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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の六 伸ばした手
49/66

(巻の六) 第二章 帰城 下

『狼達の花宴』 巻の六 葦江国要図

挿絵(By みてみん)


 合戦の翌々日の藤月十八日、菊次郎は豊津岬の小高い丘の上で港を見下ろしていた。


「やはり来るのか、成安水軍は」


 豊梨(とよなし)実佐(さねすけ)が尋ねた。港と城の守備隊六百の将だ。


「もうじきでしょう。僕ならそうします」


 菊次郎が答えると、一千五百を率いる直冬も同じ考えだった。


宗速(むねはや)公の騎馬隊は順調なら今日お城に着く予定でした。息を合わせて同時に攻めてくると思います」

「鳩の連絡では、昨日鯖森国(さばもりのくに)を出港したって」


 隠密衆の(かしら)の田鶴が言った。


「楠島からも船影が見えたって連絡があったよ。お昼を過ぎたし、そろそろ来てもおかしくないよね」


 対岸の御使島(みつかいじま)の港から東北東に進むと豊津に至る。


「お城は本当に大丈夫なのか」


 実佐は気になるようだ。


「百名しか残しておらんぞ」

「敵の騎馬隊はまだ南の方にいます。攻めてくるのは明日でしょう」

「到着までしばらくかかると思う」


 菊次郎が断言し田鶴が頷くと、実佐は迷いを振り切るように笑った。


「お二人がそう言うなら信じよう。港の守りに集中する」


 頭を切り替えて眼下を見渡した。


「迎撃の用意は整っている。鳩でもらった指示は全て間に合った」


 野司港から船に乗る前に、菊次郎は定恭と相談して立てた策を五羽も使って送ったのだ。


「敵は三千だって。勝てるかな」


 田鶴は心配そうだ。水軍の他にそれだけの武者が運ばれてくる。


「勝ちますよ。そのために戻ってきたのですから」


 直冬は硬い表情だった。


「立派な働きをして、絶対に手柄を立てます」

「どうして手柄にこだわるのですか」


 菊次郎は不思議に思った。二日前に豊津に帰ってきてから妙に積極的だ。戦意が高いのはよいが、焦っているように見えた。


「早く一人前の武将になりたいんです。直春兄様の期待に応えられるような」

「直冬さんは立派な武将ですよ。総大将ではありませんか」


 直春がいないのでその役目を任されたのだが、直冬は首を振った。


「今のままでは駄目なんです。もっと強くならないと」

「どうしたの?」


 田鶴も驚いている。


「僕はもう十七です。誰の助けもいらない大人の男にならなくてはいけないんです」


 菊次郎は首を傾げる思いだったが、それ以上は聞かなかった。


「みんな直冬様を頼りにしています。総大将に(いただ)くことに不安はありません」

「あたしもだよ。他にいないし」


 田鶴が励ますように言ったが、付け加えられた言葉に直冬はがっかりした顔をした。


「もちろん、我等馬廻りもです。信じておりますぞ」 


 実佐は気持ちは分かるという顔つきだった。事情を察しているらしい。総大将が気負いすぎるとよくないのだが、実佐の口ぶりからすると問い詰めない方がよさそうだと感じ、菊次郎が開きかけた口を閉じた時、伝令の武者が駆けてきた。


「沖に船団が現れました。数は約四十。成安水軍と思われます!」


 菊次郎の視線に仲間たちは頼もしい笑みを返した。


「では、豊津港を守る戦を始めます」


 菊次郎は腰の帯から黒漆塗りの軍配を抜いて海に向けた。


「直春さんたちは合戦に勝ったそうです。みんなが帰ってくる場所を守りましょう」


 四人は頷き合い、それぞれの担当場所に向かった。



「お(かしら)、無事に(うち)(しお)を越えましたぜ」


 報告に来た副将へ、成安家の警固衆頭(けいごしゅうがしら)打帆(うつぼ)澄暁(すみあき)は確認のために問いかけた。


「全船異常はないな」

「へい。ちゃんと付いてきてますぜ」


 内の海は西から東へ岸沿いに海流が回っている。どの港もそれを越えないと入れない。うっかり流されたら海流に逆らって戻るのは不可能だが、船乗りたちは慣れたものだ。澄暁は四十過ぎ、副将は五十代半ば、ともに経験豊富で海流の越え方も熟知している。


「岸に近付いても思ったより流れがあるな」

「豊津沖は潮が速いですな。(あし)(うみ)がありますんで」


 大きな海流は少し沖を通る。岸と本流の間も潮の流れはあるがゆるやかなのが普通だ。豊津はすぐ北に境川(さかいがわ)の河口があり、湖から多くの水が吐き出されている。海流に阻まれて南へ曲がり、港の方へ流れてくるのだ。


「ここまで来れば豊津は目と鼻の先だ。あれが豊津岬か。港の前を塞ぐように伸びているな」


 北から突き出したつららのような岬のおかげで内の海と切り離され、湾内は常に波がおだやかだ。


「港の前に細い岬、南に長い半島、(かど)の一番奥が入口か。随分狭いな」

「中は広いそうですぜ。天然の良港ですな」


 港は西へ伸びる切岸(きりぎし)半島の付け根にある。半島に岬の先端が直角に突き刺さりそうで触れていないわずかな隙間が入口で、枝のすぐ上にできたきつつきの巣穴にたとえる船乗りもいる。


「敵の様子はどうだ。目がいいお前なら見えるか」


 岬の緑の丘が目の前に盛り上がっているので港の建物は見えない。澄暁(すみあき)が尋ねたのは港の外側の守備配置だ。


「岬には姿がないですな。港の入口で何人かこちらを眺めてますが、当家の軍船とは思ってないようですぜ」


 成安水軍は通常丸に安の字の家紋の旗を帆柱の先端に(かか)げているが、今は下ろしてあり、かわりに都の老舗(しにせ)の豪商の旗をつけている。味方の他の船もそれぞれ違う商家の旗をひるがえしていた。


「氷茨公もせこいことを考えると思ったが、効果はあったようだ。敵は油断しているぞ」


 都の商人の船がこんなに連れだって来ることはないので怪しまれるのは避けられないが、警固衆(けいごしゅう)の軍船と知られない方が襲いやすい。


「楠島はどうだ。動いたか」

「船影は見えないですな。砦の様子にも変化ありませんぜ」


 御使島から豊津港へ向かう途中に割り込むように切岸(きりぎし)半島が突き出し、その先端に楠島水軍の本拠地の島がある。


「都から来たと思わせるために北へ大きく迂回したが、豊津に近付けば島の見張りに見付かるはずだ。この旗印が効いたかな」


 元尊には楠島水軍と契約している豪商の旗を渡された。


「前払いしてあるから、護衛料を取りにこないんですかねえ」

「豊津に向かう船は港で捕まえているのかも知れんな」


 港に入る前に水軍に迎撃されたら厄介だと思っていたが、その心配はなさそうだ。


「桜舘家は警戒していないようだ。早船(はやぶね)を港に向かわせろ。城船(しろぶね)は速度を落として待機」


 今回の船団は主力の城船が十隻、小型の早船が三十隻だ。城船は両脇に合わせて二百以上の(かい)を突き出しているのに対し、早船の櫂は四十だ。上陸させる武者の半分は城船に乗っているが、残りは早船に五十人ずつ分乗している。まず足の速い早船を港の砂浜に接近させて桟橋(さんばし)を占拠し、城船の残りを下ろす作戦だ。


「一斉に浜へ殺到しろ。ばらばらになるな」


 一隻ずつ武者を下ろしたら、順番に敵に集中攻撃される。多数であちらこちらから上陸すれば、豊津に残っている武者は少数と聞いているので、手が回らなくなって慌てるだろう。

 指示が旗信号で伝えられると、巨大な城船の間をすり抜けて早船が前に出た。三十隻のそれぞれから、片側二十人ずつの()ぎ手に指示するかけ声が聞こえてくる。息が合っていないと進路が曲がったり船が傾いたりするが、漕ぎ手は熟練の者ばかりで滑るように進んでいく。港の入口は(かど)の奥まった位置にあるので、船同士の間隔が次第に狭まって密集していくが、ぶつかることも速度を落とすこともない。鎧を着た武者たちは船内に座って、近付く港を見つめていた。


「投石機があるのに攻撃が来ないな」


 澄暁は不思議そうにつぶやいた。湾の入口はかなり狭い。そこを守るように岬の先端に十台の大型投石機が見えるが、動きがなかった。


「まだ射程外なのか。もしかすると、城の守りばかり固めて港には武者がいないのかも知れんな」


 南国街道を北上する成安軍本隊には当然気が付いているはずだ。そちらの備えに武者のほとんどを当てているのだろうか。


「好機だ。さっさと上陸して、敵が援軍を呼ぶ前に港を制圧するぞ」


 抵抗がないとはありがたい。この大きな港の占拠は難しい命令だと思っていたが、案外たやすく任務を果たせそうだと澄暁が考えた時だった。

 突然、かん、かん、かん、とけたたましく鐘が鳴り始めた。


「どこだ? 岬の上か!」


 音のする方を見上げると、十台の投石機のそばに多数の武者が現れた。深めの緑の胸当てをした青年が黒い軍配を高く掲げている。


「もしかして、噂に聞く桜舘家の大軍師か!」


 青年は軍配を勢いよく海の方へ振り下ろした。


「第一射、放て!」


 数人の太い叫び声が聞こえ、激しく鐘が連打されると、十台の投石機が回転して大きなものを放り投げた。


「気を付けろ! ……なんだ、あれは?」


 警戒を指示した澄暁は、すぐに気が抜けた声を漏らした。


「どこへ投げてやがるんだ」


 投石機から飛んだ十個の大きな丸い玉は、船団からやや離れた場所に高い水柱を上げた。


「ねらいがまるでおかしいですぜ。訓練が足りないんじゃねえですかね。あの投石機を大軍師が作らせたのは最近と聞いてますぜ」


 副長がばかにしたように笑った。玉は船団の北へ飛び、水に沈んでしまったのだ。


「そう見えるが、なぜまだ打ち続けるのだ?」


 さらに十の玉が海に落ちた。


「今度も同じ辺りだ。ねらいを修正しなかったのか?」

「固定で動かせない機械なんですかねえ。やけになって滅茶苦茶に撃ってるのかも知れませんぜ。おや、また飛ばしましたぜ」


 副長が呆れた時、船の後部から悲鳴が聞こえてきた。


「お頭、大変です! (かじ)がやられますぜ!」

「どういうことだ」

「投石機が放り込んだのは海藻の束だったんでさ。ばらけて広がり、水を吸って膨らみながら、海流に乗ってこっちに流れてきます。このままじゃ舵にからまりますぜ!」

「そういうことか!」


 澄暁は大軍師のねらいを悟った。海藻を海にばらまき、舵を効かなくさせて行動不能にしようというのだ。ねらいをはずしたのではなく、わざと潮の上流である北側へ放り込んだのだ。


「急いで回避しろ! もっと港へ近付いてやり過ごすんだ!」

「へいっ!」


 旗で直ちに船団に指示が出されたが、十隻の巨船はもたもたと無様な動きをし始めた。


「海藻が(かい)にもからみやがります! 漕げる数が左右で違うせいでうまく進みませんぜ!」

「それもねらいか!」


 海藻が次々に流れてくるので、櫂でよけたり、からんだのをはずしたりしなければならない。潮の流れと多数の櫂のばらばらな動きでのせいで、その場で半回転してしまった船もある。


「舵がやられたと、城船三隻が旗信号を上げております」

「やってくれたな」


 澄暁は歯噛みしたが、すぐに顔を上げた。


「だが、死傷者はまだ一人もいない。港を占拠すれば、海藻の除去くらいすぐにできる。急がないと敵に援軍が来るぞ。早船を先に行かせろ。さっさと武者を上陸させるんだ! 城船も海藻を除去次第追うぞ!」

「へいっ!」


 三十隻の早船は岬の上に現れた敵と投石機を警戒して速度を落としていたが、漂う海藻をよけながら再び漕ぐ速さを上げた。


「今度はのろしだと?」


 だが、その時、大軍師のいる辺りでもくもくと黒い煙が立ち(のぼ)った。すると、港の入口の両岸に多数の民が現れた。


「次は何だ?」


 民は岬側と対岸の半島側でそれぞれ二列に並び、何かを引っ張り始めた。港の奥に縄が伸びている。


「あれは材木か?」


 綱に引かれて現れたのは多数の丸太だった。太い綱でつながれていて、二本の線になって港の入口を塞ぐように伸びた。港の奥にまとめてあったのを広げたのだ。


「あんな綱、切ってしまえ! 一気に突破せよ!」


 澄暁は叫んだが、副長は悔しげに首を振った。


「大きな丸太を多数結んでる綱ですぜ。相当太くて丈夫に決まってまさあ。斧でもなけりゃ切れませんよ。あの丸太は槍の穂先がたくさん突き出てます。危なくて近付けませんぜ」


 とげだらけの丸太の柵が港の前に二重にできてしまったのだ。つながれていない丸太も多数あり、伸びる縄に押されて勢いが付き、船団の方へ殺到してくる。


「まずいな。早船が進めないぞ」

「足を止められちまった船は漂う棺桶ですぜ」

「不吉なことを言うな!」


 澄暁が顔をしかめてたしなめると副長は首をすくめた。


「動ける城船を加速しながら並べて進めて、あの綱を引きちぎってはどうですか。早船をいったん下がらせなくてはなりませんが」

「それしかなさそうだな。すぐにやらせろ」


 澄暁は早口に指示した。旗信号が伝わると、早船は全てその場で停止し、それぞれかけ声を響かせながら向きを変え始めたが、前が岬で右手が半島の奥まった場所に三十隻が集まっていて、そばにとげ丸太の柵がある。つながれていない丸太もたくさん浮いていて、邪魔だと押しやると他の船にぶつかる。あちらこちらで船が衝突したりしそうになったりして混乱が起きていた。


「ええい、なにをのろのろしている! これでは敵に守りを固める時間を与えてしまうではないか」


 澄暁はいらだって足を踏み鳴らした。


「いや、落ち着け。まだ負けていない。考えろ。次はどうすればいい!」


 澄暁は打開策を検討し始めたが、副長の大声に邪魔された。


「て、敵だ! 敵襲ですぜ!」

「どこからだ?」


 澄暁は驚き、顔を上げて尋ねた。


「北です! 楠島水軍の船団ですぜ!」


 岬のさらに先、境川の河口から、多数の軍船が次々に吐き出されてくる。


「湖に隠れていたようですな! 中型の盾船(たてぶね)七、小型の飛船(とびぶね)二十!」


 のろしの合図で動き出した水軍は、全力で櫂を漕ぎ、川の流れで加速しながら河口を滑り出ると、南下する潮に乗ってぐんぐん近付いてきた。


「ものすごい速さです! すぐに到達しますぜ! これが豊津帆の性能ですかい!」

「罠にはまったか! うぬぬ、敵の大軍師の作戦か!」


 澄暁は歯ぎしりした。


「迎撃用意! 弓で近付けさせるな! 囲ませるな!」


 澄暁はすぐさま指示を出したが、舵がやられた船は身動きがとれず、そうでない船もいったん速度を落としてしまったので動きはのろかった。


「敵は止まっているぞ! 石と矢を浴びせてやれ!」


 大将旗のひるがえっている盾船の上で、愉快そうな太い声が響いている。ひげ面の大男は楠島水軍の頭領盛昌(もりまさ)だ。


「やつらは横っ腹を見せている。ねらい放題だぜ!」


 成安家の船団は東の港へ向かっていた。楠島水軍は北から襲いかかったのだ。盾船の船首に設置された投石機が動き始めた。人の頭くらいの大きな石をどんどん放り投げてくる。戦闘担当の船乗りたちも投石具で石を飛ばしたり、火矢を射たりしてくる。


「応戦しろ! こっちの方が船は大きいんだ。盾を並べて間から射返せ! 乗っている武者たちにも手伝わせろ!」


 澄暁の命令で武者たちが天井の上の戦闘甲板(かんぱん)に駆け上がり、矢を放ち始めた。


「船はまだ動かんのか。反転して迎撃するんだ」

「もう少しかかります。櫂の海藻がなかなか取れないそうで」

「急がせろ!」


 怒鳴った澄暁の耳に、悲鳴が飛び込んできた。


「敵の飛船です! 接近してきます!」

「矢で追い払え! こっちの投石機も使え!」

「はっはっは、遅いぜ!」


 成安家の早船よりさらに小型の飛舟二十隻を率いるのは息子の昌隆(まさたか)だった。


「親父、先に行くぜ!」


 日に焼けた昌隆は激しく揺れる船の上で腕を組んでしっかりと立っている。


「城船を燃やしてやれ! 水軍流の城攻めだ!」


 飛舟の櫂は片側十本だ。速度では早船に劣るが、小回りが利く。帆は畳んで櫂を上手に使い、十隻の城船のまわりを休みなく移動して火矢を放ち、油玉を投げ込んだ。


「小うるさい小舟め! ちょこまか動きやがって!」

「この海はやつらの庭ですぜ。海流も風も熟知してやがる。弓のねらいが定まらねえ!」


 成安水軍の主な仕事は東の大恵寧(けいねい)帝国との海路を見張り、貿易船を海賊から守ることだ。沿岸ではなく外洋を長い時間航行するため、動く要塞のような巨船が必要になる。一方、楠島水軍が相手にする内の海の商船は軍船より小型だ。そういう船を取り囲んで矢で威嚇(いかく)し、足止めするのが楠島水軍は得意なのだ。


「岬の投石機が石を投げてきますぜ! しかも次々と。大軍師が改良したんですかねえ」


 通常の投石機に比べて投げる間隔がかなり短い。今度はちゃんと城船のいる辺りに飛んでくる。


「動き回ってねらいを絞らせるな! 大丈夫、滅多に当たりはせん!」


 盾船の投石機より石が一回り以上大きい。船をかすめ、海に大きな水柱が立つたびにひやりとする。


「あの女は誰だ?」


 憎々しげに澄暁がにらんだのは、昌隆の飛舟の上で次々に火矢を放っている乙女(おとめ)だった。まだ二十歳にならないと見えるが驚くべき腕前で、三隻の船の帆を燃え上がらせた。


「猿に火矢を運ばせているのか!」


 火をつける役目の男が二人いて、燃える矢をくわえた小猿が乙女の元に走る。乙女が受け取ると次の矢をもらいに戻るのだ。


「たった一人だぞ! さっさと海に射落とせ!」


 澄暁は叫んだが、飛船の動きは早く、船首の前を横切ったかと思うと、あっという間に船尾の方へ駆け抜けてしまうので、射手(しゃしゅ)たちが翻弄(ほんろう)されている。


「早船も襲われてますぜ。袋叩きにされてます!」


 とげ丸太の柵に行く手を塞がれた早船三十隻は、城船の援護に駆け付けようと方向転換を急いでいたが、大勢で漕ぐ長い船は素早い動きが苦手だ。五十人も鎧武者を乗せていて重くもある。半島と岬の直角の隅の狭い場所に密集していたこともあり、互いの櫂がぶつかるなどしてまだ多くがもたもたしていた。楠島水軍の飛舟はその目の前を通り過ぎながら油玉や火矢で攻撃し、すぐにくるりと向きを変えて戻ってくるのを繰り返していた。


「次々に船が燃え上がってますぜ!」

「なぜすぐに消さぬのだ。燃える玉を箸で拾って海に放り込めばよいだろうが!」

「それが、ただの油玉ではないようでして」


 副長は隣の船を指さした。


「見て下せえ」


 そちらへ視線を向けて、澄暁は目を疑った。戦闘甲板を囲っている盾や船の喫水(きっすい)あたりに燃える玉がいくつもくっついている。


「火矢ではないのか」


 矢なら刺さるのは分かる。なぜ丸い油玉が木の板に張り付いて落ちないのか。


「玉全体に鳥もちを塗ってあるようですな」

「鳥もちだと!」


 言われてみると、飛んでくる油玉は白っぽかった。鳥や虫を捕るのに使うねばねばした餅のようなもので覆ってあるのだ。


「一度くっつくとなかなか取れないようですぜ」


 火矢に比べて油玉は大きな火になりやすい。油が含まれていて、ぶつかった拍子に辺りに飛び散ることも多い。半数近くの船がどこかしらで煙を上げていた。

 と、突然大きなどよめきが起きた。


「帆柱が!」


 慌てて振り返ると近くの船の帆柱が炎に包まれている。


「どうした? なぜいきなり燃え上がった?」


 近くにいた水主(かこ)が答えた。


「敵の頭領が、縄のついた油玉を放ってきやがったんです」


 忠賢は鎖鎌を使うが、萩矢(はぎや)頼算(よりかず)が考案したこの新しい武器は、片方の端に特大の油玉、もう一方の端に石が結んである。それを頭上でぶんぶん振り回して、勢いよく投げ付けたのだ。


「なんという大力(だいりき)だ。あの船からかなり遠いぞ」


 盛昌(もりまさ)は火のついた次の縄玉を回しながらにやりとし、別な船へ放り投げた。またもや帆柱の上の方に絡み付き、帆が炎上した。盛昌の船以外からも、同じ武器が次々に投じられている。


「なんということだ……」


 澄暁は周囲を見回してつぶやいた。

 十隻の城船の半数は帆柱が燃え上がるか舵をやられ、残りもあちらこちらに火矢や油玉を浴びて煙を上げている。三十隻の早船も、十隻以上が火災を起こしている。七隻は転覆していたが、原因の多くは味方の船との衝突だった。


「敵の武者がこんなにいるとは」


 衝突や転覆で海に落ちた者や火に追われて水に飛び込んだ者のうち、溺れなかった者たちは岸へ泳いだが、待ち構えていた桜舘家の武者に次々に捕縛されていった。岬側の武者は桃色の鎧のまだ若い武将が大将で、半島側は四十歳くらいの大柄な武将が指揮をとっている。合わせて二千近い武者がいるようだった。


「どれくらい捕虜になった」


 澄暁は副将に尋ねた。


「三百といったところでしょうか。死傷者は全体で五百を超えたと思いますぜ」

「そうか。ここまでだな」


 澄暁は諦めたように溜め息を吐いた。


「港の占拠は失敗した。氷茨公の計画とは違い、敵には十分な兵力と備えがあった。これ以上の攻撃は損害を増やすだけだ」

「妥当な判断と思いますぜ。すぐに回頭しましょう」


 澄暁は頷いて深く息を吸うと、大声を張り上げた。


「引き鐘を鳴らせ! 鯖森国(さばもりのくに)へ撤退する!」


 がん、がんと重い音が鳴り渡ると、あちらこちらの船で悲しみの怒号や叫びが起こり、やがて同じ拍子の鐘が全ての船でけたたましく鳴り始めた。


「逃げるのも楽ではないぞ。追撃してくるだろう。矢を射る手を休めるな! 全力で櫂を漕げと伝えよ!」

「心得てますぜ。さいわい、この季節は南東の追い風、内の潮も豊津から御使島へ向かってます。流れに乗れば速度が出ますぜ」

「敵の飛船に矢を集中して早船の脱出を助けろ。城船は舵と帆をやられた船を先に行かせ、他は残って敵を防ぐ。この船が殿軍(しんがり)を務める。うまく逃げられるといいが」


 成安水軍が撤退を始めると、盛昌たちはその北側を並行して進み、南に延びる切岸半島へ押し付けるように矢を浴びせ続けた。昌隆たちは後ろから攻撃して追い立てる。


「豊津帆のせいで敵の方が足が早いですぜ。先回りされて北を塞がれ、内の潮の本流に乗れません。速度が出ませんぜ」

「沿岸の潮も西へ流れているが弱いな。帆が無事な船は開いて風を受けろ。少しでも速度を上げるんだ」


 成安水軍は必死に矢で応戦しながら、切岸半島の先端へ近付いていった。


「半島の先には楠島がある。そこを通過すればもう追ってはこないだろう。それまでの辛抱だ。漕ぎ手も射手も、もう少し頑張ってくれ!」


 励ました澄暁に、副将が悔しそうに告げた。


「前方に敵の船団があります。大小約二十」

「砦から出てきたのか。島に近付けないつもりだな」


 豊津にいたのは楠島水軍の全ての船ではなかったのだ。半島の先端付近に広がって前を塞いでいる。


「どうしますか」

「突破するしかあるまい。他に進路はない」


 澄暁は答え、指示した。


「全船、まっすぐ西へ前進、全速力で敵に突入せよ! 左手、南側の楠島海峡へ流されたら最後だぞ」


 半島と楠島の間の狭い海は岩や暗礁がたくさんあり、内の潮の支流が激しく流れている。地元の漁師でさえ恐れる難所なのだ。


「進め! 力を振り絞って漕げ! 全ての帆を広げろ!」


 生き残った三十数隻の警固衆は速度を上げ、待ち受ける楠島水軍の船団に突進を始めた。


「速度をゆるめるな。海峡に引きずり込まれるぞ!」

「駄目です! 流されますぜ!」


 島の方へ行くには目の前を横切る内の潮の支流を越えなければならない。川のような勢いの中へ乗り込んだ成安水軍の船は、次々に南へ流されていった。


「敵は櫂目がけて干した海藻の玉を投げ付けてきます。こっちの漕ぎ手は疲れ切ってますぜ」

「北を塞いだのはこれがねらいか!」


 豊津から御使島へ行く場合、本流に乗って加速し、帆を最大に広げて風を一杯に受け、支流に引きずられないように楠島の沖を通過する。盛昌たちはわざと本流に乗るのを邪魔したのだ。


「岩や暗礁(あんしょう)の場所を示す旗がなくなってます! ああ、あの船も乗り上げちまった!」


 海峡の両岸には武者や水軍の水主が武器を持って待ち構えていた。座礁した船に乗っている者たちを捕らえるためだ。


「助けてやりたいがどうしようもない。畜生め!」


 澄暁はこぶしを欄干(らんかん)に思い切りたたき付けて歯ぎしりした。豊津沖では無事だった船も、海藻に舵をやられたり帆をねらわれたり漕ぎ手が疲労で動けなくなったりして、あとを追う羽目になった。


「漕げ! 動ける者は櫂を漕げ! 弓も楯も捨てよ!」


 武者たちは武器を放り出し、ぐったりしている漕ぎ手たちから櫂を奪って必死で動かした。澄暁と副将も自ら櫂を漕ぎ、大きなかけ声でまわりの武者たちを励ました。

 しばらくして副将が戦闘甲板に上がり、様子を見てきた。


「ようやく抜けました。もう追ってきませんぜ」

「何隻ついてきている」

「城船六、早船十八隻でさあ」

「半数を失ったか」


 澄暁はうなだれた。


「御屋形様に何と報告すればよいのだ」

「流された船は楠島水軍に降伏するでしょう。同じ船乗り同士、殺されはしませんよ。身代金を払えば帰ってくるでしょうよ」


 大変な金額になるだろう。澄暁は溜め息を吐いた。


「戦闘時には主に櫂で動くのに、敵はずっと帆をねらっていた。海峡に追い込む作戦だったのだろうな」

「そう思いますぜ」

「大軍師の策だろうか。まんまとはまったわけだ」

「へい。してやられましたな」


 澄暁は頷くと、立ち上がって大きく伸びをし、漕いだ疲れが残る肩をぐるぐる回した。


「とにかく、今は帰ろう。もう急ぐ必要はない。帆を使い、漕ぎ手を半数ずつ休ませながら、ゆっくりと港へ向かう。他の船の様子を調べろ。負傷者を手当てし、全員に何か食い物を配れ」

「へい、ただちに」


 副将が去ると、澄暁は東を振り返ってつぶやいた。


「敵を甘く見すぎた。楠島水軍をではない」


 彼等が強敵なのは分かっていた。敗北はそれだけが原因ではなかった。


「氷茨公も気を引き締めてかからねば痛い目にあうだろう。桜舘家にも、大軍師にもだ」


 うっすらと見えている御使島の上に、太陽はゆっくりと落ちていこうとしていた。



「盛昌さん、お見事でした」


 港へ戻ってきた水軍を菊次郎たちはそろって出迎えた。商人たちも集まってきて大きな酒樽がいくつも開けられ、船乗りと武者たちに町の人々も加わってお祭り騒ぎが始まっている。


「戦はこれからなのだがな」


 実佐は苦笑しているが、やめさせようとはしない。


「今夜はもう戦いはないでしょうからかまわないと思います。息抜きは必要です」

「そうだよ。みんな頑張ったもん」


 田鶴も町の人に酒の入った木の杯を持たされていた。


「あんまり好きじゃないけど、今日はあたしも少し飲もうかな」


 珍しいことを言ってにこにこしている。肩の上の小猿が酒に顔を近付けてにおいをかいでいる。


「田鶴殿はずいぶん大勢に囲まれていましたな」


 実佐は娘を見るような顔だった。


「たいそうな活躍でしたからな」


 港沖の海戦を多くの町人が避難した天額寺(てんがくじ)から眺めていた。ただ一人参加した乙女に皆注目し、弓の腕前に驚嘆していた。


「僕は見ていてはらはらしました」


 言った直冬に田鶴は笑った。


「いつもやってることじゃない」

「でも、船の上ですよ」

「豊津城で宇野瀬家と戦った時も船に乗ったし。でも、心配してくれてありがと。やさしいね」

「からかわないでください。大丈夫と思っても、やっぱり不安で……」


 菊次郎は微笑んだ。


「気持ちは分かります。田鶴は女の子ですから。僕は二人とも信じています。直冬さんも頑張りましたね」


 岬にいた武者を指揮した直冬は、やけになって岸に向かってきた早船三隻の武者と激しい戦いになったが、冷静な指示で敵を包囲し、降伏させることに成功した。


「立派な指揮ぶりでした。直春さんもほめてくれますよ」


 菊次郎は実際感心したのだが、直冬は浮かぬ顔だった。


「あの程度では全然駄目です」

「どうして?」


 田鶴が驚いている。


「差がありすぎます。とても勝てません」

「どういうこと?」


 首を傾げた田鶴に、実佐が言った。


「よいではありませぬか。勝ったのですぞ。直冬様には思うところがおありなのでしょう」


 菊次郎が田鶴と顔を見合わせ、事情を尋ねようとした時、武者が駆けてきた。


「騎馬隊が帰ってきました! もうすぐ町に入ります!」


 菊次郎たちはすぐに迎えに行った。


「忠賢さん!」

「おう、勝ったようだな」


 (あし)大橋(おおはし)を渡ってくる長い列の先頭で、青い鎧の武将は笑っていた。さすがに疲れた顔をしていたが、身軽な動きで馬から飛び降りた。


「すごいですね。五日で帰って来るなんて。間に合わないのではないかと危ぶんでいたのです」

「騎馬隊は速さが命だからな」


 忠賢は何でもないことのように言った。


「お前が宿や飯の手配をしてくれたからだぜ。荷を積まずに全力で走れたし、休みたい場所に用意があった。おかげでほとんど脱落者を出さずにすんだ」

「それでも大変な速さですよ。普通ではありません」


 元尊出陣の知らせを受けた夜、軍議が終わると、忠賢は即座に騎馬武者一千八百を率いて帰途に()いた。松明(たいまつ)で照らしての行軍は速度が出ないものだが、できるだけ先を急ぎ、短い仮眠をとっただけで翌日の夕刻には陽光寺砦まで戻ってきた。武者たちを休ませると、市射(いちい)孝貫(たかつら)に事情を話して情報交換し、豊津へ鳩を飛ばした。


「菊次郎は五形城の増富軍は北上してくるはずと言ってたな。なら、城は空だろう。来た道を戻るより、南国街道を行った方が距離が短い」


 翌朝早く砦を()った騎馬隊は、大胆にも増富家の本拠地の町へ向かった。城の留守居隊が驚くのを尻目に高速で町の中を通過すると、海沿いの大街道を一気に南下し、増富家の南備(みなみそなえ)砦に迫った。


「まさか北から敵が来るとは思ってないさ。隊列を保て。速度を落とすなよ」


 万羽国の南端を守る砦の目の前を忠賢は悠々と通過した。守備の武将が慌てて追ってきたが速度を上げて振り切り、日が暮れる頃国境を越えて桜舘領内へ入った。

 茅生国の北端には秋芝景堅の部隊がいて、野営地を設営していた。忠賢の鳩で南国街道へ出ると知った菊次郎が開飯城の景堅に指示したのだ。騎馬武者たちは夕食をかき込むと、倒れるように眠りに()いた。

 忠賢隊は翌日も朝から馬を飛ばし、菊次郎がところどころに用意させた休憩場所で食事をとって馬に飼葉(かいば)を与え、たった五日で豊津に帰り着いた。


「敵の騎馬隊はまだ着いてないのか。城を攻められてるかと思ったが」

「今日来られたら危なかったですが、何とかしました。戦いは明日でしょう」

「敵を遅らせたの。菊次郎さんの悪知恵で」


 田鶴はくすりと笑い、実佐は真面目な顔で称讃した。


「はかりごとは引っかかった方の負けですぞ。大軍師殿のおかげで、全力で港を守れたのです。皆感謝しております」


 直冬が悔しそうに同意した。


「勝てたのは菊次郎さんのおかげです。水軍衆は強かったですが、鳩でもらった指示がなければ危なかったかも知れません」

「お前も頑張ったんだろ?」


 忠賢は尋ね、直冬が頷くと、その頭を軽くぽんとたたいて、なだめるようにゆすった。


「詳しいことは城で聞く。明日の作戦を知りたい」

「念のための確認ですが、明日、戦えますよね?」

「当たり前だろ」


 忠賢はにやりとした。


「勝つさ。そのために急いで戻ってきたんだぜ」


 忠賢はいつも通り好戦的な表情だった。


「だが、今夜のところは、あいつらを解散していいよな」


 騎馬武者たちは続々と町に入り、歓呼の声で迎えられている。


「はい、かまいません。久しぶりの豊津です。家族に会いたいでしょう。一晩ゆっくり休んで、明日の朝お城に集合させてください」

「そうさせてもらうぜ。とにかく一っ風呂浴びて汗を流したいぜ」

「すぐに準備させましょう。食事も支度させます」

「これ、飲む?」


 田鶴が持っていた酒の杯を渡すと、忠賢はごくごくと飲み干し、袖で口をぬぐった。


「ぷはっ、しみるぜ! ありがとよ!」


 小猿に杯を投げ返すと、青い鎧の武将は再び馬にまたがり、部下たちの方へ駆け去っていった。



「ようやく着いたか。随分と遅くなった」


 成安宗速は新豊津城を見上げてつぶやいた。


「五日目に攻撃して陥落させるつもりがもう六日目だ。不運が重なりすぎた」


 宗速の任務は豊津城の攻略だった。桜舘軍が帰還する前に到着し、一気に攻め落とせと元尊に厳命されたので、武者や馬が疲れ切ってしまわないぎりぎりの速度で南国街道を疾走した。三日目の夕刻には葦江国に入り、豊津まであと一日のはずだった。なのに、そこから三日もかかることになったのだ。


「まさか、全ての宿場から食料と飼葉(かいば)を引き上げていたとはな」


 宗速は行軍速度を重視し、三日分の携帯食と飼葉を武者と小荷駄隊の馬に運ばせただけだった。成安領内では事前に指示して宿所と食事を用意させたが、桜舘領内では足りない分を宿場町で徴発するつもりだった。旅人や伝令のための備蓄を当てにしていたのだ。

 成安家は連年の戦に凶作が重なり兵糧が不足ぎみだ。狢河原(むじながわら)の原因となった飛鼠(とびねず)家の離反も兵糧の供出を求めたのが原因の一つだった。先行する宗速隊の任務には兵糧の確保も含まれていたのだ。

 ところが、全ての宿場に人がおらず、物資のほとんどが運び去られていた。近隣の村々も同様だった。蔵などに残されていた食料は、もしやと思って調べると毒をかけてあった。通りかかった旅人の話では、大軍師の指示が出ていて、この先の宿場も同じだという。


「そうした手を打たれないように急いだのだが、間に合わなかったか」


 悔しがったが仕方がない。葦江国で過ごす最初の夜は、貴重な携帯食の一部を食べさせるしかなかった。


「食料を節約せねば。戦いの前は腹いっぱい食べる必要があるからな」


 翌四日目の朝は食べる量をさらに少なくさせ、満たされぬ腹を我慢しながら出発しようとした時、物見の武者が戻ってきて報告した。


「食料と飼葉を大量に積んだ荷車の列を発見しました。橋を渡って境川を越え、東へ進んでいきます」

「恐らく、宿場から引き上げた物資だな」


 宗速は迷った。


「城を落とせなかった場合、手持ちの食料は明後日には尽きる。今日中に豊津城の近くまで行き、明日の朝から攻撃を開始せよと言われたが、半日くらい遅れてもいいだろう」


 元尊の本隊の到着は三日後の予定だ。食料なしで戦はできない。ぜひ手に入れたい物資だった。

 宗速は目標を変更し、荷車を追いかけることにした。橋を渡ってしばらく進むと、前方に五十台ほどの列が見えてきた。


「それっ! 蹴散らせ!」


 殺到する騎馬武者の群れに荷車を引いていた民は驚愕し、放置して逃げ散った。


「よし、荷車を引いて街道へ戻るぞ」


 そう指示したが、武者たちから意外な返事が返ってきた。


「積荷の多くは衣類や家具でした」


 食料はほとんどないという。


「そんなばかな。ありかを聞き出せ」


 逃げる民を捕らえて問いただすと、皆震え上がってあっさり白状した。


「食料は桜舘家の指示であちこちの村に分散して隠したと言っております」

「すぐに探し出して集めろ」


 武者を分けて五つの村へ向かわせ、村人を脅して森の奥や洞穴(ほらあな)に隠したものを持ってこさせ、馬や荷車に積んだ。

 そうして、橋を渡って南国街道まで戻ってくると、既に夕刻だった。米俵や酒樽など重くかさばるものも多く、民に手伝わせたものの、あまり速くは移動できなかったのだ。


「半日のつもりが丸一日かかってしまった。到着は明日の昼頃になりそうだ。急がないと水軍と同時に攻める作戦が駄目になる」


 宗速は不安になったが、近くの宿場へ向かい、たっぷりと食事をとらせて武者を休ませた。


「なにっ、あいつの隊だけそろっていないだと!」


 翌日、まだ暗いうちに武者たちを起こし、前日に用意した握り飯を食べさせて出発しようとしたが、五百を率いる武将の隊だけ現れなかった。呼びに行かせると、武将や配下の武者頭たちが目を覚まさないという。家臣たちは主人の不面目(ふめんもく)をさらさぬように、宗速には知らせずに必死で起こそうとしていたらしい。


「なぜ眠ったままなのだ! 昨晩何かあったのか!」


 怒鳴り付けると、家臣たちは地面に兜をこすり付けて謝った。


「豊津の高名な女郎屋の女将(おかみ)と名乗る者が、美女を引き連れて訪ねて参りまして」


 戦が始まりそうで豊津を逃げ出してきました。今夜の寝床がありません。宿に入れていただけるならお(しゃく)をいたしましょう。女たちに囲まれて懇願(こんがん)され、武将は承知した。苦労して探し出した食べ物と酒を荷車から下ろし、どんちゃん騒ぎをしたそうだ。


「あいつは女にだらしないことで有名だからな。その女どもはどうした」

「それが、朝になったら一人もおりませんで……」

「ばか者! 敵軍師の策だとなぜ気付かぬ! 今すぐたたき起こせ!」


 家臣たちは震え上がり、大声で呼びかけたり頬をひっぱたいたり裸にして冷たい水をぶっかけたりしたが、なかなか目を覚まさない。どうやら酒に眠り薬が入っていたらしい。その武将の隊は宿場に残して出発すると決めた時には、既に日は高く昇っていた。


「急ぐぞ! 荷車を引く小荷駄隊はあとから来い! 武者は先行する!」


 今日中に落城させる予定なのだ。大軍師は成安軍の行動を読んで手を打ってきている。到着が遅れるほど城の守りは固くなっていくだろう。


「豊津城にはほとんど武者がいないはずだ。なんとか落とせるとよいが」


 焦る気持ちを無理に抑えて馬を飛ばしたが、様々な妨害が待ち受けていた。両脇が田んぼの場所では、街道に土の俵が積み上げてあった。大きな穴をいくつも掘ってある箇所もあった。田んぼの水があふれて道がどろどろになったところもあった。どれも馬が通りにくくするためだ。別な場所では牛の群れがのろのろ歩いて街道を塞いでいた。途中にある川の橋は全て踏み板がはずしてあった。馬酔木(あせび)などの草を積み上げて火をつけ、煙を街道に流しているところも五ヶ所に上った。


「なんといやらしい手を。ええい、いらいらする!」


 一つ一つは大したことではなく、取られる時間も長くはない。しかし、数が多かったので、次第に太陽は傾き、とうとう沈んでしまった。宗速は五日目のうちに豊津に着けなかったのだ。その日の昼、海戦が行われたことも知らなかった。

 六日目の昼前、宗速率いる四千の騎馬隊はようやく新豊津城を望むところまで来た。物見の報告では落城した様子はないという。


「水軍は失敗したか。しかし、敵の武者は五、六百程度。死傷者も出たはず。落とせないことはない」


 新しい城は以前の城の数倍の広さがあり、広大な墨浦城を見慣れた宗速にも巨大に見えたが、だからこそ守るのに人数が必要なはずだ。


「大きな城は武者が少ないと守りにくい。多くの箇所(かしょ)から一斉にかかれば守り切れないはずだ。大がかりな攻城器は必要ないだろう」


 武者たちを安心させるように大声で言って、配下の武将たちに指示した。


「城のそばまで行ったら馬から降りる。昨日寝坊したお前はその場に残り、馬を預かれ。一千五百は敵に矢を浴びせろ。他の二千は一斉に城に取り付くぞ。数で圧倒し、敵が防衛態勢を整える前に城内へ入り込むのだ」

「ははっ!」


 四千の騎馬隊は再び動き出した。二列から一千ずつの四列へ、さらに倍の八列へと別れながら城へ接近していく。


「よし、ここで馬を降りろ! 歩いて城へ向かえ!」


 馬に乗ったまま城は攻められない。下馬させるしかない。

 三千五百が(かち)になり、弓や槍や盾を手に部隊ごとに集まり、太鼓を合図に一斉に進み出した。

 新豊津城は中央に大手門があり、その前に水堀にぐるりと囲まれた外郭(そとくるわ)がある。まずは二つある橋のどちらかを渡って外郭を占拠し、大手門へ続く橋へ向かう必要がある。


(おく)するな! 一気に渡れ! 敵は油断しているぞ! かかれ! かかれ!」


 宗速自身は馬に乗ったまま城に近付いていった。(くるわ)をぐるりと囲う城壁と石垣の曲がり角に(やぐら)があり、人の動きが見える。こんなに早く成安軍が攻めてくるとは思っておらず、奇襲に動揺しているようだ。外郭に武者がいる様子はなかった。


「敵の動きはのろいぞ! 大軍師め、小細工を(ろう)することはできても、数がいないことはどうしようもなかったようだな!」


 はっはっは、と笑って勝利を確信した時だった。

 かん、かん、かんと城の中で鐘が大きく鳴り出した。途端に、櫓の窓に多数の武者が現れ、弓を構えた。城の白壁に開いた無数の狭間(はざま)からも矢の先端が突き出した。太陽の光を受けて輝く様は、壁に無数のとげが生えたようだった。


「攻撃開始!」


 五層の天守の最上階で深い緑の胸当てをつけた青年が黒い軍配を前に向けた。鐘が激しく轟き、矢が一斉に放たれた。


「しまった! 待ち伏せていたのか!」


 攻め寄せる者たちの上に矢の雨が降り注いだ。武者たちは事態を悟って慌てて盾で身を守ろうとしたが、次々に浴びせられる矢に倒れる者が続出した。


「あれは大軍師だ。こちらの行動は全て読まれていたのだ」


 槍峰国で足止めされているはずの銀沢信家がまさか城にいるとは。一瞬肝が冷えたが、すぐに宗速は気持ちを取り戻した。


「ひるむな! 敵は少ないぞ!」


 援軍が来たのかと思ったが、飛んでくる矢の数はさほど多くない。城に籠もっている武者はやはり五百程度のようだ。


「盾をかまえて前進しろ! 矢を途切らすな! 数で圧倒しろ!」


 これなら勝てる。大軍師を捕らえることもできるかも知れない。内心ほっとして、武者たちを(あお)った。


「さっさと攻め落とせ! この大戦(おおいくさ)、一番の手柄は我が隊のものだぞ!」


 だが、その声は左手から起こった大きな雄叫びにかき消された。


「敵だ! 騎馬隊だ! 西の森から出てくるぞ!」

「そんなばかな」


 桜舘家の騎馬武者は全て出払っているはずだ。慌ててその方角を見ると、青い鎧の武将を先頭に二千近くが駆けてくる。


「城からも打って出てきます!」


 城の大手門が開き、徒武者の群れが水堀にかかった橋を渡って向かってきた。こちらは桃色の鎧の若い武将が馬に乗って率いている。


「くっ、これは勝ち目がない!」


 完全に不意を突かれた。敵には十分な備えがあったのだ。宗速隊は馬から降りて城の前に広がっている。そこに挟撃だ。騎馬隊に突っ込まれたら蹴散らされるのは目に見えていた。


「ここで無理をしても死傷者が増えるだけか」


 城内と合わせれば敵は四千近い。もはや城を落とすのは不可能だろう。武者たちは唖然とし、(はか)られたと知って戦意を失っている。


「引け! 引け! 馬のところに戻れ! またがったら撤収だ!」


 宗速の決断は素早かった。騎馬隊は高速で移動する。馬上にいると、次の行動をゆっくり考えている時間はない。そういう部隊を長年率いて武名が高いのは伊達(だて)ではないのだ。

 宗速の指示が太鼓で伝えられると、武者たちは一斉にあとずさりを始めた。矢が飛んでくるので背を向けて逃げるわけには行かない。盾で身を守りながら慎重に下がることになる。弓武者は矢で応戦し、下がってくる味方を援護する。そこへ正面と左手から、直冬隊と忠賢隊がぐんぐん迫ってきた。


「敵の到達の方が早いか」


 矢を放つ一千五百に槍と盾を持った二千が合流する直前に、忠賢隊一千八百が弓隊の側面に突撃した。少し遅れて盾隊に直冬隊一千五百が襲いかかった。馬を守っていた五百が昨日の不手際を償うべく騎馬で忠賢隊を攻撃し、敵味方が入り乱れて戦いが始まった。


「とにかく今は引くのだ! 命を大事にせよ!」


 敵の目的は城を守ることだ。このあとに元尊の本隊が来ることを知っているだろう。あまり遠くまで追ってこないはずだ。

 宗速は周囲の武者を率いて直冬隊を迎え撃ち、味方の後退を援護して、なんとか馬のところまで下がると、騎乗させて散開させた。集合地点は小荷駄隊が今頃造っているはずの宿陣地だ。


「まんまとしてやられたか。この借りはすぐに返す!」


 捨て台詞(ぜりふ)を残して、四千の騎馬隊は一目散に南へ逃げ去っていった。

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