『金島書』の中の為兼。
【作品名】『金島書』
【成立時期】室町時代(一四三六年頃成立。為兼没後百四年頃)
【筆者】世阿弥
【ジャンル】謡い物
【内容】金島(=佐渡)を舞台にした全八篇の小謡曲舞集。
時鳥
【只ことば】さて西の方を見れば、入海の浪白砂雪を帯びて、みな白妙に見えたる中に、松林一むら見えて、まことに春正月の気色なるべし。この内に社頭まします、八幡宮勧請の霊祠なり。されば所をも八幡と申す。敬信のために参詣せしに、ここに不思議なる事あり。都にては待ち聞きし時鳥、この国にては山路は申すに及ばす、かりそめの宿の木末、軒の松が枝までも、耳かしましきほどなるが、この社にてはさらに鳴く事なし。これはいかにと尋ねしに、宮人申すやう、これはいにしへ為兼の卿の御配処なり。ある時ほととぎすの鳴くを聞き給ひて、「鳴けば聞く 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ山ほととぎす」と詠ませ給ひしより、音を止めてさらに鳴く事なしと申す。げにや花に鳴く鶯、水に住む蛙まで、歌を詠む事まことなれば、ほととぎすも、同じ鳥類にて、などか心のなかるべきと覚えたり。
(八幡の鳴かぬ)時鳥(に寄せて)
【節のない台詞】さて西の方を見てみると、真野湾の白波や白砂が雪を身にまとって、全てが真っ白に見えている中に、松林が一まとまりに見えて、本当に春を思わせる正月の風景である。この(景色の)中に社殿がございますのが八幡宮に分霊をお迎えした霊験あらたかな祠である。そうであるから(この)場所のことをも八幡と申し上げる。(神仏を)敬い信じる気持ちから参詣したところ、ここで不思議なことがあった。都にては待たなければなかなか聞けないほととぎす(の鳴き声が)、この国では山路は申すに及ばす、仮の宿の木の先端、家の軒先の松の枝まででも、耳やかましいほどなのであるが、この(八幡宮の)御社では少しも鳴くことがない。「これはどういうことか」と尋ねたところ、神官が申すことには、「ここはいにしえの(京極)為兼卿がお流されになった場所です。ある時(為兼卿が)ほととぎすが鳴くのをお聞きになって、『鳴けば聞いてしまう 聞けば都が恋しくなるので この里は通り過ぎておくれ山ほととぎすよ』とお詠みになって以来、(ほととぎすは)鳴くのをやめて(この場所では)少しも鳴くことがないのです」と申す。「本当にまあ、(『古今和歌集』の仮名序に言うように)花に鳴く鶯、水に住む蛙まで、歌を詠むということは本当のことであるから、ほととぎすも、(鶯と)同じ鳥類であるから、どうして心がないことがあろうか」と思ったのだった。
配流によって佐渡で「伝説の人」化された為兼が垣間見られる作品。
「鳴けば聞く」の和歌は歌集等には見えないものの、江戸時代に入ると配流になった人の歌として定番化し、天皇の御製などとして作中に登場するようになる。




