのかにやりと笑って、新しい銚子から直接酒を飲み出した。


(さかずき)に注ぎなさいよ」


 田鶴が注意し、口の脇から木の床にこぼれた酒を妻の弘子(ひろこ)が黙って布でぬぐった。


「直春兄様、あの二人はどう処遇(しょぐう)するんですか」


 直冬が大根の漬物をぼりぼりやりながら尋ねた。


「正維と知業か」


 直春は即答を避けた。


「菊次郎君と相談してふさわしい役目を与えるつもりだ」

「今回は有望な人材が手に入りましたね」


 菊次郎は先日の捕虜引見を思い出した。


「俺に仕えてくれないか」


 直春に言われて、沖里正維は評定の間に平伏した。


「あなたにはご恩があります。喜んで家臣になりましょう」


 是正と武者たちの遺体を届け、葬儀の邪魔をしないと約束したことに、正維は深く感謝していた。


「あなたのおかげで父を立派に送ることができました。息子として、また武者たちを代表して、お礼申し上げます」


 顔を上げて笑みを浮かべた。


「父はあなたを民を救い世を平らかにする名将とほめ(たた)え、信家殿の才能を大変高く評価しておりました。きっと喜んでくれるでしょう」


 正維は是正が(きた)え上げた旧薬藻衆を引き続き率いることになる。今後の重要な戦力となってくれるだろう。

 一方、明告知業は仕えることを始めは拒否した。


「武家をやめ、帰農(きのう)しようと思います」


 大門国内の領地に引っ込むと言ったのだ。


「俺は君のような人材を求めていた」


 直春は熱心に誘った。


「まだ若いではないか。その知謀は埋もれさせるには惜しい。ぜひ、力を貸してほしい」

「直春公には大軍師殿や副軍師殿がおられるではありませんか。私はお二人に遠く及びません」


 知業は渋ったが、直春は諦めなかった。


「君を求めるのは知謀だけが理由ではない。豊津城に攻めてきた時も、材木山や夜戦でも、自分の役目を果たすために全力で働き、最善の手を打とうとした。総大将に聞く耳があれば、結果は違っていたかも知れない。任務や上役に忠実なところとその責任感を、俺は高く買っている」


 直春は真剣なまなざしで手を伸ばした。


「俺たちの仲間になってくれ。天下統一には君の力が必要だ」


 知業は菊次郎や興味(しん)(しん)の顔つきの忠賢たちを見回し、大きな溜め息を吐いた。


「分かりました。あなたにお仕えしましょう」


 言って、照れくさそうな笑みを浮かべた。


「材木山で、直春公は友人である信家殿のもとに駆け付けるため、無茶をなさいました。そういうお方に仲間として迎えたいとおっしゃっていただけて、とても光栄に思います。これからよろしくお願いいたします」


 二人ともまだ二十代だ。多くの戦場で活躍が期待できる。いずれは直春を補佐する重臣になっていくだろう。


「宇野瀬家との交渉がまとまったら、当面は新しく増えた領地の仕置きと論功(ろんこう)行賞(こうしょう)ですね」

「大軍師の知恵の見せ所だな」


 忠賢がからかったが、実際大切なことだ。直春や他の人の意見もよく聞いて、桜舘家の今後の目標を決める必要がある。泉代成明など、転封(てんぽう)や加増を含め、家臣たちの領地の整理をし、どこに誰を配置するかも考えなければならないだろう。


「とにかく、しばらく戦はありません。一休みできそうですね」


 雪姫と目が合い、微笑みをかわす。椋助は研究のためか出された全ての料理を一口ずつ味わって考え込んでいる。こういう光景は久しぶりで、心が静かに満たされるのを感じる。


「たまには戦を忘れてのんびりするのもよいな」


 直春も同じ気持ちのようだ。

 天下統一を目指す以上、戦いは続くが、今は一休みしたい。ぎらぎらと照り付ける真夏の太陽の(もと)、そよ風が起こす(あし)(うみ)のさざ波を見下ろして、菊次郎はささやかな望みを大神様に願ったのだった。


 だが、数日後、菊次郎が直春夫妻や忠賢と家臣の領地の配置を相談しているところに田鶴が駆け込んできた。


「宇野瀬長賀公が、旭山(あさひやま)城まであと少しの山道で暗殺されたって!」


 菊次郎は息をのみ、直春は眉を寄せた。


「誰の仕業(しわざ)だ」

「それは分からないけど……」


 隠密を束ねる田鶴は断言を避けたが、菊次郎は軍師の役目として口にしようとした。


「推測ですが、黒幕は……」

「願空だな」


 忠賢が吐き捨てるように言った。直春はこぶしを強く握り、文机(ふづくえ)にたたき付けた。


謀叛(むほん)を起こしたのか!」


 家臣の名を張り付けた兵法将棋(へいほうしょうぎ)の駒が跳ね上がって転げ落ち、朱墨(しゅぼく)(つぼ)が倒れて中身が飛び散った。


「墨浦と、御使島にもすぐに知らせましょう。警戒を強めるようにと」


 菊次郎の指示に側仕えの武者が廊下を駆けていく。


「また戦になるの」


 田鶴は不安そうに小猿を抱き締めた。


「あの老人を倒さねば、太平の世は実現しないようだ」


 怒りに盛り上がった直春の腕に妙姫がそっと手を置き、忠賢が牙をむいた狼のような獰猛(どうもう)な笑みを浮かべた。


「勝つしかないな」

「ああ、そうだな」


 直春は妙姫にやさしく頷き、庭で笑いながら遊んでいる花千代丸と(つゆ)姫に目を向けて、痛ましそうにつぶやいた。


「長賀殿も妻子を残して()ってしまわれたか」

「とても残念です」


 菊次郎は床に散乱した木の駒と畳を染める血のような液体を見つめて、深い深い溜め息を吐いた。


                    終わり

 お読みいただきありがとうございました。


 巻の八はこれからプロットを立てて執筆します。

 またしばらくかかると思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ