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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の一 運命の出会い
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(巻の一) 終章 桜の下で

 境村の合戦のあと、大鬼一族は全て直春に降伏し、派遣された実佐に城を明け渡した。大鬼家は嫡流(ちゃくりゅう)が絶えたことで断絶となり、親族や家臣はこれまでの所行に応じて葦江国から追放されたり、所領や財産を没収されたり、弾圧した村へ謝りに行かされたりしたが、多くは直春に忠誠を誓って赦免(しゃめん)された。

 厚臣が桜舘領内に科していた重税や夫役(ぶやく)は廃止され、村々には明るさが戻った。境橋はすぐに再建工事が始められ、境村には戦や舟の提供や仮の橋造りで協力したとして褒美が出て、それとは別に、合戦で討ち死にした者たちを鄭重に埋葬するようにと費用が渡された。新しい村長の余兵衛は合戦で家や田畑を荒らされたり直春たちに納屋を燃やされたりした者たちに褒美を厚く分配し、死んだ武者たちのために大きな石の()を建てて供養した。妙姫と直春も合戦の死者と死亡が判明した直秋、それに大鬼家の圧政で殺された領民たちを(とむら)う法要を豊津の町で盛大に行い、多くの民が寺院の前に集まって手を合わせ、浪人出身という新領主に期待を寄せた。


 成安家に派遣されていた次席家老の槻岡(つきおか)良弘(よしひろ)は、合戦の翌日に同盟を承諾する旨の返事を持って帰ってきた。合戦の結果が心配だったらしく、良弘は勝利を知って直春の前でうれし泣きをしていた。この同盟はその日のうちに公表され、豊津の町は安堵に包まれた。

 心配された宇野瀬家の反応だが、今のところ目立った動きはない。宇野瀬家の当主は十六万貫の同盟国が離反して敵側に付いたことに当然腹を立てているだろうし、逃げ帰った赤潟武虎はまたも仕事を邪魔された上、菊次郎を殺すと宣言しているのだから、いずれ何かを企むかも知れないが、成安家を刺激するのは彼等にとって得策ではない。当面の心配はないだろうという見方で、直春や菊次郎と、妙姫や他の家臣たちは一致した。

 そうして、桜月六日には、直春と妙姫の婚儀が行われた。豊津城の大広間の段上に立った二人の前に直冬と雪姫が進み出て忠誠を誓うと、家臣たちは一斉にそれにならい、口々に祝福の言葉を述べた。直垂姿に花斬丸と虹鶴(こうかく)を帯びた直春は惚れ惚れするほどの男ぶりで、白無垢姿の妙姫は「改めて惚れ直しました」と誇らしげに言い、家臣たちも立派なご当主様をお迎えできたと満面に喜びを表していた。

 直春が現れなければ当主になるはずだった直冬に、田鶴がこれでよかったのかと尋ねたところ、こう答えたそうだ。


「僕は大鬼家の横暴を知りながら何もできませんでした。合戦の時も、元服したとは言ってもまだ子供だからと雪姉様と留守番でした。彼等を倒した直春さんこそ当主にふさわしいと思います。僕は直春さんを尊敬しているんです」


 新当主直春を仰ぎ見ながら、直冬は晴れ晴れとした顔をしていた。

 一方、菊次郎は幸福そうな直春と妙姫を見上げて不思議な感動を覚えていた。初恋の女人を奪われたというのに、直春を憎む気持ちは全くなかった。むしろ、妙姫の隣には直春が並ぶのが当たり前で、取られた相手が直春でよかったと自然に思える自分を喜んでいた。胸の奥は今でも(うず)くが、素直に負けを認め、二人の幸せを心から祝うことができるところは、もしかしたら自分の長所かも知れないと菊次郎は感じていた。

 婚儀のあと、祝宴を兼ねた春始節のお祝いが改めて行われた。白牙大神(しらきばおおかみ)の祭壇に供え物をし、当主である直春の声に合わせて皆で祈りを捧げてから、食べると年が一つ増えると言われる年餅(としもち)を食べた。菊次郎は十六、直春は十九、忠賢は二十三、田鶴は十四、妙姫は十八になったのだ。餅は年の数だけ食べなくてはいけないので、菊次郎の雑煮の椀には大きな餅が一つと小餅が六つ入っていたが、民の食べるごく小さな餅しか知らない田鶴はその大きさに驚いていた。

 婚儀に合わせて、直春と妙姫は豊津城の上郭(かみくるわ)御殿に移り、新婚生活を始めた。雪姫と直冬も別邸から城に引っ越し、菊次郎と忠賢と田鶴も城内にそれぞれ部屋をもらった。



 婚儀の翌日、菊次郎は豊津の町のはずれにある天額寺(てんがくじ)へ登った。小高い丘の上を占めるこの大きな寺院は、周辺諸国からも参詣(さんけい)人を集める葦江国第一の名刹(めいさつ)だ。

 菊次郎の目的は、祭官長(さいかんちょう)漢曜(かんよう)和尚(おしょう)に会うことだった。友人だったという適雲斎の手紙を渡し、弟子入りの話をするためだ。

 旅の途中に購入した土産を手に寺院を訪れた菊次郎は、数刻ののち、和尚の客間を出た。


「立派なお寺だなあ」


 広大な境内を門に向かって歩きながら、菊次郎はそこかしこに植わっている桜を眺めた。桜月も七日になるとそろそろ花の終わりが近いが、まだ多くの木々は薄紅色に染まっていて、午後の日差しの下、無数の花びらが風に舞っている。

 この時期の寺院はどこも参詣の人が多く、花と相まって最もにぎやかだ。春始節は新しい年の始まる日であると同時に、狼神を祭る重要な祭日でもある。狼の子は春に生まれるからだ。葦狢(あしむじな)街道と船便で諸国の荷が集まる豊津港の繁栄ぶりを表すように、行き交う人々の晴れ着は皆美しかった。

 菊次郎は漢曜(かんよう)和尚の人のよさと意志の強さを感じさせる微笑みを思い出し、適雲斎と天乃を懐かしんだ。

 和尚様は評判通りとても立派な方だった。あの方の(もと)で働けたら幸せだろうな。

 大鬼厚臣の科した重税や夫役(ぶやく)に反対し、面と向かって諫言(かんげん)したこともあるという心の強さと民への慈愛の深さに、菊次郎は深い感銘を受けた。適雲斎と馬が合い、肝胆(かんたん)(あい)()らす友人だったというのも頷ける。近隣国の封主家の当主にも帰依(きえ)する者が多いと言われる和尚には、さすがの厚臣も非道なまねはできなかったと聞いている。

 お城に戻ったら適雲斎先生とお嬢様に手紙を書こう。

 菊次郎の心は既に決まっていた。

 僕は自分の進む道を見付けた。そう報告しよう。

 今頃都も花の盛りだろうと、桜の都と讃えられる玉都(ぎょくと)の町並みを思い浮かべながら門を出ると、前方から声がかかった。


「菊次郎君。待っていたぞ」


 門の前の小さな広場に直春と忠賢と田鶴が立っていた。


「どうしてここに?」


 足を止めて尋ねると、直春が真顔で言った。


「君を迎えに来たんだ」


 忠賢と田鶴も頷いている。


「何かあったんですか」


 それにしては三人に慌てた様子がないことに首を傾げると、忠賢が面倒なやつだという顔で言った。 


「お前がぐずぐずしてるから、こうしてこっちから来たのさ」

「そうよ。菊次郎さんがなかなかはっきりしないから、あたしたちが気をもむんじゃない」


 田鶴も忠賢と同意見らしい。直春が菊次郎に確認した。


「君は漢曜和尚に会ってきたのだな」

「そうです」


 菊次郎が答えると、直春は眉を曇らせて尋ねた。


「まさか、まだ出家するつもりではないだろうな」


 三人の表情から、菊次郎は彼等がなぜここにいるのかを悟った。だが、菊次郎が言葉を発する前に、直春の力の籠もった声が辺りに響いた。


「菊次郎君。俺と一緒に戦ってくれないか」


 春らしい快晴の空と坂を下っていく長い石段を背に、直春は菊次郎に向かって手を伸ばした。その瞬間、強い春風が吹き、両脇の並木の桜から無数の薄紅色の花びらが舞い散った。


「俺はこれから天下統一の戦を始める。それには共に戦ってくれる仲間が必要だ。俺は君と、いや、忠賢殿や田鶴殿も含めた四人で、これからの道を一緒に歩んでいきたい」


 花嵐(はなあらし)の中、直春の表情は厳しく感じられるほど真剣だったが、まなざしは温かかった。


「君はすぐれた軍師だ。それは皆が認めている。その力がのどから手が出るほど欲しい。だが、俺はその知恵だけを欲しているのではない。俺が君を求めるのは、菊次郎君ならば信じられるからだ」


 直春は持てる限りの誠実さで菊次郎と向き合っていた。


「俺はここ数年、旅をしながら共に戦ってくれる仲間を探してきた。俺は仲間を信じたい。信じると決めた相手は最後まで信じ抜く覚悟もある。だが、相手がそれにふさわしい人物でなければ、信じることは無益であるどころか、毒にさえなりかねないのが現実だ。残念ながら、信じるに値する人物はこの世に多くないのだ。俺はこれぞと思う者に出会うと、自分の理想を語って一緒に天下統一を目指そうと誘った。だが、理解してくれる者は誰もいなかった。皆、それは無理だ、無謀だ、お前は阿呆ではないか、そういう反応ばかりだった。正直なところ、俺は絶望しかかっていた。この世に同じ志を共有できる者はいないのではないかと思い始めていたのだ。そんな時、君たちと出会った。この二ヶ月一緒に旅をし、戦ってきて、君たちならば信じられると俺は確信した。この四人ならできぬことはないと思うほどにな」


 直春の顔は同志を得た喜びに輝いていた。


「これから始まる戦いは長いものになるだろう。俺は多数の合戦に勝ち抜き、封主家をいくつも滅ぼさねばならない。多くの人々に苦しみや死を与えることになるが、その責めを受け止め、したことの責任を負う覚悟のある者だけが、天下を目指すことができる。君にその覚悟があるのなら、手伝ってほしい。俺は君なら大丈夫だと思っている」


 返事をする前に、菊次郎は他の二人に尋ねた。


「忠賢さんは承知したんですか」

「ああ」


 忠賢はいつもの笑みを浮かべていた。


「どうしても力を借りたいって言うからな。正直、悪くない話だと思った。鮮見(あざみ)家へ行っても雇ってくれる保証はないし、武将級の地位に出世するまで何年もかかるだろう。鮮見家の当主がどんなやつかも分からない。その点、こいつは気心が知れてるし、能力も人柄も信頼できる。しかも、千貫以上の領地をくれて、いきなり数百人を率いる将にしてもらえるらしい。家臣になって頭を下げなきゃならないのは不満だが、まわりに人がいない時はこれまで通りでいいと言うから、それぐらいは妥協することにした。領地がもっと大きくなったら、俺を必ず一国一城の主にすると約束もしてくれたしな」


 忠賢はいたずらっぽく片目をつぶった。


「それに、実際のところ、こいつは多くの封主家の当主よりよほどましだぜ。大抵の封主は目の前の利権と領地を守り、生き残ることで精一杯だ。せいぜい隣国を滅ぼして併合しよう程度の野望しか持っちゃいない。民のことや国のことを真剣に考えているやつは滅多にいないのが現実なんだ。その点、こいつは本気で天下統一を目指すらしい。それだけでも大したもんだ。実現できるかは正直怪しいし、俺は天下のことにはあまり関心がないんだが、その目標の大きさと理想の高さは評価してもいいと思ったのさ。そういうやつが当主の封主家なら、簡単には滅びそうにないだろ?」


 冗談めかした口ぶりだったが、菊次郎は今の言葉の中に、忠賢の直春への信頼を感じ取った。


「田鶴はどうするの」


 菊次郎は猿を肩に乗せた少女へ目を移した。


「あたしもこの国に残ることにした!」


 田鶴は明るい表情で答えた。


「妙姫様に、雪姫様付きの侍女にならないかって言われたの。迷ったけど、雪姫様は真白がいないときっと寂しがると思うし……」


 小猿が雪姫のお気に入りなのは菊次郎も知っていた。病弱であまり部屋から出られない雪姫は、屋敷に弟の他に年の近い子供がいないこともあって、毎日田鶴と真白を呼んで一緒に遊んでいるらしい。田鶴は直冬とも随分仲良くなっていたから、妙姫が二人の話し相手になってほしいと頼んだのだろう。主人が笑顔のためか、真白もうれしそうだった。


「それで、菊次郎さんはどうするの」


 田鶴がやや緊張した顔で尋ねると、直春が再び表情を引き締めた。忠賢もいつもの余裕の笑みの中で目だけを鋭くして、菊次郎の返事を待っている。

 菊次郎は深く息を吸い、大きな声で叫んだ。


「もちろん、出家はしません! 桜舘家に仕えます! 皆さんと一緒に戦います!」


 答えはあの合戦の時から決まっていた。直春が君を信じると言って励ましてくれた時、菊次郎は思ったのだ。この人についていこう。僕は直春さんが好きだ。この人とは器量の大きさが違いすぎるけれど、そばにいれば何かの役に立てるかも知れない、と。

 そして、忠賢たちが菊次郎の予想を超えた時に確信した。この人たちは信じられる。この仲間と一緒なら、自分は重い過去を振り切って、前に向かって歩んでいけるだろう、と。

 五年前に殺してしまった人たちに自分ができる償いがあるとすれば、直春さんの天下統一に協力して平和な世を実現することではないか。この仲間と協力すれば、そんな夢のようなこともできるのではないか。そう思った時の体が震えるほどの感動を、菊次郎は一生忘れないだろう。


「僕はずっと平和な世界を望んでいました。直春さんの理想に心から賛同します。皆さんが僕を必要としてくれるのなら、全力でそれに応えたいと思います。みんなで一緒に吼狼国の戦乱を終わらせ、人々が殺し合いやだまし合いをしなくてすむ世の中を実現しましょう!」


 菊次郎の答えを聞いて、直春は破顔した。


「菊次郎君はきっとそう言ってくれると信じていた。君はやはり信じるに値する人物だ」


 菊次郎は涙がこぼれそうだった。直春さんに信じられていると思うだけで幸福で、この人のために全力で頑張らないといけないという思いが自然と胸に湧いてくる。 


「それがいいな。お前は直春にも俺たちにも必要だと思うぜ」


 忠賢が珍しくうれしそうな口調で言った。内心では菊次郎を結構高く評価していて、その判断に注目していたらしい。もしかしたら、葦江国に残ると決めた大きな理由の一つにこの年若い軍師の存在があったのかも知れない。


「直春さん、忠賢さん、田鶴さん。今後もよろしくお願いします!」


 菊次郎は深々と頭を下げた。


「おう、よろしくな」


 忠賢がにやりとした。


「これからも一緒ね」


 田鶴は菊次郎が出家をやめたことがとてもうれしいらしかった。


「さて、帰るか」


 忠賢が(きびす)を返して石段を下り始め、田鶴も続いた。直春が笑みを浮かべて再び手を伸ばした。


「菊次郎君。行こう。俺たちの城へ」


 菊次郎は大きく頷き、直春に駆け寄ってその手を両手でぎゅっと握り、顔を見合わせて笑った。そして、手を放すと、桜の舞い散る長い石段を、三人と一緒にはずむ足取りで下りていった。

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