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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の三 隣国の依頼
24/66

(巻の三) 第三章 二人の軍師

「国主様のご入来(にゅうらい)!」


 甲高い声が告げると、五形(いつかた)城の大広間に居並ぶ人々は一斉に平伏した。砂鳥(すなどり)定恭(さだゆき)もそれにならい、木の床に手をついた。家臣たちの中央に開いた通路を複数の足音が後ろから近付いてきて通り過ぎていった。


(おもて)を上げよ」


 常康(つねやす)の声がかかり、姿勢を戻す。正面の一段高くなった畳に恰幅(かっぷく)のよい増富家の当主があぐらをかいていた。その左右の床に、世子(せいし)の持康以下一族が座っている。


「では、降臨暦(こうりんれき)三八一六年の大評定を始める。まず、執政のお二方よりご報告をいただく」


 当主に向かい合う形で座る家臣たちの最前部で、二人の人物が立ち上がった。どちらの五十代の男で、一歩前に出ると、お辞儀をして再びあぐらをかき、当主に向かって言上した。


「昨年の主だった出来事と担当者をご報告申し上げます」


 ()執政の脇盾(わきだて)能全(のうぜん)が一礼して巻物を広げ、一年間の事件と手柄を立てた者を朗々と読み上げていく。丸い腹をつき出し、全て()り上げた大きな頭を後ろに()らすようにして胸を張っていたが、目元にはにこやかなしわが寄っていた。


「その者たち、前へ」


 司会役の家老の声で、二十人ほどの家臣が主君の前に横一列に並んだ。名を呼ばれると一人ずつ進み出て、常康から感状(かんじょう)を受け取った。褒章の金はあとで家に届けられる。


「続いて、ご報告申し上げます」


 今度は()執政の数多田(あまただ)馬酔(ばすい)が巻物を読み上げた。こちらは背が高くがっしりしていて、引き締まった顔つきに人格者らしい重々しさがある。先程と同数が前に出て、褒賞を受け取った。

 同じことを二度に分けて繰り返すのは理由がある。脇盾(わきだて)能全(のうぜん)の報告にあったのは、真ん中の通路の左側に座る家臣だけだったのだ。彼等は新家(しんけ)と呼ばれている。数多田(あまただ)馬酔(ばすい)の担当する右側は旧家(きゅうけ)という。

 新家とは増富家代々の家臣だ。初代宝康(たかやす)万羽国(よろずはのくに)の国主に任じられた時、一緒に付いてきて住み着いた。旧家とは古くから万羽国に勢力を張っていた者たちだ。


「その他の者を読み上げる」


 司会役が七人の事績を紹介すると、ぞろぞろと広間の後ろの方から前に出てきた。彼等は外様(とざま)衆だ。万羽国以外に領地を持ち、攻められて降伏した者や庇護下(ひごか)に入ることを望んだ者たちで、家臣になったのが最も遅い。


「愚かしいことだ」


 定恭は口の中でつぶやいた。


「三つの意味で愚かしい。同じ増富家の家臣が二派に分かれて争っていること。そのために、褒賞を与える人数ももらう金額も等しくなるように調整していること。そして、どちらにも属さない外様衆を結託して冷遇していること」


 こんなことをしているから、なかなか勢力を拡大できないのだ。定恭は溜息を吐きたくなった。

 足の国で最大の貫高の万羽国が本拠地で、戦狼の世の始めから小封主の割拠(かっきょ)が起こらず増富家による支配が行われていたのに、周辺国への進出が進まない。一度従属させた采振家の独立を許したのも、新旧どちらの家柄の家老が討伐軍の大将を務めるかでもめて、打ち破る好機をのがしたせいだと言われている。

 だが、これはもう三百年近く続いていることなので簡単には変えられない。定恭が属する持康軍にも副将の家老が二人いた。犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)が新家、蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)が旧家だ。外様の小薙(こなぎ)敏廉(としかど)は城主で戦の経験が豊富なのにあまり意見を求められなかった。そもそも持康が大将になった理由も、勝てば大功を立てることになる出陣の場合、新旧両家が指揮権でもめぬように当主の一族を(かつ)ぐ慣例による。


「全ては浮寝(うきね)横槍(よこやり)のせいだ」


 二人の執政は交互に一年の収支や来年の見込みなどを報告している。定恭は少し顔を上げて、現当主の後ろに飾られている初代の彫像を見つめた。

 増富宝康(たかやす)は三百年前、戦乱の十三年間と呼ばれた時代に活躍した武将だ。武略にすぐれ、大きな手柄を立てて国主の地位を得たが、ここは治めにくい国だった。

 万羽国は広大な平野が広がり、(ひざし)(うみ)という大きな湖から複数の川が流れる土地で、貫高は五十三万貫もある。北の国原(くにはら)、南の馬駆(まがけ)、西の田美(たみ)、東の万羽と並び称される穀倉地帯なのだ。その米を中心に商業も盛んだ。武家の始まりは広大な田畑を持つ大地主や荷を遠くまで運ぶ大商人が武装したことだが、万羽国はまさにそういう者たちが多く住み、大きな力を持っていた。代々の国主も彼等に遠慮し、協力を得て(まつりごと)を行ってきた。


 しかし、増富宝康は連れてきた家臣たちを家老や奉行に任じ、土着の者を重用しなかった。合理主義者だった宝康は、多くの有力者に充分な根回しをしてから物事を行う慣習を非効率と考え、周囲を信頼できる人々で固めて命令を下達(かたっ)した。

 これに土地の者たちは猛反発した。批判の声が高まると、宝康は彼等を挑発して反乱を起こさせた。

 反乱軍は数で増富軍を上回り、以前家老だった人物を大将に担いで、五形(いつかた)城へ向かって進軍した。宝康は野戦は勝ち目が薄いから籠城すると言いふらすと、内通者を使って敵を誘導し、(ひざし)(うみ)のそばを通らせた。

 浮寝(うきね)の浜と呼ばれる水鳥の多い湖岸で、朝霧の中、反乱軍は横道から現れた増富軍に奇襲された。長い隊列は中央で分断され、前半部分は道の先で待ち伏せていた部隊と挟撃・包囲されて壊滅、大将を失った反乱軍は崩壊して多数の死者を出した。


「宝康公は見事な作戦で合戦に大勝し、力で反抗勢力を抑え込むと、いくつもの改革を断行した。利権や血縁で複雑に結び付いたこの土地の者には難しかったことで、当家にも万羽国にも必要なことだったと言える。だが、大きな禍根(かこん)を残した」


 仲間や親族をたくさん失い、特権をいくつも取り上げられた者たちは恨みを忘れなかった。宝康が死ぬと再び反乱を(くわだ)てた。

 それを予想していた二代倶康(ともやす)は、話を聞こうと言って土着衆の大物を呼び集め、毒を飲ませて殺してしまった。このだまし討ちは逆効果で、旧家は浮寝の横槍を教訓に団結して抵抗し、乱は長期化した。彼等が都に国主を変えてほしいと嘆願する動きを始めると、倶康(ともやす)は力による解決を諦め、和睦(わぼく)を持ちかけて差別せずに登用すると約束し、家老の半数を旧家から選んだ。


「乱は終息したが、二度も罠にかけられて旧家には強い恨みが残った。勝った新家も敵が憎い。それが今も続いている」


 旧家は地元に持つ権益の継承を認められたため新家より金を持っていた。これも互いの憎しみと反感を助長した。


「どちらも負けたくないから相手の足を引っ張り合っている」


 大評定は二代倶康(ともやす)が始めた。その年の目標と行動計画について新旧両家がそれぞれ内部の意見をまとめ、毎年藤月の一日に、五百貫以上の家臣を集めて議論し、当主が承認する。実際は前もって当主やもう一人の執政に話を通すのが慣例になっていて形式にすぎない。手を挙げて質問する者も内容も事前に決まっている。


「結局、初代様が来る前の根回し方式に戻っただけだ。しかも、今は新家がいるからさらにややこしくなっている」


 地元に権益を持つ旧家と持たない新家の利害はしばしば対立する。例えば、財政が苦しいからと商家の税を重くしようとすると、縁者に商人がいる旧家の者たちが反対する。新家は痛くもかゆくもないし、自分の担当部署の予算を増やしたいので、断行すべしと主張する。

 旧家は利権や慣習を守り拡大しようとし、新家は制限し奪って自分たちの取り分を増やそうとしてきた。両執政はそういったいざこざを抑え、協議して判断し、失敗したら責任を取って辞任する。代々の当主は両家の上に乗っかることで生き延びてきたのだ。


「いよいよ本題か」


 大評定も終わりに近付き、二人の執政が今年の目標について進言を始めた。既に内容は知っているが、思考を中断して耳を傾けた。

 肥満した僧侶のような()執政の脇盾(わきだて)能全(のうぜん)は大きな声で常康に言上した。


「我々は、今年の当家の目標を茅生国完全制圧とすることをご提案致します!」


 おおう、と大広間にどよめきが広がった。昨年は正式な目標にはなっていなかったのだ。境村の合戦の結果を確認した直後に持康に悪評が立ち、大評定に出さないため急遽(きゅうきょ)出陣が決まったという事情がある。

 続いて()執政の数多田(あまただ)馬酔(ばすい)が常康に一礼し、(いか)めしい顔つきで意見を述べた。


「我々も異存はございません。茅生国を平定するべきと存じます」


 茅生国をめぐる争いは、五形商人と豊津商人の商圏争いでもあった。旧家の多くは商売をしていたり商家と結び付いていたりする。利権を持たぬ新家も加増のために新しい土地が欲しい。増富家は南部五家を攻略しようと何度も戦をしかけ、そのたびに宇野瀬家は桜舘家に出兵させて阻んできたのだ。


「前回を上回る大軍を編成し、派遣致しましょう」


 両執政の発言にざわめきが大きくなり、家臣たちから声がかかる。


「俺も賛成する!」

「当家の飛躍の年だ!」

「昨年刈り残した分を今年こそ我等の手中に収めようぞ!」


 これも事前に言い含められている者たちだ。もっとも、増富家内にこの目標に異論のある者はいないだろうと思われた。ただ一人、定恭を除いては。


「あの三家は成安家と同盟を結んだそうだ。桜舘家は必ずまた出てくる。もはや簡単にはいかないのだが」


 この困難な目標の実現を定恭は求められる。反対することは許されない。苦い思いでいると、数多田(あまただ)馬酔(ばすい)が定恭へ顔を向けて発言した。


「我々の同胞、砂鳥定恭殿が必ずや成し遂げてくれましょう」


 広間中の目が一斉に注がれた。


「砂鳥殿は昨年から若殿をお助けし、桃月(ももづき)の戦ではたった一月(ひとつき)で二家十二万貫を攻略した作戦に尽力されました。この名軍師の知恵と若殿のご武勇が合わされば、勝てぬ敵などございますまい」


 常康が(じき)(じき)に言葉をかけた。


「砂鳥殿、我が息子を頼みますぞ」


 当主と執政に期待され、失敗は許されなくなった。定恭は迷惑に思ったが、表情を隠して平伏した。

 これで大評定も終わりか。

 そう思った時、脇盾(わきだて)能全(のうぜん)が発言した。


「残りの三家十二万貫の征服は大変重要かつ困難な任務でございます。敵はなかなかに強く、さすがの若殿も苦戦していると聞き及んでおります。砂鳥殿の補佐があってさえ、二度も撤退することになりました」


 新家の間から嘲笑う声がもれた。


「そこで、我々も知謀にすぐれた同胞を、若殿の補佐役に推薦致します」


 定恭が驚いて顔を上げると、司会役の家老がその人物の名を呼んだ。


(しるす)吉存(よしあり)殿、これへ」

「ははっ!」


 返事をして前へ出てきたのは、定恭のよく知る男だった。同い年の二十七歳、やや小柄で丸っこく、年より老けた大きな顔に自信をみなぎらせている。


「そなたを持康様のお側役(そばやく)に任ずる」


 お側役は軍勢の大将の近くに控えて護衛する役目だ。定恭が数多田(あまただ)馬酔(ばすい)を見上げると、執政は頼むというように小さく頷いた。砂鳥家は旧家で一千貫。(しるす)家は新家で八百貫。ここでも均衡(きんこう)を取ろうというのだろう。

 新家の執政脇盾(わきだて)能全(のうぜん)は、誇らしげに吉存(よしあり)の事績を紹介した。


(しるす)殿は昨年、深奥国(みおくのくに)南谷(みなみたに)家を当家に招くことに成功致しました。その武略は恐るべきものでございます」


 先程褒章を受けた時に簡単に紹介されていたが、能全(のうぜん)は改めて詳しい経緯を語った。

 臥神島(ふせがみじま)という巨大な狼の後ろ脚を長斜峰(なはすね)半島と呼ぶが、それを東西に分断する大長峰(おおながね)山脈の山中に深奥国(みおくのくに)はある。真ん中を東西に走る山並みの北側を北平(きただいら)家が、南側を南谷家が治め、ともに三万貫だ。もともと山目(やまめ)家という同じ封主家だった両家は、互いに相手領の所有権を主張して長年争っている。たった六万貫の小国なので切り取ってもうまみがないため、周辺国は手を出さず、放っておかれていた。

 ところが、昨年になって采振家が北平家へ手を伸ばしていることが判明した。槍峰・万羽両国に道がつながっている深奥国(みおくのくに)を攻略し、増富家を東側から攻めようと考えたのだ。

 (しるす)吉存(よしあり)はこれを知ると脇盾(わきだて)能全(のうぜん)に面会を求めて申し出た。


「私が南谷家を従えて参りましょう」


 執政たちの許可が下りると、吉存はすぐさま二千の兵を借り受けて、南谷家の本辺(もとへ)城へ向かった。

 城の手前で武者を止めると、吉存は一人で城内へ乗り込んだ。


「北平家は采振家と結びました。このままでは貴家は滅ぼされますぞ。当家に従えば守って差し上げましょう」


 吉存は商工方に属し、豪農や商人の売買の仲立ちをしていたので交渉に()けていた。南谷家は屈服し、人質を差し出した。吉存は本辺(もとへ)城の武者も合わせて二千六百で北平領との境へ向かい、兵を伏せて、進軍してきた采振軍を奇襲した。驚いた采振軍が撤退すると、吉存も万羽国へ引き上げ、両家は深奥国を半分ずつ分け合うことになった。


「砂鳥殿は大変すぐれた軍師ですが、先月の戦いでは敵の作戦に敗れ、南部三家を滅ぼすことができませんでした。記殿の知謀は砂鳥殿に引けを取りません。一人の死者も出さずに一国の半分を得た知恵者(ちえもの)です。二人が力を合わせれば、茅生国は間違いなく制圧できましょう」


 旧家の定恭が十二万貫を攻略した。新家としては見過ごせず、三万貫を併合した吉存を持康軍に送り込んできたのだ。溜息を吐きたくなったが、断れなかった。常康も数多田(あまただ)馬酔(ばすい)も承認したことなのだ。


(しるす)殿、我が息子を頼みますぞ」


 常康は表情を動かさず、定恭へ言ったのと全く同じ言葉をかけた。


「ははっ! 必ずや今年の目標を達成してご覧に入れます」


 吉存は自信にあふれた表情で答えた。

 またこの男と競わされるのか。

 定恭は憂鬱な気分になったが、同じく常康に平伏した。


「ご命令、(うけたまわ)りました」



 大評定のあと、定恭たちは別な広間へ移動した。持康軍の今後の動きを話し合うためだ。

 上座に持康が座り、部屋の左右に十人ずつがあぐらの列を作った。定恭の向かいは記吉存だった。これまでは砂鳥家一千貫が末席だったが、記家は八百貫でもっと少ない。

 全員が着座すると、持康が口を開いた。


「今年の目標が決まった。達成のために何をするべきか、皆の意見を聞きたい」


 諸将は顔を見合わせて、一番後ろの二人の軍師に注目した。


「記殿はどうお考えか」


 新家の家老犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)が甲高い声で促した。吉存は姿勢よく座ってうっすらと笑みを浮かべていたが、一礼して言上した。


「まずすべきことは、茅生国の三家を滅ぼす具体的な作戦の計画を立てることです。入念な準備をし、整い次第、軍勢を集めて攻め込みましょう。期限は今年中です。あまり時間に余裕はありません。すぐに必要な物資の手配に取りかかるべきです」


 武将たちは当然の答えだろうという顔つきだった。定恭もやはりと思い、眉をひそめた。旧家の家老蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)が視線で合図して太く低い声で尋ねた。


「砂鳥殿はどうお考えかな」

「戦には反対です。調略で落としましょう」


 広間の人々は皆唖然とした。吉存に対抗させたかったらしい蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)も絶句している。驚かれるのは予想していたので、その理由を述べた。


「攻め込めば必ず桜舘家の援軍が来ます。彼等は強く、行動が速いです。三家は救援を信じて頑強に抵抗するでしょう。力攻めをしても援軍の到着前に城を陥落させるのは難しいと思われます」


 先月の出来事なので記憶は新しく、苦々しげな顔をした者もいた。


「桜舘勢に手こずっているうちに成安家の軍勢も現れます。北では采振家が動き出します。南部三家を滅ぼすどころか、当家の領内へ攻め込まれ、大きな損害をこうむる可能性があります。成安家や桜舘家はこの機会に当家をたたいてしばらく大人しくさせようと考えるかも知れません」

「だから調略か」


 蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)は理屈は分かるが賛成しかねるという顔だった。


「はい。加増を条件にすれば下すことも可能でしょう」

「加増だと?」


 犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)が耳を疑うように聞き返した。


「泉代家に二万貫、他の二家に一万貫ずつ加増すると約束すれば味方に引き込めましょう。今回併合した猪焼(ししやき)領が丁度四万貫、当家が失うものはありません」


 ううむと首を傾げる家老たちに定恭は言葉を強めた。


「桜舘家との戦は大きな賭けになります。調略で味方に引き込む方が確実です。これほど大きな譲歩をすれば、三家も当家を信じるでしょう」


 もともと、五家の攻略を命じられた時、定恭は調略を提案した。これまでの対立は水に流して厚遇するから、宇野瀬家から当家に鞍替えしてほしい。そう説得すれば、武者を動かさずに茅生国を手に入れられると考えたのだ。桜舘家が離反したばかりで南国街道を通れなかったので、宇野瀬家も諦めただろう。だが、華々しい手柄を欲した持康は却下し、開飯城へ攻め込んだ。その結果、二家の攻略に一年を費やし、桜舘家と成安家という強敵を呼び込んでしまった。


「私自身が使者になり、必ず説得してみせます。これが最善と考えます」


 どうかご命令をと平伏した頭上に、笑いを含んだ声が落ちてきた。


「調略ですと? 本気でおしゃっているのですか」


 吉存だった。にこやかな表情だが、それが形だけなのがはっきり伝わる口ぶりだった。


「せっかく奪った土地を分け与えてどうします。それでは何のために二家を滅ぼしたか分からぬではありませんか」


 吉存は大げさな身振りで首を振って呆れてみせた。


「砂鳥殿は大切なことを分かっておられぬようですな。ただ茅生国を攻略すればよいわけではありません。大殿や若殿に忠実な者に土地を与え、当家の力を増すことが重要なのです」


 武将の何人かが「その通り」と声に出した。


「第一、南部五家はずっと敵だったのですよ。以前は成安家の配下で、宇野瀬家に鞍替えし、采振家と同盟して、また成安家に従おうとしている。到底信用できません。土地と利権にしがみ付いている者は、いつ裏切るか分からぬではありませんか」


 万羽国に土着する者たちは別な者が国主になれば従うのだろう。増富家に本当に忠実なのは我等新家だけだ。そう言外にほのめかしたので、旧家の者たちは顔色を変えたが、吉存はそれを無視して持康に目を向けた。


「もう一つ、若殿が大将でいらっしゃることを忘れてはいけません。戦って勝利して、若殿の実力を内外に示すことが必要です。それが当家の武威を高めます。調略では若殿の手柄にはなりません」

「確かにそうだな」


 持康はうれしそうだった。

 説得役を引き受けて自分が功績を上げたいのでしょうがそうはいきませんよ。吉存に横目でにらまれて定恭はげっそりした。それは違うと反論しようとしたが、その前に持康が断を下した。


「調略はしない。戦って勝つ。でないと、泉代家と桜舘家に負けっ放しになってしまうではないか」


 どうやら持康は敵の軍師と成明に恨みを晴らしたいようだった。


「父上からも三家を滅ぼせと命じられている。お米役が手柄を立てるための戦ではない」


 定恭がそういう性格でないことは知っているはずだが(さげす)みたいらしい。定恭はいつも一人で全部分かってしまい、予想もつかないことをどんどん提案する。持康はそのたびに家臣たちの前で言っていることが分からないと告白させられる。それは定恭も自覚があったので、まだ言いたいことがあるのを我慢して、大将の決定に平伏して従った。


「では、軍勢を率いて出陣し、滅ぼすことに致しましょう」


 犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)が話を進めた。


「問題は、城を攻める間に敵の援軍が来る可能性が高いことですな」

「援軍さえ打ち破れば、三家は抵抗の無駄を悟って降伏するでしょうな」


 蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)が続いた。大評定もそうだったが、軍議も二人の家老が協力して司会をする。


「砂鳥殿と記殿はどうお考えですかな」


 問われて、吉存が先に答えた。


「桜舘家と合戦すべきです。長引かせれば我々が不利です。一戦して撃破し、そのあとで三つの城を落とすのがよいと思われます」


 定恭も同意見だった。


「成安家の援軍は到着まで日数がかかります。桜舘軍に勝利すれば、三つの城を余裕を持って攻めることができます。三家が降伏すれば成安軍は引いていくでしょう」

「となると、合戦の作戦が重要ですな。作戦の案はおありですかな」


 蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)は期待する口ぶりだった。定恭は困ったが進言した。


「前回は城を包囲中に南北から攻められて兵力の分散を余儀なくされました。それを繰り返さないためには、城を攻めず、国境も封鎖せずに桜舘軍を茅生国に引き入れて、どこかで野戦を挑むしかありません。賭けになりますが、今回は十二万貫が増えた分、兵力を多くできますので、数で押せば勝てるかも知れません」

「つまり、必勝の方策はないのですな」


 吉存に確認されて、定恭は頷いた。


「勝てても相当な損害が出るでしょう。もし成安軍と戦うことになった場合、苦戦は必至です。また、前回同様、桜舘軍は決戦を避けようとするはずです。うまく合戦に持ち込めるかは分かりません」


 だから調略を提案したのだ。桜舘軍に時間稼ぎをされると、敵地に侵攻している増富軍は不利になる。


「さすがの砂鳥殿も今回は妙案がないようですな」


 ちっとも「さすが」と思っていない口調で言った吉存に、犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)が尋ねた。


「では、記殿には考えがおありなのですな」

「はい。一つございます」


 吉存は自信ありげな笑みを浮かべた。


「聞かせてくれ」


 持康が身を乗り出した。


「では、ご説明申し上げます」


 吉存は列座の人々を見回して、もったいぶった様子で語り始めた。


「前回の戦いの経過を聞きましたが、桜舘軍はなかなか強いようです。しかも、合戦して時間をかけずに勝たなくてはなりません。難しい条件ですが、我々には有利な点が一つあります。それは、当家が先に現地に入って敵を迎え撃つことになるため、戦場をこちらが設定できることです。伏兵や奇襲が可能なのです」


 皆真剣に聞いている。定恭はその通りと思いつつ、嫌な予感がしていた。


「有利な地点で敵を待ち伏せて、奇襲し壊滅させる戦いと聞いて、皆様は何かを思い出されませんか」


 まさか、と定恭が思ったことを持康が口にした。


「もしかして浮寝(うきね)横槍(よこやり)か?」

「おお、よくお分かりになりましたな。さすがは若殿、大変勉強なさっていらっしゃいます」


 吉存が感嘆した様子で大げさにほめると、持康はうれしそうな顔をした。


「そうです。あの大勝利の再現を、私は提案致します」


 広間の人々はざわめいて顔を見合わせた。吉存はそれを得意そうな様子で眺めていた。


「初代宝康公は天才的な軍略家でした。その戦い方を参考にさせていただきます。敵の行軍中を奇襲し、混乱させて大打撃を与えます」


 吉存の作戦はこうだった。

 土長城を攻めようとすると、どうしても国境付近での戦いになる。それでは奇襲は難しいし、三家の軍勢が邪魔だ。そこで、旧猪焼(ししやき)領の撫菜(なでな)城から出陣し、市射(いちい)家の裾深(すそみ)城を包囲する。この場合、桜舘軍は南国街道を土長城まで北上し、そこから裾深(すそみ)街道を東へ進んでくることになる。


裾深(すそみ)城の手前に霧前原(きりまえはら)という草地がございます。そこで桜舘軍を待ち伏せましょう」


 この東西に細長い野原は北に白鷺川(しらさぎがわ)の支流の石叩川(いしたたきがわ)が流れ、南に森があり、街道はその間を走っている。しかも、野原の直前まで川に沿った狭い谷間が続いている。(ひざし)(うみ)の岸辺を進んだ反乱軍のように、桜舘軍は長い隊列で野原に現れる。そこを森から飛び出して横から襲い、二つに分断し、川に押し付けて包囲して、総大将を討ち取ろうというのだ。


「敵を油断させ、注意を引き付けておいて意外な方向から急に攻めるべし。初代様は勝利の秘訣を聞かれてこうお答えになったそうです。その真髄(しんずい)にして最高の実例が浮寝の横槍と存じます。(おそ)れ多いことですが、それをまねさせていただくのです」


 吉存は神妙な口ぶりだったが、膨れ上がった自負心が表情に現れていた。


「どうでしょう。初代様のこの作戦なら、桜舘軍など簡単に打ち破ることができましょう」


 これはまずいと定恭は思った。この作戦は駄目だ。


「なるほど、それなら勝てそうだな」


 持康は感心した様子だった。


「素晴らしい作戦だ。お前たちもそう思うだろう」

「もちろんでございます!」


 新家の犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)は大きな声で返事をした。旧家の蛍居(ほたるい)汎満(ひろみつ)も仕方がないという顔で言った。


「よき案と存じます」


 他の人々も賛成の言葉を口にしている。


「よし、では、この作戦で行く。皆、すぐに準備にかかれ!」

「お待ちください」


 出しゃばりたくなかったが、定恭は我慢できなかった。


「その案には無理があります」


 諸将は驚いた様子で注目した。持康はまたお前かという顔をしたが、定恭の実力は知っているので、渋々という様子で尋ねた。


「お米役は反対か」

「はい。この作戦はきっと失敗します。敵はあの銀沢信家です。おやめになった方がよいと思います」


 進言すると、記吉存が怒りを露わにした。


「この案のどこに問題があるというのですか!」


 叱るような口調で威嚇(いかく)されたが、負けてはいられなかった。


「行軍中を奇襲するという発想自体は悪くないと考えます。ですが、この作戦は絶対に成功しません。決定的な欠点があります」

「それは何だ」


 持康に問われて、定恭は答えた。


「既に使われた作戦だということです。それも極めて有名な戦いです。信家は軍学塾出身と聞きました。きっと知っています。ですから、必ず破られます」

「初代様の作戦が破られるというのですか!」


 吉存は顔色を変えた。


「無礼ですぞ! 取り消しなさい! 初代様の軍略は砂鳥殿ごときに理解できるものではありません!」

「浮寝の横槍はすぐれた作戦です。しかし、今回の相手には通用しないと思うのです」

「敵の軍師は初代様より上だというのか!」


 吉存は激怒した。


「宝康公は多くの戦で手柄を立てられ、この国を頂いて改革を断行なさった大英傑ですぞ。初代様のおかげで当家はこのように繁栄し、戦狼の世でも強国でいられるのです。そのお方がまだ十七の小僧に劣るとおっしゃるのですか!」


 吉存は宝康のことになるとむきになる。それは分かっていたが、言わなければならなかった。


「そうではありません。三百年前はうまく行きましたが、今まねをしても駄目だということです」

「若殿や私では役者が不足ということですか! 失礼ですね!」

「違います。実行する人の力量の問題ではありません。敵は知っているので対策を立てられます。それが怖いのです」

「作戦自体がすぐれていれば、知られていても勝てるはずですぞ。砂鳥殿ならこの作戦をどう破るというのですか。行軍中を奇襲されて、どう体勢を立て直すのですか!」


 定恭は言葉に詰まったが言い返した。


「すぐには出てきませんが、必ず方法があるはずです。敵の軍師はそれを見付ける力があります」

「そもそも、こちらがこの作戦を使うとどうして敵が分かるのですか。戦場がどこになるかも敵は知りません。恐らくまた土長城が攻められると思っていて、裾深(すそみ)城が包囲されたと聞いて、慌てて救援に来るでしょう。そこを待ち伏せてたたくのです。それでも勝てないというのですか!」

「勝てないと思います」


 否定の言葉を繰り返しながら、定恭は自分でも駄々をこねる子供のようだと思った。理由をうまく説明できない。結論と確信が先にあって、理屈があとから付いてくる自分の癖が恨めしかった。


「そんなに反対なのか」


 持康は意外そうだった。定恭がこれほどむきになって反論するのは見たことがなかったのだ。少し迷っていたが、急に意地悪な顔になった。


「お米役。そこまで言うなら、もっとよい作戦の案があるのか」

「いえ、ございません」


 定恭はそう答えるしかなかった。


「先程申し上げました通り、確実に勝てる作戦はないのです。ですが、この案はきっとうまく行きません……」

「ならば、記殿の邪魔をするな!」


 持康は言葉をさえぎって怒鳴った。


「よい案を出せぬくせに人の案にけちをつけるな!」


 吉存が冷ややかに言い放った。


「あなたの作戦では桜舘軍に勝てなかったではありませんか。若殿は初代様の血を受け継ぐお方です。名将になられる素質をお持ちでしょう。あなたはそれを引き出せなかったことを恥じるどころか、邪魔をしようとするのですか!」


 持康は持ち上げられてうれしそうな顔をした。


「今、確信しました。あなたのせいで桜舘家に負けたのです。そうでなければ若殿がお負けになるはずがありません」


 持康はもっと言ってやれという顔をしている。


「泥鰌縄手で若殿が背後へ回る攻撃を命じた時、あなたは制止したそうですね。私が聞いた話では、二家の軍勢はまだ遠かったようです。あのまま敵を包囲して混乱させていれば挟撃は成立せず、こちらが勝ったでしょう。若殿は機を見るに敏で勇気を示されたのに、あなたが判断を誤って味方を敗北させたのではありませんか」

「林が燃え上がり、田の土中に釘が仕掛けてあったのですから、向こうの予想通りに状況は進んでいたのです。あのまま攻撃しても勝つのは難しかったと思います」

「炎はただの脅しで直接の死傷者はいませんでした。それなのに、あなたは恐怖に駆られて逃げようとしたのです!」

「違います。あの時はああするしかなかったのです」

「言い訳は見苦しいですぞ。自分の失敗を認めず、今度は私への対抗意識から、畏れ多くも初代様の業績にけちを付けようとしています。あなたでは勝てないから私が加えられたのです。その現実を認めることです!」

「しかし、この作戦では……」


 定恭は食い下がろうとしたが、持康が一喝した。


「黙れ! もう決まったのだ! 臆病者め! お前のせいで俺は負けたのだ。また邪魔をするつもりか!」


 いつも定恭に反対され(さと)されていた鬱憤(うっぷん)を晴らすように、持康は必要以上に声を張り上げた。 


「お米役(こめやく)が出しゃばるな! お前は兵糧のことだけ考えておればよいのだ。もう作戦には口を出すな! これは命令だ!」


 持康は吉存に目を向けた。


「合戦のことはお前に任せる。それでよいな」

「ありがとうございます。必ずやご期待にお応えします。若殿には戦場で大いに活躍していただきます」

「それは楽しみだ。吉存は大した軍師だな!」


 愉快そうに笑う持康を見て、定恭は自分の愚かさに気が付いた。吉存に向ける笑みはどう見ても今日初めて会った相手に対するものではなかった。吉存は何日か前に持康に会って、この作戦を説明して了承されていたのだ。


「細かい話を聞こう。お前は俺の軍師だ。もっと近くに来い」

「若殿のお許しが出ましたので、僭越(せんえつ)ながら、おそばに座らせていただきます」


 吉存は新家の列の一番前へ行き、犬冷(いぬびえ)扶応(すけまさ)にお辞儀をして横に並んだ。扶応(すけまさ)は執政の脇盾(わきだて)能全(のうぜん)に事情を聞いていたらしく、不満そうな顔をするどころか喜んでいた。これまで旧家の定恭が大きな影響力を持っていたが、今後は新家が主導権を握る。この戦に勝利すれば、新家内での扶応(すけまさ)の評価も上がるだろう。

 吉存が作戦の具体的な準備を指示する間、定恭は末席でじっと我慢していた。それでは勝てないと叫びたかったが、もはやどうしようもなかった。そんな友人に渋搗(しぶつき)為続(ためつぐ)が時々心配そうな目を向けていた。


「砂鳥殿にはこの作戦に必要な兵糧を用意していただきたい」


 軍議の最後に、吉存は薄笑いを浮かべて言った。下の地位の者へ命令する口調だった。持康も同じ表情をしていた。権力者への取り入り方の上手さは吉存らしかったが、この戦に負けるのではないかという定恭の気持ちは一層強くなったのだった。



 その夜、定恭は友人を家に招いた。話がある様子だったからだ。膳を前に酒を注いでやると、渋搗(しぶつき)為続(ためつぐ)は定恭に謝った。


「すまん。あの場で俺は何も言えなかった」


 一千五百貫の為続は大評定にも軍議にもいたのだ。


「三日前、若殿と記殿を城下の高級料理茶屋で見かけた者がいるらしい。俺も今日、大評定のあとで聞いたばかりだった。お前に話していれば結果が変わっていたか」


 定恭は首を振った。


「いや、若殿はすっかり記殿に言いくるめられていた。軍議の前から記殿の作戦で行くと決めていたのだろう。うっかりしていたよ」


 それが正直な思いだった。


「片方がちょっと目立つともう一方がそれに対抗する。当家はそういうところだった。誰かが送り込まれてきてもおかしくなかったのにな」

「お前らしいよ。地位や権力に執着しないのは美点だが、お前は興味がなさすぎる」


 定恭は苦笑した。この友人には以前も言われたのだ。お前は頭が切れるのだから、もっと保身に気を回せと。


「記殿には嫌われているからな。若殿にもだ。結託されてはかなわない」

「自覚があるならもっと警戒しろ。十二万貫を攻略した功績は大変なものなのだぞ」

「こちらは一万四千だった。勝てて当然だ」

「だが、一月(ひとつき)で二家というのは尋常じゃない」


 為続は定恭をまじめな顔でじっと見つめた。

 開飯(あくめし)城の合戦後、熊胆(くまのい)家を攻めあぐねた持康軍は一旦自領内に引き上げ、再侵攻の機会をねらっていた。そこへ、隠密が湿り原の合戦の結果を知らせてきた。定恭は宇野瀬家が足の国から手を引くと見て、持康に再度五家を調略しようと提案して却下され、やむなく開飯城を攻略する作戦を立てた。

 宇野瀬家の軍勢が茅生国を去った四日後、増富軍は熊胆領へ攻め込んだ。すぐに他の四家の援軍が到着し、にらみ合いになった。すると、増富軍は本陣からやや北に、周囲を木の柵や空堀で囲った簡易陣地を築き始めた。前回兵糧を焼かれたので、今度はより堅固な場所に米を置こうと考えたのだ。

 それを知った熊胆家はしめたと思った。あれではここに兵糧があると示しているようなものだ。守備兵は一千程度で、本隊は離れた場所で四家の援軍と対峙している。熊胆家は味方に敵を引き付けるように依頼すると、夜の闇に紛れて城から二千を出撃させ、大きく迂回して兵糧陣地に接近し、急襲した。

 守備隊一千は大混乱に陥り、大した抵抗もせずに逃げ出した。熊胆軍は兵糧に火を放つと素早く撤退に移った。

 ところが、いくらも行かないところで増富軍の本隊の一部三千の奇襲を受けた。わざと兵糧を焼かせ、油断した帰途を待ち伏せたのだ。しかも、逃げ散ったはずの守備隊一千が背後から襲いかかった。増富軍は熊胆軍二千を包囲して殲滅すると、四家の援軍三千九百に本隊と共に接近した。三倍以上の増富軍を前に四家は勝てぬと悟って撤退し、開飯城に残った武者四百は開城するしかなかった。


「二家の攻略は準備中のにらみ合いが長く、戦ったのはたった数日だ。大した損害も出なかった」


 熊胆家降伏より七日後、増富軍は猪焼(ししやき)領に接近した。猪焼領は西の熊胆領と間に白鷺川(しらさぎがわ)、北の増富領との間に支流の火吸川(ひすいがわ)が流れている。猪焼軍は西側の橋を、援軍に来た市射家と錦木家は北側の橋を守り、増富軍を渡らせなかった。

 川の両岸でにらみ合って三日後、猪焼軍に急報が入った。増富軍の一部が火吸川(ひすいがわ)白鷺川(しらさぎがわ)が合流する付近を船で渡ったという。北の橋を守っていた二家の軍勢は、橋の向こうの敵と新手に挟み撃ちにされ、やむなく撤退した。猪焼軍はほぼ空の撫菜(なでな)城を守るため、橋の守備を放棄して退却したが追撃を受け、先回りしていた北からの部隊に待ち伏せされて、城に戻れたのは半分ほどだった。


「結局、城を囲んだだけで二つとも攻めずに落としたんだよな」


 為続は自分が口にしたことが信じられないという顔をした。


「敵を油断させ、注意を引き付けておいて意外な方向から急に攻めるべし。初代様のおっしゃった通りのことをお前はしたわけだ。言うは(やす)いがなかなかできないぞ」

「言っただろう。数の違いさ。こちらは数隊に分かれても敵より多かった。それに俺は白鷺川の漁師に顔がきくから多くの船を集められた。それだけだ」


 砂鳥家はその名の通り漁業に利権を持っている。縄張りは海岸だが、定恭の義母は川の漁業権を持つ家から嫁いできた。


「もし数が敵と同じだったら勝てなかったのか?」


 定恭は答えなかった。


「ほら見ろ。やっぱりお前はすごいよ。銀沢信家にも負けてないと思うぜ」

「それは自信がないな」

「謙遜するなよ」


 為続が手にしていた杯をあおると、定恭が二人の間にあった銚子を手に取り、注いでやった。


「おや、もうないな。おい、誰か。酒のおかわりを頼む!」


 大きな声で呼びかけると、廊下側の襖が開いて定恭の妻が盆を持って現れた。


「そろそろだと思いまして」


 さよりは抑揚(よくよう)の乏しい声で言い、為続にちらりと目を向けてお辞儀をして、定恭の前に新しい銚子とあぶった干しいかを置いた。空になったのを盆にのせて立ち上がり、静かに部屋を出ていった。


「愛想のないやつですまん」


 夫の古い友人なのだ。しかも為続とは幼馴染らしい。笑みくらい作ってもよさそうなのにさよりは無表情だった。感情も肌の色素も薄く、容姿も平凡なつまらない女だが、目立たないのは本人の気持ちの有り方にも原因があるように定恭には思われる。


「文句を言うな。お前にはもったいないよい人じゃないか」

「まあ、不満はないな」


 友人にからかう口調で(さと)されて、定恭は認めた。砂鳥家の分家の三男坊が学才を見込まれて婿養子に望まれ、一つ年下の主家の跡取り娘と結婚して八年。特に恋しくはないが、嫌いでもない。六歳の息子もいるし、母親や妻の役割はよく果たしていると思う。ただ、無口でほとんど会話がない。


「あいつは不思議な女だ。何が楽しくて生きているのかよく分からない」


 定恭が言うと、為続は呆れた顔をした。


「もっと大事にしてやれよ」


 友人は自分と定恭の杯に酒を注ぎ、いかの足を一本口にくわえると話を戻した。


「で、今日の記殿の作戦は、本当に駄目なのか」


 深刻な口調だった。


「俺にはうまく行きそうに聞こえたのだが」


 為続も戦に出ることになる。一千五百貫四十五人の家臣の命がかかっている。

 定恭は口に運びかけた杯を止め、白い酒を眺めながら語った。


「最も強力な攻撃を知っているか。奇襲だ。奇襲の価値は、敵が適切な対応をとれないところにある。不意をつかれて混乱すれば、反撃どころかまともな防御すらできないことも多い。一方、予想している攻撃には対策が立てられる。心の準備もでき、武将も武者も余裕を持って対処できる。浮寝の横槍は奇襲だから成功したのだ。今回意表をつくのは、過去の通りに進むだろうと思い込んでいる味方ではなく、頭を使って反撃方法を考え出した敵の方だ」


 定恭は干しいかをつまんでを奥歯で噛み千切り、酒をのどに流し込んだ。


「だから、あの作戦では勝てない。浮寝の横槍は有名な合戦だ。敵軍師は絶対に知っている。こちらの作戦を立てているのが誰かは調べれば分かるはずだ」

「あいつが初代様を信奉(しんぽう)していることは有名だからな。あの合戦を参考にする可能性を敵が考えてもおかしくはないか」

「銀沢信家なら必ず対策を用意する。それがあの男や若殿には分からない。分かろうとしないんだよ」


 定恭は軍議で吉存が向けてきた敵愾心(てきがいしん)と優越感にあふれた表情を思い出した。丸っこい小男のあの表情には理由がある。九年前、定恭と吉存は学舎(まなびや)で成績を競っていたのだ。

 学舎(まなびや)を設立したのは初代宝康だ。五形(いつかた)城の政所(まんどころ)で働く者を育てるのが目的で、重職につくには優秀な成績でなければならない。全寮制で、寝食を共にして学問にはげみ、仲間意識を(はぐく)むことをねらっている。

 宝康の時代は新家の者しか入れなかったが、二代倶康(ともやす)は旧家の者にも入学を許可した。寮の部屋を増やす際、資金を出した旧家の者たちは増築を選ばず、隣の敷地に新たな建物を作った。新家の寮と分けたのだ。これがそのまま学内の派閥になり、寮の友の会の名をとって新家は新風会(しんぷうかい)、旧家は郷友会(きょうゆうかい)と呼ばれ、学業・武術・討論会・詠歌(えいか)などで競ってきた。特に重視されたのが軍学で、この成績が一位だった者が主席とされたが、降臨暦三八〇八年卒業組の中で常に一位の座を争っていたのが定恭と吉存だった。


「お前は天才だからな。秀才の記殿は負けたくなかったんだろう」

「自分を天才と思ったことはないよ。軍学に向いていることは認めるが」

「師範の講義が娯楽だったんだろう? みんな必死で勉強して試験の対策を練っていたのにな」


 為続は呆れた口ぶりだった。

 定恭は毎日講堂に、今日はどんな面白い話が聞けるのかとわくわくしながら通っていた。書物を読んで調べたり、聞いた話を頭の中で検討して深めたりするのも楽しんでいた。だから、もともと知識が多くて深く理解でき、今回の講義はよく分からなかったと感じたことがなかった。


「軍学は趣味だ。それがたまたま学舎の科目だっただけだ。成績なんてどうでもよかったんだよ」


 本当に好きでやっている人は、それが得意であることを威張らないし他者の評価も気にしない。定恭は新旧両家の対立を助長するこの競い合いが嫌いで、ことごとに吉存と比べられて迷惑に思っていた。

 そもそも、定恭は吉存という人物に関心がなかった。吉存はありきたりで常識的な、誰もが賛同しそうな意見しか言わなかったからだ。人当たりがよく、非常にまじめで博識だったが、討論の相手としてはつまらなかったのだ。

 その上、吉存は初代宝康の信奉者(しんぽうしゃ)だと公言していた。講義中何度も初代様がいかに素晴らしいお方かを陶酔(とうすい)した表情で力説したそうだし、座右の銘は宝康が提唱した九州和協(きゅうしゅうわきょう)で、書道の師範に書いてもらったこの言葉の掛け軸を寮の部屋に飾っているのは有名だった。


「戦乱の時代に生きた宝康公は、吼狼国の九つの州の全ての人々が力を合わせてよい国を作っていこうと呼びかけた。その理念は素晴らしい。だが、実際には新家と旧家の争いの種をまき、一国すら和協させられなかった。間違っていたとは思わないが、実現できなかった思想だ」

「不敬な発言だな」


 為続は苦笑したが、止めようとはしなかった。


「それに、あれは三百年も前の人物の言葉だ。記殿の頭から生まれたものではない。彼は知識をひけらかすのが好きだが、昔の人がどう言ったとか、何をしたとかは、全て他人の業績だ。簡単なことを難しく遠回しに長々と語るのは頭のよさではないんだがな」

「女には知的と思われるらしいぜ。若殿と会った料理茶屋でも随分もてていたそうだ」


 吉存はおのれの知力を発想の斬新さや考察の深さによってではなく、知識の多さで示そうとする。また、人々の思い込みや一般的な認識に乗っかることで、自分の意見を正しく見せようとする傾向があった。何かというと宝康の事績を持ち出すのも、誰も否定できない初代の英傑の権威を借りている面があり、そういう姿勢を本人はおのれの頭のよさや巧妙さだと信じていた。


「賢いとは自分で考え、判断できることだ。戦狼の世を(うれ)えるのなら、この時代とおのれに合った思想を自分で作り上げ、自分の言葉で語ればよい。過去の人物の言葉を偉そうに持ち出すのは、自分で新しいものを生み出す力がないからだ」


 吉存は定恭に勝つために必死で努力していたが、論述試験の結果はいつも定恭が上だった。吉存の答案は、書物のどれかに書かれているものを引用しただけのような論ばかりだったからだ。


「よっぽどお前に勝ちたかったんだな。裏でいろいろやっていたらしいぞ」


 為続は吉存に同情する口ぶりで言った。新風会と郷友会の争いは年々激しくなり、遂には師範に賄賂(わいろ)を送ったり、不正を行ったりすることもあった。それでも定恭を抜くことはできなかった。


「だが、最後はあいつが勝ったろう。俺は次席だった」


 二人の決着は卒業前の最終試験にもつれこんだ。他の科目は二人とも満点で、いよいよ軍学の日になった。論述の題目は浮寝の横槍の作戦についてだった。

 吉存は宝康の武略を言葉をつくしてほめ(たた)え、史上屈指の巧妙な奇襲殲滅(せんめつ)戦と結論付けた。定恭は勝利に至る過程に複数の偶然が重なったこと、壊滅させたことで恨みを残し、新旧両家の対立の原因となって、その後に負の影響を与えていることを指摘した。


「作戦としてはすぐれていたが、一つ間違えば負けた可能性もある。旧家の特権を認めて共同で商売や開墾を行い、新家との婚姻を進めるなど家中の一体化を図って戦を避けるべきだった、か。結果が分かった今だから言えることだが、その通りだ。採点する方も困ったろうな」


 師範たちは定恭の論に説得力があると感じたが、初代様を批判したことを重く見て、吉存を最優秀とした。


「あの答案を馬酔(ばすい)公が読んだらしいな。それでお米役に任じたんだな」


 新家に負けたことで旧家内で風当たりが強くなって不遇だった定恭に、執政は興味を持った。呼び寄せて話を聞き、しばらく身近に置いて才を確かめると小荷駄方に配属し、持康の補佐役として送り込んだ。


「記殿はお前に勝ったと思っているが、今でも負けたくない対抗心がある。だから、わざと見下したり、自分が上役のように振る舞ったりする」

「それが危ういんだ。記殿はそういう自分に気が付いていない。最も大切なのはこの戦に勝つことなんだが、若殿や家中の評価を気にして、受けのよさそうな作戦にしたのではないかと疑いたくなる」


 吉存は決してばかではない。が、そのせいでかえって判断基準を間違えている気がするのだ。


「記殿は初代様に傾倒しすぎていて、あの合戦を冷静に分析できていない。作戦のすぐれた部分を取り出して応用するならよいが、そっくりまねしようとしている。そんなことがうまく行くはずがない。あれは宝康公だからできたのだ。他人のまねは誰にもできない。自分に合ったやり方を考え出すしかないんだ」

「記殿は、お前が勝てなかった桜舘軍に勝つことで、自分の方がまさっていると示したいんだろうな。気持ちは分からなくもないが、若殿をおだてて取り入るのはよくない」

「旧家に勝って、新家の中で評価を高めたいんだろう。出世して執政にでもなりたいのかも知れないな。結局、記殿は自分のことしか考えていないのだ。若殿の成長や当家の今後よりそちらを優先している」


 記家は祐筆(ゆうひつ)として古くから当主に仕えた家で、新家の中でも名家だが、(ろく)は少ない。吉存はもっと貫高を増やし、家老の地位に上りたいようだ。


「もう一つ、記殿には不安材料がある。家柄からずっと政所で働いていて、深奥国の戦が初陣だった。俺も一年前が初めてだったから人のことは言えないが、いきなり銀沢信家や桜舘直春と対戦するのは冒険にすぎる」


 定恭と為続は昨年から桜舘家と菊次郎に興味を持って隠密に探らせていた。十分に警戒したつもりだったが、それでもしてやられたのだ。


脇盾(わきだて)公には随分期待されているようだな。だが、戦に負けたら出世はできないぞ」


 定恭は頷いて、やや声を落とした。


「そこで頼みがある。渋搗(しぶつき)家の情報網を使って桜舘家と南部三家の内情を探ってくれ。成安家や采振家も頼む」

「分かった。任せろ」


 渋搗(しぶつき)家は柿渋(かきしぶ)の製造を家業にしている。それを塗った紙なども作っていて、周辺の国々に売って回る。柿渋は非常ににおうので、学舎で陰口をたたかれることが多く、悪口を言わない定恭と友人になった。


「俺たちはくさい仲だからな」 

「そうだったな。鼻つまみ者同士、こちらでも情報を集めてみる」


 砂鳥家も海で取れた魚介類の干物を扱っていて、内陸や都の方まで行商に行く。よく体が生臭いとからかわれたものだ。


「この戦いに勝てば南方はしばらく安定する。負けると桜舘家を勢い付かせる。俺たちにとっても当家にとっても重要な一戦になるだろう」


 定恭は予言するようにつぶやくと、杯を傾けて、残りの酒を一気にあおった。銚子を手に取った為続がすぐに次を注いだ。


「俺たちが生き残る方法を教えてくれ。お前ならどうやって浮寝の横槍を破る」

「敵軍師の作戦は分からないが、検討してみるのは面白そうだ」

「ぜひ軍学好きの意見が聞きたい」


 二人はにやりとし、長いこと酒を飲み続けたのだった。

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