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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の七 守る者たち
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(巻の七) 第五章 炎 下

『狼達の花宴』 巻の七 墨浦要図

挿絵(By みてみん)


「ちっ、敵の罠にはまったか」


 忠賢は舌打ちした。泉代隊の陣地から敵騎馬隊を追い払おうと戦っていると、希敦が近付いてきて丘の上を指さしたのだ。


「物見櫓で火が四つも動いてる。菊次郎の合図だな」

「国主様が危ないのでしょうな」


 希敦は落ち着いていた。


「だが、戻れないぜ。谷間を塞がれてる」

「それが敵のねらいだったようですよ」


 泉代隊の陣地から直春の本陣へ行くには、お城山と西丘の間の狭い谷間を通らないとならない。大城壁から丘の急な崖までは矢が届く幅しかなく、その最狭部(さいきょうぶ)に隠し門から出てきた成安軍が広がったのだ。


「街道も連絡路も両方封鎖してやがるな」


 当初、桜舘軍は泉代隊との連絡にわざわざ西丘を登って細い山道を使っていたが、時間がかかりすぎること、いざという時に迅速に援軍を送れないことから、菊次郎の提案で崖の下に安全な通路を作ることになった。土俵(つちだわら)を大人の背より高く積み上げて矢や投石を防ぎ、墨浦城内から武者の姿が見えないようにしたのだ。


「南国街道の上に二千、連絡路に一千がいるようですよ。武将は杭名幽縄(ふかつな)巣早(すはや)博以(ひろもち)、半空国の武者ですな」


 希敦は忠賢隊の戦闘に加わっていなかった。どこに行ったのかと思っていたら調べていたようだ。


「多数の荷車と積んでいた逆茂木を並べて壁を作っていますね。馬では越えられないでしょうな」

「そもそも、南国街道を進めば城壁から矢や石が飛んでくる。夜とはいえ、大損害を受けるだろ。通るなら土俵の壁の裏しかねえよ」


 言って、忠賢は周囲を見渡した。


「宗速の騎馬隊が引いてくな」

「宇野瀬軍が動いたようですよ」


 北大門の方角で戦いの声や音がし始めている。火矢らしい光の筋が何本も下から上に飛んでいるし、城壁の上の人数も増えて反撃しているようだ。


「俺たちの救援か。城を落とすつもりなのか。どちらにしろ、もう大丈夫そうだな」


 宗速の騎馬隊は泉代隊の陣を離れ、集まりながら城門の方へ駆けていく。


「笛を鳴らせ。集合させる。文尚も呼び戻せ。成明にも知らせてやろう」

「伝令は不要のようですよ」


 泉代隊の陣地から火の手が上がっている。空堀と逆茂木と柵の内側で、成明は敵の徒武者たちを盾の列で包囲しているようだ。


「陣内に入ってきた敵を、柵を燃やして外のやつらと分断するつもりか」

「味方の混乱が収まって反撃する余裕ができたのですな。灯村で沖里公が陣地の囲いを焼いたと聞きましたよ」

「まるで名将の策を盗んだような言い方だな」


 忠賢はふんと鼻を鳴らした。


「まあいい。宗速隊がいなくなれば互いの数は同程度、成明が勝つだろう」

「徒武者の敵も城へ引き返すかも知れませんしね」


 騎馬武者たちが集まってくると忠賢は馬首を返した。一千四百騎を引き連れて連絡路に北側から入り、馬を部下に預けると、指示を出している直冬に声をかけた。


「忠賢さん」


 振り返った直冬は顔をゆがめた。


「すみません。直春兄様が危ないのに駆け付けられないなんて」

「してやられたな。何か手を打ったか」


 直冬は頷いた。


惟房(これふさ)に五百を与えて山道を登らせました。敵の背面に回れるかと思ったのですが……」


 山道の出口は直春の陣地の後方にある。直春隊を攻めている部隊を下がらせない限り、連絡路には来られない。


「俺たち騎馬隊が一千四百、そっちの徒武者が一千か。とにかく見てみよう」


 直冬の案内で、矢を防ぐために並べた盾の陰まで進んだ。文尚や希敦も一緒だ。丘の崖が突き出して土俵の壁との間が一番狭い部分で両軍はにらみ合っていた。


「あれを正面から突破するのは無理だな」


 一目見て忠賢は言った。直冬隊は矢や石を浴びせ続けているが大して効いていないようだ。


「荷車と逆茂木の後ろに弓と槍を構えた武者がたくさんいて近付けません。何度か突撃を試みましたが、怪我人が増えるだけでした」

「連絡路は狭い。槍を並べられちゃな。最初から封鎖する気だったに違いないぜ」

「国主様の本隊を救援させないつもりですな。十分な計画と準備があったようですよ」


 人事(ひとごと)のように言う希敦を、忠賢はにらんだ。


「こういう時に策を立てるのがお前の仕事だろ。すぐに考えろ」

「まあ、慌てないでくださいよ」


 希敦はふてぶてしいほど落ち着いていた。


「物見櫓の火は大軍師殿でしょうな。少し待ちましょうよ」

「封鎖を解くために何かするってことか」

「それがあの方の役目ですからな。助けを呼んでも通れないなら意味がないですしね」

「お前も軍師だろ」

「まあまあ。まずはあの方の策を見ましょうか」


 言った時、ひゅう、と細く高い音が夜空に響き渡った。先端に火のついた矢が一本、物見櫓から飛び出し、闇を切り裂いて忠賢たちの後方に落ちた。天幕が一つ燃え上がるのが見えた。


「あの音は田鶴の鏑矢(かぶらや)だな」


 直冬が贈った矢の中に笛が付いているものがある。


「音の出る火矢は田鶴しか持っていないはずです。燃えたのは煮炊き用の薪を雨から守る天幕で人はいません」


 直冬がほっとした顔をすると、忠賢が首を傾げた。


「敵をねらうなら分かるが、自分たちの陣地を焼くとは。……あれも何かの合図か」


 傾げた首に希敦が返事をした。


「でしょうな。火を使えという意味ですな」

「だが、直冬たちは火矢を持ってないだろ。油玉ってことか」

「恐らくは。わざと天幕を燃やしたということは、……なるほど、あの壁に火を放てという意味でしょうな」

「荷車にか? 攻めにくくなるぜ」

「御覧なさい。天幕の火で手前は照らされていますが、火の向こうは見えませんね。目の前に強い光があると暗闇の中は見えぬものです」

「あの壁に火を放てば敵からこっちが見えにくくなるってことか」

「煙も立ちますしね。動きが見えなければ、急な突撃は奇襲に感じられますな。燃え上っていれば、火を越えて攻めてこないだろうと警戒がゆるむかも知れませんよ」

「つまり、何かやる気なんだな。敵に隙を作るから俺たちに突っ込めってことか。菊次郎らしいぜ」

「恐らく、油玉を投げろとか、突撃しろとか、指示が来るでしょうよ」


 直冬が表情を明るくした。


「でしたら、投擲の準備をさせましょう」

「だが、正面から突撃だと損害が大きすぎるな」


 忠賢はもう一度荷車の壁を眺め、周囲を見回してにやりとした。


「いいことを思い付いた。突撃の先頭には俺が立つぜ」


 考えを聞いて希敦は嫌そうな表情を隠さなかった。


「無茶をする方だ」

「忠賢さんらしいですね」


 直冬は呆れた顔をしたものの反対はしなかった。早く直春隊を救援しなければならないのだ。


「俺たちも油玉を用意するか。突撃の前に放り込もうぜ」

「いえ、それは無用かと」


 希敦は考える様子だった。


「直冬殿の麾下(きか)は一千、荷車を燃やすには十分です。騎馬隊の油玉は他のことに使えませんかね」


 希敦は辺りを見回し、にんまりとした。


「大城壁の内側に投げ込みましょうか」

「城壁の上じゃなくて内側か? ただの森だろ」


 お城山という小山一つがすっぽりと高い壁に包まれていて、(くるわ)になっていないところは木がしげっている。


「その森を燃やすんですよ。郭に燃え広がればもうけもの、そうでなくても城内の敵は慌てるでしょうな。こちらの騎馬隊は宇野瀬軍に協力して大城壁を攻めるつもりだと街道や連絡路を封鎖する敵が思ったら、そっちに注意を向けてくれるかも知れませんしね」

「それは悪くないな」


 忠賢は即決した。


「なら、先に行ってくるか。文尚」

「お供します」

「ここは直冬に任せる。突撃の準備をしておけよ」

「材料はたくさんありますからね」


 連絡路の防壁は土俵を急角度に積み上げたてっぺんに畳の半分くらいの幅があり、そこにさらに板の壁を立てることになっていた。まだ北の方は土俵を積み終えていないが、既に壁や柱にする板と木材は崖の上の森で切り出して運び込みが始まっていた。


「じゃあ、ちょっくら行ってくるぜ」


 忠賢はたいまつに火を付けさせると、合計一千四百騎を率いて連絡路を離れ、大城壁に向かって勢いよく駆けていった。



「菊次郎君が物見櫓にたどり着いたか」


 西丘の上の小さな火を見上げて直春はつぶやいた。


「だが、谷間は封鎖されている。援軍はしばらく来ないな」


 本陣の采配台から武者たちを見回した。


「空堀と大量の逆茂木と高い木の柵のおかげでかろうじて敵の侵入を防いでいるが、数が違いすぎる。どこかが破られるのは時間の問題だな」


 特に北側、隠し門から出てきた二千の敵部隊に攻撃されている部分が苦しそうだ。そもそもこちらは二千四百、敵は宗龍の本隊と合わせて九千、飛んでくる矢の数からして違う。武者たちはよくやっているが、長い時間耐えられるとは思えない。


「どうにか持ちこたえて援軍を待ちたい。何か方法はないか」


 菊次郎君、と名を呼びそうになって歯を食いしばる。こういう時こそそばにいてほしいが、頼りすぎてはいけない。


「自分で何とかするしかない。冷静になれ」


 もう一度辺りを眺め渡して、気が付いた。


「南に灯りがある。しかも二つだ。……灯台か!」


 南国門城から西へ伸びる街道は直春の陣地のすぐ後ろで細い道が南に分かれ、その先に漁師の港がある。


「なぜこんな時間に漁港に明かりがつくのだ。これから夜が()けていく。そばで戦もしている。漁に出るわけではないだろう。となると、何かの船が入ってくるのか?」


 そういえば菊次郎が言っていた。この陣を突破して何をしたいのかと。武者数が少ない桜舘家の陣地をつぶして包囲を解くつもりだろうと思っていたが、漁港で船と落ち合うのなら合点(がてん)がいく。


「何かを受け取るか、運び出すか。舶来品(はくらいひん)を兵糧や武器と交換するのだろうが、もしかすると人を送り出す可能性もある」


 物見の報告にあった。正面の敵の中に騎馬の宗龍がいて、すぐ後ろに一挺(ちょう)の豪華な駕籠(かご)と十台以上の荷車が見えると。


「成安一族の重要人物を城から逃がすのかも知れん」


 宗龍自身が見送りに出てきたのだろうか。


「ならば、道をあければそちらへ行くはずだ」


 直春の陣地の背後、漁師が()った魚を墨浦へ運ぶ魚桶(うおおけ)(みち)分岐(ぶんき)する場所の先に、忠賢隊と文尚隊の騎馬隊陣地が並んでいる。もし本陣が破られた場合のためと言って、菊次郎はここにも空堀と逆茂木と柵を作らせ、予備の防御陣地として使えるようにしていた。


「全ては推測だが、賭けてみるか」


 直春は目をつむって数呼吸、再び開くと伝令武者を呼んだ。


「この陣を引き払い、騎馬隊の陣所に籠もる。合図をしたら順に後退せよと伝えよ」


 はっ、と武者たちは走っていった。しばらくして戻ってきて、武者頭たちの了解の返事を伝えた。


「よし、鐘を鳴らせ!」


 そばにいた武者が、がんがんがん、と激しくたたき出した。


「着火せよ!」


 陣地内から多数の火のついた油玉が赤い流星雨のように飛んでいき、逆茂木と高い柵が激しく燃え上がった。


「敵がひるんだ隙に下がるぞ! 急げ!」


 直春は白い愛馬にまたがり、指示を出しながら武者を連れて後方へ移動した。


「すぐに盾を並べて守備陣形を作れ!」


 先程までの陣地と構造が同じなので、武者たちも混乱なく配置についていく。こちらの方が狭いため捨てた本陣より武者の密度が高く、より助け合って戦うことができる。


「敵の一部が南へ移動していきます!」


 物見の武者が知らせてきた。


「やはり。これで守りきれるかも知れない」


 敵九千のうち四千を宗龍が率いて陣地の少し先で魚桶(うおおけ)(みち)へ入っていく。

 直春は陣地の中心の建物の屋根に上がり、腰の長刀を抜いた。


「みんな、聞け!」


 武者たちが弓や盾を手にしたまま耳だけを向ける。


「この陣地で敵を食い止める! それほど長い時間ではない! せいぜい一刻程度だろう!」


 直春の張りのある若々しい声はよく響き、なぜか聞く者を安心させた。


「俺たちは孤立したわけではない! 援軍は必ず来る! 俺たちには味方がいるのだ! 大軍師が、青峰忠賢殿が、必ず駆け付けてくる! 味方とおのれ自身を信じてこの夜を乗り切るぞ!」


 天を突き刺すようにまっすぐ掲げられた白い(やいば)が、真ん丸にやや足りない月の光を浴びて輝いている。


「陣地内には予備の矢や石が多数ある。惜しまず浴びせかけろ! 一人も陣内に踏み込ませるな! 俺たちの力を成安家と墨浦の民に見せ付けてやろうではないか!」

「桜の御旗(みはた)に栄光あれ!」


 天の星をゆるがすような大きな鬨の声が答える。直春は深く息を吸い込むと、ろう(ろう)とした声で歌い始めた。


桜軍(さくらいくさ)の歌だ!」

「国主様が励ましてくださっている!」

「あれが聞こえる間は国主様は健在、勝利を諦めておられぬということだな!」


 武者たちがささやき合う声が無数に重なって波のように広がっていく。成安軍が燃える陣地を越えて隊列を整え直し、ゆっくりと近付いてくる。


「来たか。信じているぞ、菊次郎君、忠賢殿」


 背にした炎に黒く浮き上がる敵の群れと、矢や石で近付かせまいとする自軍を見渡しながら、直春の頬には笑みが浮かんでいた。



「よいしょ、よいしょっと。大軍師様、運び込みが終わりました」


 二階建ての屋根程度の高さの物見櫓の上から、棉刈重毅が顔をのぞかせた。友茂や則理、光風も一緒だ。


「木材と煮炊(にた)き用の(まき)を山盛りにし、土俵(つちだわら)にする藁袋(わらぶくろ)をたくさん重ねましたぞ」

「ありがとう。降りてきてください」


 重毅たちは顔を引っ込め、何度も折れ曲がった坂をはねるように下ってくる。物見台は普通はしごで(のぼ)()りするが、左手の握力がない菊次郎のため、設計した萩矢頼算が坂にしたのだ。成安軍に投石機などで工事を邪魔されないように、森の木々に隠れて造って完成後にまわりを伐採するという方法をとったので、坂を作れる程度の高さになった。


「油があれば簡単だったのですが」


 忠賢たちに直春の危機を早く伝えるため、重い(たる)を運ぶ時間はなかった。(さいわ)い木材や藁袋はたくさんあったので、それを使うことにしたのだ。


「菊次郎さん、あっちの準備ができたよ」


 田鶴が山道を走ってきた。小猿が追いかけてくる。


「いつでも行けるって」

「では、始めましょうか。直春さんが心配です」


 直春隊が陣地を捨てて騎馬隊の宿所に移動したことは知っていた。敵軍のたいまつの半分近くが漁港の方に流れたのも見た。直春の歌がかすかに聞こえるからしばらくは大丈夫だと思うが、早く援軍を届けてやりたかった。


「お城山が燃えてる。忠賢さん?」

「文尚さんと一緒にやったみたいですね。騎馬隊でしたよ」


 たいまつを掲げた彼等は、大城壁の手前に集合し、百騎くらいずつ油玉を持って高速で接近して、水堀ぎりぎりから投げ込んで駆け去るのを繰り返していた。城を攻撃するのをわざと見せて、谷間を封鎖する敵の目を引き付けようとしたのだろう。そのあと北大門の方角へ去り、大回りして見付からぬように連絡路の土俵の壁の内側に戻ってきた。


「山の火事、随分広がってる。大丈夫かな」

「距離がありますし、町には延焼しないと思います。墨浦の中や衝立山からも見えるでしょうね。成安軍は動揺するはすです」


 墨浦の町には武者たちの家族やたくさんの民が住んでいる。豪商たちの大きな屋敷や蔵も多数ある。


「敵の目を引き付ける意味でも、一部の武者が消火のために大城壁の防衛から離れる点でも効果はあるでしょうが、思い切ったことをしますね。誰の発案でしょうか」


 御使島から忠賢が連れてきた目つきの悪い自称軍師の顔をちらりと思い浮かべたが、それ以上考えるのはやめた。あとでどうせ分かるし、あの火事を(しず)めることは菊次郎にはできない。成安軍が消火するだろう。


「じゃあ、登るね」


 田鶴が鏑矢(かぶらや)に火をつけ、櫓の坂を小猿と上がっていった。


「みんな、離れたね」

「お願いします!」


 菊次郎は上に向かって叫んだ。


「分かった。行くよ」


 田鶴はぎりぎりと弓を引き絞り、直冬の陣地へ放った。ぴゅるると鳴き声を響かせながら輝く筋が高速で落下し、眼下に小さな光が生まれた。また天幕が燃えたのだ。


「伝わったね」


 炎は素早く消され、かわりに崖の下に無数の赤い点が広がっていく。武者たちが油玉に火をつけたのだ。西丘からにゅっと突き出た崖の陰なので、連絡路を封鎖する巣早博以隊には見えていないだろう。

 田鶴と小猿が櫓を駆け下りてきた。また火矢を用意する。


「次の合図をお願いします」


 菊次郎が声をかけると、安民が胸いっぱいに空気を吸い込み、横笛を思い切り吹いた。甲高く鋭い音が闇を切り裂いて連絡路に鳴り響いた。則理が指示用の鐘をがんがんたたき、耳が痛くなるくらい激しく騒がしい音を立て続ける。


「今です。どうぞ」


 菊次郎が頼むと、物見櫓から垂らした藁縄に光風が火をつけた。しゅるしゅると音を立てて赤い火種(ひだね)が登っていき、最上部に達すると、ぼん、と大きな音を立てて櫓全体が燃え上がった。あちらこちらに並べ縛り付けた藁袋に次々に燃え広がり、巨大な炎の塔が丘の上に浮かび上がった。


「着火、成功しました!」


 友茂が叫んだ。その間も安民は笛を吹き、則理は鐘をたたいている。


「崖の上で大きな火が起こったぞ! 警戒せよ!」

「笛だと? 何者だ!」

「あの鐘の音は上からか?」

「何かの合図か!」


 土俵の防壁の内側と外側で成安軍が驚いている。


「合図だな。総員、投擲せよ!」


 崖の下で直冬の声が聞こえた。おおう、と武者たちが雄叫びで答え、持っていた油玉を荷車の壁に投げ込んだ。


「火による攻撃だ! 気を付けろ!」

「逆茂木も燃え上がった! いったん下がれ!」

「攻撃に備えよ! 接近してくるかも知れぬ!」


 巣早博以や武者頭たちが叫んでいる。だが、直冬隊は動かなかった。


「突撃なんて、できるわけないよな」


 則理が言った。


「荷車の壁が激しく燃えているんだ。近付けないよ」

「あの壁はかえって邪魔になります」


 友茂が笑みを見せた。


「火が収まるまで攻めてこられないと、敵も思ったようですね」


 巣早隊一千は燃え上がった当初は警戒する様子だったが、すぐに緊張を解いた。槍武者たちが楽な姿勢になり、談笑する姿も見える。


「だからこそ、次の手が生きます」


 菊次郎が言った時、大きな鬨の声が聞こえてきた。櫓の周辺でも、土俵の壁の内側でもなく、もっと南、連絡路の直春の陣の側の出口よりもっと先の場所だった。


惟房(これふさ)さん、動いたね」


 田鶴が指さしたのは、崖の上と下に現れた多数のたいまつだ。明るく照らされた斜面を次々と黒い影が滑り落ちていく。


「そりを作るのが間に合ってよかった」


 安堵した様子の田鶴に対し、則理は皮肉げだ。


「そりって言っても、土俵の壁の上に立てる予定だった広い板に、手で握れるように藁の縄を結んだだけだよ」

「怖いでしょうね。僕はやりたくないです」


 友茂が小声で言い、安民が苦笑ぎみに頷いている。


「でも、崖を歩いて下りるより早いよ。あの坂、かなり急だし」


 櫓の上で忠賢に合図を送った時、山道を進んでくるたいまつの群れを田鶴が発見した。菊次郎はきっと味方だろうと考え、田鶴と重毅に待ち伏せさせた。直冬の副将の姿を確認した田鶴は姿を現して声をかけ、十杉(とすぎ)惟房隊五百人を櫓の下に連れてきた。

 直冬に連絡路を封鎖する敵の背後に回れと言われたと聞いて菊次郎は思案し、崖を下った方が早いと言い出した。

 少し先に崖がややゆるやかな部分がある。堤防の土手よりきつい程度の斜度(しゃど)だが、高さが大人の背の五倍はある。


「あの崖を下りるのですか」


 惟房が難色を示したのは当然だ。最近土砂崩れがあった場所のようで、もろく柔らかい土に足が沈むし、草がびっしり生えていて滑りやすい。しかも、夜で足元が見えず、重い鎧を着ているのだ。櫓のそばにあった藁縄を長くつないで握ったとしても、鎧武者の重さに縄が耐えられるか分からないし、一人ずつ下りていたら時間がかかり、成安軍が崖の下に来てしまうだろう。

 そこで、菊次郎は簡易のそりを作ろうと考えた。防壁の上に立てる予定だった板は畳二枚より少し広い。その上に四人が伏せ、手綱のように取り付けた藁縄を両手で握って坂を滑るのだ。頭が下になるのでかなり怖いが、兜と鎧で守られているし、伏せているので坂を転げ落ちることはない。連れてきた小荷駄隊が厚い板に道具で穴を開け、武者たちが藁縄を通してそれぞれが握りやすいように調節した。


「やるしかなさそうですな」


 山道の出口は直春隊を攻撃している敵の向こうだと言われて、惟房は腹をくくった。直冬の命令は連絡路を封鎖する敵の背後に出ることだ。道を進んでも駄目ならどこかで丘を下るしかない。


「楽しんでるね」


 則理は苦笑している。

 うおお、などと声を上げながら武者たちがどんどん斜面を下っていく。準備中は半信半疑だったようだが、最初の組の四人が崖の下で立ち上がって両手を大きく振ると、危険はないと安心したらしい。そうなると、彼等にできて自分はできませんとは言えない。怖いと嫌がれば武者として恥をかく。大軍師様を信じようと滑っていく武者たちの声は、段々遊びのような響きを帯びてきていた。


「あれは桜舘軍だ!」

「まずい、背後を襲われる!」

「挟撃されることになるぞ!」

「この狭い場所に閉じ込められて退路がなくなるぞ!」


 巣早隊が騒いでいる。惟房隊が攻めてきたら、狭い連絡路から出られなくなるのだ。


「部隊を分けるようですな」


 重毅が崖の下を眺めて感心し、友茂は得意そうだ。


「菊次郎様の読み通りですね」


 巣早博以は一千の半分を惟房隊の足止めに使うようだ。五百人ほどが慌ただしく去っていった。


「今が好機だね。荷車の壁を突破するなら」


 則理のつぶやきを安民が拾った。


「急がないと土俵の防壁の向こうの成安軍も武者を差し向けます。孤立している惟房様が危険です」


 南国街道を封鎖する幽縄隊は二千。五百程度を送る可能性がある。


「直冬さんに合図を」


 菊次郎の視線を受けて、安民が笛を吹き鳴らした。則理も鐘をたたく。


「でも、どうやってあの壁を越えるんですか」


 友茂は疑問を口にした。


「燃えていますし、狭いところに五百がいるんですよ。まともに行っても無理ですよね」

「大丈夫ですよ」


 菊次郎は微笑んだ。


「忠賢さんと直冬さんなら、きっとうまくやります」

「信じてるんだ。直春さんみたい」


 田鶴が笑った。


「でも、あたしも大丈夫だと思う」


 友人と夫を、菊次郎とはまた違う理由で信頼しているようだ。


「お手並みを拝見しましょう」


 重毅が割れ鐘のような大声で崖下へ叫んだ。


「大軍師様が見ておられますよ!」


 博以隊が一斉に上を見上げた。


「大軍師だと?」

「銀沢信家か!」

「何か策を使うのか?」

「あの坂を下ったのもそうか」


 そのざわめきを、忠賢の声が(つらぬ)いた。


「聞いたか! 菊次郎が見てるってよ。棉刈重毅もな!」


 忠賢の声は戦意に満ちていた。


「あの男は材木山の関所の門を踏切板(ふみきりばん)で飛び越えたらしいじゃないか。あいつにできることが、まさかこの俺たちにできないってことはないよな!」


 おおう、と騎馬武者たちが雄叫びを上げた。


「じゃあ、行くぜ! ついて来い!」


 忠賢は愛用の槍を振り上げると、馬を土俵の壁に向けた。上に板を立てるために作られた階段をとんとんと駆け上がり、防壁の上に出た。


「本当に馬で行くんですな」


 呆れた様子の希敦に、振り返ってにやりとする。


「騎馬隊が馬を下りてどうするよ」


 畳半分程度の幅のそこを、軽快に駆けていく。五十騎ほどが壁の上をついていった。


「踏切板の跳躍と、高さは大して変わんないぜ!」


 燃える荷車の壁の横を通り過ぎると、急角度の防壁をたたたっと駆け下りた。唖然(あぜん)として見上げていた敵武者を一人馬体ではね飛ばし、槍を振り上げて叫んだ。


「青峰忠賢見参! 死にたいやつはかかってこい!」


 巣早隊は大混乱になった。五十騎が狭い通路の中を駆け回り、槍を振りまわし、突き刺し、なぎ倒す。

 燃える壁を越えて来られるはずがないと思っていた。だから、半数を惟房隊に向かわせたのだ。不意をつかれた武者たちは統制を失って的確な対処ができないでいた。


「今です! 前進!」


 直冬が命じた。土俵の壁の上には板を立てるはずだった。その柱用の丸太を十人で抱えたのが五組。燃える逆茂木と荷車に勢いをつけて突進する。


「せえの!」


 全力で押し、突いて、逆茂木と荷車をずらし、どかしていく。


「まずい! やらせるな!」


 巣早隊の武者が気付いて叫んでいるが、もう遅い。まず一ヶ所、荷車を押しのけて細い隙間ができた。


「行くぞ! 突撃!」


 榊橋文尚が叫び、先頭に立って突っ込んだ。忠賢隊も合わせ騎馬武者一千三百五十が、開いた数ヶ所の隙間から次々に飛び込んでいく。直冬隊の徒武者も続いた。


「こんなばかな……!」


 博以のうめき声が聞こえた。五百対二千四百、勝負ははなから決まっていた。巣早隊は混乱し、組織だった抵抗ができなくなっている。


「くっ、これまでか」


 博以は決断せざるを得なかった。


「後退だ! 幽縄様に合流し、態勢を立て直して迎え撃つ!」


 その言葉を待っていたように、巣早隊の武者たちは一斉に逃げ出した。連絡路の出口へ殺到し、隠し門の方へ走っていく。


「さすがですね」


 菊次郎は感嘆した。田鶴は呆れた顔だ。


「忠賢さんらしいよね。無茶が好きなんだから」

「自分たちならできると思ったのでしょうな」


 重毅は愉快そうだ。


「直冬様は惟房さまと合流して、幽縄隊の背後を襲うようです。谷間と連絡路を確保するつもりでしょうね。忠賢様たちは国主様の陣地へ向かっていきます」


 友茂の言葉を聞きながら騎馬隊を見送ると、菊次郎は北へ目を向けた。


「成明さんも大丈夫なようですね」


 泉代隊の陣地に誘い込まれた成安軍は炎で分断されて苦戦していたが、お城山の火災を見て北大門が危ないと思ったのか引き上げていった。もう谷間から北側は心配ないだろう。

 菊次郎は崩れ落ちた櫓のそばを離れ、歩き出した。


「では、直春さんに合流しましょう」


 たいまつを持った則理が先導し、友茂たちと重毅、小猿を肩に乗せた田鶴がまわりを囲う。山道を進みながら、菊次郎は遠くに聞こえる直春の朗々とした歌に耳を澄ませて微笑んでいた。



「あの坂を下った先が漁師の港でございます」


 隣を馬で行く崇典古が告げた。宗龍は墨浦城からほとんど出たことがなく、この辺りに来るのは初めてだった。


「二つ見える(あか)りが灯台だな。あの黒い影が船か」

「入り江に入ってこようとしておりますな」


 典古は得意げだ。船を呼ぶのはうまく行った、この手柄は自分のものだ、と思っているようだ。


「もうすぐ菫ともお別れか」


 宗龍は寂しさと悲しさに胸がつぶれそうだった。


「次安丸は泣くだろうか」


 最愛の妻子と最後に話がしたい。短い時間で伝えたい言葉を考えながら馬を進めていると、後方で武者が騒ぎ始めた。


「どうかしたのか」


 是正が馬を止めて振り返っている。宿将は背中の方角を指さした。


「墨浦の町が燃えております」

「なんだと?」


 驚いて首をそちらへ向けると、真っ黒な墨浦湾の向こうに赤い筋が幾本も浮き上がってゆれていた。


旭国町(きょくこくまち)の辺りか」

「その手前、中町(なかまち)にも火が見えます」

「町の東側か。ということは」

「宇野瀬軍ですな。町に突入したようです。どうやら、旭国門城を町の中と外から攻めておるようでございます」

「それはまずいのではないか」


 出てきた本拠地が襲撃されたと知って、宗龍は血の気が引く思いだった。是正は重々しく頷いた。


「大変危険な状況でございますな」


 (かかと)の国へ伸びる旭国(きょくこく)街道の出口、その門である砦が襲われている。よく見ると門の外に多数の軍勢がいて、逆流する滝のように下から上へ火矢が切れ目なく飛び続けている。


「どうやって町に入ったのだ。まだ門は破られておらぬようだが」

「造船修理場が激しく燃え上がっております。恐らくはそこに船で上陸したのかと」

「留守の者たちは何をやっておるのだ!」


 宗龍は激高(げきこう)した。


「包囲の陣地に打撃を与えても、町に入られたら意味がないではないか!」


 城や町は大丈夫なのか。帰る場所がなくなったりしないか。不安を誤魔化し、足元からせり上がってくる恐怖に耐えようとして、つい言葉がきつくなった。


「わしがおらぬから気をゆるめたのか! 何のために一万も残してきたのか!」


 是正はこうした突発的な危機に慣れているらしく、冷静な口調で考えを述べた。


「先程、北大門が攻撃されておると報告が入りました。そちらに対処しようと、お城山に武者を集めたのかも知れませぬ。つまりは陽動に引っかかったのですな。恐らくは願空の策略かと」

「なんということだ! 敵の思う通りに動かされたのか! 愚か者どもめ!」


 いつもは退屈そうな顔をしている宗龍の大きな叫び声に武者たちが驚いている。是正は少し考え、(くや)しさなど微塵(みじん)も感じさせぬ声で進言した。


「お城へ戻りましょう」

「何?」


 宗龍は耳を疑う顔をした。


「もう一度申し上げます。お城へ引き返しましょう」

「ここまで来て、船に会わずに引き上げろと申すのか」

「さようでございます」


 是正が肯定すると、宗龍は怒りを収め、渋い顔をした。


「馬鹿な。もう目の前なのだぞ」


 後方の光景に(ほう)けていた典古が慌てたように口を挟んだ。


「そ、そうですぞ。もう船は見えております。あれを呼ぶのにどれほどの苦労と準備があったとお思いですか。追い返したらまた呼ぶのは不可能に近いのですぞ」

「分かっております。ですが、他に方法はございませぬ」


 是正は言葉に力を入れた。


「このままでは墨浦の町が宇野瀬家の手に落ちます。そうなれば、当家は終わりでございます。船と多少の交易をしたところで意味がございませぬ。武者を戻し、宇野瀬軍を墨浦から追い払うべきと存じます」

「しかし……」


 宗龍はすぐ後ろに停まっている駕籠を見やった。


「この機会を(のが)せば、もはや送り出すことはかなわぬだろう」

「墨浦を守ることが最優先でございます。当家に船を出してくれる商人や封主がおるのは、あの町が支配下にあるからなのですぞ。優先順位を間違えてはなりませぬ」


 わしの言葉に従うと申されたではありませぬか。そう言いたげな是正の強いまなざしに、宗龍は気圧(けお)された顔をしたが、少し黙ると、馬首を入り江に向けた。


「駕籠と荷車を届けたら後を任せてすぐに引き返す。大丈夫だ。簡単に旭国門城は落ちはせぬ。それくらいの時間はあるはずだ」


 言い訳のように低い声で付け加えた。


「妻と子を守りたいのだ。お前にも子がおるのだから理解できるだろう」

「御屋形様!」

「理屈は分かるが、今さら戻れるか!」


 迷いを断ち切るように強く言い捨てると、宗龍は馬を歩かせ始めた。


「前進を再開せよ! 急ぐぞ!」


 四千の武者と駕籠と荷車が動き出した。戻るべきではないか。判断を誤ったのではないか。問いかける心の声に必死でふたをする。


「早く漁港について愛する者たちを船に乗せよう。そうすれば安心して戦えるのだ」


 焦る気持ちを隠し、無理に作った余裕そうな笑みが不自然でないか冷や汗の出る思いで、じりじりしながら進んでいく。墨浦の様子が気になって仕方がなかったが、無言でそばに従う是正やしきりに表情をうかがっている典古の手前、我慢して振り返らなかった。


「船がはっきり見えてきたな。もうすぐだ」


 船は帆を畳み、多数の(かい)でゆっくりと砂浜に近付いてくる。


「せめて別れくらい告げたいものだ。それくらいの余裕はあるはずだ」


 ふくらんでいく悲しみや不安と戦っていると、是正が急に声を上げた。


「全体、止まれ!」


 軍勢が停止する。


「どうした。わしはそんな命令、承認しておらぬぞ」


 文句を言おうとして、後方に向けられた宿将の視線の(けわ)しさに気が付き、それを追って、あっと叫んだ。


「お城山が燃えておる。山火事か!」


 思わず言ったが、何もないのに火がつくはずがない。敵の攻撃に違いなかった。


本郭(ほんくるわ)御殿(ごてん)は無事か!」


 目を()らし、そちらには延焼していないのを見てほっとしたが、すぐに事態を理解して背筋が寒くなった。燃えているのは山の西側だ。宇野瀬軍に加えて、桜舘軍も城を攻め始めたのだ。


「直春公は本陣を放棄して後退し、こちらが優勢だったはずだ。どうしてこうなったのだ」


 是正に答えを求めようとして、先程進言を無視したことを思い出し、口を開くのをためらっていると、名を呼ばれる前に宿将が言った。


「もしかすると、銀沢信家が関わっておるかも知れませぬ」

「敵の大軍師か。だが、我等の作戦はうまく行っておった。どう破ったというのだ」


 宗龍はまだ納得できなかったが、誰のしわざだったとしても見えている光景は変わらない。信じたくないと叫びたいのを何とかこらえていると、是正が深いまなざしを向けた。


「引き返しましょうぞ」


 宗龍を責めているのではなく、忠実な家臣として申し上げるのだと全身で語っていた。


「お城山に火がつき、城内は大騒ぎでございましょう。こういう時こそ、御屋形様がご無事なお姿を見せて、皆を安心させることが肝要(かんよう)でございます。城外に出ておる武者が戻れば数では敵と互角、味方は息を吹き返しましょう。船で上陸したのなら、町に入った敵武者はさほど多くないはず。殲滅(せんめつ)するのは困難ではございませぬ」


 一度言葉を切り、丁寧な口調で続けた。


「旭国門城が陥落して墨浦の町に宇野瀬軍があふれれば、御屋形様をお城にお戻しすることがかなわなくなるかも知れませぬ。そうなる前に、つらいご決断と重々承知でございますが、帰還いたしましょうぞ」

「ううむ……」


 宗龍は迷った。もう船は見えているのだ。ここまで来たのに。また機会はあるのか。未練が断ち切れず、返事をできないでいると、一人の騎馬武者が走ってきた。


「至急の伝令でございます!」


 武者は馬から飛び降りて片膝をつき、荒い息で報告した。


「谷間が突破されました! 青峰忠賢などの騎馬隊一千数百が、崖と土俵の防壁の間を抜け、直春公の陣地を攻撃中の進所(すすど)悦哉(えっさい)様の部隊の背後を襲いました。直春公が息を合わせて外へ打って出たため、お味方は大混乱しております。進所様から、『もはや直春公を討つことはかなわなくなりました。御屋形様もすぐにお城へお戻りください』とお伝えするように命じられました」


 宗龍は息をのみ、信頼する宿将に目を向けた。是正は馬を下り、低頭して言上した。


「御屋形様。作戦は失敗いたしました。引き返しましょう。でないと敵に退路を断たれます」

「しかし!」


 嫌だと子供のようにわめきたかったが、成安家当主にそんな振る舞いが許されるはずはなかった。是正は沈痛(ちんつう)面持(おもも)ちで告げた。


「漁港に向かわれる御屋形様や駕籠の中のお方の安全は、谷間を封鎖できることが前提でございました。それが崩れた以上、中止するほかございませぬ」

「だが! ……典古!」


 名を呼ばれた次席家老は身を縮こまらせて申し上げた。


「大変残念でございますが、引き上げるしかございますまい」


 船を呼ぶことを提案した本人も、さすがに事態を理解して、悔しそうに歯を食いしばっていた。


「そうか」


 宗龍はうなだれたが、何かを断ち切るように首を大きく振って顔を上げ、深呼吸して声を張り上げた。


「全軍、その場で反転せよ。お城に引き上げるぞ!」


 おおう、と武者たちが返事をし、撤退が始まった。海の方では典古の指示で灯台のあかりが消され、船が沖へ遠ざかっていく。


「慌てず、しかし急げ」


 是正が指示を出し、宗龍と駕籠の守りを固めて南国門城へ向かったが、急に歩みが遅くなり、前方の隊列が崩れた。


「小薙敏廉隊です。我々の足を止めるつもりのようです!」

「小薙隊を攻めていた崇典前(のりさき)隊はどうした?」


 是正が馬上で辺りを見回し、首を振った。


「どうやら撤退したようです。お城山の火事で武者が動揺したのかも知れませぬ」


 宿将の進言で宗龍は前を進む武将の一人に伝令を送った。一千で小薙隊を防ぎ、味方の撤退を助けさせるのだ。


「とにかく進もう。早くお城に戻りたい」


 入り江に向かう時は目的があったので気持ちが高ぶっていたが、失敗して引き上げることになると恐怖ばかりが(つの)った。


御殿(ごてん)に戻れず殺されるのではないか。菫と次安丸の命も危ないのではないか。こんなことなら城から出すのではなかった」


 宗龍は馬を全力で駆けさせたかったが、総大将がそんなことをすれば全軍が崩壊する。手綱をぎゅっと握り締めて、体の震えに耐えていた。


「駄目ですな」


 急に是正が手を上げ、軍勢を止めた。


「どうした」

「この速度では敵に前を塞がれます」


 是正が指さす方角では、桜舘軍の騎馬隊が撤退中の進所隊を切り崩していた。


「誰かが敵を押し戻して道を開かねばなりませぬ。食い止めておる間に、御屋形様は門城にお入りください」

「分かった」


 宗龍はそう言うしかなかった。


「誰を残す」

「わしがその役目をつとめます」

「なに?」


 宗龍の驚きの声に答えず、是正は四千の先頭にいた息子を呼び寄せた。


「正維、御屋形様を頼む。わしが敵の騎馬隊を攻撃して下がらせるから、その隙に門城へ全力で走るのだ」


 正維は顔色を変えた。


「父上が向かわれるのですか」

「わしは最後まで残って、御屋形様が無事に町に入られたら撤退する」


 是正は薬藻衆の武者頭を呼び、老いた武者を五百人選べと命じた。


「正維は他の者たちを率いて行け」

「まさか、父上」


 うそだと言ってほしいと訴えるように、息子は声を震わせて問いかけた。


「死ぬおつもりですか」

「これがわしの選んだ生き方だ。お前にもいずれ分かる時が来る」


 是正はやさしい顔をしていた。


「あとのことは任せる。お前なら安心だ。母さんと家臣たちを頼んだぞ」


 励ますように正維の肩をたたいた。


「お前はよい息子だった。誇りに思っておる」

「父上こそ俺の誇りです!」


 正維は顔をくしゃくしゃにした。


「一番うれしい言葉だよ。長生きするのだぞ」


 正維は両手のこぶしをぎゅっと握り締めると、感情を押し殺した声で言った。


「ご命令に従います。今までありがとうございました」


 正維は頭を下げて腕で目をこすった。


「待て、是正。そんなことは許さぬ!」


 宗龍は蒼白になっていた。


「わしにはそなたが必要だ。これからもわしを導いてくれ」


 命令ではなく懇願(こんがん)だった。


「誰かが残る必要があるのです。この役目はわしのような老いた者がふさわしいのでございます」

「わしを見捨てるのか」

「とんでもないことでございます」


 是正は笑みを浮かべた。


「御屋形様をお守りするために、わしは戦うのでございます。最後の忠義を尽くさせてくだされ」


 何を言っても無駄だと宗龍は悟った。老将はここを死に場所に選んだのだ。


「すまぬ。世話になった。面倒をかけたな」


 宗龍自身も意外なことに、目に涙があふれてきた。宿将と呼ばれた重臣への執着(しゅうちゃく)や感謝ではないだろう。置いてけ堀にされる自分への(あわ)れみかも知れなかった。


「役目を果たしたら降伏せよ。よいな」


 是正は頷かなかった。


「あまり長い時間は稼げませぬ。お急ぎくだされ。ご無事をお祈り申し上げます」


「分かった。死ぬなよ。戻ってこい。きっとだぞ」


 無駄と分かりつつ、かすれた声で命じると、宗龍は正維に顔を向けた。


「行くぞ。護衛せよ」

「はっ」


 必死で涙をこらえていた正維は、父親に深々と頭を下げると馬にまたがった。


「前進を再開する! 密集し、御屋形様と駕籠をお守りせよ。荷車は置いていく。桜舘軍がこれに群がって足を止めるかも知れないからな」


 号令をかけると、馬を歩かせ始めた。宗龍と駕籠が続く。典古や他の武将、三千五百の武者たちは皆、是正に丁寧に一礼して追いかけていった。



「行きましたな」


 宗龍隊を見送る是正の背に声がかかった。老将は同い年、六十三歳の武者頭に顔を向けた。


「付き合わせてすまないな。安楽な隠居生活を送らせてやりたかったのだが」


 髪と(ひげ)がすっかり白い側近は笑みを浮かべた。


「あなた様にお仕えして四十年余り。最後までご一緒させてください」


 五十代後半の護衛役の武者も言った。


「水臭いことをおっしゃいますな。あなたのそばで戦うのが俺たちの仕事ですし誇りなんですよ」


 そうだそうだと声が上がる。


「ありがとう」


 是正は深々と頭を下げた。


「お前たちの(あるじ)だったことを、わしも心の底から誇りに思う」


 涙のにじむ笑顔を浮かべると、雷のような太い声を張り上げた。


「では、最後の戦に向かうぞ! 敵は桜舘直春公。次の時代を切り開く英傑(えいけつ)だ。命を差し出す相手として十分だろう! 若い者たちに我等の武勇を見せ付けてやろうぞ!」


 おう、おう、おう! 老いた武者たちは声を合わせて三回鬨の声を上げた。


「たいまつを消せ! 暗闇を利用して敵に接近、奇襲する!」


 是正は馬にまたがって腹を蹴った。始めはゆっくりと進み、次第に速度を上げて小走りにする。


「まずはあの騎馬隊を横撃して蹴散らす。青峰という武将の実力、確かめてやろうではないか!」


 老将は愛用の兜に月光をまとわせ、悔いのない者の満ち足りた笑みを浮かべて、五百の同志の先頭を力強く駆けていった。


「あれが青峰隊か」


 進所隊を突き崩しつつある騎馬隊は、まだ是正たちに気が付いていない。


「よし、槍をそろえて並べ! 二十人に一人だけたいまつをともせ! 行くぞ!」


 是正は真っ先に馬を駆けさせて騎馬隊に突入し、続いて五百人が大声を上げながら一斉に騎馬隊へ槍を突き込んだ。


「うおっ、横からの攻撃か」


 忠賢隊は驚愕している。


「隣の者と足並みをそろえよ。腹の底から声を出せ! このまま敵を押していくぞ!」


 五百の槍隊の圧力を受けて、騎馬武者の群れが進所隊の前から押しのけられていく。


「馬をねらえ! 地面にたたき落とせ!」


 騎馬武者たちは次々に馬から落ちた。そうでない者も暴れる馬を静めようと必死になっている。


「ちいっ、宿将のじいさんか。相手が悪いな」


 青い鎧の武将が舌打ちするのが聞こえた。


「いったん下がるぞ! 態勢を立て直す!」


 笛が鳴ると、騎馬武者たちは戦うのをやめて背を向けた。ばらばらと走り去っていく。


「進所殿! 今のうちに城門へ向かわれよ。御屋形様は引き返された」

「沖里公か! かたじけない!」

「あとは引き受ける」

「ご武運を!」


 悦哉は何かを察したようだったが、ここでためらったり踏みとどまったりしたら是正の献身を無駄にすることになる。丁寧に頭を下げると、武者をまとめて門城の方へ進んでいった。


「我等は敵を撹乱(かくらん)し、味方が門に入る時間を稼ぐ」


 是正は武者を呼び戻して槍型の隊列を整えると、進所隊を追いかけて近付いてくる直春隊にねらいを変更した。また側面に回って突入するのだ。城門に続く道に陣取って塞ごうとしても、たった五百では厚く長い槍衾(やりぶすま)は作れない。迂回されるかも知れず、こちらから攻め込んで引き付けるしかなかった。


「早足! 突き崩せ!」


 口々に雄叫びを上げ、体当たりする勢いで五百人は直春隊に突っ込んだ。


「なんだ! 新手か!」

「むっ、手強いぞ!」


 驚く敵武者の間に分け入るように繰り返し槍を突き出しながらがむしゃらに進んでいく。


「沖里公か。足止めするつもりか」


 白馬に乗った直春が大声で命じた。


「左右に分かれよ! 敵を通過させるのだ!」


 直春隊は二つに分かれて道をあけた。直春の凛々しい姿を横目に見ながら是正はすぐ横を馬で駈け過ぎた。


「全体停止! その場で反転せよ!」


 背後に抜けると、是正は槍の陣形の穂先を素早く直春隊に向けた。


「突撃!」


 再び猛然と向かっていく。


「敵に立て直す時間を与えるな! 冷静になる前にかき乱せ!」


 おおう、と老武者たちが絶叫する。


「来るぞ! 槍を構えよ!」


 直春が命じているが、まだ武者たちは背中を見せたままだ。慌てて向きを変えようとするが、長い槍が邪魔になり、兜で後ろが見づらいので時間がかかる。そこに是正隊が槍を前に突入し、手当たり次第に刺し、たたき、()ぎ払って通り過ぎる。人数が少なく、熟練の者ばかりで、心が一つの是正隊は、まるで一本の大きな槍のように、直春隊を幾度も貫き切り裂いた。


「沖里公、やはり手強(てごわ)いな。足止めがねらいだろうが、この勢い、本気でかからねば崩される」


 直春は槍を振り上げて命じた。


「敵が来たら、また分かれて通過させよ!」


 聞こえているが、今さら是正隊は止まれない。


「行けえ!」


 槍を前に向けて走る。直春隊は数回の突撃を受けて慣れてきたのか、すぐに二つに割れた。与えた損害がこれまでの半分以下になったが、とどまれば包囲されるので、駆け抜けるしかない。

 直春隊と距離をとって隊列を組みかえながら墨浦の方へ目を向けると、宗龍と駕籠を中心とした集団は門城の手前で止まっていた。小薙敏廉隊の攻撃を受けたようだ。


「まだ通すわけには行かぬな」


 大城壁に近付けば矢の援護があるが、そこまで宗龍たちが到達するにはしばらくかかりそうだ。


「もう一度だ! 行くぞ!」


 是正は再び前進を命じた。桜の頃の夜はまだ冷えるが、鎧を着た武者たちは汗だくだった。はあはあと荒い息の者も少なくない。高齢の者が多く体がきついだろう。休ませてやりたいが、少数の部隊は足が止まればお終いだ。


「走れ! 突き崩せ!」


 武者たちはやけになったような叫びを上げて再び走り出す。敵を見ると、直春が指示を出していた。


「馬廻り一千は俺について来い! 敵の突撃を受け流す! 残りは昭恒に従い、離れたところで分厚い槍衾を組め!」


 直春隊は二つに分かれた。両方を攻撃するには数が足りないので、是正は敵の大将にねらいを定めた。


「直春公を目指す!」


 追いかけていくと、直春は背を向けて逃げ始めた。といっても遠くには行かず、追い付かれるとさっと隊列を散開させて通過させ、すぐに集合して攻めてこいと挑発する。


「まずいな。敵も少数になると捕まえにくくなる」


 それでも行くしかない。ひらりひらりとよける直春隊に、是正隊は食らいついていった。


「こんな無理な攻撃はいつまでも続かない! 体力が持たないはずだ! 向こうの武者も疲れている! 焦らず目の前の敵の回避に集中せよ!」


 聞こえてくる的確な指示に、是正は感嘆していた。


「見事な統率ぶりだ。まことの名将だな」


 三度の突撃をかわされ、さすがに停止して呼吸を整えさせていると、直春は昭恒隊に合流し、自身はその前に立った。


「待たせたな、お殿様!」


 後方で声がした。一千四百の騎馬隊の先頭に青い鎧の武将がいる。


「挟み撃ちにされるか」


 直春隊に向かえば背中を襲われるだろう。門城の方を見ると、宗龍は先程より進んでいたが、まだ町に入っていなかった。


「沖里公にお話がございます」


 直春隊から山花獣鳥(さんかじゅうちょう)四尊(しそん)の旗を掲げた四人に囲まれて、桜舘家ののぼり旗を背にさした武者が近付いてきた。


「軍使か」


 使者は丁寧にお辞儀をして大きな声で告げた。


「国主桜舘直春様と大軍師銀沢信家さまのお言葉をお伝えいたします」


 直春隊の脇に五人ほどに守られて、黒い軍配を手にした青年と猿を肩に乗せた若い女が立っていた。どうやら信家が直春の許可を得て使者を寄越したようだ。


「沖里是正殿、貴公の勇戦に敬意を(ひょう)します。ここまでよく戦われました。しかし、もはやこの辺りにいるのは貴公の部隊だけです。我が方は数倍の武者で包囲する態勢にあり、そちらに勝ち目はなく、これ以上戦っても犠牲が増えるだけです。武器を捨てて降伏してください。貴公と武者たちの命は保証し、鄭重に扱うことを約束いたします。負傷者もすぐに手当ていたしましょう」


 軍師はいったん言葉を切り、付け加えた。


「国主様は、貴公のような名将を死なせるのは惜しい、ぜひ当家に仕えてほしいとおっしゃっています。大軍師様からは、あなたと兵法(へいほう)を語り合い、教えを受けたいと言付(ことづ)かりました」


 見回せば、従う武者は三百を下回っていた。討たれた者、重傷を負って倒れた者、体力が尽きて動けなくなった者が続出し、まだ戦うつもりの者たちも無傷の者はいない。どうするのかと問いかけるまなざしが戦友たちから注がれた。


「実にありがたいお申し出だ」


 是正は心から言った。


「この老骨(ろうこつ)をそのように高く評価していただいたこと、深く感謝いたす。英明(えいめい)(ほま)れ高い直春公と、天下に名が轟く大軍師殿の誘いを受け、大変名誉なことと感激いたした。しかし」


 是正は胸を張って大きな声を張り上げた。


「我が(あるじ)宗龍公はまだ城内に入っていらっしゃらない。ここで我等が降伏すれば、貴公らは御屋形様を追いかけ、背後を襲撃するだろう。それを分かっていて道をあけることはできない」


 これ以上の戦闘は自殺に等しい。だが、覚悟は決まっているのだ。


「我等は成安家の家臣。最後まで御屋形様に忠義を尽くす。頑固者たちの最後の戦にお付き合いいただきたい」


 武者たちを見回すと、皆笑って頷いていた。座り込んでいた者たちも立ち上がって槍を握った。


「これが答えだ。持ち帰ってくれ」


 軍使は残念そうに頭を下げ、直春へ報告に行った。


「さあ、我等の底力を見せてやろうぞ!」


 是正は再び馬にまたがった。血に染まった槍の具合を確かめ、左手で手綱をしっかりと握る。


「行くぞ! 全力で駆けよ!」


 おおう、と武者たちは絶叫し、走り出した。是正は馬で先頭に立つ。


「来るぞ! 槍衾を作れ! 敵を受け止め、動きを封じる!」


 直春の若く凛とした声はよく通り、覇気(はき)が感じられた。桜舘家の武者たちの気持ちが引き締まるのが手に取るように分かる。


「石突きを地面にさして腰を落とせ! いつもの訓練を思い出すのだ!」


 ずらりと並んだ槍の穂先が月光に浮かび上がる。その冷えきった輝きがもたらすものを身が震えるほど理解しながら、止まるつもりは毛頭(もうとう)なかった。


「突き崩せ! 足を止めてはならぬ!」


 是正隊は槍の林に全力で突っ込んでいった。


「止まらないぞ! 正面から来る!」

「正気か! 無謀だぞ!」

「よく見れば老人ばかりだ。死兵(しへい)か!」


 勇猛をはるかに超えた攻め方に、恐怖の叫びがあちらこちらから上がる。三百弱の是正隊が二千を超える直春隊に食い込み、ずるずると押し下げていく。


「ひるむな! 踏ん張って押し返せ! 敵は少ないぞ! 一人ずつ確実に動けなくしていけ!」


 直春の冷静な声が戦場に響く。


「正しい判断だ。それでよい」


 直春隊が包み込むように受け止め、是正隊の前進が止まったところへ、騎馬隊が駆け付けてきた。


「是正隊の背後を突け! どれほどの勇者だろうと尻で槍は持てないだろ!」


 是正隊は合わせて三千を超える桜舘軍に囲まれる形になった。


「皆、集まれ! 円陣を組むぞ!」


 宿将は即座に指示を出した。是正を中心に槍を外側に向けて(まる)くなる。輪切りにしたうにのような陣形だ。


「このまましばらく持たせるぞ」


 ただ守っているだけでは騎馬隊が門城へ向かってしまう。敵に警戒させなければならない。


「合図と共に、一番外側の列の者たちが敵に突撃せよ。一撃したら下がり、二列目の者が前進して新たな外側の輪を作れ」


 武者たちが頷くのを確認し、命令を(くだ)す。


「第一列、突撃せよ!」


 わああ、と五十人ほどが槍を前に向けて駆けていく。勢いで桜舘家の武者を刺した者もいたが、多くは待ち構えていた複数の敵に袋叩きにされて倒される。それでも半数が戻ってきた。


「次の列! その次の列!」


 武者たちを死に向かって突進させながら、是正は苦い笑みを浮かべた。敵より多くの武者を集めて堅実に勝ち、無謀な戦をしないと言われた自分が、全滅を前提とした消耗戦をしている。宿将の名折れだが、同時にこれが運命だった気もしていた。

 もはや是正の活躍した時代は終わった。成安家は遠からず滅ぶだろう。恐らくはこれが当家の関わる最後の大規模な流血になる。その役目が自分だったのは残念だが、かといって他の誰かに譲れと言われても拒否しただろうと感じていた。


「御屋形様が城内にお入りになりました!」


 町の方を見ていよと命じておいた武者が報告した。門城を守っていた明告知業が主君の危機に一千ほどを率いて打って出て、無事に収容したという。


「そうか。役目は果たせたな」


 宗龍と側室の命を守ることができたのだ。最後の自分の働きに是正は満足した。


「ここまでだな」


 自分が生きている限り武者たちは戦いをやめない。そろそろ終わらせる頃合いだった。これだけ多くの者を死なせたのだ。降伏して自分だけ生き残ることはできなかった。始めから覚悟していたことだ。知業がこちらに向かっているようだが、前途(ぜんと)有望(ゆうぼう)な若者を巻き込むわけには行かない。自分が死ねば賢明な知業は城へ引き返すだろう。


「わしも行くぞ」


 槍を手に前列に出る。同い年の武者頭と長年側に仕えた護衛役が左右に付いた。


「突撃!」


 出せる限りの大声で叫び、槍を握って駆け出した。


「沖里公だ!」

「自身で来るぞ!」

「ひるむな! 突き返し、押し戻せ!」


 是正は久方ぶりの興奮と不思議な解放感を覚えていた。こうして自分の手で槍を振るって戦うのは何十年ぶりだろうか。


「田鶴、頼みます!」

「分かった!」


 敵の槍の列まであと数歩のところで胸に強い衝撃を受けた。上体ががくんとゆれ、(たましい)を焦がすような激烈な痛みが全身を駆けめぐった。みぞおち辺りに特別製と思われる精巧な作りの紫色(むらさきいろ)の矢が刺さり、鎧を貫いていた。その矢を射たと思われる若い女が槍衾の後方の台の上で泣きそうな顔をしていて、隣で大軍師の若者が痛ましいものを見るような目を是正に向けていた。


「そんな顔をするな。これで本望(ほんもう)だ」


 誰にも聞こえないつぶやきを残して、宿将は大門国の大地に倒れ伏した。



「国主桜舘直春様からのお言葉をお伝えいたします」


 次の朝、明るくなると、直春は南国門城に使者を送った。


「沖里是正公のご遺体を引き渡したい。確認を願います」


 門城では正維が眠らずに父の帰りを待っていた。すぐに門を出てきて、遺体にかぶせられた白い布をめくり、沈痛な表情で頷いた。


「父だ」


 是正はうっすらと微笑みを浮かべて目を閉じていた。矢は抜かれ、鎧の血はぬぐわれており、腹の上で両手が重ねられている。


「武者の方々のご遺体も少し離れたところに置いていきます。お引き取りください」


 矢が届かぬ距離に、白い覆いをかぶせた多数の担架が並べられていく。運んできた小荷駄隊は襲撃と疑われぬように門には近付かず、すぐに陣地へ引き返していく。


「国主様は、こうおっしゃっています。今日は城や町を攻撃しない。葬列(そうれつ)が出てきても襲わない。だから、名将と勇士たちの葬儀をなさるとよい。こちらも戦死者を(ほうむ)(とむら)う日にするつもりだ、と」

「かたじけない。遺体は引き取らせていただく。葬儀(そうぎ)も恐らく行うことになるだろう」


 すぐに成安家の小荷駄隊が門を出てきて、担架の列に向かった。


「父も、武者たちも、鄭重に扱ってくださったようだ。感謝申し上げる」

「勇者には敬意を払うようにと国主様が申されたのです。もちろん、負傷して捕虜になった方々もきちんと治療し、武家にふさわしい待遇を用意いたします」

「城内の家族に伝えよう。安心するだろう」


 彼等を代表するように、正維は桜舘家の本陣があると思われる方向に深々と頭を下げた。


「直春公は世間の噂でうかがう通りのお方のようだ」


 使者は一礼して背を向け、桜舘家の小荷駄隊と合流して引き上げた。


「直春さんらしいですね」


 菊次郎は使者が戻ってくるのを見て、隣の友人に言った。


「遺体を届けさせるなんて、やさしいです」

「沖里公は名将だった。戦いぶりも見事だった。当然のことをしただけだ」


 直春はあまり愉快そうではなかった。是正があんな死に方をしたことに納得していないのだ。


「本人が選んだのですよ。自分で降伏勧告を断ったのですから」

「分かっている。ただ、俺なら死なせはせん」

「そうかも知れませんね」

「絶対にだ」


 珍しく直春が意固地(いこじ)になったように言い張った。


「確かに()しい人物でしたね。あの方に大軍を与えて自由に采配させていたら、僕たちは勝てなかったかも知れません。武者たちがあんな戦いに付き合ってくれるくらい人望(じんぼう)もありました。少し後味が悪いです」


 菊次郎の言葉に、後ろから返事があった。


「だから死んだんだよ。皮肉なことだぜ」


 忠賢が武者に馬を預けて近付いてきた。


「腹黒で信用できないやつの方が長生きするもんさ。忠義に(あつ)いなんてのは、自分を生きにくくするだけだ」


 隣に並んだ青い鎧の武将に、直春は笑いかけた。


「忠賢殿は来てくれたではないか」


 うれしそうな信頼の笑みだった。


「きっと来てくれると信じていた。菊次郎君も、田鶴殿もな」


 小猿を肩に乗せた田鶴は、くすぐったそうな顔をしている。


「あたぼうよ」


 忠賢はにやりとした。


「お殿様の危機には駆け付けるぜ。十五万貫ももらってるんだ。恩は返さないとな!」

「友人だから、と言ってほしいな」


 直春も軽口に応じた。


「領地をたくさんやれば来てくれるなら、もっとやろうか」

「おお、くれよ。百万貫くらいな」

「俺もそうしたいのだ。君たちには本当に助けられているからな」


 直春は本気の口ぶりだった。


「俺も武者たちも、味方が、忠賢殿たちが助けにきてくれる、大軍師が逆転の手を打ってくれる、そう信じて戦ったのだ」


 肩をたたかれて、菊次郎はうれしくなった。


「直春さんも来てくれましたから」


 田鶴が頷いている。


「寧居港へ、包囲された僕たちを救いに」


 菊の花で埋まった堀は忘れられない。


「行くに決まっているさ。大切な仲間だからな」


 直春はこともなげに断言して、表情を引き締めた。


「宗龍公にも命を投げ出してくれる家臣がいたようだが」


 まだ黒煙の立ち(のぼ)るお城山を見上げて、直春は言った。


「その沖里公を失ったことで、成安家の命運は尽きたな」

「はい」


 昨日まで満開の桜に覆われていた小山の西半分は、土の色が見えてしまっている。真っ黒に焦げた太い枝と幹の群れだけが残る山肌を、朝日が容赦なく人々の目にさらけ出していた。


「もう散り始めてたのにね。もう少し見たかったな」


 田鶴がつぶやいた。


「桜を焼くなんて、罰が当たらなければいいけど」


 菊次郎はちらりと忠賢を見た。献策したのは希敦だという。桜が燃えるとは思わなかったのかも知れない。それでも、山花獣鳥(さんかじゅうちょう)四尊(しそん)の一つが見るも無残な姿になっている。後味はよくなかった。


「桜は他にもあるだろ」


 忠賢の言う通り、西丘にもちらほらと満開の桜が見える。そこから飛んできたのか、菊次郎たちの足元で薄紅色の花びらが多数風に舞っていた。


「美しく散るのも案外難しいものなのですね」

「そうだな」


 直春が真顔で頷いた。

 是正を殺したくはなかった。しかし、結局自分と田鶴の手を汚してしまった。昨夜の戦いでは敵にも味方にも多数の死傷者が出ている。これからも死なせたくない人の命を失わせることは避けられないのかも知れない。そう思うと、昨日の勝利を心から素直に喜ぶ気持ちにはなれなかった。恐らく直春も同じなのだろう。

 風に乗って焦げ臭いにおいが漂ってくる。昨日と一変した墨浦城の姿に、菊次郎は急に心の底が凍るような寒々しさを覚えたのだった。



元尊(もとたか)様」


 座敷牢に敷かれた布団に無気力に横たわっていた元連署は、聞き慣れた声に目を半分開いた。


郷末(さとすえ)か」 

「さようにございます」


 長年自分に仕え、かつては共に陰平(かげひら)索庵(さくあん)に学んだ同い年の男が、木の格子(こうし)の外に立っている。


「今更何の用だ。よく顔を出せたな」


 簗張曲(やなはりくま)の合戦で敗北した元尊がまだ生きているのは、郷末が自害させてくれなかったからだ。


「全てお前のせいだ。やはりあそこで死ぬべきだった」


 本陣を忠賢の騎馬隊に襲われた時、主君宗龍に最後まで踏みとどまると宣言したのだからと、元尊は自裁(じさい)しようとした。しかし、郷末の指示で乗っていた輿(こし)が逃走を始めると、死の覚悟はすぐに消え、かわりに心を覆いつくした恐怖に追い立てられて、墨浦まで逃げ帰った。その結果、敗北の責任を問われて筆頭家老の名門氷茨(ひいばら)家は領地を半分に減らされ、元尊は投獄(とうごく)されたのだ。


「あなたにはまだ役目が残っております」


 宜無(むべない)郷末は(じょう)をはずして牢の入口を開いた。


「どうやってその(かぎ)を」


 元尊は驚いて体を起こし、眼鏡をかけると格子にはい寄って左右を眺めた。


「牢役人はどうした」

「逃げたのですよ」


 そんなことはどうでもよいといった口ぶりで郷末は告げた。


「逃げただと?」

「旭国門城は陥落、宇野瀬軍が攻め込んできております。この衝立山(ついたてやま)もじきに占領されましょう」

「信じられぬ。門城が落ちたのか!」

「お結の方が侍女に命じて城内の水瓶(みずがめ)に毒を入れさせたようです。多くの武者頭が倒れて命令を出す者がおらず、混乱が広がったところに突入されました。どうやら潜入していた隠密とお結の方に従う武家が内側から門を開けたようです」

「その隠密もあの女がかくまっていたのか。味方に引き込んだ武家というのは愛人か」


 郷末の表情で肯定と知ると、元尊は「あばずれめ」と吐き捨てるように言った。


「成安家は終わりだな。今宵(こよい)はお城山まで攻め込まれなかったとしても、落城するのはそう先ではあるまい」


 元連署は悔しげに歯を食いしばった。氷茨家の再興は不可能になったのだ。


「そんな状況で逃げてどうする。まさか、武家をやめてただの民になって生きよと申すのか」


 そんな暮らしが贅沢(ぜいたく)に慣れた元尊にできるわけがないし、したくもない。


「それこそ死んだ方がましだ」


 その反応は分かっていたというように、郷末は全く表情を変えずに一礼した。


「私と一緒に来ていただきます」

「どこへだ」

「あなたにはまだしてもらうことがございます」

「何をしろというのだ」


 皆目(かいもく)見当がつかない様子の元尊に、郷末は告げた。


「桜舘家の天下統一を防ぐことです」

「なんだと?」


 元尊は同い年の男をまじまじと見た。


「銀沢信家を止めるには元尊様が必要です。彼に対するその憎しみと執念(しゅうねん)がです」

「それはお前の考えか」


 郷末は無言で従者らしく牢の前に控えている。


「どこかの封主家と通じていたのか!」


 元尊は愕然として叫んだ。


「実は元尊様を死なせるなと指示されておりました」


 だから狢河原(むじながわら)簗張曲(やなはりくま)で逃がしたというのだ。


「どこの家だ!」


 郷末は冷ややかに笑った。


「安全な場所に移動してからお教えいたします。当面の生活に必要な金は受け取っています」


 郷末の酷薄(こくはく)な表情に元尊は絶句したが、立ち上がって牢の入口をくぐった。


「よかろう。わしを連れていけ」


 通路に出た元尊は、連署だった頃のように人を食った不敵な笑みを浮かべていた。


「どうせここにいても死ぬだけだ。願空や直春に捕まれば処刑されるに違いない。ならば、その何者かの思惑に乗ってやる。銀沢信家に一泡吹かせられるなら断る理由はない」

「では、こちらに」


 郷末は頭を下げ、先導して歩き出した。牢獄の外へ出る通路には誰もおらず、遠くで剣戟(けんげき)の音や怒号が絶え間なく聞こえていた。


「しばらくは姿を隠し、時期を待ちます」

「うむ。まずは天下の情勢があれからどう変わったかを知らねばならんな」


 武者や小荷駄隊や侍女が大慌てで行きかっているが、誰も二人をとがめようとしない。時々身を隠して宇野瀬家の武者をやり過ごしながら、騒ぎにまぎれて墨浦の町に出た元尊たちは、砂浜に向かった。火を(のが)れ、船で避難しようとする民がたくさんいて、桟橋(さんばし)につながれた商船に(むら)がっていた。


「この小舟で湾を横切り、大門国の西端へ向かいます。ある大封主家の息がかかった商人が待っております」

「用意周到だな」

「その後、御使島に渡り、大きな船に乗って都へ参ります」

「どこから来た船だ」

「東です。当家との貿易が目的でしたが、この様子では引き返したでしょうね。鮮見領で待っているはずです」

「東からか。宇野瀬家ではあるまい。戦が長引いてあの老人が得をすることはないからな。となると、もっと北か」


 元尊はにやりとした。


「全てお前に任せる」


 元尊は二年ぶりの外の風に目を細め、燃え上がるお城山を一瞥(いちべつ)すると、小舟に乗り込んだ。すぐに二人の()ぎ手が(かい)を動かし始める。


「もう失うものはないのだ。その黒幕の力を利用して、最後に派手なことをやってやる」


 元尊は船底に仰向(あおむ)けに寝転び、半分を超えた明るい月を見上げながら、波にゆられて去っていった。

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