『新拾遺和歌集』の中の為兼。
【作品名】『新拾遺和歌集』
【成立時期】室町時代(1364年)
【撰者】二条為明・頓阿
【ジャンル】和歌集
【内容】第19代勅撰和歌集。
【巻第一・春歌上】
弘安元年亀山院に百首歌たてまつりける時
〇〇四七 立ちかへり又きさらぎの空さえてあまぎる雪にかすむ山のは(前大納言為兼)
訳】弘安元年(一二七八年・為兼二十五歳)に亀山院に百首歌を献上した時(に詠んだ歌)
〇〇四七 何度も繰り返してもう一度二月の空が冷たく冴えて一面を霞ませるように降る雪に霞む山の端であるよ。
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【巻第二・春歌下】
弘安元年百首歌たてまつりける時
〇一一七 あれはてし志賀のふる郷きてみれば春こそ花の都なりけれ(前大納言為兼)
訳】弘安元年(一二七八年・為兼二十五歳)に百首歌を献上した時(に詠んだ歌)
〇一一七 荒れ果てた志賀の(近江大津の宮があった)旧跡に来てみると、春(である今)こそ花の都なのだけれども。
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【巻第三・夏歌】
伏見院三十首歌に
〇二九二 なるかみの音ほのかなる夕立のくもるかたより風ぞはげしき(前大納言為兼)
訳】伏見院(に献上した)三十首歌に(あった歌)
〇二九二 雷の音がかすかに聞こえ始めた夕立の曇っていく彼方から風が激しくなってきた。
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【巻第六・冬歌】
弘安八年八月十五夜三十首の歌たてまつりける時、時雨驚夢
〇五八二 夢路までよはの時雨のしたひきて覚むる枕に音まさるなり(前大納言為兼)
訳】弘安八年(一二八五年・為兼三十二歳)八月十五日の十五夜(の歌会)に三十首の歌を献上した時、「時雨驚夢」(という歌題で詠んだ歌)
〇五八二 夢の中まで夜中の時雨がついてきて、(夢から)覚めた枕元に(聞こえてくる)音に勝るようだ。
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【巻第九・羇旅歌】
永仁元年八月十五夜後宇多院に十首歌たてまつりしに、秋旅といふ事を
〇七六九 故郷を忘れんとてもいかがせむ旅ねの秋のよはの松かぜ(前大納言為兼)
訳】永仁元年(一二九三年・為兼四十歳)八月十五日の十五夜(の歌会で)後宇多院に十首の歌を献上した時に、「秋旅」ということを(詠んだ歌)
〇七六九 故郷を忘れようと言ってもどうしようか(いや、どうしようもない)旅先での宿泊の秋の夜中の松風(であるよ)。
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【巻第十二・恋歌二】
題しらず
一〇五〇 あまのかるみるめはよその契にてしほひもしらぬ袖のうら波(前大納言為兼)
訳】題しらず
一〇五〇 海人が刈る海松布(のようなあの人と会う機会)は(私とは)別の人との約束であるから(悲しみの涙が止まらないように)潮が引くことも知らない(涙に濡れる)袖に打ち寄せる浦波(であるよ)。
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【巻第十二・恋歌二】
題しらず
一〇六五 かひなしやうきになしても一方に思ひもこりぬ心よわさは(前大納言為兼)
訳】題しらず
一〇六五 どうにもならないなあ、憂きになしても一途に(あなたへの思いが)懲りない(私の)心の弱さは。
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【巻第十八・雑歌上】
弘安八年八月十五夜卅首歌たてまつりし時、落花埋庭
一五五四 庭の面は跡みえぬまでうづもれぬ風よりつもる花のしら雪(前大納言為兼)
訳】弘安八年(一二八五年・為兼三十二歳)八月十五日の十五夜(の歌会で)三十の歌を献上した時に、「落花に埋もれる庭」(ということを詠んだ歌)
一五五四 庭の表面は(庭の)痕跡が見えないほど埋もれてしまった、(桜を散らせる)風によって積もる(桜の落)花の白雪(に)。
同時代の歌人を露骨に軽んじたせいか、二条派が撰んだにしては二条派好みからははみ出した感のある八首。「弘安百首歌」(弘安元年(一二七八年)に詠まれたもの。為兼二十五歳。散逸)縛りも緩め。
ちなみに同じ京極派からは、伏見院(ニ十首)・光厳院(十五首)・花園院(十五首)・永福門院(六首)・為子(四首)などが選出されている。




