(巻の三) 終章 祭
「菊次郎様、あそこです」
友茂たち五人に案内されて人ごみの中を歩いて行くと、目当ての露店には長い行列ができていた。
「こんにちは」
裏に回って声をかけると、鉢巻を締めた頼算が気付いて威勢のよい声を上げた。
「おや、いらっしゃい、軍師殿」
「師匠、来てくれたんですね!」
直冬も鉢巻とたすきと前かけをして客の相手をしていた。
「売れていますか」
「もちろん。大繁盛ですよ」
「とっても忙しいです」
直冬は楽しそうだった。
「それはよかったです」
菊次郎は小銭を差し出した。
「では、あさり煮込みうどんを六杯下さい。しじみの醤油煮詰めと芋の煮っ転がしも六人前お願いします」
「へい、まいどありがとうございます!」
「まいどです、師匠!」
二人は営業用でない笑みを浮かべた。
頼算がうどんを鍋に放り込んだ。ゆで上がるのを待ちながら、菊次郎は辺りを見回した。
「随分人が多いですね」
夕刻の天額寺はたくさんの人でごった返していた。ここまで来るのに人をかき分けなければならなかったほどだ。
「そりゃあ、そうです。このお寺は都にまで名前が聞こえた名刹ですし、今日は収穫の祭りですからね。みんな大いに楽しんでいますよ」
紅葉月の下旬に各地の寺院でこうした祭りが行われる。吼狼国と太陽の守護者である白牙大神に無事に収穫できたことを感謝して祈りを捧げる行事で、桜月の春始節と並んで重要なものだ。もっとも、多くの民にとっては稲刈りと納税が終わってほっとしたあと、たくさん持っていかれたことのうっぷん晴らしも兼ねて大騒ぎをする機会になっていた。
この日ばかりは寺院の祭官たちも「境内ではお静かに!」とは言わない。きれいな着物で着飾った良家の娘も、晴れ着など持たない貧しい農民の若者も、子供も老人も、皆この丘の長い石段を上ってきて、海の見える広場に集まり、燃え盛る大きな炎のまわりで夜通し歌い踊るのだ。若者たちには重要な出会いの場にもなっていた。
「今年は特に人出が多いそうですよ。去年は宇野家家の交易の禁令で不景気でしたし、今年は増富家に勝ったことや新しい帆布のことなど、いろいろ噂が流れたようで民が浮かれていますね。だから、このにぎわいは軍師殿の活躍の結果でもありますな」
「どんな噂でしょうか」
菊次郎が苦笑すると、嶋子が裏手の建物から出てきて会釈した。
「この露店もとても評判になっていますよ」
嶋子はざるを持っていた。打ちたてのうどんを運んできたのだ。打っているのは豊津港の町人たちだ。本職の料理屋は自分の店を出しているので、有志が集まって調理や販売を手伝ってくれている。
「私が打ち方を伝授したんですが、彼等の方がうまくなりましてね」
頼算は笑っていた。葦江国では小麦は麺にせずすいとんで食べるのが一般的なので、うどんのおいしさに目覚めた人が多かったようだ。
「へい、お待ち!」
木の椀を渡された。うどんの上に殻を取ったあさりと山菜をのせてつゆをたっぷりかけてある。醤油で煮詰めたしじみも一緒に入っていた。
「師匠、熱いですから気を付けてください」
漢曜和尚の許可を得て臨時のかまどを作り、炭で鍋を温めている。普通の露店はここまでしないが、これは頼算のこだわりだった。
「豊津名物のお披露目ですからね。最高においしい状態で食べてもらいたいのですよ」
「こちらも熱々ですよ」
芋の煮っ転がしをよそってくれたのはお俶だった。妙姫の命令で援軍に来たらしい。雪姫を囲む料理会の時、これを作ったのはお俶だったそうだ。
「少々おまけしてあります。おかわりしたかったら言ってください」
「なら、これもおまけだ。こっちへ来い。のせてやろう」
楠島昌隆は天ぷらを揚げていた。ちょっと高くなるが、倍の金額を出すとのせられるそうだ。野菜のかき揚げだけでなく開いた魚もあった。それはいたむ前にもう揚げてある。
「島の砦で料理会をやったら好評でな。恒例行事になりそうだ。そのお礼だ」
代金はいらないという。
「これは小海老ですか」
うどんの上に置かれたかき揚げの中に、赤く丸いものがあった。
「俺が提供した」
「やはりそうですか」
「贅沢ですねえ!」
においだけで友茂はもうたまらないという顔つきだった。
菊次郎たちは礼を言って露店を出て、すぐそばの背もたれのない長椅子に腰を下ろした。木の椀は城から持ってきたもので返さないといけないので、皆店のそばで食べている。そのための長椅子だが、地面に座っている者も大勢いた。
「いただきます」
六人は箸を持った手を合わせ、麺をすすった。
「うどんがおいしいです! こしがありますね」
「つゆもすっごくおいしい」
「いくらでも食べられます」
「うまい」
光風は一言だけつぶやいて、せっせと箸を動かしている。
「これはおいしいですね。妻に作らせようかな」
利静も気に入ったようだ。
「そのうどん、随分研究したみたいよ。特につゆ」
田鶴が近付いてきた。小猿が首の後ろに乗っている。猿を火のそばでうろうろさせるわけにはいかないので、使った椀を回収して洗いに回す仕事をしている。
「貝ってこんなに味が出るのね。驚いた」
山育ちの田鶴は魚介を使う料理をあまり知らないのだ。頼算は町人や嶋子とこだわって試作を重ね、このだしと具が最もよいという結論になったそうだ。煮詰めしじみと煮っ転がしも名物にしたいと先日言っていた。
「天ぷらもすごくおいしいよね」
「酒にも合うぜ」
長椅子の一つには忠賢と騎馬隊の武者五人がいて、天ぷらと芋で酒を飲んでいる。
「菊次郎、お前も飲むか」
「結構です。まだ日が暮れていませんよ。もう酔っ払っているんですか」
「祭りなんだぜ。かたいこと言うな」
「まあ、信用していますけど」
裏手にいるなら迷惑にはならない。直冬たちの護衛なので、酔いすぎることはないだろう。
「直冬、お前はどうだ」
客にお辞儀をして送り出した背中に忠賢は声をかけた。
「えっ、僕ですか?」
直冬は意外そうに振り返った。
「直冬様はまだ子供よ。お酒なんて駄目」
田鶴が怒ったが、忠賢は杯をつき出した。
「お前は一軍を率いて戦った。だから酒を飲む資格がある。まだまだお子様だがな」
直冬は目を見張り、少し考えた。
「では、もう少ししたらもらいます。今は忙しいので」
「おう、とっとくぜ」
忠賢は杯を自分の横に置いた。
それからしばらく、菊次郎は食事に専念した。確かにおいしく、箸が止まらない。熱いつゆを一気に飲み干して、ほうっと息を吐いた。もう紅葉月の下旬で、空が赤くなると肌寒い。
「ふう、満足しました。この味なら繁昌するのも分かります。もう温かいものが食べたい季節になりましたね」
菊次郎が食べるのを田鶴はずっと微笑んで眺めていた。
「自分の店でも出したいって人が何人かいたよ。作り方を聞いてたみたい」
「名物にするには味わえるのが一軒だけでは寂しいからね。数軒がそれぞれの工夫を凝らして少しずつ違いが出ると、寄るたびに飽きずに食べられる」
豊津港に来る船の船乗りや商人を当て込んだ料理なので、繰り返し食べてもらうことをねらっている。
「港がにぎやかになるといいね」
「うん。ぜひそうしたいね」
言ったところに声がかかった。
「いた! やっと来たのね」
雪姫だった。手に盆を持っている。
「菊次郎さん、これ食べて!」
陶器の器の中身は茶碗蒸しだった。
「また食べられるなんて!」
護衛たちも恐縮して受け取り、友茂は感激している。
「どう? うまくなったでしょう」
「すが入っていませんね」
料理会の時より表面がなめらかだった。
「練習したもの」
あれがきっかけで雪姫は料理に興味を持ち、時々厨房に行って料理番に教わっているらしい。残さず食べるようになったと田鶴や直冬は喜び、妙姫にも感謝された。雪姫は出し殻で作るおかかのふりかけが大好きになり、時々をおかわりもするらしい。本人も最近少し太ったけれど体調がいいと言っていた。
「食べてみて。味はどう?」
菊次郎はさじですくって口に運んだ。
「とってもおいしいです」
「よかった」
雪姫はほっとしたように笑った。だしのしっかりした味が卵の甘さと合っていて、菊次郎は感心した。
「自分で工夫もしているのですね。これは菊の花ですか。こっちは小海老ですね」
「しっ!」
雪姫は慌てて口の前に指を立てた。田鶴が首を傾げた。
「そんなの入ってたっけ?」
「ううん」
雪姫は左右を見て小声になった。
「菊次郎さんのにだけ入れたの。塩ゆでしたのよ」
「どうしてですか」
尋ねると、雪姫はもじもじした。
「私を大切だって言ってくれたから」
料理会の時のことらしい。菊と小海老はお礼のようだ。
「言ったのは僕だけではありません。妙姫様も、直冬様や田鶴も、みんなそうでしたよ」
「でも、菊次郎さんが最初だった。いきなり叫んだからびっくりしたけれど、とってもうれしかった。私にもできることがあるって励ましてくれたでしょう」
「何か見付かったんですか」
雪姫は首を振った。
「ううん、まだよ。私は戦えないし、政も分からないから。でも、せめてみんなを応援しようと思ったの。それで料理を作ろうって考えたのよ」
「そうでしたか……」
この露店は雪姫が言い出したことだ。祭りには例年多数の店が出るが、自分も料理を振る舞いたいと言ったのだ。頼算が賛成して手配を買って出て、町人たちに話を持ちかけた。
「私は料理を始めたばかりだからあんまり役に立っていないけれど」
「そんなことはありません」
「そうだよ。みんな喜んでるよ」
雪姫自身はかき揚げにする野菜を切ったり椀や食材を運んだりといったことで働いていて、打ったりゆでたりはしていない。それでも、豊津城の仲間も町人たちも、とても温かい目でこの十四歳の姫君を見守っていた。
「他の人と比べても仕方ありません。今の雪姫様にできることを一生懸命しているのですから胸を張ってください。だってほら、みんなとってもおいしそうに食べていますよ」
「桜舘家のためにもなってると思う」
普段はお城にいる姫君や若君や奉行が自分で料理を作って民に振る舞うなど他領ではありえない。そんな道楽のような店に町人たちが協力してくれたのは、港町の発展のためだけではなかった。湿り原の時の籠城や、湿地と楠島領の森の開墾、新しい帆布など、直春や城の人々が民を守り葦江国を豊かにしようと努力していることが伝わっているからだ。きっとこの露店もよい噂になって広まるだろう。
「ありがとう。菊次郎さんがいてくれてよかった」
「僕たちこそ雪姫様にたくさんお礼を言いたいです。今回の戦でも作戦を考える手がかりをもらいましたし」
「姫様は大切だよ」
「うん」
雪姫は真っ赤になった。田鶴はそれをやさしい、しかし困惑した表情で見つめていた。
「おお、繁昌しているな」
直春と妙姫が現れた。
「国主様」
頼算と昌隆がお辞儀した。
「店は成功だったようだな。昌隆殿も協力に感謝する」
「妹のわがままにお付き合いくださり、お礼申し上げます」
直春は菊次郎たちのそばに腰を下ろした。
「俺にも一つ食わせてくれ」
「私も頂きましょう」
「少々お待ちください。すぐにご用意致します」
「揚げたてをのせますよ」
「私も持ってくる」
雪姫は茶碗蒸しを取りに行った。和尚に頼んで天額寺の厨房を借りているそうだ。
「ところで、師匠、交渉の方はどうなりましたか」
直冬が尋ねた。
「うまくまとまりましたよ」
先程、土長城に残っている蓮山本綱から、増富家との捕虜返還交渉が完了したという報告が届いた。泉代家と市射家からも捕虜を解放したという手紙が送られてきた。それを直春と一緒に読んでいたのでここに来るのが遅くなったのだ。
「成明公は捕虜を半時橋まで移送してほっとしたと書いていました」
「市射家も同じ気持ちだろうな。自家の武者より捕虜の方が多いのだ。気が休まるまい」
四千を超える捕虜を裾深城だけでは収容しきれず、半分以上を土長城に移したのだ。怪我人も多く大変だったらしい。
「でも、これで茅生国の戦いも終わりね」
田鶴はうれしそうだった。戦が好きではないのだ。火矢を射るなど活躍するし、度胸も勇気もあるが、村を焼かれた記憶と重なるらしい。
「それはどうかな」
菊次郎は直春と視線をかわした。増富家は冬の間に態勢を立て直して、春になればまた攻めてくると二人は予想している。そのため、三家と協力して、国境の橋に作った間に合わせの砦を強化しようと計画していた。
忠賢もそれは知っている。が、急に箸を止め、菊次郎たちを見比べた。
「何かあったのか」
「増富家の軍師が以前の人物に戻ったそうです」
「砂鳥ってやつか。泥鰌縄手の」
「そうです。油断はできません」
教えてくれたのは漢曜和尚だった。
「記という軍師は自裁したそうじゃ」
南谷家を従わせた時、五形の町の人々は天才だ知将だと大騒ぎした。だが、大敗後は手の平を返したように罵倒し、詐欺師扱いしているという。
「ひどい話ですね」
「確かにな。じゃが、一般の人々とはそういうものじゃ。反応が極端に上下する。踊らされてはいけないよ」
「肝に銘じます」
大軍師という立場は注目される。失敗すれば厳しく批判されるだろう。記という軍師がたどった運命は他人事ではなかった。
菊次郎は隣へ目を向けた。直春はうどんを受け取っておいしそうにすすっている。
「和尚様、僕にはこの人たちがいます」
記吉存には直春がいなかった。砂鳥定恭にはいるのだろうか。
黙り込んだ菊次郎に頼算が尋ねた。
「四万貫はどうなりましたか」
仕置奉行の頼算は収入が気になるらしい。
「成安家は当家の領有を認めましたよ」
「では、納められた税は当家のものですね」
頼算は安心した顔をした。
吼狼国は貫高制なので金納が基本だが、兵糧にする分の米や農作物、武具などは物納のこともある。収穫の季節なのでとりあえず徴収したが、成安家に渡すかも知れないため輸送もできなかったのだ。
「元尊は渋ったそうだが、三家がそろって願うのでは承認するしかなかったようだ」
茅生国の三家は、旧猪焼領四万貫と撫菜城を桜舘家のものにするように勧めた。自分たちも戦ったが取り分はいらないという。桜舘家に守ってもらいたいのだ。
増富家は四万貫を失っても、茅生国にまだ二十万貫を持っている。一旦は兵を引いたが脅威がなくなったわけではない。だから、三家は自家の兵力を一、二万貫分増やすことよりも、桜舘家の領地にして軍勢を駐屯してもらうことを望んだのだ。
「元尊や三家は、増富家が弱ってる間に俺たちがあいつらを滅ぼそうとするんじゃないかと疑ったんだろ。四万貫はやるから我慢しろってことだな」
忠賢が赤い顔で言った。
「それもないとは思いませんが、当家の支城ができる方が防衛上有利なのは間違いありません。特に市射家はそれによって増富家と直接境を接しないですみます。これは大きいですよ」
桜舘家が三家を葦江国の盾と考えているように、三家も猪焼領を自分たちの盾にしたいのだ。
「それで、その飛び地の扱いなのだが」
直春は空になった椀を置いて忠賢に体を向けた。
「撫菜城は景堅に預けようと思う。そこに所属する武者二千二百と一緒にだ」
四万貫なら一千二百だが、直春と菊次郎は少なすぎると判断した。秋芝家は今回と泥鰌河原の武功もあり、一万貫に加増する。
「城主にするという約束がまた先になるが許してくれ」
「それでいいんじゃないか。俺に不満はないぜ」
忠賢は天ぷらを箸でつつきながら言った。
「撫菜の城主は守りが得意なやつがいい。あいつなら適任だろ」
忠賢は小海老を口に放り込むとにやりとした。
「俺はまだこの城にいるつもりだぜ。戦に出るにも菊次郎の作戦で活躍するにも、お殿様のそばの方がいいからな。あんな小城に縛り付けられて、毎日橋を見張ってるなんざ御免だ。それに」
あからさまに安堵している騎馬隊の武者たちの頭を小突いた。
「あそこの城主ならこいつらは連れていけないだろ。まだまだ鍛え足りないしな。もっと領地が広くなったら、四万貫なんてけちなことを言わずに一国をくれよ」
「ああ、約束する」
直春は破顔した。
「必ず一国を与えよう」
「楽しみにしてるぜ。そのためにももっと働かないとな。次はどうするんだ、大軍師様」
からかうような口調に菊次郎もほっとしていた。
「それはこれから考えましょう。増富家はしばらく動けません。少しは時間があります」
「こっちから攻め込まないのか」
「兵力差がありすぎます。そうするには十分な準備とはかりごとが必要です。どのみちすぐには無理です」
「それはお前に任せる。できるだけ早く頼むぜ」
話が終わったと見て、妙姫が割り込んだ。
「直春様、これもお食べください」
渡したのは煮っ転がしの椀だった。お俶がくれたらしい。
「芋もあるのか」
「おいしいですよ」
直春は嶋子に頭を下げた。
「これはあなたが味付けを考えたと聞きました。武者たちにも大変好評でした。俺も食べて元気が出ました」
菊次郎も言った。
「この芋のおかげで勝てたんですよ」
嶋子は恐縮しつつも笑みを浮かべた。
「大変光栄でございます」
一般的に戦陣の食事は米に乾燥きのこやその辺りで摘んだ野草などを加えて味噌で煮込んだおじやのようなものだ。菊次郎は合戦で芋を使うと決めた時、どうせ皮をむいたり海藻を刻んだりするので芋も料理してはどうかと考え、嶋子と料理番に簡単で美味しい作り方を考案してもらった。
合戦の前日の夕刻、小荷駄隊が用意するおじやとは別に、わざわざ運んだ四つの大鍋で芋を煮て、直春・直冬・本綱・景堅の四人が自隊の武者によそってやった。よいにおいに行列を作った彼等は、直接言葉をかけられて感激し、翌日の戦で大いに働いた。
「あの料理会で食事の重要さを再認識しました。もっと工夫が必要ですね」
「そうだな。武者たちもやる気が出るだろう」
「うまいもんが食えるようになるなら文句はないぜ」
「いつもおじやだと飽きるもんね」
直春・忠賢・田鶴も賛成のようだった。
「それも嶋子さんにお願いしましょうか。今度予算や条件などを考えて正式に依頼します」
聞き耳を立てていた頼算と昌隆が言った。
「その時は私にも声をかけてください」
「俺にもな」
頼算は戦に必要な物資を町人から購入する担当だ。楠島水軍は合戦で使った海藻を依頼されて用意した。
「姉様、直春兄様、これ食べて」
雪姫が戻ってきて茶碗蒸しを渡している。
「随分上手になりましたね。雪がこれを……」
妙姫はまたも感激している。雪姫はためらいがちに尋ねた。
「これなら花千代丸も食べられるかな」
「そうですね。そろそろ十ヶ月、もう大丈夫かも知れませんね」
「よかった。明日作ってみるね」
桜舘家の嫡男はすくすくと育っている。今は乳母に預けて城で寝かせているそうだ。
妙姫は茶碗蒸しをさじですくってじっくりと味わっていた。
「私も料理を覚えようかしら。殿方の心をつかむには料理がよいと聞きますし」
「妙姉様が料理ですか? 雪姉様とは違う意味で不安です」
「お姉様は厨房に入っちゃ駄目! 私だけでも邪魔なのに」
「自覚はあるのですね」
姉に見直したという顔をされて雪姫はむくれた。忠賢は三姉弟をおかしそうに横目で見てにやにやした。
「料理は必要ないと思うぜ。お殿様はもう妙姫さんに首ったけだからな」
田鶴が頷いた。
「そうだね。いらないね。熱々だもの」
「妙の料理も食べてみたいが、確かに不要だな」
直春が堂々とのろけたので大笑いになった。
「国主様、そろそろよろしいでしょうか」
町人が恐る恐る声をかけてきた。
「出番ですか」
「はい、よろしくお願い致します」
「いや、俺からお願いしたことです。頭を下げねばならないのはこちらです」
直春は椀を置くと立ち上がった。
「では、行ってくる」
これから直春は舞台に上がる。火のまわりで踊る人々のために葦江国の古謡を歌うのだ。
「合戦で響いた国主様の歌声はそれはそれは勇ましかったとうかがいました。皆、とても楽しみにしております」
「そんなに大したものではないぞ」
言いながら直春には余裕がある。
「安心して。とってもうまいから」
田鶴が請け合った。
「声がいいのよ。よく響くの」
菊次郎が説明した。
「虹関家の御曹司だった頃に古謡を習わされたそうです。戦場でも聞こえる大きな声を作るためだったそうですよ」
「もうずいぶん昔だがな」
直春は笑っているが、流浪当初はお金に困ると町の辻で歌って小銭を稼いでいたらしい。
「必ず聞きに行きます」
妙姫が緊張している。期待しているし信じてもいるが、自分が歌うようにどきどきしているらしい。
「子守歌は時々歌っているじゃない」
田鶴が言った。小声で歌って花千代丸を寝かしつけているのを菊次郎も何度か見たことがある。
「それはそうなのですが」
戦の前のような気持ちらしい。
直春は笑って手を振りながら護衛の武者を連れて去って行った。
「聞きにいかないの?」
田鶴が尋ねた。
「行くつもりだよ。忠賢さんは?」
「俺はいい。ここでも聞こえるだろ」
「僕も店がありますので。お酒を飲む約束ですし」
直冬も残るようだ。
「私は聞きたい」
雪姫が前かけをはずした。
「では、僕たちだけで行きましょうか」
菊次郎は妙姫・雪姫・田鶴と真白を連れて露店を離れた。五人の護衛や警護の武者も付いてくる。
空が大分暗くなってきた。広場で燃える大きな炎に薪が足され、赤い火の粉が高く舞い上がって、円く取り巻く人々の影を濃くしていた。
丁度広場に着いた時、直春を紹介する声が聞こえた。一瞬静まり返った群衆から、先程までの数倍の大きさの拍手が湧き起こった。
「やっぱり上手ですね」
菊次郎は響き始めた直春の声に耳を傾けながら、紅葉の進んだ周囲の木々に冬の訪れを感じていた。
「ねえ、菊次郎さん、踊ろう!」
雪姫が袖を引いた。焚火のせいか頬が赤い。
「いいですよ」
踊りは得意ではないが、病弱な雪姫がはしゃいでいるので付き合うことにした。
「田鶴も、姉様も」
妙姫は首を振った。
「私は遠慮します。行ってらっしゃい」
雪姫は残念そうだったが頷いた。
「田鶴はどうするの?」
菊次郎と雪姫を見比べて侍女は少し迷い、小猿を肩から降ろして足を踏み出した。
「あたしも踊る」
「なら、三人で踊ろう」
雪姫は菊次郎と田鶴の手を握って炎の方に引っ張っていく。真白がうれしそうに追いかけてくる。
菊次郎は田鶴と顔を見合わせて笑うと自分たちも手をつなぎ、三人と一匹で踊りの列に入っていった。




