『うひ山ぶみ』の中の為兼。
【作品名】『うひ山ぶみ』
【成立時期】江戸時代後期(一七九八年成立。為兼没後四百六十六年)
【筆者】本居宣長
【ジャンル】国学書
【内容】学び始めの人々向けのエッセー集。
さて又玉葉風雅の二ツの集は、為兼卿流の集なるが、彼卿の流の歌は、皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり、されば此一流は、其時代よりして、異風と定めしこと也、
さて件ンの二集と、新古今とをのぞきて外は、千載集より、廿一代のをはり新続古今集までのあひだ、格別にかはれることなく、おしわたして大抵同じふりなる物にて、中古以来世間普通の歌のさまこれなり、さるは世の中こぞりて、俊成卿定家卿の教ヘをたふとみ、他門の人々とても、大抵みなその掟を守りてよめる故に、よみかた大概に同じやうになりて、世々を経ても、さのみ大きにかはれる事はなく、定まれるやうになれるなるべし、世に二条家の正風体といふすがた是也、此ノ代々の集の内にも、すこしづゝは、勝劣も風のかはりもあれども、大抵はまづ同じこと也、
さて初学の輩の、よむべき手本には、いづれをとるべきぞといふに、上にいへるごとく、まづ古今集をよく心にしめておきて、さて件ンの千載集より新続古今集までは、新古今と玉葉風雅とをのぞきては、いづれをも手本としてよし、然れども件の代々の集を見渡すことも、初心のほどのつとめには、たへがたければ、まづ世間にて、頓阿ほふしの草庵集といふ物などを、会席などにもたづさへ持て、題よみのしるべとすることなるが、いかにもこれよき手本也、此人の歌、かの二条家の正風といふを、よく守りて、みだりなることなく、正しき風にして、わろき歌もさのみなければ也、其外も題よみのためには、題林愚抄やうの物を見るも、あしからず、但し歌よむ時にのぞみて、歌集を見ることは、癖になるものなれば、なるべきたけは、書を見ずによみならふやうにすべし、たゞ集共をば、常々心がけてよく見るべき也。
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さてまた『玉葉和歌集』『風雅和歌集』の二つの(勅撰)和歌集は、(京極)為兼卿の流派の和歌集であるが、彼の流派の歌は、皆、異様なものであって、とても卑しく悪い歌風である。そうであるからこの一流派は、その時代から、異風と定められてきたのである。
さて、先述の二和歌集と『新古今和歌集』とを除いた以外は、『千載和歌集』から、第二十一代の最後『新続古今和歌集』までの間、格段に変わることなく、一様に大抵同じ歌風であって、平安時代以来世間(の)普通の歌の様子(は)これである。そうであるから世の中はこぞって、藤原俊成卿・藤原定家卿の教えを尊び、他門の人々であっても、大抵(は)皆その掟を守って詠んでいるために、詠み方(が)だいたいは同じようになって、時代を経ても、それほど大きく変わることはなく、決まったようになってしまったのであるに違いない。世に(言われる)「二条家の正風体」という形式(が)これである。この代々の和歌集のうちにも、少しずつは、(和歌集間の)優劣も歌風の変化もあるけれども、大抵はとりあえず同じことである。
さて学び始めの人々の、読むべき手本には、どれを取るべきかというと、先に言ったように、真っ先に『古今和歌集』をよく心に備えておいて、そこで先述の『千載和歌集』から『新続古今和歌集』までは、『新古今和歌集』と『玉葉和歌集』『風雅和歌集』とを除いては、どれをも手本として良い。そうだけれども先例の代々の和歌集を広く見ることも、初心(者)程度の務めとしては、耐え難いので、まず世間では、頓阿法師の『草庵集』というものなどを、歌会の席などにも携え持って、題詠の手引きとすることであるが、非常にこれ(は)よき手本である。この人の歌(は)、かの二条家の正風というものを、よく守って、秩序がないこと(が)なく、正しい歌風であって、悪い歌もそれほどなかったからである。その他も題詠のためには、(歌学書である)『和歌題林愚抄』(の)ような物を見るのも、悪くはない。ただし歌詠む時に臨んで、歌集を見ることは、癖になるものであるので、なるべくすべて、書物を見ずに詠み慣れるようにした方が良い。ただ多くの和歌集を、日頃から心がけてよく見るべきである。
京極派の和歌を「皆ことやうなるものにして、いといやしくあしき風なり」と言い切る本居宣長。
そりゃあ明治時代後半まで、百年近くも市民権を得られないはずですね。




