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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の五 軍師の決断
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(巻の五) 第三章 密会 上

「これより評定を始めます」


 ()執政の犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)が甲高い声で告げ、小柄な体を一層猫背にして上座に座る持康に頭を下げた。向かい合って居並ぶ全員がそれにならった。

 ()執政の蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)がふくよかな体をゆすって商人のような笑みを浮かべた。


「まず、各担当より報告がございます。お倉方(くらかた)からどうぞ」

「では、今年の米の出来具合と年貢の予想を申し上げます」


 奉行が数字を述べていく。特に豊作でも凶作でもなく平年並みだという。


「続いて、商業方(しょうぎょうかた)より運上金(うんじょうきん)の予定額を申し上げます」


 こちらも春の見込みと大きな違いはない。

 次々に報告が続くが、どれも短くまとめられていた。


「これも定着したな」


 定恭は周囲に聞こえぬようにつぶやいた。

 評定への報告はできる限り簡略にすること。言い出したのは定恭で、二人の執政と左右両軍師が相談して決めたことだ。長いと疲れるし、持康の機嫌が悪くなる。要点をまとめることで分かりやすくなるし、質問や議論もしやすくなる。会議が早く終わる効果があった。


「諸奉行からは以上でございます。それでは、個別の案件の経過などについて報告をお願い致します」


 槍峰国(やりみねのくに)の新たに得た土地の検地や産物の調査、壊れた城の修理と改築、五形へ通じる街道の整備などの現状が述べられた。


「最後に、派遣していた軍勢に関してでございます。渋搗(しぶつき)殿、どうぞ」


 指名され、為続は一礼して口を開いた。


「では、槍峰国(やりみねのくに)の反乱の鎮圧について、ご報告申し上げます」


 友人は平板な口調で淡々と事実を語った。


「采振家の滅亡後に当家に下った外様衆七人が、山の上の砦に立て籠もりました。政所(まんどころ)が行った検地に不満だったようです。隣接する(のこぎり)家領の民五百人がこれに同調し、砦に入りました。旧家の(のこぎり)家は新しく得た領地に家業用の材木を切り出す労役(ろうえき)を課し、作業に出ない家には金銭を払わせていました。交渉して負担を軽くさせようと目論んだようです。私は砦を包囲して降伏せよと呼びかけましたが応じませんでした。そこで、ご指示通り、外様衆の屋敷や反抗した民の村へ行き、建物と田畑を焼き払い、家族を捕らえて連行し、見せしめに(はりつけ)にしました。それでも投降しない者たちがいましたので、山に火を放ち、砦を陥落させました」


 執政たちは驚いたように眉を上げ、頷き合って為続をほめた。


「素晴らしい対応ですな」

「うむ、さすがは渋搗殿だ」


 持康も満足そうだった。

 定恭は友人をじっと見つめたが、為続はいつもと変わらぬ表情で続けた。


「炎上する砦から逃げ出した者のうち、抵抗した者は討ちましたが、降伏した者は捕らえて牢に詰め込んであります。彼等をどう致しますか」


 犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)は持康に進言した。


「捕虜は全員処刑すべきと存じます」

「そうですな。反抗した者を許すことはできませぬ」


 蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)も同調した。


「お待ちください」


 定恭は頭を下げて発言した。


「降伏したのです。殺しては恨みを残します。外様衆は領地を没収、(のこぎり)家の民は労役を二割増しにして解き放ってはどうでしょうか」


 両執政は顔を見合わせた。


「甘いですな」

「許すべきではないでしょう」


 二人は持康に体を向けた。


「反乱を起こすとどうなるか、示す必要がございます」

「財産を失っては生きていけませぬ。殺してやるのが慈悲でございましょう」

「しかし、外様衆には彼等と縁戚の者も少なくありません。反発を招くかも知れません」


 定恭は食い下がった。


「外様衆も民も反抗は無益だと骨身に()みて分かったと思います。牙を抜かれた者を殺す必要はありません。助命して寛大さを見せれば新しい領国の者たちは当家に安心するでしょう」

「外様衆へ配慮せよということか」


 持康は嫌そうな顔をした。定恭は迷ったが、この機会をのがすまいと、考えていたことを口にした。


「槍峰国は当家領になってまだ二年、武家も民も心服しているとはいいがたい状況にあります。旧主や親族を殺した我々によい感情は抱いていないでしょう。大殿の(もと)で生きていくことを受け入れさせるためには、民に恩を施し、外様衆にはこれまでのやり方を許して従来の特権を認める方がよいでしょう。また、意見を述べる場を用意し、その言葉に耳を傾けるべきです。発言を禁じたり評議の場から追い出したりするのは反発を招くだけです」

「それは小薙敏廉殿の件を言っているのですかな」


 犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)は顔をしかめた。


「そうです。外様衆を再び評定に参加させるべきと考えます」

「定恭殿、それは……」


 蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)も余計なことを言い出したという表情だった。


「小薙殿は大殿の勘気(かんき)に触れたのですぞ」

「そろそろお許しになる頃合いでございましょう」


 定恭の言葉に、二人の執政は困惑を(あら)わにした。

 先月から、大殿の御前で行うこの定例評定に外様衆がいなかった。持康が出席を禁じたのだ。原因は小薙敏廉の言動にあった。

 崩丘の合戦のあと、休戦が結ばれて解放された敏廉は、直春の昼食に相伴(しょうばん)した体験を語って敵将をほめ(たた)えた。


「直春公は実に武者を大切になさっていらっしゃいます。配下の諸将も各々(おのおの)の部下と心を通わせ、直春公を中心に団結しておりました。だから桜舘家は強いのですな。当家も見習わなければなりませぬ」


 五形城に帰還後すぐに開かれた評定でも、敏廉はわざわざ発言を求めて同じ言葉を繰り返した。


「葦江国の様子を調べさせましたが、直春公は家臣や武者と垣根なく接して慕われておられます。厳しい訓練を行う一方で、よい働きをした者は食事に招いて酒を振る舞い、もてなされるそうですぞ。武者たちの待遇にも心を配られ、戦場ではよいものを食べさせ、ご自身で皿に盛り付けてやることさえあると聞きました。だから、武将や武者たちは総大将を信じて一生懸命戦うのです。直春公も彼等の働きをしっかりとご覧になっていて、きちんと褒美をお出しになります。当主になられた際大軍師殿が信賞必罰(しんしょうひつばつ)の徹底を進言したそうですが、直春公は以前働きながら諸国を放浪なさっていただけに、使われる者の気持ちがよくお分かりなのでしょうな」


 敏廉は持康を見上げて語気を強めた。


「直春公にお会いしてよく分かりました。桜舘家は大変な強敵ですぞ。当家も皆の心を一つにして全力で立ち向かわなければ、到底勝利は難しいと思われます。新家だ旧家だ外様だと互いに反目し合っていては、いずれ桜舘家に滅ぼされますぞ」


 持康は激怒した。


「わしの前で直春や信家をほめるな! あいつらはわしの仇敵(きゅうてき)だ! 草の中に罠を仕掛けて待ち伏せするような卑怯な連中だぞ!」


 悔しさを思い出したのか身を震わせ、敏廉を指さしてわめいた。


「大体、あの戦に勝てなかったのはお前の隊が捕虜になったせいではないか! わしたちはまだ戦えたのに、お前たちを取り戻すために休戦に応じるしかなかったのだ! 抵抗せずにあっさりと降伏したことを恥じて()びるどころか、敵をほめるとは何事か! そういう相手なら捕まっても当たり前だと自己弁護したいのか! お前も卑怯者だ!」

「そんなことをおっしゃっていては彼等に勝てませぬ。敵のよいところは取り入れて、当家も体制を改めるべきでございます。どうかよくお考えください」

「うるさい! 誰かこいつを放り出せ!」


 敏廉は抵抗したが拘束されて部屋から連れ出され、以後外様衆は評定に出席できなくなった。持康と両執政は敏廉が直春に感化されて寝返ったのではないかと疑い、鳥追(とりおい)城を取り上げて直轄地にしようと言い出したが、定恭は必死で止め、さすがに守篤も反対したので思いとどまった。


「あれからもうじき二ヶ月になります。小薙殿も頭が冷えたことでしょう」


 定恭は持康を怒らせないようにおだやかな口調を心がけた。


「小薙殿は当家のことを思い、勝利のために必要と思うことを述べたのです。忠誠心ゆえの行いです。あまり罰を引き延ばさない方がよいと思います」


 新家の犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)は賛成しかねるという顔だった。


「それでは外様衆に甘すぎるのではないですかな」

「そうですな。いくらなんでも早すぎましょう。彼等には自分たちの立場をよく理解してもらわなければなりませぬ」


 旧家の蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)も反対らしい。箱部(はこべ)守篤が尋ねた。


「大殿はどうお考えですか」

「もちろん、許す気はない」


 持康は断言した。


「もともと外様衆には評定で発言権はなかったはずだ。敏廉は越権行為をしたのだ。そうだな?」

「その通りでございます」

「外様衆は聞いているだけで意見は述べぬのが慣例でございました」


 両執政の答えに、持康はうむと頷いた。


「当家は新家旧家の両翼が支え、当主が双方の仲立ちをするのがならわしだ。外様衆が評定に出ても意味はない。むしろおらぬ方がよいのだ」


 持康は人々の顔を威張った風に見回した。


「この際、永久に出席を禁じるか」

「お待ちください。それはよい結果をもたらしません」


 また結論を先に言いそうになって、定恭は急いで理由を述べた。


「槍峰国を版図に加えたことで、当家の貫高は一百十六万貫になりました。そのうち外様衆の領地は三分の一を占めます。彼等を刺激するのは得策ではありません」


 持康の顔色をうかがって、思い切って続けた。


「むしろ、外様衆をこの評定に正式に参加させ、発言権を与えるべきと存じます」


 両執政が驚きの色を浮かべた。


「それは、新旧両家だけでなく、外様衆も合議に加えろということですかな」

(まつりごと)の決定にあずかるとなると、ただこの場にいればよいわけではありませぬぞ。外様衆の意見を取りまとめて発言する代表が必要になりますな。すなわち……」

「はい。外様衆からも執政を出し、三人にするべきと考えます」


 両執政は呆れ顔になった。


「砂鳥殿、何を口にしているのかお分かりですかな。いくらなんでも飛躍がすぎますな。新家の諸家は納得しませぬぞ」

「そうですな。旧家としても賛同できませぬ」

「しかし、外様衆はやがてそれを要求してくるでしょう。これまで彼等が一段低い扱いに甘んじていたのは、新旧両家に数や力ではるかに及ばなかったからです。反抗しても押さえ付けられ、討伐されて領地を奪われたかも知れません。しかし、今や彼等は大きな勢力になりました。小薙殿のように思うことを発言する者は増えてくるでしょう。それは避けられません」


 槍峰国を攻略したあと、ずっと考えていたことだった。


「ですから、要求が高まる前に、こちらから手を差し伸べるのです。そうすれば、彼等も侵略されて多くの同胞(どうほう)を殺された恨みを忘れ、当家の一員となって共に発展していく道を選ぶでしょう」


 外様衆に不満を吐き出す場を与えるだけではもはや不十分なのだ。本当の意味で増富家に取り込むための策だった。


「新旧両家の上に当主が乗る時代は終わりました。これからは外様衆も合わせた三者で大殿をお支えしていく体制に変わらなくてはなりません。その一環として、今回反乱を起こした者を助命して外様衆に恩を売り、一緒にやっていこうと呼びかけるのです」


 評定の間は静まり返った。人々は顔を見合わせている。定恭は上がった息を整え、回答を待った。

 持康はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「つまり、お前は父上を批判しておるのか」

「はっ?」


 定恭は思わず疑問の言葉を叫びかけて慌てて言い直した。


「決してそういうわけではありません」

「そういうことだろうが! 父上や、おじい様や、代々のご先祖様がなさってきたやり方を変えろということだ。父上は、わしたちは、間違っていたというのか!」

「いえ、時代が変わったと……」

「要するに、当家の伝統を捨てろということではないか!」


 持康は乗り出していた体を引き、肩をそびやかすと、当主らしい口調で両執政に尋ねた。


「今のやり方はよくないのか。外様衆の意見を聞かなければ政はできないのか」


 両執政は頭を下げて返答した。


「今のままで何も不都合はございません。突然外様衆に発言権を与える方が混乱を招くと存じます」

「外様衆の多くは従って日が浅く、当家の抱える事情もこれまでの慣例も分かっておりませぬ。そういう者たちを加えれば政がうまく進まなくなりましょう。まして、執政を三人にするなど、あまりにも起こる問題が多すぎます」


 両執政はちらりと視線をかわすと、さらに言上した。


「むしろ、数が増えた外様衆が当家の支配に逆らったり反乱を起こしたりせぬよう、監視を強め、領地を削るべきと存じます。政に参画(さんかく)させれば思い上がらせてしまい、逆効果になりましょう。今は大殿と新旧両家が力を合わせて領内を安定させ、反抗する者を徹底して抑え込むべきでございます」

「そのためには、新旧両家の力が外様衆を圧倒していなければなりませぬ。また、両家の力は拮抗(きっこう)しているべきでございます。今回反抗した者たちの領地を没収し、両家に均等に与えるのがよろしいと存じます」


 定恭は我慢できずに口を挟んだ。


「お待ちください。外様衆への締め付けを強めれば反発を招きます。蜂ヶ音家や福値家に寝返りかねません。それだけはさせてはなりません。寛大に処遇して大殿に恩を感じるようにするべきです」

「うるさい! お前の意見には両執政が反対しておるのだ! しばらく黙っておれ!」


 持康は怒鳴り付け、人々を見回して、一応という顔でもう一人の軍師の意見を聞いた。


「お前はどう思う」


 ずっと口を閉ざしていた箱部(はこべ)守篤は為続に尋ねた。


「身代金は取れるのですか」


 友人は少し考えた。


「捕虜には身分の高い者が何人かおります。助命すると言えばそれなりに(しぼ)れると思います」


 守篤は持康に顔を向けた。


「外様衆に発言権を与えるのは時期尚早(しょうそう)とわたくしも思います。ですが、捕虜を処刑すれば親族が反発するのは避けられませぬ。ですので、身代金を払う気があるか問い、収めた者は助命しましょう。その上で、領地は没収し、新旧両家に分け与えます。これで危険な外様衆の財力を()ぎ、両家の力を強めることができます」


 持康の視線を受けて、両執政は答えた。


「一理ございますな。外様衆に恩を売りつつ厳しい姿勢を示すことができましょう」

「名案と存じます。身代金を手柄を立てた者や被害を受けた者へ与えれば、新旧両家も納得致しましょう」


 持康は大きく頷いた。


「さすが左軍師だけあるな。よい案だぞ」

「おほめいただき光栄でございます」


 守篤が頭を下げ、目配せすると、持康は気が付いてねぎらいの言葉をかけた。


「為続、ご苦労だった。この武功に対し、褒美をとらす」


 持康はにこやかに言った。


「上質な紙一千枚だ。それでよいのだな?」

「はい。当家の柿渋で染めて渋紙に致します。職人たちが喜ぶことでしょう」

「お前には期待しておる。今後も励めよ」

「ははっ!」


 為続は深々と頭を下げ、姿勢を戻すとちらりと横目で定恭を見た。


「では、次の議題に移ります。これが今日の本題でございます」


 犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)が言い、蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)が続けた。


「茅生国南部の攻略について、今後の方針を決めるため、皆様のご意見をうかがいたい。お考えがおありの方はご発言くだされ」


 両執政はしばらく待ったが、人々は黙り込んでいる。すると、守篤が口を開いた。


「先月の出陣は万全の準備をして(のぞ)みましたが撫菜城を落とせませんでした。再び挑むにしても、どのようにしたら勝てるのでしょうか。わたくしは軍学が苦手ですので、詳しい方のご意見をうかがいたいですな」


 周囲の目が定恭に集まった。先程黙っていろと言われたばかりだが自分が発言しないと始まらないと思い、定恭は一礼して口を開いた。


「次の戦いの前に、まず今回なぜ負けたのかを分析する必要があると存じます」


 人々が息をのんだ。だが、まさか持康が作戦を乱したからだとは言えない。


「私が思いますに、数が足りなかったためでしょう」


 何人かがほっと息を漏らした。


「今回は総勢二万でしたが、もっと多くの武者を動かす必要があります」

「あれ以上をですかな」


 犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)が難しい顔をした。


「はい。できれば敵の三倍、三万は欲しいところです」

「三万ですと!」


 蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)が驚いた。


「当家の武者のほとんどではありませぬか。それは不可能ですぞ」

「その通りです。当家は一百十六万貫、三万四千八百人の武者がいます。ですが、動かせぬ武者も多くいます」

「城や国境(くにざかい)を守らねばなりませぬからな。深奥国(みおくのくに)の九百もあの国から出すことはできませぬ」

「ですので、武者の数を増やす必要があります。そのため、桜舘家とはしばらく戦わず、目を西へ向けます」

「蜂ヶ音家ですかな」


 定恭は頷いた。


「二十四万貫に成長してやや手強(てごわ)くなりましたが、まだ当家の敵ではありません。滅ぼして当家領に組み込み、可能ならば煙野国(けぶりののくに)を丸ごと制圧します。その兵力をもって桜舘家に挑むのです」

「それは二年前、砂鳥殿が先代様に申し上げたことと同じですな」

「はい」


 この場の多くの者が定恭の予見した通りになったことを知っているが、ほら見ろと誇っても憎まれるだけなので口にはしない。


敷身(しきみ)家を滅ぼしたやり方を見ても、儀久は危険な男です。たたいておくべきと存じます。恐ろしい敵をつぶし、領地を広げて武者数を増やし、桜舘家とも戦いやすくなります。一挙三得でございます」


 言って、定恭は平伏した。持康に怒鳴り付けられる覚悟はしていた。父親の判断が誤っていたと指摘したに等しいし、持康の失敗を皆に思い出させたのだから。

 頭を下げて待っていると、やさしい声がした。


「定恭」


 顔を上げると、持康が精一杯にこやかな表情を作っていた。


「お前の言いたいことは分かった。確かに、蜂ヶ音家は危険だ。儀久のやったことはわしも聞いておる。滅ぼすのがさほど困難でないことも分かる」


 よく見ると、持康は怒りを抑えながら微笑もうとしていた。


「だが、父上はおっしゃった。茅生国を当家のものにせよと。息子として、後継ぎとして、真っ先にせねばならぬことはそれなのだ。父の墓と大勢の家臣の前で必ずやり遂げると誓ったことでもある」


 持康は他の者に見えぬようにこぶしを強く握っていた。


「ここで矛先(ほこさき)を蜂ヶ音家に向ければ、桜舘家のような小さな家に勝てないと認めたことになる。たとえ力を付けて挑むためだとしても、当主になった時の宣言を撤回するように見えてしまう。それこそ、外様衆が当家の力を疑い、離反する原因になるかも知れぬ」

「はい」


 定恭はそう答えるしかなかった。


「お前には世話をかけるが、桜舘家を破って南部三家を滅ぼす作戦を、もう一度考えてくれぬか。当主であるわしの力を諸国に示すためにもな」


 急に持康はにやりとした。


「槍峰国を攻めた時、待ち伏せに慌てて逃げ惑う采振軍を蹴散らすのは楽しかったな」


 弱い敵を蹂躙(じゅうりん)するのが好きなのだ。が、急に嫌な顔になった。


「あれも定恭の策だったか」


 そういえばと思い出したらしい。一瞬守篤へ目を向け、気を取り直して言った。


「今度もああいう作戦を頼む」


 また守篤をちらりと見て笑みを浮かべた。


「お前はすぐれた軍師だ。期待しておる」

「かしこまりました」


 定恭は平伏した。


「では、本日の評定はこれまでとする」

「次回は半月後ですぞ」


 両執政がしかつめらしい顔で閉会を告げた。



 その夜、定恭が屋敷の自分の部屋で書見をしていると、為続が訪ねてきた。


「さより、酒と(さかな)を頼む。あと、干しいかを持ってきてくれ」


 友人を案内してきた妻は黙って頭を下げ、(ふすま)を閉めて部屋を出ていった。


「相変わらず無口だな」


 為続が感心した。


「俺の妻もこれくらい物静かだと助かるんだが。こうしろとかあれはするなとか口うるさいし、文句ばっかり言うんだぜ」

「うちのは無愛想なだけだよ。面白味のない女だ。前も言ったが、何が楽しくて生きているのか本当に分からない」


 定恭は手に持っていた書物を少し迷って文机の左側に置いた。右側にも数冊積んである。


「軍学の勉強をしていたのか。お前の場合は趣味だろうが」


 為続は近付いて表紙をのぞき込んだ。


「花の軍師の兵法書(へいほうしょ)だな。学舎(まなびや)で読まされたよ」

「軍学の基本文献だからな。学び始める者は必ず読むことになる。書かれたのは三百年前で、まだ比較的新しい。時代も今と似ていて挙げられた例も分かりやすい」

「お前なら暗記しているんじゃないか。熱心に読みふけっていたようだが」

「箱部殿に頼まれたんだ。大殿にお薦めの兵法書はないかとね。それで初学者向けのものをいくつか検討していた」

「お前が大殿に講義するのか」


 為続は意外そうだった。


「いや、教えるのは箱部殿だ。彼は軍学は得意ではないから、一緒に読んで学んでいく感じだろうな。大殿は俺の話なんか聞きたくないだろう」

「かも知れないな」


 為続は笑ったが、半分はほっとしたらしい。


「で、今の本を薦めるのか。いい本だよな、これ」


 為続は懐かしそうに兵法書を手に取った。


「いや、これは駄目だ」


 定恭の答えに、為続は疑問を顔に浮かべた。


「なぜだ。俺は分かりやすいと思うぞ」

「確かにそうだな。基本的なことが中心だが、押さえるべきことはきちんと書かれている。説明も丁寧で読みやすい。主君の姫君のために書いたらしいが、配慮と愛情を感じるな。だが、箱部殿が求めているのはこういう本ではない」


 定恭は本を受け取って開き、何ヶ所か読み上げた。


「ほら、書かれているのは誰でも頷きそうな当たり前の原理原則ばかりだろう。これを目の前の現実と照らし合わせて自分の戦い方に応用したり、その作戦で本当によいのか検討したりする。つまり、置かれた状況にふさわしい作戦を自分で立てられる人が使う本なんだ。そういう人はここに書かれていることくらいなんとなく分かっているんだが、文字で再確認できることにこの本の価値がある」


 為続はなるほどという顔になった。


「つまり、お前みたいなやつ向けか」

「大殿や箱部殿は自分のやり方を編み出したいんじゃない。簡単に勝てる方法を手軽に知りたいんだ。料理の手順書みたいな、そのまま使えてどこも変える必要がない完成されたやり方を求めている。食材や切り方、焼き方に煮込み方、調味料の種類と分量まで全部書いてあって、忠実に守れば初めて作る人でも失敗しない。自分の作戦の参考にするのではなく、他人の考えをそっくり借用しようというんだな。そういう発想の人にはこういう基本の書物は役に立たないんだ」

「ばかでも試験で満点を取れる方法とか、絶対に女を口説き落とせるやり方とか、そういう(たぐい)か」

「それに近いな」


 為続は考える顔になった。


「箱部殿は兵法に関しては無能ということか。分かっていたことではあるが」

「そうだな。向いてはいないだろう」

「お前に比べたらほとんどのやつは向いてないさ」


 定恭は肯定も否定もしなかった。


「それでも、箱部殿は自分の無能を自覚し、学ぼうとしている。そういう人には可能性がある。おのれの無能さに気付けず、指摘されると怒って否定する者は能力が向上しない」

「どなたのことだ?」


 定恭は苦笑しただけだった。


「もっとひどいのになると、自分より有能な者を憎んで攻撃する。自分が無能だと自覚すれば有能な者に任せることができるんだが、自覚がないと自分の誤ったやり方を押し付けようとする」

「それは迷惑だな。どうして気付けないんだろうな」

「人は信じたいものを信じる生き物だからな。それを分かっていて何を信じるかを意識的に選んでいる人は、見えていないもの、目を背けているものがたくさんあることを分かっている。そのことに無自覚な人は、自分は正しく物を見ていると思い込んでいる」

「相変わらず辛辣(しんらつ)だな」


 為続はにやりとした。定恭もつられそうになったが、気持ちよく笑える気分ではなかった。


「笑い話ですめばいいんだが、実際はそうでないことも多い。自分では上手くやっているつもりで愚かなことをする人というのは本当に困る。本人にやる気と自信があるからやっかいだ。そういう人に限って、反対されると意固地になって、わざと忠告に逆らうことをしたりする」

「実例に心当たりがあるような口ぶりじゃないか」

「歴史を探せばたくさんいる。最近では福値家の兄弟がそうだな。骨山願空にうまく操られて栄えていた家を弱体化させてしまった」


 為続がなるほどと頷いた時、さよりと砂鳥家の武者沖網(おきあみ)広太郎(ひろたろう)(ふすま)を開けて入ってきた。料理の膳と酒と茶の急須を置いて部屋を出ていくまで、さよりは一言も発しなかった。

 定恭は銚子を取り上げて友人の杯にどぶろくを注いだ。為続は火であぶった干しいかの足を口に放り込んだ。


「一本もらうぞ。これがお前と飲む時の楽しみなんだ」


 砂鳥家は海の漁師の網元を束ねる家で、干物を作って売る商売もしている。定恭は干しいかが好きで書見をする時はいつも食べるので、学舎では生臭いとからかわれたものだ。


「福値親森のように自分がならないためには、どうしたらいいんだろうな」


 為続はいかをもぐもぐやりながら尋ねた。


「そばに忠告してくれる存在を置くことだな。主君なら諌臣(かんしん)ってやつだ」


 定恭は即答した。


「賢いとは自分の判断や行動に疑問を投げかけられることだ。実行する前に一度立ち止まって、これは正当か、よりよい方法はないか、考えるのだ。これを自分でできる者は賢者だが、実際にはなかなか難しい。だから、信頼できる批判者をそばに置いて、疑問を投げかけてもらうのがいい。名君には大抵諌臣(かんしん)や軍師がいるのは、他人の指摘を受け入れて自分の浅慮(せんりょ)やあやまちを認め、改めることができる人だったということなんだ。逆に、どんな考えにも賛同し称讃(しょうさん)するばかりの家臣や、自分の利益に合わせて考えを誘導しようとする人に囲まれていると、あやまちに気付けず、自分は賢く正しいと思い込んでばかになってしまう」


 定恭もいかを一切れつまんで奥歯で噛み千切った。


「自分は国主で偉いんだ。他のやつは俺の言うことを聞くのが当たり前だ。そう思っていると、反対したり忠告したりする人が不快に感じられる。それを我慢できない人は多い。だから、よい師について学んでいるはずの地位の高い人物に愚か者が少なくないんだよ」

「確かに、あの方にはそういう面があるな」


 為続は小声でつぶやいた。


「自分は正しいと思っていると、深く考えずにすぐに動こうとするから失敗しやすくなる。家臣たちはもっと慎重に判断してほしいし、できないことは任せてもらいたいだろうが、あなたが手を出すとうまく行かないから黙って見ていてくれとは言えない。だから暗君が国を荒らすのを止めるのは難しいんだよ」


 当主は何でも命令できる。それは言い換えれば、すべきことやしてはいけないことを自分で基準を決めて守らなければならないということだ。持康はしたいことだけして、したくないことはしようとせず、してはいけないことも深く考えない。


「執政のお二人は大殿に甘い。俺は嫌われているし、箱部殿は機嫌を損ねてへそを曲げられぬようにおだてることに熱心だ」

「大殿を叱れる人物は家中にいなくなったな」


 元執政の脇盾(わきだて)能全(のうぜん)数多田(あまただ)馬酔(ばすい)は常康の遺言に従って相談役として残り、事実上四人体制だったが、今年の春始節(しゅんしせつ)に引退した。今後も当主の諮問(しもん)があれば答えるし、新旧両家の重鎮であることは変わりないが、持康は二人をうるさく感じていたらしく、いなくなってせいせいしているようだ。


「敏廉殿はそれを見かねて諫言(かんげん)しようとしたのだ。桜舘家の様子を知ってよほど考えさせられたのだろう」

「だが、直春公をほめたのはまずかったな。恨み重なる相手を見習えなんて言ったら、大殿は怒るに決まっている」

「桜舘家は同盟している南部三家を加えると既に五十万貫を超えている。なのに、大殿はこれだけ負けてもまだ小さい家だと(あなど)っている。だから、作戦を台無しにして自分の都合を優先しても勝てると考える。こちらが現実から目を背けている間に相手はどんどん強くなり、ますます勝利が難しくなっているのに、根拠の薄い優越感を手放そうとしないんだ」


 定恭はつい語気が荒くなった。


「ばかにするとは油断することだ。尊敬している人や好きな人のことはよく考える。嫌いな人や憎んでいる人のこともいろいろ思うだろう。しかし、ばかにしている人のことは気にする必要がないと決め付けて頭から追い出してしまうものだ。相手をよく知らず関心がないから、自分を正しいと信じ込める。きちんと向き合い、受け止め、対処するのを避けたい気持ちの表れなのだ。ばかにされた方は恨むので、敵を増やすことになる」


 先日の合戦がよい例だと定恭は言った。


「賢い人は決してばかにしない。どんな人も、どんな物事も。本当にばかにしてよいのかと自問できる人はばかにはしないものだ。ことわざにあるだろう。『狼は子兎を狩る時でさえ息の根を止めるまで手をゆるめない』と。一騎当千の豪傑だって酔っぱらって寝ていれば子供にさえ殺せる。どんなに弱い相手でも、必死になれば手強(てごわ)くなるのだ。ましてや、名君と大軍師がいて大封主家の大軍を何度も撃退している家だぞ。見くびっていて勝てるはずがない」

「その通りだな」

「大殿は自分を偉くてすぐれた存在と思いたいようだ。周囲を弱い者たちと見下していたいのだ。そのために、俺に桜舘家を打ち破る方法を考えろと言っている。だが、そんな料簡(りょうけん)では勝てないんだ」


 定恭はこぶしの中の(はし)をぎゅっと握った。


「大殿が間違ったことをしようとしても誰も止められない。そこが当家の最大の問題だ。当家の実力ならまともに戦えば桜舘家に負け続けるなんてあり得ないんだ」


 休戦を結んだ時、まだ戦うと主張する持康を説得するのは大変だった。自分のあやまちを認めず、小薙敏廉が悪いと思い込んでいたのだ。それを両執政も箱部守篤も正そうとはしなかった。


「非情な戦狼の世を生き抜くには、十年二十年先を見すえた仕置(しお)きや軍略が必要になる。大殿には厳しいことも申し上げて、すぐれたご当主様になっていただかなくてはならない。馬酔公と能全公にはまだそういう姿勢があったが、今のお二人は保身と目の前の暮らしを守ることで手一杯だ。結局、新家も旧家も自分たちのことしか考えていないんだ」


 茅生国の二家と采振家を攻略したのは増富家の存続のためであり、評価されることをしたはずだと定恭は信じていた。しかし、そのせいで面倒事が増えて仕事が複雑になったと両執政が冗談めかして漏らした時には、自分は余計なことをしたのかと激しい徒労(とろう)感に襲われた。


「一方、直春公と銀沢信家は、天下統一と平和な世の実現を目指しているそうだ。そのために成安家に力を貸し、自らも足の国を平定しようとしている。当家よりはるかに広い視野を持っていることは、領内開発にも見て取れる」

「桜舘家は貫高を増やしたと聞いた。直春公は本気なんだな」

「わざわざ都に使者を送って許可を頂いたらしいぞ。今後の戦に必要と考えたのだろう」


 諸国の貫高は初代の安鎮(あんちん)総武(そうぶ)大狼将(だいろうしょう)高桐(たかぎり)基龍(もとたつ)の時代に決まった。以来五百年、誰も変更しようとしなかった。理由は百貫で武者三人、一万貫で三百人という規定にある。貫高を増やすと武者を増やさなければならないのだ。

 武家の始まりは広大な田畑を持つ大地主や荷を遠くまで運ぶ大商人が武装したことだ。基龍によって国主に任じられた武家は任国(にんごく)の有力者を集め、田畑や山林の所有を公認し、商業や漁業などの特権を保護するかわりに、収入を貫高に換算して武者を雇わせ、統治や軍事に協力させた。


「貫高を変更するなんて、国内の反発は大きかったんじゃないか」

「全て直轄領の収入で、当主直属の武者にしたそうだ。その方がいろいろと融通がきくしな」


 時代が流れ、生産力が格段に上がって人口が増えると、国主たちは兵力の増強を考え、貫高を実際の経済力に合わせようとしたが、武家たちの猛反対にあった。家業に励んで収入を増やしたのに、新たに武者を雇わなくてはならなくなるからだ。俸禄(ほうろく)の金額は基龍が定めた規定があって節約は困難で、勝手に武者の数を減らしたら厳罰に処せられる。ゆえに、貫高で武者数が分かる状態が五百年も続いてきたのだ。


「直春公はけちけちしないところがいい。青峰忠賢には二万貫をいきなり与えたそうだし、家臣たちの禄も戦のたびに増やしている」

「当家ではそうはいかないな」

「新旧両家の均衡(きんこう)を保ち、大きな力を持つ者が出ないようにしているからな。家臣の発言力が強くなりすぎると、また浮寝(うきね)横槍(よこやり)のような事態になりかねないと恐れているのだ」


 新旧両家には貫高の大きな者が少ない。初代宝康(たかやす)が旧家を打ち破って領地を奪い、新家に分配したからだ。別格の大封(たいほう)といわれる数多田(あまただ)馬酔(ばすい)でさえ三万貫で、脇盾(わきだて)能全(のうぜん)は五千貫にすぎない。常康が煙野国(けぶりののくに)への出兵に反対したのは、敷身(しきみ)家八万貫を降伏させても扱いづらいこともあったろう。槍峰国を制圧後、降伏した武家から多くの領地や特権を取り上げたのは、財政の苦しい新旧両家から加増を強く要求されたからでもあった。


「もともと葦江国はこの国とは事情が違う。あそこは商人が大きな力を持っている」


 豊津の商人たちは(かかと)の国や墨浦との取引の荷を町全体で雇った警備隊に任せていた。その警備兵の元締めや有力な商人を桜舘家が家臣にして婚姻を進めてきた。


「直春公はそのあたりをよく分かっていて、商人とうまくやっている。戦いで得た身代金で港を整備し、町を広げ、街道を修復し、境川の水運を活発にした。新しい帆布を開発し、都へ売るものの生産を盛んにした。宇野瀬家に攻められた時も、商人たちの財産を守り、水軍との関係を取り持った。そうやって交易や商売をしやすくし、運上金をしっかり取れるようにして、武者を増やしたのだ」

「そういうことをしてくれる国主は商人にはありがたいな」


 渋搗家と砂鳥家も商売をしているので、直春が支持されるのはよく分かった。


「もちろん、銀沢信家の献策もたくさんあるだろう。萩矢という経世家(けいせいか)も登用している。直春公が基本的な方針を定め、信頼して大きな権限を与えているから、彼等が手腕を発揮できるのだ」

「聞けば聞くほど名君だな」


 為続は悔しげだった。


「俺もそう思う。稀代(きだい)大器(たいき)だ」


 定恭は酔って赤らんだ顔で断言した。


「名君には絶対条件がある。家臣の能力を生かせることだ。歴史上の英雄たちは皆、すぐれた配下を上手に使って大業(たいぎょう)をなした」


 為続は黙って二人の酒を()ぎ足した。


「勢力を大きく成長させる施策や強大な敵を打ち破る奇策には新しい発想が必要だ。そういう発想を思い付ける者を厚遇し、革新的な提案を常識にとらわれずに採用する度量が主君には必要なんだ」


 為続は「お前もその一人だな」という目つきだった。


「では、どういう人間が新しいものを思い付くか。それは変人だ」

「変人?」


 為続は意外そうに聞き返した。


「そうだ。新しい発想とは現実への批判だ。もっとこうだったらいいのに、ああはできないかと、目の前の現実に不満や疑問を持ち、こう変えたいという欲求が具体的な形を持つと、新しい発想が生まれる。常識を疑うともいう」

「なるほど」


 為続は分かったような分からないような顔だった。


「だが、学舎(まなびや)でいい成績を取って(ほこ)り、政所(まんどころ)でそこそこ出世して小金を稼いで自分はうまく人生を生きていると得意になっているような人物に現実が批判できるか。できないよな。親や師範や周囲の人々の言うことを信じ込み、常識にどっぷりつかっている」


 為続は杯を口に運ぶのをやめて目を見張った。


「変人とはそういうものを喜ばないやつのことだ。世間一般の価値観からはみ出し、当たり前のことを当たり前と思わない連中だ。だから意識せずに現実を批判し、常識と違う物の見方ができる」


 定恭は杯の中の揺れる白い酒をにらんでいた。


「俺たちには新旧両家の均衡は常識だろう。だが、他国から来た者には奇妙に映るはずだ。こういう体制の思わぬ利点や問題点を見付けるかも知れない。違う常識で生きている者、自分だけの物の見方を持っている者は、当家の者が疑わないことを疑い、決して頭に浮かばないことを思い付ける」

「よそ者の視点ってことか」

「もちろん、ただ変なだけでは駄目だ。能力が高くなければならない。学舎で上位の成績を余裕で取るくせに言うことなすことが変わっていて、優等生とは違っているようなやつだ。学問ができずに変人なら、ただのおかしなやつにすぎない。常識はずれの発想と広い知識や高い思考力を合わせ持ったやつが何かに熱中してこだわり、必死で頭を(しぼ)ると、すごいものが生まれることがある。その世界の常識を知りながらとらわれない者が革新を起こすんだ。なお、わざと変わったことをしたがるやつは変人じゃない。それは凡人の発想だ。変人とは、本人は当たり前で常識的な振る舞いをしているつもりなのに、まわりには意外で驚くべき行動に見えるやつだ。ありふれた題材で書かせたのに、出来上がった文章が他の誰とも違っていて、本人はその展開や結論がごく自然だと確信しているような人物さ」

「お前はずれたやつだからな」


 いろいろ()に落ちたらしい。


「しかし、そういう連中は付き合いにくい。何を考えているか見当が付かず、予想外のことばかり言ったりしたりするからな。いじめられたり、したいことを邪魔されたりすることも多い。特に、一人ではできない仕事の場合、ふさわしい役目を与えて支援してくれる存在がいないと能力を生かせない。新しいものを生み出すには物心両面の余裕が必要なんだ。資質も考えず、制限を課して課題をやり切れと迫られ続ければ、才能は発揮されず、心をつぶすことになりかねない」


 学舎は「正しい武家」を育てようとし、異端を嫌う。しかし、変わった人物や違う考えの者を認めない集団は硬直し、進歩どころか退化する。そういう環境に順応(じゅんのう)しようとする者たちも、常識という鎖に自ら縛られて視界が狭まり、頭が固くなっていく。


「そういうものかもな。確かに、有能な人物ほどあくが強いかも知れない」

「変人の考えは読めない。人と違うものを思い付けるやつは人と違うことを考えている。何をしてくるか分からない相手と戦うのは大変だ。そういう軍師は強い」

「それはよく分かるよ」


 為続はにやりとし、銚子を手に取った。


「杯が空だぞ」

「もう酒はいい」

「限度になったか」


 定恭は一定量までしか酒を飲まない。体に悪いとか、あまり酔いたくないとか理由はいくつかあるが、充分飲んだと思うとそれ以上は(すす)められても固く断る。酒を好む人々はこれが気に入らないらしく、腹を立てた政所の上役にいじめられたり、宴席に一人だけ呼ばれなかったりといったことも少なくなかったが、定恭は譲らなかった。


「為続は無理に勧めないから一緒に飲んでいて楽しいよ」


 定恭は銚子を受け取り、友人に注いでやった。自分の杯には急須の茶を入れた。


「悪いな。お前の家なのに、いつも俺ばかり飲んで」

「いいさ」


 定恭は微笑んで話を再開した。


「福値隆親は八歳上の兄山親(やまちか)と仲がよかったそうだ。山親(やまちか)は弟の才能を見抜き、変人で有名な彼を信頼して手柄を立てる機会を与え、経験を積ませた。兄がいたから隆親は名将になれたんだ。だが、二人の息子はその逆をして、活躍できなくしてしまった」


 福値家の事件は増富家中でも一時大きな話題になったのだ。


宿木(やどき)資温(すけはる)は城を焼いて親森に激しく叱責(しっせき)された。銀沢信家も豊津城を燃やしたが、よく町と民を守ってくれたとほめられた。そこが愚将と名将の違いだ。信家の才能と働きを認め、あやまちはたしなめつつ励まして成長させ能力を引き出しているのは直春公なのだ」


 定恭は隠密から聞いた情報を話した。


「信家は二百貫だそうだ。崩丘のあとも加増されていない。それだけでいいと自分で言ったらしい。結婚もせず、女がいるという噂もなく、質素で粗食、とても大軍師に見えぬ容貌と着物で、町を歩いても気付かれないと聞く。それでも、信家は幸せなのだと思う。直春公に友と呼ばれ、多くのことを相談され、献策のほとんどが採用され、周囲の人々から尊敬され感謝されているからだ」

「軍師をやっている理由がお前に似ているな」

「そうかもな。自分の作戦を試したい。実力を発揮したい。俺はそれだけだ。信家は直春公への友情もあるだろう」

「旅先で知り合った仲間だったそうだな」

「直春公はたびたび信家に向かって『君を信じている』と口にするらしい。多くの人は、違う考えの者、思いもしないことを言い出す者を、奇妙だ、変だ、気持ち悪いなどと拒絶したり、自分たちの都合のために才能だけを利用しようとしたりするのだがな」


 定恭は手に持った冷めた茶に目を落とした。


「ある時、直春公はおっしゃったそうだ。『俺は以前用心棒をしていたが、その時の親方がすぐれた人だった。その人から、信頼できて自分のことを理解してくれる大将の大切さを学んだ』と。封主家の当主になってもその気持ちを忘れずに武者や家臣に接しているらしい。なかなかできることではない。小薙殿も感銘を受けたらしいが、直春公はとても魅力のあるお人柄らしいな」

「信家がうらやましいのか」

「そうだな。少しだけそう思わないでもない。だが、俺にはお前がいる」

「くさい仲だからな」


 為続はにやりとし、干しいかをつまんだ。


「ともかく、お前が大殿をどう思っているかよく分かったよ」


 為続はいかを口に入れて手のにおいをかいだ。


「しかし、そう決め付けることもないだろう。大殿はまだお若い。経験を積めば名君とまではいかなくても、そう悪くないご当主様になられるかも知れないじゃないか。お前のようなすぐれた軍師が補佐しているしな」


 定恭は首を振った。


「大殿は進言を採用するかどうかを、その時の気分や相手が好きか嫌いかで決める。頑固に一つのことにこだわるかと思うと、判断をあっさり(くつがえ)してそれまでの人々の苦労を無にするようなことをする。甘やかされてきたので、家臣を何でも言うことを聞く道具のように思っているところがあるんだな」


 為続は何か言おうとして口をつぐんだ。


「人を率いるとは他人に長い道を歩かせるのと同じだ。目的地や当面の目標を提示して鼓舞し、進む意欲を引き出さなくてはならない。英雄は皆、周囲の人々や状況に動かされるのではなく、自分の目的のために率先して動き、状況を作って人々を動かすことのできる人物だった」


 歴史とは人々が歩いてきた道のりの記録だ。


「たとえば、直春公は天下統一という目標を掲げ、揺るがぬ心でまっすぐ進んでいる。民の言葉にも真剣に耳を傾け、もっともだと思えば採用するそうだ。だから、家臣たちは生き生きと働いている。その違いが両家の発展速度の差に表れている」


 定恭は溜め息を吐いた。


「信家は作戦を乱されたりしないのだろう。忠言したり新しい考えを述べたりしても、きちんと聞いてもらえるに違いない」


 定恭は事前に崩丘を歩いて下見していた。入念な準備が持康のせいで無駄になったのだ。


「当家の未来は暗いな」


 つい本音をこぼすと、為続が定恭の顔をじっと見つめた。定恭は茶をごくごくと飲み干してもう一杯注ぐと、声をやや落とした。


「だがな、大殿にも同情すべき点はあるんだ。あの方も昔才能を見せたことがあったそうだ」

「ほう」


 為続は興味を引かれたらしい。


「持康様は子供の頃絵が好きで、独創的な絵を()いた。絵に詳しい者にほめられたこともあったらしい。だが、常康様や学問武術の師範たちは持康様の絵を否定し、描くことを禁じた。当家の当主は新旧両家の均衡をとって家を維持していくのが仕事で、奇抜な発想や天才性は必要ないからだ。以後、持康様は父君や師範に細かくこれをやれあれはするなと押し付けられて自分の意見は無視され、すっかり勉強嫌いのわがまま息子になってしまった」

「それは初耳だな」


 為続は驚いていた。


「持康様は不運なお方なのだ。中級の家に生まれていれば、勇気はあるが思慮には欠ける武将として、成功もしないが大きな失敗もせずに生涯を終えていたかも知れない。絵の道に進んで大成していた可能性もある。大封主家の世子に生まれて総大将になってしまったから、無能に見えてしまうのだ」

「そういう見方もあるな」


 為続は態度を保留した。


「とはいえ、他人の意見に耳を塞ぐのは間違っている。小薙殿の諫言(かんげん)も俺の提案も、検討すらせずに感情的に反発して否定されてしまっては、こっちもやる気がなくなるよ」


 持康は菊次郎と敏廉を卑怯だと(ののし)った。あの時、ならば軍師で相手をだまして策にかけようとする自分も卑怯なのかと定恭は自問した。


「卑怯とは、自分の欲望のために人として守るべき大切なものを捨ててしまうことではないかな……」

「どうした? よく聞こえなかったが」

「いや、何でもない」


 為続は少し首を傾げて言った。


「お前の言いたいことも分かるが、執政を三人にするなんて承認されるはずがないだろう。二勢力二人だから均衡がとれて互いの利益を守れるのだ。三勢力になったら、二勢力が賛成すれば反対する勢力があっても通ってしまう。今までとやり方が大きく変わるし、一勢力の影響力は低下する。あまり過激な発言をすると、執政のお二人や家老たちににらまれるぞ」

「すんなり受け入れられるとは(はな)から思っていないさ。だが、誰かが言うべきことだった。大殿に嫌われている俺が適任だろう。銀沢信家に対抗するには俺が必要だから、右軍師をやめさせることはできないしな。一石を投じる意味はあったはずだ」


 為続が(かぶり)を振った。


「嫌われても言うべきことを言うのは立派な態度ではないぞ。嫌われず反発を受けないようにした方が、いろいろうまく行くものだ。お前はそういうところがよくない。結局は許されるだろうと甘えている。処世術(しょせいじゅつ)を知らないのではなく、分かっているのに実行したがらないように感じるな」

「手厳しいな。忠告は参考にさせてもらうよ」


 定恭は礼を言うかわりに友人に酒を注いでやった。


「俺は他人にほめられることを欲していない。自分が自分を認めていればそれでいい。だから、嫌われてもあまりこたえないんだよな」

「女にもか」

「ああ。もてたいと思ったことは一度もないな。他人に好かれてもあまりうれしくない。嫌われるとやりにくくなるのは分かっているんだが」

「そういうの、よくないぞ」


 為続は真顔で言った。


「お前は平気でも、相手は不愉快だぞ。さより殿のこともそうだ。女は夫に愛され、大切にされたいんだ。それをお前は分かっていない」

「大切にしてきたつもりだが」

「さより殿はそう感じていないのではないか」

「どうしたんだ、急に」

「お前の態度が……、いや、何でもない。人の家のことに口を出すのはよくないな」


 為続は酒をあおった。


「とにかくだ。お前はもっと大殿に嫌われぬように振る舞った方がいいということだ」


 定恭はいかをくわえて友人の顔を眺めた。


「お前は大殿に気に入られているからな。領地も多くもらったしな」


 持康の当主としての最初の仕事は采振家攻略戦の論功(ろんこう)行賞(こうしょう)だった。渋搗(しぶつき)家は一千五百貫増えて三千貫になった。砂鳥家も二千貫と倍になったが、為続より増加分が少なかった。


「しかもお側役(そばやく)に抜擢され、今や大殿の護衛で側近の一人だ。霧前原と崩丘で大殿の脱出を助けたまことの忠臣なのだろう? 槍峰国の反乱討伐の大将まで任された」

「俺も驚いている。感謝もしている。大殿をお助けできたのはお前がいたからだが、期待されているなら応えたいものだ」


 あまりうれしそうでなく笑った為続に、定恭は低い声で尋ねた。


「だから民を(はりつけ)にしたのか」


 為続はつまみに伸ばしかけた手を一瞬止めたが、すぐに干しいかを口へ運んだ。


「俺は助言したはずだ。残酷なまねはせず、説得して降伏させろと。砦を攻める時は一方を開けておき、逃げ出した民は追うなと」


 為続は無言でいかを噛み続けていた。


「采振家は戦に負け、降伏した旧臣は領地を削られた。そこに政所の役人がやってきて田畑や産物を調べて回ったら、腹が立つに決まっている。民にしても、新しい労役(ろうえき)が増えて、出られないなら金を払えと言われたんだ。あの辺りは山脈に近い貧しい地域なんだぞ」


 定恭の視線を避けるように友人はうつむいていた。


「家を焼かれれば凍える。田畑を荒らされれば生きる(かて)を得られなくなる。その上、家族を残酷に殺された。そこまでする必要があるのか。反乱はまずいが、当家や(のこぎり)家のやり方にも問題はあった。お前はそんなやつじゃなかったはずだ」

「大殿の命令だったからだ」


 為続は表情を消して答えた。


「俺はあの方の家臣だ。主君の命令を聞くのは家臣として当然だ。しかも大将に任じてくださった。ご指示に背くことはできない」

「砦を焼く必要はなかった。ある程度はこちらも譲歩して折り合うなど、武力で弾圧する以外の方法も取れたはずだ。恨みを残すと問題の解決にならない。外様衆や民と対立が激化するのは誰にも得がないぞ」

「今は戦狼の世だ。彼等は当家の支配に反抗した。その罰を受けるのは仕方ない。俺だってやりたかったわけではないが、大殿と執政のお二人に再び反乱が起こらぬように恐怖を植え付けてこいと言われたんだ」

「磔も命令されたのか。火をかけることも」


 為続は答えなかった。


「ならば、なぜそんなことをした。お前、それでいいのか。あの方々に逆らえない理由でもあるのか……」

「うるさい!」


 為続は大声でさえぎった。


「俺は武家だ。大殿に忠実にお仕えすることで家族と家臣を守り養っている。反抗した者たちへ手心を加えて対応が甘いと思われたら勘気(かんき)をこうむる。下手をすれば家を取りつぶされるかも知れん。そんな危険は(おか)せない。大殿が間違ったことをしようとしても誰も止められないとお前自身が言ったじゃないか。命令があれば、たとえ悪事であってもするしかない」

「相手が民でもか」

「そうだ。大抵の人間はそうだぞ。お前がかばうその民も、村の産物に玉都(ぎょくと)産という札を付ければ高く売れるとそそのかされればそうするだろう。良心は痛むかも知れないが、良心で飯は食えないからな。お前にだって家族がいるから分かるだろう」


 定恭の一人息子の魚太郎(うおたろう)は十歳だ。


「俺はただ、伝統ある渋搗(しぶつき)家の二十五代目として、広大な柿林と柿渋を作る家業を守りたいだけだ。そのためには増富家と新旧両家が揺るがぬ力を持って安定していることが重要だ。だから、当家の作る秩序(ちつじょ)(おびや)かす者たちは見過ごせない。主家と俺の家を守るために、そういう(やから)はこらしめなくてはならないんだ」

「しかし、それでいいのか。お前自身の考えはどこにあるんだ。考えることをやめてしまっては、お前は一人の人間ではなく、大殿にとって便利なただの道具になってしまうぞ」


 定恭は(さと)した。


「民を(いつく)しみ、慕われるのがよい仕置きだ。そういう国が結局は豊かになる。外様衆もあからさまに差別するのはやりすぎだ。内部に敵を作るようなことをせず、発言権を与えて対等な扱いをするべきだ。その方が当家は強くなる」


 為続は首を振った。


「大殿を中心にみんなで盛り立てていくのが理想なのは否定しない。だが、新旧両家の均衡を取り、外様衆は待遇を一段下げるのが当家の伝統で、それでうまく行ってきたんだ。外様衆という共通の敵がいてこそ、対立する新旧両家が協力し合うことができる。大殿や執政のお二人は敢えてああいう方針をお取りになっているのだ」

「新旧両家はそれでよいかも知れないが、外様衆の不満がたまるぞ」

「力で抑え込めばいい。今はそれで問題ない。無理に体制を変える方が混乱を招き、当家の力を下げると俺は思う。先代様やその前のご当主様たちが維持強化されてこられた体制を急にやめることはできない。それが現実なんだ」


 為続は深い息を落とし、吐き出すように告白した。


「俺は外様衆が嫌いだ。よそ者が、新参者がどうしても好きになれない。彼等のために俺たちの力を削り、持っているものを分け与えてやれと言われても頷けない」

「だが、今や外様衆は最大勢力だ。新旧両家は槍峰国にも領地をもらったが、それでも片方だけでは合計貫高で外様衆を下回る。その現実を見ずに旧来のやり方を続けるのは危険であり愚かだ。現実に合わせて体制を改め、(まつりごと)を変えるべきだ」

「単独では勝てないならなおのこと、新旧両家が力を合わせて外様衆を監視しなければならない。まだ家臣になって日が浅い者たちを信用などできない。現実を見ているからこそ、今の体制をしばらくは続ける必要があると言っているのだ」

「しばらくとはいつまでだ」

「当面の間だ」

「具体的に何年かと尋ねている。もしくは、どういう状況になったら体制を変え、外様衆を対等に扱うつもりなのだ」

「そうしてもよくなったらだ」

「そんなことを言っていたら、特権にあぐらをかき、外様衆を見下すことに慣れた者たちは、決して体制を変えようとしないぞ。それでは桜舘家には勝てない。あの家が強いのは当主を中心に団結しているからだ。それが南部三家を味方に引き込んだ魅力になっている。一方、当家は外様衆や新参の者は冷遇される。今当家と桜舘家のどちらに属するか迷う勢力があれば、間違いなく向こうを選ぶぞ。それだけの勢いがあの家にはある。だからこそ俺は、こんな体制は改めなくては当家のためにならないと言っているのだ。初代様が嘆いておられるだろう」


 増富家は古くは商人だった。武家化した時に商売はやめたが商人らしい合理主義の家風で、初代当主の宝康(たかやす)は万羽国の在地勢力の承諾を得ながら(まつりごと)を行うやり方を非効率的とみなした。それが今では、伝統にこだわって改革に反対し足を引っ張り合うようになってしまっている。


「もういい。この話はやめよう」


 為続は横を向いて煙を払うように腕を動かした。


「今の言葉を誰かに聞かれたら渋搗家は取りつぶされかねない。お前も命が惜しければ、もうこの件は話題にするな」

「お前……」


 定恭が口をつぐむと為続は耳の辺りをかきむしった。


「酒がまずくなるからもうやめるが、一言だけ忠告しておく。お前は大した軍師だが、それだけでは当家ではやっていけない。大殿の機嫌を取り、新旧両家の領袖(りょうしゅう)たる執政の方々とうまく関係を作るのも仕事のうちだ。それができないと、いくら功績を立てようとあまり加増はしてもらえないぞ。お前も俺も三十になった。お互い、もう少し大人になった方がいい」

「忠告はありがたく受け取っておくよ。さっき諫言(かんげん)に耳を閉ざしてはならないと自分で言ったばかりだからな。従うかどうかは別だが」


 定恭が銚子を取り上げると、為続は少しためらって杯を差し出した。


「もらおう」


 為続は注がれた白い酒をじっと眺め、一息に飲み干すと、杯を膳の上に置いて立ち上がった。


「今日は帰る」

「そうか」


 定恭は玄関まで送ろうとしたが、為続は断った。


「ここでいいよ。勝手知ったる他人(ひと)の家だ」


 為続はさよりの幼馴染だから子供の時からこの家に出入りしていて、砂鳥家の人々とも親しい。魚を捕る網に柿渋を塗ると丈夫になるので、両家は昔から付き合いが深いのだ。


「最後に一つだけ教えてくれ」


 襖を開いた友人の背中に定恭は問いかけた。


「箱部殿はどうやって大殿の機嫌を取っているんだ。視線で通じ合っているようなんだが、何か知っているか」


 為続は廊下で足を止め、首を振った。


「いや、俺にも分からない」

「そうか」


 定恭はがっかりした。


「大殿が自分を抑えられるようになったのはいいことなんだが気になるんだ。何か気が付いたら教えてくれ」


 為続は頷いた。


「分かった」

「俺は明日から茅生国へ行ってくる。攻略の作戦を立てないといけないが、次の手が浮かばなくてな。撫菜城と三家の城を、もう一度自分の目で見てみようと思う」

「そうか。気を付けてな。ご馳走になった」


 為続は振り返って頭を小さく下げ、玄関の方へ去っていった。

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