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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の五 軍師の決断
37/66

(巻の五 軍師の決断) 第一章 崩丘 上

『狼達の花宴』 巻の五 吼狼国図

挿絵(By みてみん)

『狼達の花宴』 巻の五 茅生国要図

挿絵(By みてみん)


 降臨暦三八一九年蓮月(はすづき)三日の昼前、銀沢(かなさわ)菊次郎信家(のぶいえ)は緊急の呼び出しを受けて豊津(とよつ)の町から城に戻った。


「のろしが上がった。いよいよ来たぞ」


 桜舘(さくらだて)直春は顔を見るなり言った。


撫菜(なでな)領に増富(ますとみ)家が攻めてきた。大軍だ」


 大広間には青峰(あおみね)忠賢(ただかた)・直冬・蓮山(はすやま)本綱(もとつな)など主だった武将がそろっていた。菊次郎が頷くと、直春は大声で告げた。


「全軍で出陣する。準備を急げ!」

「ははっ!」


 諸将は頭を下げて城門へ向かった。城に登る前にそれぞれの配下に支度を命じていたので、既にほとんどの部隊が大手門前に整列していて、すぐに軍勢は南国街道を北に向かって動き始めた。菊次郎も見送る(たえ)姫や雪姫に馬上で手を振ると、四人の護衛と共に直春のそばを進んでいった。

 桜舘軍は翌日には茅生国(ちふのくに)に入った。裾深(すそみ)街道を東に向かい、三日目の日暮れの少し前に、泉代(いずしろ)領と市射(いちい)領の境にほど近い石叩川(いしたたきがわ)の河原にやってきた。ここは菊次郎が作るように進言した人工の浅瀬で、渡れば撫菜城への行軍が二日も短くなる。ところが、そこにはとっくにその城に着いていると思っていた泉代家の軍勢が宿営していた。

 出迎えた泉代(いずしろ)成明(なりあき)に事情を聞いて直春は考え込んだ。


「待ち伏せか」

「この先で道を塞ぐように布陣しています」


 対岸に増富家の軍勢がいるらしい。数は一万以上で主力と思われる。


裾深(すそみ)街道にも増富軍がいます。数は二千程度ですが、市射(いちい)勢と錦木(にしきぎ)勢が行軍中に奇襲されて損害を受け、足止めされています」


 浅瀬を渡らないなら市射領を通って大回りすることになるが、そちらも封鎖されているという。


「つまり、どっちの道も戦わずに通るのは不可能ってことだな」


 (いくさ)が好きな忠賢はにやりとした。一方、直冬は表情を引き締めた。


「そういうことですね。戦いは避けられそうにありません」


 十六歳になり、背は菊次郎を超えた。声もやや低くなった。顔つきにはまだ幼さが残るが()()しい若武者ぶりだ。


「敵は勝負を挑んでいるようですね」


 軍勢を率いてきたから戦う覚悟はもちろんあるが、こんなに早く敵と出会うとは思っていなかったのだろう。それは菊次郎も同じだった。


「二つの街道を封鎖したのには何かねらいがあると思います。これまでの戦いを分析して対策を立てたようです。恐らく砂鳥(すなどり)定恭(さだゆき)の策です」

「きっとそうだろう」

「間違いないな」


 直春と忠賢もそう考えたようだった。


「川を渡って敵主力と合戦するか。このまま裾深街道を進むか。軍師殿の意見をうかがいたい」


 成明が言い、諸将の目が菊次郎に向いた。


「まずは対岸の敵について詳しく教えてください」


 菊次郎は即答を避けた。成明が手招きすると、そばに控えていた泉代家の武者が進み出て、見てきたことを語った。


「なるほど、崩丘(くずれおか)に陣を張ったのですか」


 増富軍の様子を聞いて、菊次郎は感嘆した。

 この浅瀬周辺は川のそばまで山が迫っているが、向こう岸に一ヵ所だけ低い谷になっている場所がある。菊次郎はそこに細い道を作らせ、撫菜領へ抜けられるようにした。その道がようやく開けた平地に出る場所に増富軍はいるという。


「あの辺りは口がややすぼまった湯のみ茶碗のような形をしています。崩丘はその中ほどへ東から突き出ています。うまい場所を選びましたね」


 東・南・西の三方が山で、東から山の一部が崩れ落ちたように低い丘が平地に飛び出している。崩丘の上に陣取れば、この狭い盆地の中央を押さえることになる。道は丘と西側の山の間を南から北へ通っているが、そこにも軍勢がいるし、丘の頂上の東側にも軍勢がいる。


「敵のねらいは分かりやすいな。細い道から出てきた俺たちを三方から押し包んでたたこうって魂胆だ」


 忠賢が言った。直冬も同じ考えだった。


「これを破るのは大変ですね。僕たちは丘を登って攻撃しなければなりません。増富軍は高い位置から有利に迎撃できます」

「しかも、敵はあの砂鳥定恭です。何かたくらんでいるのではないかと思います」


 成明の懸念を菊次郎は肯定した。


「間違いありません。定恭は策を用意しています。時間は充分ありましたから」


 前回の侵攻から二年が過ぎている。その間に作戦を()り、勝てると確信したから攻めてきたのだろう。

 直春が尋ねた。


「準備を整えて待ちかまえる敵に挑むのは危険が大きい。裾深街道を進んで東側から撫菜城へ向かうのはどうだ」

「それは賛成できません。僕たちがここを渡るのを諦めれば、敵はこの道に少数を残し、撫菜城を力攻めするでしょう。恐らく、僕たちが裾深街道の敵を突破して駆け付けるまでに城は落ちます」


 裾深街道上の敵は二千。増富軍は約二万で出陣してきたと隠密から報告を受けているので、対岸の軍勢と現在撫菜城を包囲している部隊を合わせれば一万八千だ。その数に攻められたら城は持ちこたえられない。守兵二千二百は全滅するかも知れない。


「何で最初からそうしないんだ。敵はあの丘に二日前に着いたんだろ。この道を封鎖してさっさと城を攻めればいいじゃないか」


 忠賢は首をひねった。


「敵は茅生国の南半分を一挙に制圧したいのだと思います」


 菊次郎は説明した。


「力攻めをすれば多数の損害が出ます。しかも、そのあとで封鎖を破って到着した僕たちと戦うことになります。勝てたとしても、確保できるのは撫菜城だけでしょう。南部三家を攻める力は残らないかも知れません。成安(なりやす)家の援軍が来る可能性もあります」


 諸将は真剣に耳を傾けている。


「一方、有利な場所で合戦すれば、より少ない損害で勝利できます。援軍が来ないと分かった撫菜城は降伏するでしょう。そのまま南部三家を攻略できる可能性も高いです。恐らく成安家の援軍は間に合いません」

「増富家も合戦で勝つ方が得ってことか」

「そういうことですね。だから、道を封鎖せず、出てきて戦えと誘っているのです。戦わないなら撫菜城を攻めるぞと」


 直冬が疑問を口にした。


「撫菜城を力攻めする必要はあるのですか。しなくても、二つの道を封鎖していればいずれ落ちるのではないですか」

「撫菜城には二年分の物資があります。かなり長期に渡って籠城し続けられる備えがあることは、定恭にも想像できるでしょう。それに、裾深街道はここほど狭くありません。僕たちをはばむには多くの軍勢が必要で、戦いが長びけば死傷者が増え軍費もかさみます。主力がずっと本国を留守にすれば、福値(ふくあたい)家や成安家が動く可能性もあります」

「なるほど」


 直冬は教えを受ける弟子の顔をしていた。そのために質問したのかも知れない。


「そもそも、僕たちは撫菜領を守るために来ました。それを不可能にして追い返さない限り、増富家があの城を確保することはできません」

「細けえことはどうでもいいんだよ」


 忠賢がさえぎった。


「とにかく、敵は誘ってる。で、こっちはどうすんだ。俺たちの方も、攻めてきた敵をどうにかしないと豊津に帰れないだろ」

「忠賢殿の言う通りです。大切なのはそこですね」


 成明が真顔で同意した。


「直春公、ご判断をうかがいたい。私はそれに従います」


 直春は既に決めていたらしく、仲間たちの顔を見回した。


「撫菜城を落とさせるわけにはいかない。どのみち敵主力との戦いは避けられない。ならば、不利な状況ではあるが、ここで決着をつけるのは悪くない」


 直春は力強く宣言した。


「戦おう」


 諸将は大きく頷いた。


「よし、明日は戦だ! お前等、今夜はよく寝ておけよ!」


 忠賢が振り返って騎馬武者たちに叫んだ。


「大きな戦いになりそうですね」


 直冬は武者震いしている。


「敵はこちらよりかなり多いですが勝たなくてはなりません。頼みましたよ、軍師殿」


 成明が言い、直春は頼もしく笑った。


「大丈夫だ。俺は菊次郎君を信じている。もちろん、成明殿や忠賢殿、直冬殿や本綱、他のみんなのこともな」

「最善を尽くします」


 総大将の判断は下った。全力で実行するだけだ。


「菊次郎君は作戦に集中してくれ。宿陣の準備は俺たちがやろう」

「兄上、僕も手伝います」


 直冬が直春を追っていった。二人は慣れた様子で指示を出している。

 それを見送ると、菊次郎は流れの激しい川の向こうを眺めた。


「敵は準備万端の砂鳥定恭です。どう戦いましょうか」


 既に作業を始めていた小荷駄(こにだ)隊の大鍋から、芋の煮っ転がしのにおいが漂ってきた。それを吸い込んで、菊次郎は寂しい笑みを浮かべた。



 翌六日、桜舘軍と泉代勢は朝食をすませると、浅瀬を渡って北へ向かった。谷間(たにあい)の木を切り草を刈ってかろうじて通した細い道を進むこと一刻あまり、予定の戦場に到着した。

 物見の報告通り、増富軍は崩丘(くずれおか)とその左右に部隊を配置していた。菊次郎は直春たちと谷の出口まで行って自分の目で状況を確認し、作戦を説明した。


「敵は正面の崩丘の上、つまりこの戦場の中央の高地に本陣を置いています。その東側、僕たちから見て右側に二千五百がいます。左側にはこの道を塞ぐように二千五百、最も西には騎馬隊二千がいます。城を囲む敵は四千と聞いていますので、敵の総数は恐らく一万二千か三千、となると丘の上の敵は五千か六千でしょう。こちらは六千二百と泉代公の一千二百、合わせて七千四百です」


 諸将にもその光景は見えている。


「それで、どう攻める」


 直春が尋ねた。仲間たちの期待する様子に菊次郎はやや困った表情を浮かべた。


「谷を出て行けば、正面と東と西から挟撃されます。ですから、それぞれの敵にこちらも部隊を向かわせて挟撃を防ぎつつ、どこか一点を突破して、敵の背後や側面を襲撃するのがよいと思います。ここは東南西の三方が山です。こちらの部隊が北を塞げば敵は退路がなくなります。その危険が発生すれば撤退するしかありません」

「実にまともな作戦ですね」


 成明が評した。直冬は納得したが物足りないという様子だ。


「互いに部隊を横一列に並べてぶつかり合い、敵部隊のどれかを打ち破って背後や側面へ回り、敵全体を撤退に追い込むというのは戦の常道ですね。とても普通だと思います。ちょっと意外ですが」

「多少は細工をします」


 菊次郎は策を説明した。


「なるほど。しかし、そううまく行きますかな」


 蓮山本綱も首をひねった。


「いいじゃねえか。その役、俺に任せろ!」


 忠賢は乗り気だった。


「敵部隊のどれかを突破するんだろ。それは騎馬隊の仕事だよな!」


 菊次郎は頷いた。


「正面の敵は丘の上で、しかも数が多いです。坂を登って攻めていっても勝つのは難しいでしょう。東側の敵は二千五百、他の部隊とやや離れていますが、それを打ち破ることができてもその先は丘が山々へつながる部分です。逃げる敵を追いかけながら坂を登ることになり、敵の本陣にたどり着くまで時間がかかります。一方、西側は平地です。突破すれば敵主力の背後に素早く出られます。道を塞ぐように二千五百、一番西側に騎馬隊二千がいますが、突破がより容易なのは騎馬隊の方でしょう。忠賢さんの騎馬隊は一千五百、やや数で劣りますが、勝てますよね?」

「もちろんだぜ!」


 忠賢は断言した。


「俺が鍛えに鍛えた連中だ。五百くらいの数の差なんて問題にならないぜ。なあ、文尚(ふみひさ)

「そうですね。勝てると思います」


 騎馬隊の副将榊橋(さかきばし)文尚(ふみひさ)は控えめに、しかし自信を持って答えた。


「よし、それで行こう」


 直春が断を下した。


「忠賢殿が最も左の敵を突破する。次いで道の上の敵部隊の側面を襲い、潰走(かいそう)させる。それまで他の部隊は挟撃されぬように敵を押しとどめ、下がらずに持ちこたえる。忠賢殿が背後に回って敵が動揺したら、全面攻勢に出て逃げる敵を追撃する」


 諸将は大きく頷いた。


「どうやら勝てそうですね」


 直冬がほっとした顔になった。成明も顔がほころんでいる。


「非常に堅実です。実現可能性も高いですね」

「それぞれの役割がはっきりしていて、武者たちに説明しやすいですな」


 本綱も不満はないようだ。


「では配置を決めよう。菊次郎君、指示してくれ」


 直春が言った。


「はい」


 菊次郎は敵を一つ一つ指さしてそれと戦う武将を告げた。


「東側は直冬様に二千で守ってもらいます。西側の道の上は本綱さんに同じく二千で、最左翼は忠賢さんと文尚さんの騎馬隊一千五百ですね。中央は成明公の一千二百と直春さんの馬廻(うままわ)り七百で守ります」

「指示が全軍に伝わったら鐘の音を合図に行動を開始する。谷を出たら素早く部隊を整列させよ」

「ははっ!」


 諸将は総大将に頭を下げて自隊へ戻っていった。


「よっしゃ、一番の手柄を立ててやるぜ。見てろよ!」

「この戦の勝敗は我が隊にかかっていますな」


 勇んで馬にまたがった忠賢と文尚に、菊次郎は歩み寄った。


「何だ?」


 二人が振り返った。


「もし負けそうになったら敵の背後に逃げてください」

「どういうことだ?」


 俺たちが負けるってことか、と言いたげな不愉快そうな口調だったが、菊次郎はひるまなかった。


「もし忠賢さんたちが突破できなかったら、僕たちは数にまさる敵に包囲されて動けなくなります。退路はこの細い道だけで、直春さんは何とか逃がしますが、多くの武者が討たれるでしょう。その時、騎馬隊が背後にいれば包囲する敵は動きづらくなります。多くの味方が助かるかも知れません。そのあとは撫菜城へ行ってください」


 騎馬隊の将二人は顔を見合わせたが頷いた。


「分かったぜ。もしもの時はそうしよう。そんなことにはならないがな」


 忠賢は笑って言った。文尚はもう少しまじめな顔で答えた。


「承知しました。その場合は敵の背後を(おびや)かすように動きます」


 二人が去っていくと、直春が尋ねた。


「忠賢殿が負けると思うのか」

「余計な心配だといいのですが、敵はあの砂鳥定恭ですから」


 菊次郎は直春にだけ不安な本心を漏らした。


「直春さんは本陣にいてください。定恭はきっと直春さんをねらってきます。南部三家との同盟が強固なのは直春さんが当主だからです。定恭はそれを知っています。先頭に立って戦うのが直春さんのやり方なのは分かっていますが、ここは我慢してください」


 もし直春を失ったら桜舘家は終わりだ。


「丘の上の敵はこちらの倍以上です。攻め込んでも負けるので、しばらく攻撃はしません。直冬さんや本綱さんの側面をつかれないように牽制するにとどめます。忠賢さんがうまくやってくれたら追撃戦になります。その時直春さんに活躍してもらいます」

「分かった。君の指示に従おう」


 直春は頷いて、ふっと笑った。


「そんなに不安そうな顔をするな。前にも言ったろう。君は一人で戦っているわけではないんだ」

「分かっています。だからこそ、みんなのことが心配なんです」


 直春にだけ聞こえる声で言うと、菊次郎は胸を張り直し、明るい表情を作ろうとした。自信に満ちあふれた様子とはとても言えないが、堂々としているのも軍師のつとめだ。命をかけて戦う武者たちを不安がらせるわけにはいかない。


「菊次郎君も大軍師らしい顔つきになってきたな」


 直春はほめた。


利静(としきよ)さんが教えてくれたことです。僕は守られる立場なのだと。守られるに値する働きと振る舞いをしなくてはいけないのです」


 すると、そばに控えていた楡本(にれもと)友茂(ともしげ)が言った。


「菊次郎様は俺たちがお守りします」


 護衛の他の三人は黙っていたが、表情で同じことを思っているのは分かった。


「ありがとう。だから僕は考えることに集中できるのです」


 微笑みを返して、菊次郎は目の前に盛り上がった小さな丘を見上げた。

 砂鳥定恭もこんな気持ちを感じているのだろうか。

 互いに多くの武者の生死を左右する重い責任を負っている。これから戦う敵の軍師に、菊次郎は不思議な共感を覚えていた。



「大殿、敵が出てきましたぞ。やはり戦うつもりですな」


 新家(しんけ)の執政犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)がうれしげな声を上げた。旧家(きゅうけ)の執政蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)も負けじと声を張り上げた。


「不利を悟って浅瀬を渡らないかと思いましたが、大殿の望まれた通りになりましたぞ」

「そのようだな。はっはっは、つまり、敵は我が罠にはまったのだ。この戦、勝ったぞ!」


 大殿と呼ばれた増富持康(もちやす)は上機嫌だった。


「これぞまさに狼の口に飛び込む子鼠(こねずみ)よ。徹底的に打ち破り、桜舘の若造を茅生国から追い出してくれるわ!」


 直春を若造と(ののし)ったが、持康も同じ二十三歳だ。


「撫菜城は絶対に手に入れるぞ。父上の願いを果たさねばならぬ」


 先代常康(つねやす)一昨年(おととし)亡くなった。持康は唯一の嫡子(ちゃくし)だったのであとを継いだ。その地位を確かなものにし、当主にふさわしい実力があると証明するために、父ができなかった茅生国の征服を()()げなくてはならない。


「さあ、攻めてこい。蹴散らしてくれるわ」


 持康は見晴らしのよい場所に置いた本陣で床几(しょうぎ)から立ち上がって腰の刀を抜き、大げさな身振りで眼下の敵に向けた。


「各隊、迎撃準備!」

「ははっ!」


 そばに並ぶ執政や家老が一斉に頭を下げ、陣太鼓が激しく叩かれた。丘のふもとの部隊にも敵が出てきたのは見えているだろうが、警告は無駄にならないだろう。


「砂鳥殿の読み通りになりましたね。敵は合戦を選択しました」


 持康から十歩ほど離れた場所で敵の動きを観察していた定恭に、もう一人の軍師が話しかけてきた。


「分かっていたことです。撫菜城を落とされたくなければ、桜舘家は戦うしかなかったのですから。直春公と銀沢信家はまともな判断力を持っていたということです」


 定恭の返事に箱部(はこべ)守篤(もりあつ)は困惑した顔をした。隣にいた渋搗(しぶつき)為続(ためつぐ)がおかしそうに言った。


「お前が戦いに引きずり出したんだろう。作戦がうまく運んでいるんだからもっと喜べよ」


 同い年の友人は当主となった持康の護衛役をしている。側近に取り立てられたのだ。

 定恭は首を振った。


「喜ぶのはまだ早い。問題はこの先だ。どんな陣形と作戦なのか、もうすぐ分かる」

「それも貴殿の予想通りのようですよ。さすがですな」


 箱部(はこべ)守篤(もりあつ)()軍師の称号を持つが軍略は苦手だ。主な仕事は総大将持康の機嫌を管理し、対立する新旧両家の諸将をなだめて軍議を円滑に運営することだ。作戦は全て定恭が考えている。食料と物資の調達や運搬も、お米役の担当からはずれたわけではないので定恭がやっている。つまり、この増富家の遠征軍を事実上動かしているのは()軍師の定恭だった。

 激務だが軍学好きの定恭にはさほど苦ではない。作戦の立案もお米役の仕事も、武家の能力とは武術の腕前のことだと思い込んでいるような人物に担当されるよりは自分がやった方がよほどましだと思っている。守篤は軍才の無さを自覚しているので大抵のことは定恭の意見を支持してくれる。

 そういうわけで、充分な権限を与えられてやりがいのある仕事をしているのだが、それを素直に喜べないところに定恭の立場の微妙さがあった。


「敵は四つに分かれましたぞ。こちらの四隊にそれそれ一隊を向けてくるようですな」


 犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)が見えていることをわざわざ報告する。蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)も対抗して総大将に告げた。


「まさにこちらの思う壺ですな。全て予定通りに進んでおります。さすがは()軍師殿の作戦ですな」


 家老が同じ旧家の定恭をほめると持康は不愉快そうに眉を寄せた。汎満(ひろみつ)は慌てて付け加えた。


「こ、これで我が方の勝利がますます近付きましたぞ。さすがは大殿、こうなると予想されて作戦をご許可なさったのですな」


 持康は頷いて余裕の表情に戻った。


「そうだな。定恭の策はよく当たる。さすがは我が増富家が誇る名軍師だ。敵の自称大軍師よりよほど頭が切れるな」

「ありがとうございます」


 敵軍師にいまだに勝てないことに対する皮肉も混じっていたが、定恭は大人しく頭を下げた。執政たちはほっとしている。

 持康は守篤と視線を合わせてにやりとした。守篤はほめるような表情だった。

 二人は時々こういう目での会話をする。彼等だけが分かる何かがあるらしい。それでうまく行っているのだから文句はないが、内容に興味はある。

 為続は知っているのかと横目で見ると、次々に出てきて隊列を組んでいく敵をじっと眺めていた。

 と、守篤が見られていることに気付いて振り返ったので、定恭は持康に聞こえぬようにささやいた。


「随分大人になられましたな」


 守篤はまじめな顔で同意した。


「近頃は一層、大封主家当主の風格が身に付いてきていらっしゃいます」


 それはどうかなと思ったが、軽く頷いておいた。

 持康は定恭を嫌っている。それは変わらないが、隠そうとするようになったのは進歩だ。戦狼(せんろう)()に当主の役目を果たせるのか以前は心配だったが、持康も努力しているのだ。

 為続が言った。


「家督を継がれてから、家臣の能力を生かそうと心がけていらっしゃるようだ」


 耳はこちらの話に向けていたらしい。


「若殿と呼ばれておいでだった頃より、お前の意見を聞き入れてくださるようになったじゃないか」

「まあ、そうだな。やりやすくなったのは間違いない」


 定恭は認めた。


「当家にとってよいことだと俺も思う」

「この合戦に勝利すれば大殿のご機嫌はもっとよくなります。敵の動きを見ると、それも難しいことではなさそうですな」


 守篤は持ち上げるようなことを言ったが、定恭は首を振った。


「相手はあの銀沢信家です。どんな策を隠しているか分かりません。このまま何事もなく予定通りに全てが進んだら、かえって驚きますよ」

「それは謙遜(けんそん)しすぎですぞ」

「随分心配するんだな」


 守篤と為続の声には呆れが含まれていたが、定恭は卑下(ひげ)したつもりはなかった。軍略に()けた定恭だからこそ、敵軍師の恐ろしさを他の武将たちよりずっとよく分かっていたのだ。


狢宿国(むじなやどのくに)で大損害を受けた桜舘家が当家に滅ぼされるどころかわずかな土地さえ奪われていません。それがあの軍師のすごさの何よりの証拠です」


 しかも増富家には自分のような軍師がいるのに。そう心の中で付け加えて、定恭は自嘲(じちょう)の笑みを浮かべた。

 二年前の萩月(はぎづき)采振(ざいふり)家を滅ぼした増富家は、武者を休ませつつ、新たに領地に加わった槍峰国(やりみねのくに)の三十一万貫の戦後処理を行っていた。そこへ、狢河原(むじながわら)でとうとう成安家と宇野瀬(うのせ)家が激突したという報告がもたらされた。

 百万貫を超える巨大封主(ほうしゅ)家同士の大合戦は宇野瀬家の勝利に終わった。成安家の死傷者は万を超えそうだと聞いて、増富常康は世子(せいし)持康や二人の執政と対応を協議した。そして、夜、犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)、砂鳥定恭と箱部守篤の四人を呼んで、持康を大将とする大軍を茅生国へ派遣し、撫菜領と南部三家を攻略すると伝えた。

 成安家は当分他国に援軍を送る余裕がない。桜舘家も大打撃をこうむった。またとない好機と当主親子と執政たちは考えたのだ。

 しかし、定恭はこれに反対した。


「攻めるべきは(はち)()()儀久(のりひさ)です。煙野国(けぶりののくに)へ侵攻し、一気に滅ぼしましょう。今なら桜舘家に背後をつかれる心配はありません」


 煙野国(けぶりののくに)毒蜂(どくばち)と呼ばれる儀久(のりひさ)は、増富家と同盟して采振家を滅ぼし、その領地の一部を併合して十六万貫に成長していた。さらに、采振家の配下だった武将に戦をしかけている。


「今なら儀久に追い詰められている敷身(しきみ)蔭任(かげとう)と協力してあの狡猾(こうかつ)な男を討ち、麻緑(あさみどり)城を落とすことができます。敷身(しきみ)家八万貫は当家に下るでしょう。それで煙野国の東半国が手に入ります」

「なぜ今そちらを急ぐのだ」


 ()執政の脇盾(わきだて)能全(のうぜん)は反対されたことに驚いていた。


「さよう。蜂ヶ音家などいつでも滅ぼせましょう」


 ()執政の数多田(あまただ)馬酔(ばすい)も困惑した様子だった。

 持康の言葉はもっと直接的だった。


「そんなに桜舘家が怖いのか。銀沢信家に勝てる自信がないのだろう」


 定恭は否定しなかった。信家の存在も理由の一つだったからだ。


「当家がこの機に茅生国へ攻め込むことは誰でも予想できます。当然、桜舘家と銀沢信家は守りを固め、何らかの手を打ってくるはずです。勝てないとは申しませんが、思わぬ苦戦をするかも知れません。一方、蜂ヶ音家は現在敷身家と戦の最中です。その背後をつけば、当家より百万貫も少ない家など簡単に滅ぼせます。茅生国の南半分は合計十六万貫ですが、煙野国を攻めれば、さほどの苦労なく二十四万貫を併合でき、都への道が開けるのです。儀久は何をするか分からず危険です。早めに討っておくべきと考えます」


 持康はいらだった。


「だが、蜂ヶ音家とは同盟中だぞ。それを破って攻め込むのか!」


 定恭は落ち着いていた。


「あの男が成安家や福値(ふくあたい)家と密かに交渉し、共同で当家を攻める計画を進めていても私は驚きません」

「桜舘家は武者の多くが傷付き元気をなくしている。霧前原(きりまえはら)の恨みを晴らすのは今ではないのか」

「大敗の知らせが(かかと)の国からこの五形(いつかた)城に届くまでに三日が過ぎています。既に豊津城から援軍が出発している可能性があります。茅生国の敵は想像するより数が多いと考えるべきです」

「桜舘家がもっと強くなったらどうするのだ。弱っている今たたくべきだ」

「桜舘家が領地を増やすには当家か宇野瀬家と戦って勝つしかありません。煙野国東半国を得れば当家は一百四十万貫、桜舘家など敵ではなくなります。一方、蜂ヶ音家は周辺に大きな家がなく、今後勢力を拡大する可能性があります。強大化する前に討つべきです。これは言い換えますと、蜂ヶ音家を滅ぼせば、当家がその地域を併合可能になるということです。これまでは采振家がいたため南へ進むしかありませんでしたが、今後は西へ勢力を拡大できます。蜂ヶ音家と同盟を結んでいる限り、当家は桜舘家とその背後の成安家を相手にし続けなくてはなりません」 

「当家はこれまで何度も茅生国を攻めてきた。それが従来の方針だ。なぜ西にこだわるのだ」

「成安家の連署(れんしょ)氷茨(ひいばら)元尊(もとたか)は天下統一を目指し、都へ上ることを考えているそうです。南国街道上に位置する当家は必ず攻められます。桜舘家が茅生国へ手を伸ばすのもその手伝いという面があります。元尊に愚かな野望を諦めさせるためにも、当家は強大になる必要があるのです。大殿が采振家攻略をご決断なさったのもそのためなのですよ」


 持康が黙り込むと、執政二人は顔を見合わせ、当主の判断に従う意思を示した。常康はしばらく考えて言った。


「砂鳥殿の言葉にも一理ある。確かに勝利はたやすく、手に入るものは大きい。だが、強敵の桜舘家を弱らせる機会は今しかない。蜂ヶ音家はそのあとでも攻められる。たとえ敷身家を滅ぼして二十四万貫となろうと、成安家のような強大な後ろ盾があるわけではなく、当家を(おびや)かす存在にはならぬ。よって、より危険度の高い桜舘家を攻める」


 定恭はやむなく承知した。


「では、可能な限り早く出陣致しましょう。桜舘家に体勢を立て直す余裕を与えてはなりません」


 常康は頷き、その夜のうちに武者たちに命令を伝えさせ、翌朝早く一万七千の大軍を送り出した。

 定恭は速度を優先して整備された南国街道を行軍路に選び、翌十七日には開飯(あくめし)領に入った。城で小休止して夕食をとらせると、日が暮れてから軍勢を進め、深夜に綿香橋(わたかばし)に接近した。

 持康が命令を下すと、合図のたいまつが輪を描いて振り回され、闇にまぎれて白鷺川(しらさぎがわ)を泳いで渡らせた三百と橋を進んだ部隊が、橋のたもとの砦に同時に攻撃をかけた。

 不意をつかれた砦は大混乱になった。対岸からも分かるほどの大騒ぎの末、守備の武者たちは逃げ出した。襲撃隊は砦を占拠し、橋の踏板がはずされなかったことに安堵して本隊を呼ぼうとした。

 ところが、突然周囲から大きな(とき)の声が起こった。なんと、砦のそばに二千近い武者がひそんでいたのだ。しかも、河原からこっそり近付いた者が橋に火を放ち、裏に油を塗ってあった踏板は次々に川に落下した。退路を失った五百の武者は完全に包囲されて降伏せざるを得なかった。

 広がる火に追われて橋を逃げ戻ってきた武者たちの話を聞いて、定恭は敵に備えがあったと知り、しまったと思ったがもう遅かった。翌日、北の鳥追(とりおい)城から南下する道にある鵜食橋(うぐいばし)も燃やされたと報告が入り、渡河の手段を失った増富軍は周辺の漁民から船をかき集めるのに丸一日を費やした。 


 十九日、一斉に多くの場所で渡河するという強攻策で大河を越えると、増富軍は撫菜城へ向かった。警戒しつつ前進したが、途中抵抗はなく、あっさりと城を包囲できた。定恭は桜舘軍の到着前に城を落とすべきだと説得し、損害が増えるからと渋る持康や家老たちに力攻めを承知させた。

 翌朝から、増富軍は城を猛攻した。援軍が来た様子はないのに城兵の士気は高く、激しく応戦した。翌日も休みなく攻め立てたが、抵抗は頑強で(くるわ)一つすら落とせなかった。

 そして、その夜、襲撃を受けた。武者たちが寝静まった頃、突然間近で「桜の御旗(みはた)に栄光あれ!」という叫び声が起こり、一千ほどの敵が斬り込んできたのだ。率いているのは白い鎧の直春だった。しかも、反対側から青い鎧の武将を先頭に騎馬隊が突っ込んできた。南部三家の旗印の部隊もいた。同時に城門が開き、守備隊が息を合わせて討って出た。城内では激しく鐘が打ち鳴らされ、矢の雨が降ってきた。四方からの攻撃に、増富軍は散々かき回され、大混乱に陥った。

 やがて城で別な鐘が鳴り響き、敵は素早く引き上げた。増富軍は一千を超す死傷者を出し、その多くが逃げ惑う味方に踏ん付けられたり、闇の中で同士討ちになったりした者たちだった。


「夜中にこそこそと! 封主家当主のやることか!」


 持康は地団太(じだんだ)踏んで悔しがったが、総大将が慌てふためいて甲冑も着ずに陣内を走り回り、馬廻りたちが混乱したことも、騒ぎの収拾を難しくした理由の一つだった。

 定恭とて夜襲の可能性を考えなかったわけではない。だが、急行軍と二日に渡る激しい力攻めに武者の多くが疲れていた。そこを見事につかれたのだ。逃げた敵の行方を探させたが、ここは桜舘家の領内だ。直春の統治は領民に評判がよく、侵略者に進んで協力する者はいなかった。逆に増富軍の行動は敵にすぐに伝わるようだった。


「銀沢信家が来ている。恐らくは城内にいる」


 橋の砦で策にかかった時から疑っていたが、夜襲の手際のよさから確信した。

 橋の砦の戦いで、桜舘軍は撫菜城の守備兵二千二百の大部分を投入した。増富軍が南国街道から来ることを予想していないと城を空にする勇気は出ないはずだ。また、撫菜城がなかなか落ちない理由の一つは、城をめぐる堀の水に毒が入っているせいだった。飲んだら命にかかわるし、肌に付くだけでも武者たちは非常に嫌がったので、士気が上がらなかったのだ。


「武者たちがあの鐘に怯えています」


 その後も直春や忠賢は奇襲や夜襲を繰り返し、陣をかき乱すとさっと引き上げた。そのたびに城内で鐘が鳴った。鐘だけで襲撃が行われないことも多かったが、増富軍の武者たちは夜中だろうと飛び起きて守りを固めた。持康は軍勢の半分を城の包囲からはずして背後を警戒させようとしたが、定恭は反対し、総攻撃をかけるように進言した。


「城を落とせば戦は終わります。襲撃の様子から桜舘軍が少数であることは分かっています。直春公の部隊が約一千。騎馬隊は六百程度です。やはり狢宿国で受けた痛手は大きいのです。苦しいのは敵も一緒です。攻撃の手をゆるめてはなりません」


 しかし、持康は許可せず、警戒と力攻めを半数ずつにした結果、城の陥落は遠のいた。

 その二日後、物見が桜舘軍の陣地を発見した。夜襲を終えて引き上げていく敵を尾行したのだ。敵約八百と騎馬隊が城からやや離れた狭い谷の奥で宿営しているという。当主直春の姿もあったと聞いて、持康は奇襲しようと考えた。包囲して殲滅できれば城は孤立する。散々もてあそばれた仕返しをしてやろうと息巻く総大将を、定恭は止めた。


「罠かも知れません。城さえ落ちれば戦いは終わります。力を入れるべきは攻城です」

「うるさい! これは好機なのだ。やられっぱなしは我慢ならん!」


 持康は自ら五千を率いると決めた。


「奇襲には数が多すぎます。総大将が出陣するのも危険です。若殿は本陣に残り、誰か他の武将を派遣なさるべきです」


 定恭は(いさ)めたが無視された。

 その夜、持康の奇襲部隊は密かに谷へ入り、一斉に敵陣へ踏み込んだ。


「もぬけの(から)だと?」


 飯炊きの道具や(たきぎ)が散乱しているので、この場所が見付かったと気付いて慌てて逃げ出したようですと武者は報告した。持康は悔しがったが、引き揚げようとした。その時、周囲の山に一斉に明かりがともった。


「敵の総大将は大軍師の罠にかかったぞ! 侵略者どもをこらしめてやれ!」


 直春の声が響き、無数の矢が降ってきた。火矢も多くまじっていて、薪や寝床用の(わら)に燃え移り、各所で火災が発生した。同時に、忠賢率いる騎馬武者が雄叫(おたけ)びを上げながら突っ込んできて陣内を走り回り、うろたえる武者たちを次々に槍で突き刺していった。


「これはまずい。急いで逃げるぞ!」


 不利を悟った持康が谷の入口へ戻ると、丸太や大きな岩で塞がれていて、直春隊の一部が待ち構えていた。


「しまった!」


 青ざめた時、持康の身を案じた定恭と為続が一千を率いて現れ、出口を封鎖する敵に向かっていった。直春たちはあっさりと撤退し、定恭隊によって脱出路が作られたが、たくさんの武者がやけどを負い、多くの武器や軍馬を失った。奇襲の失敗で増富軍には暗い気分が蔓延(まんえん)し、次の日は城攻めを休まなくてはならなかった。

 そして、戦が始まって七日が過ぎた二十四日、桜舘軍に援軍が到着した。直冬を将とする三千三百だ。これで城外の桜舘軍は約五千、南部三家の軍勢を合わせると七千ほどになった。増富軍は力攻めと奇襲で五千近い損害を出していたので、実質一万二千、敵に背を向けて包囲を続けるのは難しくなった。武将たちや武者たちに疲労がたまり、士気は下がっていたが、定恭は弱音を吐く持康に決戦を進言した。


「敵は増えたとはいえ、多くは狢宿国での死傷者にかわって小荷駄隊から昇格した武者でしょう。練度は低く、数にまさる我が軍が勝てる可能性は高いです。打ち破って追い払い、城を落としましょう」


 戦に嫌気が差している持康を定恭は必死で励ました。


「ここで引き上げたらこれまでの損害が無駄になります。せめて撫菜城は奪いましょう。たった四万貫ですが、桜舘家には大きな打撃になり、茅生国で行動しにくくなります」


 ところが、そこへ直春から休戦の使者が来た。橋の砦で捕虜にした五百人を引き渡すから三ヶ月間の和約を結ばないかというのだ。

 定恭は反対した。


「戦っても勝てないので交渉で追い返そうとしているのです。時間を与えれば桜舘家は息を吹き返し、勝利は一層困難になります」


 一方、副将の犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)は賛成した。


「攻めあぐねているのは事実ですので、条件をのんで一旦退却し、期限が切れたら即座にまた攻め込んではいかがでしょうか」


 持康は迷った。もう戦に飽き飽きしていて帰りたいのが本音だが、多数の死傷者を出して何も得ずに帰れば父に叱られると恐れていた。


「ここが踏ん張りどころです。猶予(ゆうよ)を与えれば、確実に桜舘軍は今より強くなります」


 まずは家老たちを説得しようとした時、五形(いつかた)城から急使が来た。


「大殿がお倒れになりました」


 当主常康が突然昏倒(こんとう)したと聞き、持康は驚いて決断した。


「国元へ引き上げるぞ!」


 これには定恭も反対できなかった。常康が亡くなる時、次期当主の持康はそばにいるべきだ。新旧両家がそれぞれ都合のよい人物を担ぎ出して跡目争いを始めたら増富家は大混乱になる。それは誰にも得にならないことだった。

 和約はすぐに結ばれた。増富軍は撤退を開始し、五百人を橋のそばで受け取ると、昼夜兼行で五形(いつかた)城を目指した。

 帰城して二ヶ月後、常康は亡くなった。遺言は「茅生国を当家のものにせよ」だった。

 和約の結果、持康は意識を回復した父と面会でき、大きなもめ事もなく当主の地位を継承した。それはよかったが、葬儀と新当主就任にともなう諸行事、新体制の構築で忙しくなり、足の国が天候不順で凶作になったこともあって戦どころではなく、桜舘家は大敗の痛手から回復してしまった。


「結局、俺はまだ一度も銀沢信家に勝てていない」


 悔しいが持康の嫌味に返す言葉はない。


「二年前も力攻めで多くの犠牲を出したのに勝てなかった。だから、この戦も勝てるかどうか不安なんだ」


 定恭が本音を漏らすと、為続は明るい口調で言った。


「今回は十分な準備をし、先に戦場に着いていいところに陣を張ったじゃないか。きっとうまく行くさ」


 箱部守篤も勇気付けるような笑みを浮かべた。


「軍学が苦手な私でさえ、我が軍が圧倒的に有利な態勢にあることは分かります。今度こそ勝てますよ」

「だとよいのですが」


 定恭の口調から為続は思い出したらしい。


「まだ桜舘家との戦に反対なのか」

「ああ、煙野国を攻めるべきだと今でも思っている。弱っていた時でさえ桜舘家には勝てなかった。今はさらに強くなっている」

「だが、先代様と大殿のご決断だぞ」

「分かっている。覚悟は決めている」


 今年に入ると、持康は桜舘家を再び攻めようと言い出した。父の遺言を果たすというのだ。家老たちもこれを支持した。持康の世子時代の行状(ぎょうじょう)は評判がよくない。当主の役目を果たせるのか不安視する声もある。父の残した宿題を見事に成し遂げることで新当主の実力を示そうというのだ。定恭は反対したが作戦の立案を命じられ、今回の出陣となったのだ。


「戦う以上は勝つために全力を尽くす。可能な限りの準備はした。大殿にとっても当家にとっても重要な戦だからな」

「頼むぜ。銀沢信家に勝てるのは多分お前だけだぞ。少なくとも当家ではな」


 為続はやや声を落としてにやりとした。守篤は丘のふもとの敵へ目を向けた。


「細い道から出てくる敵を四部隊で三方から包囲。本陣に五千がいて、苦しいところへ増援も送れます。この作戦に敵がどう応じるのか、私も興味があります」


 定恭は無言で頷いた。敵軍師銀沢信家の姿が見えている。胸当てをしただけの軽装で手に黒い軍配を持っているからすぐ分かった。


「敵の配置が終わったようです。向こうから攻撃してくるようですね」


 守篤の言う通り、四つの部隊それぞれに敵部隊が向かってくる。出てくる途中で攻撃すると細い道にまた戻ってしまって包囲できないので、敵が勢ぞろいするのを待っていたのだ。


「では、こちらも始めるとしましょうか」 


 守篤が総大将に体を向けてお辞儀をすると、持康は抜いたままだった刀を前に振った。


「攻撃を開始せよ! 合戦の始まりだ!」

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