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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の六 伸ばした手
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(巻の六) 第三章 攻防 上

「城を落とせなかったですと!」


 宗速の造った宿陣地に到着し、本陣にしている豪農の屋敷に入った元尊は、戦況を聞いて思わず大声を出した。


「敵はほとんど出払っていたはずです。空の城ですぞ!」


 この無能者め、とはさすがに成安一族の宗速に言わなかったが、のど元まで出かかった。数度深呼吸してから理由を尋ねた。


「敵には備えがあったのだ」


 宗速は悔しそうに事情を説明した。冷静になろうとした元尊は、敵の妨害工作で到着が遅れたと聞いて再び頭に血が上りかけたが、大軍師と援軍がいたことには驚いた。


「なんですと? 信家がいたのですか?」

「ああ。水軍も負けたそうだ」


 城や豊津の町を偵察させて知った海戦の様子を宗速は話した。


「そちらも信家の作戦だったらしい。打帆(うつぼ)殿は船の半数を失って上陸を諦め、引き返した。豊津帆のおかげで港がにぎわい、水軍も強化されていたようだな」


 元尊は思わず舌打ちした。


「では、増富家のぼんくらどもは桜舘家の足止めに失敗したのですな。策を授けてやったのに、あの役立たずどもめ」

「いや、そうではなさそうだ」


 宗速はまじめな顔で否定した。


「直春公が戻っている様子はない。どうやら信家だけ先に帰ってきたらしい。水軍の船を使ったに違いない」


 槍峰国の隠密から届いたばかりの密書を宗速は渡した。


「五日前に野司の町の近くで大きな合戦があり、増富家が大敗したそうだ。大将は直春公だったというぞ」

「ということは、主力はまだ遠くにいるのですな」

「城にいるのは四千ほどだ。合戦場からは順調に来たとしても半月はかかる。水軍で運べた武者と、合戦に参加しなかった騎馬隊の一部だけが城に入ったのだろう」

「ならば、兵力はまだこちらが圧倒的に多数ですな」


 宗速が頷くと、元尊は決断した。


「では、明日より城を攻めましょう。直春が帰ってくる前に落とし、葦江国を当家のものにします。そうなれば直春は根無し草です。一気に撃破して、茅生国も制圧しましょうぞ」


 元尊は武者たちに食事をさせて休ませよと指示し、軍議を終えた。諸将が去ると、あてがわれた広い部屋に入り、しばらく声をかけるなと命じた。

 縁側に座って開いたのは兵法の師であった陰平(かげひら)索庵(さくあん)の指南書だ。既に辺りは暗く、腹心の宜無(むべない)郷末(さとすえ)行灯(あんどん)をそばに置いて、どぶろくを赤い杯になみなみと注いだ。元尊はくいっと一息に飲み干すと、小声でつぶやき始めた。


「宗速様も役に立たぬな。打帆(うつぼ)殿も頼りにならぬ。まさか二人とも負けるとはな」


 いまいましさが口ぶりに出るのを抑えられなかった。


「城が落ちていなかったとは予想外だ。無能者どもがしくじったせいで予定が狂ったわ」


 割れそうなほど杯を握りしめて(うな)ったが、大きく息を吐いた。


「焦ることはない。直春が帰ってくるまで時間がある。まずは一当てし、敵の様子をうかがうとしよう」


 宿陣地に入る前、遠目にだが新豊津城を望むことができた。事前に隠密を使って城内の図面を作っていたので、大体の構造は分かる。


「基本的な作戦はまだ揺らいでおらぬ。桜舘軍の主力を槍峰国におびき出して足止めするのは成功した。その間に葦江国と茅生国を奪い、桜舘家の息の根を止める。増富家も滅ぼすか服属させる。さすれば、都まで立ち塞がる者はない。天下はすぐそこにある。桜舘家だけが邪魔だったのだ」


 聞こえているはずだが、郷末(さとすえ)は黙って控えていた。


「わしの作戦は完璧のはずだ。三年も()りに練ったのだ。信家なんぞに破れるはずがない。現に、こちらは二万二千、やつらは四千、圧倒的少数で籠城を余儀なくされておる。直春と離れておるならちょうどよい。一人ずつ料理し、あの世へ送ってやろう」


 狢河原の大敗後、元尊は自身の兵法の知識不足を痛感した。索庵がたくさんの蔵書を遺贈(いぞう)してくれたので全て読破し、彼が講義で語ったことを当時使っていた帳面を引っ張り出して思い出そうとした。そうして、成安家と自分の置かれた状況を整理し、天下統一の夢を実現するための手順を再び組み上げた。


「桜舘家は、特に銀沢信家は倒さねばならぬ。そうしなければわしの完全な名誉挽回はない」


 こんなに必死に学び、頭を絞ったことはなかった。


「わしには才能がある。索庵は幼いわしに何度もそう言った。おだてだけではなかったはずだ」


 秋の終わり頃、鯨聞国(いさぎきのくに)で鮮見家と小競り合いがあった。軍勢の配置や動かし方を兵法書通りにやってみたところ、鮮見軍を率いていた朽無(くちなし)智村(ともむら)規村(のりむら)は、不利を悟ったのか撤退を始めた。すかさず追撃し、いくらかの損害を与えることに成功した。

 大した戦果とは言えなかったが、その後鮮見家の活動がやや大人しくなった。知将や名将と呼ばれる兄弟に勝利して自信を深めた元尊は、かねてより考えていた桜舘家攻略作戦に動き出したのだ。


「わしこそが最強の軍師にして軍略の天才であることを天下に知らしめてやる」


 当主宗龍と家老たちの前で絶対に勝つと宣言したのだ。負ければ破滅だ。勝利するために全力で戦うしかない。


「まずは城攻めだ。直春と信家は既に俺のしかけた罠にはまっている。多少頭が切れようとも、正当な学問を(おさ)め、充分な準備をした俺の敵ではない」


 元尊はもう一杯どぶろくをあおると、口をぬぐって舌なめすりした。


「さあ、知恵比べの始まりだ」


『狼達の花宴』 巻の六 新豊津城図

挿絵(By みてみん)


 翌朝、成安軍は新豊津城へ迫った。


「なかなか大きな城ですな。五百年以上の歴史のある墨浦城の威容には遠く及びませぬがね」


 諸将を前に、元尊はわざわざ余計なことを言って桜舘家をばかにした。


「川と海と水堀で周囲を囲ったのですか。信家の設計と聞きますが、随分と臆病ですな」


 旧豊津城は境川の対岸にあったが、新しい城は港町に隣接していた。川から豊津湾まで水堀と石垣を伸ばし、町の南を城で覆っている。まるで豊津の町を守る壁のような位置だった。水堀は川と海につながっていて、両方に水門があるようだ。雪解け水で普段より川幅が広がっている境川に比べて水位は低かった。


「大手門は南国街道と兼用のようですな」


 墨浦から玉都へ向かう大街道は城の大手門を通って繋郭(つなぎくるわ)を抜け、町へ入っていく。繋郭が町や城にやってくる人々を監視する場所になっているのだ。繋郭の東、川の方に城の本体が、西の海の方に海郭(うみくるわ)がある。本体の北側にも橋郭(はしくるわ)という狭い部分を挟んで川郭(かわくるわ)がある。つまり、大きな三つの郭が二ヶ所の小さな郭でつながった構造だ。本体の中は水堀で下郭(しもくるわ)中郭(なかくるわ)本郭(ほんくるわ)に分かれている。


「見たところ門は一つだけです。大手門を攻めるしかないでしょう」


 普通、城には二つ以上の門がある。片方が攻められた場合にもう一方から出撃して攻撃軍の側面を突いたり、いざという時に脱出したりできるようになっているのだ。しかし、新城は豊津の町へ出る門や川の対岸へ渡る橋への門はあるが、南側には一ヶ所しか出入口がない。


「となれば、敵はあの門に武者を集中して守るでしょうな」


 元尊は思案し、昨日図面を見て立てた作戦通りにすることにした。


「二万一千を四つに分けます。一万四千で三方から寄せ、二千は予備、残りと宗速様の隊は本陣を守ってもらいます」


 騎馬隊は城攻めには向かない。敵が城を出て攻撃してきたら迎え撃たせることになるだろう。宿陣地には一千を残してある。


「俺に大手門を任せてくれ」


 名乗り出たのは子乗(このり)猛喜(たけよし)という三十代の武将だ。敵が少数と知って、城に一番乗りの手柄をねらっているらしい。


「よろしいでしょう。その意気を買いますぞ」


 頷いて、元尊は指示した。


「左翼、海郭を進所(すすど)悦哉(えっさい)殿の四千、右翼、本体の下郭を糸瓜(いとうり)当仍(まさより)殿の四千、その間にある外郭とその先の大手門を子乗(このり)猛喜(たけよし)殿の中軍六千に攻撃させます」


 左翼と右翼は陽動だ。水堀と高い石垣を越えるのは容易ではなく、城内に入り込める可能性は低いが、攻撃されれば敵は防戦せざるを得ない。その分大手門を守る武者が減るだろう。

 元尊は八人の大男がかつぐ輿(こし)に上がった。狢河原で敗走した時に失ったが、より立派な新しいものを作らせたのだ。黒漆塗りの鎧もぴかぴかに磨かせてある。総大将の威容を敵と味方に見せるためだ。


「まずは、両翼、前進せよ!」


 部隊の配置が終わると、元尊は真っ赤な軍配を前に振った。四千の二隊が四角い隊列を組み、盾を構えて進んでいく。だん、だん、だんと武者たちの足並みをそろえるための大太鼓の音が、風に乗って城の方へ運ばれていった。

 軍勢が近付くと、城内で鐘が鳴り、城壁に開いた無数の狭間から矢の先端が突き出した。さらに一際大きな鐘が響くと、矢が雨のように武者たちに襲いかかった。下郭と海郭に三台ずつある投石機も動き出し、こぶし大の石を多数飛ばしてくる。


「ひるむな。どうせ当たりはせぬ」


 城内からの攻撃は、確実にねらい撃ちするのではなく、矢や石をばらまいている感じだった。城に接近させないためだろう。成安軍の武者たちは盾で身を守りながら慎重に前進し、水堀の手前に柵のように長く連なっている逆茂木(さかもぎ)に取り付いた。十人で一組になり、半数が逆茂木を(なた)や斧で壊していく。残りの武者は盾で仲間を守り、矢を城内へ射込んで牽制する。

 やがて、あちらこちらに通り道が開き、武者の群れは再び動き始めた。逆茂木から堀までの間は地面を掘り下げて一段低くしてある。背の高さほどの段差を武者たちは慎重に滑り降り、堀の(へり)まで行くと、盾の壁を築いて城内と矢戦を始めた。二階建ての城壁は本来の地面よりずっと高い石垣のさらに上なので、よじ登るのはとても難しそうに見える。矢や石はまるで空から降ってくるようで、武者達はあごを上げて頭の上を警戒しながら進まなければならない。


「深い堀、高い石垣に二階建ての城壁。しかも、手前を掘って攻め手を下げるとは。高い位置にいれば攻撃しにくく安全だと思っているのか。よほど攻められるのが怖いと見える」


 元尊は嘲笑い、軍配を前に振った。


「よし、中軍も前進させよ。まずは外郭(そとくるわ)を占拠するのだ」


 大手門の前には外郭という建物や植木のない扇形の出丸(でまる)がある。ぐるりと水堀に囲まれ、長さの等しい二つの辺を下郭と海郭に向けている。外側の一番長い曲線の辺には狭間のある城壁があり、多数の武者が守っているようだった。


「矢や石を集中し、敵が首を引っ込めている間に橋を渡って斬り込ませろ。外郭には屋根のある建物がない。上からも矢や石を浴びせ、敵を黙らせろ」


 六千のうち二千が矢を放ち、投石具をぐるぐる回して石を放り込む。残りは二手に分かれ、下郭側と海郭側の二ヶ所の橋へ向かう。外郭の手前で二つに分かれた街道は郭の中で再び合わさり、大手門へ渡る長い橋へつながるのだ。

 下郭と海郭には、二つの橋をそれぞれねらい撃ちできる位置に(やぐら)がある。城壁の上に突き出た三階建ての塔のような建物で、二階と三階にも狭間がある。


漆喰(しっくい)塗りの櫓か。攻めにくいな」


 土壁に火矢はきかない。石や通常の矢も跳ね返される。中にいる者たちは安全なところから攻撃できるのだ。


「武者を二列にしろ。櫓の方へ盾を持つ者を並べて壁を作り、その後ろを腰を低くして橋を渡らせろ」


 激戦になったが、外郭に矢や石を浴びせる者だけで二千だ。飛んでいく数に大きな差がある。守備側は次第に押され気味になった。

 一刻ほどのち、中軍はとうとう橋を渡ることに成功した。外郭を守っていた武者たちはそろそろと大手門へ後退し、城内へ引き上げていった。


「よし。外郭は占拠した。一番乗りの手柄は近いぞ!」


 中軍を率いる子乗(このり)猛喜(たけよし)は自ら外郭に乗り込み、攻撃の指揮をとっていた。二ヶ所の橋に五百ずつを残して五千を外郭に集結させ、大手門を攻撃する用意をした。門を破ったら一気に城を占領するつもりなのだ。


「もう一息だ! 破城槌(はじょうつい)を運び込め!」


 分厚い頑丈な門扉(もんぴ)を破るには攻城器(こうじょうき)が欠かせない。先端をとがらせた大きな丸太が橋を越えて運ばれていった。


「前進開始! 門へ突っ込め!」


 二十人が破城槌(はじょうつい)を両側から縄でつり下げ、五十人がそれを護衛する。他の武者は矢や石で援護する。丸太を運ぶ武者たちは可能な限り速く、実際にはゆっくり歩くような足どりで長い橋に入った。列の先頭では大きな盾を構えた武者たちが浴びせられる矢や石に必死に耐えている。大きな攻城器はじりじりと長い橋を進んで門に近付いていった。


「案外すんなり行ったな。門が破れれば城内の制圧はすぐだろう」


 元尊は拍子抜けしていた。


「銀沢信家も存外手応えがない。特段変わった攻撃もなかった。もっと何かしてくるかと思ったが。そう思わぬか」


 輿(こし)のそばに控える宜無(むべない)郷末は無表情のまま抑揚(よくよう)の欠けた声で答えた。


「大軍を前に打つ手がなかったのかも知れませぬ。もしくは、城を守れそうにないと判断し、撤退して直春公と合流するつもりで、武者をできるだけ傷付けぬようにしている可能性もございます」

「ありえるな」


 学友だった側近に頷き、元尊は優越感に口元をゆがめた。


「どうやら何もできないようだ。大軍師ともてはやされておるが、評判倒れだな。これまでの敵が弱すぎたのだろう」


 大鬼厚臣に宇野瀬倫長(のりなが)に増富持康。どれも大した人物ではない。わしのような才能ある武将と戦ったことがなかったのだ。


「信家を最初に破ったのはわしということになるな。こんな弱い相手に勝っても自慢にはならぬがな」


 ふっふっふと低い笑い声を漏らした時だった。

 突然、かん高い鐘があたりに響き始めた。火事の時に町で鳴らされるような耳障(みみざわ)りで心のざわめく音だ。何かを警告するような調子だった。


「どこからだ? 天守か!」


 下郭の城壁の向こう、本郭に高くそびえたつ五層の大天守から鐘は聞こえてくるようだ。


「あれは信家か!」


 天守の最上階に深い緑の胸当てをした若者がいる。黒い軍配を高く掲げていた。

 と、それが大きく振り下ろされた。いったんやんでいた鐘が、先程より早い拍子でかき鳴らされた。


「何をするつもりだ」


 慌てて周囲を見回し、大手門の前の橋を眺めたが、何も変化はない。


「どういうことだ。こけおどしか?」


 首を傾げた元尊の耳に、ごうっという大きな音が聞こえてきた。かすかな地響きが体に伝わってくる。


「何の音だ? ……水か!」


 音は右手、東側から近付いてくる。つまり、境川の方角だ。そちらの水門が開かれたのだ。


「水攻めか!」


 今は藤月、冬の間に大長峰(おおながね)山脈に積もった雪がとけて河川が増水する時期だ。堀よりはるかに水面が高かった川から大量の水が流れ込み、あっという間に水位が上昇していった。


「外郭が水没します! 武者が取り残されますぞ!」


 いつも冷静な郷末も声が上ずっていた。外郭は堀周辺の掘り下げてある部分と同じ高さだ。大人の背たけ分くらい逆茂木の手前より地面が低いのだ。郭全体がみるみる水に覆われ、狭間のある城壁だけがかろうじててっぺんをのぞかせていた。


「武者たちが流されていきます! 沈んで浮き上がれない者も多数いるようです!」


 武者は重い鎧を着ている。水には浮かないし、泳ぐのも難しい。元尊や多数の味方の前で、五千が水につかっていった。木の大きな盾が多数水に浮き、溺れて苦しむ武者たちの間を漂っている。破城槌(はじょうつい)の丸太がしがみついた多くの武者と一緒に流れていく。


「中軍はもはや戦闘不能です!」


 外郭に渡った五千が水没して大混乱に陥り、もはや軍勢の(てい)をなしていなかった。猛喜(たけよし)は何とか城壁によじ登ったが呆然としている。


「城の堀をあふれさせるとは! ひ、非常識だぞ!」


 川を上流でせき止める水攻めは聞いたことがあるが、城の堀に濁流を流すとは。


「堀があふれます! 逆茂木のあたりまで広がっていきます!」


「中軍だけでなく、左翼と右翼まで水につかったか!」


 堀の周囲の低い部分も水に覆われた。武者たちは大混乱になり、逆茂木につかまって急な段差をよじ登り、慌てて水からのがれようとしている。その背後に桜舘軍は容赦なく矢や石を浴びせていた。


「すっかり水びたしになりました。どうなさいますか」


 元尊は呆然としていたが、郷末の言葉ではっと我に返って命じた。


「すぐに左右両翼を後退させよ。中軍の救出も急げ。予備の二千を前進させ、援護させるのだ」

「兵を引くのでございますか」

「それしかあるまい! あれでは戦えぬ!」


 落ち着きを取り戻した郷末の冷ややかな声が(かん)(さわ)り、思わず怒鳴り返した。


「大手門を破るのは不可能になった。いったん引き上げ、策を練り直すしかなかろう!」


 すぐに太鼓と旗で指示が送られ、後退と救出が始まった。城内の桜舘軍は勢い付き、外郭の城壁の上によじ登った武者たちを矢や石でねらい撃ちにした。当たった者が次々に水の中に落ちて消えていき、降伏すると叫んで城兵に助けを求める者が続出した。

 予備の二千を率いる明告(あけつげ)知業(ともなり)は、半数に城へ矢を射込ませつつ、残りに盾で味方を守らせようとした。槍を持った武者を橋に並べ、位置を示して誘導させたが、五千が二つの橋に殺到したので多くの者が足を滑らし、堀に落ちて沈んで行った。


「鎧を脱げと言え! 泳いで戻らせるのだ!」


 知業(ともなり)の指示を伝令が堀端(ほりばた)で叫ぶと、城壁の上の武者たちは次々に重い鎧を脱ぎ捨て、白い肌着姿になって水に飛び込んだ。木の盾を浮き代わりにする者も多かった。知業は武者たちの脱ぎ捨てた鎧を橋の周囲に沈め、水の上に顔を出しながら歩ける道を作らせた。

 城内からの激しい攻撃の中、武者たちは盾で身を守りながら必死で水の中を後退し、どうにか矢の届かぬところまで逃げ延びた。成安軍は部隊ごとに集合すると、宿陣地に向けて移動を始めた。

 ざっと数えたところ、死傷者は三百名ほどだった。ほとんどは矢や石によるものだ。水位の上昇は早かったものの、水の流れは押し流すほどには強くなかったので、溺れた者は案外少なかったのだ。しかし、予想外の策に多くの者が衝撃を受けていた。あれが桜舘家の大軍師か、あの堅固な城を本当に落とせるのだろうかとささやき合う声が震えていたのは、ずぶ濡れになったからだけではなかった。


「信家め! やってくれおったな!」


 元尊は怒り心頭(しんとう)(はっ)していた。周囲の武者は郷末が黙らせたが、敵軍師を畏怖する声は耳に届いていた。比べられている気がしてひどく不愉快で、悔しかったが、負けたとは思っていなかった。


「城にあんなばかげたしかけがあると予想できるはずがない!」


 元尊はいらいらと親指の爪を噛んだ。


「対策をしていなかったのは恥でも失敗でもない! そうだな?」


 同意を求められて、郷末は無言で目を伏せた。


子乗(このり)殿も阿呆だ。功を焦って五千も外郭に集めるから、あのような無様なことになったのだ! 二千程度にしておけば、武者を助けつつ整然と後退することができたものを!」


 鎧を脱ぎ捨てた白い肌着の武者たちが、濡れた髪を振り乱してばらばらと逃げていく。


「このままではすませぬ。次は必ずあの城を落としてやる!」


 あれを思い付く銀沢信家は異常だ。やはり倒さねばならぬ。それが自分の使命だと、戦意は一層高まっていた。


「次の攻め方はどうするか。あの水を何とかしなければならぬな」


 輿(こし)に揺られながら考えていると、後方から騎馬の伝令が泡を食って走ってきた。


「どうした? 何を慌てている」


 伝令はあえぐように告げた。


「て、敵の追撃です!」


 驚いて振り返ると、大勢の鬨の声と、けたたましい悲鳴や怒号が聞こえてきた。


「ばかな! 外郭は水没しておる。大手門から出られるはずがない!」

「海側の水門を開けたのです! 川側は閉めたようです!」


 堀の水を海に流して水位を下げたのだ。


「青い鎧と桃色の鎧の二人を先頭に二千ほどが追いかけてきます。騎馬隊です。もうすぐここまでやってきます!」

「信家め!」


 元尊は激高(げきこう)した。


「反転せよ! 応戦する!」

「お待ちください」


 郷末が感情のない声で静止した。


「態勢を整える前に突入されます。武者たちは疲れ切っています。損害を増やすだけです」


 戦いの音はかなり近付いていた。既に隊列の中に深く入り込まれているようだ。


「元尊、どこにいる! 命をもらいに来たぜ! 眼鏡のやつを探せ!」

「敵は弱っています! 一気に蹴散らしましょう!」


 二人の若い武将が叫んでいる。元尊は歯ぎしりした。


「ええい、仕方がない。全軍逃げよ! 先に行った宗速様を呼び戻し、迎撃させろ! それまで死なずに各自で生き延びよ!」


 言うなり、眼鏡をはずして(ふところ)に隠すと輿を止めさせ、地面に下りた。近くの武者の馬を奪ってまたがり、腹を蹴って全力で走らせた。郷末や周囲の武者が慌てて追いかけてきた。二万を超える成安軍は十分の一の騎馬隊に散々に蹂躙(じゅうりん)され、多数の死傷者を出してほうほうの(てい)で宿陣地に逃げ帰った。

 桜舘軍は門のそばまで追いかけてきたが、宗速の騎馬隊が近付いていくと、交戦を避けて素早く引き上げた。


「へぼ連署! 命拾いしたな! 次はそうは行かねえぞ!」

「何度攻めてこようが結果は同じです。僕たちは城と町を必ず守ります! 葦江国の民のために!」


 駆け去っていく騎馬武者たちの勝利と歓喜の雄叫(おたけ)びは、東にそびえる大長峰(おおながね)山脈まで風に乗って響き渡っていった。

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