こころ派のこころ意気。
「こころだいじに」を突き詰めました。
何よりもこころを重視した京極派は「四季を分かつのはこころの有り様」とする季節観や、「気象は天地のこころの現れ」とする自然観で知られる和歌の一派である。ごく現実的日常的な題材と設定、そしてこころにこだわった和歌を数多く残している。
京極派が最も得意としたのは「観照歌」、つまりは「知識や歌語による先入観を捨て、対象にこころのすべてを委ねることで浮かんだことばを拾い集めて詠んだ歌」であった。
例えば自然観照歌の場合は、「光・風・雲・雨など自然の動態を執拗なまでに観察することで捉えた風景」を、「こころに浮かんだことば、伝統には囚われない自由な用語」で「繊細に表現すること」を重視した。
こころ重視の和歌、つまりは「こころ任せの自由な歌」とは言っても、京極派歌壇という狭いコミュニティーの中で切磋琢磨されていくにつれ、幾つかのパターンが発生した。「近景から遠景へ、あるいは遠景から近景へと一首の中でダイナミックな動きのある歌」、「大きなものから小さなものへと焦点が絞られてゆく歌」、「時間の経過とそれに伴う明るさの変化を詠み込んだ歌」などに分類できる。要は、こころに響いた「対比」や「微かな何か」をとらえた歌、というのが京極派和歌の特徴なのである。
恋愛観照歌の場合は「恋愛の感情・心理を対象として観察し、内省的あるいは分析的に表現しようとすること」を重視しており、観念的な歌が多かった。
また、ことば選びがこころ任せのため、他の派閥では使われない京極派だけの「特異語」がやたら多いのも特徴の一つである。京極派以降に歌の言葉の仲間入りをしたという京極派発信の言葉も多い。和歌の技法としては字余りに市民権を与えて一般化したり、体言止めが圧倒的だったりするのに対し、枕詞や掛詞、縁語といった言葉遊びの延長のような技法の使用例はほぼないというのもまたその特徴の一つである。
「こころだいじに」
「バイアスつかうな」
「みんながんばれ」
「ガンガンいこうぜ」




