(巻の六) 第三章 攻防 中
翌日の朝、元尊率いる大軍は再び城の前へ現れた。天守の最上階からは、成安家の焦げ茶色の鎧が城の前の草地を覆いつくしていく様子がよく見えた。
「あれは盾車ですな」
実佐が指さしたのは、横に長い壁に屋根と車輪をつけたような大きな攻城器だった。前と上面を木の板で守り、その下に武者が入って押して進む。矢を射るための狭間も付いている。身を守りながら城に接近するためのものだ。下郭の方へ向かってくる。
「夜、森で木を切ってたのは、あれを作るためだったのね」
田鶴は初めて見たらしい。物見に出した者の報告では、陣地の中から夜通し木槌の音が聞こえていたという。
「堀を埋めるつもりみたい」
盾車の後ろには多数の荷車が続いている。運んでいるのはたくさんの俵だ。中身は土だろう。
「外郭が水没する限り大手門は攻められません。水の流れをせき止めようというのでしょう」
予期していた攻撃だ。菊次郎でも同じことをするだろう。
「水門櫓にも攻めてくるでしょうか」
直冬が眺めているのは自分の持ち場だ。海とつながる水門は、城から突き出た大きな櫓になっている。
「ええ、恐らく」
菊次郎は断言した。
「水門を塞ぐか開けられなくしたいはずです。堀を埋めるより楽だと考えるかも知れません」
「あわよくば城内にってか」
忠賢も川側の水門櫓を担当する。
「外郭以外じゃ、ただ二ヶ所、堀を越えられる場所だからな」
水門櫓は城壁から水堀の中に突き出ている。その先端から堀の対岸まで大人が手を伸ばしたくらいの高さの石垣の堤が伸び、水堀と海や川を区切っている。
「堤の上を水門櫓まで進んでくるつもりのようですね」
堤は堀の半分ほどの幅がある。万が一の洪水などで決壊したら堀が川と直接つながってしまうので、ある程度の厚さは必要なのだ。
「どうやら俺の手柄になりたいらしいぜ」
忠賢がにやりとすると、直冬も負けじと張り合った。
「海の方の敵は僕の手柄ですよ」
「ほう、俺と競うつもりか」
「いいですね。負けませんよ」
引かない直冬に田鶴が驚いている。
「大丈夫かな」
猿と一緒に視線を向けられて、菊次郎も直冬が手柄を欲していることを意外に思った。
「二人とも、無茶は駄目ですよ」
「多少は無理をしなけりゃ大将は討ち取れないぜ」
「そうですね。手柄は向こうからやってきません。こちらから取りに行かないと」
「ほどほどにしてくださいね。これは守りの戦なんですから」
菊次郎はなだめて釘を刺すと、妙姫に進言した。
「櫓は忠賢さんと直冬さんに任せます。大手門は実佐さんに守ってもらいます。盾車が向かってくると思われる下郭の堀は、僕が担当します」
城主代行の奥方は背もたれ付きの腰掛に座っていたが、妊娠七ヶ月の体を曲げて頭を下げ、総大将らしくきっぱりと命じた。
「皆さん、よろしくお願いします。夫に代わってお頼みいたします」
「おう、任せとけ」
「姉上、大丈夫です。お城は僕たちが守ります」
忠賢は不敵に、直冬は元気に請け合った。
「門の中には敵兵は一人も入れませぬ」
実佐が鄭重に答え、菊次郎も誓った。
「決して落とさせません」
頷いた妙姫は妹を促した。
「あなたも何か言いなさい」
雪姫は防具を付けていなかった。いつもより大人しい柄の着物だが、戦場には場違いに感じられる。宗速の騎馬隊の急襲と元尊の前回の攻撃の時は部屋に籠もっていたのだが、今回は妙姫が無理に連れてきたのだ。
「私は……」
雪姫は蟻の群れのような敵の大軍のうごめきをじっと見下ろしていたが、顔を上げ、ちらりと菊次郎へ視線を走らせ、目が合うと再びうつむいた。
「皆様のご武運をお祈りしています」
張りのない声で型通りの言葉を述べて、雪姫は沈黙した。菊次郎は声をかけたかったが何も思い付かなかった。二人を見比べて妙姫が小さく溜め息を吐いた。
「妙姫様、こんなところにいて大丈夫? 部屋で寝てた方がいいんじゃない」
気づかう田鶴に妙姫は首を振った。
「大丈夫です。ここにいます。花千代丸は戻りなさい」
五歳の息子は緊張した様子で立っている。
「僕も戦を見ます!」
「無理しなくていいんだよ。一緒に部屋に行こうね」
田鶴は微笑んで手をつないでやった。直冬がその様子をやさしい目で眺めている。
「さあ、戦いです。皆様のことを信じています。今日も勝ちましょう」
総大将の妙姫の言葉で軍議は打ち切られ、三人の武将は階段を下ってそれぞれの持ち場へ向かった。田鶴も花千代丸を連れていった。
「お姉様、私も下へ参ります。部屋に戻りま……」
妙姫は妹に最後まで言わせなかった。
「ここにいなさい。あなたも桜舘家の姫なのですよ」
厳しい口調に雪姫は諦め、用意された床几に渋々腰かけた。
「戦の指示は菊次郎さんにお任せします。存分におやりなさい」
「はい」
菊次郎は一礼し、腰の黒い軍配を抜いて、重苦しい空気を払うように一振りした。よそを向いている雪姫のことはしばらく忘れ、戦に集中しなければならない。作戦を頭の中で確認していると、そばにいた武者が報告した。
「お三方が持ち場につかれました。旗が上がっています」
天守から二つの水門櫓や大手門まで少し距離がある。旗信号で連絡を取り合うのだ。
「敵も布陣を終えたようです。動き出し、近付いてきます」
菊次郎は頷き、軍配を前に向けた。
「鐘を鳴らしてください。戦闘開始です」
五層の天守は葦江国で一番高い建物で、境川、葦の江、豊津の町、内の海を眺め渡すことができる。その雄大な風景に、大きな鐘の音とそれに応える武者たちの鬨の声が、晩春の風に乗って広がっていった。
「水門櫓を落とせば城内に入れるのではありますまいか」
前回の攻撃のあと開かれた軍議でそう主張したのは子乗猛喜だった。外郭で堀の水をかぶった経験から違う攻め方を考えたようだ。
「あの堤は上が平らで橋以上の幅がありますぞ。あそこなら水攻めはできませぬ」
「わしにもそう見えました。二ヶ所の櫓がこの城の弱点でしょうな」
進所悦哉は城の地図を指さし、宗速も同じ考えらしかった。
「送り込んだ隠密が水門櫓は警戒が厳重で近付けなかったと言っておった。何かありそうだな」
下郭を攻めた糸瓜当仍もその意見を支持した。
「石垣と同じ色に塗って隠されておりますが、櫓の下方に扉があるようです。城の中に入れるかも知れませぬ」
「敵には備えがあると思います」
明告知業が指摘した。水につかった子乗隊を予備の二千を率いて救出した武将だ。
「あの城を設計したのは銀沢信家と聞きます。堤から攻められる可能性に気付かぬはずはありません」
「だが、橋を渡らずに城内へ入れるのだ。攻めぬ手はないぞ」
猛喜は食い下がった。水の中をずぶ濡れになって撤退する羽目になったことを恥じ、今度こそあの城に一番乗りして名誉を回復しようと意気込んでいる。
「よろしいでしょう」
しばらく考えて元尊は承認した。
「堤を渡って接近し、二ヶ所の櫓を同時に攻めましょう。うまく行けば城内に入れます。突入口さえ開けば数の差は圧倒的、城の制圧は難しくないでしょう。同時に下郭と外郭も攻め、敵を分散させて水門櫓を手薄にさせるのがよいでしょうな」
「では、ぜひ拙者に川の方の櫓を任せていただきたい」
猛喜は申し出たが、元尊は首を振った。
「子乗殿には海郭の水門櫓を担当していただきましょう」
抗議しようとした猛喜を元尊は手でさえぎった。
「今日、功を焦って先走り、失敗したことをお忘れですかな。川の方の櫓を破れば外郭を水没させる策は使えなくなり、下郭へ出られるのですから、敵の備えは厳重でしょう。猪突しがちな貴殿より、経験豊富な人物の方がよろしいでしょうな」
元尊は猛喜の隣で腕組みしていた五十がらみの武将に目を向けた。
「進所殿、頼みますぞ。三千を預けます」
悦哉は二回り年下の猛喜を横目で見やって頷いた。
「かしこまりました。必ずやあの櫓を落とし、水門を制圧してみせましょう」
「子乗殿は海側の櫓を攻めてもらいます。同じく三千を与えます」
そちらを攻略して海郭に突入しても、城の本体に出るには間にある繋郭を落とさねばならない。重要度がより低い方を任せたのだ。
「海側の水門を壊せば川側の水門を開けても水は溜まりませぬ。大手門を攻めるためにも重要な役目です。よろしくお願いしますぞ」
口ではそう言ったが、失敗した猛喜を頼りないと思っての配置であることは明らかだった。
「ははっ、必ず落として見せまする」
猛喜は不満そうだったが、命令を受けた。
「下郭に近付くのは糸瓜当仍殿。武者は三千三百です。城壁を越えようとしていると思わせていただきます」
「前回と同じ場所の担当ですな」
四十過ぎの武将は一礼した。
最後に、最も若い二十代の武将に顔を向けた。
「外郭と大手門は明告知業殿に四千で任せましょう。正面から猛攻をかけ、敵の主力を引き付けてもらいます。一度近付いたことがあるので勝手は分かりますな」
「はい」
知業に与えたのはおとりの役目だった。
「では、明日また城を攻めますぞ。皆様準備怠りなく願います。これで軍議は終わり……」
「お待ちください」
元尊の締めの言葉を知業がさえぎった。
「作戦は分かりましたが、兵力の配置は変えた方がよろしいと存じます」
元尊は嫌な顔をしたが、知業は続けた。
「大手門は三千三百、二ヶ所の櫓は二千ずつにし、下郭の糸瓜殿を六千にしてはどうでしょうか。堀を埋めるのです」
地図の上に置いた駒を動かし、武者の数を変えてみせた。
「水攻めが可能なままでは大手門は突破できませんので、多くの兵を向けてもおとりにはなりません。堀を埋められることを敵はより恐れるでしょう。多くの盾車が俵を運んで迫ってくれば、そこに兵力を集中し、水門櫓は手薄になると思われます」
「なるほど、一理ありますな」
元尊は全くそう思っていないと分かる口調だったが、知業は続けた。
「櫓が落ちなくても水堀を埋めれば大手門の攻撃を再開できます。積み上げた土の俵は下郭の城壁に取り付く足場にできましょう。守りが固そうな水門櫓より、手間はかかるものの確実に城壁に接近できる作業に人手を回すべきと考えます。一日使って、盾車二十台とたくさんの土の俵を用意してはどうでしょうか。投石機も作れば、城壁や城内を攻撃したり、土の俵を投げたりできます」
元尊は呆れた表情を作ってみせた。
「言いたいことは分かりました。しかし、我々は急いでいるのですぞ。桜舘直春が戻ってくる前にあの城を落とさなければならないのです。堀を埋めるのは大変な手間と時間がかかります。恐らく一日では終わらないでしょう。そんなのん気なやり方では間に合いませんぞ」
知業は困惑した様子になったが、さらに言った。
「ことわざに、『急ぎの使者は馬具を入念に点検せよ』とあります。失敗できない時こそ堅実な方法をとるべきではありませんか」
「それでは遅すぎるのですよ」
元尊は冷ややかに言い放ち、口調をゆるめた。
「では、こうしましょう。夜の間に小荷駄隊に盾車を六台作らせます。糸瓜殿はそれに隠れて下郭に接近、堀を埋める動きをします。明告殿も外郭を攻撃し、今回もその二ヶ所を攻めると見せかけます。進所殿と子乗殿はお二方の後ろを進み、敵が武者をそちらへ集中したところで、それぞれ担当の水門櫓へ向かい、一気に陥落させます。これでどうでしょうか」
「銀沢信家がそんな手に引っかかるとは思えません。本当に堀を埋めるべきです。それが確実です」
「そんな悠長なことはしていられないのですよ」
元尊はいらだちを隠さなかった。
「軍議はこれで終わりとします。解散してください」
「しかし……」
知業はなおも食い下がろうとしたが、糸瓜当仍が腕をたたいて首を振った。猛喜と悦哉も表情でよせと伝えたので、知業はうなだれた。
そうして、成安軍は準備を一晩で終わらせ、再び城の前に現れたのだった。
「作戦を開始せよ」
総大将元尊の命令が太鼓で伝えられると、糸瓜隊の先頭にあった盾車二台が、ゆっくりと逆茂木の方へ進み始めた。
桜舘軍は足場に登って塀の上から、あるいは狭間から、矢や石を浴びせ、前進を阻もうとする。盾車も狭間から射返し、後ろに続く成安家の武者たちも楯で身を守りながら城壁へ反撃する。
走れば一息の距離を慎重に少しずつ接近し、逆茂木の列まで達すると、武者たちは盾車の屋根の下を出た。修復されていた逆茂木を壊して隙間を作り、低地へ降りていく。五人で一組になり、二人が荷車に積んできた大きな俵を運び、三人が盾で守る。水堀のへりまで行って放り込み、盾車まで急いで引き返す。味方の援護の下、十組以上がそれを行っているが、堀は深くて幅も広く、埋まるまで相当な時間がかかりそうだった。
糸瓜隊の横では、明告隊が盾車を低地に下ろし、二ヶ所の橋に二台ずつ向かわせている。外郭や櫓から集中攻撃を受けて身動きが取れず、盾を持った武者たちが周囲で右往左往している。
「明告隊にもっと攻撃を激しくさせろ。矢や石を浴びせて数の差で圧倒し、敵が武者を外郭へ集めるようにさせるのだ」
元尊は安全な本陣の輿の上で指示を出しながら舌打ちした。
「あの男は阿呆だな。盾車を並べて矢を射かけるだけで橋を越えるそぶりすら見せぬ。攻め込むつもりがないのが見え見えではないか」
「水攻めを警戒しているのでしょう」
郷末が感情のない声で答えた。
「水門が落ちるまで外郭に入るのは危険です。わざと盾車を立ち往生させて隙を見せ、外郭から敵をおびき出そうとしているようです」
「そんな手に誰が乗るものか。武者の半分を突入させて暴れ回るくらいやってもらわねばな。明告隊はおとりだが、多くの敵を引き付ければ他の場所が楽になるのだ」
「突入すれば敵は洪水の策を実行します。その場合、堀を埋める作業は中止、明告隊も溺れる前に引き上げるしかなく、堤を進む二隊へ敵の攻撃が集中します。橋のこちら側へおびき出せれば、敵は出撃した味方の退路を断つことはできないので洪水策を使えません」
うまく行けば誘い出してたたけるし、失敗しても橋のそばにいる明告隊を敵は無視できない。盾車があればあまり犠牲は出ないし、突入しなければ後退もしやすい。知業の攻め方は理にかなっていると言いたいのだ。
「だとしても、猛攻を受ければ敵も守らぬわけには行くまい。応戦で必死にし、水門櫓を助けに行くどころか援軍を頼ませるのだ。城内の敵は少数、疲労がたまり負傷者が増えれば、それだけ苦しくなっていく」
そんなことも分からぬのかと元尊はいらいらしている。
「同じ理由で、下郭への攻撃も全力で行うのだ。糸瓜殿はそうしている。見ろ、あの俵の数を。本当に堀を埋めてしまいそうだぞ」
糸瓜隊は逆茂木のそばに土の俵をどんどん運んで積み上げ、これを堀に投げ込むぞと見せ付けている。
「期待されている仕事を分かっているのですね」
当仍は御使島の攻略から元尊の指揮下に入り、狢河原でも共に戦った。与えられた役割以上のことをすれば不興を買うだけと知っているので、余計なことは考えず、役目を果たすことに専念している。
「とはいえ、おとりの効果はそれなりに出ているようです。敵は武者をあの二ヶ所に集めているらしく、飛んでくる矢の数が増えています」
「では、そろそろだな。合図をしろ」
「かしこまりました」
郷末の指示で太鼓が鳴らされると、糸瓜隊の後部から進所隊が、明告隊から子乗隊が分離し、右と左に移動していった。川や海と水堀の境に至ると、堀端に近付き、矢や石を水門櫓に浴びせ始めた。その援護の下、十人ほどの集団が二十組堤へ上がり、櫓の方へ向かっていく。先頭の三人が前を守り、残りは盾を上に構え、刀を持って進んでいる。
「あの逆茂木が厄介ですな」
堤の上には何重にも障害物が設置されていて、武者たちは鉈などで一つ一つ壊し、引っこ抜いて道を作っていく。
「堤のてっぺんの幅は広い橋程度、櫓までまっすぐです。逆茂木の他に身を隠せるものもありません。敵からはねらい放題ですね」
水門櫓は豊津城の他の櫓より一回り大きく、四階建てだ。その各階から矢が堤の上に集中し、成安軍の盾はたちまちはりねずみのようになった。矢に当たった者が次々に倒れ、水堀に落ちていくが、仲間を失っても武者たちは足を止めず、やがて一隊が櫓に到達した。真上から投げ付けられる石に耐えながら石垣を調べ、振り返って赤い旗を振った。
「やはり扉があったか」
「予想通りですね」
元尊と郷末が見守る中、さらに十組以上が波のように次々に堤を越えて櫓に取り付き、やがて破城槌が運ばれていった。
「いよいよ突入か」
先に破られたのは川側の水門櫓だった。巨大な丸太の鋭い先端を声をそろえて何度もぶつけると、石垣と同じ色に塗られた木製の扉はばりばりと砕けた。
「突入せよ!」
武者頭の叫び声が聞こえ、百人以上の武者が櫓の中へ消えていった。
「さっさと制圧するのだぞ。櫓が落ちたら城内に突入だ」
元尊の声が上ずった。
「本陣にいる予備の二千に準備させろ。進所隊に続いて城へ入らせる」
元尊は真っ赤な軍配を握りしめて待ったが、中に入った者たちは一向に出てこなかった。
「どうなっているのだ!」
「苦戦しているのでしょうか」
「様子を見に行かせろ!」
しびれを切らした元尊は命じ、額に浮かぶ汗を吹き飛ばすように軍配をせわしく動かし始めた。
「よし、前進だ」
進所隊の先鋒の武者頭は、百人ほどの武者を引き連れて石垣の中へ踏み込んだ。
「真っ暗だな」
外の明るさに慣れた目には何も見えない。木の壁に手を突いて廊下のような短い通路を進むと、急に壁が遠ざかった。
「広い場所に出たようだ。灯りをつけ、周囲を調べろ」
武者頭が指示した時、がちゃんと重い音が響いた。金属の大きなものが落ちる音だ。
「今来た通路の出口に鉄格子が! 戻れません!」
「前方にも鉄格子があります!」
「閉じ込められたか!」
叫ぶと同時に、周囲が明るくなった。上の方で雨戸が一斉に開いたのだ。
「まぶしい!」
くらんだ目に、木の壁と床に覆われた広い部屋が映った。
「天井が高い!」
櫓は三階分まで吹き抜けになっており、それを四角く取り囲むように木の手すりのある各階の床が見えている。
「まずい! 上からねらわれる! 身を守れ!」
命じた瞬間、急に体を下に引かれた。落下していく。
「床が抜けた……? ぐわっ!」
突き固めた土に背中から激しく打ち付けられ、うめき声を漏らした。
「落とし穴か!」
慌てて上を見ようとすると、急に視界が暗くなった。何かが覆いかぶさってくる。
「重い! 起き上がれない……」
縄のようなもので床に押し付けられ、他の武者と折り重なって身動きが取れなくなった。
「重り付きの網だと!」
思わず叫ぶと、冷ややかな声が広い空間に響いた。
「正解だぜ」
苦痛に顔をしかめながら目を凝らすと、青い鎧の若い武将が不敵な笑みを浮かべて三階の手すりから身を乗り出していた。
「水軍が使う丈夫な綱で編んだんだとさ。切るのは無理だぜ」
忠賢は呆れた口調だった。
「このためにわざわざ地面を盛り上げて櫓を造ったんだ。ここから城内に入ろうとするやつを食い止めるためだと菊次郎は言ってたぜ」
「罠にはまったか!」
上の各階では弓や石や槍を構えた武者たちがねらいをつけていた。先程までいた一階の床まで、立って手を伸ばしても届かないだろう。
「覚悟しろ。死んでもらう」
ひいっと、同じく起き上がれない武者の一人が悲鳴を上げた。
「と言いたいところだが」
忠賢はつまらなそうな口調になった。
「菊次郎のやつが降伏勧告をしろって言うのさ。帯を奪えばそれでいいってな。どうする? 俺は殺した方が早いと思うんだが」
上の階の者たちが弓を引き絞り、石を持った腕を振り上げた。投げ込もうと槍を構えている者もいる。まわりから武者たちの視線が集中する。
「畜生め! だが、抵抗すれば全滅だ」
思いっ切り罵ってやりたかったが、選べる道は一つしかなかった。
「やむをえぬ。降伏する」
「なら、殺しはしない。しばらくそこで待ってな。あとで助けてやるからよ」
忠賢はにやりとすると、片手を挙げて振った。壁の奥でごとごとと音がして、先程開いた四枚の床が閉じていった。
「よし、今度はこっちの番だぜ! 用意はいいか!」
大勢のうれしそうな声が応じ、百人あまりの武者は真っ暗闇の中に取り残された。
「海側も櫓にたどり着いたそうです」
伝令の報告を郷末が伝えた。
「破城槌を運び、扉を壊す準備をしています」
「そんなことは見れば分かる!」
元尊は本陣でいらいらしていた。
「二ヶ所同時に攻撃できそうなのは結構だ。それより、川側の水門櫓はどうなっている。突入した者たちはなぜ連絡をよこさぬのだ!」
先程入っていった第一陣の様子が全く分からない。
「勝っていれば後続を送って城内に切り込む。苦戦していれば援軍が必要だろう。やきもきさせおって!」
床几に座っている元尊は、真っ赤な軍配で膝をばしばしと打った。
「あの武者頭はしっかりした人物です。その程度のことが分からぬはずはないと存じますが」
郷末も首を傾げたが、すぐに冷静な声に戻った。
「第二陣が突入します。状況を知らせるように命じてあります」
第一陣がどうなったかを調べるため、進所悦哉はさらに百人ほどを櫓に向かわせた。たどり着いた者のうち、五十人ほどが櫓に入ろうとしている。
「さっさとやらせろ。海側も突入を急がせろ」
元尊は大きな息を吐き、落ち着きを取り戻そうとしながら、胸を張り直した。
「とにかく、予定通りに櫓の攻略は進んでいるのだな」
「はい。今のところ順調と思われます」
郷末が答えた時、大きな悲鳴が起こった。
「どこからだ?」
「川の水門櫓です」
辺りを見回した元尊がそちらへ視線を向けると、櫓の下から成安軍の焦げ茶色の鎧が続々と飛び出してくるところだった。武者たちは動揺した様子で堤の上を走って戻ってくる。
「どうしたのだ? あれは馬か!」
武者たちを追いかけて櫓の下から現れたのは騎馬武者の集団だった。青い鎧の武将を先頭に堤の上を疾走して水堀を越えてくる。
「邪魔だ! どけ! 死にたくないやつは道を開けろ!」
忠賢は馬を駆けさせながら成安軍の武者を槍で突き馬ではねて、水堀へ次々に落としている。左右と背後に続く騎馬武者たちも三列に並んで猛然と進み、あっという間に堤の上の成安軍を一掃し、対岸の進所隊に突撃した。
「蹴散らせ! 蹂躙しろ!」
忠賢隊一千余りは、呆気に取られている進所隊に殺到した。
「応戦せよ! 落ち付け! 敵は多くないぞ!」
悦哉は急いで指示を出したが、武者たちは慌てふためいていた。相手が騎馬隊と知っていて突撃に備えた陣形を組んでいれば、撃退することもできる。しかし、櫓への突入や弓や石での攻撃の態勢であり、接近戦の隊列ではなかった。たちまち騎馬武者に内部に入り込まれ、切り刻まれてしまった。
「自分の武者頭を探せ! 部隊ごとに集まれ! 声をかけあって互いを守れ!」
悦哉の必死の叫びもむなしく、もはや手が付けられない状態だった。
「文尚。ここはお前の手柄にしろ。俺はあっちをねらう」
「はっ!」
「半分は俺について来い!」
進所隊を副将に任せると、忠賢は下郭の前で水堀を埋めている糸瓜隊へ向かった。
「どこを見ている! 横ががら空きだぜ!」
驚く糸瓜隊の側面に忠賢たちは鬨の声を上げて突っ込んだ。一気に反対側へ駆け抜け、混乱する敵中に再度突入して突き崩す。それを何度も繰り返し、部隊を崩壊させた。
弓や投石具や盾を使っていた者たちは、突然騎馬隊に攻撃されたらなすすべがなく、逃げ惑うだけだ。堀を埋めていた者たちも、後方で騒ぎが起きて驚愕した。背後の味方が撤退したら孤立して退路を失う。土の俵を放り出し、一斉に逃げ出した。そこへ城壁から矢や石の雨が降る。武者たちは恐慌状態になり、味方の中に駆け込んで隊列を一層ぐちゃちゃにすると、一緒になって本陣の方へ走った。
「追い立てろ! 突き伏せろ!」
忠賢隊は盾車に火を放って焼き払い、四千の糸瓜隊を後ろから攻め立てた。彼等の潰走を見て、進所悦哉も立て直すのを諦め、後退を命じた。
「ぐぬぬ、やってくれるわ!」
元尊は輿の上に立ち上がって叫び、真っ赤な軍配を地面にたたき付けた。
「これも大軍師の小僧の作戦か! 進所殿も糸瓜殿も役に立たぬ! 醜態をさらしおって!」
郷末が軍配を拾い、泥を払って両手で差し出した。
「ご指示を願います」
「お前……!」
「お救いするしかないでしょう。放っておけば全軍が潰走します」
元尊は怒鳴り付けようとして歯ぎしりし、郷末から軍配を奪い取ると、握る手を震わせて命じた。
「宗速様の隊を向かわせ、敵の騎馬隊を迎撃させろ。味方の退避を助けるのだ。本陣の三千は守りを固め、逃げてくる味方を集める。進所殿と糸瓜殿に伝令を送り、本陣のそばで態勢を立て直せと伝えよ」
すぐに命令が届けられ、宗速隊が前進を始めると、豊津城内で鐘が鳴り響いた。撤退の合図のようだった。
「潮時と見たようですな。騎馬隊に被害が出る前に引き上げさせようということでしょう」
郷末の言葉に元尊は舌打ちした。
「調子に乗って攻めてくれば、本陣の三千と宗速様の隊で包囲しようと思ったのだが」
「敵はやはり少数ということでしょう。損害を出したくないのですな」
「大勝利は目指さず、撃退できれば十分ということか。堅実に守り、兵力を温存し、時間を稼いで味方の帰城を待つ。みみっちい戦い方だ」
元尊は吐き出すように言った。
「銀沢信家らしいですな。そういう戦い方をされると勝つのは難しくなります」
「こちらも攻めにくいが、向こうもわしらを墨浦に追い返せぬということだ。城を出て決戦を挑めば負けると思っているのだろう」
「数の差が大きすぎるからでしょうか」
「勇気がないだけだ。当家の大軍を打ち破るのは無理だと決めてかかっている。だから、好機があっても全軍を投入して戦果を拡大しようとせぬ」
元尊は小ばかにした口調で嘲笑うと、西を見た。
「海側の櫓はどうなった」
「やはり櫓の中で撃退され逆襲されたようですが、明告様が食い止めたようです」
櫓に侵入した敵を投降させると、直冬も一千余りを率いて打って出た。しかし、川側の様子を見て同じことが起こると予測した明告知業は、外郭の前から素早く後退して水門櫓のそばへ移動し、防御の隊列を組んでいた。備えがあり数で圧倒的な敵に突っ込むのは無謀と判断し、直冬は堤の端まで行ったところで櫓へ引き返した。
「ちっ、またあの若造か」
「あの方のおかげで安全に撤退できます」
知業は盾車に火をつけて橋の前を塞ぎ、外郭から打って出るのを防いだ。忠賢隊が引き上げれば桜舘軍の追撃はない。本陣に近付いてくる明告隊をいまいましげな顔つきでにらむと、元尊は決断した。
「今日は引き上げだ。あの櫓は簡単には落ちぬ。悔しいが、作戦を練り直すしかなさそうだ」
「はっ、皆様にお伝えします」
伝令の武者たちが本陣を駆け出していくと、元尊は城壁の上にそびえる天守をにらんで親指の爪を噛んだ。
「なぜ勝てぬのだ。あんな小僧に」
小声で漏らした言葉に、聞こえたのか聞こえなかったのか、郷末は反応しなかった。
次の日、成安軍は豊津城に攻めてこなかった。物見と隠密の報告によると、盾車をたくさん作っているらしい。兵糧などの物資を本陣内の小屋に納め、空いた荷車に土の俵を積み上げているという。
「今度は本気で堀を埋めるようですな」
翌日の朝、豊梨実佐が言った。直冬も同じ見方だ。
「下郭の前で水をせき止めて、外郭から大手門を攻めるつもりだと思います」
「それっきゃないよな。櫓を落とすのは無理だからな。気付くのが遅いんだよ、まぬけな陰険眼鏡野郎はよ」
忠賢は元尊を嫌っているのでいつも以上に口が悪い。
「始めからそうすればいいのにね」
田鶴は小猿を胸に抱いて少し不思議そうだ。
「菊次郎さんが作ったお城なんだよ。簡単に落とせるわけないって分からないのかな」
「分かっていなかったようですね」
妙姫も手厳しい。
「数で押せば勝てると高をくくっていたのかも知れません。当家を甘く見ているのです」
「二度も負けてようやく悟ったようですな。時間と手間がかかるまともなやり方しかないことを」
実佐は真面目な顔つきだった。
「菊次郎からすれば、作戦通り、ざまあ見ろって感じか」
それは忠賢自身の気持ちだろう。菊次郎は苦笑した。
「おかげで時間が稼げましたので、助かったというのが本音です。最初から正当な攻め方をされると苦しかったかも知れません。元尊は焦っていたのでしょう」
「さっさと攻め落として葦江国を頂こうってか」
忠賢の呆れた口調に直冬が合わせた。
「茅生国までねらっていたかも知れませんね」
「さあ、どうでしょう」
仲間たちは皆笑ったが、雪姫だけがうつむいたまま黙り込んでいた。菊次郎は溜め息を吐きたくなったがぐっと我慢し、背筋を伸ばした。
「今日は攻めてくると思います。二度の勝利におごらず、気を引き締めて迎え撃ちましょう」
皆、軍師を信頼し切った表情だった。責任は重大だ。こほん、と咳払いして告げた。
「敵のねらいは堀を埋めることです。まずはその邪魔に全力を挙げます」
武将たちは頷いた。
「騎馬武者も弓や投石具を持ってください。打って出ることはしません。恐らく敵には備えがあり、出てきたら打ち破り、そのまま城内へ突入しようとねらっているはずです。城に籠もっている限りこちらが圧倒的に有利です。長い戦いになりますので、武者を交代で休ませながら、できるだけ体力を温存してください」
「任せろ!」
「頑張ります!」
「かしこまった」
忠賢・直冬・実佐が答え、田鶴が笑った。
「あたしも手伝うよ」
「では、今日もよろしくお願いいたします」
妙姫の言葉で諸将は持ち場へ散っていった。また菊次郎と妙姫と雪姫だけが天守に残ったが、下の姫君は菊次郎の方を見ようとしなかった。
「雪、意地を張るのはおやめなさい」
妙姫が叱って、大きな溜め息を吐いた。
やがて、成安軍が城の前に現れた。盾車が二十もある。前回失った分を補充し、さらに増やしたようだ。
「全員配置についています」
武者が報告した。
「矢の届く距離まで敵が来たら、それぞれ攻撃を始めてください」
天守最上階の巨大な鐘ががんがんと鳴り響き、城内は武者たちの鬨の声で沸騰した。
成安軍は今回も四隊に分かれていた。武者六千、盾車の半数の十台が、下郭へ向かってくる。堀を埋める部隊だ。外郭の二つの橋には二千と五台ずつ、二つの水門櫓にも盾を持った一千五百ずつが近付いてくる。城兵を分散させて堀を埋める作業をしやすくし、もし打って出てきたら迎撃する作戦だろう。
「堅実な配置ですね。外郭や水門櫓を突破されて城内に入り込まれたら困りますから、手薄にするわけには行きません。櫓に五百ずつ、下郭と外郭に一千を置きましたが、状況を見て増援が必要になるかも知れません」
「あんなに盾車があるよ。近付かれてどんどん埋められちゃったらどうするの」
田鶴は多数の攻城器が迫ってくる様子に圧倒されている。妙姫も口には出さないが恐ろしかったようで、菊次郎の言葉を待っている。雪姫も満ち潮のように押し寄せる敵の大軍から目を離せないでいるようだった。
「大丈夫ですよ」
安心させる口調で菊次郎は言った。
「こちらにも用意があります。ほら」
昨日修理した逆茂木に盾車が接近すると、城内から投石具の攻撃が始まった。
「がちゃんと割れるあれは何ですか」
妙姫が尋ねた。城壁の内側に組まれた足場の上から白っぽいものが次々に投じられていく。光を反射して輝きながら宙を飛び、盾車の上や前を覆う板にぶつかると、茶碗が割れるような音を立てて砕け、激しい炎が吹き上がる。
「油玉ですか?」
妙姫に田鶴が答えた。
「違うよ。貝殻玉だよ。二つ合わせた中に油が入ってて、外側にはってあるひもに火をつけるの。割れる時、飛び散った油に火が触れるんだって」
「膏薬は蛤の貝殻に入っていますものね」
城主代行の奥方は納得したらしい。
「さざえに油を入れて封をしたのもあるよ。菊次郎さんが考案したんだよね」
城を作った時から敵が堀を埋めようとすることは予想できたので、撃退方法として考えたものだ。
「貝殻は浜辺で拾えるから油とひものお金だけだし、町の人でも簡単に作れるよ。貝殻と油はお城に一杯溜めてあるし」
小荷駄隊や豊津の有志の町人たちが武器や食事を作ったり配ったり、逆茂木を直したりするのに活躍している。
「重さも投げるのにちょうどいいんだって」
軽すぎても重すぎても飛ばしにくい。
「あっちは油玉ですね。船で使ったという」
妙姫が指さした。
「そうだよ。とりもち付きのやつ」
こちらも次々に盾車や武者の盾にはり付いて燃え上がっている。
「田鶴が得意な普通の火矢もあります。狭間から射ています」
投石具は狭い隙間からは投げにくいのが欠点だ。
「あとであたしも加勢に行くつもり」
「頼みますね」
妙姫が田鶴に微笑んだ時、突然雪姫がつぶやいた。
「あの大きいのは何?」
見つめているのは下郭にある投石機だ。
「何をのせているの」
「ほら貝だよ」
田鶴が説明した。
「すっごく大きくて重い貝殻なの」
「合図に吹く貝だよね? ぶおおって鳴る」
「そうそう、それ。昌隆さんと水軍の人たちが集めてくれたの。阿古屋貝っていうもっと大きいのもあるんだよ」
「機械で投げるの?」
雪姫は我慢できなくなったらしく、菊次郎に顔を向けた。
「そうです。人の手には重すぎます。すごい威力ですよ」
言っている間に投石機が動いた。一抱えもある大きなほら貝が宙を舞い、盾車のそばにがちゃんと音を立てて落下した。
「はずれたね」
「惜しい!」
雪姫と田鶴が同時に声を上げた。
「でも、まわりの武者が慌てていますよ」
妙姫はびっくりしている。
「油がたくさん入るので火災も大きくなります。破片が大きくて鋭く、飛んでくると怪我をすることもあります」
隣の投石機から阿古屋貝が飛ばされ、今度は盾車の一台に命中した。衝撃で屋根の一部がはずれて火のついた油が下に垂れ、大騒ぎになっている。油が多いため火を消すのも一苦労で、その盾車はしばらく動けなくなった。
「これなら簡単には堀を埋められませんね」
妙姫は安心したようだ。盾車には貝殻玉や火矢、土の俵を運ぶ武者たちには矢や石が雨あられと浴びせられている。
「今日中には終わらないでしょう。埋めるのは堀だけではありませんから」
水攻めの時、堀の手前の低い場所も水没した。そこにも堤を築かなければ水の流れを止められない。
「水堀と低地、両方を同時に進めたとしても、相当な手間と時間がかかります」
「では、今日は守り切れますか」
「はい。勝負は明日です」
その言葉通り、夕暮れが近付く頃になっても、水堀は埋まらなかった。低地にまっすぐ伸びる土俵の堤も堀際まで達していない。
「夜のうちにできるだけ壊させますが、あまり効果はないでしょう。明日には埋まってしまいます」
投擲や射撃だけでは堀を埋める敵の邪魔をするのに限界がある。もっと武者がいれば打って出ることもできるが、今の兵力で無茶はできない。
「明日は槍や刀の出番があるでしょう」
菊次郎が告げた時、成安軍の陣営で撤収の太鼓が鳴り響いた。
翌日は夜が明けると同時に成安軍が現れた。
盾車がまた増えて二十五台になり、埋めている場所付近に集まっている。敵の兵力は昨日と同じだが、盾車が増えた分飛んでくる矢も増え、応戦する桜舘軍はやや押され気味だった。夜間に必死で崩した部分がどんどん修復され、土の俵がうずたかく積み上がっていく。
成安軍は投石機まで用意していた。車輪のついた可動型のもので、あまり力は強くない。小さめの土の俵をばねの力で堀に投げ込んでくる。
昼を過ぎる頃、とうとう堤が完成した。逆茂木から下郭の城壁の真下まで一直線に伸びている。
「突入してきます。準備させましょう」
菊次郎は城内各所の武将たちに指示を出し、配置につかせた。田鶴も雪姫を気にしながら天守を下りていった。
やがて、成安軍の突入部隊数百人が下郭に向かってきた。盾車から矢の援護を受けて、盾を構え、はしごを数人でかかえて、武者たちが逆茂木を越えて堤の上に登った。
「城壁に接近してきます!」
妙姫が抑えた声で菊次郎に告げた。
「堤の上を進んできます。大丈夫でしょうか」
「想定済みです」
菊次郎はわざと力強く答えた。
「あそこには実佐さんがいます。ほら、武者たちが用意のものを使い始めました」
「あれは……貝殻玉ですか?」
天守に背を向けた武者たちが城壁の内側から白っぽいものを次々に投げている。その中に一人だけ七分袖の着物の乙女がいた。
「田鶴さんがいます」
「そうです。すぐに理由が分かりますよ」
貝殻玉の投擲が終わると田鶴が火矢を放った。堤の上で黒い煙が上がり、どんどん濃くなった。
「火をつけたのですか」
妙姫は驚いた。
「はい。土の俵は藁を使っています。貝殻玉を投げつけて油をまけば燃えます」
説明している間に火は堤を伝って岸の方へ伸びていった。堤の上を進んできた武者たちが慌てふためいて引き返していく。
すかさずその背中に矢が放たれ、貝殻玉や油玉が投げ付けられた。火は彼等を追いかけて伸びていき、油をかぶった逆茂木は激しい炎を吹き上げた。火の粉が飛び、貝殻玉をぶつけられた数台の盾車が火に包まれ、下から武者たちが逃げ散るのが見えた。妙姫はほっとした顔になった。
「煙が上がっている間は堤に近付けませんね。しばらくは安心です」
「火が消えても下郭に入るのは難しいですよ」
菊次郎は落ち着いていた。
「あの細い堤をまっすぐ進んでくるのです。矢や石の格好の的です。下までたどり着いても、高い石垣の上の二階建ての城壁をはしごで登らなくてはなりません。たやすいことではありませんし、こちらの武者が待ち構えています。大勢が侵入するのはまず不可能です」
実佐に任せておけば大丈夫だろう。
「この戦の中心は外郭と大手門です」
妙姫は安堵したように微笑み、そちらへ目を移した。
外郭には盾車が十五台も集中していた。水堀の手前まで盾車を並べて屋根と壁のある道を作り、その下を武者が橋に接近していく。
「主力は海郭側の橋に向かってくるようですね」
外郭には海郭側と下郭側に橋があるが、海郭側の方が盾車が多い。下郭側はおとりのようだ。とはいえ、そちらも手薄にするわけには行かない。
「そう簡単には橋を渡らせません」
盾車の下を出た突入部隊が、外郭からの激しい矢や石の雨の下、二つの橋へそれぞれ近付いていく。密集して盾で互いを守り合いながら、慎重に橋に足を踏み入れて、そのまま動けなくなった。後部の数人が慌てた風に盾車の下へ戻っていく。
「なぜ止まっているのですか」
妙姫は首を傾げた。確かに外郭からの攻撃は激しいが、盾を持っているので進めるはずだ。橋の上で立ち止まる方がずっと危ない。外郭は水没するので門に櫓がなく、大勢で押しかけて突破すればよいのだ。
「橋の色を見てください」
「白いですね」
妙姫の言葉に雪姫が息をのんだ。
「まさか、とりもち?」
「そうです。昨晩のうちに橋に鳥もちを塗りました」
「足がくっついて動けなくなったのですか」
妙姫が驚きをあらわにした。
「鳥や虫を捕るもので、人を完全に止めるほどの粘着力はありません。それでも相当歩きにくいと思いますよ」
成安軍の盾車の下を伝令らしい武者がしきりに走り回っている。橋に踏み込んだ者たちは矢や石の集中攻撃を受けて立ち往生していたが、やがて少しずつ下がっていった。二本の橋の上には武者の履物らしいわらじがいくつも残されていた。
「板をしくようですね」
しばらくして、成安軍の焦げ茶色の鎧が盾車の下から再び現れた。手にしているのは薄い板だ。慎重に橋に近付き、並べていく。
「道を作っているのですか」
「こちらは当然、全力で邪魔をします」
矢や石が集中し、成安家の武者たちは次々に倒れた。橋は外郭と海郭の双方からねらいやすい位置にある。成安軍は左右と上を盾で守りつつ、板を手から手へ渡して運び、少しずつ橋の上に通れる場所を作っていった。桜舘軍は油玉で焼き払おうとするが、そのたびに新しい板が敷かれる。
「そろそろ限界ですね」
橋の上に板がしきつめられる少し前に、菊次郎は決断した。
「外郭から撤収させます。大手門で迎え撃ちます」
旗信号が送られ、味方が攻撃をやめて後退を始めた。大手橋を渡って続々と繋郭へ吸い込まれていく。
「外郭は放棄するのですか。残念です」
追いかけるようにどんどん成安軍が橋を渡って入り込んでくる。
「追い付かれて斬り込まれませんか」
「その対策もしてあります」
菊次郎は笑った。
「少しは時間を稼げるはずです」
言葉通り、外郭に侵入した成安軍は急に足を止めた。地面にしゃがみこんでいる。
「三角菱です。引き上げる時にばらまかせました」
踏み抜いたら怪我をする。足元がそんな状態で戦闘はできない。
「片付けるしかありませんね」
妙姫は感心を通り越して呆れ気味だった。
成安軍は橋の向こうから板を多数持ってきた。橋にしいたのと同じものだ。三角菱を掃き集めている。
「大した時間ではなかったけれど、味方が撤退するには十分だったね」
雪姫がぼそりとつぶやいた。妙姫は妹を横目で見て、すぐに視線を戻した。
「いよいよ大手門へ攻めてきますね」
成安軍は二ヶ所の橋を渡って外郭へ続々と侵入し、大手橋の前に集まっていく。外郭は一段低く海郭や下郭から攻撃されるため、皆盾を頭上に向けている。
「まずは大手橋で食い止めます」
外郭へ渡る橋の倍はある長い橋へ成安軍が入っていく。まっすぐな橋の正面は三階建ての櫓の大手門だ。
「やはりとりもちですか」
橋を進む焦げ茶色の群れの足取りはのろのろしていた。
「それだけではありません」
突然大きな悲鳴が聞こえた。橋の踏み板が急にはずれ、武者が数人水に落ちたのだ。
「ところどころにしかけがあります。その板を踏むと手前の五枚が一緒にはずれて落ちるのです」
「では、一枚ずつ確かめながら進むしかありませんね」
「ええ、しかもはずれた部分は穴になります。鎧を着た武者が飛び越えるのは無理ですから、板で覆わないと歩けません」
「意地悪なしかけね」
雪姫のつぶやきを妙姫がたしなめようとしたが、菊次郎は肯定した。
「実際、意地が悪いです。さえぎるもののない橋の上をできるだけゆっくり進ませて、多くの損害を与えようというのですから」
長い橋は大手門と下郭の櫓からの激しい攻撃にさらされ、焦げ茶色の鎧は次々に水に落ちていく。
「でも、突破されてしまうでしょう」
成安軍は盾車から車輪を取りはずしたような道具を持ち出してきた。持ち手を付けた大きな板を傘のようにして上と左右を守り、前は盾武者を並べて橋を進んでくる。矢や石が浴びせられ、油玉や貝殻玉で火を付けられても、外郭から伸びた板のみみずは、じわりじわりと門に近付いてきた。
大手門は堀をあふれさせても水に沈まないぎりぎりの高さにあるので、大手橋はゆるやかな登り坂になっている。成安軍は少なくない損害を出しつつも、門の前の狭い広場にとうとうたどり着いた。
「では、大手門の櫓から撤収させます」
菊次郎の指示が伝わると、武者たちが階段を駆け降り、下郭や海郭へ引き上げた。
「せえの! 突け! 突け!」
成安軍は破城槌を運び込んだ。門に丸太を打ち付ける大きな音が戦場中に響き渡った。やがて、めりめりと音を立ててかんぬきの棒が折れ、扉に隙間ができた。
「ついに門を破ったぞ! どんどん橋を渡れ!」
大歓声が成安軍から沸き起こった。大手門付近の者たちだけでなく、外郭でも、対岸で見守っている後続の部隊も雄叫びを上げている。この城を攻めるのはもう三回目だ。負け続けだったが、今日で終わる。城内に入ってしまえば数の差がものを言うからだ。
大手門の前で素早く隊列を組ませると、新しい破城槌を持たせて、武者頭は命じた。
「よし、進め。ただし、慎重にな」
大勢の武者が全身の力で押すと、門はゆっくりと開いた。突入部隊は盾武者を前に立たせて中の様子をうかがいながら踏み込んだ。
「この郭は板じきの坂になっているのか。まわりの壁や門が高く見えるな」
大手門は水が来ないぎりぎりの高さだ。石垣はそこよりさらに大人の背丈分以上あり、その上が城壁だ。大手門は繋郭で最も低い場所で、下郭や海郭や豊津の町につながる三つの門へは坂を上っていくことになる。
「狭間のある城壁にぐるりと囲まれ、三方に櫓門があるのか。さっさと下郭への門を突破するぞ。こんなところでもたもたしていたら集中攻撃を浴びてあの世行きだ」
桜舘軍は攻撃してこない。理由は不明だが好都合だ。武者頭は大声で叫んだ。
「走れ! 最後の門をさっさとぶち破れ!」
武者たちは猛然と駆け出した。繋郭は狭く、門までさほどの距離ではない。一気に行こうと武者頭も飛び出した。
「続け! 続け! ここが勇気の見せ所だぞ!」
約二百人が大手門を出て右手の坂を駆け上り、破城槌を門へぶつけようとした、その時だった。
「流せ!」
門櫓の上で少年のような若い声が響いて上から何かが落ちてきた。
「樽だと? ……油か!」
前と左右の櫓門の三階からそれぞれ五つほどの大樽が投じられた。床にぶつかってふたがはずれ、中身が板じきの坂を流れ下った。
「す、すべる!」
荷車が通れる程度の傾斜とはいえ、油をまかれれば立っていられない。武者たちは次々に転び、下へすべり落ちていった。大手門から突入しようと駆け込んでくる後続とぶつかり、巻き込んでぐちゃぐちゃに重なり合って倒れていく。必死で立とうとしても、地面がぬるぬるで手を突いて体を起こすのさえ難しい有様だった。
「まけ!」
続いて投じられたのは貝殻玉だった。床の上で割れると、もくもくと煙のようなものが立ち上った。
「定恭さん直伝、花の軍師の目つぶしです! 食らいなさい!」
「め、目が痛い!」
「しみる! 涙が止まらない!」
油をまかれて足元が滑るところへ目を開けられなくなった。
「これはまずい」
焦る武者頭の耳に、また若い声が聞こえた。
「開門!」
三方の門が一斉に開き、弓を構えた武者が走り出て二列に並んだ。先頭に槍を持った青い鎧の武将がいた。
「放て! やっちまえ!」
油まみれで密集した武者たちの上に、矢が容赦なく浴びせられた。立つことさえできず、盾も使えない二百人はあっという間に負傷者になった。
「なんということだ……」
門の外でこの光景を見ていた次の部隊の武者頭は震え上がった。
「だが、ここで引くわけにはいかぬ。何とかして坂を上がらねば」
門は開いているのだ。矢の攻撃を防ぎながらそこまでたどり着ければ乱戦に持ち込める。
「損害は出るが、倒れた武者を足場にすれば門まで行けるだろう」
武者頭は突撃を命じた。
「死ぬ気で走れ! 生き延びたければ門にたどり着いて敵を倒せ!」
「おう!」
武者たちは半ばやけになりながら、わあああと大声を張り上げて駆け出したが、その時、後方で騒ぎが起こった。仲間の武者達が口々に驚愕の叫びを上げている。
「何事だ!」
「樽が飛んできます! 油玉もです!」
海郭と下郭から外郭へ投石機で次々に投げ込まれ、破裂して中身を飛び散らせている。
「なぜ後方に油を? ……まさか」
はっとした時、下郭の櫓の三階に一人の乙女が現れた。小猿を連れている。
「早く逃げて!」
警告するように叫ぶと、乙女は弓を引き絞った。
「火矢だ! 火計だ!」
誰かの叫び声が響くと同時に外郭に火がついた。火矢は次々に放たれ、数ヶ所で激しい火災が起こった。
「後続を断つつもりか!」
外郭から悲鳴と恐怖の叫び声が聞こえてくる。
「味方は油まみれ、ここにも火を放たれたらお終いだ。撤退するしかない」
武者頭は攻撃の継続を断念し、叫んだ。
「後退せよ! 油で敵は追ってこられない。慌てず、火を避けながら戻れ!」
「逃げられると思うか」
忠賢がにやりとして腕を大きく振った。
「一人も生きて返すな!」
再び矢の雨が降り注いだ。
「引け! 引けい! 逃げるのだ!」
武者たちは亀の甲羅のように盾で体を覆い、負傷者も動ける者は地面を泳ぐようにしてなんとか大手門を出た。火に包まれた外郭は大混乱で、武者たちは逃げ惑っている。
「とにかく外郭を通って外へ出よう。火の粉を浴びるなよ!」
皆油まみれで、無傷の者は半数以下だった。武者たちは疲れた顔で長い橋を戻り始めた。
「逃がさねえって言ったろうが!」
背中に声がかかった。驚いて振り向くと、青い鎧の武者が多数の騎馬武者を従えて立っていた。
「どうやって油の坂を越えてきたのだ?」
「ふん」
忠賢は鼻で笑うと、槍を前へ振るった。
「蹴散らせ! まずは橋の掃除だ!」
いうなり馬の腹を蹴って橋に突っ込んできた。五百の騎馬武者がそれに従った。
「ひいいい!」
成安家の者たちは悲鳴を上げて橋の上を走り出した。
「遅いぞ! それ! お前もだ!」
忠賢は先程成安軍が板をしいたばかりの足場の悪さをものともせずに馬を飛ばし、あっという間に追い付くと、次々に槍で突き、あるいは払って堀へ落としていった。
「稼げよ、お前たち!」
「ははっ!」
橋を駆け抜けると、騎馬武者たちは慌てふためく成安軍に襲いかかり、次々に屠っていった。
「まさに鬼神の働きですね、忠賢殿は」
戦を間近で見るのが初めての妙姫は、感嘆を通り越して恐れを抱いたようだった。
「実に頼りになる味方です」
「そうですね。聞きしにまさる勇猛さです」
妙姫はざわつく心を鎮めようとするように胸に手を当てた。
「繋郭は床が二重なんだね。だから板じきなんだ」
一方、雪姫の関心は忠賢隊が油を踏まずに大手門を出られた理由に向けられていた。油をまいたのは下の床で、ふたをするように普段の床をはめれば移動に問題はない。
「こういう使い方を想定していたの? だからこの構造に?」
「水はけのためでもあります」
菊次郎は説明した。
「繋郭は坂ですので、降った雨が大手門の前に溜まってしまいます。雨がすぐに床の下へ消え、水路を通って堀に流れるようにしたのです」
上の床は板の間に少し隙間があり、風が通るようになっている。
「じゃあ、あとの掃除も楽だね」
雪姫は感心したようだった。
「でも、大手門は壊れちゃったよね。すぐに直せるの?」
「かんぬきの棒が折れただけです。折れやすいものに交換してあったのです。扉は厚い木に鉄板を張り付けてありますから傷んでいません。いつもの丈夫な棒に戻せばいいだけです」
「燃えちゃった外郭は使えるの?」
「あの郭に木の建物はありません。門は石の柱ですし、櫓もありません。始めから放棄することが前提の造りなのです。焼け焦げたところは漆喰を塗ればまた白くなります。戦が終わってからですが」
「そこまで考えてあるんだ。恐ろしいくらい頭が回るのね。なのに、何で私みたいな……」
言いかけて雪姫は口をつぐみ、先を待つ菊次郎の視線を避けるように横を向いた。黙って聞いていた妙姫が口を開いた。
「敵が引き上げていきます。外郭以外の場所も」
「大手門の攻撃は失敗し、外郭は放棄しなければなりません。妥当な判断でしょう」
菊次郎は答えた。
「外郭の橋の前の二つの門は、扉を今夜中に取り換えましょう。予備はまだ二枚ずつあります」
「本当に用意周到ですね。あなたがいる限りこのお城は落ちないでしょう」
今日も敵を撃退できたことに妙姫はほっとしたようだった。勝利を喜ぶ雄叫びや笑い声が城内に広がっていく。
「旅先であなたを仲間に誘った直春様はさすがですね」
妙姫はしみじみと言った。
「今夜はみんなに豪華な食事をふるまいましょう」
「ぜひそうしてください。また一日か二日、攻めてこないでしょうから」
菊次郎は勝利を告げる鐘を鳴らすように指示した。がんがんという大きな音が響き渡り、外郭の敵を排除し終えた忠賢隊が大手門の方へ戻ってくる。
「さて、敵は次、どう出てくるでしょうか」
集まって撤退していく成安軍を眺めて考えようとした菊次郎の耳に、雪姫のつぶやきが聞こえた。
「弱点を見せれば食い付くかも。どう攻めていいか分からないと思うから」
「えっ?」
顔を向けると、雪姫と目が合った。
「なるほど、そうですね。いい発想です」
菊次郎が感心すると、一瞬すがるように見つめ返した雪姫は、すぐに目を逸らした。
「どうしてこんなに多くのことが分かるのに、私の気持ちは分からないの」
ささやくように言って立ち上がり、階段へ向かった。
「待ちなさい」
妙姫が声をかけたが、雪姫は止まらなかった。
「戦はもう終わったよ。疲れたから部屋に戻るね」
階下へ下りていく姫君に、菊次郎はかける言葉を思い付けなかった。




