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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の五 軍師の決断
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(巻の五) 第一章 崩丘 下

 合戦が終わると、もう昼食の時間だった。直春は全ての軍勢を集合させ、崩丘の北側のふもとに陣を()いた。川のそばに残してきた小荷駄隊も呼び寄せ、負傷者の手当てや死者の埋葬と並行して食事を作らせた。

 菊次郎は桜舘軍の本陣で、できあがったばかりの芋の煮っ転がしを受け取った。いつもの雑炊もある。


「菊次郎君、こっちだ。一緒に食べよう」


 大きな木の下で白い鎧の直春が立って手を挙げていた。田鶴(たづる)もいる。二人も皿を持っていた。まわりには大きな酒樽がたくさん置いてあった。

 直春は馬廻り七百の先頭に立って奮戦したが、もう額の汗をきれいにぬぐって涼やかな様子だ。総大将が疲れ果てていると武者たちも元気が出ないから、いつも身だしなみに気を付けて笑みを絶やさぬように心がけているらしい。子供の頃に父親から教わったことだそうだが、それが当たり前にできてしまうのが直春のすごいところだ。疲れていないはずはないが、全くそうは見えない。


「ここなら日蔭。少しは涼しいよ」


 田鶴はいつもの七分袖の着物姿だった。小猿を膝に乗せて座っている。


「戦、上から見てたよ。勝ててよかったね」

「そっちもご苦労様」


 田鶴は戦いには参加していない。武者十人と隠密五名を連れて山に登り、のろし台へ向かったのだ。菊次郎の予想通り増富家の武者が数名いたので追い払い、戦いに勝ったのを確認するとのろしを上げた。撫菜城に籠もる味方と、豊津城や南部三家の城に伝えるためだ。その後、のろし担当の小荷駄隊を残して山を下りてきた。戦が終わってまだ一刻半ほどなのに驚くべき健脚(けんきゃく)だ。


「腹が空いた。随分動いたからな」


 直春は木の根元に座った。

 封主家の当主なのに、直春はあまり床几(しょうぎ)を使わない。武者たちと同じように地面にあぐらをかくことが多い。話をする時も同じ目線の高さで話す。小さなことだが、家臣たちから親しみを持たれる理由の一つになっている。まだ二十三と若いし愛嬌があるので、年上には息子や弟のように愛され、年下や同輩には尊敬されている。


「僕もぺこぺこです」


 菊次郎は田鶴の隣に腰を下ろした。四人の護衛も直春に頭を下げて菊次郎の後方に座った。いつものことだ。


「いただきます」


 菊次郎が食べ始めようとすると、直春が止めた。


「ちょっと待ってくれ。客人がいる」


 視線の先を見ると、二人の武者に囲まれて立派な鎧の武将が歩いてくる。小薙敏廉だった。

 小薙隊一千は持康隊の包囲を崩したあと、即座に撤退に移った。だが、直春隊に尻に食い付つかれ、さらに二つの分隊と泉代勢に包囲された。それでも何とか振り切って逃げようとしたが、そこへ前方から忠賢の騎馬隊一千五百がやってきた。

 忠賢隊は包囲されかかって北へ逃げたあと、敵の騎馬隊二千と距離を置いてにらみ合っていたが、敵本隊の撤退を知ると、動揺する眼前の相手に急迫して崩すことに成功した。しかし、敵騎馬隊は抵抗を諦めて全力で逃げ出したので、追撃したもののあまり戦果を上げられなかった。そこへ菊次郎の鐘の合図が響き、小薙隊の前に立ちはだかったのだ。

 合わせて四千四百の敵に囲まれて進退窮まった敏廉隊に、忠賢は働くのはここぞと突撃しようとしたが、菊次郎は直春に降伏勧告を進言した。敏廉は抵抗は無駄と悟ってそれに応じた。


「これから昼食をとるところです。大した料理は出せませんが、小薙殿をご招待したい」


 直春が立ち上がって挨拶すると、敏廉は二十年下の敵の大将に丁寧に頭を下げた。


「丁度腹が減っておりましてな。ご相伴(しょうばん)に預かりましょう」


 顔をまっすぐに上げて直春を見た敵将は付け加えた。


「我が武者たちにも食べさせてやっていただきたい」

「もちろんです。準備は既にさせています」


 直春は多くの皿に次々に盛り付けている小荷駄隊の人々を手で示した。どんどん本陣の奥へ運んでいく。そこに捕虜がいるのだ。


「感謝致します」


 もう一度頭を下げて、敏廉は直春の向かいの地面にあぐらをかいた。敏廉は五万貫の鳥追(とりおい)城主で身分が高いため、礼儀として佩刀(はいとう)を持たせたままだった。監視の武者二人がその両脇に一歩下がって立ったが、敏廉は彼等がいないように振る舞った。


「そこへどうぞ」


 直春が空いている床几を(すす)めたが敏廉は断った。


国主(こくしゅ)様が地べたに座っておられるのに、捕虜の私が椅子というわけには参りませぬ」


 直春は再び腰を下ろし、菊次郎たちも座った。敏廉はこの者たちは誰だろうと思ったようだったが尋ねなかった。

 直春が手を合わせて(こうべ)を垂れた。


「大神様、生きて食事をとれることを感謝致します。また、死んでいった者たちに光園(こうえん)で幸福な日々をお与えください」


 全員がそれにならって祈った。


「では、頂こうか」


 菊次郎も(はし)を動かし始めた。早朝に行動を開始してもう昼過ぎだ。さすがに直春も田鶴も無言で雑炊や芋を口に運んだ。


「お殿様も飯か」


 忠賢がやってきた。手に自分の皿を持っている。大盛りにしてもらっていたが、希望者にはそうするように伝えてあるのでずるではない。


「よっこらしょっと」


 忠賢は直春のそばに座った。皿は横に置き、料理に手は付けなかった。直春が自分の竹筒を差し出すと、水を飲んで口をぬぐい、頭にたらした。敏廉は国主から平然と水を受け取ってそうした振る舞いをすることに目を見張っていた。


「ここにいたんですね」


 今度は直冬がやってきた。本綱もいる。その後ろには泉代成明がいた。三人も料理の皿を持っていた。敏廉を見て彼等は顔を見合わせたが、一礼して忠賢の横に座った。


「そろったな」


 忠賢は直春に竹筒を返して口を開いた。


「合戦には勝った。このあとどうするつもりか聞きにきた」

「私もそれをうかがいたい」


 成明も言った。


「皆さん、捕虜がいますよ」


 直冬が慌ててたしなめたが、直春が表情を変えなかったので口をつぐんだ。本綱も同じ目的で来たらしい。連絡して呼び集めたわけではない。軍議が必要だとみんなが思っていたのだ。


「もちろん撫菜城に向かう。救援に来たのだからな」


 直春は武将たちを見回して答えた。


「食事がすんだら行軍を再開する」

「だが、敵はまだ近くにいるぜ」


 忠賢は故意に敏廉を無視しているようだった。


「多少は減ったが、まだ結構な数が残ってる。あれをどうにかしなくちゃならねえだろ。もう一戦するのか」


 直春は尋ねた。


「どれぐらい残っていると思う」


 忠賢は首をひねった。


「敵の騎馬隊はほとんど減ってないな。俺たちとの戦闘で失ったのは、死傷合わせて二百くらいだろう」


 正直な申告だった。直冬は申し訳なさそうに言った。


「僕は五百くらいでしょうか。砂鳥定恭に横撃されて立て直すのに手間取ったので、あまり戦果を拡大できませんでした」


 成明は少し考えた。


「我々は一千近いだろう。直春公や他の者と一緒にだが」


 持康の本隊は脱出に成功したが、一時とは言え包囲されたので、損害は少なくなかったようだ。


「私の隊も一千以上は与えました。交戦中に敵が逃げ出しましたので、武者をけしかけやすかったのです。国主様や泉代公が敵の本隊を打ち破ってくださったおかげですな」


 本綱は(ほこ)るでも遠慮がちでもなく、淡々と自分の働きを報告した。


「敵の損害は三千といったところか。小薙殿の隊を合わせると四千。少なくはないが多くもないな」


 直春は菊次郎に目を向けた。


「大軍師の意見を聞こう」


 諸将が菊次郎に注目した。敏廉は大軍師がこんな細い青年だったことに驚いていた。敏廉とは何度も戦っているが、菊次郎を見たことがなかったらしい。


「増富軍は撤退させましょう。三ヶ月の休戦を申し込みます」


 菊次郎は即座に答えた。合戦の途中から考えていたことだった。


「これ以上戦ってもお互いに何の得もありません。死傷者が増えるだけです。帰ってもらい、こちらも追撃しません。それで豊津に引き上げられます」


 成明が面白そうな顔をした。


「どうやって敵を帰すのですかな」


「師匠、敵はまだ戦うつもりだと思います。城を囲んでいた武者は無傷ですよ」


 直冬は師と仰ぐ菊次郎を信じているが、言わずにいられなかったようだ。忠賢は呆れた様子だった。


「俺たちもまだ戦える。それじゃ戦は終わらないだろ」


 本綱も菊次郎の意図が分からないようだ。


「我が方の損害は幸い軽微ですが、それでも五百ほどが戦えなくなりました。総勢で七千を切るでしょうな。戦闘可能な武者は敵の方がまだ多く、諦めないと思いますぞ」

「いえ、撤退させる方法があります」


 菊次郎が言うと、忠賢はそれまで無視していた敏廉を横目で見た。


「もしかして、こいつか」

「そうです」


 菊次郎は頷いた。


「小薙隊一千とその他の捕虜全てを身代金を取らずに返すかわりに、撤退を承知させます」

「待ってくだされ」


 敏廉は黙っていられなくなった。


「そんな条件を大殿はのみませぬぞ」


 菊次郎は落ち着いていた。


「ですが、この提案を断ることはできません。持康公がまだ戦いたかったとしても、周囲が受け入れるように説得するでしょう」


 直冬は疑念が顔に出ていたが、成明は納得したらしい。


「そうだな。断ることはできないだろう。小薙殿は命の恩人だ。それも全軍の総大将にして封主家当主のだ」


 本綱も同じ考えだった。


「助けるために無理な攻撃をして隙を作り、自分は捕虜になった。それを見捨てたら、配下の武者たちは今後持康公が危機に陥っても救おうとしなくなる」

「そういうことです。敵は承知するしかありません」


 小薙隊を降伏させるよう献策した時に、休戦を申し込みたいと直春には説明してあった。


「身代金は受け取れないが、帯を得た武者には俺からいつも通りの金を払う。それで文句は出ないだろう。菊次郎君の言う通り、ここで再戦すれば双方に大きな損害が出る。目的は撫菜城の救援なのだから、死傷者の出ない方を選ぼう」


 忠賢が鼻を鳴らした。


「もっと戦いたかったぜ。だが、菊次郎とお殿様らしい結論だな」


 反対ではないらしい。直冬はうれしそうだった。


「そういうことなら僕も賛成です」

「戦わずにすむならその方がいいですな」


 本綱は笑みを浮かべ、成明も言った。


「泉代家にも異存はない」


 直春は敏廉に顔を向けた。


「小薙殿、よろしいですね」


 中年の武将は自分の前でかわされた会話に唖然としていたが、深い息を吐き出して頭を下げた。


「大殿はお怒りになるでしょう。ですが、私は捕虜の身です。ご指示に従います」


 自分が交渉の道具にされたと知っても、腹を立てるどころか、むしろほっとした様子に見えた。持康に見捨てられる可能性を考えて、武者たちを案じていたのかも知れない。


「ではすぐに使者を送りましょう」


 菊次郎は用意していた筆と紙を直春に渡した。


「手紙を書いてください。きっと、増富軍はこの使者を待っていると思いますよ」

「そうなんですか」


 直冬は驚いたが、菊次郎は確信していた。


「少なくとも、この合戦の作戦を立てた敵の右軍師はね。彼が口添えしてくれるでしょう」


 武将たちは表情をゆるめた。


「大軍師様が言うんならそうなんだろうな」


 忠賢は尻の草を払って立ち上がった。


「じゃあ、俺はあいつらと食うから行くぜ」


 騎馬隊の武者たちのところへ戻りたいのだ。


「これはもらってく」


 直春のそばにあった酒樽を一つ、片手で軽々と持ち上げた。一緒についてきた武者三人も一つずつ抱えた。


「僕も自分の隊へ帰ります」

「では、私も」


 直冬と本綱も皿を持って直春に一礼し、離れていった。成明も続いた。


「家臣に今の指示を伝えたいので」


 彼等も武者に樽を持たせている。

 諸将が去って菊次郎と直春と田鶴が残された。敏廉はためらっていたが、我慢できなくなったらしく、遠慮がちに尋ねた。


「あの方々はここで食事をされないのですかな」

「自隊の武者たちと一緒に食べるのです。戦場ではそれが習慣でしてね」


 直春が答え、菊次郎が補足した。


「忠賢さんが始めたんです。寝る時も騎馬隊の武者たちと枕を並べます」


 田鶴が困った笑みを浮かべた。


「豊津でも十日に一度くらいしか家で寝ないのよ。武者は喜ぶけど、家の人から帰ってくるように説得してほしいってしょっちゅう言われるの」


 敏廉は目を見張った。今までで一番大きな驚き方だった。


「それを直冬さんがまねして、本綱さんも始めたようです。この二人は寝る時は自分の陣幕のようですが」


 敏廉は直春の表情から本当の話と悟り、はっとして周囲を見回した。彼等を遠巻きに眺めている馬廻りの武者たちが慌てて視線を背けた。


「もしかして、直春公もですかな」

「実はそうなのです。戦のあとはいつも一緒に飯を食べています。よろしいでしょうか」

「私はかまいませんよ」


 敏廉は愉快そうに答えた。


「では、お言葉に甘えましょう」


 直春は武者たちに手招きした。


「小薙殿は気にされないそうだ」


 武者たちは顔を見合わせ、恐る恐る近寄ってきた。


「国主様、大勝利、おめでとうございます」


 馬廻りの中でも上位の武者がまず口を開いた。


「ありがとう。君たちの働きのおかげだ。君は真っ先に敵の本隊に槍を入れていたな」

「ご覧になっておいででしたか」


 もう三十歳にはなっている武者がうれしそうに顔をほころばせた。


「もちろんだ。皿は持っているか」


 差し出された雑炊の(うつわ)に直春は酒を注いだ。武者が頭を下げて下がると、その隣にいた若者に目を移した。


「君は敵の武者を三人倒したな。大した働きだ」

「もったいないお言葉です!」


 二十歳そこそこの若武者は顔を真っ赤にし、注がれた酒を大事そうにすすった。

 次いで進み出たのは顔の半分に布を巻いた壮年の武者だった。血がにじむ右目の辺りに直春は手を近付けた。


「痛むか」

「これくらい、大したことありません」


 明らかに強がりだが、直春は頷いて酒を多めに与えた。


「ゆっくり休んで傷をいやせ。君は死なせるには惜しい男だ」

「ありがとうございます」


 武者は涙ぐんで深々とお辞儀をした。

 その調子で直春は次々に酒を注いでやった。酒が行き渡ると、直春は立ち上がって、そばの地面に酒を垂らした。


「死せる勇者たちにも差し上げよう。君たちのことを、俺たちは決して忘れない」


 馬廻りの武者たちは一斉に両膝と両手を地面につき、酒が染みた地面に頭を下げた。数ヶ所で押し殺した泣き声が聞こえた。仲間を亡くした者たちだろう。


「これを頼む」


 武者数人が酒だるを運んでいった。動けない負傷者に与える分だ。食べ終えたら直春自身も向かうはずだ。


「さあ、食おうか」


 直春は食事を再開したが、その後も次々に武者が寄ってきて遠慮がちに皿を差し出し、酒を受け取っていった。その光景に敏廉は目を細め、何度も大きく頷いていた。


「貫高ではるかに上回る当家が貴家にどうして勝てないのかよく分かりました。なるほど、家によってこうも違うものなのですなあ」


 感心したように言って、敏廉は寂しげな顔をした。

 持康は包囲から脱したあと、丘を登って一目散に逃げていった。自分を救いにきた敏廉の部隊が追撃されて包囲されかかっていたのに見捨てたのだ。敏廉の気持ちを直春や護衛の四人は察したらしいが何も言わなかった。

 敏廉はしばらく直春と武者たちの様子を眺めていたが、菊次郎に声をかけた。


「貴殿が大軍師の銀沢信家殿ですな」

「はい」


 菊次郎が頷くと、敏廉は真剣な表情で尋ねた。


「直春公が天下統一を目指しておられるという噂はまことですかな。戦のない平和な世を願っておられるとか」


 菊次郎は田鶴と顔を見合わせた。


「本当です」

「直春さんは本気だよね」


 二人が答えると、敏廉は身を乗り出した。


虹関(にじぜき)家のご出身で諸国を放浪されたというのもですかな」

「それも本当のことですよ。ねっ、直春さん」


 呼びかけると、桜舘家の当主は体を戻した。


「全て事実です」


 敏廉は直春の顔をじっと眺めて、いくつか質問をした。直春は正直に答えた。菊次郎や田鶴も知っていることを語った。やがて直春が本心から平和な世を望んでいると理解したらしい。


「大変ご立派なお志ですな。お答えいただきありがとうございました」


 敏廉は丁寧に礼を述べて、何か考え込んでいた。

 敏廉が黙り込むと、直春は武者たちとの話を再開した。田鶴は小猿に木の実をやっている。

 菊次郎は芋の煮っ転がしを一つ口に放り込んだ。戦場用に町で食べる時より濃くしてある味が口の中に広がった。厳しい戦を生き抜いた実感が体に染み渡っていく。

 豊津の町に残してきた人々が思い出された。この煮っ転がしを考案した寡婦(かふ)嶋子(しまこ)、妙姫、萩矢(はぎや)頼算(よりかず)などが懐かしかった。だが、それらを押しのけて真っ先に浮かび、心を占拠したのは、三つ年下の姫君の面影だった。

 雪姫様はどうしているだろうか。

 二年前、命からがら狢宿国から帰ってきた夜、雪姫は泣きじゃくりながら言った。

『私はずっと自分だけが不幸だと思っていた。なんて思い上がっていたんだろう』

 あの言葉は菊次郎の胸に突き刺さった。まるで自分を見ているようだった。それ以来、ふとした拍子に雪姫を思い出すようになり、いつの間にか浮かぶのはあの時の泣き顔ではなく、元気な時の笑顔に変わっていた。そうなると、具合が悪くて寝込んでいた頃の青白く弱弱しげな面差しさえ、思い出すと胸を甘く締め付けるようになった。


「いけない。早く食べてしまわないと。することはたくさんあるんですから」


 最近、雪姫を思い出すことがますます増えている。理由は察しがついているが、菊次郎は考えないようにしていた。彼女は桜舘家のお姫様なのだから。

 激しい戦いが終わってほっとしている時くらい、誰かを恋しく思っても許されるだろうか。

 気が付くと、田鶴が菊次郎の横顔をじっと見つめていた。心の中を見抜かれたような気がしてぎくりとした。

 菊次郎は目をぎゅっとつぶって甘い感傷を頭から追い出した。


「直春さん、物見がそろそろ戻ってきます。敵がどこにいるか分かったら、隊列を組み直して移動しましょう。休戦が成立するまで油断はできません。撫菜城にもっと近付いておいた方がいいと思います。可能なら負傷者を城に入れたいですね。戦場の清掃も終わる頃です」

「そうだな。死者を埋葬したら出発しよう。みんなにそう伝えてくれ」

「はい」


 急いで粥をのどに流し込むと、菊次郎は立ち上がって敏廉に一礼し、背を向けて歩き始めた。四人の護衛はもう食べ終えていて、すぐにあとを追ってきた。


「あたしも行く」


 田鶴も小猿を肩に乗せてついてきた。隠密にも敵や撫菜城の様子を探らせている。その報告を聞いて、彼等をねぎらうためだ。

 横に並んだ少女に気付かれぬように、菊次郎はこぶしを強く握った。

 僕はかつて犯した罪を償うために直春さんに仕えることにしたんだ。利静さんの願いも(たく)されている。それを忘れてはいけない。目の前の戦いに集中しよう。

 無理に自分に言い聞かせて気持ちを引き締めると、二十歳になった大軍師の青年は、真夏の戦場を足早に歩いていった。

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