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こころが先かことばが先か―『為兼卿和歌抄』を真剣に読む。  作者: 村咲 春帆
私家版『為兼卿和歌抄』。
49/180

本文篇

本文篇では細切れだった「本文」を、一括掲載にしてみました。

校合済ですので、「宮内庁書陵部くないちょうしょりょうぶ(ぞう)為兼卿和哥抄ためかねきょうわかしょう」の写本内からははみ出してしまいましたが、市販の「専門書に載っている本文」レベルです。

語釈や現代語訳が不要の方は、こちらをお楽しみください。


教科書風を標榜するならば、各章のタイトルは、(『伊勢物語』における「東下り」のような)独自のものをつけるべきなのでしょうが、勝手につけるのはおこがましいということで、『枕草子』形式を採用しています。

(一)哥とまう()さうら()もの()は(頁001~頁004行008)


 哥とまう()さうら()もの()は、このごろ()()((もと))に/((たか))る好事などのあまねく/思ひ((さうら))()さま()にばかりは((さうら))はず。/心にあるを((こころざし))()ひ、(こと)にあら/はる()詩哥((しか))とは、皆()りて/((さうら))へども、耳に()()、口に(たの)し/み((さうら))()ばかりにて、心に()さめさうら()かた(くら)((さうら))()()に、ただ()ら/ざると((おな))()こと()()()((さうら))()にける/(よし)沙汰((さた))()((さうら))()しかれども(然而)、我も我もと(ほ/こ)さきあらそひ、才学((さいかく))をたて/((さうら))()まへは、いづれか是いづれか非、/()りがたきに似((さうら))へども、((この))(みち)は/(あさ)きに似て(ふか)く、(やす)きに()/て(かた)く、佛法ともひと()(さうら)()/なれば、邪正((じゃしゃう))をたづね(きは)めら/れ((さうら))はん時は、((わたくし))あらむところは/(かな)はずや((さうら))はんずらむ。されば/和漢の字により((さうら))()て、(から)の哥・や/まと哥とは((まう))()候へども、うちに/((うご))()心をほかにあらはして紙に()き/((さうら))()こと()は、さらに()はるところなく((さうら))()/にや。文と((まう))()((さうら))()もひとつことばに((さうら))()よしは、弘法大師の((おほん))旨趣にも((くは))()()((み))()((さうら))()にこそ。((さかひ))((したが))()()こる心/を聲に()だし((さうら))()こと()は、花に()く/鶯、水に()((かはづ))、すべて一切((いっさい))((しゃう))/類みな(おな)じことに((さうら))へば、「()きとし/()けるもの、いづれか哥を()まざ/りける」とも()ひ、乃至((ないし))草木((さうもく))を/風((ふ))()て枝を()らすも「((えだ))は哥なり()」/とて、それまでも哥なる(よし)、/樸揚((ぼくやう)大師(だいし))()せられて((さうら))()と/かや。されば、天地((あめつち))(うご)かし、鬼神((おにがみ))/をも感ぜしめ、((よ))()((をさ))()()(みち)ともなり、/「群徳((ぐんとく))()((そ))百福((ひゃくふく))()((しゅう))なり()」とも(さだ)められ、「邪正じゃしゃうをたゞすこと()これ()よ/り(ちか)きはなし」など((さうら))()にや。




(二)((およ))()一切((いっせつ))/のこと成就((じゃうじゅ))するには(頁004行008~頁008行010)


 ((およ))()一切((いっせつ))/のこと成就((じゃうじゅ))するには、相應((さうおう))をさ/きとし((さうら))()なればにや、伊勢()神/宮・八幡・賀茂をはじめ奉りて、/和國に(あと)()たま()()諸神((もろがみ))も、/仏・菩薩も、権者((ごんじゃ))も、代々の聖主〔も〕、/仁徳天皇((てんわう))聖武((しゃうむ))天皇・聖徳((しゃうとく))太子/弘法大師・傳教((でんげう))大師以下((いげ))、皆これ()/を()たま()()。東大寺(つく)りて((く))((やう))あらむとての日、行基((ぎゃうき))菩薩/難波((なには))の岸にて婆羅門((ばらもん))僧正((そうじゃう))を/((むか))()たま()()時も、/


霊山((りゃうぜん))の釈迦の御((まへ))に契りてし/真如((しんにょ))()ちせずあひ()つるかな」/


()たま()()返しにも、南天竺((なんてんぢく))より/((はじ))()(きた)れる婆羅門僧正も、/


迦毘羅衛(かびらゑ)に昔(ちぎ)りしかひありて/文()((み))(かほ)あひ()つるかな」/


たま()()も、和國に((きた))れば相應((さうおう))/の((ことば))(さき)として、和哥を()めり。/すべて和國は神國なる(ゆゑ)に、/神明((しんめい))(こと)に和哥をもてのみ、/(おほ)くは心ざしをもあらはしたま()()も、/相應((さうおう))(ゆゑ)((まう))()にこそ。されば(みち)/をも(まも)り、(あら)たなること()も/先規(おほ)はべ()()にや。


 大方((おほかた))、物に/()れて(こと)()心と相應((さうおう))した/る(あはひ)よくよく(能々)()んことの、((かなら))()草木((さうもく)鳥獣(てうじう))ばかりに((かぎ))()べからざ/る(ゆゑ)に、よろづの道の邪正((じゃしゃう))も〔これに〕/((こころざ))()()()へるにこそ。景物((けいぶつ))につ/きて心ざしをあらはさむ〔に〕も、心を/とめ、(ふか)く思ひ()るべきにこそ。/「(かなら)ずよく四時((しいじ))に似たるを(も/ち)ひよ。春夏秋冬の気色((けしき))、時/に(したが)ひて心をなして、これ/を(もち)ひよ」ともはべ()れば、春は/花の気色(けしき)、秋は秋の気色(けしき)〔に〕、/心をよくかなへて、心に(へだ)てずなし/て((こと))にあらはるれば、折節(おりふし)の/まこともあらはれ、天地((あめつち))の心にもか/なふべきにこそ。「気性((きしゃう))は天理に((あ))()」/ともはべ()()にや。




(三)稽古に力((い))()る人も(頁008行010~頁014行009)


 稽古に力((い))()る人も、/才学((さいかく))(この)み、義を案じもち/てばかり問答((もんだふ))をする時、古人の/((ことば))をも((わ))()(かた)(おもむき)にのみ/とりなし、心は()れで僻様(ひがざま)(こと/わ)り、((わ))()物に((う))()ところもなし。((う))()ところ()なし(無●)(すす)むことなし。()()だす(ぶん)/も不審を()ぐる(きは)も、(同じ)輪の/うちを()づること()なき(よし)沙汰((さた))()((さうら))()なり()。/されば年来((ねんらい))好事((かうじ))これ()をのみ(た/しな)(よし)なるも、古人のさほど/(たしな)むとや((き))()えざりけるも、/()める哥のさま、(はる)かに(へだ)/てて(およ)こと()なし。


 京極((きゃうごく)入道(にふだう)中納言(ちゅうなごん))/定家、千首を()みて送る人の((かへ))()((こと))/に()けるごとく、「哥は(かなら)ず千首/万首を()むにもよらず。その/(みち)を心得て()む人は、十首廿首/より()ゆべし。さればこれほどの/心ざしならば、哥のやうを((と))()((き))()て/ぞ((よ))()べき」と()へる、肝要((かんえう))なる/べし。


 ((しも))(ざま)好事((かうじ))の中に、不審/を()だし才学((さいかく))をたつる人も、/「久方((ひさかた))の空」とは何とて()ふぞ、「あら/かねの(つち)」とはいかなる心に()ひ/()めた〔る〕ぞ、など()こと()をのみ((と))()たる/を、いみじきこととせり。これ()もまことに/あるべきこと()なれど、かやうのこと()/はたださと()るばかりにて、(おほ)き/なる得分なし。哥はいかなるもの()ぞ、/いかにと()きて、いかにと()むべきぞ、/()しとはいかなるを()ひ、()しとはいか/なるを()るべきぞ、昔今((むかしいま))()はれ/るはいづくか()はれるぞとも、いか/にして人の(さか)(おろ)かなるをも/()り、(われ)も人となり(すゝ)()べきなどは、/まづはじめの一重((ひとへ))なる不審にも/せられぬべきを、さは(みな)()かは/ずして、((い))られぬ道より()らむと/し、(およ)ばれぬ(かた)より(むかし)にも/(およ)ばんなどのみする((ともがら))((わが))(くら)/きままに、人の心のかやうに((と))()をも/(そね)み、あらぬ(かた)へのみ()()なり()。/


 古哥を多く(おぼ)え、家々の抄物((せうもつ))/を()るばかりによりて、哥の()()/まれば、末代の人ぞ次第に見て/は(かしこ)()るべき。されど人丸・赤人/をはじめとして、(われ)とまことあ/るところにて、(だれ)(まな)び、(だれ)/を((ほん))とせざりしかど、これ()(およ)/ばぬを()づること()は、古賢((こけん))一同の/こと()なり()(いにしへ)()(なら)ばんと思/はば、((いにしへ))(おと)らぬところは、いづく/よりいかにぞすべきぞと、かなはぬま/でも、これこそ((くは))しき(●●)大事にてもあ/るに、ただ姿((ことば))上辺(うはべ)(まな)/びて((た))()(なら)びたる心地せんは、((かな))()はべ()()なんや。古人は(われ)と心ざしを/()ぶ。これはそれを(まな)ばんとする/心なれば、(おほ)きに()はれるなり()




(四)京極((きゃうごく)入道(にふだう)中納言(ちゅうなごん))、「寛平((くゎんぴゃう)以往(いわう))の哥に()ち/(なら)ばんと(頁014行009~頁017)


 京極((きゃうごく)入道(にふだう)中納言(ちゅうなごん))、「寛平((くゎんぴゃう)以往(いわう))の哥に()ち/(なら)ばんと()(×)は、物の心さとり()/らぬ人は、(あたら)しきこと()((い))()きて、哥/の(みち)(あたら)しくなりにたりと/()ふなるべし」と()へり。まことにその/((ことわり))(ふか)きにこそ。されば鎌倉右府((うふ))将軍((しゃうぐん))に哥の(みち)(さづ)((まう))()/にも、寛平((くゎんぴゃう)以往(いわう))の哥に()(なら)/ばむと((よ))()べき(よし)((まう))()年号((ねんがう))の/中に寛平((くゎんぴゃう))()()す心は、光仁((くゎうにん)天皇(てんわう))()御宇((ぎょう))参議((さんぎ))藤原((ふぢはらの)濱成(はまなり))、和哥式を/(つく)り、寛平((くゎんぴゃう))御時((おほんとき))孫姫((ひこひめ))・喜撰(カ/サ)ネテ式ヲ(ツク)リ、哥ノ病を(さだ)/め、((おな))()こと()(ふたた)びは()むまじき/こと()になり、心も()こらぬ(ともがら)も、題と/いふこと()(さか)りに()()て、折句((おりく))沓冠((くつかうぶり))な/どまでも人の能にして()む/姿(すがた)の、寛平((くゎんぴゃう))より(さか)りになれり。/これを(くた)して寛平((くゎんぴゃう)以往(いわう))とは/((い))()なり()。古今にも假名・真名序とも/に哥やうやう(くだ)れることを()へり。/万葉((まんえふ))ころ()は、心の()こるところ()のままに、/((おな))()こと()(ふたた)()はるるをも(はば/か)らず、褻晴((けはれ))もなく、((うた))()((ことば))、ただの/(こと)葉とも()はず、心の()こるに/((したが))()て、()しきままに((い))()((い))()せり。心〔の〕((じ))((しゃう))使(つか)ひ、(うち)((うご))()心を((ほか))に/あらはすに(たく)みにして、心も/((ことば))も躰も性も((いう))()(いきほ)ひ/も、()しなべて〔作者の□□□□□、かれもこれもすべて〕あらぬこと()なる(ゆゑ)/に、(たか)くも(ふか)くも(おも)くもあるなり()。/




(五)これ()()(なら)ばんと()かへる人々の(頁018~頁025行006)


 これ()()(なら)ばんと()かへる人々の、/心を(さき)として((ことば))()しきまま/にする時、((おな))()こと()をも()み、先達((せんだつ))の/()まぬ((ことば))をも(はばか)ところ()なく()める/こと()は、入道((にふだう)皇太后宮(くゎうたいこうぐう)大夫(だいぶ))俊成、京極((きゃうごく)入道(にふだう)中納言(ちゅうなごん))西行((さいぎゃう))慈鎭和尚((じちんくゎしゃう))などま/で、((こと))()(おほ)し。


 されば五條入道((ごでうにふだう))が、/


(おも)へば(ゆめ)ぞあはれなるうき世ば/かりの(まど)ひと(おも)へば」/


とも()み、「(こよみ)()(かへ)して/なほ()春と思はばや」とも「(ほた)さし()は/せて」などのたぐひ多し。((おな))()こと()(ふ/たた)びあるも、人によりて晴の/哥合((うたあはせ))にも難ぜず。


 慈鎭和尚((じちんくゎしゃう))の、百/首ながら勅撰に((い))()程の哥を((よ))()/て日吉社に()めんとて()まれたる/にも、((うひ))五字に「(まゐ)る人の」とも「(らち)/の((ほか))なる人の(こころ)」とも()まれ/たる、風情のみにてあれど、後鳥羽/院皆御合點((がってん))ありて、()さまれり。/


 新古今にもかやうの沙汰まで()で/()たるしるしに、古人の哥ならで、/當世((たうせい))の人の中に()みたりとも、よ/からむをば、わざと((い))()るべき(よし)((おほ))()((くだ))され(●●)((おほ))()((くだ))され(●●)て、あまた((い))()うち、家隆((きょう))、/


()ふと()てことぞともなく()けにけり/はかなの夢の(わす)れがたみや」


/「なし」と()()こと()二所((ふたところ))あれど、()せらる。/


 京極((きゃうごく)中納言(ちゅうなごん)入道(にふだう))()哥にも、この姿(すがた)も/((おな))()こと()〔に〕()めれど、((わ))()心に()ふ哥をば、/百首十首の中にもそればかり/を(おぼ)え、心に()はぬ哥をば、古人の/哥なればそしりはせねど見捨(みす)て/て、「その人の哥〔の〕躰はかくこそあれ」と/ばかり()ふも、皆その程()ゆること()/なり。


 されば右府将軍は「山は()け/海は()せなむ」とも「市に()(たみ)/も()(おも)ふ人をうると()かなく/に」など風情の哥も(おほ)()こそはべ()れ。/


 入道((にふだう))民部((きゃう))も、


/「()のづから()めぬ()の葉を()きまぜて/色々(いろいろ)にゆく木()らしの(かぜ)


/と()みたるをば、人々、「木の字((ふた))()あり。/()()句を『()めぬ(した)((ば))』とは、などはべ()ら/ぬぞ」と((まう))()けるにも、まことに(した)((ば))/と()ひては、()(のこ)す心も((おも))()((い))()/たるさまにて、病をも()れば、方々(かたがた)/その(いは)れある方ははべ()れども、風/に(したが)ひて(とほ)る木の葉に向き/ては、下葉やらん、上葉((うはば))やらん、げには/()らず、ただ木の()とこそ()ゆれ、((した))((ば))()へば哥の躰、(くだ)くるなり、/たださてあるべき(よし)((まう))()て、((やまひ))に/てははべ()()なり()また()その心には()ちゐずして、/上辺(うはべ)ばかりを(まな)びて、わざと((せん))((だつ))((よ))()((ことば))()み、((おな))()こと()をも/()まんは、((かへ))()((がへ))()その()((せん))()()


 (いま)〔か〕やうの/御沙汰((ごさた))につきて、(ふる)き躰も心得/おほせぬ(ともがら)もわづかに(まな)び/((よ))()こと()あれば、これ()(あなぐ)(もと)/めて事を()()へ〔ぬ〕。また()あらぬ句を/とりかへ、様々(さまざま)こと()(つく)((い))()て、/披露するたぐひ((き))()ゆる。実任((さねたふ))((じ))((じゅう))が哥に/「(のき)(すずめ)()(かよ)(こゑ)」と/()みたりけるとかや。これをも當/時の躰に賞翫((しゃうくゎん))()らる()()哥とて、「なげしの/(うへ)(すずめ)()くへり」とかやなして/披露する人ある(よし)()()ゆ。((かへ))()((がへ))()その()((せん))()きに(●●)((に))たる(●●)()((おほ))(かた)は、雀、貫之も/題に(いだ)し、京極((きゃうごく)中納言(ちゅうなごん)入道(にふだう))も/()めり。鴬にも古巣(ふるす)とも()む、/(なに)(くる)しからむ、この拾遺、/この()風躰の御沙汰を((くは))しく(●●)((うけたまは))()()む/にもあらねば、いかにもあれな()/ど、かやう()のたぐひ多し。




(六)ただ明恵((みゃうゑ))上人((しゃうにん))の『遣心和歌集((けんしんわかしふ))』序に()()れ/たるやうに(頁025行006~頁028行009)


 ただ明恵((みゃうゑ))上人((しゃうにん))の『遣心和歌集((けんしんわかしふ))』序に()()れ/たるやうに、「()くは心の()くなり、/いまだ(かなら)()しも((ことば))によらじ。やさ/しきは心やさしきなり()。なんぞ(さだ)/めて姿にしもあらむ」とて、心に((おも))()こと()はそのままに()まれたれば、/世の(つね)のにおもしろきもあり、/さま()しきほどの((ことば))どもも、『万葉((まんえふ))(しふ)』のごとく()まれたれど、心/の()けやう、さらによも()はる/((ところ))はべ()()じ。(いま)もその風躰を約束/し(さだ)めて(この)()み、((い))()穿(ほが)に/沙汰事(さたごと)もなし。


 花にても月に/ても夜の()け日の()るる気色(けしき)/にても、(その)こと()()きてはその/こと()()(かへ)り、そのまことを/あらはし、その()有様(ありさま)(おも)ひ/とめ、それに()きて()(こころ)の/(はたら)くやうをも、心に(ふか)く/(あづ)けて、心に(ことば)(ま[か])する/に、((きょう))ある()おもしろきこと()、色をの/み()ふるは、(こころ)()るばかりなる/は、人のいろひ、あながちに憎むべ/きにもあらぬことなり(事也)(こと)葉にて心を/まむとすると、心のままにことばの/(にほ)ひゆくとは、()はれるところ()あるに/こそ。何事にてもあれ、()()こと()に/(のぞ)まば、それに()(かへ)りて、/(さまた)(まじ)はること()なくて、/内外((うちそと))調(ととの)ほりて((じゃう))ずること()、/義にて()すとも、その氣味に()/り()りて()()と、(はる)かに()はること()なり()




(七)これ()をもととして古哥にも(頁028行009~頁031行005)


 これ()をもととして古哥にも/な()()のやうなること()も、また()「かり/そめにうき世の中を((おも))()ぬるかな」と/()はるるに「(しろ)露の()くての山/田」とも(むす)()するは、また()それに/さること()、人の氣によりて、昨日は/わろしと()ふこと、今日は()しと()ひ、/一人に(なが)()むまじき(よし)()ひ/て、また()他人には()しと()こと()も/あり。京極((きゃうごく)中納言(ちゅうなごん)入道(にふだう))新作して、/和哥所にて(いま)はとどめらる/べき(よし)、沙汰ありし(こと)葉ど/もも、よろづの人まことには()ちゐ/ずして(この)むを(にく)みて()へる/こと、人によりて見許(みゆる)すも、先例/もあり、子細もあること()なり()


 ((おほ))(かた)/は、天象((てんしゃう))地儀はその字を((たし))かに(●●)()/め、(こと)葉の字はま〔は〕して心を()め、/結題((むすびだい))上下(かみしも)にその心を((わ))()/て()()れよ、((ことば))三代集((さんだいしふ))の中/にてたづぬべくとも(をし)(ふ/か)((い))()たる人に()けては、また()()/はること()多し。それ皆その((いは))()(ふか)くして、ただかく()()かむと/ばかり、先賢の所為((しょゐ))・古人の詠哥、/(みな)()(おも)(かた)の色を()へ、/得分にも()(まさ)((ゆ))()こと()にや。




(八)哥といふもの()(べち)()きて(頁031行006~頁036行002)


 /哥といふもの()(べち)()きて、()()心/を見、沙汰する人と、まことに哥/の心を()るとは、()はること。花の((もと))/の(ともがら)風情の好事((かうじ))沙汰(さた)/する心は、((かみ))()句に「旅衣((たびごろも))」と()ひたる/に、「日数((ひかず))(かさ)ねて」とも「また()()(かへ)る」/とも()へるは心ありと(さだ)め、いた/く衣の才学((さいかく))(くは)しくせで旅の嵐・/夜半の(つゆ)にし()るる衣のあり/さまにつけても「ふるさと()の恋しき」/など()ひなせるばかりは(よは)し、/など(さだ)むるも、(かなら)ずしも/さのみあるまじきこと()にや。


 しか()()()()/人々(あつ)まれる会に、雲客((うんかく))、/


浅香山(あさかやま)(かげ)さへ()ゆる山の()の/(あさ)くは人を(おも)ふものかは」/


といへる哥を()ひ出でて、哥の父母((ちちはは))と/()ふほどの哥、いたづら((ことば))はよもあらじ/と(おも)ふに、「(かげ)()ゆる((やま))()((ゐ))」にて/は心()られはべ()()を、「さへ」の((ことば))、いかにも/()()さめたるにか、おぼつかなき/(よし)((まう))()けるに、面々才学((さいかく))の人々、/「まことにかく((い))()時はおぼつかなし」/にて()てけるも、かの采女(うねめ)、この/哥を()める心、((なに))(ゆゑ)()こりて、/いかにと()まるべきところ()より()()/たるぞと、みなもと(もと)づき見ずして、/((やま))()井と()へばそれに()きて()める/やうに心()て、不審ひらけぬ/にや。人の妻にて人に()ゆべき/身にもあらねど、(まう)(おろ/そ)かなるとて(とが)むれば、(をとこ)/の()ふに(したが)ひて、かの大君(おほきみ)/すかさむとて((い))()たる身なれば、/土器(かはらけ)とりても、この人をす/かさむと((おも))()心にて、()ゆべくもな/き()(かげ)をさへ見え(たてまつ)/るは、(あさ)くは思はぬぞと()ふに/()()たる((やま))()井なれば、ことぐ/さに()()せたるにてこそはべ()()を、/やがて((やま))()井と()へばとて、この「さへ」/を山の井のぬしになして見ば、/まことにおぼつかなし。()(かげ)に/なして()れば、おぼつかなきこと()/なし。かやうのこと()をだに見分(みわ)かず/して、(おも)ひ見たらむは、かくのみぞ/あるべき。




(九)中納言入道((にふだう))((まう))()けるやうに(頁036行002~頁039)


 中納言入道(にふだう)((まう))()けるやうに/「上陽人((しゃうやうじん))をも題にて詩をも(つく)り/哥をも()まば、その才学((さいかく))をのみ/(もと)めて(つづ)けて()むうちにも/よしあし(おほ)けれど、ひとつ()の/うちなり。また()それよりは心に((い))()て、さは/ありつらむと((おも))()やりて()めるは、/あはれもまさり、古哥の躰にも/((に))()なり()()()(ふか)くなりては、やがて/上陽人((しゃうやうじん))になりたる心()して、()く/()くふるさとをも(こひ)しう((おも))()、/雨をも()()かし、朝夕(あさゆふ)に/つけて()(しの)ぶべき心()もせざら/むところ()をも、よくよく(能々)()(かへ)りてみて、/((そ))()心より()まん哥こそ、あはれも/(ふか)(とほ)り、うち()るまことにこた/へたるところ()はべ()()べけれ」と(いう)((こころ))()((ゆだ))ぬるも(●●●)/をかし。されば恋の哥をばひきか/づきて、人の心に()はりても、()()く/その心を((おも))()やりて()みけるとぞ。/かやうに()かはぬ人の哥は、さはさは/とも、おもしろきやうなるはあれ/ど、いかにぞ(いう)()ひ、(いきほ)ひの/(ふか)こと()はなくて、古哥に()はれ/ること()なり()


 されば紫式部も()へる/やうに、「いでやさまで心は得じ(●●)口にいと歌(●●●●●)/の()まるるなめり、()づかしげの/哥()みやとは見えず。まことの/哥詠みにこそはべ()らざめれ」など/()へるにこそ。

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