表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こころが先かことばが先か―『為兼卿和歌抄』を真剣に読む。  作者: 村咲 春帆
私家版『為兼卿和歌抄』。
48/180

翻刻篇

翻刻篇では細切れだった「翻刻」を、一括掲載にしてみました。

あくまでも「宮内庁書陵部くないちょうしょりょうぶ(ぞう)為兼卿和哥抄ためかねきょうわかしょう」の写本内での「翻刻」ですが。

自ら本文を考えてみたいという方は、こちらをお楽しみください。


教科書風を標榜するならば、各章のタイトルは、(『伊勢物語』における「東下り」のような)独自のものをつけるべきなのでしょうが、勝手につけるのはおこがましいということで、『枕草子』形式を採用しています。

(一)哥と((まうし))((さうらふ))物は(頁001~頁004行008)


 哥と((まうし))((さうらふ))物はこの比((はなの))下に/集る好事などのあまねく/思ひ((さうらふ))様にばかりは候はず。/心にあるを志といひ、ことにあら/はるゝを詩哥とは、皆しりて候へども、耳にきゝ、口にたのし/み((さうらふ))ばかりにて、心におさめ((さうらふ))/かた、くらく((さうらふ))ゆへに、ただしら/ざると((おなじ))事になりはてさうらひにける/よし、沙汰((さたし))((さうらふ))然而((しかれども))、我も我もとほ/こさきをあらそひ、才学をたて/((さうらふ))まへは、いづれか是いづれか非、/しりがたきに似候へども此みちは/あさきに似てふかくやすきにゝ/てかたく、佛法ともひとへに((さうらふ))/なれば、邪正をたづねきはめら/れ候はん時は、私あらむところは/かなはずや候はんずらむ。されば/和漢の字により((さうらひ))て、からの哥・や/まと哥とは((まうし))候へども、うちに/((うごく))心をほかにあらはして紙にかき/((さうらふ))事は、さらにかはるところなく((さうらふ))/にや。文と((まうし))((さうらふ))もひとつことばに((さうらふ))/よしは、弘法大師の御旨趣にも((くはしく))((みえ))((さうらふ))にこそ。境に((したがひ))てをこる心/を聲にいだし((さうらふ))事は、花になく/鶯、水にすむかはづ、すべて一切生/類みなおなじことに候へば、「いきとし/いけるもの、いづれか哥をよまざ/りける」ともいひ、乃至草木を/風((ふき))て枝をならすも「柯は哥也」/とて、それまでも哥なるよし、/樸揚大師も見せられて((さうらふ))と/かや。されば、天地をうごかし、鬼神/をも感ぜしめ、治世((よををさむる))みちともなり、/「群徳之祖、百福之宗也」ともさ/だめられ、「邪正をたゞす事|是よ/りちかきはなし」など((さうらふ))にや。




(二)((およそ))一切/のこと成就するには(頁004行008~頁008行010)


 ((およそ))一切/のこと成就するには、相應をさ/きとし((さうらふ))なればにや、伊勢太神/宮・八幡・賀茂をはじめ奉りて、/和國にあとをたれ((たまふ))諸神も、/仏・菩薩も、権者も、代々の聖主、/仁徳天皇・聖武天皇・聖徳太子/弘法大師・傳教大師以下、皆是/をよみ((たまふ))。東大寺つくりて供/養あらむとての日、行基菩薩/難波の岸にて婆羅門僧正を/((むかへ))((たまふ))時も、/


「霊山の釈迦の御まへに契りてし/真如くちせずあひみつるかな」/


とよみ((たまふ))返しにも、南天竺より/((はじめ))てきたれる婆羅門僧正も、/


「かひらへに昔ちぎりしかひありて/文珠の御かほあひみつるかな」/


とよみ((たまふ))も、和國に来れば相應/の詞をさきとして、和哥をよめり。/すべて和國は神國なるゆへに、/神明はことに和哥をもてのみ、/おほくは心ざしをもあらはし((たまふ))も、/相應のゆへと((まうす))にこそ。さればみち/をもまもり、あらたなる事も/先規おほく((はべる))にや。


 大方、物に/ふれてことに心と相應した/るあはひを能々心みんことの、((かならず))/草木鳥獣ばかりに((かぎる))べからざ/るゆへに、よろづの道の邪正も/((こころざす))とはいへるにこそ。景物につ/きて心ざしをあらはさむも、心を/とめ、ふかく思ひいるべきにこそ。/「かならずよく四時に似たるをも/ちひよ。春夏秋冬の氣色、時/にしたがひて心をなして、これ/をもちひよ」とも侍れば、春は/花のけしき、秋は秋のけしき、/心をよくかなへて、心にへだてずなし/て言にあらはれば、おりふしの/まこともあらはれ、天地の心にもか/なふべきにこそ。「氣性は天理に((あふ))」/とも((はべる))にや。




(三)稽古に力((いる))る人も(頁008行010~頁014行009)


 稽古に力((いる))る人も、/才学をこのみ、義を案じもち/てばかり問答をする時、古人の/詞をも((わが))かたのをもむきにのみ/とりなし、心はいれでひがざまにこと/|はり、((わが))物に((うる))ところもなし。無所/得((うるところなし))はすすむことなし。よみいだすぶん/も不審をあぐるきはも、|月輪の/うちをいづる事なきよし、沙汰((さたし))((さうらふ))也。/されば年来の好事、是をのみた/しなむよしなるも、古人のさほど/たしなむとや((きこ))えざりけるも、/よめる哥のさま、はるかにへだ/ててをよぶ事なし。


 京極入道中納言/定家、千首をよみて送る人の返事((かへりこと))/にかけるごとく、「哥はかならず千首/万首をよむにもよらず。その/みちを心得てよむ人は、十首廿首/よりみゆべし。さればこれほどの/心ざしならば、哥のやうを((とひ)((きき))て/ぞ((よむ))べき」といへる、肝要なる/べし。


 下ざまの好事の中に、不審/をいだし才学をたつる人も、/「久方の空」とは何とていふぞ、「あら/かねのつち」とはいかなる心にいひ/そめたぞ、など言ふ事をのみ(とひ)たる/を、いみじきこととせり。是もまことに/あるべき事なれど、かやうの事/はたださとしるばかりにて、おほき/なる得分なし。哥はいかなる物ぞ、/いかにとむきて、いかにとよむべきぞ、/よしとはいかなるをいひ、あしとはいか/なるをしるべきぞ、昔今のかはれ/るはいづくかかはれるぞとも、いか/にして人のさかしをろかなるをも/しり、われも人となりす(ゝむ)べきなどは、/まづはじめの一重なる不審にも/せられぬべきを、さはみなむかは/ずして、入られぬ道よりいらむと/し、|をよばれぬかたよりむかしにも/()よばんなどのみする輩、わがくら/きままに、人の心のかやうに((とふ))をも/そねみ、あらぬかたへのみいひなす也。/


 古哥を多くおぼえ、家々の抄物/をみるばかりによりて、哥のよくよ/まれば、末代の人ぞ次第に見て/はかしこくあるべき。されど人丸・赤人/をはじめとして、われとまことあ/るところにて、だれをまなび、だれ/を本とせざりしかど、是に|をよ/ばぬをはづる事は、古賢一同の/事也。いにしへにたちならばんと思/はば、古におとらぬところは、いづく/よりいかにぞすべきぞと、かなはぬま/でも、これこそ((くはしき))大事にてもあ/るに、ただ姿詞のうはべをまな/びて((たち))ならびたる心地せんは、((かなひ))((はべり))なんや。古人はわれと心ざしを/のぶ。これはそれをまなばんとする/心なれば、おほきにかはれる也。




(四)京極/入道中納言、「寛平以往の哥にたち/ならばんと(頁014行009~頁017)


 京極/入道中納言、「寛平以往の哥にたち/ならばんとよめるは、物の心さとりし/らぬ人は、あたらしき事((いで))きて、哥/のみちあたらしくなりにたりと/いふなるべし」といへり。まことにその/理ふかきにこそ。されば鎌倉右府/将軍に哥のみちをさづけ((まうす))/にも、寛平以往の哥にたちなら/ばむと((よむ))べきよしを((まうす))。年号の/中に寛平にさす心は、光仁天皇/御宇、参議藤原濱成和哥式を/つくり、寛平の御時、孫姫・喜撰カ/サネテ式ヲツクリ、哥ノ病をさだ/め、((おなじ))事ふたたびはよむまじき/事になり、心もをこらぬ輩も、題と/いふ事さかりに((なり))て、折句・沓冠な/どまでも人の能にしてよむ/すがたの、寛平よりさかりになれり。/これをくたして寛平以往とは/いふ也。古今にも假名・真名序とも/に哥やうやうくだれることをいへり。/万葉のころは、心のおこる所のままに、/((おなじ))事ふたたびいはるるをもはば/かはば/からず、褻晴もなく、((うたの))詞、ただの/こと葉ともいはず、心のおこるに/((したがひ))て、ほしきままに((いひ))((いだ))せり。心自/性をつかひ、うちに((うごく))心を外に/あらはすにたくみにして、心も/詞も躰も性も優にいきをひ/も、をしなべてあらぬ事なるゆへ/に、たかくもふかくもをもくもある也。/




(五)是にたちならばんとむかへる人々の(頁018~頁025行006)


 是にたちならばんとむかへる人々の、/心をさきとして詞をほしきまま/にする時、((おなじ))事をもよみ、先達の/よまぬ詞をもはばかる所なくよめる/事は、入道皇太后宮大夫俊成、京極/入道中納言、西行、慈鎭和尚などま/で、((ことに))おほし。


 されば五條入道が、/


「おもへばゆめぞあはれなるうき世ば/かりのまどひとおもへば」/


ともよみ、「こよみをまきかへして/((なほ))春と思はばや」とも「ほたさしあは/せて」などのたぐひ多し。((おなじ))事ふ/たたびあるも、人によりて晴の/哥合にも難ぜず。


 慈鎭和尚の、百/首ながら勅撰にいる程の哥をよみ/て日吉社にこめんとてよまれたる/にも、初五字に「まひる人の」とも「らち/の外なる人のこころ」ともよまれ/たる、風情のみにてあれど、後鳥羽/院皆御合點ありて、おさまれり。/


 新古今にもかやうの沙汰までいで/きたるしるしに、古人の哥ならで、/當世の人の中によみたりとも、よ/からむをば、わざと((いる))るべきよし、被/仰下((おほせくだされ))て、あまた((いる))うち、家隆卿、/


「あふとみてことぞともなくあけにけり/はかなの夢のわすれがたみや」/


「なし」といふ事二所あれど、のせらる。/


 京極中納言入道((にふだうの))哥にも、このすがたも/((おなじ))事よめれど、((わが))心にあふ哥をば、/百首十首の中にもそればかり/をおぼえ、心にあはぬ哥をば、古人の/哥なればそしりはせねどみすて/て、「その人の哥躰はかくこそあれ」と/ばかりいふも、皆その程みゆる事/なり。


 されば右府将軍は「山はさけ/海はあせなむ」とも「市にたつたみ/もわがおもふ人をうるときかなく/に」など風情の哥も((おほく))こそ侍れ。/


 入道民部卿も、/


「をのづからそめぬこの葉をふきまぜて/いろいろにゆく木がらしのかぜ」/


とよみたるをば、人々、「木の字((ふたつ))あり。/三句を『そめぬした葉』とは、など侍ら/ぬぞ」と((まうし))けるにも、まことにした葉/といひては、そめのこす心もおもひいれ/たるさまにて、病をもされば、かたがた/そのいはれある方は侍れども、風/にしたがひてとをる木の葉に向き/ては、下葉やらん、上葉やらん、げには/しらず、ただ木のはとこそみゆれ、下/葉といへば哥の躰、くだくるなり、/たださてあるべきよし、((まうし))て、病に/ては((はべる))也。又その心にはおちゐずして、/うはべばかりをまなびて、わざと先/達の((よま))ぬ詞をよみ、((おなじ))事をも/よまんは、返々((かへすがへす))無其詮((そのせんなし))


 いまやうの/御沙汰につきて、ふるき躰も心得/おほせぬともがらもわづかにまなび/((よむ))事あれば、是をあなぐりもと/めて事をいひそへ。又あらぬ句を/とりかへ、さまざまの事をつくりいでて、/披露するたぐひ((きこ))ゆる。実任侍/従が哥に/「のきのすゞめのすにかよふこゑ」と/よみたりけるとかや。これをも當/時の躰に((しゃう)(くゎん)(せらるる))哥とて、「なげしの/うへにすゞめすくへり」とかやなして/披露する人あるよし、((きこ))ゆ。返々((かへすがへす))((その)無其詮歟(せんなきににたるか))。大かたは、雀、貫之も/題に出し、京極中納言入道も/よめり。鴬にもふるすともよむ、/なにかくるしからむ、この拾遺、/((この))風躰の御沙汰を((くはしく))((うけたまはり))てよむ/にもあらねば、いかにもあれなん/ど、かやうのたぐひ多し。




(六)ただ明恵/上人の遣心和哥集序にかかれ/たるやうに(頁025行006~頁028行009)


 ただ明恵/上人の遣心和哥集序にかかれ/たるやうに、「すくは心のすくなり、/いまだ((かならず))しも詞によらじ。やさ/しきは心やさしき也。なんぞさだ/めて姿にしもあらむ」とて、心に((おもふ))/事はそのままによまれたれば、/世のつねのにおもしろきもあり、/さまあしきほどの詞どもも、『万葉/集』のごとくよまれたれど、心/のむけやう、さらによもかはる/所((はべら))じ。いまもその風躰を約束/しさだめてこのみよみ、((いり))ほがに/さたごともなし。


 花にても月に/ても夜のあけ日のくるるけしき/にても、う事にむきてはその/事になりかへり、そのまことを/あらはし、其ありさまをおもひ/とめ、それにむきてわがこころの/はたらくやうをも、心にふかく/あづけて、心に詞をまする/に、有興((きょうある))おもしろき事、色をの/みそふるはこころをやるばかりなる/は、人のいろひ、あながちに憎むべ/きにもあらぬ事也。こと葉にて心を/よまむとすると、心のままに詞の/匂ひゆくとは、かはれる所あるに/こそ。何事にてもあれ、その事に/のぞまば、それになりかへりて、/さまたげまじはる事なくて、/内外ととのほりて成ずる事、/義にてなすとも、その氣味にな/りいりて((なす))と、はるかにかはる事/也。




(七)是をもととして古哥にも(頁028行009~頁031行005)


 是をもととして古哥にも/なうなうのやうなる事も、又「かり/そめにうき世の中を((おもひ))ぬるかな」と/いはるるに「しら露のをくての山/田」ともむすびぐするは、又それに/さる事、人の氣によりて、昨日は/わろしといふこと、今日はよしといひ、/一人にながくよむまじきよしいひ/て、又他人にはよしといふ事も/あり。京極中納言入道新作して、/和哥所にていまはとどめらる/べきよし、沙汰ありしこと葉ど/もも、よろづの人まことにはおちゐ/ずしてこのむをにくみていへる/こと、人によりてみゆるすも、先例/もあり、子細もある事也。


 大かた/は、天象地儀はその字を((たしかに))よ/め、こと葉の字はまして心をよめ、/結題はかみしもにその心を((わけ))/てよみいれよ、詞は三代集の中/にてたづぬべくともをしへふ/か((いり))たる人にむけては、又か/はる事多し。それみなその((いはれ))/ふかくして、ただかくいひをかむと/ばかり、先賢の所為・古人の詠哥、/みな、わがおもふかたの色をそへ、/得分にもなりまさり((ゆく))事にや。/




(八)哥といふ物をべちにをきて(頁031行006~頁036行002)


 哥といふ物をべちにをきて、((その))心/を見、沙汰する人と、まことに哥/の心をみるとは、かはること。花の下/のともがら風情の好事がさた/する心は、((かみの))句に「旅衣」といひたる/に、「日数かさねて」とも「又たちかへる」/ともいへるは心ありとさだめ、いた/く衣の才学くはしくせで旅の嵐・/夜半のつゆにしほるる衣のあり/さまにつけても「ふる郷の恋しき」/などいひなせるばかりはよはし、/などさだむるも、かならずしも/さのみあるまじき事にや。


 可然((しかるべき))/人々あつまれる会に、雲客、/


「あさかやまかげさへみゆる山のゐの/あさくは人をおもふものかは」/


といへる哥をいひ出でて、哥の父母と/いふほどの哥、いたづら詞はよもあらじ/とおもふに、「かげみゆる((やまの))井」にて/は心えられ((はべる))を、「さへ」の詞、いかにも/いひおさめたるにか、おぼつかなき/よし、((まうし))けるに、面々才学の人々、/「まことにかく((いふ))時はおぼつかなし」/にてはてけるも、かのうねめ、この/哥をよめる心、何ゆへにおこりて、/いかにとよまるべき所よりいでき/たるぞと、源にもとづき見ずして、/((やまの))井といへばそれにむきてよめる/やうに心えて、不審ひらけぬ/にや。人の妻にて人にみゆべき/みにもあらねど、まうけをろ/そかなるとてとがむれば、おとこ/のいふにしたがひて、かのおほきみ/すかさむとて((いで))たる身なれば、/かはらけとりても、この人をす/かさむと((おもふ))心にて、みゆべくもな/きわがかげをさへ見えたてまつ/るは、あさくは思はぬぞといふに/よりきたる((やまの))井なれば、ことぐ/さにとりよせたるにてこそ((はべる))を、/やがて((やまの))井といへばとて、この「さへ」/を山の井のぬしになして見ば、/まことにおぼつかなし。わがかげに/なしてみれば、おぼつかなき事/なし。かやうの事をだにみわかず/して、おもひ見たらむは、かくのみぞ/あるべき。




(九)中納言入道((まうし))けるやうに(頁036行002~頁039)


 中納言入道((まうし))けるやうに/「上陽人をも題にて詩をもつくり/哥をもよまば、その才学をのみ/もとめてつづけてよむうちにも/よしあしおほけれど、ひとつわの/うちなり。又それよりは心に((いり))て、さは/ありつらむと((おもひ))やりてよめるは、/あはれもまさり、古哥の躰にも/((にる))也。((なほ))ふかくなりては、やがて/上陽人になりたる心ちして、なく/なくふるさとをもこひしう((おもひ))、/雨をもききあかし、あさゆふに/つけてたへしのぶべき心ちもせざら/む所をも、能々なりかへりてみて、/((その))心よりよまん哥こそ、あはれも/ふかくとをり、うちみるまことにこた/へたる所も((はべる))べけれ」といふに((こころを)(ゆだぬるも))/をかし。されば恋の哥をばひきか/づきて、人の心にかはりても、なくなく/その心を((おもひ))やりてよみけるとぞ。/とも、おもしろきやうなるはあれ/ど、いかにぞいふのそひ、いきおひの/ふかき事はなくて、古哥にかはれ/る事也。/


 されば紫式部もいへる/やうに、「いでやさまで心はへしろ(虫損)/のよまるるなめり、はづかしげの/哥よみやとは見えず。まことの/哥よみにこそ侍らざめれ」など/いへるにこそ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ