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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の二 大軍師誕生
16/66

(巻の二) 第四章 開戦 上

「そろそろ来そうだな」


 丘の上で草むらに隠れながら蓮山本綱がささやいた。菊次郎は頷いて、目の前の狭い盆地の北側、大きな川の向こうへ目を凝らした。

 冬至を過ぎて半月後の椿月五日の昼前、桜舘軍は駒繋城へやってきていた。平汲家の策略に乗ったふりをして宇野瀬・平汲・押中三家の軍勢を打ち破り、葦江国を統一するためだ。

 平汲可近・可済親子と夏姫からの誘いを罠と断じた菊次郎たちは、平汲家と交渉を続けながら相手の意図を探り、三家を出し抜く計画を立てた。

 菊次郎の提案した策は二段階に分かれていた。

 まず、平汲家の背後に宇野瀬家がいるかどうかを確認する。これが一番重要だった。約束の場所に宇野瀬勢が現れて三家を同時に相手にすることになったら、まず勝ち目はない。

 だから、駒繋城に前もって隠密衆を送り込む。進軍の際も物見を多数出して伏兵を警戒し、宇野瀬勢がいたらすぐに引き返す。四千の本隊以外に五百の別働隊を作って道の途中に伏せておき、追撃された場合は奇襲し挟み撃ちにして撃退する。

 平汲勢の言った通り宇野瀬勢が遅れて到着するなら、押中勢を殲滅後、即座に平汲勢に襲いかかって打ち破る。別働隊五百は平汲家の側面や背後を襲う。その後、現れた宇野瀬勢を奇襲して葦江国から追い払い、二家の城を落として国内を平定する。


「それだと慎重すぎねえか」


 この計画を忠賢は気に入らないようだった。


「三家の軍勢の相手はお殿様だけで充分だ。平汲勢は最大で七万貫の二千一百、三千も連れて行けば勝てる。そっちが敵を引き付けている間に一千五百で千本槍城を落とせばいい」


 忠賢は自分の案を話した。


「千本槍街道は駒繋の町から南国街道へつながってる。押中家の主力は駒繋城へ向かうから、こっちは南国街道から侵入すればいい。空の城なんざ簡単に落ちる。慌てて戻ってくる連中を待ち伏せて撃破したら、駒繋城へ行ってお殿様と合流する。勝てそうなら宇野瀬勢を追い払って城を攻める。無理なら引き上げればいい」


 直春も他の者たちも皆真剣に耳を傾けていた。


「どうだ。これなら平汲家の策が本当か噓かに関係なく城を一つ落とせる。お殿様と別行動して効率よく攻めようぜ」


 そちらの指揮を自分でとりたいらしい。

 菊次郎は実現可能な作戦だと思った。忠賢がかなり頭が切れるのは知っていたが、予想以上によく考えられている。だが、首を振った。


「確かに魅力的な提案です。しかし、賭けの要素が大きすぎます」


 菊次郎はそこがどうしても気になった。


「千本槍城がすぐに落ちるとは限りません。その場合、直春さんは数倍の敵を長い間相手にすることになります。平汲勢は二千、宇野瀬勢は恐らく一万、たった三千では勝ち目はありません。かといって、直春さんの主力が撤退すれば、攻城中の別働隊に大軍が向かうことになります。押中勢と戦っていて撤退が遅れれば全滅しかねません」


 言いながら、悲観的すぎると自分でも思った。だが、その気持ちを菊次郎は押し殺した。


「何より問題なのは、ただでさえ劣勢な兵力を二分することです。片方が負けたらもう一方も勝つのは難しくなります。直春さんに兵力を集中し、失敗時の退却の成功率を上げるべきです」


 実は、もっと賭けの要素の大きな作戦を菊次郎も思い付いていた。うまく行けば一気に二家の城を落とせるはずで、直春と忠賢ならやってのけそうな気もしていた。

 しかし、危険すぎると考えて口にしなかった。菊次郎は軍師だ。立てる作戦は直春たちや多数の武者の生死に関わっている。できるだけ失敗しそうにない作戦、失敗しても損害が大きくならない作戦を選びたかった。

 自分はかつて浅慮(せんりょ)のために大勢を殺している。それを繰り返したくなかった。直春たちの身に何かあれば、菊次郎は決して自分を許せないだろう。


「お前は何を怖がってるんだ」


 忠賢は不愉快そうに言った。珍しく怖い顔だった。


「戦いに絶対はないんだぜ。ある程度はどうしても賭けになる。それを恐れてどうする」


 忠賢は自分の案が否定されたから怒っているわけではないようだった。


「きっとまた機会はあるから無理はしないとお前は言うが、こんな好機は当分来ないぜ。多少無理をしてでも片方の城は落とすべきだ。そうすりゃあとがいろいろ楽になる。俺たちは天下統一を目指してるんだろ。先は長いんだ。こんなところでぐずぐずしていてどうする」


「ですが、僕の提案より失敗する可能性が高いです。確実に、堅実に行きたいんです」

「確実に勝つなんて無理なんだよ。成安家の沖里(おきざと)是正(これまさ)ってやつはそういう戦い方をするらしいが、天下一の大封主家だからできるんだぜ」


 忠賢は声を(あら)らげた。


「お前の故郷の町が陥落したのは、定橋(さだはし)とかいう家の当主が関所の守将(しゅしょう)と仲が悪かったから、わざと伏兵の策を教えなかったって隠密が調べてきたろ。それを知って守将は鮮見家に付いたんだ。お前のせいじゃなかったんだぜ。まだ気にしてんのか」

「それは直春さんの言った通りでした。教邦(のりくに)(みずか)ら滅んだんです。でも、僕も間違えました。そのせいで家族を失ったことに変わりはありません」

「だからって、いつまで縮こまってんだ!」

「まあ待て」


 直春が割って入った。


「忠賢殿の言いたいことはよく分かる。だが、これは俺たちの最初の戦いだ。賭けはしない方がいいと俺も思う」


 直春はその理由を説明した。


「気にしなければならないのは敵だけではない。家中にはまだ俺が当主になったことに不満な者が多い。大きな失敗をすれば、俺も妙もここにいるみんなも今後いろいろとやりにくくなる。失敗は避けたい。勝てない場合はできるだけ損害を出さずに撤退したい。その意味では慎重な計画を俺は支持する」


 妙姫・良弘・本綱が頷いた。


「忠賢殿の提案にはとても心惹(こころひ)かれるが、今回は軍師である菊次郎君が確実性が高いという方を選ぼう」


 言って、直春は菊次郎をまっすぐに見た。


「それで勝てるのだな」

「はい、多分うまく行きます」


 答えながら菊次郎はほっとしていた。これでみんなと桜舘家を守れる。境池の合戦はかなり危うい勝利だった。もう二度と仲間を危険にさらしはしない。知恵を絞って安全で無理のない策を立てたつもりだった。

「よし、では菊次郎君の案をもとに、すぐに準備に取りかかろう」


 忠賢はまだ文句を言いたそうだったが、直春と顔を見合わせて、渋々ながら頷いた。

 その後、入念に準備が進められ、とうとう平汲家と約束した日がやってきたのだ。


「しかし、驚いたぜ。本当に宇野瀬勢が遅れるとはな」


 忠賢が隣でつぶやいた。全身青い鎧姿で森の太い木に背中を預け、口に香りのよい草をくわえている。


「平汲家の背後には絶対に宇野瀬家がいると思ってたんだが」


 だから駒繋城を落とすのは困難だろうと考えて、忠賢はあの提案をしたのだ。


「そうだな。今でも信じられん気持ちだ」


 蓮山本綱が賛同した。菊次郎も同感だった。(かかと)の国方面、つまり東へ伸びる葦狢街道の先へ目を向けたが、やはり軍勢の姿はない。街道の入口には通行料を取るための関所があるが、頑丈な門は閉じられていた。


「平汲家は宇野瀬家をだますつもりなんですね。すごい勇気です。僕にはとてもまねできません」


 想像するだけで恐ろしいと身を震わせると、忠賢がからかうように言った。


「お前はもっと大胆になった方がいいと思うぜ。守りに入っちまうと、人も封主家もどんどん衰退するからな」


 耳が痛かった。

 一方、田鶴は小猿と一緒に木に登って太い枝に座り、桜舘軍主力の姿を探していた。


「直春さんたち、うまく隠れたね」


 駒繋城は葦狢街道の途中の盆地にある。盆地の北側と西側は駒繋川が堀のようになっていて、南と東は丘や森だ。平地は大まかに、南部に畑、東に城と広場、西に宿場と城下町がある。

 直春と槻岡良弘が率いる四千は東側、城のすぐ北の森にいる。押中勢が現れたら奇襲して挟撃するため、平汲家と相談して決めた配置だった。

 菊次郎・忠賢・田鶴は蓮山本綱の別働隊に属していた。五百人の内訳は、忠賢隊三百と蓮山家五千貫直属の百五十、その他五十だ。この隊の存在は平汲家にも秘密なので、武者たちは葦狢街道を西の豊津の方へ少し戻ったところに隠れていて、菊次郎たちは丘の上の木々の陰から様子をうかがっていた。


「平汲勢はもう戦闘準備が整っていますね」


 二千が城の前の広場に整列している。南へ伸びる黄葉谷(きばたに)街道の入口の前だ。


「押中勢はあっちからが来るのよね」


 田鶴が北を指さした。千本槍街道は押中家の城へつながっている。直春たちの主力は街道から押中勢が現れたら森を飛び出して退路を遮断し、城へ戻れなくする予定だ。

 つまり、駒繋の町は東西南北に一本ずつ道が伸びていて、そのうち北と西は川にかかった橋を越えていく。菊次郎たちがいるのは西側の橋のそばだ。


「他のみんなはどこにいるのかしら」


 情報収集のために送り込んだ隠密衆は民にまぎれて町にひそんでいるのだろう。頭領の田鶴は心配なようだ。

 と、本綱が緊張した声を出した。


「来たぞ。押中勢だ」


 北側の橋の向こうの細い道を軍勢が進んでくる。橋を渡って谷になっている駒繋川を越え、どんどん広場へ入っていく。


「一千四百といったところか。ほぼ全軍だ」

「つまり、城は空ってことだな」


 忠賢が皮肉っぽく言った。菊次郎は頷いた。


「そうですね。城に残っているのは百程度ですね」

「あれをこれから平汲勢と当家の主力が攻撃するのだな」


 本綱が言った時、目が抜群によい田鶴が枝の上で声を上げた。


「その後ろに違うのがいるよ。あれって宇野瀬家の軍勢じゃない?」

「そんな、まさか!」


 慌てて北の森へ目を()らすと、藤色の鎧の押中勢の後ろに色が違う部隊が続いていた。紫の鎧は宇野瀬勢の特徴だ。


「北から宇野瀬勢だと? それもかなり多いぞ」


 忠賢はいつもの余裕の笑みを消して、驚きを露わにしている。


「東から来るんじゃなかったの? どういうこと?」


 田鶴が不安そうな声になった。


「多分押中領に隠れていたのです。先月は四度も宇野瀬勢が南国街道を通過しましたから」


 茅生国へ向かう部隊、踵の国へ戻る部隊の一部が押中領を通過する時に離脱して身をひそめていたのだろう。


「こんなことを考えるのは赤潟武虎でしょう」


 今回来襲する宇野瀬勢にあの男が同行することは平汲家から聞いていた。だからこそ慎重な作戦を立てたのだが、見事に裏をかかれてしまった。


「これはまずい。退路がなくなる。包囲されるぞ」


 本綱が青くなった。

 その言葉通り、現れた二つの軍勢は直春隊のいる森を取り囲むように動いていた。押中勢は橋を渡ってすぐに停止して千本槍街道へ入れないようにし、宇野瀬勢四千は城下町の前に広がって豊津方面への道を塞いだ。


「平汲家が裏切ったの?」


 田鶴が怒った声を出したが、菊次郎は首を振った。


「いえ、違うでしょう。平汲家もだまされたのです」


 宇野瀬勢が現れた時、平汲勢には明らかに動揺が見えた。


「しかし、こうなったらもうこっちの味方はしないだろう」


 本綱が言った。


「そうですね。押中勢と宇野瀬勢は合計五千四百、直春さんたちと平汲勢は合わせて六千、ほぼ互角です。これで戦ったら、仮に勝てても宇野瀬家の本隊に(いど)めるだけの余力は残りません。滅ぼされたくなければ宇野瀬家に味方するしかありません」


 平汲勢は南側、黄葉谷(きばたに)街道の前にいる。つまり、北、豊津のある西、南、三方への道が塞がれた。


「三家合わせれば七千四百。これは厳しいです」


 菊次郎はどう助けるべきかを考え始めたが、それは田鶴の悲鳴ですぐに中断させられた。


「違うよ! もっと多いよ!」


 指さしたのは東側だった。関所の向こう、踵の国の方から、多数の軍勢がこちらへ近付いてくる。鎧の色は紫、すなわち宇野瀬家の本隊だった。


「どういうことだ! 道を塞ぎ、到着を遅らせたのではなかったのか!」


 本綱は蒼白になっている。


「恐らく平汲家の策を武虎が破ったのです」


 菊次郎の声は震えていた。


「平汲家は本当に道を塞ごうとしたのでしょう。しかし、宇野瀬勢は予定より早く出発し、騎馬隊を先行させたのです。街道で作業している者たちを降伏させて平汲家に報告できないようにし、障害物を取り除いたのでしょう」

「つまり、敵はこちらの計画も平汲家の目論見も全て読み切って先手先手を打ってきたわけか。それも一ヶ月以上も前から準備して」

「そうです」


 菊次郎は肯定しながら泣きたい気分だった。このままでは直春隊は全滅する。そうなれば豊津城は陥落する。桜舘家は滅亡し、直春たちは死ぬ。

 体も頭も硬直したように動かなかった。胸に満ち潮のように絶望が押し寄せてきた。

 僕のせいだ。僕はまた間違った。再び武虎に敗れたんだ。今度は何人死ぬだろうか。大切な仲間をどれほど失うだろうか。


「どうしよう。ねえ、どうしたらいい?」


 田鶴が木を滑り降りてきて尋ねたが、何も思い付かなかった。


「敵が多すぎるよ。僕等の手元の武者は五百。宇野瀬勢四千の背後を襲っても、直春さんたちがこちらへ脱出できる可能性は低い。恐らく敵陣を突破する前に押中勢と平汲勢に包囲されて、直春さんの主力は壊滅してしまう。でも、やらないよりはましかな。一か八か、決死の覚悟で突っ込むしかない。直春さんさえ生きていれば桜舘家再興の望みはある」


 菊次郎は袖にすがる少女の腕をつかんだ。


「田鶴はすぐに豊津城へ戻って。妙姫様や直冬様に城を脱出するように伝えるんだ。成安領に逃げ込めば保護してくれるだろう。援軍を出してくれるかも知れない。豊津城は失うけど、どこかに領地をもらえる可能性はある」

「そんな! 菊次郎さんはどうなるの?」

「僕は突撃に加わる。戦力にならないのは分かっているけど、こうなったのは僕の責任だ。命の限り戦うよ」

「駄目よ! そんなの許さない。諦めないで!」


 田鶴は叫んだ。小猿がぎょっとして二人を見比べている。


「しっ、見付かっちゃうよ」


 菊次郎は黙らせようとしたが、田鶴は口を押えようとする菊次郎の手を首を激しく振ってよけた。


「まだ負けてない! 命を無駄にしないで! もう大切な人が死ぬのは嫌なの!」


 村が襲われて小猿と放浪することになった少女の訴えは、自らの失策で家族と故郷を失った菊次郎の胸をえぐった。


「ごめん。僕は直春さんたちの役に立てなかった。結局殺してしまうことになるかも知れない」

「逃げないで! この状況をなんとかする方法を考えてよ!」

「無理だよ! もうどうしようもないんだ!」


 思わず叫び返したところへ、低い冷ややかな声が割り込んだ。


「直春が死ぬだって? おい、縁起でもないこと言うなよ」


 ずっと黙り込んでいた忠賢だった。


「こいつの言う通り、まだ終わりじゃねえ」


 忠賢は木の根元からゆっくりと立ち上がると、涙ぐんでいる田鶴の頭に手を置いた。


「菊次郎、お前は絶望するのが好きだな。だが、それは何も好転させねえぜ」


 忠賢の表情を見て菊次郎は息をのんだ。普段にやにやした笑みを浮かべているこの男が、らんらんと目を輝かせて野心と闘志をむき出しにしていた。


「俺はこんなところで死ぬ気はねえ。かといって、逃げ出して一人だけ生き延びるつもりもねえ。桜舘家と直春は絶対に救う。あいつには一国一城の(あるじ)になるっていう俺の夢がかかってる。その実現にはこの国にいるのが一番早いって俺の勘が言うからな」


 忠賢は菊次郎をじろりとにらんだ。


「その中にはお前の知恵も入ってるんだ。こんなところで死なれちゃ困るんだよ」

「忠賢さん……」


 雪姫が狼のようと言った理由が分かる気がした。この男のすごみを菊次郎は初めて理解したのだ。また、直春が信頼する理由も悟った。

 忠賢は決して諦めない。目標に向かってまっすぐに進んでいく。そのためならどんな手段もためらわず、死に物狂いで勝利にしがみ付く。

 敵に回したら厄介(やっかい)この上ない。だが、味方で一軍を率いているなら実に頼もしい。任せたことは絶対にやり遂げるだろうし、自分がこの男に必要とされている限り必ず助けに来てくれるだろう。


「菊次郎、お前は間違えた。が、俺も間違えた」


 忠賢は、ふんっ、と笑った。まるでの猛獣の鼻息のようだった。菊次郎は獣臭(けものくさ)ささえ感じた気がした。


「今回は武虎にしてやられた。だが、まだ負けてねえ。俺たちも直春も生きてる。勝負はこれからだ」


 言うなり、忠賢は丘を下り始めた。


「どこへ行くんですか」

「俺が直春を救う。お前はそこの橋を落として城へ戻れ」


 忠賢は急に足を止め、菊次郎に歩み寄って両肩に手を置いた。ぎゅっと強く握られ、体重をかけられて、菊次郎はよろめいた。


「まだ主力の四千は無傷だ。あいつと武者たちをなんとしても逃がさなきゃならねえ。それができるのは俺だけだ。豊津城も守らなきゃならねえが、それができるのはお前だけだ」


 忠賢は断言した。恐ろしいほど真顔だった。


「俺は必ず直春と一緒に城へ戻る。主力も連れ帰る。だからお前は城を守れ。俺たちが帰るまで守り切れ。俺たちのねぐらを敵に渡すな」


 忠賢は急に深刻な口調になった。


「俺はもう主家を滅ぼすのはごめんだ。俺を疫病神(やくびょうがみ)にしないでくれ」


 そう言って、菊次郎の両肩を、ばん、とたたいた。


「頼んだぞ」


 乱暴に、しかしこの上なく真摯(しんし)に依頼の言葉を投げ付けると、忠賢は丘を(くだ)り、隠れている自分の部隊へ駆け寄った。


「おい、てめえら。戦いだ。お殿様を救いに行くぞ!」


 忠賢の声と表情から厳しい状況を感じ取って武者たちは緊張した面持ちになった。だが、誰も反対も拒否もしなかった。自分たちの将を信じているのだ。忠賢は預かった武者全員と手合わせし、実力を示して納得させた。いつでも活躍できるように訓練にも熱心で、一緒に汗を流してきた。直春も立派な総大将だが、忠賢も劣らぬ勇将だった。


「忠賢殿、行かれるのか!」


 本綱が声をかけた。忠賢は馬上で振り返った。


「俺の隊三百はお殿様のもとへ向かう。お前たち二百は城を頼む」

「引き受けた」


 本綱は大きく頷き、深々と頭を下げた。


「国主様をお頼みする」

「任せとけ!」


 忠賢はにやりとすると、手にした槍を高く(かか)げて部下たちに命じた。


「行くぞ! これを振り上げたら一斉に鬨の声を上げろ!」


 三百の槍が天を突き、武者たちが承知の雄叫(おたけ)びを上げた。


「前進!」


 騎馬武者たちが走り出した。


「どうするつもりかしら」


 街道の脇で見送っていると、小猿を肩に乗せた田鶴が近付いてきた。


「分からない。でも、信じよう」


 それしかできることはない。そして、それこそが今自分がするべきことだった。


「本綱さん。忠賢さんたちが通ったら橋を焼きましょう。すぐに豊津城へ帰ります」

「分かった。全員、油玉を用意しろ!」


 武者たちは腰の小袋から手に丁度握れるくらいの緑色の玉を取り出した。大鬼家との戦いのあと、菊次郎が作らせた二種類の道具を全ての武者が持っていた。

 油玉は石のまわりに綿をのりでくっ付けて油を吸わせ笹の葉で覆ったもので、長いひもが付いており、火をつけて振り回して投げる。もう一つは煙玉で、綿のかわりに一定の長さに刻んで乾燥させた杉の葉が入っている。これは火をつけるともくもくと白い煙が上がる。

 武者たちの指揮は本綱に任せ、菊次郎は丘の上に戻って戦場の様子をうかがった。



 その頃、包囲された直春は、計画の失敗を悟って撤退の方法を探していた。だが、後方は少し先に崖があり、左手は駒繋城、右手は深い駒繋川だ。かといって、森から出れば、押中勢・宇野瀬勢・平汲勢に三方から攻撃される。平汲勢が共闘してくれないかと期待したが、宇野瀬勢の登場後、明らかにこちらへ攻撃態勢をとったので、平汲親子は諦めて宇野瀬家に味方することにしたようだった。

 しかも、そこへ、関所の方から軍勢の足音と軍馬のいななきが聞こえてきた。宇野瀬家の本隊六千が到着したのだ。これで、敵は一万三千四百になる。

 武者たちの表情に不安が広がるのを見て、直春はまずいと思った。三倍以上の敵に恐怖すれば、武者たちは戦う意志を失って投降してしまうかも知れない。

 吼狼国では武者たちは鎧の腰をしばる帯をほどいて差し出せば、降伏と見なされ助命される。直春は当主になってまだ一年足らずで、武者たちの忠誠はあまり期待できなかった。

 その心配は、予想と異なる形で的中した。なんと、軍勢の一部が直春のそばを離れて森を出ていったのだ。十人の武将の隊、合わせて五百の武者たちは平汲勢の前で止まると、直春たちの方へ向きを変えた。


「はっはっは、これより我々は平汲家にお味方致す! 直秋公の妹君の夏姫様こそ、桜舘家の正当なご当主様でござる!」


 木節(きぶし)往伴(ゆきとも)は高笑いした。この五十代半ばの家老は、境村の戦いの論功行賞で忠賢と菊次郎の処遇に反対した人物だ。大鬼家に味方したため加増を受けられず、二千貫ほどだった蓮山家が自分と同じ五千貫に増えて次席家老になったことに不満をもらしていた。その上、麦を領民から安く買い上げて商人に高く売り付けていたため、通商の禁令で大きな打撃をこうむった。

 往伴(ゆきとも)は以前から直春に批判的だったので、腹は立ったが納得する部分もあった。しかし、他の顔ぶれを見て、直春は怒りを抑えられなかった。


他倉(たくら)将置(まさおき)! 釜辺(かまべ)助倍(すけます)! お前たちもか!」


 この二人は境村の合戦中に大鬼家側に寝返った。許されて直春の家臣となったが、当然加増を受けられず、それが不満だったらしい。二千貫六十人ずつと家老級の重臣でありながら二度も裏切ったことに、直春の周囲から呆れと(いきどお)りの声がもれた。槻岡良弘は顔を真っ赤にして、普段の落ち着いた様子に似合わぬ悪態を吐いていた。


「どう致しますか」


 なんとか怒りの衝動を抑え込んだ良弘が馬を寄せてきた。直春は正直に答えた。


「どうしようもないな。だが、俺は諦めん。仲間を信じる」

「菊次郎殿ですか」


 良弘が低い声で尋ねた。


「忠賢殿も、田鶴殿も、本綱もだ。彼等が俺を見捨てると思うか」

「思いませぬ」


 良弘はやや表情をゆるめた。


「そうでしたな。あの方々は国主様のご友人でした」

「そうだ。きっと何か動きがあるはずだ。いつでも行動を起こせるようにしておこう」


 そう言えることを喜んでいると分かる笑みを浮かべると、直春は総大将らしい凛とした声で命じた。


「五百の抜けた穴を塞いで密集陣形をとる。敵を突破することになるからな。武者たちに、俺たちにはすぐそばに頼れる味方と名軍師がいることを思い出させてやれ。煙玉と油玉の用意もさせよ」

「はっ、今すぐに」


 指示はただちに実行された。大将が戦う意志を失っていないことが伝わると、武者たちの動揺はいくらか収まった。


「陣形を整え終えました」


 良弘が報告した時、武者たちがびくりと体を震わせて周囲を見回した。戦場に大きな鬨の声が響き渡ったのだ。


「桜の御旗(みはた)に栄光あれ!」


 桜舘家の軍勢に違いない。宇野瀬勢の後方から聞こえたので、敵の武者たちが振り返っている。


「来ましたな」


 良弘は突撃の命令を出そうとしたが、なかなか別働隊は現れなかった。宇野瀬勢も戸惑っている。


「そうか!」


 直春ははっとした顔をすると、振り返って命じた。


「前進せよ。森から出る」


 そして、ゆっくりと馬を歩かせた。三千五百人が続いた。

 直春は広場に出ると一人だけ少し進んで馬を止め、平汲勢に向かって叫んだ。


「平汲可近殿、義従兄(いとこ)の可済殿。先日は、押中勢をおびき出して一緒に攻め、領地を分け合おうとお誘いいただいた。結構なお話と思い、こうして森にひそんでいたが、我々までだまそうとなさったのは大変残念だ。はっきりとお断りし、敵対することをここに宣言する。滅ぼそうとした押中家や、当家と協力して追い返そうとした宇野瀬家とどうやってうまくやるおつもりかは知らないが、我々は手加減しない。この裏切りの報いは必ず与えよう。背後にいるのは増富家だろうが、貴家を利用したあとで滅ぼすつもりに違いないから、ご用心なさることだ」


 直春の朗々とした絶縁の挨拶が響き渡ると、三つの敵部隊はそれぞれ動揺した。押中勢に怒りに燃えた目を、宇野瀬勢に不審のまなざしを向けられて、平汲親子は慌てていた。

 三家の注意が直春隊からそれた、その瞬間だった。直春は自軍を振り返り、槍をかかげて出せる限りの大声で叫んだ。


「全軍、突撃! 煙玉を投げ込み、鬨の声を上げて突っ込め!」

「桜の御旗(みはた)に栄光あれ!」


 わあああ、と絶叫しながら、三千五百の武者は先頭を行く直春を追って走り出した。同時に、押中勢へ背後から、青い鎧の忠賢を先頭に騎馬武者三百が突撃した。城下町には駒繋川に面した狭い裏通りがある。軍勢が通るような道ではないが、そこを馬で全力で走り、押中勢の後ろに出たのだ。

 前後から挟撃されて、押中勢は驚愕した。一千四百にすぎず、倍以上の直春隊の攻撃だけでも苦しいのに、後ろから奇襲されたのだ。その上、煙玉で白煙が辺りを覆い、状況が分からない。武者たちは恐怖に駆られ、数人が逃げ出すとそのあとを追った。


「蹴散らせ! 追い立てろ!」


 忠賢が叫びながら縦横無尽に槍を振り回し、押中家の武者を突き伏せている。そこへ直春はまっすぐに駆け付けた。


「感謝する!」

「北へ行け!」

「分かった!」


 すれ違いながら一瞬まなざしをかわした二人の武将は、部下たちに叫んだ。


「橋を渡れ!」


 合わせて三千八百になった桜舘勢は、押中勢が空けた道に殺到し、次々に橋を通って千本槍街道へ走り込んでいった。


「橋を焼け!」


 全ての武者が渡ったのを確認して直春は命じた。油玉が多数投げ込まれ、あっという間に木の橋は炎上した。


「これからどうする」


 橋から全力で遠ざかりながら、忠賢は直春に尋ねた。


「このまま北へ逃げよう」


 総大将は答えた。


「西側には境川がある。この辺りは深い谷になっていて、流れが速く水量も多い。馬が越えるのは難しい。その先は山で道もないから、重い鎧を着て森の中を延々歩くことになる。武者たちが疲れ切ってしまうだろう」

「相当遠回りになるな」

「千本槍の城下町を通って橋を渡り、南国街道に出て南に戻っていくことになる。普通に行軍すると四日以上かかる。面倒だが他に方法がない」

「菊次郎に西側の橋を壊すように言ったから、しばらくは駒繋城に宇野瀬勢がいる。こちらを追ってくる部隊もあるだろう。となると南国街道に出る方がましか」

「そういうことだ」


 馬の足をゆるめて、直春は笑った。


「俺はうれしい」

「何がだ?」


 忠賢は怪訝な顔をしたが、直春の表情で察したらしかった。


「忠賢殿はやはり信じられる。菊次郎君も、他の仲間もだ」

「一国一城の主にする約束を果たしてもらってないからな」


 忠賢はにやりとした。


「そうだったな。もちろん忘れてはいない。この戦いが終わったら大幅に加増しよう。忠賢殿には相応の地位にいてもらいたい。二つ軍勢がある時、もう一方を忠賢殿が率いてくれると俺はとても戦いやすい」

「俺は安い買い物じゃないぜ。まあ、それだけの働きはするけどよ」


 言って、忠賢は南の空を見上げた。


「菊次郎のやつ、うまく城を守り切れるかな。急いで戻ったら落城してたってんじゃあ、くたびれもうけだぜ」

「そんなことは絶対にないさ」


 直春は信頼の口調で言い切った。


「俺は忠賢殿と同じくらい、菊次郎君も田鶴殿も、妙も直冬殿も信じているからな」

「それをあいつは知っているのか」

「頭では分かっているだろう。だが、まだ自分を信じ切れていないようだ。早くそこを乗り越えてほしいものだな」

「まったく、手のかかる軍師だぜ」

「そこが菊次郎君のよいところなのだ」


 直春と忠賢は声を上げて笑った。

 二人は周囲の武者に声をかけて自分の部下を呼び集め、行軍の速度を上げた。


『狼達の花宴』 巻の二 駒繋城要図

挿絵(By みてみん)


 夕刻、菊次郎と田鶴は本綱隊の二百を連れて豊津城へ戻ってきた。

 妙姫と直冬と雪姫、留守役の豊梨実佐(さねすけ)が集まって緊急の評定が開かれた。臨月の妙姫は本郭の奥の部屋で寝ていたが、起きてきて菊次郎たち三人の話を聞くと、状況を簡単に整理した。


「つまり、危機に陥って直春様たちは北へ逃げた。無事だけれど戻ってくるには時間がかかる。そういうことですね」

「申し訳ありません。僕の読みが甘かったんです。武虎にしてやられました」


 菊次郎は責任を感じて顔を上げられなかった。


「境村の橋も踏板をはずしてきましたので多少は時間が稼げるでしょうが、明日の昼頃にはこの城まで敵がやってきます」


 妙姫は頷くと、全員を見回した。


「では、することははっきりしています」


 そして、当主代理として命じた。


「すぐに籠城の準備に取りかかりましょう。菊次郎さん、具体的な指示を出してください」

「そのことなのですが……」


 菊次郎が言い淀むと、報告を聞いて青くなっていた直冬が驚いて口を挟んだ。


「姉上、お待ちください! 籠城するのですか!」

「もちろんです。それが私たちの役目です」


 妙姫は迷いのない口調で言った。


「直春様はきっと帰ってきます。国主様と主力が戻るまで、この城と豊津の町を守り切らなければなりません」

「妙姫様は直春さんを信じているんだね」


 田鶴は膝に座らせた小猿を抱きしめて感動している。


「当然です。あの方は私の夫です。私たちとこの町の危機には必ず駆け付けてきます。今、全力でこちらへ向かっているに違いありません。帰ってきた時にこの城が落ちていたら、きっとがっかりなさるでしょう」

「ですが、敵は一万ですよ! 無理です。勝てません!」


 直冬は叫んだ。今この城にいるのは留守役の三百と戻ってきた二百の合計五百だ。一方、宇野瀬家側は、菊次郎の予想では三手に分かれるはずだった。

 まず、押中勢は自家の城を心配し、北の橋を修理して直春たちのあとを追うだろう。葦狢街道と南国街道がつながる場所にも一軍を残して道を封鎖するはずで、それは平汲勢に違いない。残りの宇野瀬勢一万が豊津へ進んでくると思われた。


「菊次郎殿はどう考える」


 豊梨実佐が尋ねた。三十六歳の馬廻頭は妙姫たち姉弟(きょうだい)の護衛を直春に頼まれている。三百の配下は精鋭で籠城時は中心の戦力になる。


「わしは貴殿の意見に従うつもりだ」


 注目を浴びて、菊次郎は重い口を開いた。


「籠城するべきだと思います」


 菊次郎は指を折った。


「直春さんたちが戻ってくるまで最短で四日です。駒繋城から南国街道まで二日、葦の江付近まで戻って来るのに一日、道を塞いでいる平汲勢を打ち破ってここまで来るのに一日です。敵は明日の昼頃到着しますので、実質二日半持ちこたえれば宇野瀬勢は引いていくでしょう」


「勝てるの?」


 期待する口調の田鶴に、菊次郎は首を振った。


「まともに戦えば一日も持ちません」

「そんな……」


 直冬が絶望的な表情になった。菊次郎は理由を説明した。


「通常、籠城戦は守る側が圧倒的に有利です。しかし、今回は戦力差が大きすぎます。二十倍の敵に囲まれたら数の差で圧倒されて、どんどん壁に取り付かれて中へ入られてしまうでしょう。あっと言う間に落城します。ですから、普通に考えれば籠城は下策です。僕たちも城を出て直春さんたちを探し、合流して決戦するべきでしょう」

「それでも戦うべきと思う理由はなんだ」


 尋ねた本綱に、菊次郎は言った。


「駒繋城で宇野瀬家の本隊を見ましたが、敵は多くの荷車を引いていました」


 田鶴がそういえばという顔をした。


「うん、そうだった。それがどうかしたの」

「恐らくあれは小荷駄(こにだ)隊でしょう」


 軍勢に同行し、兵糧や矢などの物資を運搬する部隊のことだ。武家の家族が担当する仕事で、護身用以外の武器は携帯せず戦いには参加しない。


「六千人にあれだけの荷車が必要でしょうか。一万人分としても多すぎます。一台当たりの荷も少ないように思われました」

「移動を速くするためじゃない? 山を越えてくるんだし」


 田鶴は隠密衆を集める時にあの街道を通ったので、山道の大変さを知っているのだ。


「それもあるでしょう。ですが、兵糧や矢を使ったあと、空の荷車は邪魔になります。それでもたくさん連れてきたのは、帰りに別な何かを積むつもりではないかと僕は思いました」

「戦利品か!」


 本綱が声を上げた。


「今、豊津の町にたくさんあって、宇野瀬領の人々が欲しがるものは何でしょうか」

「麦と炭と綿ですね」


 妙姫は断言した。


「きっと奪って帰るのでしょう」

「安く売っても、ただで配っても、宇野瀬家は民の支持を得られます」

「自分たちで禁令を出して苦しめたのに」


 田鶴は腹を立てている。


「つまり、豊津の町が襲われると言うのだな」


 実佐が尋ねた。


「間違いないと思います。僕が宇野瀬家側の人間なら、そうするように助言するでしょう」


 直冬が首を傾げた。


「でも、どうして籠城するのですか。町を守るのですよ?」

「豊津の町の入口には城壁と堀がありますが、盗賊は防げても大軍の前には無力です。しかも、こちらはたった五百人です。到底勝ち目はありません。ですから、敵をこの城に引き付けます。その間に町の人々を逃がし、財産を安全な場所に移します」

「町の人々を守るために我等がおとりになるのか」


 実佐は悩む顔だった。


「そこまでして町を守る理由は何だ。なぜ逃げないのだ」


 馬廻頭が守るべきは桜舘家と妙姫たちであって、豊津の町ではない。


「今後のためです」

 菊次郎は答えた。


「城を捨てて逃げ出せば僕たちは生き延びられます。決戦に勝てば桜舘家は滅びないかも知れません。しかし、豊津の商人たちの信用を失います。そうなっては天下統一は不可能になります。桜舘家の発展には商人たちの協力が不可欠です。逆に、ここで町と人々を守れば僕たちを信じてくれるでしょう」

「直春様の、私たちの夢のために必要なことなのですね」


 妙姫に問われて、菊次郎は頷いた。


「そう思います」

「では、守りましょう」


 妙姫は言った。


「領主としても、直春様の妻としても、町が荒らされるのを見過ごせません」


 田鶴がすぐに賛成した。


「町を守ろうよ。民を守ってこそ領主だよ」


 雪姫が続いた。


「私も守る方がいい。直春兄様もその方が喜ぶと思う」


 が、男性陣は悩んでいた。理由は直冬の言葉に集約された。


「でも、勝てるのですか。負けたら大勢が死ぬし、僕も死にたくないし……」


 町は守りたいが、大軍相手に籠城することに恐怖を感じているらしい。本綱も言った。


「城を包囲されたら逃げ出すのは難しい。討ち死に覚悟での籠城は御免だな」

「妙姫様や直冬様、雪姫様を危険にさらすことはできぬ。確実に勝てるのでなければ逃げることをお勧めしたい」


 実佐の言葉に皆が考え込むと、妙姫の目が菊次郎に向いた。


「先程、まともに戦うと勝てないと言いましたね。つまり、まともでない戦い方があるのしょう。でなければ籠城を勧めるはずがありません」


 菊次郎は重い気持ちで肯定した。


「はい、一つ策があります。怒られそうな方法ですが……」

「教えてください」


 妙姫の期待するまなざしがつらかったが、勇気を出して説明した。全員が驚愕の表情をし、黙り込んだ。


「他にやり方はないのか。お城が滅茶苦茶になるぞ」


 本綱が苦い顔で言った。


「すみません。これしか思い付きませんでした」


 菊次郎は謝った。妙姫は目を閉じて少し思案し、断を下した。


「それで行きましょう」

「姉上、本当によろしいのですか」


 策を聞いて震え上がった直冬は、考え直した方がよいという口調だった。


「構いません。どのみち宇野瀬家に占領されれば荒らされます。城を焼いて退却することもあります」

「そうだな。確かにそれはある」


 本綱は無理矢理自分を納得させたらしかった。


「妙姫様がお命じになるならそれに従うまでだ」


 実佐は腹をくくったのかむしろ落ち着いていた。


「直春さんは戻ってきてがっかりするかも知れません」


 菊次郎は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「忠賢さんにも城を守れと言われたのに」


 すると、雪姫が言った。


「お城で町を守っているのでしょう? お城を守って町を見捨てるのはおかしいよ」

「あたしも町の人たちの方が大切だと思う」


 田鶴が慰めた。


「雪の言う通りです。城は領地を守るためのもの。私たちは豊津の町を、そこにいる人々の命と財産を守らなければなりません。それが務めであり、私たちのためでもあるのです」


 妙姫の言葉に皆が頷いた。菊次郎は提案した。


「成安家に援軍を要請しましょう。今、葦江国が宇野瀬家の手に落ちたら成安家は困るはずです。南隣の半空国(なかぞらのくに)から援軍が到着するまで四日ほどだと思います。予定では直春さんたちが戻ってきているはずですが、勝てる可能性が高まりますし、城が落ちても町を守れるかも知れません」

「そうですね。すぐに使者を送りましょう」


 妙姫が承認すると、本綱が言った。


「城に籠もるのはよいが、守り切れなかった時のことも考える必要がある。我等の脱出方法と、町の人々の安全を確保する方法だ」

「そうだな。敵が軍勢の一部を町へ向かわせるかも知れぬ」


 実佐も同じ意見らしい。


「では、町の人たちは天額寺に逃げ込んでもらいます」


 妙姫が言った。


「漢曜和尚様にお願いしましょう」

「それなら安心だね」


 田鶴はすぐに賛成したが、本綱が指摘した。


「だが、財産を持って行けば寺が襲われるかも知れない。宇野瀬家の武者たちが和尚様を尊敬しているとは限らないぞ」


 実佐も言った。


「和尚様の名声は諸国に轟いておる。まともな武者は寺院を襲ったりせぬが、多額の軍資金が手に入るとなると命じる者がおるかも知れぬ」

「武虎ならやりますね」


 菊次郎は断言した。


「実は、その対策も考えてあります」


 と言って、本郭御殿の塀の外を指さした。


「豊津の町は広い境川の対岸です。鏡橋(かがみばし)の踏板をはずせば時間を稼げます。この城は橋のすぐ横ですから、渡ったあとで橋を壊されることを敵が恐れれば、攻め落としてから進もうとするはずです。この城には脱出用の舟がいくつもありますので、それを見えるようにつないでおいて引き付ける(えさ)にしましょう。もちろん、最悪の場合はそれで脱出します」


 豊津城は境川に面している。この本郭の西側はすぐに水面で堀には水を引いてある。豊津へ行くにはこの城の前を必ず通るのだ。


「また、財産を預ける場所には心当たりがあります。宇野瀬家が決して手出しできない場所です」

「どこなの?」


 田鶴は分からないらしい。


「陸続きの場所は軍勢の一部を派遣すればよいので駄目です。となると、楠島しかありません」

「海賊に預けるの?」


 雪姫が目を丸くした。


「そうです。あそこなら行くには船がいりますし、簡単には攻め落とせません」

「確かにそうだけど信用できるの?」


 田鶴は心配らしい。


「もし返してくれなかったら豊津の店は全部つぶれるぞ」


 本綱も気が進まないようだ。


「恐らく大丈夫だと思います」


 菊次郎は()け合った。


「商人たちの財産を奪えば大金が手に入ります。しかし、水軍は数千人の大所帯です。すぐに使い果たしてしまうでしょう。信用を失ったら、もう護衛料を払う船はなくなります。海賊に戻って船を襲っても、今と同程度の収入を安定して得るのは難しいでしょう。逆に、ここで裏切らなければ商人たちに恩を売れます。現在護衛料を払っていない船も払うようになるかも知れません。ただ預かったものをそのまま返すだけで水軍は信用を得られるのです」


 菊次郎は墨浦城を思い出していた。


「氷茨元尊は津鐘(つかね)家と鮮見家を裏切って信用を失いました。その影響は今後あちこちに現れるでしょう。一方、大きな信用を得れば様々なことがうまく行くようになります。僕たちも町の人々からの信用を守るために籠城するのです。昌隆(まさたか)さんには絶対にそれが分かるはずです」

「確かに、あの男ならそうかも知れないな」


 水軍の副頭領に実際に会っている本綱は言いたいことが理解できるらしいが、他の者たちは懐疑的だった。なにせ相手は海賊で、財産を奪うのが仕事なのだ。菊次郎もそれは分かっていたので、用意していたものを見せた。


「それに、僕たちには水軍を説得できる材料があります」


 前に置いたのは紙の束だった。


「ここに新しい帆布が実現した時に葦江国が受ける恩恵をまとめてあります。まだ計画にすぎませんが、水軍にはとても魅力的なはずです。船が速くなり、荷を多く積め、豊津に集まる船が増えるのですから。一緒に帆を開発しようと呼びかけるのです」


 事情を知らない実佐以外はなるほどという顔をした。


「妙姫様。ご承認いただきたいことがあります。直春さんは知っていることですが」


 と言って、一枚の紙を抜き出した。


「楠島水軍を桜舘家の家臣に迎えるご許可をください」

「ええっ!」


 田鶴が大声を上げた。


「どういうことですか」


 妙姫も驚いたらしい。直冬は口をあんぐりと開けている。


「実は、楠島水軍に護衛料を下げてもらう方法を直春さんと頼算さんと三人で検討していました。その結果、領地を与えるのがよいだろうという結論になりました」

「どこをどのくらい与えるのですか」


 妙姫はそこが気になったようだ。さすがは元当主だった。


「与えるのは二万貫です。家老に取り立てます」

「二万貫だと!」


 本綱がびっくりし、さすがにそれは、という顔になった。筆頭家老の槻岡家が七千貫なのだ。


「言いたいことは分かります。ですが、よく話を聞いてください。まず、実際に与えるのは一万貫の土地です。残りは楠島を領地と認めて一万貫と見なします」

「なるほど」


 本綱はうなったが、まだ多いと言いたいらしい。


「残りの一万貫は、切岸(きりぎし)半島の先端を与えます。楠島の対岸です。その辺りは桜舘家の領地で森が広がっています。そこを畑にする権利を与えるのです。近くに小川も流れています」

「ただの森をもらって喜ぶでしょうか。開墾するのは大変ですよ」


 妙姫は疑問を口にしたが、菊次郎は自信があった。


「水軍は必ず喜びます。楠島は平地が少なく耕作に向いていません。米は買うにしても、野菜や芋などを作れる畑が砦の近くに欲しいはずです。開墾は天額寺に養われている人々を使います。戦乱をのがれたり家が滅んで逃げ込んだりした人々が千人近くいます。その人たちに土地を与えて開墾させ、村を作らせます。他にも移住者を募集します。全国には戦乱で故郷や家族を失った人が大勢います。そういう人々を呼び寄せて新しい居場所を与えるのです。和尚様や商人たちもきっと協力してくれます」

「すごくいいと思う!」


 田鶴は涙を浮かべていた。


「できた野菜は一部を楠島家に税として納め、残りは買い上げてもらいます。村人たちは作ったものの買い手が確保できますし、水軍は野菜を安定的に入手できます。いずれは米も作れるようになるでしょう。新しい帆布で豊津の町が発展すればそちらにも売れます。土地を与えるため名目上桜舘家の家臣になってもらいますが、実質は同盟です。食べ物の確保ができれば、水軍も少しは値下げに応じるかも知れません」


 部屋の中は静まり返った。皆、菊次郎が今言ったことを頭の中で検討している。雪姫や直冬も真剣な顔で考え込んでいた。

 その中で、真っ先に心を決めたのは妙姫だった。


「分かりました。それで行きましょう」


 妙姫はきっぱりと言った。


「封主家の元当主として、信用の大切さと、大勢を養って家を維持する大変さはよく分かります。水軍はきっと耕作できる土地がのどから手が出るほど欲しいでしょう。それを与えて同盟し、当家の力を増すのですね。とてもよい考えだと思います。私自身が行って説得してきましょう」

「えっ?」


 妙姫以外の全員が驚きの声を上げた。


「姉様は妊娠中だよ?」

「姉上はこのお城にいてください。僕が守ります」


 妹と弟は姉の大きな腹を見たが、妙姫は首を振った。


「臨月の私がここにいては足手まといです。万一逃げることになった場合、確実に迷惑をかけます。私は城を出ます」

「姉様……」


 雪姫が目を見開いた。


「楠島砦に行きます。私自身が人質になって商人たちの財産を見張ります」


 妙姫は微笑んだ。


「大丈夫。直春様は私を見捨てません。必ず迎えに来てくれます。昌隆殿の奥方も妊娠中と聞いています。よい話し相手になりますし、もし生まれても準備があるでしょう」


 信じ切った顔で言うと、妹に視線を向けた。


「雪、あなたは天額寺へ行きなさい。和尚様のそばなら安心です」

「みんなは戦うのに?」


 雪姫は泣きそうな顔をした。自分の体の弱さが恨めしくなったらしい。


「そうです。あなたがここにいても邪魔なだけです。でも、お寺でならできることがあります。逃げてきた町の人たちを勇気付けることです」


 妙姫はやさしく言った。


「あなたは直春様を知っています。菊次郎さんも忠賢さんも田鶴さんも、私や本綱や実佐たちみんなを知っています。だから話しておあげなさい。この城にいる人たちが、葦江国の国主様が、どれほど信じられるのかを」

「お姉様……」


 雪姫は涙の浮かんだ目をぬぐい、笑みに細めた。


「うん。私も頑張る。お寺からみんなを応援する」


 妙姫は妹に微笑むと、直冬に言った。


「あなたはこの城を守りなさい。留守の国主様のかわりに指揮をとるのです。私たち三姉弟(きょうだい)の代表としてしっかり戦いなさい」

「はい! 頑張ります!」


 直冬は叫んだ。握った拳が恐怖と興奮に震えている。

 雪姫は心配そうな侍女に言った。


「田鶴はお城に残って、菊次郎さんや直冬を手伝ってあげて」

「分かった。任せて」


 田鶴はにっこりして頷いた。


「真白も頼むね」


 小猿は頭を撫でられて、よく分からずきょろきょろしながらも、仲良しの姫君に甘えていた。


「菊次郎さん、本綱、実佐、それに田鶴さん。弟は初陣です。どうか助けてやってください」


 妙姫は深々と頭を下げた。実佐と本綱は平伏した。


「馬廻りの総力を挙げて直冬様をお守り致します」

「直冬様が一緒に戦えば武者たちは奮い立つでしょう」


 妙姫は菊次郎に歩み寄って、両手を取った。


「あなたに期待しています。信じていますよ」


 妙姫は握る手に力を入れた。


「直春様もあなたを信じています。それがどれほど貴重で素晴らしいことなのか、あなたが本当の意味で理解すれば、負けることはないでしょう」

「直冬様は必ず守ります。直春さんの夢も守ってみせます」


 菊次郎は約束した。


「絶対に勝とうね!」


 田鶴に声をかけられて、菊次郎はようやく笑った。


「うん、勝とう。僕たちは直春さんたちを、そして自分自身を信じなければいけない。信じられなくなった時は負ける時だ」


 妙姫と雪姫は護衛の武者に守られて城を出ていった。城内にいた頼算と、お(とし)など数人の侍女が産着や出産の道具を抱えて従った。

 やがて戻ってきた武者の話では、昌隆はたまたま平波屋(ひらなみや)に来ていてすぐに会えたらしい。妙姫と頼算の話に驚いていたが真剣な顔で耳を傾け、しばらく考えて承知したという。

 豊津の町衆の代表多船屋(おおふなや)太兵衛(たべえ)にその場に同席してもらったので商人たちには既に話が伝わり、今港にある船に財産をのせる作業がもう始まっているという。持って行けるのはお金を入れた箱や証文の(たぐい)だけに限定したが、それでも積み込むには数刻かかるらしい。楠島へ一緒に行って自分の財産を守りたいという商人が多数いるため、昌隆は早船を楠島に走らせ、応援の船を寄越すように伝言を頼んだそうだ。


 一刻後、天額寺に寄食(きしょく)していた人々が城へやってきた。お金がもらえると聞いて働きに来たのだ。本綱と図面を描いて用意していた菊次郎は、早速指示を出して城内にしかけを施していった。既に桜舘家の小荷駄(こにだ)隊が作業を始めていたので協力して動いてもらった。駒繋城の戦いで勝ったらすぐに向かえるように、小荷駄隊は城内で待機していたのだ。城攻めには日数がかかるし道具が必要になるからだ。馬廻り衆の手の空いている者は、壊れては困る貴重なものや宝物などを城から運び出して近くの森に隠した。

 その日は夜を徹して籠城の準備に当たり、翌六日の昼前に終わった。敵が葦の江の湖畔に現れたという知らせが届いたので小荷駄隊の多くと手伝いの人々は天額寺へ行かせ、鏡橋の踏板を全て撤去して対岸へ運んだ。菊次郎たちは相談して五百人のうち五十人を豊津の町と天額寺の守りにつかせ、小荷駄隊の一部に黄葉谷街道が境川を越えるところの橋の踏板をはずしに行ってもらった。敵は恐らくそちらには行かないだろうが念のためだ。


「では、これより町と民と当家の威信を守る戦いを始めます!」


 大手門の前に整列した武者たちに、直冬は大声で宣言した。元服の時に妙姫が贈った桜色の鎧と兜を身に付けている。成長を見込んで大きめに造ってあるので、やや鎧に「着られている」感じがする。

 最初の一言のあと、直冬は少し黙っていた。ひどく緊張しているらしく顔が強張っている。菊次郎たちは最前列に並んで次の言葉を待った。隣で本綱が大丈夫だろうかと気をもんでいる。田鶴も頑張ってと祈るようにしていた。実佐は見かけ上は落ち着いていた。

 直冬は何を言えばよいのか迷っている様子だったが、急に顔を上げると叫んだ。


「僕は初陣です。とっても怖いです!」


 本綱が唖然(あぜん)とした顔をした。


「敵は大軍です。味方は少数です。苦しい戦いになると思います」


 ここは勇気付けることを言わなくては駄目なのですよ、と本綱は頭を抱えたくなるのを必死でこらえている。だが、次の言葉で目を見開いた。


「でも、僕たちには菊次郎さんがいます。直春兄様や妙姉様が信じているすごい軍師です。だから、僕も信じます。その作戦を全力で実行します!」

「直冬様……」


 田鶴が息をのんだ。


「菊次郎さんだけではありません。本綱も、実佐も、雪姉様が残してくれた田鶴も、ここにいる全部の武者を僕は信じます。だから、逃げません!」


 直冬は声を震わせて約束した。


「僕は最後まで戦います。怖いけど、みんなを信じて耐えて頑張ります。撤退することになった時は、一番最後にお城を出ます。だから、みんなも、恐くても、つらくても、菊次郎さんや仲間を信じて、決して諦めないでください。お願いします!」


 言って、直冬は深々と頭を下げた。

 静まり返った湖畔の広場に、実佐の大声が響いた。


「全員、聞いたな? 総大将様のお気持ちを知って、まさかまだ怖いなどと申す者はおるまいな。我々はこのようなお方の(もと)で戦うのだ。これほど光栄で働き甲斐のある戦場はあるまい。我等も直冬様と菊次郎殿を信じて、全力で戦い、絶対に勝つぞ。よいな!」

「おう!」


 武者たちは一斉に槍を振り上げた。


「桜の御旗(みはた)に栄光あれ!」


 四百五十人は繰り返し叫んだ。魂の底からの絶叫が、広い湖面に反射して豊津の町へ、その先にある天額寺へ轟いていく。


「絶対に勝とうね。あたしも直冬様を信じる!」


 田鶴は涙をぼろぼろこぼし、これでよかったのかと不安げな直冬に抱き付いた。甲冑姿の直冬は顔を真っ赤にしている。菊次郎も泣きそうになりながら、希望が胸に湧いてくるのを感じていた。


「この戦い、勝てるかも知れない」


 田鶴が頷いた。


「雪姫様にも聞こえたかな。あそこにいるんだよね」


 湖に突き出て盛り上がった緑の丘のてっぺんに、天額寺の青い瓦屋根が見えている。二階建ての巨大な山門の上には、山花獣鳥の四つの大きな旗が、武者たちの雄叫びに応えるようにたなびいていた。


「敵が予定の場所を過ぎました」


 馬之助が近付いてきて報告した。


「よし、では行ってくる」


 実佐が直冬に一礼し、小荷駄隊から手綱を受け取って愛馬にまたがった。これから三百人を連れて敵に奇襲をかけるのだ。といっても、先頭に矢を射かけ、突撃してかき乱したらすぐに引き返す。目的は敵を挑発して城に引き付けることなのだ。


「ご武運を」


 菊次郎が声をかけると、三十六歳の猛者(もさ)は豪快に笑った。


「心配はいらん。一人も欠けずに帰ってくると約束する」

「信じています」


 菊次郎が真顔で応じると、本綱が言った。


「そのつもりで次の準備を進めておく」


 実佐は頷くと軍勢を整列させ、先頭に立って駆けていった。

 それを見送りながら本綱がつぶやいた。


「しかし、この頃信じるという言葉が流行っているな」

「気に入らないの?」


 田鶴が尋ねると、本綱は大きく首を振った。


「そんなことはない。とてもよいことだと思う。人を(ののし)ったり嘲笑(あざわら)ったりする言葉が流行る家より、よほど未来が明るく感じるな」

「本当にそうですね」


 菊次郎は心から言って、直冬や田鶴や本綱と一緒に城の中へ戻っていった。

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